はてなキーワード: 高値とは
僕は学生なのだが、休暇中は大量の課題と勉学を程々にしつつも、インターネットの海でバカンスを過ごしていた。
さて、本題に入ろう。新型コロナウイルスの流行によって更に露呈してきた「大人(笑)」について、少々愚痴を垂れ流させていただきたいのだ。
「大人」は何をもって大人とするか。僕はこの問いにいつも頭を悩ませる。
マスクを高値で転売し不要不急の飲み屋へ出歩き著名人を誹謗中傷し「自粛警察」ムーブをし、更に口を開けば「若者がー」。
こういう事を言うと「大人に反抗したがる尾崎豊のなりそこないがよォ」と言われそうだが、そんな人には、「反抗期」は「大人に反抗したがる時期」ではなく「子供と違ってなんでも出来ると思っていた大人が子供と同じくなんにも出来ないことを知ってそれに言及しだす時期」で、それを乗り越えると「もう皆何も出来ないんだから一々矯正しようと思うのも疲れた」と思いだすのが人間だと思っているので「あなたにもこんな感じの時期、ありませんでしたか?」とだけ言っておこう。
最近の話題で言うと、「センター試験の廃止」「外部試験の導入」が僕からするととんでもなくムカついた。ああでも安心して欲しい。大人の方々、初めからあなたたちに期待などしていない。特に教育関連の仕事に務める方々よ。しかし、期待していないにしてもこれはあまりにも酷すぎやしないだろうか。なんの中身も計画もなく、ただなんか国際的な国際に合わせて国際したかったんです国際🥺というのが伝わってきた。滑稽。
「身の丈にあった受験を」なーんてこと、思っていたとしても言わないのが大人(笑)の務めではなかろうか。身の丈にあった職業じゃないからその職辞めた方がいいですよ。
「私たちの時はこうだったからお前らも我慢しろ」理論はすごくサムい。そんな考えは大便と共にトイレへ流してからインターネットを使ってくれ。あとそういう大人(笑)に限って我慢してない。
「大人」っておっきくなった子供で、人間はもって生まれた価値観のベースからそう簡単には変われないんだよって、「大人」ってだけで信頼する同世代に言いたい。「大人」なんていないんだ。子供に手を出す大人は、あなたにとってどれだけ落ち着いてカッコよく見えたって、同年代から見ればただのハリボテだ。
この国を支えてくれているという点を無視した結果の文章でないことは分かっていただきたい。それはそれ、これはこれ。
ここまで喚き散らしておいたのだから、僕は「大人」な大人にならなくては示しがつかないな。
まず初めに「身の丈にあった」スーツでも買ってこようか。
「全裸監督」に「カバン屋」と呼ばれているオッサンが登場する。「ビニ本」のサンプルを詰め込んだボストンバッグからブツを無造作に取り出して商談する、あの印象的なオッサンだ。
そもそも「カバン屋」とは裏社会の業界用語であり、最も有名な用例は恐らく「ハチンコの不正客・ゴト師向けの裏モノ機器を販売する人」の事を指す場合だろう。
怪しいブツで金になるものだったら何でも売る、黒のボストンバッグと身一つでいつでもどこでも商売する怪しいオッサン、みたいな意味で使用されていると思っていれば大体合ってると思う。
で、「カバン屋」って久々に聞いたな懐かしいな、前に見たのはいつだったっけ、と思って思い出したのが、これだった。
ゲームソフトはナマモノ。相場があるもの。何本製造したかがわかれば、それが適正数で相場が安定するか、過剰生産で値崩れするかがわかる。高値の正価で仕入れず、過剰在庫だけを狙って現金仕入れをする「カバン屋」と呼ばれる人たちもいた。彼らは情報を早く手に入れるため盗聴もした。
そうして仕入れたソフトはテキヤに売られた。だから、当時は祭りにいくとファミコンソフトを売っている夜店が必ずあった。夜店どころではない。渋谷の路上、109の横、東急本店通りでは常時、安売りソフトが売られておいた。
こうした裏流通で儲けた若者たちは、みんなベンツに乗った。業界の人からは、揶揄と蔑視の意味を込めて彼らの乗るクルマを「ファミコン・ベンツ」と呼んだ。ファミコン愛好者にも、メルセデス愛好者にも好かれそうにない名前だ。「ファミコン・ベンツ」。
ここで「あ!」と思わずにはおれなかった。【「ファミコン・ベンツ」揶揄と蔑視の意味を込めた、いわゆる「蔑称」】。
私は思い出したのだ。確か昔「ビニ本裏本で儲けてベンツ乗り回してる奴の車」の事を「ビニ本ベンツ」「裏本ベンツ」と呼んでいたのだ。
自分が、というよりかは自分の交友関係を辿ってそこそこ怪しい方面のオッサン連中から酒宴の席での放言の中で、といったところで、だ。
つまりは、その、アレだ。「ファミコンブームの狂乱」も元を辿れば、「カバン屋」「○○ベンツ」という「蔑称」すらも含めて
「ポルノブーム(ビニ本→裏本→アダルトビデオ)の狂乱」の相似形というか劣化コピーというか、裏の商売は業界違えどもそんなに大差無いというべきか。
いや違う。
これはつまり、「”『新規事業』で設けている若者”を揶揄と蔑視していた人種が同一」(どちらもその筋の人)だから起きた事なんじゃないのか?
