はてなキーワード: 自叙伝とは
エヴァンゲリオンは全体のストーリーが最初は皆川亮二のスプリガンなんですが途中からナディアになって最終的にトップをねらえ2になってんだよね
あんまし内容は練りこまれてないけどアニメとして絵が魅せるので気にならないといえばならない
その人気の人間描写なんだけど人間の観察とかがすごいんじゃないくて庵野氏の実体験を描写してるだけなんだけど表現としてはそれも十分にすごいね
アスカがのり子でノリコで法子だったところからいきなり恥も尊厳もなく覆い隠すように苗字を変えてみたり奥さんが世界をつなぐアンバサダーのようにマリにしたり
地球に飛来したなぞの父と母がイマジナリーで親不在の孤独な監督が恋に落ちたけど世界に認められなくてからのいろんな変遷を経てからのあのなんか
不真面目めがねキャラとゴールインしましたみたいな自叙伝たるや昭和の漫画家が売れてないときに女子アシスタントといい仲になっていく短編がいくつか
あったのを思い出させるよね
みやむーでうまくそういうものだってしてるけどあの本当に隠滅すべき過去を流布されてる事実でごまかすのは諜報活動的ですごい
最後にトップをねらえに回帰してくるところでああこの監督快感物質ここでたれながしてるなーってすごく感じれてきもちよかった
犬の扱いの適当さもすごい ビーグルだったらもう笑い声がすごかっただろうね
猫のかわいがりもすごいというかあの猫が次の世代を紡いでいくあれだけがエヴァンゲリオンしてたっていってもおかしくないよね
人類補完計画っていう自分以外みんな死んでしまえってくらい恨んでたあの庵野氏がマリ一人でここまで人間再生できるんだってドラマすごかった
■マリがモヨコだと何が嫌なの?
増田含めよくこう言ってる人を見るけど、
シンジが庵野だとしたら、それを救ったのが奥さんなんて素敵な話じゃん。
何が嫌なのかわからない。
でもエヴァは俺らのものではなくて庵野の私小説で、それを承知で俺らはエヴァを見ているわけで、その庵野が選んだ女性がそれだけ良い人だったら喜ばしい気がするけど。
増田には難しいと思うけど(そもそもいっちょがみしたいだけで見てもいないだろ)
シンジは庵野の投影キャラクターでもちゃんとエヴァの碇シンジだったけど
マリはモヨコでしかなかった唯一描写あったレズっぽいもぶん投げるし
嫁の投影キャラだしメアリー・スーだからいいんですじゃねぇんだわ
anond:20210312185549 anond:20210315144339 anond:20210318162310
その年でその性別の人はたくさんいるよ
その境遇でその考えの人も多いと思うよ
あんたがいかに後悔していかに取り戻していかに成功するかはあんたにしかできないんだよ
他の人に託して気持ちを諌めるのなら成功者の自叙伝ドラマとか見とけばいいんだよ
溺れてる人を救えるのは一緒に溺れる苦しみを味わえる人じゃないんだよ
陸に上がっていて落ちなくてかつ人を引き上げる余裕のある人が溺れてる人を救えるんだよ
溺れて苦しいはわかるよ
味わったものにしかわからないから味あわせて感想を聞いてそこから出発させたい気持ちもわかるよ
共有して自分の閉塞感を理解で突破させてほしい気持ちはわかるよ
周りを同じ亡者で埋め尽くしたら自分は頭一つその沼から抜け出せる気がするのもわかるよ
そんな楽しみで先輩ぶっても永遠に沼で暮らす愚痴しか言わない亡霊みたいにしかなれない事に気がついたとしてもそれでいいのかい
いいなら知らんがこっちは少なからずそうではなくなってほしいよ
