はてなキーワード: クラスタとは
はてなを使っていると時々「あれ、この○○○って人、もしかして×××という人と同一人物?」と思う事がよくある。
「よくある」と言っても両手で数えられるぐらいしか無いと言えば無いのだけれど。
はてなではメイン・サブ併せて5つのアカウントを使い分けられるのだから別におかしな事では無いのだろうけど。
「何でわざわざそんな面倒な事してんの?」という疑問がわく程度に興味を引く。
「○○○は×××のサブアカです」とはっきり明示している人もいれば、IDで明らかに同一人物と推定できる人もいる(アナグラムになっていたりとか)
言及・反応する話題についてもカテゴリ(クラスタ?)で明確に使い分けている人はどちらかと言えば少数派。
大半の人がそれぞれのアカウントでの活動の分量がさほどあるわけでも無いので「いっそ1つに纏めた方がいいんじゃないの?」と思ったりもする。
気になるのが「○○○は×××のサブアカ」という事について言及する際の微妙な空気について、空気というか全力でスルー力というか抑止力というかコリオリ力が働くというか。
これは「メインアカウント-サブアカウントの紐付き情報は個人のプライバシー」という事から来ている変に微妙な圧力だという事は知っている。
だからってどうって事も無いのだ。「結局お前は何が言いたいのだ?」って言われる事も判っているのだ。つまりは
「あれ?この人どう見てもサブアカで自分のダイアリーのエントリに自分でスター付けてなくね?」
「わざわざ別アカウントでレスポンス返してなくね?それを皆承知した上でそのまま言及続いてなくね?」
「別アカ同士でフレンドになってなくね?」
といった突っ込みが全て内に秘められたままにしておかねばならぬ状況にモヤっとするという事だけなのだ。
本当に横なのだがw
追記しておくと
以外はよく読んでいないので、中学生増田が何を議論しているのか詳しくは知らないが、厳密に議論をすればこの箇所も「思うよ」と同じミスをしでかしている。
「こんな論法はどんな身分や集団に例えたって通らない」と言うなら、
「罪が明らかになっていないだけかもしれないからクラスタが正しいとは言えない」
という論法の方がよっぽど通らないよ。
アホか。
「罪が明らかになっていないだけかもしれないからクラスタが正しいとは言えない」
は論理的に完全に真だ。
そして話の焦点はそこではない。
まともな集団と言うものは
・誰が構成員かは事前に明確にしている
わかるな?
「同和だ」って言うのははっきり言って身分でパワーだ。
よく言えば相手にリスペクトと慎重さを要求する。
身も蓋もなく言えば相手を威圧する。
誰が「真」で誰が「エセ」なのかさっぱり明らかでなく
悪いことしてばれて逃げられなくなった奴が出たら「こいつはエセなので同和関係ありませーん」で切り離す。
それで「真」はまっとうな人間ですなんて言って、誰が取り合うかw
アホのために弁護士会でたとえてみようか。
弁護士会が、誰が弁護士なのかさっぱり明らかにせず、構成員が好き勝手やってて野放し、
たまに決定的にチョンボした奴を「ああこいつエセ弁護士ですから」で切り離すだけ、
そんで「引き続き弁護士に高い信頼と権限をヨロシク!」って言ってるようなもんだ。
そんな弁護士会だったら早晩誰も弁護士なんか相手にしなくなる。
その人の経歴、活動、人格を見れば、本物かどうかある程度の判断はできる。
ある程度はね。
勘で判断しろ!(キリッ)
って、自分が話にならないバカなこと言ってるのに気づけ、な。
更におかしいのは、なんで対応する側の人間が判断の負担を負わなきゃいけないんだってこと。
何か具体的な活動をしていて、人格的に問題なさそうで、
そして「罪が明るみに出て」いなければ、
本物認定でいいと思うよ。
話にならないw
長年いろんな物をしゃぶられて、我慢できなくなって訴えでて
相手の犯罪を確定させたら
話になんねえ、
