はてなキーワード: 短調とは
歌いだし、もしくはサビの最初の部分が「ラシドレミ」で始まる曲をできるだけたくさん知りたいです。
調は何でもよいです(※)。ラシドレミの後に続くメロディは問いません。
音が重なるのは各2回まではセーフとします(ラシドドレレミとか)。
該当する曲があったらぜひ教えて下さい!!
※短調の12345であれば調はなんでもよいです。つまりレミファソラやドレミ♭ファソでもOK。
※イントロやリフなどは対象外(初恋/村下孝蔵、長い夜/松山千春などは選外)。
古い曲ばっかりでごめん
50m以内位と思われる
トラックのバックの時のピーピーピーというのは想像出来ると思う
あの要領でクラクションで行うのだ
これは頻繁にやって来る
私の場合これは数十回聞いている
周囲の人全ての人に聞こえるが5分も続けばおかしいと思う
1分程度だとそんなに気にならないという事でその位で行う
聞いた事あると思われる方もいると思う
かなり耳障り
わりと近い時は音のする場所に近づいてみる
事あるごとに聞いているので私はすぐ気づくわけだ
真夜中にはバイクの音でピーピーピーと私の家の横で鳴らししばらくで去っていく
木がミシミシ言ったり
金玉玉がキンとか鳴ったり
柱をボンと叩いたような音だったり
カチカチうるさい
警察に行くと一つ一つのメーカーに問い合せて故障じゃないか聞いてみろとのたまう
お前勝手に電気屋持っていって調べろ!税金で食っているんだろ。と言いたい
何かの拍子に鳴るようなものだ
僕は音楽に向かないと思って今まで生きてきた。
いつからやっていたのかわからないが、かなり長い間という印象がある。
といっても低学年の頃には通っていた記憶がないので、3年生くらいからはじめたかもしれない。
そう考えると、通っていた期間は1年も満たないかもしれない。
子供の1年は長いのだ。
なんで習い始めたかはわからないが、きっとテレビで見たとか、友達もやっているからとか、そういう軽い興味を母親に話したからだと思う。
母は「興味があるならやったほうがいいと思うよ」と言う感じで了承してくれてすぐに音楽教室に通うようになった。
しかし、通ってすぐにモチベーションは下がっていってしまった。
まず、楽譜の読み方はわかった。鍵盤と楽譜のドレミの位置はわかった。
知っているドの場所とは違う読み方だった。
ト音記号とヘ音記号の違いは何なのかわからなかった。先生に聞けばよかったんだろうが、奥手の自分は質問はなかなかできない。
先生に直された場所に音名を書いて、それの前後から音を類推して暗記しようとした。
しかしそれが今やっているレッスンの何を説明しているのか全くわからなかった
レッスンは聞いてても面白みのない単調なものをずっとひかされて、そして知らない言葉が日々増えてきた。
先生の使う言葉はわからない。当てずっぽうでやっていくしかない。という負の連鎖に陥ってしまった。
教室に向かう途中で台風や事故でも起きて行かなければ済めばいいのにというのをずっと思っていた。
レッスンが済めばとても爽やかな気持ちになった。
もう一週間教室に行かなくていいという安堵感だ。その夜のドラゴンボールZはとても嬉しい気持ちで鑑賞できる。水曜の夜の清々しさは土曜日の夜にもまさった。
だが、月曜が来るとまた水曜が近づくということで憂鬱になる。
その繰り返しだった。
発表会は絶対に失敗できないのでそれは模倣をすることでなんとか乗り切った。
むしろ発表会周辺はいい。レッスンはその曲の練習に割り当てられるので、常に同じことを繰り返すだけだったからだ。
そんなに辛いならやめたいといえばいいのだが、僕はそういうことを言えない性格だった。
自分からやりたいと言ったからと言う負い目も感じていたのかもしれない。
よっぽどのことがない限り学校を休ませてくれない親に育てられたからだからか、途中で放り投げるというのは悪いこととも思っていたからかもしれない。
とにかく、つらい水曜日を送っていた。
そんな僕に転機が訪れた。
引っ越すことになったのだ。
引っ越すときに親に「引っ越した先でも続ける?」と言われたとき僕は何も言えなかったが、伏せ目がちにはぐらかそうとしたのを察知したのか、親は「まあやらなくていいか」といってくれた。
新しい学校への不安や友達とも離れてしまう寂しさもあったが、教室からの自由はそれらに勝っていた。
しかし、この教室に通っていたことはのちの人生に禍根を残すことになった。
まず音楽教室に通う前に親に「小さいときにやっていると、音感が身につくし、ピアノや他の楽器だってすぐにひけるようになる。プロや上手い人はみんな小さいときからやってた。だからやったほうがいい」と言ってくれた。
これは『小さいときにやると、音感やピアノが身につきやすい』という話だがこれを僕は解釈を誤ってしまい『小さいときにやらないと、音感は身につかないし、ピアノや他の楽器は弾けなくなる』とそう思っていた。
