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2012-11-13

文系理系

16 :名無しさん@九周年[sage]:2008/09/02(火) 19:32:31 ID:WIVmqwXx0

また文系理系スレ

どっちが優先されるかなんて国にもよる。途上国だと実利優先なとこあるから、半端な文系よりも工学とか学んだ政治家が多かったりする。

【実利】 工学農学物理数学 法律経済文学歴史 【教養

表にするとこんな感じか?先進国なんかは法律経済あたりが重用されて、歴史が長い国なんかは文学歴史大事にされる。

極端なのはイギリスで、イギリスでは工学者は「道具」扱い。

イギリスで最も社会的地位が高いのは「ケンブリッジorオックスフォード文学部英文学を学び、ギリシャ語ラテン語に通じるジェントルマン」

逆に>>1にあるように理系重用は中国で、今の中国の首脳陣はほとんどが理系。コキントウも水利関係工学者。

戦後の開発あたりで即戦力になる理系が重用されるから理系の地位が高い(そもそも、文革の影響もあって、文系を「腐れ儒者」のようにみる風潮もあった。)

国によって違うし、時代によっても違う。文系理系のどっちが上とか意味いから争うなよ。

2012-06-25

http://anond.hatelabo.jp/20120625223238

見るか見ないか?でいえば、前職がみられるな。

履歴書って積み上げていくたぐいのものから、1社目が違うと2社目も違う。という感じ。

あとはまぁ、気にする人もいる程度じゃない。

 

結局、理系からの1社目ってメーカーの製造現場が多いから、実務経験で書けることが多いんだよね。

もちろん、文系でも、現場いく人もいるだろうけど、CSで専門知識得て、現場で実務というのと

文系ちょっと離れた現場で、OJTCSと同じ事を学ぶだと、やっぱり、実務経験で話せる内容も弱くなるだろ?

 

逆に文系の人はどちらかというと、マネージメント能力込みで売る人が多いよ。それに、ソッチのほうがCS系より高く売れるし。

 

いろんな話があるけど、理系の得意な分野、文系の得意な分野って一般論としてあるからね。

そもそも、理系が好きだから理系大学に 文系が好きだから文系大学に行くのが基本でしょ。

 

なのに、文系理系がやりたいとか、理系文系がやりたいって言っても、じゃぁなんで、それぞれ理系理系大学 文系文系大学に行かなかったの?

ってのは、大学名や分野の話じゃなくて、結局 スキルセット として 言われることもあるよ。

英文学科でプログラマーです。っていう人がいたけど、やっぱり、どうして最初からCS系行かなかったの?とは思うもの

やっぱり、数学苦手だったんじゃないの?って懸念はする。

 

懸念だから面接で払拭してくれればそれでいんじゃね?

2011-09-25

学歴と将来性と後悔

地方公立高校出身

一浪して県外の公立地方大学英文学を専攻

いま公立高校英語教師

もっと勉強しておけばよかったな

たいして充実した青春時代でもなかったし

いま高校生と接していて

彼らの未来がうらやましくもあり、同情もする

自分出身大学は吹けば飛ぶような無名地方大で

自分の力に相応ではあった

でも人に言うのは恥ずかしくもある

学歴は一生消せない ロンダリングでもしない限り

でもいまの日本の状況をみていると

いい大学と言われる大学の出身者でも就職は厳しい

日本はいま誰もが否定できない不況下にあり

金もなく将来に対する保証もない

今の高校生少子化の影響でお金比較的かけられ

小さい頃から塾に行く者も多く大学に行く割合も増加している

一般にFランと言われる大学経営のためほぼ全入で

お金を出せば容易に入れる

名門とされる大学との格差が大きくなってきている

その名門すら安心してはいられない状況だ

しか若者雇用情勢は厳しく、自分の夢を実現できるのは少数止まり

それは自分が若かった頃も同じだが、さらにハード現実が待っているように思う

就職してもいつリストラされるかわからず一方で管理は厳しくなり窮屈だ

そんな社会情勢の中、大学ネームバリューはどこまで相対化されたのだろう

自分はたいして努力もせずに地方のちっぽけな公立大に入り

まあ身分相応の就職をし生活をしている

いってみればこじんまりとまとまった人生

コレでよかったんだと思うとき

コレでよかったのだろうかと後悔するとき

その間を行き来し続けている

言ってみれば学歴コンプ

最初にも書いたが学歴は一生消えない

自分はこのコンプレックスをひきずって生き続けてきた

若者はい大学に入るため努力をしている

その応援をするために自分がいる

もちろん保護者の願いをかなえることにもつながる

ニーズを満たすところに自分仕事がある

しか最近薬学部の6年制化後の偏差値の凋落が表すように

また法科大学院をはじめとする専門職大学院の低迷ぶりが表すように

約束された」エリートコースの存在を単純には信じられなくなってきた

大学院に行けばアカデミック職業に就けるわけでもなく

無職博士の大量増産となった

最近高校教師世界大学院出身者が競争してようやく入り込める状況で

現実教育現場を目の当たりにして夢や期待を打ち砕かれる人も多い

そんな彼らの死んだ魚のような目を見ながら

また自分学歴コンプを振り返りながら

いまの時代に「いい大学」にいくことの意味はなんだろうと思わずにいられない

お金をかけ期待をかける価値がいまの大学ブランドにはたしてあるのか

でも私のようなコンプを抱き続けて生きていくのもどうかとも思う

2011-09-03

英文学部出身の先輩(20代後半)が、最近マクベス読破したとか、言ってたけど、英文学のひとって在学中にシェイクスピアくらい読まないもんなの?

