はてなキーワード: 枕詞とは
私はトム・クルーズが好きだ。
今回は先日海外旅行へ行った際に、飛行機の中でようやっと観れた最新作についてのレビューをば。。
……ではなく。笑
これは、一人暮らしのための物件を決めるべく不動産屋に訪れたときの目に見えぬ敵との仁義なき闘いの記録である。
時は2月も終わりを迎えるころ。
というわけで、浮足だった田舎者の私は新居を契約するため意気揚々と不動産屋の扉を叩いた。実際には自動ドアだったので叩く間もなく開いたわけであるが。
恥ずかしながら、私は生まれてこのかた一人暮らしを経験してこなかった“一人暮らしビギナー”である。
大学も割と遠かったが、
入学して間もなく、1限に出るには5時半起きしなければならないし、終電は22時ジャストだから飲み会も1次会で帰宅という苦行に過去の自分を呪うことになるのだが。
なぁにが、「通っちゃえ☆」だ。このド阿呆。
と、まあそんな訳で
『田舎者、家を借りるってよ。』
である。
時刻は11:00。
と期待を胸に抱いていた。
「あ、ここ、いいですね。駅近いし。」
…
「もう申し込み入っちゃってるみたいでした。」
「ここは安いし良さそう」
…
「じゃあここ!ちょっと遠いけど綺麗」
…
「まだ入居中なので内見できないみたいです…」
せっかくボンビーガールで予習してきたし、部屋探しの醍醐味と言っても過言ではないのに、そもそも内見できる物件が見つからないという事態。
「僕らどんだけ日頃の行い悪いんすかね~ワハハ」
なんて担当さんも若干投げやりになってきました。
この時点で時刻は13:00を回ったところ。
もうことごとく空振りで終わっているので、ついに管理会社への確認の電話で枕詞が
になった担当さん。
つらい。
もうパソコン画面の何たらコーポとか建物の名前がゲシュタルト崩壊し始めたころ。
「え、ここ良くないですか?」
「ほんとですね。確認してみましょう」
…
「内見、できるみたいです!!」
ついに!内見できる部屋見つかりました!!
もう部屋決まったレベルの喜びだったんですが、冷静に考えてください。まだ、内見です。
とまあ、2軒ほど内見できるところを見つけていざ出発。
1軒目。
もう外観が好き。
この時点でさっき店舗で死んだ魚の目でパソコン画面を見ていた田舎者と同一人物とは思えないほどテンションが上がっている。
部屋に入った瞬間、
「え~すごい!」
「すごい!凄い!スゴイ!SUGOI!!すg…」
この時点で「もうここにする!」と心は決まっていたけれど、とりあえず2軒目へ。
ほとんど覚えていないが、
「「ワハハ」」
(やっと決まったよ、長かったなこいつ…早く終わらせてお昼たーべよ☆)
とでも言いたそうな安堵の表情を浮かべて
と再度電話を。
もうあの部屋で始まる一人暮らしライフに思いを馳せつつ書類にペンを走らせる私。
担当さんが戻ってきた。
「あの…」
「内見してる間に、申し込み入っちゃったみたいです…」
「…へ?」
Oh...
あの高揚感は?
社会の酸いも甘いもともに乗り越えると誓ったはずの私の部屋は??
