はてなキーワード: ウサギ小屋とは
そもそも斜めドラムは、ユーザー目線と称して洗濯槽傾けたせいで、洗剤液に叩きつけるまでの距離が稼げずに、通常より洗浄力が落ちてどうしようもなかったやつを、温度機能つけて誤魔化したんだよ。
洗濯槽を斜めにしたことで、スペースは無駄にあるからヒートユニットも実現できたの。
本当は温度機能も乾燥機もつけたいが、そのユニット加えるだけで、総体積も大きくなるし、海外と比してウサギ小屋レベルに小さい日本家屋に置けなくなる。
この湿気大国で部屋干ししたり、洗濯槽のクリーニングを中途半端に遂行しようとするのが間違い。
洗濯槽に関しては、使って数ヶ月、数年経ってバイオフィルム取り除こうとするからワカメが出る。
寝た子は起こさないか、買った当初から月一は洗濯槽クリーニングと決めて洗うのが一番。
乾燥機置けない分、浴室乾燥を駆使すれば日本の洗濯はまだ救われると思う。乾燥機じゃないから局所的に熱くなることもないので服の種類を選ばないし。浴室にUV機能つけてくれたら、殺菌も見込めるんだけど。
いや、理屈を説明されれば、大問題だってのが頭では理解できるんだけど、一方で感覚的に「そんなに悪いことなのか?」と思っている自分がいる。
昭和の末期の頃まで、日本は狭くて資源もなくて、でも人口だけは多い国で、だからみんなが海外から「ウサギ小屋」と呼ばれるような狭い家に住んでいて、地獄の通勤ラッシュにもまれて必死に長時間はたらかないといけなくて、「世界第2位の経済大国」とか言われてるけど、欧米にくらべればずいぶん生活の質がよろしくない、というようなことが言われてたような気がする。
中でも「国土が狭いのに人口が多い」のが結構な問題だという共通認識があった。
だから、少しくらい人口が減ったほうが、とくに都市部なんか暮らしやすくなるんでないの?という感覚が抜けないのだ。
「仕事がない」「給料が上がらない」という人がいる一方で、「少子化で労働力不足が問題になる」ってのも、なんか狐につままれたような気分になる。
あと、インドとかいくと、そりゃもう人間があまりすぎて困っているのは明白なので、地球全体から言うと、これ以上人増えて大丈夫なんかな?とか。
あと、モノ値段がさがるのがよくないって言われても、やっぱり「同じものが安く買える様になるのなら、それに越したことはない」という素朴な感情が勝ってしまう自分がいる。
デフレだから給料が上がらない、インフレになれば給料も上がるっていわれても、そんなもん絶対「給料が上がる」よりも先に「ものの値段があがる」に決まってんじゃん、って思ってしまうし。
少し話はずれるのだが、自分が子供の頃はまだまだ「公害問題」ってのがいろいろ言われていて、実家の近くのドブ川なんてひどいものだったし、隅田川も東京湾も、今よりずっと汚かった。
このまま良くと、ますます公害がひどくなって、いずれ地球はますます大変なことになる、といっている大人がいっぱいいた。
たびたび「光化学スモッグ注意報がでているので、外で遊ばないでください」なんてことがあるもんだから、子供達もなんとなくその感情を共有していて、当時の子供たちが「ノストラダムスの大予言」で盛り上がって、1999年で地球が破滅するんじゃないかと恐れたのも、その辺の感情の発露だったんじゃないかな? と思ったりもする。
幸い、地球が破滅することもなく、ミレニアム騒ぎからもうだいぶたつのだが、東京の海や川や空気は、昔に比べると驚くほどきれいになった。
公害のせいで「ますます大変なこと」になんて、ちっともならなかった。
なぜか、「少子化問題」と「デフレ」について騒いでいる人をみると、あのころ「公害ガー」と青筋たてていた大人たちを思い出してしまったりしている。
何が一番驚いたって、これだけ多くの人がまだ現金をこれほどまでに信用しているということでした。
もちろんそれは全て個人の価値観であり、個々の先見に委ねられる部分なのでそのことの是非を問うつもりもありません。
自分の場合ということを前置きにした上で書くので、そういうこと考えている人もいるんだねくらいで聞いてもらえるのがいいと思います。
ただ、一つだけ言っておきたいのは、前回の内容を自慢と捉えるのはどうなのかという疑問です。
憐れんでいただくのは一向に構いませんが、それが妬みだと気付いていないようではなかなかに生きていくのが辛いように思えました。
自分の場合、お金を使うということは全て投資だと考えています。
なので、消費だけで終わってしまうようなお金の使い方は極力嫌うようにしています。
