はてなキーワード: アセクシャルとは
ちょっと異性と遊びの用事を入れるだけで探って質問攻めにする母
アセクシャルだけど、世間体とか親の幸せとか気にしてせめてお付き合いまでは頑張ろうとしてるの
知ってるよ、そういうのやらないと生産性ないとか人間の底辺とか言われるんでしょ
だから誘われたら行くし仲悪くならないようにも頑張るんだよ
それをなんだよ横からあーだこーだ
勝手に期待して探る割にはデブは嫌だのブスは嫌だのバカは嫌だの欠点見つけて勝手に批判するし
「うちの子はどうしてふつうの幸せがわからないのかしら」ってふつうってなんだよ
嫌なんだよ全て全て全て
正直やりたいことはまだ色々あるが、煩わしいことから解放されるなら一人で死んでもいい
助けてくれ
アセクシャルの仲間が増えて嬉しいです
もうどうしたらいいんだろ。
祖母は優しいけど昔の人だった。
遠くに住んでいるので会うのは年に一回のお盆だけ。
子供の頃から「結婚してひ孫を見るのが楽しみだ」と言われてきた。
小学生の頃、自分はそんなことを言われて「あぁ、自分もいつかは誰かと付き合って結婚して、子供ができてお婆ちゃんにひ孫を見せるのか」と漠然に思ってた。
中学生の頃、「彼氏はいないのか」と言う問いに対しては「周りの子は好きな人がいて彼氏がいる。私にはいない。なぜか好きな人がいない。でもあいつとかあいつは話が合って楽しい。恋愛として好きかは分からない」と考えた。
高校生の頃、「彼氏はいないのか」に加えて「結婚が楽しみだ」と言われるようになった。
その時にはすでに、私には「これから彼氏ができて結婚をする」という未来がとても難しくて遠くて、考えるのが嫌になっていた。
多分「アセクシャル」なんだと思う。
成人してこの手の話が増えた。
「彼氏いないの?」
「結婚したくないの?」
「え、付き合ったこともないの?」
周りは当たり前に誰かを好きになり好きになられ、付き合って、恋愛して、体を繋げて、結婚して、子供を授かり育てる。
そう、当たり前なのだ。
小学5年生の頃、何人かの友人と放課後の教室で担任の先生を囲み話が弾んだ。
誰が言い出したか分からないけど、「先生、私将来ちゃんと結婚できるかな」と。
先生は笑いながら、「できるよ!先生はかっこよくないし太ってるけど、ちゃんと結婚してる。みんなだってできるよ。」そう言ったのを覚えてる。
でもその時にはすでにそうだったんだと思う。
友人との「恋愛話」は好きだった。
やれ誰々が誰を好きか、誰が誰と付き合ってるかなんて今だって毎日のようにテレビでスキャンダルが流れてる。そういうこと。下世話な話が人間は好きなのだ。その一環だ。
だけどその話の矛先が自分に向けられると本当に困った。
いない。
いないのだ。
まず周りの異性をそういう風に好きになれないのだ。
当時からすごく困った。
「いない」と正直に言っても意味はないのだ。
そう、普通は「いない」という選択肢が無いのが当たり前だから。
追求されて逃がしてくれない。永遠にこの質問は続く。早くこの話題から抜けたくて適当な嘘も言ったことがある。その後は地獄だけど。
なんで、なんでみんなそうなんだろう。
誰かを好きなるって当たり前なのか。
分からない。
高校の頃、一度だけ好意を伝えられたことがある。間接的にだけど。
他校の知り合いが「貴方を店で見かけてから気になってると言う奴がいる。連絡先を教えていいか?」と。
「自分がそう見られている」と言うことを初めて知ったのだ。
嫌だった。
まず私のどこを好きになるのだろう。
女性にしては身長が高いし、細くはない、容姿は崩れているし、性格はガサツで適当で、嫌な奴だ。
「こんな女に好意を持つなんて、相当イかれてる」
背も高くて、男前で、声まで素敵で優しい人だ。
もうすぐお子さんが産まれるようでイキイキしてる。
それを母に伝えた。
母は前半はニコニコしながら「いい人だね、かっこいいね」と聞いていたが、私が「もうすぐお子さんが産まれる」と言った瞬間
「え?結婚してる人なの?
