はてなキーワード: アセクシャルとは
自民は全く少子化の改善策を打てそうにないし、かといって立民の今までの候補も少数派代表を自認してジェンダー云々騒ぐだけのイメージがあった。
あとはクラスによって、
技能、妊娠、出産、育児、経済、遺伝、病気、一人のとき等についての教習を受けるバージョン
アセクシャルの場合、同じアセクシャルの人を講師に人に欲望を持たない生き方があるのを周囲にうまく伝え、自分にあった一生の過ごし方を学ぶ
趣味が違うとき、法に触れない場合は同好の相手を探す方法やその相手との交渉の仕方を学ぶ、
相手の年齢等の好みが法に触れる場合も、安全に欲を満たす方法論を学ぶ
法に触れる系は自分の欲望そのものは認められること、但し法に触れないで満足するためには工夫が必要なこと、仲間や講師(仲間の一人かもしれない)が話を聞くこと等も行われる
セックスさせろ/させない の話に関して。
ていうかセックスさせろの議論に一番の問題があるとすると、それは「させろ」の部分に集約されていて、相手が望まないものを強要するな、という普通の議論に落ちていく。
なんだけど、そういう強要という部分を取り去ってマッチングの問題ととらえなおして以下考えてみるのだが、異性に選ばれないことにつらさを感じている男性が憎悪の対象にしている女性は男とはかくあるべしという伝統的なジェンダーロールにとらわれた女性であり、「フェミ」側の人たちが本来批判すべきだという話ならまだ理解できる気がする。
また婚姻後の女性に家事や子育てなどをやって当然と考える伝統的なジェンダーロールにとらわれた男性も批判の対象になるのは明らか。
であれば、男性、女性という括りで対立することは無意味で、男女を問わず古いジェンダーロールにとらわれる人々にこそ批判の対象とすべきだよね。
「フェミ」「アンチフェミ」という棒を持って、ミソジニーとミサンドリーをぶつけ合いたいというならまったく無駄な行為だとは思うけど勝手にしたらいい。
伝統的なジェンダーロールを批判しているのではなく、それにとらわれている人を批判しよう、という話です。
どんな役割を選ぶかは、自由であってほしいし、そうでないと生きづらさを感じる人が逆側に発生してしまうから。
あとレズビアンやアセクシャルとかの人はそもそも婚活市場にあらわれないので、異性に選ばれないつらさを感じる男性が念頭に置いているのは、男性と婚姻する意思のある女性のことだと思います。
性嫌悪者のお気持ちとか言ってるようなレベルの相手にコメントするのもめんどいけど
あのな、異性愛者男性用に偏ったエロってさ、それ以外の人間には「暴力」に見える時があるんだわ
レイプものとかぶっかけとかさ、泣き叫んで嫌がる女を無理やりとか、エロ見慣れた人間でもしんどい時ある
たまーに出てくるエロ漫画バナーキツいなって思ったことない?特にきったないオッサンに少女がうんぬん系
望んでない時にいきなり出てくるエロとか、食べ物系漫画でやたらエロっぽく描くのとか、嫌悪感ない?
自分はアセクシャル(かも)で、男性向け女性向けエロ両方見るけどさ、異性愛男性向けは本当にしんどいもの多い
例えばグロ表現って、人によって受け入れられる時期が違うじゃん。どんなに軽い血とかの表現でもさ。だからゲームや映画に年齢制限がつくわけだ
エロも似たようなもんだよ。意図せずいきなり触れたときのダメージって、甘酸っぱい、なんか素敵なもの、楽しく気持ちいいもの、だけじゃない時があるんだわ
わかんないんだろうな
ここまで言っても
現実はそうじゃない
なったことないからわからんけど同性愛者男性がいきなり異性愛もの見せられたらトラウマ残るんじゃないのか
だから、一人一人が「それが欲しい、必要だ」と思えて、きちんと受け入れられる時までゾーニングしておきたい、というのはダメなのか?