「こんな論法はどんな身分や集団に例えたって通らない」と言うなら、
「罪が明らかになっていないだけかもしれないからクラスタが正しいとは言えない」
という論法の方がよっぽど通らないよ。
元のブコメで「エセ同和」と言われているのは、
「このエピソードを元に同和問題に関わる人間全体を非難してはならない」という意味なんだから。
その人の経歴、活動、人格を見れば、本物かどうかある程度の判断はできる。
ある程度はね。
別に数学の問題みたいに100%の証明なんて求められてないんだよ。
何か具体的な活動をしていて、人格的に問題なさそうで、
そして「罪が明るみに出て」いなければ、
本物認定でいいと思うよ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/ameblo.jp/moonsun3/entry-10936389385.html
正直に感想を言う。
キモチワルイ。
もうさ、これ差別憎しで語られててさ、「差別の実態」を憎んでるんじゃないんだよな。
「今現在どういう実態があるんだよ?」って言うと、「そんなことは語りつくされている」だのなんだのかんだの、
自分達左翼クラスタ(笑)の常識を当たり前としたうえで、「無意識に行われる抑圧が云々」「そも無関心が差別を云々」と始まる。
お決まりの流れ。
提示される反証に対して反論していくうちに、どんどんと理論武装して原理主義みたいになっちゃってる。
だから元来侮蔑的な意味をもち生まれた言葉(オタクとか)をそのものずばりの意味で自分が相手に使っても問題ないが、
「カタワ」や「部落」はその意味が込められていなくとも使っちゃいけないんだよ。
なぜって?
ここがキーで、だからこそ「言葉狩りじゃない」とくるし、「○○は私にとって痛い言葉」ってな反論にも対応可能になってる。
現象としては同じイジメでも「外国人」「アイヌ」「癲癇もち」がいじめられてると、社会の差別の表れで、
「オタク」「デブ」「のろま」などで為されるものとは行為の意味が違う、とか言いだしちゃうからね。
そういう属性を持つと言うだけで、実態よりもそこに差別行為があったんだろう?と下種の勘繰りに比重が重くなるのは、まさに他人事と言った感じ。
属性の代表であるかのように担ぎ上げられて、すわ差別だと大事にされるのって、良い迷惑じゃなかろか。
もちろん、そうした「特別扱い」を喜ぶ向きも、そういう属性もちには多かろうが。
ニコ動の「○○してみた」について考えてみる
記事でも触れられているが、今の「してみた」クラスタは、もはや多くが「してみた」ではない。
してみた、というのは一種のテストであり、そのテストは多義的である(してみることそれ自体のテスト、己の技術が評価されるかというテスト、etc)
つまり、これ自体が開拓の色を併せもち、開拓され、整備された今の環境ではそのテスト自体は殆どが後者の意味合いを持つし、ほぼ形骸したといえよう。
だからと言って、じゃあ「してみた」という名前を変える必要があるか?というと、その必要はない。今のままでいい。
むしろ気にかけるべきはそこで持ち出される「アマチュアリズム」という言葉だ。
フラット化するフラット化する、とさんざん叫ばれた電脳世界において、ニコ動が与えたのはむしろ格差の促進である。
再生数、コメント数、マイリスト数などあらゆるものが数値化され、ランキングでそれは大きな意味を持ち、ランキング動画にも影響を与えている。
ただし、そこにプロとアマの壁は存在せず、ニコ動で評価されるものとされないものという枠組みに改まった。
というのも、多くとは言わないがそれなりの仕事をしている人が参加していることは疑いなく、ならばそういう人が評価されているかといえば、そうでもない。
ユーザーに受けるかどうかが評価の差であり、技術の巧拙は幾分無視される。
そのような環境で持ち出される「アマチュアリズム」という言葉にどれほどの意味があろうか?それこそ、記事冒頭に出てきた「してみた」という言葉に対する「下手だけど勘弁して」な思考と同じ位相にある。