それはこちらの事情でこっちが幸福を得たいだけでそのためにいま視野に収まってるあんたに幸福を探してもらわにゃならんだけでそれだけのために愚痴らず幸福を探してもらいたいよ
29歳の人事トップにサラリーマンのライフプランなんて考えられるわけがない
だって人生経験どころか会社人生の本丸に足も突っ込んでない可能性がある
子供がいても10歳にも満たないだろうし、そんな人事トップが学費だのローンだのの苦労が分かるわけがない
生まれてから暫くは無尽蔵に玩具を購入したり、夢があるかもしれないが、そんなもんすぐに吹っ飛ぶぞ
仕事だって機材が足りない人手が足りない不満を言わなければ何も改善しないだろうに
○イリスの製品てあんまり持ってない気がするけど、安価でコピー品の多い家電を購入するとき店頭に選択肢として並んでるけど、購入する気も失せるわ
結局、パナとかマネシタと言われるけど、そのパナから落ちてきた人材を拾う時点で、企業が中国企業っぽくなるんだな
でも、中国はトップはトップで徹底してるから、そのうちマジでこの国は駄目になるんではないかと思うわ
俺は小さい頃、片親だった。
それまで、母方の祖母と父親が働いていて、そのお金で暮らしていたが、祖母は体を壊して仕事をやめざるを得なくなり、父親もいなくなった。
学もない、赤子を抱えた、そしてかなり無鉄砲な女が金を稼ぐには、基本的には水商売くらいしかなかったのだろう。
そういうわけで、祖母が俺の面倒を見つつ、祖母と自分と子供が暮らす金を手に入れるために母はキャバクラで働き始めた。
その後、たまたまいい出会いがあって母はキャバで働かないで良くなり、暮らし向きも安定し、今では俺はそこそこ名のある大学に通えているくらい教育に投資してもらえて、ラッキーだったんだけど。
自叙伝を書きたいのではなく、苦労自慢がしたいのでもなく、今の騒ぎが自分の幼い頃に起きていたら、相当しんどかっただろうな〜、と思ったのでここにこれを書いている。
そして、いまそういう思いをしている親子が現にいるはずで、他人事とは思えない。
自分の経験から自信を持って言えるが、そういう人には行政の支援は容易に届かない。いくら制度が充実していても、それを知る機会もないし、その手続の仕方など書類を読んでもわからないし、窓口で聞けばいいじゃないかなんて言われそうだが、そもそも行政に頼るという発想がない。
また、母の古くからの友人を見ていて思うが、そういう人の周囲も、大概似通った人間ばかりなので、周りの人が制度の説明をしてくれるとか、申請を手伝ってくれるとか、そういう手助けも期待できない。
ただでさえそうなのに、厚労省なんか子が休校になった親への支援金の対象から水商売に従事している人を外す始末。まあ、あれは業務委託契約で働いている人を対象としているみたいで、水商売の雇用形態がどうなっているのかよく知らないので、そもそもほとんどの人はその支援の対象ではないかもしれないが。
水商売で働いている親とその子なんてどうしようもないんだから野垂れ死んでもいい、真っ当に勉強して真っ当な職に就けなかったんだから自業自得、と言う向きもあるかもしれない。
そうですね。実際、子供もあまりまともとは言えない育ち方をして、親と似たような暮らしをする可能性のほうが高いと思うが、それでも場合によってはまあまあ勉強してまあまあ真っ当な人生を歩んでいくかもしれない。
