はてなキーワード: レッテルとは
障害者の方がヘイトスピーチに対抗しようとしたことは、勇気があると思います。
しかし、そのようなサイトに関わることは、自分の心にも悪影響を及ぼす可能性が高いと思います。
ヘイトスピーチをする人たちは、自分の不満や劣等感を他人にぶつけるだけで、理性的な議論には応じません。
そのため、彼らに対して論理的に反論しても、無駄な労力になるだけでなく、自分の感情や価値観にも傷をつけられるかもしれません。
日記の最後に書かれた引用語録は、このサイトで見かけた発言だと思いますが、その中には非常に差別的で攻撃的な言葉が多く含まれています。
これらの言葉は、知性や学歴や社会的地位などを基準にして、他人を見下したり侮辱したりするもので、発言者の偏見や無知や傲慢さを表しており、発言者自身の人格や品位を低下させていると思います。
自分の尊厳や自信を傷つけるだけでなく、人間性や多様性への理解や尊重を失う危険性があります。
例えば、知識や学問があっても、それを正しく使えない人もいれば、教養があっても、それを他人に押し付ける人もいます。
また、社会的に有利な立場にいても、それを悪用する人もいれば、不利な立場にいても、それを乗り越える人もいます。
インテリという言葉は、他人と自分を比べたり区別したりするための便利なレッテルであって、本質的な価値や能力を測るものではないと思います。
このサイトから離れることを決めたようですが、正しい選択だと思います。
このサイトは、自分の心や人生に良い影響を与えるものではなく、逆に悪化させる可能性が高いと思います。
自分の障害や環境に負けずに、自分の幸せや目標を追求することを応援します。自分の価値や能力を他人の言葉やレッテルで決められないことを願います。自分の感情や価値観を大切にすることを勧めます。人間性や多様性への理解や尊重を持ち続けることを期待します。
人がいれば男も女もゴミみたいなやつは居たが
同じ内容を指摘しようとしたら、既にしてくれている増田がいた。
これ、本当にひどい状況だよ。
田村議員がこれまで、どれだけ埼玉県のリベラル政策の浸透に尽力してきたか分かっているんだろうか。
欧米の、G7の、人権分野の進んだ制度、日本が遅れている分野の制度の必要性を訴えてきた。
「LGBTQ理解増進法」が議論となる中、神社本庁の関連団体が統一地方選候補者に“公約書” 受け取った議員は…【news23】
Q.一番同意できない部分を教えてください
「こういったことを、神道を司る神職の団体が送ってくること自体が、もう神道をないがしろにしてるんじゃないかな、という思いが一番強いです。特にですね、選択的夫婦別姓や、LGBTQの問題に関して、理解がすごく足りないな、というふうに感じてます。選択的夫婦別姓を求めてる方も、LGBTQの方も、日本国民なので、この人たちはを何でないがしろにできるのか、非常に私はわからない」
神道などの宗教団体が介入してくる動きを、リベラルとして食い止めようとしてきたんだよ。
アメリカでも、宗教保守が家父長的価値観でマイノリティを攻撃してくるから、民主党系のリーダーが徹底的に戦う姿勢を見せる。
まさに同じ。
アメリカでの田村さんのスタンスは、オカシオ=コルテス議員やカマラ・ハリス議員に近い。
上の記事でも言われているけど、LGBTQに関する法律がないのはG7で日本だけ。
他の人権に関わる分野では、児童を守る法律や夫婦別姓などもG7で日本だけが遅れている。
こうした動きは、地方議員にも起こっていた。埼玉県議で自民党県議団の幹事長、田村琢実議員だ。
田村議員は、かつて日本会議に所属しており、当時は保守政治を進めるためには、選択的夫婦別姓やLGBTの権利保護を推進する必要性はないと感じていたという。しかし、当事者の声を聞いたことをきっかけに、法律や制度上困っている人たちがいることを知り、勉強会を立ち上げたという。そして2022年に埼玉県議会で制定された「埼玉県性の多様性を尊重した社会づくり条例」に関わった。性的マイノリティーの人の差別を禁止する、差別禁止条例だ。
条例案制定の直前ぐらいから、条例制定の中心的人物だった田村議員に関する批判的な記事が、保守系雑誌や日本会議の機関紙に掲載されるようになったという。地元の右翼団体に街宣活動をされたほか、批判する記事のコピーが選挙区の全戸に配られたという。「『LGBTQと夫婦別姓に賛成する田村は立憲に行け』『自民党から出ていけ』といった内容でした」
誰が、どんな団体が中心となってやっているかは分からなかったという。「僕の想像ですが、(条例の主旨や夫婦別姓に)反対する団体が、お金を出していたのではないかと思います」
田村議員は、性的マイノリティー差別の問題を解決することは、これからの日本の成長にとって大切なことだという。
「戦後の経済成長期からこれまで、日本は多様性をなおざりにし、経済優先でやってきました。それが『失われた30年』、そして日本の衰退につながっています。多様性や、一人ひとりの能力を生かすことに目を向けてこなかったために、今の日本では新しい発想が生まれず、人も生かし切れていない。そこに目を向けないと、日本の発展はないと思います」
夫婦別姓、LGBT法などの欧米の制度を採り入れようと尽力してきたんだよ。
それで、今回はG7・アメリカンスタイルで、田村議員は夫婦別姓、LGBT法の流れで、欧米主要先進国の進んだ取り組みとして児童の人権を最優先で守る法律も埼玉県に根付かせようとしたわけ。
完全に逆。
宗教保守と徹底的に戦うリベラルな立場の議員が、LGBT法と同様に、G7で唯一遅れていて児童を一日中ほったらかしにしている日本の状況を改善しようとしたわけだ。
田村団長は内容について「瑕疵はなかった」と正当化した上で、登下校に防犯ブザーを持たせるなど各家庭で安全に配慮していれば放置にならず「心配の声のほとんどは虐待に当たらない」と従来と異なる見解を示した。既に条例で規定する「安全配慮義務」が果たされていれば虐待に当たらないとした。これまで説明しなかったのは「安全配慮義務は大前提で当たり前すぎた」と釈明した。改正案を再提出するかどうかは「ゼロベースで全く何も考えていない」と答えた。
そりゃそうだよ。
田村団長の考え方はG7では何ら不思議ではないんだから、その内容自体に疑問は持たないはずだよ。
はてなの皆さんも、G7で導入されている夫婦別姓やLGBT法に疑問を持つ人がいたらおかしいと思うでしょ?