憧れは、憧れのままの方が成就するより幸せなこともあるということですね…
イーサン・ハントも驚愕の不可能ミッション。目に見えぬ敵の存在を知ったところで、部屋探し1日目、終了です。
仁義なき戦いは続く…
普段から自分はBBCやPBS、CBS、CNNなどを毎日視聴したり読んだりしていて、今回のウイルス騒動でやはり日本人の文化的特性というのは面白いなぁと思ったので、メモがてら共有したい。
まず結論から言うと、日本について報道されるとき、日本人は基本「日本はダメだ」と根拠もなくまず否定や非難の論調を前提として訴える。全体的に普遍するでもなく、諸外国一般の個々の状を勘案して相対的に見るでもなく、何らかの完璧な理想の上に、まず全否定から入る日本人が英語圏で切々と日本の酷さを訴える。典型的な例では数日前のBBCドキュメンタリーに出演した日本のLGBTの「専門家」「活動家」なる日本人が「日本には人権が存在しないので〜」と普通に話していて、ホストもそれをスルーして聞いていて、世界に誤った事実が垂れ流される。日本を評価すると日本の右翼保守が〜、という枕詞をつけられるのが一般的。
他方、他国は「自国政府を信頼している」「団結のとき」等々、ポジティブなメッセージを伝える。例えば、同じBBCでも韓国の映画パラサイトの受賞を伝えた際には「韓国が誇らしい」という韓国人の声を伝え、それを喜ばしいとハッピーな論調で伝える。誰もナショナリスティックだとか右翼的だとか言わない。同様にコロナウイルスでも、数日前、BBCは韓国での急速な伝播が起きた際、韓国のメディアに属するジャーナリストの声として「我々は政府を信じている」という声を伝えた。ジャーナリストが政府の言うことを鵜呑みにして良いのかとツッコミなど誰も入れない。誰も日本の様に自国について、一部を取り上げて全否定するような発言はしない。むしろ韓国特派員は例によって韓国の医療体制を礼賛するのみである。
他にも、日本人がニューヨーク・タイムズなどに寄稿したり、BBCやらなんやらに出演したり相変わらず極端に偏った情報を発信し続けている。ゴーンの報道にも見られた現象である。単に批判するのがかっこいいとでも思っている連中もいれば、政治的にアジェンダを持って反政府的な動機を持つものもいるだろう。しかし、極端なことを偏ったことしか訴えないのは日本人の特徴と言っても良いように思えてきた。
元々メディアは反政府的というか権力をウォッチするという立場から、反政府勢力と懇意にしている。つまり、日本で言うと共産党やら社会党やらそういった連中。メディアの連中はこういった歪んだ層にばかりインタビューして世界に日本はこうだ、と語ればまぁ偏る。同様に、はてなに巣食う連中が、日本ダメを連呼するのは、元々反政府的な連中がこれ幸いと煽っているだけなのはもう多くの人が見抜いているとは思う。それに乗っかる世界の状況を知らない連中も騙されて、「日本はひどい」「言論弾圧だ隠蔽だ」いうが、世界を知らなすぎ。もっと言えば社会を知らなすぎ、というのはある。単に自分の無能さを社会のせいにして憂さ晴らししているだけというのもあるのだろう。
日本は黒船来航で「開国」したときに顕著だったように、明治維新の頃「日本は遅れた野蛮な国」「いっそ日本語もやめて、アルファベットを使うべきだろうか」といった議論が盛んに行われていた。事実としては、日本は当時としても世界でも有数の文化教育の進んだ国ではあったのだけども。いずれにしても、日本は遅れてる、「海外」は進んでる、との崇拝に近い固定観念で、結果的には、良いものは取り入れ改善し、高品質なものを生み出すという日本的な良い面として表面化もした。
こういった歴史的なことも関係して、かなり特異な文化的、言論的状況が定着していると思う。この状況は、良い面もあれば当然、悪い面もある。特に、第三者的視点で客観的に見た状況を海外に伝えることは極度に下手。大体、欧米メディアは日本を特別に、何を考えているかわからない不気味な国として特別扱いするのが近年の特徴かと思われる。昔は日本経済、金融・企業の話、ヘンタイ系の「おかしな日本人」を蔑視的に報じるか、日本右翼がどうの、ばかりだったので、マシになったのかどうかわからない。