2011-02-16

(◕‿‿◕)ラノべえ「そんなことより僕をテーマにして研究生になってよ!」

つい先日、卒業研究を終えました。この日記は後輩やこれから卒業研究を自由に決められる人のためになればいいな、程度に書きました

私は卒研テーマに「ゲームをする人」を掲げ、一年自分のやりたいことを自由にできましたので、非常に幸せしたですので、後輩にもぜひ好きなテーマ卒研をして欲しいと思っていました

私の同じ研究室には、3年生の後輩の一人に、「ライトノベル(以下ラノベ)を読む人」をテーマにして、実際発表した後輩がいましたしかし、後輩に「今の自分研究テーマをそのまま卒研にするのか?」という旨を尋ねたところ、悩んでいるという回答が帰ってきました

どうやら、発表の反応が鈍いことで二の足を踏んでいるようでした

そこで私は思い切って、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NOwikipedia考察いかに素晴らしかたか」という話をしたかったのですが、酒の席であること、他の後輩もいたこと、説得力に欠けていたこともあって、遺憾ながら場は白けて終わってしまいました

この世の果てで恋を唄う少女YU-NO - wikipedia ((http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%81%93%E3%81%AE%E4%B8%96%E3%81%AE%E6%9E%9C%E3%81%A6%E3%81%A7%E6%81%8B%E3%82%92%E5%94%84%E3%81%86%E5%B0%91%E5%A5%B3YU-NO&oldid=28528480))

また、「この世の果てで恋を唄う少女YU-NO」は「アドベンチャーゲーム」の代表例として実際に卒業研究になっているようです

CiNii 論文 -  マルチシナリオゲームにおける並列世界モデル ((http://ci.nii.ac.jp/naid/110002942865))

これらを編集、記した方々は私よりも遥かな、確かな、達成感・効力感を持っているに違い有りません。(実際、素晴らしい考察だと思いませんか?)

他にもネットを探すとユニークテーマに出くわせます。例えば「プロ野球選手結婚するための方法論に関する研究」なんて研究もあります

卒業研究は、CiNii - NII論文情報ナビゲータ ((http://ci.nii.ac.jp/))で検索しなくても大学生ならば、各々の大学の概要集を捲れば自然と笑みがこぼれるものです

しかに、「好きだからテーマしますたwwwサーセンwww」なんて動機は発表までに、必ず根本的で大きな壁とぶつかり、ツケを払うハメになるでしょう。ですが、学生の本分は研究です研究について真剣にできるならば、それが真に正しい姿だと思います。

学生のあり方について、素晴らしい文章があります

修士論文の代わりに退学願を提出してきた - As a Futurist... ((http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733))

=====以上が、今回の日記意図です

もう一つせっかくですので、私がなぜ「ラノベを読む人」が素晴らしいテーマだと思うかについて書きたいと思います。

論文とは「問い」です。一般的に論文テーマとなる問い(リサーチクエスチョン)は根源的な、直感的なものが白眉であると知られています。

ラノベを読む人」で解釈すれば、「ラノベを読む人はなラノベが好きか」ということになるのでしょうか?

これはなかなか直感的だと思います。もちろん、大きな欠陥があることも否めません。それは、村上龍のこの箴言に集約されていると思います。

「「好き」は理性ではなエモーショナル部分依存する。だからたいていの場合、本当に「好きなこと」「好きなモノ」「好きな人」に関して、わたしたちは他人に説明できない。なぜ好きなの?どう好きなの?と聞かれても、うまく答えられないのだ。「好き」が脳の深部から涌いてくるもので、その説明を担当するのは理性なので、そこに本来的なギャップが生まれるからだが、逆に他人にわかりやすく説明できるような「好き」は、案外どうでもいい場合が多い。」

無趣味のすすめ - 情報考学 Passion For The Future ((http://www.ringolab.com/note/daiya/2009/07/post-1021.html))

つまり、「どう好きかは聞き出せない」という点です。聞き出せないならば、研究意義はないのでしょうか?それは違うと思います。つまり、いままで『「説明でき」なかったであろう「好き」の理由』を導ければいいのです

そのためには、誰よりも人一倍考察が半ば前提的に必要になると思いますが。(私も自分の先輩に研究前にコテンパンに全否定されましたが、それがあっての卒業研究になっています。)私の後輩の考察は活き活きと良く出来ていた分、勿体無いという感情がたしかに私の中にはあるのです

さて、前提的な考察は、すなわちラノベの「定義」と、研究する「意義」とに、密接に関わっていきます。まず、ラノベの「定義ですが、混沌としているようですね。

青少年を対象にした娯楽小説

程度で良いと思います。「読む人」に焦点があるならば、よく読む人はおそらく青少年から成人男性20~30代)でしょうから。(成人男性青少年対象の小説を読んでいる点は「オタク」で考察・解説すれば重複すると思うので、日記では割愛します。)

また、文学物語といった点に対する「ラノベ」の遍歴も欠かせないでしょう。ここで、古めかしいものとの接点を設けること、考察をしてるサイト、本から概念引用することが結果を導く前から既に必要となります

