はてなキーワード: 大袈裟とは
「マイクロアグレッション」という言葉は、「差別と呼ぶには大袈裟だけど、一人一人が気をつけられるといいよね」程度の問題提起だったはずだが、いつのまにか「なんでもかんでも差別と呼んでいい」との主張の補強に使われるようになり、やがて「マイクロアグレッション」という言葉そのものが立ち消えて「差別」に置き換えられてしまった。
「セクハラ」という言葉も、元々は「マイクロアグレッション」のようなものを指すはずだったのだが、いつのまにか「性犯罪」とイコールで結ばれるようになってしまった。
「小さなことでも声を上げていい」という言葉は、「針小棒大に取り上げていい」に取り替えられ、本当に「小さなことの積み重ねで悩んでいる」人の声はかき消され、結局のところ「大きく騒ぐだけの正当性が十分ある大きな問題しか声を上げてはいけない」という空気が形成されてしまった。
増田夫は特にキッチン周りの家事を主導で担っているのだが、増田がシンクに皿がたまったりしてるのをつい洗ってしまうと自分が遅すぎたからだ...とショックを受けてしまう。
たまに増田が料理をしようもんなら、なんで素晴らしい人なんだ、僕は世界一ラッキーだ...と大袈裟なまでに感動してくれる。
いいんだ、ありがたいんだけど、べつに夫婦なんだからそんなに気負わなくていいんだ。収入だって同じくらいだし家事は分担していいんだよ。と伝えてるんだけどやっぱり僕が主導でやる!みたいな責任感が強すぎる気がする。
けどよく考えたら日本人の奥さんって増田夫みたいに、家事は自分がやらねば!みたいに気負ってる人結構いるような気もする。
なので家事に責任を感じて気負ってしまってる人に男女問わず伝えたいんだけど、そんなに気にしなくていい!分担していいんだ!恐縮しなくていいんだぞ!いつもやってくれてありがとう!!
これは、単純な自分語りです。
でも、多分、大衆的なひろーい意味ではそうなるんだろうなぁって感じのゆるいやつです。
あんまり普段、自分の恋愛的なものを出したくないというのが大きなとこなんですが、気が向いたので、よっしゃ、いっちょ言ってみるか!みたいな軽いノリで話します。
なので大前提として、あんまり悲観的なLGBTQIA+の話はないです。とだけ。
まず。
私はバイ?か?ってなんで疑問形なのかと言うと、特に私には定義付けされてないけど、感覚として「パンセクシュアル」のが近いのと、性別も「Xジェンダーの両性」のが近いかなぁと思うからである。
こう書くと、こういう事ですごく真剣に悩んで取り組まれている方にめちゃくちゃ怒られそうな気がするんですが、でも、私も自分ではよく分かっていないけど、当てはめるとしたらこれしかないんだよなぁ・・・。
私は外見女性で、同じく外見が女性の人とお付き合いしていますが、男性と性的接触が出来ない訳では無い。
でも、「男性」に「女性」として恋愛感情を向けられることが凄く気持ち悪い。
また、逆も同じで凄く気持ち悪い。
ただ、女性にも男性にも当てはめられるのはそこまで嫌ではない。なぜなら自分の中には両方きっちりと存在するから。
で、今はなぜパートナーと一緒に居られるかと言うと、パートナーはいわゆる「Xジェンダーの無性」に偶然にも当てはまる人だったから。
そして、大前提として「私」という人間に対して恋愛感情を向けてくれているから。
そこがパートナーとかっちり噛み合ってからは、違和感の正体にフォーカスが合わさって、何となく、今まで未知の生物だった自分のことが見えてき始めるきっかけとなった。気がする。
そして、私たちは本当に有難いことに、周りの方々がとても良い方が多く、今まで様々なところでカミングアウトしているのだけど、戸惑いながらも普通に受け入れてもらっている。