でも、それ以上にせっかくそのお金があれば買える経験や環境があるのに、何もせず寝かせておくのが一番もったいないような気がしてならないのです。
家を買った一番の理由も、こどもたちの人格形成期にできるだけ抑圧した生活を送らせたくないという意見が夫婦で一致したためです。
人口が過密している都内において、そのストレスを切り離すことができる意味は計り知れません。
しかし、言うまでもなく都心という経済の中心で生活することの恩恵も同様に計り知れないものです。
大人の都合だけで言えば、正直静かなところでセミリタイヤするような生活を送りたいと思っていますが、これからの時代を生きていく子どもたちに対しては、ここで得られるおびただしいほどの情報や知見の中に身をおいておくということがとても重要な経験であると考えています。
その経過を見る限り、現段階においては大変満足しています。
戸建ての内訳はご指摘の通り土地5000万円で、駅まで徒歩圏内、道路付きの良いとても条件の良い物件です。
建売ではなく、自分たちの足で見つけ出してセミオーダーで建てました。
建物の価値が0に等しいことは当然知っていたので、だからこそ土地の価格が下がるでもなく過剰に上がりすぎているでもない地域での物件を探ししました。
もちろん郊外での物件も十二分に検討しましたが、自分の返済能力と見比べた結果、競争率の低い資産価値が安定している価格帯を選んだ結果です。
そのことの是非については、ここでとやかくいうよりもローン審査の結果にあらわれていると思います。
確かにウサギ小屋かもしれませんが、隣に立っているスズメバチの巣よりは幾分か快適です。
ボーナスを全額返済に当てているのも、ご指摘の通り繰り上げ返済をしているからです。
これは状況によって止められるものですが、目の前にお金があると無駄に使いたくなる自分の性格を知った上での選択です。
こどもたちにかかる費用に応じていつでも止めるつもりでいます。
この辺で何となく気付いてもらえると思うのですが、とにかく夫婦で話し合ってこどもたちをどんな環境で育てたらいいかということを突き詰めた結果が今の生活です。
こどもたちが将来どんな仕事を選んでどんな生活をするかわかりませんが、できるだけ多くの道を選べるように情報と知見の多い都心で、それでいて心的負担ができるだけかからないで済むような環境を一番に考えました。
こどもたちにお金や財産を残すくらいなら、その分色々なことを経験させて環境への投資にお金を使おう。
そうして、お金そのものを残すのではなく、自分たちで生きていく力をつけることのほうが、こどもたちの未来に役に立つだろうと考えたからです。
家訓といえば大げさですが、夫婦の両親ともがバブル崩壊で財産を全てすっ飛ばした姿から教えてもらった大切な知見です。
そんな中でも、高校まで卒業させてくれた両親にはとくに感謝でいっぱいです。
もしあの財産がそのまま残っていたとしてら、当時勉強もろくにしなかった自分は未だにその財産を食いつぶすだけのろくでもない人間になっていたかもしれないと思うと恐怖でしかありません。
そんな経験をしたからこそ、人より貯蓄や株などの資産運用に対して懐疑的であることは否定しません。
ただ、その先に考えた結果として、自立するまでにこどもたちに残してあげられるものは、沢山の経験や、周辺環境をしっかりと整えてあげられることだと行き着きました。
それが自分という親がしてあげられる一番のことだと思ったからです。
そんなこんなで、人がどう思おうとも自分にしてみればこの上ない贅沢な生活ができています。
貧しさから一日でも早く逃れようと努力をしてきたつもりでもいますが、これほどの収入がなくてもその時満足できる生活を送っていたと思います。
ファイナンシャルプランナーだったら、相手の贅沢が何かを読み取ってその生活に特化した提案をしてあげることができたのではないかなというのが正直な感想です。
贅沢な生活がどんな生活なのかを押し付けてるような感じがとても気になりましたし、それは数多く頂いたブコメにもかなりの量が散見されました。
なので、この話を押し付けるつもりもありませんし、人に自慢したいからこんなに文字を書き起こしているつもりもありません。
誰かの一助になれるならそれだけで幸いです。
いや、高齢化する一方で子供が減っていったら、社会福祉とか介護とかどうするんだとか、
理屈は充分わかるんだけど。
人がたくさん住んでいる都市のそばにも工場建てて、水も空気も汚れて・・・
そういえば、アフリカには飢餓でおなかだけ膨れて苦しんでいる子供達がいるけれど、
