はてなキーワード: 分不相応とは
俺は地方で小さな会社を経営しているおっさんなんだが、年に1度か2度、東京に長めの出張をすることがあって、その時に向こうのかわいい子達と遊ぶのを趣味にしている。
昔は風俗だったが最近はパパ活も増えてきた。アプリなら若くてかわいい子を写真だけでなく職業や身長、趣味なども踏まえて選び放題なんだから便利な時代になったもんだ。
とにかく病気をもらう。少し遊んだだけで一瞬で病気になるから、体感では女子大生の10人に一人が性病持ちなんじゃないかと思うほどに蔓延している。
もちろんこれは長年女遊びをしている俺の個人的な感覚でしかないが、いくらなんでも昔はここまでじゃなかったはずだ。
去年は3月に5人ほどと遊んで、うち二人とは生でやったが速攻で複数の病気をもらい、二度とゴムなしではすまいと心に誓った。
だが、先月出会った子が性癖にぶっ刺さりすぎてあっさりその誓いを破ってしまった。そしてまた速攻で複数の病気をもらうことになった。
当たり前のことなんだが、特に顔がいいわけでもない40の男と生でやることを許す女は、100%の確率で他の誰とでも生でしている。
それで金銭を得ることが常習化している女が病気を持っていないはずがないと普通に考えればわかるのだが、残念なことに性欲に支配された男の脳はそういう処理ができるようには作られていない。
とはいえ、こんな調子で年に何度も抗生物質を飲み続けていたらあっという間に命が尽きてしまうから、今度こそ本当に危険な遊びをするのは卒業することにしたい。
ところで、せっかくだからなぜこんなにも性病が蔓延してそうなのかという背景を俺の体験を通していくつか考えてみたい。
これが最も多くの人が考えつくわかりやすい理由だろう。ガールズバーやキャバクラなどに勤めていた女がパパ活に大挙して流れたのは事実だし、それ以外の普通の飲食店などで働いていた子も休業を期にアプリを入れたという例は少なくなさそうだった。
・ピルが普及した
生でセックスをした場合、男は病気をもらうかもしれないだけだが、女には妊娠という巨大なリスクが伴なう。しかし、若い女がカジュアルにピルを飲む世界観になってきたので、避妊さえできてればオッケーオッケーというノリで生を許している女がかなり増えたのではないかと思う。
・親世代の余裕の減少
俺が学生の頃は学費と家賃に加えて仕送りで生活費まで面倒を見てもらっていて、これが結構当たり前だったと思うのだが、今の親世代にそれをする余裕はなくなってきているだろう。
パパ活をするのはブランドバッグが欲しい女だけだと思うかもしれないが、学費や生活費のために切実にやっている子もかなりいる事実は知っておきたい。
なぜアプリを始めたのかと聞いた時に友達もやっていたからという理由が非常に多い。昔援交今パパ活、要するに金で体を売っているのだから風俗と何ら変わりのない売春行為なのだが、テレビで度々特集が組まれたりSNSではパパ活女子の集団が形成されていたりと情報源も多様になってきたため、そこに踏み込む心理的なハードルが下がって来ているのだろうと思う。
・SNSの影響
俺が実際に出会ったある女子大生は、片親で家に余裕はない、普段はバイトをやっているルックスも普通の至ってどこにでもいる女だったが、ひょんなことからインスタのアカウント名が割れてしまって覗いたところ、本人とは似ても似つかない加工美女が、他のパパと行ったのであろう高級料理店の写真やブランド品の包みなどをアップしていて、まさしく闇としか形容しようのない虚構がそこには広がっていた。
別人レベルの加工や虚言に近い盛りの飛び交うSNSに刺激されて、分不相応な金を求めてしまう若い女が出てくるのは仕方のないことだろう。
逆に言えば、若いのに頻繁に良い店や買い物の写真などを上げている女は、私はパパ活をやっていますと言っているようなものだから気をつけた方が良い。
ざっと思いつくだけでこれくらいだが、どれか一つということではなくこれらが複合的に噛み合った結果の現状であり、まさしく時代が生み出した病理と言えるのではないかと思う。
男は性病になると痛みがあったりするので比較的気付きやすいが、女の場合は自覚症状がなく長期間治療されずに放置されるケースも多いと聞く。
しかしそれが不妊の原因になるらしいから、このまま放っておくと将来の少子化の加速の一因になりかねないのではないかと思う。
といっても、性病のことなんて誰も表立って議論できないから特に対策も行われずますます蔓延していく未来しか見えないのだが、一応現場からはこういう見え方をしているという声だけは上げておこうと思って筆を執った。
これを見た諸兄は俺みたいな薬漬けになりたくなかったら大人しくゴムを付けるべきだし、一度でも怪しい相手とセックスした女はちゃんと検査に行った方が良い。
近年多様性の重要性を説く人々が少なからずいる。その中には所謂マイノリティや女性に配慮することを求める者も少なくない。配慮の方法についても様々なものがあるが、女性比率を○○%にするといった形を採ることがある。
所謂多様性の重要性を説く方々は、多様性自体が良い結果をもたらすかのように考えているようだか、そんなに単純な話なのだろうか。
もし多様性が全ての問題を解決するような因子であるならば、誰もが取り入れるに違いない。
だが、そうはなっていない。
本来はどの様な場合でも、ある行為を行う上で最も適した人間が配置されるべきであり、その過程においてより健全な競争というものが求められるべきだと考える。