なーんだ、じゃあいいわ。てかあんたその人と付き合いたいって話じゃないの?結婚してていいわけ?」
底知れない怒りと悲しみが襲った。
その時はなんて返事したか覚えてないけど、今でもショックだった。
私が素敵だと、人として魅力を感じた人を侮辱された気分で辛かった。
そしてすぐ誰かを「恋愛相手」としか見れない母親に、世間に絶望した。
母親の
「〇〇の店員さんがカッコいい、付き合いたい。」
「こう言う人タイプじゃないの?」
「本気で結婚しないの?この家にずっといるの?」
事あるごとに言われるこのセリフに怒りと苦しみで一杯だ。
毎年毎年、会うたびに「結婚」と。
「死ぬまでに会いたい」と。
会うたびに、会うたびに悲しくなります。
ごめんねおばあちゃん。会わせてあげれそうにないよ。ごめんね、ごめんねおばあちゃん。
もし私が、同性が好きだったら、きっと同性のパートナーを連れて胸を張って祖母に紹介できました。
でも、それすらできない。
祖母はもう認知症を患い、日に日に弱り、徘徊があるのでベッドに縛られて、私の知らない病院で日に日に衰弱しています。
長くはないかと思う。
そんなこと考えたくないけど。
何度もレンタル彼氏でもなんでも使って、祖母に紹介しようかと考えたけど、無理だった。それすらにも嫌悪感を抱いてしまう。
おばあちゃん、本当にごめんなさい。
おばあちゃんのお願い、叶えたいけど無理だ。
私は、異性同性に対して、恋愛的に好意を持てない。魅力が分からない人です。
「誰かを好きになって、愛する」ことが当たり前なのです。
そのギャップに苦しんでいる人がいる。
このことを忘れないで。
人間は愛をヘテロ親と幼児の自分というモデルから認識しはじめることになっている。
それだとふつうの「愛」が「性愛」を含みつつもっと大きいものであるということがなかなか理解できないので
「親がちんぽとまんこをべちょべちょにしたいやらしいセックスして自分を生んだのだ」という概念さえなかなか受け入れない。
親が自分を生んだ行為、あるいは性犯罪など合法でない行為への警戒を知るのと、
「同性愛」もねちょねちょしたいやらしいものにみえてしまうんだろう。
(つまり、悪い方からさきに知ったら良いはずのものも悪いものと同一の箱に分類されてしまう。
人間の脳はそういうふうにしくまれていて、なかなか訂正がかなわない。
そういう意味でも性犯罪は罪深い。訂正できないことで苦しむ本人によって魂の殺人と形容されることもあるほどだ。)
そして「同性愛」のなかにはそういうお行儀の悪い同性愛者(もっぱらねちょねちょしていたくて同性愛している)もいる。
もちろんヘテロにもそういう体をつかった愉悦、スポーツ感覚でセックスばかりして愛はそっちのけのタイプがいる。
そこから対極にあるゲーム感覚のセックスは教育の都合上忌避されてきた。
そうなれば両者の中間にある成熟した愛までも忌避されてしまう部分が今の時代まで残っていても多少ならばしょうがない。
愛の営みへの理解の解像度を挙げていく人生だけが人生だけでないのでアセクシャルで死んでもいいんだと周知されるまでは。
しにたくなるほど落ち込んだのは久方ぶりである。
経緯は差し控えるが、結婚煽りにうんざりした。自分が煽られたわけじゃないけど。
性的少数者?みたいな話はわりとどうでもいいんだけど、多分アセクシャルと言われてるやつに近い悩みは抱えてる。
恋愛感情を実感として一度たりとも解したことがないのは事実。アラサーまで生きてきた上で。
調べたときよくその分類にあるあるな悩みで「修学旅行の夜トークにうんざり」とかは通ってきた。
中高は女子校で、そもそも恋愛に触れる機会は少なくて多少平和ではあった。
が、それゆえに大学以降は「こじらせてるだけ」「良い人に会えてない」をやたら言われる。
そうですね、そうかもしれない。そうかもしれないけどそう言われたって検証が不可能じゃん。わかんないんだもん。無いものの証明ってめちゃくちゃ難しいんだぞ。