自分は他人に対して性的な欲求が無くて、未だに誰とも性交渉したことがない。他人と付き合いたいとか、他人とセックスしたいとかそういう気持ちがない。むしろ他人にベタベタ触られるのが苦手だし、以前恋人に迫られた時に、自分がそういう行為の対象になることへ違和感を感じて、全身が粟立つくらい気持ち悪くなって吐いてしまったのを覚えている。恋愛恐怖症?性的嫌悪?アセクシャル?自分がどれにカテゴライズされるのか分からない。詳しい人がいたら教えて欲しい。
もう一個聞いて欲しい。
飲んでいて出会った男や、ホスト、友人の友人、サークルの後輩、予備校の友達。彼らは私の友人のTちゃんと関係を持った男達だ。Tちゃんが私に言っていない部分も合わせたらもっと居るだろう。Tちゃんは仕事が休みの度に知らない男とセックスしては、嬉しそうに報告してくる。そんなとき、なんて言ってあげたらいいのか分からない。私は他人と体の関係を持ちたいとも思わないし、思ったことも無い。むしろ性に奔放すぎるTちゃんに呆れてすらいる。生理中にセックスしたと聞いた時は、もうそこでLINEの返信を辞めた。
結婚まで処女を貫けとか、添い遂げる人と以外と関係を持つなとは言わないし思わない。でも性行為に関心がないと言ってる人に自身の性生活を嬉しそうに報告してくるのが理解できない。というか、普通に恐怖すら感じてくる。
アセクシャルとかノンセクシャルとか言うけど、人に説明しても理解されないし、私も他人の気持ちを理解出来ないし、どうしたらいいんだろうってずっと悩んでいます。
セックスは免許制になり、免許を持った人間同士が性交同意書にサインした時のみセックスが許される世界。その副次効果として、条件を満たしてさえいれば年齢に関係なくセックスが許されることになった。しかしセックス免許の取得には試験に合格しなければならない。問題は性知識やジェンダー論といった複数の科目から出題される。
あるペドフィリアと女児のカップルは、女児の側がセックス免許を持っていなかった。そこで、試験合格のために二人で勉強会を開いた。人生経験の浅い女児には難しい問題が多く、過去問の点数も思うように伸びなかった。時には「どうせバレないしやっちゃおう」と女児の側から誘うこともあったが、ペドフィリアはやんわりと断った。
そしてようやく女児は試験に合格した。試験に合格してもその場で免許が発行されるわけではない。合格証を性生活支援センターに持参して実技講習を受けなければならない。ペドフィリアが持っているのも、実は免許ではなく合格証であった。講習は普通、免許または合格証を持った恋人と共に受けることになる。(まれに一人で受ける人もいるが、その場合は講師の中から性交相手を選ぶ必要がある。推奨はされていないが、素人相手よりもむしろ安心できるという意見もある。)講師は男性または女性またはその他から選ぶことができる。プライバシー配慮のため、講師には重い守秘義務が課される。とはいえやはりアセクシャルの講師は人気があり、予約が必要である。
講習前に問診票を提出する。設問は「SM的志向がありますか?」「小児性愛的志向がありますか?」のような性的志向に関するものや、「耐え難い性的衝動を経験したことがありますか?」といった依存傾向に関するものがある。回答は「はい/いいえ/わからない」の中から選ぶ。講習内容はそれに応じて変動する。
ペドフィリアと女児を担当することになった講師は、老齢の女性で現役の小児科医であった。ペドフィリアは生まれつき性的衝動が少なかったのでそう申告したところ、「もし今後変化があれば、医療機関へご相談ください」のような事務的なことを言われた。それから小児性愛に関する基本事項の説明を受けることになった。「小児性愛者と児童の場合、生涯を共にすることは難しい」といった内容である。概ねペドフィリアから常々女児へ説明していたことと重なっていたので、女児も頷きながら聞いていた。時にはペドフィリアを自認していても知らないこともあり、学ぶことは多かった。二人の真剣な態度に安心した講師から言われた、「永遠に続かないのは大人の恋愛も同じです。永遠に続かないからこそ、今の関係を大切にしてください」との言葉が心に残った。
それから児童の人体構造についての講習が2時間ほどあった。やはりペニスの挿入は難しいと言われ、「どうしても挿入したい場合、長い準備時間と日数をかけて、少しづつ慣らします。その間は必ず性生活支援センターに通い、センター内で講師の監視の下行ってください」と言われた。ペドフィリアは挿入を重視していなかったが、女児は少しがっかりしていた。また今回のケースでは実技講習の中で処女膜の除去が難しいため、手術によって取り除くかどうかの選択肢を提示された。女児の判断により、後日手術を行うことになった。
最後に実技試験が行われた。今回は挿入は禁止で、ペッティングのみである。ペドフィリアも性交経験はないため、講習は困難であった。講師の指導は優しかったが、「嘘をつかない」ことを厳しく約束された。痛いときは正直に痛いと言うことが大切だと繰り返し言われた。それでいて、「相手は嘘をついているかもしれない」ことは常に意識しておきなさいとも言われた。ややこしいが、講師の説明は納得のできるものであった。
こうして二人は無事免許を取得した。女児の免許は挿入禁止の限定免許である。どうやら今後は限定解除のために通う意思もあるようである。
セクシャルマイノリティはLGBTだけじゃない!あなたは"LGBTTQQIAAP"という言葉を知っていますか?