このまま地球の人口が増えていくと、地球の人口が増えていくと絶対に食料が足りなくなる、
だからすでにお隣の中国では、「一人っ子政策」というのをやっているのだ・・・
(得てして、最後は「君たちは恵まれているんだから、給食を残してはいけません」とかいう
妙に卑近なオチになったりするのだが)。
あと、昔読んだ星新一のショート・ショートも、どこかで影響したかもしれない。
それは、こんな話だった。
理由はわからないが、どんな夫婦からも一人しか子供が産まれなくなった未来。
当然、人口はどんどん減っていくのだが、
どんな人でも2~3代経るうちに、遺産を相続してそこそこの資産を持つようになる。
で、生産力も人口に比して過剰になっており、さまざまな労働が機械化されているので、
そんなに働かなくてもモノが溢れるようになる。
人口の多い時代に作られた住宅や施設はだんだんと余るようになり、
暇をもてあました人たちの間で、それらを破壊する遊びがはやるようになり・・・・
まあ、最後のネタバレはしないが、あえていえば、人類史全体の輪廻転生のようなオチがついていた。
いや、実際にそんな風に行かないのはわかるんだけど、
ベトナム人が住人の多数を占めるシェアハウスで暮らしている(私は日本人)。
彼らは気前が良い。
使っているPCは日本製の20万円近くするものだし、持っているiPhoneは最新か1つ前の型だ。
とにかく手元にカネがあれば使ってしまうらしく、たった3万円の家賃さえ頻繁に滞納する。
「長い戦争経験から、ベトナム人は将来より今を優先させる」と、ある信頼できないソースで読んだことがある。
「地政学的に半島は領土維持が難しいから、散財しちゃう気持ちは分かるよ。だけど本当かなぁ…… 偏見じゃないの? パクス・アメリカーナ!」と、今日まで私は眉にたっぷり唾を付けていた。
茫然自失の私は、吉野屋先生でもクー子でもなく、"メメント・モリ"という言葉に思考を妨げられている。
カネを、使おう。
今を、生きよう。
私は書籍を中心に、過去6か月で126件もAmazonで消尽している。特に絶版古書は腹が痛んだ。
明日死ぬ確率は低いものの、病気発覚から1年も経ず、松来さんのように亡くなるケースは珍しくない。
20歳の人間が短期間で落命する確率は低いが、事故・病気で亡くなる『とある20歳の人』は、ある意味"100%"の確率で死ぬのだ。
あくまで確率は統計上の予測であって、一個人に数字をそのまま当てはめるのには無理がある。
今週、私の部屋(四畳半)に本棚が届く。高さ180cm、幅70cm。スライド式で、奥と手前に本を収納できる。Amazonでポチったやつだ。
『衣装ケースに本を満載させる』という、ウサギ小屋ライフハックが破綻し始めたのが購入動機である。四畳半暮らしにおいて、書棚は『場所取るし、倒れてきたら死ぬ』贅沢品なのだ。
はてなブックマーク - 蛭子能収「幸せな姿は他人に見せない方が良い」
http://b.hatena.ne.jp/entry/alfalfalfa.com/archives/7046159.html
こちらの元記事とコメントを読んでいて、こんなトラウマを思い出した。私が小学生の頃だから、もう四半世紀近く前のことだ。国語の授業で自分の家族や家についての作文を書いて、各自が自分で朗読して発表することになった。
そして私の番が無事終わり、その時には何ごとも無かったのだが、それからしばらくした後、クラスの内の何人かが私への陰口や悪口を言っていることを知って驚いた。何でも、私の作文の「私と妹の部屋は二階にあります」「二人で階段で遊んだりします」という下りに対してムカついたそうだ。「自分の部屋があるって自慢してる!」「二階建ての一軒家に住んでるってわざわざ言いたいんだ、ムカつく」とか言ってたらしい。
いや、私はもちろん自慢するつもりは毛頭無くて、ただ家のことを書けというからそのまま書いただけだし、そもそもそういう要素が自慢になるという感覚すら無かった。
だいたい、部屋は6畳間を妹と共用だし、一軒家と言っても庭も無いローンウン十年のウサギ小屋だったし、だいいちたかが小学生程度に大した格差意識があるわけはない。それに、当の陰口を言っていた彼女たちは、私の家にはないゲーム機や流行のグッズを持っていたのだし、加えて私などの家よりも高級なマンションや立派な庭付きの屋敷住まいの子がちゃんといて、「庭でキャッチボールをして遊びました」とか言っていても、その彼らは何も言われていないのだ。