その結果、属性の偏りがあろうと何の問題もない。それが老いた男性でも、若い女性でも、マイノリティであってもだ。
その様な実力主義という文脈の上では、属性を理由に排除することはないだろう。排除するべき理由としては能力がないからだ。
見せかけだけの多様性に配慮し、実力がない人間を分不相応な地位に就かせることの方が問題であると思う。
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この場において健全な競争環境と何かについては述べてはいない。それはより実力主義に重点をおいたためである。また能力主義との違いは何かと問われると、明確な違いを指し示すのは難しい。
個人的には、現在の“教育による格差の再生産”を和らげ、階級上昇の機会に富んだ社会を健全な競争環境と考えている。
その目的を達成するための手段としては、公教育のさらなる拡充と科挙的な試験の実施等が考えられ、それらがより(現在との比較的として)公正で公平な競争環境を創るのではないだろうか。
母が脳腫瘍に倒れた。父は警備のアルバイトを辞めて、母の看病というか、介護に尽くすつもりらしい。がん保険にも入っておらず、両親とも大した貯蓄もない。
彼らを眺めていて気になるのは、この世代の備えるチカラの無さだ。車椅子のことすら想像していない階段だらけの家、ローンははおろか、車検代、消耗品代、ひいては燃料代さえ払えるか疑問なハイオク車。
自分の家庭だけかと思っていたが、両親が怪しくなってから注意するようになってみると、何処の家庭にもある。これらは高度経済成長期からバブル景気の頃に社会人を経験した世代の負の遺産だ。
とうぜん彼らが健康を損ねれば、それを支えるのはその子ども達だ。
彼らは、自分が未来永劫健康で、最期の瞬間まで矍鑠(かくしゃく)と生活できるものと信じている。
だから、車のローンを子供が肩代わりするだとか、通院の毎に子供が仕事を休んで階段の上り下りを補助するだとか言った将来をまったく想像していない。
彼らのような世代を生んだのは、高度経済成長、そして退職前に味わったバブル経済の雰囲気にほかならない。
当時は高卒ですら入社して一年目から賃金が支給され、驚くことに賞与まで支給される者もいたらしい。
その後も常に右肩上がりの経済を経験、かれらの両親は常に健康で、ある日突然に亡くなり、退職金だけで住宅ローンの相当量の返済が終わっていたのだ。
あなた方のような世代、つまり借金まみれで大学院を修了して、ようやく職に就き、そこから耐えること2年目頃にやっと賃金の支給が始まり、博士号がなければ賞与はなし、博士号があれば今度は職がなし、退職金など夢のまた夢の人々からすれば、団塊世代は正に黄金世代であった。
当然、このような時代を過ごした団塊世代に、将来に備えるという習慣などない。更に運の悪いことに、彼らの過ごした時代は女性の社会進出もどきが進み、企業が女性をどう扱っていいかわからないまま雇入れ、もてあそんだ時期に当たる。
企業は若い女性にどのように働かせてよいか解らず、簡素な仕事を割り当てて男性に比肩する賃金を払い続けた。しかし、女性は重責を負う立場まで昇進することなく家庭に入る。
すると彼女らは、世間の男性も自分たちと同じように、お茶くみや領収書の検算、社内郵便係をして一日過ごしていると勘違いし始める。このなまじ中途半端に働いていた団塊世代の女性は、たちが悪い。
家庭に入った元・社会人もどきの女性たちは、自分が世間並みの苦労をしてきたと勘違いしたまま、家計を握る。暴君の誕生だ。
彼女らは、夫が健康に稼ぎ続け、夫は大した苦労もなく稼いでると思い込み、65歳を超えても同じ待遇で再就職すると信じ込んで、夫の僅かな稼ぎを使い込む。
挙げ句に海外旅行、高額な(自称)無農薬・有機野菜の通販、階段だらけのうさぎ小屋、年をとったら使いこなせない分不相応な高級乗用車……次々と浪費をし続ける。
底辺層の裾野が広くて分厚いから全体のヒエラルキーが随分と底上げされて、
上から10%と言わず半分強くらいまでの人間が分不相応に豊かな暮らしを享受してるのが東京。
欧米だと移民に底辺層のロールをまるっきり押しつけてるんだから、日本の方が道義的には幾分かマシだけど。
冷房のキンキンに効いた自室でコーヒーを飲みながら、キーボードを叩くだけの仕事が成り立つのは底辺層のおかげ。
底辺の建てた家に住み、底辺の作ったエアコンを酷使、底辺が作ったPCで、底辺が敷いてくれた光回線でネットを利用し、
共感性が低い、なんらかの知的または社会性に欠陥があって問題を起こしてるように見える
で、そういう人間が心理学勉強してメンタリストと名乗ってるわけだけど、正直にいうと彼は人と共同生活・集団生活ができないタイプの個体に見える
メンタリストという仕事も、本筋で言えば彼にはあまり向いてないと思う
彼が生きていくために不便にならないよう心理学というノウハウを身につけて自分に不利益が出ないように活用していくレベルにしておくのがちょうどよかった
たくさんの人の目を受けて生きていくには本人の資質・欠陥が足を引っ張っていくのが判明したようなものだ
もっと人と関わらない、人と話さなくて済むような仕事を本職にした方が良いのでは
欠陥がある人間が分不相応なポジションにいて、常人ならしないような不用意な発言を欠陥性ゆえにして炎上するのを見るのは悲しい