はてなキーワード: 憂鬱とは
今年も始まって3ヶ月が過ぎようとしている。
酷く憂鬱な始まりの年ではあったが、この後はもうちょっとマシな生き方をしようと思う。
先ず、昔普通にやっていた文化的生活っぽいものを復活させたい。
そういったところに行こうと思う。
きっと癒やしがぼっち感を上回る筈だ。
私は車に乗らないので、e-bikeでも買ってポタリングがてら遠くまで行こう。
日帰りでもいいから、寺なんかがあるところへ旅行へ行くのもいい。
それから、ストレスで肥って行く気にならなくなった大きいお風呂へ行こう
(なんなら週イチくらいで行こう)
あと、夏になったらちゃんと花火を見に行こう。毎年職場から見るのは嫌だ。
勤めて丸3年は経っていないが。
この後の短くはない人生に於いて、この職場に居ることによる肉体的精神的損失は計り知れない。
そもそも、「人に尽くす様な仕事」というのに向いていなかったのだ。
「もしかしたら」という淡い期待によって奉職してみたが、矢張り私の「人間に対する愛情の薄さ」は並大抵ではなかった。
同僚は「バイトした方が楽だし稼げる」と言っている
(この片田舎ではダブルワークでもしないと私が現在得ている微々たる月収にすら届かないと思うが。それか夜職でもしない限りは)
ボーナスだって夏冬合わせても貧乏腰弁の月給に届かない程度だ。
ボーナスがあるだけマシ?月給がそれなりなのならボーナス無しでも構わないのだがな
(ところで、これから始まる同一労働同一賃金について世の正社員はどう考えているのだろうか。
普通の企業なら賞与額で差を付けるのだろうが、正社員で居る意味が無くなる様な人も出てくるだろう。
あと、この法のせいで馘首される非正規も)
なんにせよ、この惨めな人生を更に生き続けるのならば
少しでも楽で満足出来る様なものを目指すべきだ。
美少女が涙を浮かべたり、憂鬱な表情をしながらいかにも壮大な文脈がござい、という感じの絵。ほんとに辞めてほしい。
美少女がどんなこと思ってたって絶対俺に向けられたものじゃないし、なんだったら視線の先のイケメンを想像しちゃうからマジで無理。
絶対そのイケメン君は「俺に手振ってるのかと思ったら後ろの人だった」ってことないじゃん。いつもその後ろの人側なんじゃん。
女の子も好意をちょっと見せれば相手も好きになってくれるような人じゃん絶対。距離感縮めた分相手も近づいてくる奴やん。
なんかこう文化祭みたいな、打ち込んだ分の成果を得られるくらいの困難を乗り越えて友情深めるんだろうし、もうまじで無理。
第一印象がだめな俺はどうすればいいですか?俺はその絵のどこに居ればいいですか。
どうせ描いたやつもまともな青春送ってんだろうし。もう俺の心をむやみにかき回すのは止めてくれませんか。
29歳まで処女だった。
物心ついた時から太っていたので恋愛とは縁がなかった。社会人になってからも、興味もなかったし単純に機会がなくずっとSEXを知らずに大人になったが経験のなさが社会的立場に影響を及ぼすわけではないので普通に生きていた。
その中で、訪れたのが会社の健康診断だった。診断項目に、子宮頸がん検診があった。
子宮頸がん検診について無知だった私は、当日、問診票の「性交渉の経験がある」の欄に「いいえ」と答えた。
すると、診断の際に医師から「子宮頸がんは99%性交渉が原因なので経験がないのであれば検査する必要はない」と言われた。
では検査しなくていいのか、と聞くと「しなくていいが、検査をしなかったことは会社に報告される」と言われ、であればしてほしい、と言うと「出血の危険性もあるし、推奨しない、こちらも検査が困難」とやんわり断られたので仕方なく検査はしなかった。
弊社の総務はワイドショーみたいなオバサンだ。どんな印象を持つのだろうと憂鬱な気持ちになったが、まあ個人のことだし言いふらしはしないだろうと諦めた。
だが、しばらくした後、同僚の男性社員が酔ったときに下卑た笑みを浮かべながら知ってるぞ、と言ってきたときに全てを悟った。オバサンは言いふらすよな、そりゃ、と。
悔しくて悔しくて情けなくて未だに覚えている。わたしが処女であることの何が面白かったんだお前らは。