でも、あんな苦しい思いをしたんだから今後ピアノや楽器はひけなくてい良い。10歳ごろのころに完全に諦めた。
学校で音楽祭という行事があるのだが、僕はなんの立候補もすることなくリコーダーをした。
ピアノや木琴などは音楽教室に通っている人の特権だと思っていた。
児童館のピアノで猫踏んじゃったなどを弾く女子がいたが、その時おもっていたのは「僕には全然わからなかったことを分かっているすごい人。あんなに弾けるまで音楽教室を続けられている。きっと勉強もできるんだろう」という尊敬の念とともに「僕はああいうふうにでできる人じゃなかった」とも感じていた。
このピアノが弾ける人は小さいときからやっている。小さい時にやりはじめないとピアノは一切弾けないという思いはクラスのピアノうまい子を見るたびに強くしていった。
通っていて何もできないなんてしられたくなかった。だから何も始めなかったことにした。
避けたといっても積極的に行かなければ関わることもないので気にならないようにしていた。
中学くらいになれば色気が出てギターを始める人、バンドに熱中する人も出てくるが、
僕はそこに入る資格はないとおもっていた。なぜなら小さいときに始めることを諦めたからだ。
そして、ギターなどを始めている子たちは小さいときから何かしらやっていたんだろうと思っていた。
そんな誤った認識は結構成長するまで続いたが、高校時代衝撃を受けたことがあった。
保育士の専門学校ではオルガンやピアノの授業があるが、「今までピアノとか触ったことなかったので、弾けるなるようなるまで毎日頑張っている。結構うまくなってきた」とバイトの休憩時間で教えてくれた。
僕は驚いた。小さいときにピアノをやったことないのにやれるのかと。
もう一つ驚いたことがあった。
同級生のあまり親しくない人が先生と雑談しているのを勝手に聞いたのだが、「最近ピアノをはじめた。近所のうちにあるから弾きにいってる。独学だけど結構ひけるようになった。」と。
これもまた衝撃だった。
小さいときに初めてないのにピアノをやっている。そして教室に通わずに自分でやっている。
僕の認識では、ピアノや楽器は小さい時から教室に通い苦しみを乗り越えたもののみが得られるすごいスキルなんだと思っていた。
でも僕はすべての弾くスキルに対してそう思っていた。
ずーっとあの単調なつまらないフレーズを練習してそれをクリアしないときれいな曲を弾く資格を得られないと思っていた。
バイト先の人のおかげで、小さいときからやらなくてもできるということ、同級生のおかげでいつでも自由に楽しむために始められるということを知った。
でも、それを聞いてもすぐには楽器に手を出すことはなかった。
大学受験だ。
そんないい大学を出てはいないが、勉強と問題集での実力の測定のPACDを回して模試での偏差値がグイグイ上がっていくのに熱中した。
おかげで自分が卒業した地元のあまり評判の良くない高校には似つかわしくないくらいの大学には入ることはできた。
これも設計、実装、バグとりのPACDを回して品質を上げていくことに熱中した。
こういった人生経験を積んだおかげだろうか。
新しいことをやるということに恐怖はわかなくなった。
息子が吹奏楽部に入部したので楽しそうと思ったからかもしれない。
ギターを始めるにあたって、CとかFとかはなにか、コードとはなにか、メジャーとはマイナーとはなにかを調べた。
ドレミファソラシドと一般的に言われる音名は英語ではCDEFGABC日本語ではハニホヘトイロハということ
ドレミは階名といって主音にしている音が何かによって相対的に変わるらしいということ。
ハ長調は主音がハで、長調だからドがハになるということらしい。
Cをギターで弾くと、ドミソの音がなっていることに気づいた。
4分の3拍子や4分の4拍子と教室ではずっと言われていてなんのことかわからなかったが、1小節に四分音符が3つ入るか4つ入るかということだということ
泊のとり方もわかった。
長調と短調のこと全然わからなかったがギターではメジャーとマイナーという言葉で帰ってきた。
ここらへんまだ調べきれていないが、長調は全全半全全全半で音が上がっていく音の並びを使い、短調では全半全全半全全で音が順番に上がっていくらしい。
ピアノでミとファ シとドの間に黒鍵がないが、これは半音しか上がっていないということに気づいた。
これピアノはハ長調を弾くときに黒鍵を触らないでも済むようにデザインされているのかもしれない。
こうやって、幼い頃に躓いたあの教室の意味不明だった理論の答え合わせをしている。
いつから始めても構わないし、やりたいときが始め時、やめたいときが止め時だなと思った。
そして、息子が僕と同じ罠にはまらないように、疑問にはなるべく二人で調べるようにして、ちゃんと解決をする道筋を自分で考えることを教えようと思う。
ぽんきっきのうたがおおかったけど、
おやがまえにろくおんしてたきょくがはいってた
こんなのがほんとうのいんとろだったのか?