多分見た目が仲良し双子で、いつもニコイチの脳内ぴよぴよ幸せハッピーに見えることが、引かれない1番の要因のような気もするけれど。
でも、いま仲良くしてくれている周りの友人たちは、少なくとも2人で居ることを良しとしてくれているので、本当に恵まれているし、有難い。
しかし。
それにしても、ぶっちゃけXジェンダーの両性って、なんか自分だと、凄く都合良いかも・・・って思ってしまって、とてつもなく悩ましい。
本当にそういう悩みを抱えている方はもちろん、その形容を使うことで心が軽くなると思うんだけど(実際、Xジェンダーの無性という形容を知ったパートナーは、凄く軽くなったみたいなので余計そう思う)、私はと言うと、知った時に「あ、なるほど。腑に落ちたぞ」くらいの感覚しかなく、自分の性自認がかなーり甘い曖昧な感じなので、こと、自分に対しては「もしかして、どっちもの良いとこ取りして、甘えたくて思っちゃってるだけなのかな?」とすら、思うんですね。
なので、そこまで深く考えてないなりに、自分の性別は、なんて言ったらいいんだろなぁと、ずーっとゆるゆる考えていたりとかするわけです。
こういうの、他のXの両性さんは、ホントのとこでどう思ってたりするのかなぁ。
(いま調べたら、Questionというのもあるんですね。どっちなのかなぁーわからんぞ)
あと、私たちはいわゆる🌈の企画類とかには一切参加してない人で、ゆるゆるーっと、Twitterで話題になる程度の情報しか知りません。
やる気がないと言われたらそれまでなのですが、あんまりデモとかを進んでやれる程の気力がないのがホントのとこで。
あとは、あまり自分たちがそういう「これこれこういう思想を持ったこういう性自認の人たちです!!」と、名前を出して声を上げるのが大層苦手なのです。
活動を立派にされてる方とかって、やっぱすごいなぁと遠巻きに見る日々です。
(署名とかは出来るんだけどね。難しい)
ホントのとこは、あんまり「私たちの性」を考えずに、周りの人には接して欲しいってのは、あるかもしれない。
ここまでふわふわとまとまりなく話をしましたが、決して他の🌈の方々に何か言いたいとかでも何でもなく、本当にただの自分の気持ち整理の自分語りなだけです。
ただ、こんな風にあんまり深く考えないで生きてるようなLGBTQIA+の人も一応いるにはいるよーというお話でした。
ただ、これだとあまりにもなので、一応、私たちのやれることの範囲でやってる事だけ言っておくと「如何に周りの人達を、ごく自然と🌈への理解に繋げるか」ということくらいです。
私たちが常にどんな顔を、どんな態度をされようとも、どんなに怖くても、笑って当たり前のように、ある程度親しくなった人たちにはカミングアウトしていって、街では普通の恋人のように腕を組んで、左手の薬指に指輪をして・・・と、普通の人が触れるLGBTQIA+の人の敷居を大きく下げさせようとしています。
とか言うと大袈裟ですが、まぁ、こんな人間も同じ社会で同じ空気吸って生きてんだよーハハハくらいにゆるく浸透させていって、私たちと触れた経験のある人たちが「ああ、前も居たよ〜」くらいにサラッと日常として、あんまし隔たりなく受け入れやすくなればなぁ〜そんだけでいいなぁと、思うのでした。
大村知事がリコールに値するとは思わないけれども、大村知事がしくじってるし、配慮に欠けていたのも間違いないと思っている。
だって、天皇を燃やす展示がけしからん、という意見にはやはり正当性を与えざるを得ない。宗教の話だからね。コーランや聖書を燃やす展示を、公民館やなんやに飾ったら、そりゃあ抗議は来るよ。