あれがどうにも、単なる日本教育批判じゃなくて「学者という存在の空しさ」の悲痛な叫びにしか聞こえないんだ。
分からない人に説明すると、基本的に欧米だと文章というものは、研究論文の書き方に則って書かせられるらしい。
正直欧米とかのtwitterとか掲示板見ていると「~は糞!だから私は正しい!」みたいな文章ばっかなので、おそらく不勉強な人が多いのだと思うが。
対して日本だと、ちゃんと勉強している人は「起承転結が大切。文章は最初に印象深いモノから書き始め、意見・感情を書き、それを補強する自分の実体験と感じたことを書きましょう!他人の意見を書くと減点」
と教わる人が多いと思う。
最初は自分も馬鹿にしてた。「私がエビデンス」とか、個人的体験を普遍的な結論に持ち込めるわけないんだ。そんなのはバカの詭弁だ。愚民の為の考えだって。
大事なのは目的と、それを補強する数字に根差した判断材料、統計とか実験とか客観的な事実。そしてそれを結論につなげる論理。
でも違った。いくら学者が汗水垂らして地道に結論に辿りついても、
twitterで「友達が暴力にあった……日本ひどい;;」とか「コミケは係員しっかりしてるしすごい!でもオリンピックはダメ」とか
なんの根拠もないゴミみたいな「感情」で正しさが決まり、統計や論理より優先される社会。戦争やいじめが無くならないわけだ。
そういう文章を見てイイネや同意レスが沢山ついてるのを見るたびに、胸が締め付けられるし、憂鬱になる。
結局、日本の学校教育の方が正しいのだ。客観的事実や丁寧な論理運びをしても、バカみたいな感情に勝るものは無い。
学に少しでも志したことが在る人間なら、その人間社会の愚かさに絶望した人が多いだろう。人は事実ではなく感情で動く生き物だ。
ペンは剣より強いが、ペンはペンであって正しさや事実や論理を表しているのではない。
2か月も胃の擦り切れる思いをし、かなり追い詰められた。
怒られた友人の方はいい子で、最初は怒ったり落ち込んだりした挙句体調を崩してしまったりしたが、でもやっぱり仲直りしたい、誤解を解きたいという気持ちにシフトしたようだった。
(えらいよなあ‥)
一方、怒った方の相手は、数ヶ月さんざん荒れたツイートを繰り返して周りをウンザリさせていた。それも最近はようやく落ち着いて、機嫌の良いツイートが増えてきた。
(やっと落ち着いて良かったという思いと、この人のせいで散々不愉快な思いをしたのにという理不尽さと‥)
そして私は‥、今の私はやり場のない思いをどこに吐き出してよいやらわからない。
友人の事は本当に心配だったし、相手の人の事も仕事の上ではとても尊敬していたので‥。
そう、尊敬していた人の嫌な部分を垣間見てしまったのが一番ストレスだったかも知れない。
この2か月、私はとても余裕がなくて嫌な人間だった。苛立ちをその怒った相手にぶつけたいが、また関係をこじらせては大変だし、本当に憂鬱になる。
ああ、くたびれた。
増田があって良かった。
王様の耳はロバの耳。
皆勤賞をもらった記憶なんて小学校止まり。(中学高校時代はニコニコ動画の見過ぎでよく寝坊していたけどこれはただのクズムーブ)
大学に入ってから、なぜか「家を出る」という行為がすごく自分にとって高いハードルになっていることに気づいた。
化粧も着替えも課題の準備も終わっているのに、5限になっても布団をかぶって「どうしようどうしよう単位落としたらどうしよう」と震えていた(現実逃避としてTwitterを眺めていた)
高校大学とストレートで卒業できたのはかなりのまぐれだと思う。
なぜなら大学卒業の頃には、学部内随一の真面目系クズ女として有名になっていたぐらいなのだから。最悪だ。
まさに自分はその「通えない」性質によってぐちゃぐちゃの勤怠を残し続け、休職を2回経験した。
いや、気合でどうにかなってたらこんなに悩んでない。仕事なんだから。人生かかってるのにこんな不真面目な行動、正気なら取らない。自分は正気じゃないのか?これまでもこれからもずっと?いや、そもそもなんでフリーランスを目指せる人生設計をしなかったんだ?