これは要するに「賞賛>批判」という格差を是認するものだ。一方で表現者を標榜していながらアマチュアリズムを盾にし、その口で批判は従者等と言うのだからおそろしい。
テーマ:多角的に考える
・インセンティブの持っていき方を考える
・義援金の正しい使い方を考える
経済のケの字も知らない俺だが無い頭をひねって考えてみた。
「ヒトモノカネが流れる所は『勝手に』発展していく。」というのは事実だと思う。
そこで、被災地が最も早く復活するために、その考え方で発案してみようと思う。
ヒトが多く訪れる方法を検討しよう
Q.ヒトはどんな所に集まるのだろうか。
A.欲望を満たしてくれる所だ。
・普遍的で継続性のある満足を与えてくれる所にヒトは多く集まる。
・集まるコストを低下させるとすそ野が拡がる(母体数が増える)。
・滞在コストを低下させるとヒトは継続してそこに残ろうとする。
スポーツ会場、イベント会場やカジノを作るのはどうかな。描いた絵図はこう。
①「スポーツイベント、コンサート、秋葉系コンベンション等を被災地近くで開催する。」
大規模なイベントに対応出来る設備を自治体等主導で作る。その会場使用料を自治体が負担する。
- 周辺の消費需要が増す。(輸送、移動、滞在、宿泊、飲食、土産等買い物)
- 参加者が行きたくなる仕組みが必要
→ これは被災地域の費用負担を下げ、参加者のインセンティブを高めるために輸送、移動コストを低減する。
- 新幹線やJR特急の料金を下げる。(往復の場合のみ等にしないと踏み台にされる?)
→ それにより、安くいけるんだから(行った先、すなわち被災地で)ちょっとぜいたくしよう。という
インセンティブにもつながる。
②「カジノを常設する」
- 治安の悪化を防ぎ、安心して利用出来るような環境作りを行う。
- 現金への換金率よりも被災復興券への換金率を上げて被災地で多く使ってもらうようにする。
→ 被災復興券は特別債権の役割を果たす。こちらもしっかり自治体と国が管理する。
- パチンコは禁止
③「税負担を下げる」
- 住民税を低減させ、そこに定住するヒトを増やす。
- 消費税も被災3県で段階的に設定する。
→ 本各被災地域=0% / 周辺地域=3% / 同県内=5% / 他県等は現在議論されている段階的に引き上げの対象
ヒトが多く訪れる場所にはモノが沢山必要になる。
モノを多く流入させるためにも、前述の輸送コスト低減策が効いてくる。
- 輸送コストは商品コストに反映される。安価で小売業者が仕入れ出来れば値下げもしやすく、また利益の拡大にもつながる。
→ 被災地での商売は儲かるというインセンティブになり、そこで商売するヒトが増える。
→ よりモノが必要になり、ヒトも増加していく相乗効果が期待出来る。
→ こうしてカネも動くようになり
- 宅配便等にも補助金を出して集配所の運営費を自治体等で負担する。
被災地で商売するとすごく得をする仕組みを用意する。
→ 本社を被災地に置き、総従業員の勤務地として最も多い人数を設定させる事で脱税目的の移設を防ぐ対策が必要かもしれないけど。
◎結論
ヒトを集めるだけで、モノとカネは自動的に集まってくるんじゃないかな。という事
素人だけど、こんな考え方がもし復興の参考になったら、それはとっても嬉しいなって。
1.で何もかも自治体や政府負担を勝手に描いた。そんなに都合良くお金がポンポン出てくるわけがない。
だからそこに義援金の多くをあてがう方法ではどうか。お金の都合は主に以下で行う。
・義援金
・消費税段階値上げ分の充当
債権は少しづつ自治体と国で返済していく形しかないだろうけど、金余りの不況が長く続いた今、長期の優良債権は確かに需要があると思う。
まがりなりにも円が対米ドル高めで推移しているから外資も食指を伸ばしてくれそうだし…(というのは甘々か?!)