俺はまだ社会に出ていないのであまり偉そうなことは言えないけれど、少なくとも今のところ割とまともそうな道を歩んでいる。俺がそうならなかったとしても、俺の子供はそうなるかもしれない。俺の子供はそうならなかったとしても、俺の孫はそうなるかもしれない。あなたのご学友だっておばあちゃんはキャバレーで働いていたかもしれませんよ。言い過ぎかもしれないけれど、ここで苦しい生活を彼らに強いることは、下手すると今だけでなく、この先の未来に渡ってそういう可能性を潰す。
それに、こんなことは自明なんだけど、水商売だって社会に貢献している、と言っても納得できない人は多そうなので、言わないが、ほかにも学のない人が就きがちな職業はあり、そういう仕事があってホワイトカラーの暮らしも支えられているわけで、彼らがいなかったらその仕事はあなたの仕事かもしれないわけです。
いささか話が長くなったけど、結論としては、この騒ぎで苦しい思いをしている、あるいはこれからする親子ができるだけ減るといいな、ということ(もちろん、水商売をしていない親子も含めて)。行政には水商売で得られた金で育てられた人は少なそうだけど、目を向けて、できれば手も差し伸べてほしい。そして、そういう親子に厳しい目を向ける人が、子供の(あるいは親の)人生を潰さないといいな、ということ。そんな権利は誰にもない。
今の状況が他人事とは思えず、いても立ってもいられずこんな文章を長々と書いてしまった。俺はそういう育ち方をしたということに全く引け目を感じていないので、増田じゃなくてもいいんだけど、親が水商売をしていたことを知られたくないかもしれないのでここに書く。増田があってよかった。
ここまで読んでくれた人に申し訳ないくらいまとまらない文章だし、これを多くの人が読んでくれるとは期待していないし、みんな大変な時期だというのはわかっているけれど、誰かひとりでもこれに目を留めてくれ、そういう親子の存在を少しでも気にかけてくればいいなと思う。
初めて誰かに読んでもらうために自発的に書いた文章が、数ヶ月前に増田で1000ブクマを超えた。それまでに書いた増田なんて本当にくだらないダジャレとかしょーもない愚痴で、自分が書いて満足、反応なんか気にしない、だった。しかしこのときは読んでもらいたいものを読んでもらえた、しかも反応を多数貰えたことで、脳汁が出っぱなしだった。書いた次の日はウカレポンチになって仕事でミスしてちょっとへこんだ。
なぜ初めての文章を増田に投稿したかというと、単純に増田が好きだったからだ。特に「人生に物語は要らない」とか「毎朝、立ち食いコロッケそばを食べている」が気に入ってる。ではなぜ人生に物語はある、なんてタイトルにしたか?それは最後の一文を「人生に物語はある」として、リスペクトを伝えたいからだ。
今まで27年間生きてきて、そろそろ28歳。自発的になにかをしたことはほとんど無かったと思う。なんとなく地元の高校、大学進学、中退からの工場勤務だ。物語は要らない人の、波乱万丈な人生とは大違いで、波風が立たないような生活をしていた。そもそも「やりたいこと」が無いのだ。そんな状態で、暇で暇でしょうがなくて始めたのが「文章を書くこと」だ。
元々文章を読むことは好きだった。昔の柿の種のパッケージに書いてあったけなげ組とか、国語の教科書を読むことは自発的にやっていた。もうちょっと賢かったら図書館に通い詰めるくらいのことは思いついただろう。ともかく、一番身近にあったのが文章だったのだ。書きたいことを書いて終わり。初めて自発的に書いた文章はせいぜい400字くらい。盛大な独りよがりの愚痴だった。勢いで投稿したので増田にも残ってるが、ブクマは0だ。当然だ、シンプルに読みにくい。