とんだひどい言いがかりだ、どうして私だけが、と内心憤慨したが、結局何も言えなかったし、しばらくしてそのまま忘れてしまった。
つまるところ、「繊細チンピラ」的な存在や事象は最近になって生まれて増殖したものではなく、ネットの普及で目立つようになっただけなのだろう。
母親がさっき出て行った。
車で中央高速道路に行きたいとか言ってたので、事故りたいのかもしれない
信じられないくらいどうでもいいのだけれど、やはり肉親だからなのか、30秒に一回くらい気になって作業にならない。
自意識過剰の悲劇のヒロイン主義で、自分は世界で一番不幸だと思っている
それをあまりに大げさに喧伝するので、じゃあいっそほんとに不幸になってしまえよと周りがげんなりするくらいだ
そして、すぐ死ぬという
メンヘラ少女が死ぬ死ぬ詐欺をするのはまだ可愛いが、60近いオバサンが死ぬ死ぬ言ってても、
「居間が汚いから綺麗にしよう、この机はこう使うものじゃないんだからいらないものは捨てよう」
と言っただけなのに、
まるで自分の人生すべてを否定されたかのように解釈して大騒ぎし、
無視すればわめき、反論すれば怒鳴るという有様で
本当に手がつけられない
しかしそもそも家事も嫌いだと言っているので、私が引き受けようとすれば
「せいいっぱいやろうとしているのに批判するのか!!」
となってしまう
本当に、どう扱ったらいいのかわからない
自分の思い通りの、夢の世界の住人を、周りが演じなければ、自分と周りすべてを否定する
そんな人間なのだ
そんな彼女と一緒に暮らすのがイヤでイヤで、大学に入ってから無理やり一人暮らしを始めた
自由になったものもたくさんあったし、不便なこともたくさんあった
全て勉強であり、収穫であった
大学卒業を機に実家に戻ったのだが、三日目にしてこのアリサマである
家を出ていた四年間で、妹はうつ病になり、父はより寡黙になっていた。
彼らが可哀想でならない。
妹も父も大好きだし、彼らとの生活はとても気楽で未来がひらけているように感じる
しかし、彼女が一人いるだけで、我が小さいウサギ小屋はとんでもない地獄と化すのだ
母親が出て行った。
事故って死ぬ気だという。
車のことを考える。
車がなくなるのは嫌だな。
母親が死んだあとのことを考える。
家計のことは何も引き継いでくれないし、家事のことも何も教えてくれないが
まぁそんな企業秘密にするものでもない、すぐどうにでもなるだろう
更年期障害を受け入れられない私たちがいけないのだろうか
父の必要以上にやつれた顔と、妹の体調不良を見て、私は考えるポーズをしている。
結論は出ているのかもしれない。
木造家屋や壁の薄いコンクリート建築の耐用年数は、せいぜい30年程度である。天然石を切り出して積み上げて作った、ローマ時代や中世暗黒時代の城砦やシャトーであれば、100年200年といった耐用年数が十分に期待できるが、合板木造家屋や、被りの薄い鉄筋コンクリート建築物では、30年程度で、寿命が来る。したがって、一般に不動産市場における評価額は、土地の評価額とならざるを得ない。
モノによっては上物の撤去費用を差し引かなければならない位である。
土地の評価額だけでなく、上物の評価額も出そうとするのであれば、メンテナンスフリーで数百年は持つような、天然石積み上げ造りのような家屋を前提にするべきであるし、間取りにおいても、一番小さい部屋でも十メートル四方といったスケールにしなければ、数百年間の使用に耐えられない。
人口が多すぎて、狭い土地に密集して暮らすような国情においては、そんな建物は、高層建築物にするしかないとなる。
鉄筋コンクリートは、表面から徐々に酸化が始まり、アルカリ性であるはずのコンクリートが中性化し、やがて、中に入っている鉄筋が錆び始めて、崩壊に到る。鉄筋から表面までの距離を広げて被りを厚くしたり、コンクリートの表面を塗装するといった手法で、中性化を遅らせる事ができるが、それとても、万全とはいえない。
上物の価格は、耐用年数がどれだけ残っているかということと、上物を撤去する為の費用とで、計算される。耐用年数が無限であれば、上物を撤去する必要が無くなるが、地震の多い日本では、耐用年数が無限の家屋を建設するコストは、不合理な金額になってしまう。
あと、上物の評価額が著しく低いというのは、建設コストに比べて減価の度合いが激しすぎるという不満がある為であろうが、上物を作る為のコストが高すぎるだけである。人生50年時代であれば、家は一生に一度の買い物であるが、人生80年時代であれば、2回は買う事になる。耐用年数を延ばして一生に一度の買い物にするよりは、一生に二度の買い物として、最初から30年後に建て替えるという前提で設計施工をして、コストを切り詰める事である。一生に一度の買い物であれば、売りっぱなしで、しかも、代金を取れるだけむしり取ろうということになるが、30年後に建て替えというのであれば、悪い評判を避ける為に、コストに見合った施工を心がけるようになる。