全てが遅すぎる。後悔は尽きなかった。
とりあえず3社目に諸々の事情を話して受け入れてもらい、ボロボロになりつつも仕事をこなしている状況だった。
結論を言うと、テレワークしたら、仕事の能率が二倍に上がった。上司もビデオ会議越しに褒めてくれた。うれしい。
もう暑かろうと寒かろうと憂鬱にならなくていい。満員電車のことに思いを馳せて死にて〜と呟かなくていい。だって在宅だもん。
みんな時間にふんわりしている雰囲気を感じて、なぜか胸の内がふっと軽くなった。うれしかった。もう遅刻した罪悪感を抱えて仕事しなくていい。最悪始業時間ちょうどに起きても、始業時間直前にトイレに行きたくなっても、どうにかなる。
そこでようやく、仕事における一番は、勤怠じゃなくて結果なんだと思った。今はコロナ収束のあとの通常業務を想像して、出社とかいう前時代的な概念死んでくれ〜〜〜って泣きそうになっている。
もう一生テレワークしたい。会社行きたくない。コロナ一生流行れとは流石に言えないから一生テレワークしたい。(大事なことなので二度…)
こういう人って自分の他にもいるのかなあ。
仮免の検定員が最悪だった。
ただの愚痴なんですがよければ聞いてください。
昨日仮免試験を受けたのですが、試験を始める前に大きい教室で受験者全体への試験についての説明がありました。
そこで技能のコースについての説明してる途中にその検定員がいきなり私を名指しで〇〇さんはこう言うところで落ちるといきなり言ってきました。
この時点で大分困惑したのですが、その後も技能で落ちるのは大体最後の人(一番最後は私です)などと受験者全体の場で言い、検定後も遅すぎる、わざとやってんのか?などと言われ、更に待合所の人が多いところで多分落ちるけど午後からの学科試験勉強しておいてなどと大声で言われました。
遅いと言われましたが私は右左折、クランクs字その他徐行する場所以外は大体20〜30kmのあたりで走行していました。私の一つ前の受験者もそのくらいで走っていましたが、特に何も言われてません。
それに上記の検定員とは私は初めて構内で走った時の教官だったこと以外関わっていません。
結果として受かりましたが、この検定員の態度に本当に腹が立ちました。
ブクマでは皆様パンデミック状態でアベガーアベガーと言っている。なんでも菅直人より最悪らしい。なんもせずに会食ばかりしてロクに仕事をしていないと。
ダイアモンドプリンセス号でも視察に行けって感じですかね。専門家会議を緊急召集しますか。それパフォーマンスじゃねぇの?
まぁ、そんな記事ばっかり見ていると憂鬱な気分にどっぷりハマってしまう。
あまりにも憂鬱が激しくて解離症状が強くなり、リアリティがなくなってきて、果たして自分はこの国にいるんだろうか?都心で働いているサラリーマンなんだろうか?という感覚に襲われてきている。
しかし、なんだか、恐ろしいウィルスが蔓延しているところだとは思えない。なんかいつもと変わらない。みんないつも通りマスクして、足早に通り過ぎていく。客寄せもいる。
いつも通りだ。
午前7時、憂鬱な1日が始まった。制服に袖を通し、身だしなみを整える。食卓に並べられた朝食は今日も湯気を立てているが、手をつける気にはなれない。このあとに起こることを考えるだけで吐き気がし、冷や汗が出る。心拍数は上がり、惨めで、恥ずかしく、母の顔が見られない。しかし学校を休むわけには行かない。もうすぐ期末試験だ。
あいつは毎日あらわれる。いつもの電車に同じ駅から乗り込む。時間をずらしても待ち伏せされる。そもそも学校に行くのにずらせる時間なんてたかが知れている。体を触られるようになって、もう半年ほどになる。
「電車で股の間を触られる」なんて、恥ずかしくて親にも友達にも先生にも言えない。自意識過剰かもしれないけど、被害者ヅラとか、自慢とか思われそうで怖い。声を出せない自分の弱さも気持ち悪い。でも怖い。みんな当たり前のように学校に来て、笑って、帰っていく。それと比べて、自分はすごく汚い。知らない誰かに毎日体を触られている。