でもこれが楽しかったのだ。1ヶ月もしないうちに、2000字3000字と書けるようになっていた。自分の文章を読み返して違うと思ったら書き直すクセもついた。推敲って奴だ。何となくで使っていたワードもきちんと意味を調べるようになり、ちょっとずつ読み返しても「ちゃんとかけてる」文章が書けるようになっていた。誰にも見せない文章を、とにかくたくさん書いていた。
やがて、人に読んでもらいたいという感情が出てきて、起承転結などのテクニック論を調べたりもした。3000字などと勢いで書いた文章は、7割くらいが無駄な脇道、枝葉末節であることが見えてきた。細かい表現の推敲ではなく、段落ごとバッサリ削ることを覚えたのだ。文章を書くようになった経緯、文章を書くのに完全にハマったタイミング、読んでもらいたいと思ったきっかけ。その「物語」を、たしか2000字くらい書いたと思う。それをバッサリ切って800字にした。昔イヤイヤ書いていた文章と同じ量だ。それと繋げて、ちょっとカッコつけたポエムも付けて投稿したのを覚えている。寝て起きてから、300くらいブクマがついててめちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。コメントも全部読んで、褒めてくれるコメントは当然全部嬉しいし、狙った表現が「書きなれている人のそれだから信じがたい」とか「ライター志望のワナビだろ」などとされていたことも少し嬉しく思った。1000を超えたのを確認したあたりで、ちょっと何かが起きてると思った。ひょっとしたら、私の才能が開花したのではないかと。
当然ながら、そんなことはなかった。私は物語は要らない人のように、物語のような人生を送っては居ないのだ。ただのやる気のない、死んでいないだけのゾンビに近い存在だ。自叙伝が物語になる、そんな面白い人がたどり着いた結論を、覆すものなど持っていない。ということは創作するしかないのだけれど、そもそも私は「やりたいことがない」のだ。創りたい世界だって無い。8000字くらいは書いたが、削ると800字まで痩せるハリボテの文章だ。身の回り半径5mのことしか書けない人間が、自分の身を動かさずに書けるものなど、独りよがりの愚痴くらいなものだ。作品と言えるものなど書けず、始める前に挫折した。私には2ページと1行がお似合いだ。
だが、これは1つの、「一人の人間が自発的に文章を書こうと思って挫折する物語」なのだ。初めての自発的な「やってみたいこと」を、中途半端に辞めた人間の物語だ。そんな物語を、私は、文章を書く最後の日に書いてみた。
これはリスペクト先への反例にはなっていない。そもそも「あるかないか」と「要不要」は関係がない。だからこれは、反論でもない。
「萌えた体験談コピペ保管庫」を検索して、検索窓にタイトル入れてくれ
●TOP10位
た・ね・う・ま
婚約者M子
おっさんだけど上級生の痴女に痴漢して大変なことになった話を書く
【おまけ】「キノコの子」と呼ばれた俺の性の自叙伝 ※ネットで検索しろ。傑作だ
●TOP21-100位
母ちゃんより怖い女
一番興奮したH
お局女が堕ちる時
先輩が自分の嫁さんを抱いてくれとお願いしてきた
気の弱い先輩にやりたい放題してた話
E姉
★裸でドアの向こう側に★
まこと1 2
満里奈
十年年上の女教師とやりまくった話をする。
超天然で無防備な叔母
一芸
★お嬢様と後背位★
劇団の後輩
中2の志保と
★菜月と撮影会★
ムチムチ店長
女友人のパソコンを復旧してみたら
強い女
嫁取り物語
真由美
だったら充分
創立記念パーティー
メル友の美穂
バイト先の先輩と。
ひみつの授業
お風呂入りたい!