この記事読んだ。
LGBTはご存知の通り以下の4つ。
Transsexual(トランスセクシュアル、性別違和)
Queer(クイア、当事者がセクシュアルマイノリティ全てを包括する言葉(総称)として抵抗運動(クィア・ムーブメント)や連帯の合言葉)
Questioning(クエスチョニング、性自認や社会的な性、性的指向が確立できず、自問している人)
Intersex(インターセックス、身体的な性別(体の性)を男性・女性どちらにも分類できず、性染色体に異常がみられる。両性具有など)
Asexual(アセクシャル、恋愛感情を抱くことがなく、性的に興奮することもない)
え、おかしくない?
なんで「アライ」とかが平然と入ってるの?「クィア」?連帯の合言葉ってなんだよ。
これ、性的少数者の分類じゃねーじゃん。ただ自分の味方とか認めてるやつを並べてるだけじゃん。
しかもしれっと「PZN」(ペド、ズー、ネクロ)とかを省いてる。
PZNも性的少数者なんだけど?「アライ」なんかより優先順位が下だってのか?
おかしいでしょ。そこまでして性的少数者内で差別を続けたいの?
はっきり言わしてもらうけど、こういう不誠実なダブスタ差別を続けてる限り、LGBTには何の正義もないよ。
蜘蛛の糸の犍陀多。救われようとしてるくせに、他の性的少数者を蹴落とそうとしてる。
セクシャルマイノリティの理解は我々日本人にはまだまだ足りていない部分が多いと思います。
現状では、セクシャルマイノリティの方々が安心して普通に暮らせる環境がまだ整っていません。
誰もが自分らしく生きていける世の中にするために、一人一人がセクシャルマイノリティの理解を深めていく必要があると思います。
そうだな。まずお前が理解足りてないよ。
この国で、いや世界で一番差別を受けてる性的少数者の分類は何か。
Pだよ。paedophilia。
「ホモ」は蔑称として使われることも多いが、本来は「同じの」という意味の接頭辞で、同性愛者全般を指す。
いや、おかしくない?
誤解なきよう述べるが、「LGBTがおかしい」と言っているわけではない。
そうではなく、「LGBT」という言葉がそもそもおかしい。と言いたいだけだ。
前述では触れなかったが、L・G・Bは性指向を、Tは性自認を指すのでそもそもまとめるのがおかしくはある。
また、本来は「LGBTAQ」と、A:アセクシャル(無性愛者)、Q:クエスチョン(不確定者全般)も含めるべきでもある。
だが、それを言ってはもっと分類が細かくなってキリがない。
つまり、「LGBT」とひとまとめにした奴らが言いたいのは「シスヘテロ以外」ということなのだろうと思う。
「シス」は「生物学的性別(セックス)と性自認(ジェンダー)が一致していること」、
「一般的」「普遍的」とされているのは「シスヘテロ」で、「LGBT」はシスヘテロ以外の全員、という分類をしたかったのだろうと思う。
じゃあもう「シスヘテロ以外」でいいじゃん!!「アンシスヘテロ」とかそんな感じでいいです!!
