はてなキーワード: 有意義とは
あらまあ、辛辣やね。そんなにご自分の意見に自信あるんやったら、もうちょっと品のある言い方したほうがええんちゃう?まるで他人のこと駄々っ子みたいに見下して、自分が唯一正しい言うてるけど、それでほんまにええんか?選挙ってみんなの意見を尊重する場やから、その意見を馬鹿にすること自体が自分の品位を下げることに気づかんのかな。
あと、白票がどうのこうの言うてるけど、結局それも誰かが決めたルールに従ってるわけやん。自分の意見を貫くなら、もっと建設的に意見をまとめて他人に伝えることが大事ちゃうんかな。本当に賢い人は、自分の意見を他人に押し付けることなく、上手に共感を得ることができるもんや。そんな簡単なことも分からへんのやったら、むしろ自分の立場をもう一度考えてみたらどうや?
しっかり考えた上で、次の選挙でもう一度チャレンジしてみたらどうやろね。せっかくの意見、もっと有意義な形で使ったほうがお得やで。
会議の議事録を6時間予定されてるよ。6回、6時間。有意義な会議にならないといいな…有意義になったら書くこと増えるもん…
AIで議事録して欲しい…。会話内容ぶっ込んで後から要約だけしてほしい…社内会議ならほんとAIでやらせたい…まじなんなん、お前ら会話したことくらい覚えておけよ…
自分?忘れるよ?低脳だもん。低脳だから議事録係なんじゃん…ていうか議事録のためだけに外出するってなんなん。WEBでつないで作業させてくれよ。私の仕事そもそも作る方でプレゼンはお前らがするから寝る間も削ってやったというのに、なぜ出向かねばならない。まあ、寝る間を削ったのは低脳な自分がまあまあ普通の人が作業するまでのスタートがきれない。だらだらしちゃうせいだから。しかたないけど。
しかたなさとめんどくささで生きてる。
おどれ、何得意げに語っとんじゃ!
弱小生保で100万件のデータ持っとるとか、多い言うんか少ない言うんか、どっちなんじゃ?
そんなもんちまちま見んでも、パッと見つかるわけないいう話じゃろ。ほいじゃけぇ、結局大したことねぇじゃん。
そんなん、当たり前じゃが。もっと賢くやれや、バカかおどれは。
目立ちたくてしょうがねぇんか。そりゃ見つかるに決まっとるわ。
そんなん、運が良かったんじゃろうが、もっと有意義なこと考えろや。
ほれから、DB見るのにハードル高い言うとるけど、おどれの弱小生保やけぇ緩いんじゃろうが。
SQLの履歴だって、確認せんと自由に見れるってか?そんなん管理が甘いだけじゃけぇ。
最後に一言言わしてもろうちゃるけど、そんな漫才みたいな話してる暇があったら、仕事に集中せえや!
ワイはもう、この話飽きたけぇ、終わりじゃボケ。
「生成AI」「AIイラスト」「反AI」「法的に」「ラッダイト」「お気持ち」
この辺のワードを使って「AIは法的にも許されているのだから使用者を批判するのはお門違いでは?」的な内容のことをツイートしてみてほしい
どんなにフォロワー数が少なくても絶対に反AIカルトに見つかり、何かしら攻撃的なリプや引用をもらえるはずだ
名前を挙げることはしないが、反AIにはかなりのフォロワー数を誇るカルトの上位層みたいな人が数人〜数十人程度いる
彼らは上記のワードで検索しては片端から引リツで噛みつきまくり、信者はこれに同意する形で誹謗中傷に加担する
いま反AIカルトは煮凝りみたいに濃縮されて他人に喧嘩を売りたがる狂信者しかいない状況になってしまった
反AI自身はそのことに気づいていないのだが、割とXの中でも隔離されているというか「貴方達は貴方達で楽しくやってくださいね〜……」みたいな感じで絡まれないようにそっと距離を置かれ始めている状態
一般層のみならず絵師や漫画家など思想的に親和性がありそうな人からさえも目を逸らされ始めている
ちょうど暇空茜界隈とか弱者男性界隈とかフェミニスト界隈とか自然派界隈とか政治垢界隈とかああいうのと同列だ
とにかく思想が先鋭化しており人の話を聞かないうえやたら攻撃的なので、たとえ共感できる部分があったとしてもマイナスイメージがそれを上回って悪印象になってしまう
そして大多数の人間からは「絡まれたくないし絡みたくない集団」だと認識されていく
反AIは元々一部の絵師やその信者に共通していた幼稚な部分、すなわち簡単に人を崇拝するし感情的な共感の部分でしかコミュニケーションできず、教養もなければ読解力もない幼児性の塊のような部分が悪さしたように思う
本人たちは気づいていないが、少なくともネット上ではもうAI規制論のイメージの回復は困難なレベルになってしまった
AI生成の規制というのは、それこそやり方によっては一般層にも理解を得られるような有意義なトピックであったはずなのに、Xの反AIカルトの活動のせいでもうだめになってしまった
「AIの乱用に反対です」と名乗ることと「反AIカルトの一味です」と名乗ることは本来別のはずだ
しかし世間的にはこれらは同一のものであると見なされるから、もうまともなAI規制派はほとんどが口をつぐんでしまっている
今じゃAIに反対しただけで「法的な知識のない視野狭窄の攻撃的で幼稚で不勉強で感情的な人間」というレッテルを貼られる始末である
かく言う俺もそのひとりだ
文化庁のAIに関するパブリックコメントの募集時、俺はパブコメのフォーマットやら書き方やら仕組みやらをきちんと調べてその通りに意見を送信した
ローコードツールってのは、コード書くまでもない小粒なタスクを「そんなしょうもないものはローコードツールで自分で作れよ」って押しつけて有意義なコード書く時間を確保するためのものだよ。
これは嘘と言うか、理想論というか、
実際にはPGとかSE相当の人にローコードツールでものつくるタスク振られて
製品仕様把握して慣れる手間かかるのに、できることが「もともとプログラミングでさっとできる簡単なタスクが誤差レベルで効率化するかも?」って言う感じなのよね
各サービスのAPI使うためにいちいちアクセストークン取得して、取得したデータ整形して、別のサービスに引き渡して、ってコードを普通はサクッと書けるの?