こ・・・こんないやらしい事・・・
不憫な姉
妹・みゆ
首輪の使い方教えてください
奥様、調教されたらどこまでやるか
生物部の先輩に手コキされる
俺の妻が他人の女になった
北朝鮮と韓国の指導者は27日、板門店で会談し、新たな平和の時代の幕開けを宣言した。トランプ米大統領は「そこでは今、こうしているあいだにも、多くの素晴らしいことが起きている」と述べた。しかし、それが真実だとすれば、それは舞台裏で起きているに違いない。表立った外交交渉では大きな前進が何1つなかったからだ。
北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長と韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領はハグや乾杯をしながら、両国が「朝鮮半島の非核化」を目指す共同宣言に署名した。しかし、重要な問題は正恩氏が非核化をどう考えているかである。北朝鮮が言う朝鮮半島の非核化提案は、譲歩とは程遠く、核開発プログラムを廃棄せよという要求に抵抗するときに北朝鮮が使ってきた常とう手段である。米国が核保有国であり続ける限り、自分たちも放棄しないというのが北朝鮮の言い分である。
首脳会談後に出された共同宣言には具体的な文言がない。文大統領には非核化に向けた意欲をより具体的に示すように正恩氏に促す機会があった。国際査察団に北朝鮮の核関連施設への訪問を許可するといった具体的な第1歩を要請することもできただろう。文大統領がそうした働きかけをしたという証拠はない。
それどころか文大統領は正恩氏の言葉を額面取りに受け止め、正恩氏が誠実であると保証してしまったようだ。何度も合意を破棄されてきた過去を踏まえると、理解し難い対応である。韓国政府は北朝鮮の巧言だと知りながら、その意味を世界に向けて誇大宣伝することを選んだのだ。
年内に朝鮮戦争を正式に終結させる目標を含めるため、文大統領が首脳会談のテーマを広げたことも問題だ。正恩氏はもはや韓国からの米軍撤退を要求していないが、米韓同盟の弱体化、在韓米軍の削減といったその他の要求をする余地はまだ多く残されている。独裁者からも平和は買うことができる。問題はそれにどれだけの対価を支払うかだ。
今回の首脳会談には、2000年と2007年に行われた過去2回の南北首脳会談の二の舞になる恐れがある。北朝鮮に平和と兄弟愛を約束する共同宣言に署名させるために、韓国は最大限の努力をした。その2回の首脳会談後も北朝鮮は核開発プログラムと軍事的挑発を再開させた。2002年には北朝鮮軍が韓国の哨戒艇を砲撃、6人の兵士が死亡した。2010年には北朝鮮が別の哨戒艦と延坪島を砲撃する事件があり、韓国側に合わせて50人もの犠牲者が出た。
制裁措置の効果や中国からの圧力もあり、正恩氏の考え方に大きな変化があったのではと期待する向きもある。しかし、正恩氏は祖父や父以上に強硬姿勢を取り、核兵器開発を北朝鮮の神聖な義務としてきた。5年前には1953年の朝鮮戦争休戦協定が無効だと宣言した。韓国の情報機関は2010年の攻撃を指揮したのも正恩氏だと考えている。
ではなぜ、文大統領は米国が最大限の圧力をかけている北朝鮮に救済の手を差し伸べたのか。親北左派の盧武鉉(ノ・ムヒョン)元大統領の秘書室長だった文氏は、盧氏と同様、米国と北朝鮮の間の「調整役」を務めたいと考えている。文大統領の秘書室長、任鍾晳(イム・ジョンソク)氏は自叙伝によると、北朝鮮イデオロギーの信奉者で、2005年まで北朝鮮政権が保有する知的財産の使用料をその代理人として韓国で徴収していたという。
文大統領は北朝鮮の非核化よりも、支援や資金を利用して異なる体制を維持したまま南北両国を統一させることを重視しているのかもしれない。文大統領はその目的のために、トランプ氏をクリントン元大統領、ジョージ・W・ブッシュ元大統領と同じ失敗に引き込もうとする可能性がある。2人の元大統領は実現しなかった非核化の約束と引き換えに北朝鮮に見返りを与えてしまった。