時期的には「ポルノ」の後に「ファミコン」だと思うが殆ど重なってる感じもする。
協調して買占めして品不足を引き起こし、高値になっている品物がある。
高値なうちになるべく早く売ってしまいたい。品不足が解消されてしまうと元の安値に戻ってしまう。
品不足を維持する程度の少ない量をみんなが売れば、みな高値で売り抜けられる。
早く売り抜けたいからと言ってみんなで一気に売ってしまうと、品不足が解消されてみな安値になってしまう。
他人より長く在庫を持っていると安値で売ることになるので、早めに売りたい。でも品不足を維持しないと高値で売れないから、ほかのみんなより早く売りたいがなるべく少なく売りたい。
みんな少なく売るか、みんな急いで投げ売りするか。自分だけ売らないのが一番大損だ。
なんかこれなんかににてる。なんだっけ。あ、これ、囚人のジレンマだー!って気づいたときすごい気持ちよかった。
ここに増産しているから近々品不足は解消するという噂を流されてしまった、という状況でみんな投げ売りの方へ行かずに耐えられるかというとほかのプレイヤーをどのくらい信頼できるかにかかってるんですけど、そもそも外出自粛で需要を減らされるとかいう追撃で耐えられなくなったプレイヤーがたくさん出てるんだろうね。
政治の話なんて、「興味ない」か「安倍でいい」が若者の9割で、安倍に拒絶反応があるはてなを初めてみたときには驚いたものだ。
それとはてブは説教臭くて、それでいて卒アルの寄せ書きは白紙のような連中がイキっている不気味さがある。
「はてな村」というより「部落」という印象で、文字通り「穢多」感がある。
2chではボランティア活動や慈善行動が住民自身の手で行われたが、はてなでは一切そういったことがないのは、そういう意味では納得する。
話がずれているかもしれないけど、アフガニスタン募金で学校作ったりとかああいうのね。
>>この文章を書いた人間が本当にろくでもない人間という事を自らアピールしているのが、年寄り臭いはてなよりよっぽど解らない。どういうつもりでこれ書くの?