11びょうあたりからのちゃんちゃんちゃちゃんちゃーんがイントロだと思ってたのに
短調で不気味だったから、これに変わったら早く飛ばして!!!と親にあわててお願いしてた
ちなみにぽんきっきのうたで十二支おぼえた
いっしょにうたってたら、そのたびにおやがわらいながら、すごいなあ~えとおぼえたのはおとなになってからだったよみたいにいっていた
自分的には新しい曲をようつべみてたらこどものときおやのくるまできいてました、みたいなコメントがよくあってほんと絶望感
しにたい
音楽学者の小泉文夫は1977年に発表した「歌謡曲の音階構造」[注釈 7]において、四七抜き音階から二六抜き音階(エオリア短調)へ移行しつつあると指摘し、これを日本の伝統的音楽感覚、民謡音階の復活とみて、1970年代の歌謡曲における「ラドレミソラ」音階を「日本のうたの古層の出現」と評した[注釈 8]。 この小泉理論に対して佐藤良明は、世界的にロック音楽が浸透した結果、さらにロック音楽のルーツにあるジャズやブルースなどの黒人音楽の影響のもとに二六抜き音階の出現があるとしており、たとえば美空ひばりの「真赤な太陽」(1967年)には、日本伝来の民謡よりむしろアメリカ音楽の影響が強く、民謡の再現というよりも、ロック音楽としてみなすべきだとした
なんかネットでは発達障害とかアスペルガーのエンジニアは生産性が高いみたいな神話が流布されてるけど
実際は発達障害やアスペルガーの人間は、自分以外の発達障害やアスペルガーに対して過剰なまでの攻撃性や憎悪を示していじめやパワハラとか内ゲバ始めて組織が崩壊することが多いっていいかほぼ全てそれだった
増田みたいな攻撃的な発達やアスペの人間だけで構成された組織って連合赤軍みたいになるんだなと内心ちょっと感心したよ
見てて思ったけど、発達障害やアスペルガーのエンジニアって自分は障害のせいで世間から不当な扱いを受けていじめられてる!って被害妄想バリバリで、
身近で守ってくれた人に対して憎悪を向けてプロジェクト崩壊に導くんだよな
彼らの中ではどうも人間関係の序列が強い相手か弱い相手しかなく
「俺(私)に優しいからこいつは俺より格下」って虫みたいな謎の思考回路が必ずみんなあって、それが恋愛観にも適用されるから見かけの収入につられた人たちも一週間くらいでやばいので逃げて行って拘禁反応みたいに自分に障害があるから差別してるんだ!って逆ギレし始める
結果、ホワイトな職場ほど人間性や人間関係を異常に重視するようになってる
社会不適合者のためのレイヤーでの作業できる物が求められてるよな
昔のコーダーみたいに1日数時間棒状のものを回すような簡単作業レベルで飯くらいは出してくれる感じの
って感じで業務デザインを上司がしてたら、発達チームやアスペチームはそんな作業でも他人に難癖つけたりしてトラブル起こしまくってた
健常者や定型発達者なら一瞬で精神が病むドローン暗殺部隊の殺し屋とか普通の人間ならあまりの短調さに気が狂うひたすら数字や状態変化を見続ける分析官にこういう人ら採用してるイスラエル軍ってすごいよね
ああいう平気で一方的に他人を殺傷できるような立場の仕事みたいなのとかなら向いているんだろうけど、そんなのこの天下泰平社会の日本じゃあるわけないよね
短調(悲しい感じ)にもなるぞ
例えばずっと引きこもりをやってるニートがいるとしても、「〇年間何もやっていない」というストーリーが存在するからこそ本人も苦しむ事になる。
時間が進む以上はストーリーは必ず存在してしまうものであって、それは創作の中でも同じで、要不要の話ではないと思う。
これで言うと主は”濃い”ストーリーは不要って言いたいんだろうけど、それ以前に暗いストーリーばかり書いていないだろうかと疑問。
濃いストーリーにしようとすると絶対どこかで、あるいは全体の雰囲気として暗い話になりがち。
今の時代はやっぱり全体がカラッと明るく、それでいてハッピーエンドで終わるストーリーが受けるんじゃないかな。
この作りだと例えばスポーツものとかが当てはまると思うけど、ストーリー自体は勝ち進んで優勝するという短調なものだけど、ストーリーはある。