正恩氏との首脳会談に向けて動いているトランプ氏は、この独裁者が、完全かつ検証可能で不可逆的な非核化に真剣に取り組んでいなければ、交渉の席を離れるだろうと述べた。これこそ正しい姿勢だ。しかしトランプ氏は、南北首脳会談の高揚感に便乗することで、そうした平和を手にすることへの期待感を高めてしまっている。数十年にわたって裏切られてきた米国の方針として望まれるのは、不信感を持ちながら検証していくことである。
うまく説明できないんだけど、俺は世界と自分と他の人との関係を、ブドウの房みたいな形に思ってた。
俺は何よりもまず世界と繋がっていて、他の人とは世界を介して間接的に繋がっている。
他人と関わり合うということは、ブドウの実同士の間に、元は存在していなかった新しい枝を生やすようなもの。
ぼんやりしたイメージだから穴は色々あると思うけど、そんな感覚だった。
しかし、ある人の自叙伝的なものを読んでいて、その人の世界は「ブドウモデル」ではないのでは?ということに急に気づいた。
これは想像するしかないから自分のイメージよりさらに覚束ないけれども、
その人にとっては他人と自分の間にまず枝があって、それが複数の他人と絡み合い、その総体として世界があるんじゃないかと思った。
いわば網目のような状態。世界とはネットワークで形作られていて、自分と世界を直接つなぐ枝などは存在しない。
そのことに気づいてから、過去に話が合わなかった相手とのやり取りなどを思い出すと、この辺のとらえ方の差があったかもしれない。
俺は、他人を理解するというのは、相手と世界の関係をよく観察して知ることだと思っていた。
でも「網目モデル」の見方だと、理解とは相手と自分の関係をより密にしていくことになるのだろうか。
俺は昔から一度ならず、「人間に興味を持て」「情が薄い」などと言われてきた。
彼女がどうして死んだのかを考えた。
事故だというが、自殺だとか自死してもしょうがないようなODによる事故だとか、様々な憶測が飛び交っている。
過去に妊娠して産めなかったんじゃないかとか失礼したんじゃないかとか、正直ひとりの女性に対してかなり堪えるような推測がまことしやかに語られてもいる。しかも「ご冥福」と書き添えて、そいつらに罪の意識なんかない。
彼女の本は2冊くらい読んだ。記事はいくつも読んでいる。美人で論理的な文章を書く人だと感じた。同時に、繊細でとても自分と近しいタイプの人たちにとても優しいとも。
自叙伝的なコラムを読むに、幼少から賢かったけれど女性で格好良い成功がしたくて、その結果好きだったサブカル方面での活動を選び成功したんだと知った。
けれど、見ていていつも「いつかはアダルトライターを脱したい」という思いをひしひしと感じた。
ネットでは賢くて高学歴で美人なのに…と色々書かれていたけど、彼女は確か6大学卒ではないはずだ。それっぽくコラムで書いているだけで実際には違うことは関係者や当時世話した大学の教授は知っている。けれど彼女がプライドゆえにどうしても大学を公表したくなく、そんな彼女をかわいがっていた教授や講師たちは静かに口を噤んでいた(がしかし、自分のゼミ生や受講生にはポロッと喋ることはあった)。
冒頭に戻るが、彼女が死んだ理由は理想の自分になれなかったからだと思う。
自殺か事故かはわからないけど、若くしての死の理由は持病を除き大抵理想と現実の相違であることが多い。
しかし、自分がなりたかった自分とは違った。目指してもなれなかった。
頑張れば将来的にはなれたかもしれないのに「もうダメだ」と見切りをつけた。
だからと言って自分の人生に見切りをつけることは、周りの人への冒涜にはならない。
自分が憧れた人生と戦うことは、想像する以上に疲れただろうと思う。
ゆっくりと休んでほしい。
初めに、文章なんてものは学校の小論文の授業ぐらいでしか書かないのでおかしなところが多々あると思います。