なんかこの文章読んでちょっと自分の良心的なものが痛んだよ。部落とか穢多って実際に結構キツイ言葉みたいだね。
鳥取ループが『部落地名総鑑』なるものをデータ公開して、それを佐賀の高校生が印刷して、友人に見せたが反応が薄くてメルカリに出品した出来事を思い出した。その高校生は、『部落地名総鑑』をちょっと高値がつく古本みたいな認識だったようだが、私の部落系に対する認識もその程度のもので、創価学会や在日とかなんかタブーとされるものという認識しかない。
「穢多」だけど、字面的に「汚れいっぱい」で、はてブの安倍ちゃんを罰するような異様な雰囲気がそれに思えた。個人的には第三者罰は貧者の娯楽で、なんか沢山の人が安倍をリンチしている様が、穢多の死刑執行や皮剥の異様な雰囲気に似ていたように感じた。実体の人を殴ったりしているわけではないから、血で血を洗うおぞましさみたいなものが実感できないのかもしれない。戦争の無人戦闘機でゲーム感覚で人を殺せるような感じかな。
コロナのお陰で休みを貰えたはいいけど、コロナのせいでやりたかった事の半分以上は実現不可能。
オン飲み同窓会もそう毎日やるもんでもなく、暇を持て余した俺は子供時代好きだったものを掘り起こしてみることにした。
アニメ、ゲーム、漫画...自分の時代には無かったメルカリとやらがあれば、何でもすぐに安く手に入る。
まあ安くないものでも、聞けば年々その値段が上がっていると聞いたので結局買ってるんだが。
そうやって自分の部屋はあっという間に当時の小学生の部屋になった。当時の自分にはとうてい手に入らなかったレアカードもファイリングしてある。
それが今日からは少し趣旨が変わってきた。普段の趣味なんかよりよほど安上がりな買い物に勢いづいて、大した思い入れの無いレアアイテムを購入してしまった。
ドラクエには確かにドハマりしていたがこのキャラクターが特別好きだったわけでもなく、ただ単にレアで高値がついているから、という触れ込みにつられて買ったはいいが、眺めていても特に何も湧いてこない。
と気づいた所でふと我に返った。
昔を懐かしむのは時々適度になら良いことなんだろうが、一人でどっぷり浸かり込むのは何か違うらしい。
丸紅にしても物産にしてもそうだけど大手商社は資源分野が占める割合が高い
油田の権益を購入して保有してて「原油が1バレル80ドルだからこの油田は今後10年でこれだけ稼いでくれる」みたいに計算してる
バンクシー新作 新型コロナの治療にあたる看護師たたえる | NHKニュース - はてなブックマーク
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20200507/k10012419971000.html
バンクシーのあの絵にある風刺を読み取れないバカが大量にいてビビる。
単純な賛美だったら後ろのゴミ箱に見えるオモチャ箱は描かないだろうし、
ガキみたいなメンタルの大衆が医療従事者をヒーローと持ち上げて使い捨てにすることと
頭悪いね。
そしてバカどもの反応で盛り上がり、高値で売れて医療施設への寄付金になるところまで含めてアートとして完成する。
やっぱすげえわバンクシー。
https://topisyu.hatenablog.com/entry/2020/05/05/073000
年間ベースでのCO2排出量が、昨年対比で8%減の30.6 Gtとなり、これは2009年の世界金融危機の6倍になるという予想が書かれていました。大体、年2.5 Gtの減少です。
ちなみに
対前年度比5.6%減
金融の方は
リーマンの時よりもリアル活動の停滞ははっきりしてるのに、金融はリーマン以下のダメージしか食らってねえ。
投資家とか富裕層は、別にこれ悲観することないんじゃないかね?
富裕層をふだん公言してるブロガーが、この「実体経済のガチな停滞に比べて遥かに軽微な打撃で済んでる金融」」を無視して語るのは卑怯だと思う。
それを「実力があるがゆえに他人に言動を揺るがされないカッコイイ大人」だと勘違いしていた。
自分がなりたいと目指していたモデルタイプがそもそもクソ野郎だったことに気づいてしまった。
私はそんな人間になんてなりたくなかった。
技術力を身に着けたかったのは自分を安売りせず正統に取引を行えるだけの力を身につけるためであって、自分が他人をぞんざいに扱う側に回るためじゃない。
必要不可欠たる存在を目指したのは不当な圧力をかけようという気を削ぐためであって、自分が誰かに対してマウントを取るではない。
ヒーロー番組に憧れた子供が「正義を理由に暴力を奮って自分の正当性をこれでもかと主張できる存在」を目指してしまうのと同じ心理だろう。
虐げられることがない力を手に入れて目指していたのは平穏に暮らせる社会の構成者の一員となることだ。
自分が今までやられた分誰かに理由をつけて心身を痛めつけて溜飲を下げることじゃなかったはずだ。
間違えていた。
この歳になりようやく気づいた。
力があって高値で自分を売れるから、他人を買えるほどの金があるから、そんなことを理由にして横柄な態度を取っているやつなんてなにも格好良くない。
俺は強いから俺がやっていることは正しいと喚き散らす猿山の大将なんて目指してどうする。
そんなものを良しとするのは欲求の段階が原始的本能のレベルで止まっている蛮族だけだ。
ようやくそのことに気づいた。
技術力、経験、人脈、そういったものを身に着けて次にやることが、他人に対してマウントを取ることだなんて人間として情けないにもほどがある。
なんで俺は、そんなものに憧れていたんだろう……