例えば、物語的に観れば大塚英志提唱した物語消費」がありますね。また、ラノベではありませんがアドベンチャーゲームとの類似点があると思います。

れとろげーむまにあ: アドベンチャーゲームを振り返って思ったこと((http://nesgbgg.seesaa.net/article/185700949.html))

ライトノベルにおいてもゲーム的な世界観が必要であり、大きな影響を与えてきたということは言われていますね。

また、純文学の外に広がるキャラ萌え世界について詳しい

オタクたちのメンタリティには、教養主義文学性を引きずりながらも、シミュラークルに代表される動物的な消費社会の波に骨の髄まで浸かっているという両義性がある。という指摘をした東の「動物化するポストモダン」(1・2)も取り入れられると思います。

東浩紀動物化するポストモダン|FRAMES INTERVIEW ((http://moura.jp/frames/interview/070423/03.html))

ここで、「外部性」や「キャラ萌え」(この日記では、美少女キャラに限定します。)が「文学としてのラノベ」のキーワードカテゴリー)として浮かび上がってくるのです。言い換えれば、「外部性」は「社会性」、「キャラ萌え」は「女性性」にあるといえるでしょう。

ところで、先ほどラノベ定義は「混沌」としていると述べましたが、同じく「混沌」とした定義文学に「SF」がありますね。

サイエンスフィクションもまた、外部性の幅が限界まで拡張されることによって何十年も前から定義は揺らいでいました

ここで一つのSF批評を紹介します。

小谷真理の『女性無意識』に対する松岡批評です。なお、小谷真里は、SF研究者であり、ラディカル・フェミニストであるそうなので「文学としてみたラノベ」を知る上で意外に検討する必要があると思います。

最初ハーバード大学フェミニズム文学者アリス・ジャーディンが「ガイネシス」(女性的なるもの)という言葉を造り出した。 (中略) テクノイネシスはそれにもとづいて提案した概念で、

父権的な社会蔓延するなかで女性的な無意識の紐帯が結ばれていく可能性を示していた。

長いあいだ、文明の基準や男性覇権社会価値観のなかでは、普遍的すぎる母性、すべての他者をとりこむ包容力、あるいは基準をいちじるしく逸脱する狂気、説明のつかない無意識などは、しばしば社会の外部に押しやるべき面倒として片付けられてきた。中世魔女裁判だけでなく、近代以降も「女子供の戯言」として片付けられ、20世紀後半になってもこの傾向と対決するためのウーマンリブ運動セクハラ問題が噴出してきた。

では、そのように外部に押しやられた意識をつなげたらどうなのか。あるいは、家庭という内部(実は外部的辺境)に押し込められた意識といってもよい。男性から見れば、多くの家庭は基準社会の外部にあたっているからだ。 ジャーディンはこういう問題を引き取って、そこにはそのままこれらを連鎖させるべきメタネットワークがありうるのではないか、それは女性無意識を象徴するガイネシスになるのではないかと見た。

(中略)著者はこんな出だしで手をゆるめない。次から次へとバウンダリートランスグレッション(境界侵犯)を見せつけた。

また、女性SFに関してこういう考察もなされています。

それにしてもいつのまに、女性こそが文学可能性と限界を語るに最もふさわしい発言者だという情勢になっていたのだろうか。

まずはエレイン・ショーターが父権文学規範の修正を迫ったそうである。ついでパメラ・サージェントが『驚異の女性たち』のなかで、メアリーシェリーの『フランケンシュタイン』に始まる女性SF史がありうることを指摘した。他方、これに呼応するかのようにして、陸続とサイエンス・フィクションに挑戦する女性作家が出てきたようだ。 そこで、ヴァージニア工科大学の英文学者マーリーン・バーが「女流SFフェミニズム理論には相似的な進行があるのではないか」と指摘した

(中略) なぜこういうことがいえるかといえば、マーリーン・バーによると、多くのSFは“外部の他者”を描くわけだけれど、そこには現実を超えた出来事があまりに現れすぎて、文学的にはサブジャンルに追いやられるようになっていた。

しかし考えてみれば、そのように追いやられる宿命をもっていたのは、実は“外部の他者”の扱いを受けつづけてきた女性なのである。これではSFフェミニズムとが連関していて、まったく当然だったということなのだ。

松岡正剛の千夜千冊『女性無意識小谷真理 (( http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0783.html ))

ということで、ここでは「外部の他者」たる女性文学との密接な関連がみえてきました。これは美少女に「キャラ萌え」する「ラノベ」も他人ごとはないのではないでしょうか?

では、そもそも男性にとっての「女性」とはどういうものなのでしょうか?もはや哲学の領域に関連しているように私には思えます

そこで、デリダにとっての「女性」というものを引用します。ちなみに、「動物化するポストモダン」の著者であり、前述した東は

「【デリダとは】仏哲学者20世紀のすぐれた哲学者の常として「哲学なんていみなくね?」というのをすごく哲学的に言って、ややこしくなってしまったひと。でも基本の着想はいいので哲学呪縛から解き放たれればいい仕事できた可能性がある。」

ツイッター上で紹介しています。* ((http://twitter.com/hazuma/status/24868908779446272))

デリダは、「真理が女性であるとすれば」という『善悪彼岸』冒頭のニーチェの仮定から出発して、「女性というもの(=真理というもの)」は存在せず、したがって「性的差異というものも存在しない」という驚くべき帰結を導き出している。(「性的差異」の問題が重要はないと言っているわけではない。逆に、デリダは、ハイデガーニーチェ読解には、「存在論的差異の問題」はあっても「性的差異の問題」がないことを問題にしている。)

