はてなキーワード: 優越とは
ミソジニーとかミサンドリーとかインセルとかホモソーシャルとかゾーニングとかマンスプレイニングとかジェンダーロールとかマーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーージでやめろ
用語の使い方に脳のリソース割いてる間にそれっぽいこと言って相手押し潰して喋らなくしようみたいな魂胆でやってんのか
それともやっぱこういう意識高いっぽいことに傾倒する奴ってある種の選民思想的なもんあったりするし、目覚めた私のありがたいお言葉ぞって感じで難しい言葉をついつい使ってしまうのか
ともかくやめろ
本当にやめろ
すいませんやめてください
勘弁してください
本当に何言ってるんかわからないんです
妻だって望んで生理を迎えているわけではないことは理解しているが、PMSに伴うイライラをぶつけられるのにどうしても慣れない。
うちには3歳の息子がいるのだが、絶賛イヤイヤ期でちょっと前は俺にだけ反抗して妻の言うことはよく聞いていたのだが、最近は妻の言うことにも反抗するようになり、妻はそのことがショックなこともあり、そこにPMSも重なって非常に扱いがデリケートな存在となっている。(我が家は共働きなので、家事育児は平等に負担しているが、それでも息子は妻の方が大好きで妻の言うことはちゃんと聞く、というのが妻としては俺に対する優越感でもあった。)
PMS期間中は俺が家事をしていると息子の面倒を見ろというが、妻はPMSの影響でほぼ家事をできないので、結局俺が隙を見て家事をする。すると、息子は手が空いている妻のところにいき、ふとした拍子に癇癪を起し、妻が俺に家事ばっかりしてないで息子の面倒を見ろと言ってくる・・・の繰り返し。
息子と妻のご機嫌を伺いつつ、家事をこなす俺のフォローは誰もしてくれないことにもう疲れてしまった。どうすればこの負のサイクルから抜け出せるのだろうか。。。毎月1週間はこれが発生するので正直かなりしんどい。。。
一度ぐらい誰か好きな人とお付き合いして
そう、そこなんだよ
誰かに何かをもらいたいとは思ったことがあるけど誰かに何かをあげたいとは思ったことがない
というかかなりお気に入りの人間じゃない限り何してやればいいのかわかんないしなーんにもしてやりたくなくて
一応好きだと言ってくれた人にも何もしなかったし何もあげなかったし手酷く傷つけてお別れしてしまった
だから迷惑がられたって困惑されたって何でもするわって言ったけど何もさせてくれなかった
さすがに据え膳になる勇気はなかったけどたとえそうしたってあの人は指一本触れなかったと思うだってそうする価値がブヨブヨ太って醜い私にはなかったから
でもやってみればよかったと思う 突然全然脱いで迫ってみればよかった 良く知らないけど男の人ならそうしたら食ってくれるかもしれないんでしょ?
もちろん当時からしっかりデブスだったけど女性から男性へのセクハラなんて概念はまだまだない頃だったから
愛されなくても良かったやり捨てで良かった辛すぎる人生のただ一度の良い思い出になってくれたかもしれないし反対に一生消えないトラウマになったかもしれないけどそれで良かった
それぐらい好きだった それぐらい特別だった でも全然手の届く人じゃなかった
かっこよかった 面白かった まるでこの世界の全てを知ってるみたいだった 優しかった 一緒にいるといつも楽しかった 色んなことを教えてくれた きめの細かい頬、すっと通った鼻筋、冷たい目 叶うことなら触れてみたかった 全然手が届かなかった 私のこと明らかに馬鹿にしてたね 優越感からくる優しさだったね それでもよかった 冬のエレベーター あなたの個性的ですてきなパーカー 冷たい空気 話した言葉 全て覚えている 今何をしているの?きっとあなたは世界のどこかで幸せでいるねどうか幸せでいてね 私は全然幸せじゃないけど