核家族化が進みすぎて、ウサギ小屋ばかりになって、地盤を継いで行くという考え方が消滅してしまったのも、上物の建設費が不合理な価格にまで上がってしまった原因と言えるだろう。
アメリカの2×4住宅は上物の価格の方で取り引きされているという反論については、本物の2×4住宅は、壁のような非構造材だけでなく、柱や梁といった重要構造材すら、日曜大工で交換できるようになっている。このメンテナンス性の良さから、住人がメンテナンスをすることを前提にして価格が成立しているのである。古い住宅ほど価値があるのは、あらゆる構造材が交換可能でなければ古くなる前に崩壊してしまうからであり、住人が勤勉でさえあれば、住宅の価値を維持できるという保証がついている分だけ、価値が高いと評価されるのである。
それもこれも、間取りが広くて余裕があり、建物の構造が簡便でメンテナンス性が高いという前提があってのことで、狭小住宅で断熱ウレタンフォーム吹き付けのような工法を使っている建物とは、考え方が違っているのである。
日本の旅行会社が企画する海外旅行は、基本的には「自然的風景や歴史的遺産を物見遊山」である。
「中国で売られているマンションというのは、どのような広さ・中身であって、
価格はどれくらいしていて、年収に対する割合はどれくらいか?」とか
等のウォッチングである。
これはまあ、自分が不動産屋だから、仕事的興味が先に立っているからだろうが、
「中国で売られているマンションを見てみる」というのは、案外、不動産関係者以外の
一般人も興味があるのではないか?
観光旅行の本来の目的が「異文化に触れて、いい意味でカルチャーショックを受ける」のであれば、
中国人の生活の一端に触れることが、最大のカルチャーショックじゃないか、と思う。
不動産以外でも、
「中国の百貨店、ショッピングセンターはどんな感じなのか?」
「大規模工場はどんな感じなのか?」
「町工場はどんな感じなのか?」
「小学校はどんな感じなのか?」
「病院はどんな感じなのか?」
「篤農家はどんな感じなのか?」
「零細農家はどんな感じなのか?」
などなどに、個人的に、すごく興味がある。
自分が聞いたことがないような「杭州の世界遺産の●●寺」なんかより、よほど訪れて見たいが、
残念ながら、中国語はできないし、そもそもそのような「非観光地」を訪れられるような
パイプを持ち合わせていない。
こういうジャンルにこそ、旅行会社は商品化の知恵を絞るべきじゃないか?
http://www.collaborate.co.jp/tourlist.htm
もっとそういうのじゃなく、
「お気軽にマンションや小学校、病院をウォッチングするツアー」が
あってもいいのではないか?
これは「逆も真なり」であり、地方在住者や海外から日本に来た人に、
まあ、アメリカ人のクレジットカードへの思い入れは凄まじいものがあるからな。
海外赴任中に取引先の月収20万円しかないデブに誘われて、嫌々遊びに行ってみたんだが、 まず家が凄い。
庭プール付きの100坪以上で4千万。俺ん家の写真をみせると「それはガレージだ、 貧乏人」という顔をする。
エコノミックアニマルはいつまでもウサギ小屋だな、みたいな。 絶対、その家のローン完済できない。
っつうか、それいわゆるサプライムローンじゃねえか。 で、デブがでかいピックアップトラックを見せる。
これはカードで買ったという、不良娘とデブ息子も このときばかりは親父を尊敬。
普段、目もあわせないらしいガキがダディクールとか言ってる。 郷ひろみか? 畜生、氏ね。
カード金利も凄い、18%どころじゃねえ。23%、26%とか冗談かよと思う。使うなつうか返済しろ。
で、やたらカードを持ってる。片っ端からカードを作ってデブ一家で使う。
給料の倍以上を通販で片っ端から購入。返済には回さない。アホか。
あらかたカードの枠を上限まで使って、「これはもう使えない」などと、カードの束を寄越す。バカめ。
で、デブ一家で海外旅行で豪遊までした後に、みんなでバーベキューを庭でやる。
「明日は職案いかなくちゃね」とかデブ息子が言う。おまえ、絶対働く気ないだろ?
デブ娘も「日本人は働くだけで楽しまないから可哀相」とか言う。こっち見んな、殺すぞ。