ニーチェは『悦ばしき智彗』の中で、「女性たちの最も強力な魅力は、それを遠方性において感じさせること」、つまり「遠隔作用」だとしている。

女性の魅惑を感じるために、「遠隔」が必要なのであり、遠隔のところに身を置くことが必要なのである

女性というものは、「遠ざけるものであり、自分自身から遠ざかるものなので、女性本質存在せず」、「女性の真理は存在しない」。

女性は、真理が存在しないことを知っているのであり、真理の存在を信じない限りにおいて、女性であり、真理であるのだ(女性本質、真理の本質は、それが存在しないということであり、自分存在しないということを知っているということである)。

実際のところ、「女性=真理」を信じているのは、「男性」なのである(この意味で、フェミニスト女性たちは「男性」なのであり、「フェミニズムとは、それによって女性男性に、独断論者の哲学者に似ようとする活動」だということになる。)

ニーチェの『善悪彼岸』の「序言」の冒頭は、次のように始まっている。

真理は女性であると想定すれば、すべての哲学者たちは、彼らが独断論者であったかぎりにおいて、女性たちをうまく理解できなかったのではないかと疑うべき理由があるのではなかろうか。

そして、これまで彼らが真理を探求してきた際の恐るべきまじめさ、不器用な無遠慮は、女の子をものにするためには、拙速で不適切なやり方だったのではないか

デリダ女性も真理も、与えることによって所有するのであって、こうして贈与=所有も非弁償法的な決定不可能性は、あらゆる存在論的、現象学的な解釈の試みを失格させてしまう、とした

つまり、贈与に先立つ固有なものの存在がないのだから女性(真理)というものはないのであり、性的差異といういものはないということになる。という帰結に至った。

(知の教科書 デリダ 著者 林好雄 廣瀬浩司

見事にややこしいこの解釈から女性の振る舞いは虚構的であるという面ががわかってきたのではないでしょうか。

ニーチェ芸術的と指摘しましたが、遊戯的、ゲーム的と捉えても過言ではないでしょう。

つまり、オタク男性)にとって、ラノベとは

女性という存在外部性とを遊戯的につなげている文学メディア媒介装置

であることがわかります。(また、女性性を獲得し、同時に女性に所有されたいという願望を解消するメディアとも解釈できます。)

十数年前に、男性オタク達は「萌える」という言葉発明した;「萌える」という言葉を使えば「セックスしたい」「愛してる」といったストレート表現を避けながら、美少女キャラクターへの思慕をオブラートに包んで表現できる

オタクが豚になった――「萌えるからブヒる」へ - シロクマの屑籠(汎適所属) ((http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20110215/p1))

という指摘もあります

例えば、オタクにとっての現実における外部性インターネットがあります

オタク男性であろうツイッターユーザーアイコンが、イラストアニメ美少女アイコンである可能性が高い点はオタクにとっての外部性無意識に象徴しているのではないでしょうか。

また、ラノベ作家は決して女性が多いというわけではないですが、その必要はなく、いわゆるユング提唱したアニマ(男性女性的側面)による手で書かれている点、それがラノベを好む多くの男性読者に受け入れられている点こそ検討すべきでしょう。これはつまり、女性を真理とするのではなくアニマこそを真理とするさらなる「遠隔作用」をもたらしているとも考えられますね。

このアニマを真理とすることによる遠隔作用の効果としての共時性

先程のツイッターイラストアニメ美少女アイコン無意識的に選択させる要因になっているかどうかを検討することは興味深い対象ではありませんか?

以上より「ラノベ読者はなラノベを好むか」という問いの考察を注意しつつ踏まえ、ラノベ読者(男性)の実際に構築しているコミュニティ家族間の関係、他の好きなメディア媒体等について研究することは簡単には説明できなかったラノベ読者の感性、つまり一つの社会的な側面を知る上で、大いに意義があると思うのです

ラノベ本質は-文学であり-女性性であり-外部性であり、それがラノベ読者の実生活と対照的にどう関わるかが重要なのではないでしょうか?

私はそのことについて考える限り、とても意義ある研究だと断言できると思っています。

2010-10-11

http://anond.hatelabo.jp/20101011020609

いや、別にそーでもない。

つーか、論文なんてどこまで行ってもノリとハサミなわけで。論証がカチっとしてればあんまり英語とか問われないよ。

いやまあそれは原則論としてそうなんだけど英文学とかだと分野が分野だけに、と思ったが。

まあでもよく考えてみればサイデンステッカーは(現代)日本語がろくに話せなかったらしいし、そんなもんかもしれんね。

むしろ、日本人は論証構造を書く場合が多くてひどいと言われている。

理系の人なら論証の構造って言われてハイハイあれね、と思うだろうけど文系だと下手したら院生でも知らない人いるんでないか。

いや、それは理系を買いかぶりすぎじゃないかと。単に自然科学論理人文科学なんかに比べて単純だからボロが出にくいだけだと思うよ。言ってみりゃ、英語が書けなければ他人の論文をつぎはぎすればそれで書けてしまう程度にしかパターンがないからね。

あ、でも哲学の一派で論文の形式すらブン投げてるようなのは除く。

脱構築主義者とか。ありゃあ論文のふりしたポエムだからな。

あれを哲学と呼んだら哲学科の人に怒られるって聞いたんだけど、それはさすがに都市伝説か?w

http://anond.hatelabo.jp/20101011014239

横だが、文系もいらんぞ。

揚げ足取り的で悪いが、さすがに英文学英国史、あるいは英語学あたりで英語がまずかったらそれだけで印象が極めて悪いんじゃないのか?