一つは「確かにけしからんと言われても仕方がない。市民の一部の人の怒りに応じて、展示を取りやめる」という方法。一部とはいえ市民が怒ってたのは事実なので、これは普通にあり得た。
もう一つは「確かに配慮に欠けた展示だが、その内容の精査は行政がすることではない。どんな展示も規制しない」という態度。表現の自由戦士路線。大村知事はこの路線で行けばよかったのに、トリカエナハーレへの反応で、完全にそういう訳じゃない態度示してしまったんだよね。
この二つのどちらもを選べなかったことで、知事は単にこの問題について思慮が足りない、というところを見せてしまったんだなあ。
思想に思慮が足りないことが、政治家として無能って評価に繋がるかは微妙で、少なくともリコールには大袈裟だ。
でも選挙に次当選するかでいえば、だいぶ怪しいと思う。日本社会の皆さん、世の政治家の皆さんは、これを他山の石としないといけないだろう。
夏が近づいたら何かが起こりそうだという気が毎年するのだが、H&Mに行ってアロハシャツと短パンを揃えたくらいではなにも起こらなかった。
いや去年は無職になった。
事業が終了したら部署ごと無くなって、そこにいた人間がまとめてお払い箱になってしまうのは、いわゆる外資系で働いていればよくあることとはいわないまでも、珍しいことでもない。それまではわりに忙しかったので、失業手当でももらいながらちょっとゴロゴロするかと思っていた。
ブックオフで買った本も読み終わってしまって、日暮里の談話室ニュートーキョーでぼんやりしてたら、誰かが傍で立ち止まった。顔を上げるとNが不機嫌そうに睨んでいた。
なんでこんなところで昼間から優雅にメロンソーダ飲んでんだよ、しかもさくらんぼ入り、さくらんぼ、と突っかかってくる。うっせーな無職だからに決まってるだろうが、と返すと、えーなにそれとうとうクビになったの?聞きたい聞きたいと向かいに座ってくる。
他人の不幸にがっついてくるこの女とは、日暮里の西アジア料理店で知り合ったというよりは喧嘩した。床に座ってベリーダンスを見ていたら背中合わせでぶつかって小競り合いになったのだ。
それ以来、なにかと行動範囲がかぶる。谷中銀座の酒屋で角打ちしたり立ち飲みカフェに入ると気がつけば隣に立っており、なんでお前がここにいるんだよ、うっせーバーカと言い合いながら飲んだ。
沖縄に行くぞと言ったのはNの方だった。さっきクアラルンプールから飛んできたこの女はコンサルティングファームに勤めていて、成田への移動が面倒臭いという理由からスカイライナーが停まる日暮里に住んでいる。明日からバカンスなのはわかった。だがなぜ私がお前の旅行に同行しなければならないのか。お前はお前の男とリゾートを楽しめばよい。
そのようなものはいない。またお前は間違いなく暇であるし、もうすぐ夏である。よって明日7時半に京成の改札前に集合すること。あとはすべて手配しておく。
行きの便ではほとんど寝ていた。那覇空港に飾ってある蘭の紫が寝起きの目にぐりぐり来た。
空港で車を借りて安座間港という所まで運転させられた。そこからフェリーで久高島に行った。
島は静かだった。背丈と同じくらいある草木がもっさりと両側に茂る道をひたすら二人でまっすぐ歩いた。何もない。
浜に出ると白い砂の向こうに明るい青の海が広がっていて、誰もいない。大きなヤドカリが木の下から出て波打ち際に向かってゆくのをぼんやり眺めた。
で?
なぜ?
哀れむような目つきでNは大袈裟にため息をつく。
感じろよ。いままで考えてた夏はどうなった? 何か起こりそうと思ってた夏は。考えてたら見送るだけでしょう?
