2011-06-18

格差書くさ

http://togetter.com/li/149541

ニコ動の「○○してみた」について考えてみる

記事でも触れられているが、今の「してみた」クラスタは、もはや多くが「してみた」ではない。

してみた、というのは一種のテストであり、そのテスト多義である(してみることそれ自体のテスト、己の技術が評価されるかというテストetc

まり、これ自体が開拓の色を併せもち、開拓され、整備された今の環境ではそのテスト自体は殆どが後者意味合いを持つし、ほぼ形骸したといえよう。

からと言って、じゃあ「してみた」という名前を変える必要があるか?というと、その必要はない。今のままでいい。


むしろ気にかけるべきはそこで持ち出される「アマチュアリズム」という言葉だ。

フラット化するフラット化する、とさんざん叫ばれた電脳世界において、ニコ動が与えたのはむしろ格差の促進である

再生数、コメント数、マイリスト数などあらゆるものが数値化され、ランキングでそれは大きな意味を持ち、ランキング動画にも影響を与えている。

ただし、そこにプロアマの壁は存在せず、ニコ動で評価されるものとされないものという枠組みに改まった。

というのも、多くとは言わないがそれなりの仕事をしている人が参加していることは疑いなく、ならばそういう人が評価されているかといえば、そうでもない。

ユーザーに受けるかどうかが評価の差であり、技術の巧拙は幾分無視される。

そのような環境で持ち出される「アマチュアリズム」という言葉にどれほどの意味があろうか?それこそ、記事冒頭に出てきた「してみた」という言葉に対する「下手だけど勘弁して」な思考と同じ位相にある。


また、「批判は従」という思考もなかなか危険なものである

これは要するに「賞賛>批判」という格差を是認するものだ。一方で表現者を標榜していながらアマチュアリズムを盾にし、その口で批判は従者等と言うのだからおそろしい。

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