私のクラスタでは東電解体!とか電力の寡占許すまじ!な空気があったりして、概ね賛成なのだけれど、ここは一つしばらく放置と言う案はどうか。
東電は電力株と呼ばれ市場では高配当で株価が安定していると定評があった。
都バスが電力株の配当で経営を維持していて赤字転落のニュースは記憶に新しいが、本来高配当安定株だった。
じゃあ、いうなれば、東電は元々そのビジネスモデルで銀行からいくらでもカネを引っ張れる優良企業の筆頭だったわけ。
今回潜在的リスクが莫大な被害と損害をもたらしたわけだけど、その業務継続にどれだけ不安があるのだろう。
1兆でも10兆でも銀行から借りて、50年でも100年でもかけて返済するプランを作ってはどうか。
有利子負債を多量に抱えるので経営は苦しくなるしこれまでのように従業員や幹部にぜいたくはさせられないけれど、それでも事業は継続していけるんじゃないかな。
そのお金で補償や放射能除去、原発の今後の運営にかかる費用をまかない、しっかり返済していくのがいいと思う。
前述した復興券と同様、市場に不足した長期安定商品になると思う。
トンデモ案かも知れないけれど、東京以外の電力6社にもカネを出させると言う手があるかもしれない。
もし東電解体なんてことになればお前らも道連れだぞと脅す形で。
電力全社上げたら10兆ぐらい行かないかな。その辺のスケール感覚皆無なので適当書いてます。
放射線量が高い地域を思い切って封鎖して、その土地から建物までを東電に買い上げさせてはどうか。
立入は自己責任で。封鎖後のエリアは消防警察その他一切行政の支援は受けられない。
ここまで言えば必要なものを持ち出した上で人は住まないと思う。リアル北斗の挙状態だから。ヒャッハー
そして、原発を含むその地域を浄化する事、その一点に集中して力を注ぐ。
世界中から実用化済技術をどんどん試そう。眉唾や実験的なものでもいい、どんどん受け入れてみてはどうか。
既存のフィルタ除去方式やひまわりのタネ撒きまくリング方式、イスカンダルに設計図取りに行ってもいい。
この機会はまたとない実用実験なんだ。どんどん募集して世界に貢献し、技術に助けを求めてみてはどうだろう。
日本の独自技術として放射能除去を実現すればまさに「日本の奇跡」として核抑止力に対する一定の影響力を持ち、100年の悲願、国際発言力に貢献するかもしれない。というのはまさに夢物語ではあるが。
こんな文章を書いたのは日本政府が、被災者を含め日本人が、あまりにも長く思考停止+場当たり対応に終始していて、とても不満で不安でしょうがないからなんだけど、書いた内容としてはみんなヒトモノカネの動きをちゃんと考えて行動しようよ。
ってことなんだ。
無理やりカネを流し込んで復興するのか?
大声で「がんばろう東日本!」と叫んで頑張れるのか?
おれは、ちがうとおもったんだ。
http://h.hatena.ne.jp/shigeto2006/225866661947529698
僕の印象としては海外ニート氏と近い立場で、若者に日本は駄目だ、海外に行こうと勧めるようなことをしていたelm200さんが、
あなたのいうナショナリズムに傾くなんてのは東日本大震災と原発の影響以外には考えられません。
ただ、elm200さんはそこらへんの人とは違うようで、しっかり行動した結果をブログやTwitterにも書き留めているようで、まあ対話できる方でしょう。
とある深夜のtwitterアニメクラスタのタイムラインの出来事。
A氏は某アニメイベントで配布された小冊子を撮影してtwipicにアップロードした。
「ブヒる」というネット流行語の元になったとも言われる深夜アニメだ。
A氏をフォローしているB氏はその画像(まあ、普通にアニメ絵の美少女イラスト冊子のtwipicにまあ普通なコメントをつけた.(アニメの公式ハッシュタグ付きで)
あるアニメ作品についての投稿に公式ハッシュタグを付けるのは普通のことだとは思う。
抗議されたB氏は素直に謝っていた。
そしてその画像は数時間後「まとめサイト」(どうやら「やらおん」のことのようだ)に無断転載されてA氏は少し気分を害してしまったようだ。
もちろんその画像がハッシュタグが付いていたから多くの人の目に止まり無断転載に繋がったのか、
タグは無関係にB氏にもそこそこのフォロワーがいるのでそのなかの誰かの目に止まったのかも知れない。
