はてなキーワード: 変名とは
anond:20180903115144 の続き。
NHKで全マクロス大投票(https://www.nhk.or.jp/anime/macross/)が開始されましたね。えっご存知ない?そんなあなたはこんな文章を読む暇があるなら今すぐ回れ右して魂の一票を投じましょう。ちなみに増田は複数票なら初代とプラスも入れるのにと作品はフロンティア、キャラクターは真っ先にシェリルに投票してその後に悩み抜いた末、もっとも印象的だった人たちであるカムジン(文化の負の側面を体現してみせた)と熱気バサラ(歌の力のみで世界を救った)に投票しました。
以下ネタバレ全開の感想。なお、三角関係の項が相当気持ち悪いので注意。
追記。視聴環境はバンダイチャンネル「劇場版マクロスF 〜イツワリノウタヒメ〜(HDクオリティ)」(https://www.b-ch.com/titles/3414/)の7日間視聴コース。540円なり。
冒頭の新曲ライブでいきなり劇場版クオリティを見せつけられたのだが、正直前半はTV版からの流用が多かったので、間違い探しをしている気分だった。しかしそのせいで新規カットは圧倒的にシェリル関連であることに気がついてしまった。後半に入ったら新しい映像がほとんどになったのだが、TV版と展開の違いは無かった。一番大きなTV版の違いはアルトに託したシェリルのイヤリングが無くならなかったことかな。イヤリングはシェリルの手元に一つアルトの手元に一つ……つまり……。
個人的には人間関係を積み上げる日常パートも好きなのだが、劇場版でやっている暇ないよな。ちなみに一番好きなシーンは、自由落下中にシェリルの髪が風圧で直毛になるところと、オズマがガウォーク変形で地上回避をやってみせるところと、事故でアルトにのしかかられたシェリルが焦って思いっきりグーパンチをアルトに叩き込むところ。
VF-25は相変わらず超かっこいい。そしてTV版の感想で不満点として挙げた待望の地上戦が最高の演出で追加された!フロンティアの街という市街地を舞台に重力異常というフレーバーを加えたことで、ビルの合間を漂う瓦礫を回避しながらバジュラを撃墜するというものすごく映える状況が生まれた。高速で移動をするバルキリーが浮遊する瓦礫をマニューバやガウォーク変形で回避しながらピンポイントで射撃を行い再びファイターで加速する。すなわちバルキリーの様式美。そしてその高速機動を行うバルキリーに追従するカメラワーク。最高アンド堪能である。
前回のマクロスプラスの感想で、現代の戦闘機マニューバはプラスやゼロで濃密に描かれているので、それらを超えるドッグファイトを描くのは難しいのではないかと書いてしまったが、完全に誤りだった。疑ったことを深く反省する。シチュエーションさえ違えば十分に新鮮なドッグファイトを作れるのだ!それから戦闘中に操縦桿やペダル操作をしている部分を描写するのはリアルさを感じてグッド。
まず最初にこれだけは書いておく。 (祝)シェリルさまがメインヒロイン! いやもうデート・日常パートの新規カット追加や、劇場版でのランカとシェリルのポジション変更(ランカは初対面から後輩に、シェリルはトップアイドルから怪しいトップアイドルへ)、失われなかったイヤリングにより名実ともにメインヒロインと言って良いだろう。特にシェリルがデートパートを新規に書き起こされたのに対して、ランカは歌の道へ歩む大事なきっかけであるアルトの紙飛行機が幻視に変更された。TV版と同じくランカがフォルマで what 'bout my star を歌い出すきっかけとなるのはアルトの紙飛行機なのだが、劇場版ではアルトは紙飛行機を飛ばしていない。だからランカの見た紙飛行機は空へと溶け込み、(今後を暗示して悲しいが)幻想だったことが分かるのだ。
TV版では、シェリルとランカの歌うことに対する気持ちというのは、シェリルはただ一つだけの自己表現手段であり、ランカはみんなに歌を届けたいと思っていたけど実はアルトに聞いてほしいというものだった。TV版でランカが三角関係の一角を占めていたのは、この気持ちが育つ段階があったからに思う。だからランカが以前からアルトに淡い気持ちを抱いていたという劇場版の変更は、ランカのフラグにしか見えなかったよ。劇場版の関係性の中でアルトとランカを引っ付けようとするなら、シェリルを強制退場するしかないよなーなんて思っていたら……サヨナラノツバサへ続く。
新曲を含め劇場版でも好きな曲はいっぱいある。OPから鮮烈なビートを叩きつけてくる「what 'bout my star」、を耐えたと思ったらいきなりの新曲アンドグリグリ動く劇場版クオリティの3Dモデルに言葉も出なかった「ユニバーサル・バニー」、悲しすぎるニンジン再びの「スターライト納豆」とランカの変形(とキメ顔)含めてメロディアスな名曲である「ダイナム超合金」、雪降るシティに寄り添うような歌声の「そうだよ。」などなど語りたいことは大量にある(そうだよ。の歌詞、サヨナラの伏線だったのかな)。
しかしながら劇場版で増田が一番好きな曲は「pink monsoon」。この曲はアルトとシェリルのデートで流れるメロウな曲調かつ大人っぽい歌詞の曲なのだが、個人的にこの曲以上にフロンティアの街角に流れるのにふさわしい曲は無いと思っている(次点でwhat 'bout my star)。シェリル・ノームがトップアイドルでアルトやランカが学校やバイトに毎日過ごしている、そんな平和な街の日常にテレビやラジオからこの曲が流れている。そんな感覚を呼び起こすような曲だ。pink monsoonを聞いていたら、マクロスフロンティアという作品が好きな理由には魅力的なキャラクターや歌があるけれど、坂と路面電車、街中のSFガジェット、中華飯店娘々やゼントラモール、そんな近未来感とノスタルジーに溢れたフロンティアの街そのものがすごく好きなんだなって思った。魅力的なフロンティアがあるからこそキャラクターたちも生きてくるのだな、と。
ところで「pink monsoon」の歌詞があまりにも曲調にマッチしているから、作詞家のGabriela Robinって誰なのか気になって調べたら、菅野よう子さんの変名だと知った。菅野さん、作曲センスだけでも才気爆発しているのに加えてアレンジまで手がける超人だと思っていたら、さらに歌詞まで書けるのか。もしかして菅野よう子さんって天才では?