コードも書くしローコードツールも使うけど、はっきり言ってある程度の規模とか複雑性が不要ならコード書くよりノーコードツールでサクッと作ってサクッと使い捨てるよ。
でも、データの整合性とか厳密性が求められるところにノーコード使おうとしたら地獄だよ。
そんなバカなことやろうとしてる人がいたら是非止めてあげてね。
コード書ける人がノーコードツールに文句言うのってSlackがTeamsに向かって吠えるのと同じぐらい無意味だからそんな無駄なことしてる暇あったら好きなだけ有意義なコード書いとけば良いのに。
ローコードツールってのは、コード書くまでもない小粒なタスクを「そんなしょうもないものはローコードツールで自分で作れよ」って押しつけて有意義なコード書く時間を確保するためのものだよ。
まあなんとなく言いたい事はわかる
わかるっていうのは「あなたの思っている気持ちを理解できていて、それを会話で証明できる」ではないからね
一応、合わせて同じ方向で会話ができるとこちらが判断したという意思表明を「わかる」という単語でしていることを伝えておかないと
勘違いして「自分を複製を作って行動予測ができるってことなのか?それとも上辺だけの形だけの懐柔するためだけの添え物のうすっぺらい言葉なのか?」って
柄のついた何でもいい、とかそういうのと比較するべくもない全然別物なので思い出の切れ端みたいなメモリーとして、記念碑的なものとして入れたり
コスプレの一環とまでは言わないけどなにかとつながっている感じを思い出すマークとして入れるっていうのは、あるとおもう
それは自傷行為も同じ面があって、全部が完全に同じだから代替ができるってわけではもちろんないし、選択肢の候補として二つが同時にあがってくるわけでもないけど
それを言い出せばコスプレもメイクも柄もののTシャツも同じだろうけど、自傷行為には近い状態で得られる感覚が別のところでも一致してるという点でわりと似てると思う
裸になったときについてるそれっていう事が、その思い出を振り返るときに使える場所や雰囲気、状況みたいなものが似てると思う
自傷行為って、もちろん全部じゃないけど一部として、自分の体が無痛な時間それはそこにあるのかって不安になるみたいなものもある、もちろんそうじゃないものもある
その傷をつけるのが所有者としての印をつける安心感みたいなものじゃないって場合もあるわけで、その痛みを感じたという感覚の持ち主が自分である事に安心して、またその傷をあらためて見ることで
自分の体がそこにあったと確認したなあと、過去の自分との連続性を感じて安心感をえようとしたりするんだ
もちろんそうじゃない場合もあるし、タトゥーだって全部が一致しているのは「皮膚にプリントする」以外は全部が違っていて同じ理由や同じものは一つとしてないことは前提にしていてほしい
男性は物を貰って喜ぶとか記念品に物を贈って残す、それに実用的価値があることが多くあるし、もちろんそうじゃない男性も多数いることは承知だけど、ここで話題にしたい方向性として男性は物がプレゼントとして嬉しい
女性は花でその場が和んだとか言葉をかけたとか、体に受ける刺激の記憶なんかで思い出として記念を時点で残すことが多く、物の価値は変動するわけだからとくに拘りがないという方向性も多くある
そういう感じで記念を記憶するか記録するか、物として所持するかの一つだろうから、表現として一時的なメイクとか服装で代用するというのとは、方向性として違うと思うんだよね
自分の体をメモ帳にするという意味で、それをメモる意味というのが日本ではまだ有用性が、というか今後もその有用性を持ってくる意義がないと思うのでそんな文化が出てくるとは思えないけど
メモを記載するという事は社会的にどう扱うか、どう扱われたいかという表明になると思うんだわ
入れ墨の意図や方向性の主体が入れた本人個人ではなくて、社会的にその入れた、入れているという事についての意味や意義になるから一般的に「悪い・ダメなこと」のマークとして使われていて
そういう判断で見られるというのが現状だと思うし、実際それをそれ以外の方向に使う必要性がまったくないから今後もかわっていかないと思うんだよね
バーコードで実際に活用されるとか、入れている模様の種類とか色で何に属しているか表現できるとか、自分がなにものなのか、っていうのは移民とか入植者とかで人種や地域がわからなくなり
仲間の見つけ方とか見分け方もわからなくて、それを知る時間のうちに命がつきてしまう状況とかでないと活用できないと思う
それが日本にはないんだよね
どこに属するも何を信じるのも自由で、それを人に押し付けられたり押しのけられたりしないからしたければしたらいいじゃんで終わるので自分を入場券やメモ帳替わりにする必要がない
だけど核家族ももう一世紀ちかく続いてベビーブームも人口的ピークに終焉を迎えて各個人がそんなに人生の選択肢を自由に選べなくなって属するため条件とか、自分の記録や経緯をどこにも残せなくなっていくと
それなりに意味とか意義とかでてくるかもしれないと思う