はてなキーワード: 権威とは
誰の金で生活できてると思ってんの?って当時仕事してない母親が言ってくるの苦痛だったわ
お父さんが働いたお金じゃないの?なんて言おうもんならブチ切れて泣いて数日無視されて
話盛って言いふらすのも分かってたから黙って聞いたけど
いや主婦や主夫の方々は全然いいと思うんだ、他人の権威で必要以上に偉そうにする奴は絶対許さん
昨年度、当時議長だった信田光保県議と協議し、変更を決めたという。信田県議は「議長車にセンチュリーという時代ではない。このご時世、県民からすると超高級車というイメージがある」と話す
謙虚に振る舞っている賢い方々はTwitterにもたくさんいるけど、そういう人達は面白くないからあんまり拡散されない
権威のように振る舞ってくれるから支持者が集まるのであって、拡散力と危うさが表裏一体で切り離せないからこそ、炎上する人が絶えないのでしょ
Twitterは色んな人が燃える。バカだけが燃えるわけではない。東大卒も医者も学者も弁護士も燃えることがある。炎上マーケティングという例もあるだろうが、そのほとんどは制御不能であると思われる。一体なぜだろうか。
人はコミュニケーションを取り続けると必ず「口が滑る」時がある。オーラルコミュニケーションの場合はこの発言は彼方に消えていくしまた訂正もしやすい。
Twitterはこの「口が滑る」が可視化しやすいツールである。そして色んな人物からリプや引リツされ、瞬く間に炎上する。魚拓などを撮られた日には未来永劫オモチャにされる可能性がある。
俺としては専門職の人たちが分野に関して手軽に啓蒙してくれるため、ドンドンツイートしてほしいのだが、そんな人々が炎上しててんやわんやしてるのを見ると勝手に恥ずかしくなってしまうので、まるで仕事のメールを打つかのようにツイート活動に励んでもらいたい。
訂正
とぼしめる → おとしめるでした。ご指摘ありがとうございます。
たかが一企業が勝手にやってるだけのものに権威らしきものを感じてる方がおかしいんだけどな
ネガティブワードはまずいし授賞式に誰読んだら良いか分からんワードもまずい、っての考えると今年はスポーツ系だろうなってのは予想されてた
個人的にはちむどんどん反省会入賞させて授賞式に脚本家とかプロデューサー引きずり出せたら面白かっただろうなと思ったが絶対無理だしな
なんか叩く流れができてしまって意図した方向からだいぶズレてしまった。申し訳ない
再度書いておくが俺は元増田だけじゃなくて京大生とかその反対側も全て無駄だったって言ってるだけで、元増田だけについて特に何かを非難したかったわけではない
ちょっと煽り気味に書いてしまって神経を逆撫でしたのは先に謝っておく
なお主張はずっと変わらず、非専門家が内容に踏み込んで何か言っても不毛だねって俺が思ってるだけ
俺は権威主義的なところが多少あるけど、権威主義って別に悪くないんじゃねと思っている そこらのヒキオタニートが家で理想論掲げてるのと実務化が現実の制約込みで色々考えてるのは全然実用性が違うでしょう?権威を鵜呑みにしすぎるなっていうのは俺も心得ているけど、だからといってそれが素人の意見まで全部平等に扱いましょうってことにはならないんだよな
普段何も考えず惰性で生きてきたような人たちが新型コロナワクチンの時だけ急に自分で考え始めたりして、急に権威を批判し始めたりしてなんで?って思うことは多々ある
客観視できるとどうなるのか
同意とは個々の事例で個々の患者に対して行われる1個の医療行為において判断されるべきもので、例えばワクチンという手法を医療業界で採用すること全体に漠然とした同意が必要なわけではないということです。反ワクチンについて論じているときに、同意の概念を持ち出すことは不当です。
しかし、概ねあなたのぶつかっていた疑問については見当がつきました。知ってみればなんと簡単な話でしょう。つまり端的に言えばワクチンの化学的側面については知っていても政策などの社会的側面について無知ということですね。確かに、病院で医師に聞いても彼らには答えられないかもしれませんね。何も考えず打ってる人も多いであろう中で、冷静に考えられるのですからあなたは賢いのでしょう。疑問を持つのは悪いことではありませんが、調べもしないで(ネット検索、ツイッター、掲示板で聞く以外の方法でw)デタラメに他人を腐す言動には幼いと言わざるを得ず、感心できませんね。長い話になりますが簡潔に言えば過去の予防接種の反省によるものです。ちなみにワクチンを接種しておらず感染の蓋然性が高い状態で感染を広めるような行動をした場合は、刑事罰を問われる可能性があります。
権威に引っ張られる
「権威性があること」自体は否定しませんが、言ってる意味が分かりません。そもそも世の中のほとんどは権威性のあるものによってできています。権威性によって適正化を図ったり社会や人を守ったりしています。まずそもそも国がそうです。警察は権威性があるから殺人が起こったときに犯人を捕まえることができます。農薬の残留量を調べて安全な食品を提供するための検査を行うのも権威性で、農薬の使用可能な量を決定しているのも権威性です。権威性のあるものすべてを権威として民主社会は批判していませんがあなたは何を主張したいんですか?窃盗も暴行も素人の作った何の規格もない安全性に問題のある食品も看過される、警察も検疫も何もない完全なる無権威ですか?