それでもネイティブのガキよりも、英語ろくにしゃべれない日本人研究者の方が、読む価値のある論文が書けることを疑うわけじゃないけど。

2010-05-23

大人になって読み返したらスゴかった 「英文標準問題精講」

「英文標準問題精講」(原仙作 著)。第5訂版。初版はなんと戦前の1933年。今も本屋大学受験コーナーに行けば売られている、参考書古典中の古典である

 10年くらい前だろうか。大学受験する時に買ってはみたのだけれど、さっぱりわからんと放り投げたこの参考書を、なぜだか分からないがふと思い出し、本棚の奥からひっぱり出してふむふむと読み進めてみたら面白くて止まらなくなってしまった。今では、寝る前に2、3本の例文を読むことが最近の日課になってしまってすらいる。

 アマゾンでの散々な評価[amazon:英文標準問題精講]で見れるように,この本は確かに受験参考書としては使えない。より解説が豊富で効率的に要点を学べる本が山ほど出ており、純粋受験生の実用性でのみ評価した場合、もう役目を終えていると言っていいかもしれない。

 しかしそれでも本書の魅力自体は色あせていない。「英文標準問題精講」が持つ最大の魅力は、その全例文が近現代史に名を残した偉人たちの言葉で綴られていることにある。例えばこんな具合に。

 Contemporary events differ from history in that we do not know the results they will produce. Looking back, we can assess the significances of past occurrences and trace the consequences they have brought in their train.But while history runs its course, it is not history to us.(隷属の道より)

 改めて読み直した時、私は経済学者フリードリヒ・フォン・ハイエクによるこんな論考が受験参考書の「例文」して、ごく当たり前のように取り上げられていたことに、まず何より驚愕した。なんていうハイレベル自己満足をするのだろう!そりゃあ今時の高校生が読んでもわからないはずだと思った。とは言え、ハイエクの他にもラッセルアインシュタインスタインベックなど一級の知性がしたためた文章が載っており、英文エッセイ集としての魅力は廃れるどころかむしろもっと再評価がなされるべきではないか

 本書の内容は多岐にわたり、しか普遍的なものだ。幼少時代についた嘘についての体験談から、「知識は人間幸せにするのか」「芸術や詩歌の意義」といった哲学的なテーマまで。かつての知識人達がいったいどのように感じ、考えてきたか、その一端を垣間見ることができてとても興味深い。

 私の場合、読んでいて特にハッとしたエッセイが、ヘンリー・ミラーの一文だ。

 What makes a book live? How often this question arises! The answer, in my opinion, is simple. A book lives through the passionate recommendation of one reader to another.Nothing can throttle this basic impulse in the human being.

 すぐ忘れ去られる本がある一方で、何十年と長く読みつがれる本があるが、その違いは何か。長生きする本は、その当時最も売れた本でもないし、一方で最も正しいことを書いた本でもない。それはただ、その本に気をとめ、大きな声で推薦する声が途切れなかったから長く、生き続けてきたのである成熟された、いい考え方だと思う。

 私もヘンリー・ミラーに習って推薦してみたい。これは大人のための英語学習書だ、と。せっかちな受験生が読むような中身の薄い例文ではなく、じっくりと反芻できる重みのある文章を読む。そんなクール英文学習ができる本なんてちょっと見当たらない。ビジネス書とTOEICについ目移りするサラリーマンにこそ、今、「英文標準問題精講」が求められていると思う。

http://twitter.com/zaway/status/14500420105

2010-02-21

http://anond.hatelabo.jp/20100221231437

少なくとも、ソフトウェアの開発の会社に入ってるのに、有名大学の『英文学科』卒ですみたいなのにはなるな。本当にいるから、この業界驚く。そして、スキルもそれなり・・・。まぁ、それでも、食ってはいけるが、くっていけるだけだぞ。

俺は必ずしも大学での専攻学問就職先を直結させるべきではないと思うが(特に文系

それを割引いて考えてもIT系の技術軽視は度が過ぎる。

http://anond.hatelabo.jp/20100221223416

どこに就職したいのかによる。

正直な話で言えば、いきたい企業に推薦枠持っている大学があるなら、ランク落としてそこに行って、学年首位とって推薦で就職するというのも手。

無里にランク上げて、成績下位だと泣けるよ。面接トークに自信があるなら、そっちのほうが良いかも知れないが。

 

あと気になっていたんだが、大学名は新卒には役立つが、そこどまりだよね。30最過ぎてどうやって出世するつもりか40代でどうやって出世するつもりかちゃんとビジョンを立てた方が良いよ。まさか、大学名が30、40になっても通用すると思っているわけじゃあるまい?

ソニークラスですら、リストラの話を聞くようなこのご時世 JALなんかのニュースも胸に痛かろう?まさか、増田の定年まで終身雇用制度が残ってるなんて思わないよなぁ?