欧米主要国では導入されている仕組みなのに、日本で反対の声が高まったらどう感じる?
内容は正しいけど、正しさが日本の有権者にうまく伝わっていないと考えるよね。
ところで、田村議員と敵対する保守系グループが、今回の条例案取り下げで狂喜乱舞する姿もXで見られるよ。
田村議員の「欧米由来のリベラルな政治」を止められたから喜んでいる右派がたくさんいる。
それをなんだ、なんだこの仕打ちはよ。
埼玉県民が怒った!「留守番禁止」条例案、異例の取り下げへ 何が問題だったのか:東京新聞 TOKYO Web
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/282874
田村琢実はモラロジー・親学・新しい歴史教科書をつくる会と強いつながりがある日本教育再生機構の委員。モラロジー・親学・つくる会の重鎮髙橋史朗は統一教会と強いつながりがある。
誰にどういう評価をしているのか、分かっているのかな。
埼玉県にG7の進んだ動きを取り入れる議員に保守派のレッテルを貼り、背後から撃とうとする。
田村議員の歩みを止めたら、どこのグループがほくそ笑む結果になるのか理解して言っているんだろうか。
ご自身が日頃から憎しみを抱く本当の敵に、塩を送ってしまっている方もいる。
今、田村団長を突き放すと、「○○をやっていないのはG7の中で日本だけ」という強力なエビデンスの武器も失うかもしれないんだよ。
顔真っ赤にしてなにいってるのかわからんが、自認というなら「わいリベラル」っていったやつに直接いってやってくれ。
俺は何一つ自認したおぼえがない。自民党員でもない。
ただ無意味にレッテルばらまいて検索性すらなくして敵の所在を不明にして罵倒芸してるつもりらしい馬鹿な増田にむかって、
おまえは馬鹿だ、といってるだけ。
一般的な「男性」が言うところの「痴漢冤罪がー」とか言うのは、女性差別の恐ろしさと比較するにはナンセンスだし、対抗言説として持ち出すにはあまりにもアンフェアだよね。
一方で、「ゲイ男性」や「黒人男性」、「オタク男性」といった人々にとって「犯罪者のレッテルを貼られる」ことはもっとシリアスに捉えざるを得ない複雑な事情・複雑な歴史がある。
女性も含めた「オタク」が、ただその趣味・嗜好によるものだけを理由に、手錠をかけられて牢屋へ入れられ、前科を与えられるということが、被害妄想でも何でもなく実際に起きている。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%96%87%E9%A4%A8%E8%A3%81%E5%88%A4
https://wired.jp/2012/03/19/manga-is-not-a-crime/
https://buzzap.jp/news/20140423-yaoi-arrested/
https://afee.jp/2015/12/21/6917/
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/15622038/
https://gigazine.net/news/20201030-australia-banned-japanese-hentai/
インターセクショナリティの議論で言われる、「差別は掛け算じゃない」というのはそういうこと。
単純な男女論じゃないんだよね。
故・石原元都知事は、エロ漫画読者を「DNAの狂った変態」と言い、同性愛者を「どこか足りない。遺伝とかのせい」と言った。
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm13086242
https://www.hrw.org/ja/news/2011/02/01/241674
私は多感な思春期にそれを見ていたから覚えている。フィクトセクシュアルという言葉は知らなかったが、「3次元には興味がない」という自認が確立してきた頃だ。
それらの発言は同じ文脈の同じ意識から生まれた差別発言であると、多くの人がうっすら理解していたはずだと思う。少なくとも当時は。
ずっとなんのことやらわからなかったけど2年くらい増田見ててわかってきたのは
「無神経な形で古くからある問題に首をつっこむ非当事者」っていいたいらしいなってこと。
じゃあ「無神経な形で古くからある問題に首をつっこむ非当事者」っていえばいいんじゃないかなあ。
リベラル(こちらは増田でカジュアルにつかわれてるほうではなくhttps://www.amazon.co.jp/dp/4121026217 にあるような本来的な意味)にしろ、
野次馬的な行動を取る人も取らない人もいるわけだ。