そこは大目に見てください。
なんで僕がこの匿名ダイアリーに自分の夢を書こうかと思ったかは自分でもわかりません。
たぶんあふれ出る僕のパッションが抑えきれなくなったからです。
冗談はさておき(←使ってみたかった)僕の夢について書こうと思います。長くなるかもしれませんが、もしよかったら読んでください。
僕の夢は、ITエンジニアです。ITに興味がある高校生なのです。
きっかけは中学の時、ゲームクリエーターになりたいと思ったことでした。
調べてみるとゲームクリエーターには、企画を作る人、音楽を作る人、絵を描く人、そしてプログラマというのがありました。
僕は芸術方面の才能が乏しかったので、音楽、絵は無理かなと思っていました。(実際僕の描いた絵は酷いです)
そしてゲームをとりあえず作るならコンピューターの知識がいるから、プログラミングは必須だなあと思ったので、プログラミングの勉強をし始めました。
最初に入門書を一通りやって、そのあといよいよゲーム作りだと思って、インターネット見ながら作ろうとしたんですがね・・・・
これがなかなか難しいわけですよ。
周りにコンピューター好きの友達とかいなかったので一人で考えたり、プログラマならググれとかいうのを聞いたのでグーグル先生にお尋ねしたりね。
そんで壮大なストーリーと面白いシステムを兼ね備えたゲームが完成した・・・
とはならなかったです。ならなかった。
そもそも一からゲームを作るのなんて無理なんだ。ふつう何かしらのソフトとか使って作るんだよ。
と自分に言い聞かせて、Unityとかいうゲーム開発ソフトをやり始めたんですけどね、これJavaつかえねーじゃん。
ってなりました。でもなんかJavaScriptとかいう言語でなんか名前が似てるからいけるんじゃないかなあ(適当)
とか思ってやってみたんです。ググってサイトのプログラムから使えそうなものを持ってきて何とか、ゲームっぽいものを作りました。
でもプログラミング全然してないじゃんとか思って、ゲーム作りは中断したんです。
もっとプログラミング使えることしよう。特にJavaが使えるやつを。
自分のスマホで自分のアプリが動いた時の感動は、今までで最高でした。
でも、Androidのアプリのプログラミングって、今までやっていたJavaのプログラミングとだいぶ違うと思いました(少なくともその時はそう感じた)
それに、技術を学ぶのはいいんですけど、当初の目的のゲーム作りから外れてしまって作りたいと思うものがなくなってしまったんです。
それでプログラミングをあんまりやらなくなってしまったんです。(この時がだいたい高校一年生の夏ぐらい)
このころ僕は高校に進学していました。
その中でも、私立高校の進学コースで最近実績を出しているようだったので、そこに行きたいと思いました。
私立なので親に反対されましたが、頼み込んでいっていいといわれました。
ただし面白いことに(面白くないが)大学のお金とかは一切出さないから自分で何とかしろ(笑)と言われました。
中学ではそれなりの成績だったのに高校に行ったら、上には上がいるんだなあということを痛感させられました。
高校1年生の最初の模試の偏差値が50でまあ50ならいいだろうとか思っていました。
しかし校内順位が下から数えたほうが早いぐらいのところで、期末テストとかはまあまあいい順位だったので、がっかりしました。
それからプログラミングと代わって勉強を少しやるようになりました。
一年後血のにじむような努力の末(実際そんなに頑張ってないです)偏差値65ぐらいで安定するようになりました。
プログラミングやらなくなってからもそっち系の情報だけはしっかり集めてました。
インターネットでプログラミングに関するブログを見たり、ITの本を買って読んだり。
ちょっと別の言語(Python)を勉強したり。ほんのちょっとだけですよ。
ほんとにプログラマになっていいのか?