じゃぁ、転職人生プランに入れて、転職できる職歴でないと困るわなぁ・・・30になって誇れるものが大学名だけって・・・それは、ないわー

 

自分立身出世するためのコアスキルを何にするか?をちゃんと決めて、それが身につく大学を選ばないと苦労する。チャラいのが通じるのは20代だけだな。リーダーになっても数回失敗が続いて、転落するタイプにはなるなよ。御用聞きしかできなくて、なんでも下に流すだけの中間搾取職はもう、増田の30代では通用しないだろうな。時代的に。

 

あとは、金が欲しいのか、権力が欲しいのか、打ち込める仕事が欲しいのか、明確に決めて奥と良いよ。20代後半から60才定年は長いよ。

金がほしいなら証券会社とかを目指せ、権力が欲しいなら商社とかを目指せ、打ち込める仕事が欲しいならメーカーだ。

もう遅いけど、寿司職人とかラーメン屋という道だってある。

良い会社つとめて、脱サラしてラーメン屋やるなら、最初からラーメン屋やる方がよい。

大学入ったら、オヤジと人脈作って、いろんな人の人生を飲み屋で聞け。そういう意味では、年齢層が幅広いパブっぽい所の常連になると良いかもな。

 

自分の将来に合わせた大学を選べ。少なくとも、ソフトウェアの開発の会社に入ってるのに、有名大学の『英文学科』卒ですみたいなのにはなるな。本当にいるから、この業界驚く。そして、スキルもそれなり・・・。まぁ、それでも、食ってはいけるが、くっていけるだけだぞ。

2009-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20090331121054

もしかしたら、英文学科とかには数学必要ないかもしれないけど、論理的思考力が必須な哲学科にも数学的思考ができない人がいるのは全然ダメですね。

経済学心理学社会学統計の扱い方をまともに知らない人がやっているとインチキな結果しか出てこない。

2009-02-21

日経最終面「日本語がほろぶ」とかいう話

http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772_33100.html

夏目漱石って英文学研究してたから

英語読むと日本語駄目になる。夏目漱石読め」

って理屈おかしく思うのだが。

2009-01-02

[]はてな大学社会科学部学科)

まだ志望校が決まっていない受験生にすごい情報をやる。

妄言学部よそ行きキャンパス

はてなブックマーク - ブックマークで妄想をよそ行きに。

id:chnpk教授

偏差値 59

科目 社会学政治学経済学

資本主義について勉強できる。

政策関連も少々勉強する。

学生は、ファーストネームがチュンプク○○になる。 

非コミュ学部非モテキャンパス

E.L.H. Electric Lover Hinagiku

id:y_arim教授

偏差値 63

科目 コミュニケーションデザイン政治学

東大卒はてなを代表するカリスマ教授

人が傷つく事とはどういうことなのかを学ばされる。

毎週、非コミュ非モテを救う方法をレポート10枚分提出しなければならない。

猫にゃん学部地下室キャンパス

地下生活者の手遊び

id:tikani_nemuru_M教授

偏差値 75 

科目 政治学歴史学社会学

語尾が「にゃー」で統一された教科書を使って勉強する。

近代思想は必修科目で、これを受けていないと講義の内容がわからない。

犬派は基本的に入学できない。

入試面接試験一本勝負で、猫の魅力について40分間喋り続けなければならない。

歴史学部過ぎ去ったキャンパス

過ぎ去ろうとしない過去

id:hokusyu教授

偏差値 77

科目 歴史学政治学哲学

歴史修正主義賛否両論」という有名なゼミがある。

はてなを代表する歴史学偉人

歴史学卒論は必修。

歴史学の文献が難読で厳しいキャンパスライフになるが

人生を通じて役に立つ知識を持つことができる。

毒舌学部消毒キャンパス

消毒しましょ!

id:AntiSeptic教授

偏差値 44

科目 政治学経済学英文学

4年間を通じて毒舌に耐える忍耐力を鍛えることができる。

他人を罵るためのコミュ力も高まる。

そして、表面的な罵倒用語に惑わされずに本質を見抜く眼を養うことができる。

卒業すると、「消毒液処理」という免許がもらえる。

狐学部フォックスキャンパス

狐の王国

id:KoshianX教授

偏差値 54

科目 プログラミング犯罪学、教育学

犯罪に対して若干センセーショナルな面もあるが、

制度や技術について、人に流されない姿勢を持ち続けることの

重要さを勉強することができる。

メディア学部魔道図書キャンパス

はっはっは

id:magician-of-posthuman教授

偏差値 73

科目 社会学文化人類学メディア論

ポスト○○」や「魔術」等のキーフレーズ釣りを書くこともあるが

基本的にその学術レベルトップクラス

ただし、分厚い長文の教科書は持ち歩くことができないくらい重たいので、

教室用と自宅用とで二つ以上は購入しておく必要がある。

怠けたはてブコメントを書くと退学処分になる。眉毛が太いと合格率が上がる。

雑草学部草原キャンパス

雑種路線でいこう

id:mkusunok教授

偏差値 75

科目 政治学経済学、制度

政治財政について、

コンスタントに安定した思考能力を養える。

はてなー学部越後キャンパス

ekken?