道路の左側を歩いていると、正面から歩いてくるくせに歩道の内側を歩こうとしてくるやつに本当に腹が立つ。
歩道の内側を歩かれるってことは、こちらは背後から車が来る側によけなくちゃならないってことだ。
歩道が広いならまだしも、どぶ板一枚くらいしか歩く幅がないのに正面から内側ギリギリを歩いてこられると「なんでお前の安全のためにこっちが危険な思いしなきゃならんのか」と本気で腹がたつ。
圧倒的な優越感とともに内側を譲ってやる。
それよりも、一番理解力がなきゃいけない社会人やら中年にそれをやられるのは許せなかった。
こっちだって屈強な人間ではないし、屈強だとしても車に勝てるわけがない。
そもそも左側通行の世界で、向かって右側を歩いていること自体が許せない。
そう思って、自分から避けるのをやめたら、携帯見ながら歩いてる女が勝手にぶつかってくるようになった。
この前なんかは、女子中学生が3人、しかも横並びになってこちらから見て左側を歩いてきたので、真正面だけを見てまっすぐに歩いていくことにした。
直前まで避ける素振りも見せなかったけど、流石にギリギリのところで友達同士引っ張り合うように避けて、過ぎた後に舌打ちをされた。
振り返ってひっぱたいてやろうかと思ったけど、それは流石に弱者に対する暴力がすぎるのでやめてやった。
許してやったんだよ。悪いのはお前らなのに。
他にも許せないのは、側道から出てくるくせに止まりもしないでこちらの直進を遮るやつ。
車だったら10:0。
大して歩くのが早いわけでもなく、追い抜かすときにまたこっちに車道側に膨らませて危険を押し付けてくる。
かといって追い抜かさないでいると、普段は「男性の視線が気になる-」とか言ってる割に、自分から割り込んできて汚えケツをプリプリさせてるのが更に怒りを助長する。
こいつらも避けるのやめたらぶつかってくるようになった。
自転車とか電動キックボードとかより前に、徒歩で歩くときですら常識が欠落してるんだから、こんなの痛い目にあって学ぶ以外なくない?
これでぶつかり男認定されて批判されるのだけは全く納得できない。
Vtuberやってて一応R18用のイラストタグも用意してるんだけど
イチャラブ系のイラストはふーん、こういうことしたいんだなぁって思えるんだけど
凌辱系、暴力系とかだと、え、こんなことしたいの?ってなっちゃう
ちょっとえっちなガワをつけてやっている以上、性的に見られることに関しては
なんなら性的に見てもらえることに対して優越感というか承認欲求が満たされる部分はあるんだけど、
自分に対する暴力衝動みたいなものをドカンと視覚的に見せられるとさすがにギョッとしてしまう
こういう自分に対する暴力衝動を目の当たりにする機会ってほとんどないんだなぁ
って改めて思わされる
自己肯定感上がるとかストレス緩和するとか心の支えとかそういう噂あるじゃん
そういう話
存在してるだけではだめ
仕事が死ぬほど疲れるので、これに心配が上乗せされるとイライラはする
収支がどっちに傾くかは関係値次第な気がする
なんとなく「生きててよかったな」と言う感じはする
特におっさんになると「そのままでいい」「今のままがいい」「変わらないでほしい」なんてお世辞でも言われないから、不思議な気分
あと、相手の自己肯定感を上げられることによる自己肯定感の向上を感じた
わかる?今相手にとって自分は一番自己肯定感を上げられる存在なんだって
「男にこんなこと言われて嫌だった」みたいな話されるけど
それ俺がやっても別に嫌がらないよね??ってなるから頭がバグる
この好き好きモードがある日突然無くなったら俺もそのルール内に入るってことだよね?