正しく読むとどうなるか
これは推測ではないのか?推測とも憶測とも呼べない、何の根拠もない妄想に近いと思うが
知能が幼稚園児以下ですね。まず医療行為と医療手法を分けて考えることから理解してこうねバカちゃん。エビデンスに基づいた手法と、個別の患者に対する合意に基づいた医療行為。
エビデンスと合意に基づいてない事例の話を挙げてくださいね。あなたは憲兵団に捕まって説明なしに強制的に注射を打たれたんですか?あなたの主張は意味不明です。
外野って何ですか?
承認を受けた医療や学会のようなものを権威とは呼びません。反ワクカルトは幼稚園を出てないのでしょうか?権威ではなく有効性確保のための仕組みです。
主張も会話も成立してないです
東京都立大学の宮台真司教授が何者かに襲われたという衝撃的な事件が起きた。言論を暴力によって封じることは当然許されない。強い憤りを覚える。
さて、大学構内で大学教員が襲われたという事件で有名なものは中大の事件、そして筑波大学の「悪魔の詩」訳者殺人事件だろう。
サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』に対してホメイニ師が反イスラーム的とし、関係者に死刑を宣告するファトワーを発令し、日本語訳の訳者であった筑波大学の助教授が何者かに殺害されたという衝撃的な事件だ。最終的に迷宮入りで犯人が捕まっていない。
ラシュディも近年アメリカで襲われたりといまだに尾を引いている事件である。なおインドのムスリムとして生まれたラシュディの『真夜中の子供たち』は最近岩波文庫入りして読みやすくなり、とても面白いので是非読んでみることをお勧めする。
中大の事件が個人的な怨恨であるのに対し、本事件は明確な言論の自由、学問の自由への挑戦であるし、多くの人の印象に残っている事件だろう。
当然、学問の自由・言論の自由を守るべき大学としては語り継いでいき、定期的なセレモニーなどを通して大学として言論の自由、学問の自由を再度確認すべきメモリアルな事件である。
筑波大学は歴史が浅い大学でブランド力の弱さを気にしているらしく、前身校である東京高等師範学校、東京教育大学の権威を借りようといろいろと嘉納治五郎(師範学校教授)の銅像を建てたり、朝永振一郎を顕彰したりしている。そんなに東京教育大学が素晴らしかったというなら潰すなよ。
それはともかく、その最たるものが筑波大学ギャラリーなのだが、ここには筑波大学の「悪魔の詩」訳者殺人事件の展示・記述は一切ない。誰もが認める大学史、言論史上に残る大事件であるにもかかわらずだ。
https://www.tsukuba.ac.jp/about/campus-gallery/
秋野豊博士というタジキスタンで国連政務官として平和維持活動中に凶弾に倒れた先生の展示はある。
寡聞にしてこの秋野先生という方は存じ上げないが大事な方だったろうとは思うが、ニュースバリュー・事件の重要性を考えればここに並んで悪魔の詩訳者殺害事件で倒れた五十嵐助教授の展示がないのはかなり解せない。
遺族側と仲悪いのか?とも考えられるが、近年出た記事では遺族側は事件の風化を気にされており、大学側の顕彰を拒むとは思えない。
では、何故筑波大学の歴史からこんな重要な事件が葬り去られているのか。その答えは、近年の大学(ひいては文科省)の方針にある。
筑波大学は指定国立大学として、国から高い目標を掲げさせられている。その中で重要なKPIとして設定されているのが留学生数だ。
留学元は大抵の大学がそうである通り、アジア圏が多い。中国・韓国はもちろんだが、筑波大学は中央アジアやアラブ圏とのつながりも強く、学内でもイスラーム圏の留学生を観ることは多い。
これで答えが出ただろう。イスラーム圏からの留学生を受け入れ大学として数値目標を達成するためには、殺された五十嵐助教授は闇に葬られなければならないのだ。
本来であれば、大学として許されざるテロであることをイスラーム圏からの留学生にも理解してもらう努力をすべきだと思うのだが、その努力を放棄し大学の言論の自由と学問の自由を犠牲にして大学としての達成目標をとったということだ。
学生運動渦巻く東京教育大学を潰して、文科省肝いりで作ったトップダウンの大学である以上、仕方ないかもしれない。だけれども、五十嵐助教授が大学の短期的な利益のため大学からも葬られていることに強い憤りを覚える。