「LGBT」でまとめきれない人なんてごまんといる。「全体集合=ヘテロ+LGBT」だと思っている人もいっぱいいる。
名前が与えられて安心するタイプの人は多いんだろうけど(自分もそう)、ひとくくりにして名前をまとめていい気になっている人が散見されるのがとてもこう……理屈に沿わなくて嫌だ。
差別云々の話はしたくないからしない。言いたいのは呼称の問題だけだ。なんだLGBTって。気持ち悪い呼称やめろ。LGBT活動家、みたいな奴らもそもそもAやQを除外している段階で信用ならんぞ。
「普通に」男/女として生まれ、育ち、「普通に」女/男を好きになる。そういうシスヘテロが割合的に多いなら、いっそ「その他」でまとめてくれよ!と思います。中途半端に雑な呼称を広めたやつ出てこいー。
↓この記事を読んで
https://www.buzzfeed.com/jp/gabrielsanchez/heres-what-its-like-to-identify-as-asexual-1
コメントで「みんな似てる顔をしている」というのを見て笑ってしまった。
確かに自分もこんな顔してるし、もしこの人達と会ったら、「あ、この人そうだわ」ってわかる。お互いに。
女性です。
親兄弟友人にも言ってないけど、いろんなメディアでそういう人たちに向けられた言葉を目にするたびずっとグサグサ刺されてきた。
・奥手なんだね
・セックスが怖いんでしょ
・性格が悪いんだよ
・もてない女が病名にすがってごまかしてるだけ
・理想が高すぎるんじゃないの
・まだいい人に巡り合ってないだけ
・どんな恋でもしないよりはまし
などなど
若い頃は告白されたりデートもしたことあるし、決してモテる方ではないけど人並みではないかと思う。
我慢してデートしているうちにだんだん情が湧いて好きになるのかもしれないと頑張ったこともあるけど会うたびに嫌悪感がつのってどうしてもダメだった。
不思議なもので、その後何年か経って関係的にも距離的にも離れると「あの人全然悪い人じゃないのになんでだろう」となるんだよね。
セックスが怖いとか、それ以前にそこまでの関係にいたる過程でダメ。
自分が女として性的な対象として見られていると感じる時点でもう嫌悪感が抑えきれなくなって、地球の果てまで逃げ出したくなる。
並んで歩く時、手が触れ合う距離まで詰められてくるともう無理。
一緒に映画を見に行って何気なく肘掛に手を載せていて、ふと「もし相手が手を重ねてきたらどうしよう」と恐ろしくなって、ああもう無理なんだなと思った。
何回やっても同じことの繰り返しなんだよ。「私の気の持ちようなのかも。今度は頑張る」→デート→やっばり無理。→相手「???」→「私の気の持ry」
まあいいか、一人の方が気楽だし、と結婚も恋愛も諦めたような諦めないような、何となくごまかしながら生きてきたけど、ネットが発達して色々な情報が手に入るようになって、自分と同じような人が一定数いることを知った。
カウンセリング受けた方がいいのかなと思ったこともあるけど、おかしな自分を治すためにカウンセリングを受けるのではなく、セックスできない自分を治さなければと思い込んでカウンセリングを受けようと考えたり、嫌悪感を感じながらデートしたり、結婚しようと婚活サイトに登録する行為の方がおかしいのだと気づいた。自分は自分だ。
そしてもし自分みたいな人がいるのなら、もしかしたらその人たちと出会えれば、ワンチャン結婚して家庭を持てるのではないかと考えてしまう。「うちの夫はセックスレスで」みたいな話が発言小町とかに上がってるのをみると、本当にうらやましい。その旦那私にくれ。
職場でつまらない噂話や蔑みの対象になったり、同じマンションでは「○号室の○○さん、ああ、あのちょっと変わった人ね」と話したこともない人に言われたり。
一人で生きる生き方もあるけど、自分は大病したことがあって、その時家族が見舞いにきてくれる同室の人たちが本当にうらやましくて孤独が身にしみた。