id:ekken教授

偏差値 63

科目 コミュニケーションメディアウェブ社会学

1学年は「無断リンク未来」が必修科目となる。

2学年に進級すると、「oredoco」という科目が必修になる。

3学年になると、「はてブの魅力」という科目が必修になる。

そのほか、はてブブログの使い方を勉強できる。

誰も思いつかない奇をてらったマッチョ論や、

逆転の発想など、トリッキーな発案ができるようになる。

応用すれば、どんなところでも役立つtips

アルファ学部アーティファクトキャンパス

ARTIFACT@ハテナ系

id:kanose教授

偏差値 64

科目 コミュニケーション戦争論、オタク文化

1年まではオタク文化論の基礎を学ぶ。

2年になると、揉め事の分析が主流になる。

3年になると、「アルファブロガー品格」が必修科目になる。

どちらもウェブについての重要考察になるので

ぜひとも受講しておきたい。

メンタル学部ヘルスキャンパス

xevraの日記

id:xevra教授

偏差値 34

科目 精神分析学、心理学コミュニケーション

全ての問題をメンヘラの問題として対処する実技を学ぶ。

ただし、メンヘラの問題としてしか対処できなくなるので、

その手の分野に就職する予定の学生を受け入れている。

インスパイア元→2009年に起こりそうなスーパーはてな対戦

2008-12-12

シェイクスピア読めた

昔、英文学をやってるわけでもないのにシェイクスピア英語で読もうとした。読んだ。ハムレット真夏の夜の夢。もちろん訳本参考にして。それまでほとんどまともな英語を読んだことがなかったから、読んだっていっても、まあ読めないよ。

ただ、ああ、これが英語世界なんだって分かったのはそれだけだった。それから随分たつなあ。

今日久しぶりにシェイクスピアを読んでみた。ジュリアスシーザー。本当はでっかい辞書なりオックスフォードなり使って読まなきゃいけないんだろうけど。素人だから、いいでしょ。もってる辞書をひきながら、ちょっと訳も参考に。

いや、おもしろかったあ。シーザーの造型、ブルータスの嫁の立派さ一途さ、ブルータスの悲劇。頭に絵が浮かんで、ぐいぐい引き込まれてしまった。それにすんごい人間観察能力があって、それをすぱんとセリフになってるから、これがすごい。シェイクスピアってこんなにおもしろかったのかと。

ちょっと進歩した自分がうれしかった。

2008-11-14

私大文系卒って

数学ができない経済学部

飲み会の割り勘すらできない商学部

趣味以外で活用してない英文学

リーマン経験のない人が教える社会学部

存在価値が分からん

そんな自分は関西の某D大学卒業文系プログラマ

2008-11-10

日本語は既にかなり滅びてますがなにか?

梅田もっちーダンコーガイ自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。

餅は餅屋という言葉を知らないか

ま、そんなことはともかくとして、言語学新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学バックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。

高校世界史を復習しろ

そもそも、著者が言うような意味日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語フランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学伝統が花開いた。

日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。

単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。

日本語の最大の敵は「日本語

そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。

いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語オランダ語は、かつてはスペイン語ドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人ドイツ語フランス語を使っていて、アンデルセンキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。

その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁ラジオテレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語日本言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝米朝師匠事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。

あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。

このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。

守るべき「日本語」って何?

というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力政治的な措置なのだ。

それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れナショナリズム保守反動でしかないとさえ言えるのだ。


からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。

仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズム伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。

追記(ブコメ宛)

b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。

水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。

「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。

2008-11-02

anond:20081102103359

もっというなら、英語だけを使った仕事存在するけど、微分積分量子力学だけを使った仕事存在しない。

英語だけ使った仕事も滅多にないよ

英語を道具として使って仕事することはたくさんあるけどね

せいぜいあって英語教育とか英文学とか英詩くらいだろう

2008-10-18

そんなに英語に苦しみたいの?

こないだ日本旅行したらしいアメリカ女の子によると、東京地下鉄ではみんな英語勉強していてぎょっとしたそうな。そんなに語学に苦しみたいのなら、ちょっと書いとくか。って僕も苦手なんだが。しかし、サディストが多いんだねw(でも、文法だけ取れば英語はまだそれほど難しくないかもしれない)

1 安易な学習方法はない

最近、知らない単語でも辞書を引かずに読める方法とかいうのがあったが、発音なんて、んなもの慣れたらすむ話。

知らない単語でも辞書を引かずに意味がわかるようになるには、それまでに散々辞書を引いたり単語を丸暗記したりしてはじめてそういう勘がはたらくようになる。その昔、英文学先生が、何十年も英語をやっていてまだ辞書を引かねばならんかとぼやいておられた。諦めが肝心。もっとも、英文学だからそういうことになるわけで、我々のようになんとか英語が使えたらいいなあというレベルなら、そこまで諦める必要もない。

2 辞書は圧倒的に紙の辞書

そりゃ電子辞書は便利。軽くてすぐに 検索できるし。

それでも、紙の辞書の優位性は変わらない。

その1、用例が豊富辞書意味を知るためにあるのではない。用例を読むためにある。

その2、書き込みができる。どんどんよごして、自分の記憶を確かにするには紙の辞書しかない。

その3、ぼろぼろになる。ぼろぼろになるまで使い込んだら、それなりに言葉がものになった証拠。この自信が外国語進歩にはとっても大事。(もっとも、僕は辞書を枕にしてたらぼろぼろになったけどw)

だいたい、辞書を引く早さなんて、慣れたらそうそう電子辞書に負けないと思うんだがな。それに、言葉を見つけるまでの間にその単語をつぶやいてたり、あるいは別の単語に寄り道するのが大事なんじゃないか。