気をつけなきゃ
自由で居てほしい
でも相手は束縛してほしいらしいので難しい
だいたいサッカー部上がりの自称細マッチョのガリが言います。マッチョや本当の細マッチョはチンニングしている人の体型も回数も興味ないですしアドバイスもしません(トレーナーじゃないので人にあったアドバイスとか無理)
でも世の中の人がジム行きたくない理由はこんなこと言われると思ってるからだと思うし実際に言う人は居ます。
まず何故いうのかですが自分より下を見つけたいからです。言う奴はジムカーストの底辺です。デッドリフトもスクワットも雑魚、アームカールも満足に出来ず有酸素と言って走るだけでメインは風呂とサウナのユーザーです。そして別に興味を持っていない多くのマッチョに引け目を感じ、新規入会しこれから頑張ろうとしている貴方を馬鹿にして優越感を演じているだけです。
対処法は二つ、一つはやり続けること。トレーナー付けて続ければ2か月でそいつ抜きます。そしたら言われなくなります。彼らの強みはサウナで整うことくらいなので引き締まったあなたを見て何も言いません。でも2か月馬鹿にされるのは辛いという人も居ます。その場合は自宅で準備をしてから入会しましょう。彼らは明らかなデブにだけ攻撃するので食事制限とウォーキングを2か月続けてそれなりに痩せた場合は何も言いません。あとは1か月続けて引き締まれば彼らはサウナに引きこもります。
いやマッチョも馬鹿にするじゃんと言うかもしれませんが、その場合ジムを確認してください。ゴールドジムとか個人経営のジムの場合はマッチョがより追い込みたい場所なので自然と性悪マッチョも集まります。コナミとかそっち方面にはそういったのは居ないので安心してください。何度も言いますが馬鹿にするやつは口だけなので黙々とこなせば一瞬で追い抜きます。頑張って
買出しに行く途中
何時もは人通りが少ない土手に人が集まる
屋台の組み立てに忙しそうな人たち
軒下で楽しそうに焼きそばを作っている人
出入りが多すぎて渋滞する道
何もかも鬱陶しい…
みんな夏を満喫しているのだろう
どうせ自分は夏も楽しく過ごせない損した人間ですよ、と隣街まで足を延ばす
そして用事を済ませた頃には
大雨だった
屋台の中にぎゅうぎゅう詰めになった人たちはきっとこの蒸し暑い中身動きが取れないだろう
焼きそばを焼いていた人は鉄板一杯に作った焼きそばが今日明日の食卓に並ぶだろう
楽しそうな学生グループやがカップルもこの大雨で立ち往生して嫌な思い出として脳裏に刻まれるだろう
テントを広げていたグループも肩をすぼめて酒を飲んでいることだろう
そんな思いを横目に颯爽と自宅に戻る
クーラーが効いた部屋で、50%OFFのステーキとお酒とデザートのアイスをたべるこのひととき
ああ何という優越感!
今年の夏がちょっと好きになったよ!
何者病は、自分は他の誰かしらが知ってることしかしらないことに対する不安や不満に通じるものがあるように感じる。
図書館にある本は一番高度なものでも学部生の教材扱いされるレベルのものしかない。図書館にいくら通い詰めてもせいぜい博士課程終了直後のひよっこ研究者レベルの知見かそれすら得られない。かと言ってネットも、ネットで真実といわれるように図書館以下の情報しかないだろう。
そんな中で大学や機関の研究者以外の人間はどうやって他人の誰もが知らない知識に到達すればいいのか。
もちろんここでいう知識というのは小学生でもできるような新種を発見したとか、どっかの誰かの下着の色みたいな一問一答的な知識事項を言っているのではない。
既存の理論や定理を駆使して相当の知性をもってしなければ発見あるいは証明できないようなことを言っている。
しかし研究者以外の人間がいくら頑張ってあることを新たに示した気になってもすぐ車輪の再発明ではないかと不安に駆られることになるだろう。
学ぶモチベーションとは何かと言えば、誰も知らないかつ半端な知性では辿り着けないような科学的事実に到達することだと思う。そんでもって知ったことを他の研究者のように論文に発表するということはしないことで、知見を独占している優越感、それがアイデンティティにもつながって動機になっていると思う。
どんなに学んでも誰かが知ってることしか知ることしか知らずどまりになるなら、学ぶ意味なんて見出せないのだ。一番とれなきゃアスリートになる意味ないってのと同じ思考と言えばわかりやすいか。学問においてもそうでないと時間を無駄にしてるだけのようで虚しくしか感じない
恋人とか他人への優越感とか成果だけが空から降ってこないのを嘆いてるインターネットはカスすぎる
弱者の定義=生きづらさなら本を読むだけじゃないあらゆる意味での学びや経験を積んで克服するしないと何も変わらないのは自明だが
遺伝的選別についての評価は、文脈や目的によって異なる場合があります。暴力や差別を目的としない遺伝的選別は、倫理的に受け入れられる可能性がある一方で、慎重な考慮と透明性が求められます。以下にいくつかのポイントを考えてみましょう。
総合的に、暴力や差別を目的としない遺伝的選別は、医療的な進歩や健康の改善に寄与する可能性がありますが、倫理的な原則や社会的な影響を考慮しながら行われるべきです。透明性と個体の尊重が重要なポイントとなります。