あなたはリベラルですかとたずねられて自信をもってハイといえる増田はおそらくいないし罵倒語のつもりでつかってもきょとん、どこにむかって弾撃ってんの?ってなるだけだ。
ならばと一歩内部にたちいってどちらが合理的であり野次馬でないかを判定しようとしても
そういうタマネギ的レイヤー層の深さをもつ問題が(たとえばジャニーズ問題とかのように)
現世ではたくさんでてるわけだ。
どちらが野次馬であるかは事後的に決定されるのだから神でも即時判定はできない。
というわけで一層外側の知識しかなさそうという理由でキライな増田を自分勝手にリベラルと命名することに意味はないよ。
「おまえのいうことは乱暴だ。おそらく俺より一歩外の知識層にしか到達していないようにみえるが野次馬認定していいのか?」
これならまだ議論が成り立つだろうと思う。
ウヨサヨにも飽きたんだろうけど新しく誤ったレッテルつくって貼るなよ。
まあでもあれだな、中国ヘイハイズあたりの(現代日本人とは常識の違う)人からみたら「リベラル」は死罪に値するというのが常識なのかね。
彼女が何を推して何を救われようが「道徳的ではない」というレッテルを貼られた以上はファンも共犯者として一緒に燃やされるべきでしょ
少なくとも男性向けコンテンツは大昔から常にそういう圧力にさらされ続けてきたし、少なくない数が圧力に耐えられず潰されてきたわけで、ジャニーズだけが特例で免除される理由はないよね
その上で、次に推す対象は慎重に選びましょう
ジャニーズのタレントを元通りに応援出来るようになる日なんてもう来ないのに、静観してるつもりの一部のファンが言っちゃなんだがなんだか哀れに思える。そうやってレッテルの貼るのよくないのもよくはない、というか別に意味はないけど。
愛着を感じはしてもしょせん(ヤラカシとかじゃない限り)コミュニケーションもとれない他人でしかない存在に、なんの根拠もなく全幅の信頼をおけるのもよくわからない。理解したくても途中でつまづいてしまう。
タレントを盲信すること自体、タレントを人として尊重しているのとは違う態度だと思うけど、その態度を取る多くの人は、それが「アイドルを選んだ彼らを尊重する態度」であると思っていそう。信じることは脅すことと紙一重なのに。
が何を指しているのか30秒ほどわからなかった
ここでいう差別とは、セックスワーカーへの差別と増田が主張する感覚のことか
正直言うと、
セックスワーカー大好き男がセックスワーカーを増やすためあるいは他の目的(女叩き)のために、
「差別=悪いこと」というレッテルを無理やり張っているように見える。
いるよね、自分の気に入らない他者の感覚に悪いこととされている呼称をつければ正義になれるとおもってるやつ。
男性は「女の一部をセックスワーカーとしてぜひとも消費したい、しかしそのセックスワークに従事した女は堕ちたと見なし、自分の妻とすることは断固拒絶、
仮に同じコミュニティ内の男がかつて自分が肉体を他の男と”共有”した女を妻に迎えようものなら、そいつを一段下に見る」
なんだから
そう言われて次郎は育った。
褒め言葉ではない。
「いい人なんだけど、男としての魅力はないよね」
「いい人なんだけど、いい人止まりだよね」
周囲からの言葉を自らの課題として受け止めた次郎は周りの男をよく観察した。だが自分と彼らの間にどんな違いがあるのか、本当のところは理解することができていなかった。
誰も彼も自分と同じような思考回路を積み、見たものに対して同じような反応を示しているように見える。しかしそこに自分にはわからない、それゆえ小手先では埋められない決定的な違いがあるらしかった。
「いい人だよね」
そう言われる度、次郎は静かに傷つき、それを押し殺してきたが、青春時代を終えるまで、次郎はついぞこの決定的な違いを本心から理解することはできなかった。彼が住み慣れた都市を出て、縁もゆかりもない土地に移り住んだのは、何年かけても「いい人」以外にならない環境に倦み疲れたからかもしれなかった。
奇妙なことに、移り住んだ先では、次郎が「いい人」であることは好意を持って迎えられた。それまで没個性の象徴であったレッテルは、突如として「育ちの良さ」に化けた。それはその地域の男達との相対評価の産物でしかなかったかもしれないが、移住してそう経たずして嫁を迎えられるほどには良い評価をもたらしたのだった。
そのうち次郎は「いい人」であることに悩まなくなった。そして彼のことを「いい人止まり」と称した人々の気持ちも少しずつ理解できるようになった。
彼らは恐らく、大人の行き先が「いい人」であることに退屈を感じ、違う何かを欲して都市に出てきたのだ。それは都市で生まれ育った次郎には分からない感覚だった。そう次郎は考えるようになった。