いずれにしても興味深い現象ではある。
ついさっき、これは一部の人しか知らないんだけど、という枕詞の話を聞かされた。
残念だが、それはすでに3日前には聞いていた情報だ。
デテールが改変されていたので、汲み上げてから再度別の情報ソースから降りてきたのだろう。
もっともらしい権威者の名前が並べられていたが、情報そのものは信じるに値しないお粗末なものだった。
そういう事自体はよくあることだ。
しかし、危険なのは、その人がこの情報化社会の中において、まだ、自分は情報の源流に近いと信じてしまっていることだ。
周りが知らないことと、その情報が最新であることはイコールにならない。
自分よりも情報の源流で散々に議論され尽くした結果拡散しなかった情報だって、自分の周りには降りてこないのだから。
その人も自分はそんなものには騙されないと豪語するような人だが、うっかり信用できる情報源から流れてきただけで単純に信じてしまうほど危うい人だということがわかった。
ソーシャルハッキングの実に初歩的な手段の一つ。ネームドロップ。覚えておこう。
「今回死んだ人たちはその教訓としても役に立つ」
「今回死んだ人たちはその教訓としても役に立つ」
「今回死んだ人たちはその教訓としても役に立つ」
「今回死んだ人たちはその教訓としても役に立つ」
「今回死んだ人たちはその教訓としても役に立つ」
枕詞も何もなくいきなりこれ
女性でまぁ、典型的な毒女なんだけど仕事はピカイチに出来て。俺もこの業界長いけど「なんでそんな発想が出来るわけ?」ってアイデアをいつも出す人だった。
そんで無類のゲーム好きだった。
部署が変わって、スマホのRPGゲームを始めて、職場でそのゲームをやっている人達のグループLINEに参加したらメンバーの一人が元上司だった。
立場的に気は使ったけど、LINE上では至って普通のゲームオタクって感じで、いつもきゃっきゃしてた。
正直まだ信じられない。だってグループLINE開いたら、昨晩のタイムスタンプで彼女のメッセージがある。
(私はもっぱらROM専)、なんなら今もLINEを開けば彼女のトーク履歴が山のように出てくる。
亡くなったって話を聞いた後、グループLINE上から急遽友達追加して「○○さーん」とだけ、送ってみた。
そんな彼女にメッセージを送っても、もう二度と既読になる事は無い。
「あ、あれ。面倒だからただ既読スルーしてるだけですよね?。今日はもう寝たんでしょ? 明日朝になれば既読つくよね?」って正直今も思ってる。
あの可愛いアイコンが謎のURLを貼りつけてきたり、スタンプを貼りつけてくる事はもうないんだ。
「抜けたー(クリアしたの意)」って言葉が非常に印象的だったが、そんな言葉ももう聞くことはない。
ああ。人が死ぬってこういう事なんだな。次があるかも次があるかも、ってずっと思ってきたけど。
その次はある日突然寸断される。この年になって初めて知った。 そしてそれが死ぬ事なんだと思った。
30数年生きてきて、人の死をここまで身近に感じたのは初めてかもしれない。
父親が脳の病気で死にかけた事があったが、それよりも近くに死を感じている。
つらつらっと書きなぐるとこんな状況。
同じグループライン上で「重大発表」とか「悲報」なんてスタンプ使って、他人の死を伝えるのはどうなんだと。
もうちょっとさ。「すごく言いにくいことなんですが・・・」みたいな入り方とか。枕詞はいくらでもあっただろ。なんでこんな時にあんなチープなスタンプなんだよ。
なんつーか、小学生が「○○くんと○○ちゃんが遊んでましたー。ひゅーひゅー。報告報告ー」って冷やかしで言うのと大して変わんない。
その重大発表と悲報スタンプは、他人の死を伝える為に使うスタンプじゃない。
何か書いていてだんだん悲しくなってきた。
でも、正直彼女に感情移入していても何か自分の人生が進展する訳ではないので、会社のメンバーには「悲しいよね」って言いつつ、仕事をこなす事にする。
まぁ、1週間もしたら忘れるだろ。
今までありがとうございました。