こないだ日本に旅行したらしいアメリカの女の子によると、東京の地下鉄ではみんな英語の勉強をしていてぎょっとしたそうな。そんなに語学に苦しみたいのなら、ちょっと書いとくか。って僕も苦手なんだが。しかし、サディストが多いんだねw(でも、文法だけ取れば英語はまだそれほど難しくないかもしれない)
1 安易な学習方法はない
最近、知らない単語でも辞書を引かずに読める方法とかいうのがあったが、発音なんて、んなもの慣れたらすむ話。
知らない単語でも辞書を引かずに意味がわかるようになるには、それまでに散々辞書を引いたり単語を丸暗記したりしてはじめてそういう勘がはたらくようになる。その昔、英文学の先生が、何十年も英語をやっていてまだ辞書を引かねばならんかとぼやいておられた。諦めが肝心。もっとも、英文学だからそういうことになるわけで、我々のようになんとか英語が使えたらいいなあというレベルなら、そこまで諦める必要もない。
それでも、紙の辞書の優位性は変わらない。
その1、用例が豊富。辞書は意味を知るためにあるのではない。用例を読むためにある。
その2、書き込みができる。どんどんよごして、自分の記憶を確かにするには紙の辞書しかない。
その3、ぼろぼろになる。ぼろぼろになるまで使い込んだら、それなりに言葉がものになった証拠。この自信が外国語の進歩にはとっても大事。(もっとも、僕は辞書を枕にしてたらぼろぼろになったけどw)
だいたい、辞書を引く早さなんて、慣れたらそうそう電子辞書に負けないと思うんだがな。それに、言葉を見つけるまでの間にその単語をつぶやいてたり、あるいは別の単語に寄り道するのが大事なんじゃないか。
終風先生は、いつもラテン語ギリシア語の語感がわからなきゃとおっしゃるが、そんなものは哲学をやってないとわからない。カエサルだのプラトンだの原語で読む物好きはそういない。
でも、英語ばっかりやっていてもどっかで行き詰まる。これがつらい。
ならいっそのこと、ほかの外国語をやってみたらどうだ。欧米語なら文法もあるていど共通しているし、それに単語も結構つかえる。さらに、ある程度やったうえで英語に戻ると、あら不思議、知らないうちに理解が深まってるものだ。
それに、全く言語体系の違う日本人が複数の欧米語を知っているというだけで、結構尊敬されるのだ。
4 最後は中身と開き直り
最終的には、外国語で何をいうかであって、ぺらぺらしゃべれることじたいには大して意味がない。英語に堪能で中身のない人間は、アメリカにもイギリスにもやまほどいる。ではなくて、彼らとは異質の人間である日本人として、あるいはアジアの人間として、あるいはだれとも違う個人である自分として、何を考えていてどう発信するかがより重要なのだ。
しょうしょう極端な意見でもかまわない。正しい日本のイメージをもってもらおうとおもっても、そんなものはどこにもない 。それよりも、自分自身の意見をぶつけてみて、面白いと思われることのほうがはるかに重要だと思う。
英語を母国語としない人は、たとえヨーロッパの人でも、かなり無茶苦茶な英語を使う人もいるし、それを自分で笑ってたりする。なにも臆することはない。無茶苦茶でもなんでも、自分の考えや感情が、伝えたい相手に伝わりさえすれば、それで言葉のようは足りる。開き直りが肝心ではないか。