もちろんA氏の投稿を直接見た人も当然いるだろう。
出展元のURLも添えずに無断転載する2ちゃんねるまとめブログが論外なのは今更言うまでもないが
twitterもtwipicもmixiを代表とするSNSのように友達まで公開。とかは出来ないサービスであるということ。
内輪でも空中リプライの応酬で楽しむことなどの「内輪」ってどう判断したらいいのかなと考えた。
これは内輪だけのつぶやきだから、内輪だけの画像投稿つきツイートだから。
twipicの画像付き投稿にリプライするだけならそれが「内輪」じゃなくてもマナー違反なのかどうか。
プライベートモードのアカウント(俗に言う鍵付きアカウント)の投稿を非公式リツイートが重なって表に出てしまうことにちょっと似ている気もしないでもない。
とりあえずその人のことをよく知らない場合にハッシュタグを付けて拡散の原因になってしまうことははあまり良くないことのようだ。
デフレ脱却議連の主要メンバーには、外国人参政権に反対し、靖国神社にも参拝している代表的な議員がたくさんいます。彼らを売国呼ばわりする人は、外国人参政権賛成&靖国粉砕という思想を持っているのでしょう。バレバレすぎる尾崎っぷりに引くわ。 #defle
https://twitter.com/smith796000/status/71184832067153921
リフレクラスタとネトウヨクラスタの融合が見られるとはw リフレ派はリフレ政策への賛成という紐帯が存在するのみで党派性がないなんて寝言をほざいていた方々は、上念氏をきちんと批判するんでしょうな? そういう言動が、リフレ派に党派性があるという誤解を招くのだから止めろ、と。
ついでに、リフレへの賛意がネトウヨ的主張への政治的動員に流用されるのではとの懸念を表明した人々に対して、
まあ、率直にいって、いまさら右派と左派とかよく本人もわかってないような対立軸持ち出して、ある特定の経済政策を主張する人を批判する場合は、1)その主張する人が感情的に嫌、2)別な私的利益を守りたい のいずれかでほぼ間違いないと思う。そうでなければ、ただの古臭い思想ボケ
http://twitter.com/hidetomitanaka/status/21626737559
と的外れ極まる言いがかりで応じていた田中センセは、当然謝罪してしかるべきだけど、謝罪できるだけの知能と誠実さがあれば、そもそもこんな言いがかりはしませんわなw
はてなーのそういう薄汚さって言うのは勿論あるけど
今回の事例は、「いわゆるはてな村」が「メンタル異常者」を叩いてるって感じはしないな
単純にブクマ数的にもそれほど大規模に盛り上がってないし
あれは「はてな村」っつーよりかは「町山信者」のクラスタなんじゃね?
なんか町山さんて変な取り巻きみたいなのがウジャウジャ居るじゃん
映画評論家ワナビーみたいな揉み手擦り寄りメンバーを初めとして
小粒のサブカル?的な人間が集まって出来た変な輪がモワーッとさ
ほんで町山さんが誰かと喧嘩をするたび、その輪がモワーッとついてきて
「さすが町山さん大勝利!」とか
「○○(その回の喧嘩相手)必死すぎ!痛い!」とか
太鼓持ち&投石をする。
今回もそれでしょ。
「はてなに日垣が叩かれてる」って言うより
別に日垣の擁護する気は無いし
日垣は個性的にナニな人物だとは思うけど
町山さんが喧嘩しだしたときの展開って誰が相手でも全く一緒じゃん。
批評クラスタの悪いところは、この増田にも表れているように、「ゼロ年代」とかの言葉に必要以上の意味を持たせちゃうことだよな。
こうした言葉は、人によって受け取り方が違い、かつ適度に都合よく解釈されるため、みんなが勝手に納得しちゃう。
一つ一つ言葉を尽くして説明しても「みんなが納得できる」文章が、本当にいい文章なんだけどね。
普通の人がそれをやると、細かいところで行き違いが起こるから(つまりは実際のところ細かい分析などしていないから)、「ゼロ年代」とかに逃げちゃう。
「批評クラスタの人」(あえて使ってるけど、この言葉で想定する層も人によって違うはず)にとって、とても都合がよい言葉なのだよね。
何かを言った気になれるし、何かを知った気になれる。
「ゼロ年代」と対比して、「80年代」や「90年代」で「けいおん!」が流行る可能性の検証や、その根拠も語られない。