3 他の外国後も勉強してみる

終風先生は、いつもラテン語ギリシア語の語感がわからなきゃとおっしゃるが、そんなものは哲学をやってないとわからない。カエサルだのプラトンだの原語で読む物好きはそういない。

でも、英語ばっかりやっていてもどっかで行き詰まる。これがつらい。

ならいっそのこと、ほかの外国語をやってみたらどうだ。欧米語なら文法もあるていど共通しているし、それに単語も結構つかえる。さらに、ある程度やったうえで英語に戻ると、あら不思議、知らないうちに理解が深まってるものだ。

それに、全く言語体系の違う日本人が複数の欧米語を知っているというだけで、結構尊敬されるのだ。

4 最後は中身と開き直り

最終的には、外国語で何をいうかであって、ぺらぺらしゃべれることじたいには大して意味がない。英語に堪能で中身のない人間は、アメリカにもイギリスにもやまほどいる。ではなくて、彼らとは異質の人間である日本人して、あるいはアジア人間して、あるいはだれとも違う個人である自分として、何を考えていてどう発信するかがより重要なのだ。

しょうしょう極端な意見でもかまわない。正しい日本イメージをもってもらおうとおもっても、そんなものはどこにもない 。それよりも、自分自身の意見をぶつけてみて、面白いと思われることのほうがはるかに重要だと思う。

英語母国語としない人は、たとえヨーロッパの人でも、かなり無茶苦茶英語を使う人もいるし、それを自分で笑ってたりする。なにも臆することはない。無茶苦茶でもなんでも、自分の考えや感情が、伝えたい相手に伝わりさえすれば、それで言葉のようは足りる。開き直りが肝心ではないか。

2008-04-17

藤原紀香釈由美子男前女か……

http://anond.hatelabo.jp/20080417203449

>けっこう男前な感じでもある。スーツがかなり似合ってる。

>おまけにかなり高学歴

うわあ、いい女だなあ。男から見てもカッコイイ女だ。


というところか。

同性からもモテモテっぽそう。

やっぱ、ディープ百合系の人なのかな。

2007-12-26

記号というもの

実名が晒されたというのは、実は個人が晒されたことには直接ならない。たとえばある人の実名が「鈴木一郎」だったとしても、それではどの鈴木一郎さんかはわからないからだ。

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50973892.html

これを読んで思い出した。

学校校長先生か教頭先生が、当時銀行の振込用紙の見本でよくあった「山田太郎」という名前だった。

先生は始業式や終業式のたぐいか、あるいは学年集会などで必ず、

銀行で用紙に記入して窓口に出すと、『お客様、そこはご自身のお名前をご記入ください。

見本の名前ではなく』と、必ず言われる」という、一種の笑い話をしたものだった。

そして、当時はやっていたマンガドカベン』の主人公を引き合いに出し、

「私はあんなに体格がよくはありませんが、名前だけ先に伝えておいて人と会うと、

『ずいぶんやせていらっしゃるんですね』と驚かれる」という話もしていた。

実際には先生は、中肉中背だったように記憶している。さして「やせている」わけではなかった。

「記号」というものを教えてくれたのは、実は、この山田太郎先生だったのかもしれない。

山田先生は、振り込みなどをする際には、窓口で毎度毎度運転免許証などを提示しないと、

本名であると納得してもらえなかったそうだ。

でも、実は同じくらい誰でもありえても「山田太郎」ほど平凡ではない名前、

例えば「高橋修」とか「田中明子」といった名前を持つ人は、

振り込み程度のことで、銀行でいちいち免許証を提示する必要はなかっただろう。

不思議なことだと思う。

そういえば、「ベン・ジョンソン」という陸上選手が活躍していたときに、

英文学で出てくる「ベン・ジョンソン」が

どうしても黒人筋骨隆々としたスプリンターイメージとかぶって困った、

という話も聞いたことがある。

しかし、陸上選手はBen Johnson、英文学はBen Jonsonなのだ。

それにしても「ベン・ジョンソン」さんはいっぱいいる。

http://en.wikipedia.org/wiki/Ben_Johnson

2007-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20071114140448

子供4人

正確には5人。次男の森不律(Fritz)は生後半年で亡くなっている。彼を除いた簡易家系図を書くと

読みの後ろに「*」が付いてるのが鴎外自身の命名。そうですねー。鴎外はいま流行の「姫空梓(ぴくしー)」とかDQN命名の元祖なんですねー。Jaquesとか、もはや字自体がヤバいしw 自身の本名「林太郎」がドイツ人に正しく発音されなかったことがコンプレックスだったとか。

しかしまぁ。みなさんDQNネームに負けず、旧帝大早慶出ばっか。孫の代まで見てみても、まず8割方著作がある。偉大な家系ですわ。

歴史青年期あらゆる希望を胸に、いきりたって人にケンカ(論争)をふっかけた鴎外。

 以後官僚として栄達をのぞみ、ドロドロした権力闘争にも身を置いた鴎外。

 歴史…それは男の当然の生き様であるが、晩年のわずか五年間、鴎外、

 栄達がのぞめなくなると急に肩の荷が降りたのだろうか?

 小説家森鴎外俄然輝きを増す。

 彼は負けたのだろうか? 男の生涯、ただの男になって死に様を見つけた。」

                         エレファントカシマシ / 歴史

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