実名が晒されたというのは、実は個人が晒されたことには直接ならない。たとえばある人の実名が「鈴木一郎」だったとしても、それではどの鈴木一郎さんかはわからないからだ。
これを読んで思い出した。
学校の校長先生か教頭先生が、当時銀行の振込用紙の見本でよくあった「山田太郎」という名前だった。
先生は始業式や終業式のたぐいか、あるいは学年集会などで必ず、
「銀行で用紙に記入して窓口に出すと、『お客様、そこはご自身のお名前をご記入ください。
見本の名前ではなく』と、必ず言われる」という、一種の笑い話をしたものだった。
そして、当時はやっていたマンガ『ドカベン』の主人公を引き合いに出し、
「私はあんなに体格がよくはありませんが、名前だけ先に伝えておいて人と会うと、
『ずいぶんやせていらっしゃるんですね』と驚かれる」という話もしていた。
実際には先生は、中肉中背だったように記憶している。さして「やせている」わけではなかった。
「記号」というものを教えてくれたのは、実は、この山田太郎先生だったのかもしれない。
山田先生は、振り込みなどをする際には、窓口で毎度毎度運転免許証などを提示しないと、
本名であると納得してもらえなかったそうだ。
でも、実は同じくらい誰でもありえても「山田太郎」ほど平凡ではない名前、
振り込み程度のことで、銀行でいちいち免許証を提示する必要はなかっただろう。
不思議なことだと思う。
そういえば、「ベン・ジョンソン」という陸上選手が活躍していたときに、
どうしても黒人で筋骨隆々としたスプリンターのイメージとかぶって困った、
という話も聞いたことがある。
しかし、陸上選手はBen Johnson、英文学はBen Jonsonなのだ。
それにしても「ベン・ジョンソン」さんはいっぱいいる。