真偽はわからないが、プログラマは最弱の職業で労働時間は長く、給料は低い。
そのうえ30歳過ぎたら使い物にならない?みたいなことがネットで言われていた。
ネットの情報を鵜呑みにするのは愚かだと思うし、すべてが真実ではないのだろうけどやっぱり不安だ。
別にそんな危険を冒してまでプログラマにならなくてもいいんじゃないかとも考えた。
しかし、しかしですよ。プログラミングに触れなかった空白の1年間でいろいろな知識を得たんです。
株やFXをプログラムを使って自動取引している人とか、コンピュータに作曲させるプログラムとか。
プログラミングっていろんなところで使われているんだなあ、と感動しました。
「そういうアイデアもあったのか」
と悔しい思いをしました。自分にはアイデアがあっても実現する技術がないとおもってさらに悔しい思いをしました。
きっとこれからも新しくて便利で面白いものが出てくると思います。
自分の書いたプログラムが世界を変えるものになったらどんなに愉快なんだろう。
世の中にすごい人っていっぱいいます。
僕は初めてのことが比較的苦手ではじめは全然できないんです。みんながぱっとできることができなかったりすることに劣等感を感じることもあります。
つい先日センター試験があって、僕は高校二年生だけど問題を解いてみたんです。
僕は数学が得意だと思っていて、模試でも数学が一番点数が取れるのに、センターのマーク形式になったとたん思考停止しました。
友達は僕よりはるかいい点数を取っているのに僕は全然ダメでちょっと自信を無くしました。
iphoneを作ったスティーブ・ジョブズとかはほんとにカリスマだと思います。
世界を、僕たちの生活を変えた(少なくとも僕はその影響を受けている)
でも僕はジョブズにはなれません。
一度世の中に出たもののまねをしても世界は変わりません。(もう変わってしまっているから)
なんか哲学っぽくなってきた。というか言いたいことが分からなくなってきたなあ。
まあつまり、新しくて面白い作ってる自分がわくわくするようなものが作りたいと思ったわけですよ。
結局僕の夢というか人生はコンピュータの道に進むことになりそうです。
一年間は受験勉強をして、大学に行くことがこれから一年の目標になりそうです。
もし道を見失いそうになったら、ここに書いたことを思い出したいと思う。
なんか本が作れそうですね。自叙伝みたいな。
というかきっとここまで長くて下手でつまらない文章を最後まで読んでくれる人はいないと思います。
僕だったら読まないから。
でももし読んだ人がいたら、「ひっどい文だな」とか「お前みたいなやつにが新しくて面白いものを作れるほどこの世界はあまくねぇよ」
とか「そもそも新しくて面白いものってなんだよ、もっと具体的に言えよ」などなど文句があると思います。
なんか自分で書いていて悲しくなってきました。
本当にごめんなさい。
―終わり―
メルマガ大先生が鈴木ザ煉獄丸のはてなブログの読者数だけを見て、鈴木さんはもっと出来る人だと思ってたのにこの程度か、はてなの重鎮の僕を舐めるなよというところまで見えた
青二才メルマガとかいう不吉な単語が耳に入ってきたんだけど何がとかじゃなくて何かがこう確実にオーバーキルだろこれ— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
三島由紀夫の短編に詩を書く少年ってのがあって、「何の才能もないのに異常に自己評価が高い奴いるけどまあ若いから仕方ないよね」みたいなアレなんだけど、これまんまメルマガ大先生に当てはまるの本当につらい— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
メルマガ大先生、はてなの読者数1000人超えは人気ブロガーの証明ではなく破滅的なピエロの烙印だってこと早く気付いてほしい— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
詩を書く少年については三島由紀夫の自叙伝みたいなもんだから「(本人曰く)詩を書く才能がない」といってもまあ小説の才能がハチャメチャすごかったねっていう話になるけど、青二えっとメルマガ大先生については文章の才能の代替物がピエロの才能だから救いが完全にない状態になってるのがまた悲しい— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
「何の才能もないのに異常に自己評価が高い奴」という自分のツイートで全身を強く打って死亡— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
「何の才能もないのに異常に自己評価が高い奴」という自分のツイートで全身を強く打って死亡— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
「何の才能もないのに異常に自己評価が高い奴」という自分のツイートで全身を強く打って死亡— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
メルマガピエロの話をやめてバターコーヒーの話をします— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
バターコーヒー、2日目はバターが泡立つくらい念入りに攪拌してみたんだけど、7:00にバターコーヒー飲んで、8:00に職場でゼリー飲料版の蒟蒻畑を腹に入れて、お昼になってもお腹空かなかったから昼飯は抜いて、ようやく「お腹空いたな」って感じたのが15:30。これ確実に効果アリでしょ— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7
バターコーヒーは効果あったけどぼくの意思が貧弱すぎて結局16:00くらいに会社抜け出して遅めの昼食モリモリ食ってそこから定時過ぎるまでずっと眠くてタイタニック漕いでたから総合的に見て意味のない1日だったな— 鈴木ザ煉獄丸 (@suzuki_buffalo) 2016, 1月 7