たしかに。もうそういうのはさんざんやってきた。何か起こりそうって感じた瞬間に、自分でガッとつかまえて、たぐり寄せないと、結局いつも同じ。
そう、ガッと。Nは手を熊手のような形に広げて突き出してきた。
その手首をガッとつかむ。もう片方の手でビール瓶を持ってNのグラスに注ぐ。
島の夜は出かける場所もなく、早く寝るしかなかった。部屋の電気を消すと、夜が本当に真っ暗なところに来るのは久しぶりだと気づいた。Nの髪は潮風に吹かれたせいか少しパサパサしていて、洗いたてのシャンプーの匂いがした。肌が触れあうたびに、日焼けの痛みでお互いに悲鳴を上げながらゲラゲラ笑った。
明け方に目が覚めるとほんとうに静かで、東京では知らないうちに騒音を気にしないで生きるようになっていたのだと気づいた。島に来てよかったと思った。シーツからのぞくNの寝顔は普段よりもずっと子どもっぽく見えた。日に焼けた足首には糸みたいに細い金のアンクレットをつけていることにはじめて気づいた。その瞬間、なんだか急に気恥ずかしくなった。
東京に戻ってからもNとは互いの部屋を行き来するような関係を続けたが、大喧嘩をして別れてしまった。もう気軽に沖縄へ行けるような状況ではなくなってしまったが、去年の今頃のことを思い出して曇り空を見ている。また夏が来る。
もっと、大袈裟にいうと、日本対西洋の関係が駄目だから働かないのだ。
第一、日本ほど借金を拵らえて、貧乏震いをしている国はありゃしない。
この借金が君、何時になったら返せると思うか。 そりゃ外債位は返せるだろう。
けれとも、そればかりが借金じゃありゃしない。 日本は西洋から借金でもしなければ、到底立ち行かない国だ。
それでいて、一等国を以て任じている。 そうして、無理にも一等国の仲間入をしようとする。
だから、あらゆる方面に向って、奥行を削って、一等国だけの間口を張っちまった。 なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。
牛と競争をする蛙と同じ事で、もう君、腹が裂けるよ。 その影響はみんな我々個人の上に反射しているから見給え。
こう西洋の圧迫を受けている国民は、 頭に余裕がないから、碌な仕事は出来ない。
悉く切り詰めた教育で、そうして眼の廻るほどこき使われるから、 揃って神経衰弱になっちまう。
話をして見給え大抵は馬鹿だから。 自分の事と、自分の今日の、 ただ今の事より外に、何も考えてやしない。
考えられないほと疲労しているんだから仕方がない。 精神の困憊と、身体の衰弱とは不幸にして伴なっている。
のみならず、道徳の敗退も一所に来ている。 日本国中どこを見渡したって、輝いてる断面は一寸四方もないじゃないか。 悉く暗黒だ。
最近20になったので20になりかけ(?)ていた頃からなったときくらいまでで気づいたことをまとめたやつ
酸っぱい食べ物がすきになり始めてる
目覚めたその時眠くても起きてたらだんだん目が覚めてくるんだ
ぬくいお茶がすきになった
いろんなことの方法を知って、だんだん生きやすくなって、諦めがつく これはちょっと恐ろしいことだ
大きい声を出したり、大袈裟なリアクションをしたりするとき、無理してることに気づいちゃう もっと自然にできてたのに それが恐れからくる行為だとわかってしまったからだ
人への拒絶感がだんだん薄れて、許せるようになる 自分は許せない でも丸くなってる
行きたいところに行って、聞きたい曲を聞いて、すきなものを食べていると自分の輪郭は何故かよりあやふやになる
世界には素晴らしく美しいものやかっこいいものがたくさんあって、わたしはそれではないのかもけれど、そういうのは絶望することではないかも
だいじなことは今全部気づくことができない
人と人との間には緩やかに愛が流れていて それでいろんなことがなんとかなってる
仕事辞めたい
3月まで関西に住んでいて、4月から同棲を機に関東へ移り住んだ。
人間関係というか、上司と客に関西出身であることを否定されることがとても多い。
実際私も悪いところが沢山あると思う。
郷に入っては郷に従えと言うように、私が慣れるべきなんだろう。
でも辛いもんは辛い。今年で社会人3年目になるが、今までの2年を貶され、方言や話し振りで文句を言われる。
自分でも大袈裟だと思うんだけど、仕事に行きたくなさ過ぎて涙が出るし、夜ぐっすり眠れないし(これは単純に同居人と寝ているからかも)、仕事中は左耳が水が詰まったみたいに聞こえづらくなる。
同居人に仕事を辞めたいことを伝えると、次決まるまでは続けるべきだと言われる。
引越しで貯金の殆どは無くなってしまったし、収入がなくなってしまう不安はあるが、それ以上に今の職場へ行きたくない。
私がわがまますぎなんだろうな。
私は故郷も友達も関西に置いて関東に来たのに、頼れるのは同居人しかいないのに、どうしてこんな時そんなに辛いのなら辞めろって、少しなら養ってやる!って言ってくれないのって余計に落ち込んでしまう。
あてもなく飛び出して飲み明かしたくなる。