反証あるかなあ?と一度だけ人とお付き合いするってこともチャレンジはしたけど「無」でしかなかった。友人でよくね?と思った。
未だにたまにその人とは顔合わせる機会あるから申し訳ないし気まずい。うそ、気まずくはないかも、わりとどうでもいい。見かけると「あーいるなー」って思うだけ。
割とよく聞く言葉だが「とりあえず付き合っちゃえよ〜」ってよくそんな無責任なこと言えるよな。
しかし、これでもアセクシャルです!!って断言はできねえじゃん、悪魔の証明だもん。明日最高の人に出会いました!!恋ってこういうことなんですね!ってなるかもしれないじゃん、わかんないもん。
二次元オタクはしてるけど、少女漫画を読むことはなくて、乙女ゲーも興味はなし。
少年漫画のバトルは好きだけど、最終回でみんな結婚しましたされるとほんと無理。
現実で友人が結婚することは素直に祝福できる。それはおめでたいもん。友人の幸せは幸せだよ。シンプルに。
でも二次元で最後の最後にそれいる??ぽこぽこぽこぽこ結婚して子供できました!! はあ。
あと少年漫画読んでると、同性のオタクは大半腐女子でそれはそれで理解できない。そこに恋愛感情や性行為挟む必要なくね??なんでそんなにウホウホテンションあげるの?こわい…
現実で「良い人いないの?」とか「誰々が某と付き合ってるらしいよ〜」同類だアレは。やたらカップリングを作ろうとして勝手に楽しみやがる意味では。仲良くなれない。
腐女子無理っていうとわりと夢女子と話す機会はあるけど、こちらは多分互いにあまり害を与えないから楽ではある。理解はしないけど楽しそうだね、って。聞いてあげられるから。友人が楽しいのはこちらも楽しい。ここは綺麗事ではない。本音。
自分がそういう考え持たなきゃいけない流れにならなきゃいいのだ。
推し会をしたときに、わいわい推しの映像見るのは楽しんだけど そこにあった夢女子用みたいな人生ゲーム?すごろく?みたいのはほんと生理的に受けつけなくてどうしようかと思った。
私が寝てる間に他のメンツでやってたらしい。空気読める仲間で助かった。
推しは推したいし尊いし友達は好きだしそこに男女はあまり関係ないよ!!!
吐き出したらすっきりした。
自分は、恋愛対象になる人の数がかなり少ないタイプなのかもしれないことに気づいた
「恋愛対象」の定義を「キスとかセックスしても不快じゃなさそうな人」とした場合、30年間生きていて2人ほどしかいなかったので、今まで出会った異性※1 の数をざっくり5000人※2 として、出現率はなんと0.04%
仕事柄人と会うことは多いし、気の合う異性からアプローチされることもあったけど、友達としてはよくても全く恋愛対象として見ることができなくて、変だなと思っていた
友人らに聞くと、
「異性の60%くらいはまあ対象で、そのなかで好きになる人が出来てくるかんじ」とか、女性でも「クラスにまあ2,3人くらいは『もし告白してくれたら付き合えるな』って人はいたから、そう考えると10%くらいかな」という回答。一般的にはそれくらいなの?
これが完全に0%な人を「アセクシャル」とか「無性欲者」っていうのかもしれないけど、自分の場合は性的欲求は明確にあって、他者とセックスしたいという気持ちも明確に存在する。
なんなら性欲も、性的好奇心も強い方だと思うのでしんどい。発情期のトキ状態。相手が地球上になかなかいない。
もちろん自分の0.04%というのは単なる「恋愛対象となる人間の出現率」なので
ここにさらに性格や相性を鑑みて「好きになれるかどうか」というハードルがあり、
その上で当然「相手が自分を好きになってくれるか」というハードルがあることを考えると
※1…自分はストレートだと思うので。もしかしてセクシャルマイノリティかと思ったこともあるけど、今のところはそういう気持ちは無さそう
※2…人生で出会う人の数は生涯でおおよそ3万人らしい。学生時代の全校生徒の人数とか会社の社員数とか考えて適当に書きました