それから音楽演出で感心したことがあったのでメモ。後半の「ライオン」の時に気がついたのだが、歌ありの曲は全て劇中に音源があり、しかも音源の状態が音に反映されている。例えば「ライオン」であれば、ランカがセリフを喋るのはシェリルが歌っている間で、シェリルが喋るのはその逆。そして二人が喋るときは間奏など歌詞が無い時。また、サヨナラノツバサになるけど、ビルの壁スクリーンから「ダイアモンドクレバス」が流れる時はスピーカーの品質が良くないので音が割れる(ひび割れた歌がギャラクシーの非情な作戦を象徴するという演出効果)。気にする人はそれほど多くないかもしれないが、このような劇中歌の整合性に対する細かい演出は非常に好感が持てる。歌が作品の柱というだけのこだわりであると思う。というか自前の歌でストーリーを回せてしまうのって冷静に考えたらすごいな。
サヨナラノツバサまで入らなかったので次:anond:20190315022241
チェーホフの銃
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%9B%E3%83%95%E3%81%AE%E9%8A%83
チェーホフの銃という表現は、ストーリーに持ち込まれたものは、すべて後段の展開の中で使わなければならず、そうならないものはそもそも取り上げてはならないのだ、と論じた、アントン・チェーホフ本人の言葉に由来している。
「誰も発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない。」アレクサンドル・セメノビッチ・ラザレフ(Aleksandr Semenovich Lazarev)(A・S・グルジンスキ(A. S. Gruzinsky)の変名)に宛てたチェーホフの手紙、1889年11月1日
例えば、ミステリ作品において、犯罪者の正体を探っていく過程では、無実の登場人物に疑いが向かうように偽りの強調をしたり、ミスディレクション(誤った手がかり)を与えたり、「意味深長な」言葉を並べるなど、様々な騙しの仕掛けを用いて、著者は読者の注意を意図的に誘導する。読者の疑いは、誤った方向に導かれ、少なくとも当面の間、真犯人は正体を知られないままでいる。
無論含まれる。
それは別。著作権法にも「無名の著作物」という文言がある。つまり変名≠匿名。
それが「公正な慣行」
引用は「いついかなるときも強行規定になるとはいえないのではないか」という議論は文部科学省のワーキンググループでもあったようだ。
ただ、著作権という制度を、著作者の経済的利益を守るためのインセンティブとして自然権とは別に創設された権利だとすると、本来は完全に自由であるはずの著作物の利用をわざと法定の権利で著作者に独占させていることが不自然なのであるから、その著作権を制限する引用などの規定は可能な限り強行規定として読み込むべきだろうと思われる。
害してはいるが、
社会は一層利便性を増し自由になっていくわけなので、1世代前、2世代前にあったような「不自由さを提供するサービス」というのはもうない。
お前はこの村社会に帰属しなければ飢え死にますよ、とか、一定の年齢になったのでお前はこの人と生殖しなさい反論は許しません、とか、お前はこの家の労働単位として一生働きなさい――みたいな「サービス」はどんどん無くなっていってる。だいたい日本では根絶されたのじゃ無かろうか?
僕たちはその代わりにコミュニティ参加の選択権や、自由恋愛や結婚の相手を選択する権利、職業の自由を手に入れた。ばんざーい。
しかしそこに現れるのは自己責任であり競争なのである。もはや僕たちは「どんなボンクラでも村システムの労働単位として悩み無く生きる」という選択肢をもっていない。全部自分で決めて、決めるのはまだ良いんだが、自己の能力で入手しないといけないのである。あるいは自己の能力においてお前は入手できなかったのだと罵倒されるしかない。
インターネットをはじめとしたIT技術によって巨大視野を入手した僕たちは、巨大なビルボードのなかで自分の現在ランクを常に再確認しながら、手持ちのカードをやりくりして様々な自由選択をし続けなければならないのであった。
ポイントはコミュ力。それがあると色々上手くいくらしいと風の噂で聞いた。まあとにかく意識の高い西東京ではそうだという話だ。
でもねコミュ力とかぼかした言い方いい加減やめましょうよ。それ政治力っすよ。集団の中で自分の意見を通すための技術、能力。それは政治力と呼ぶべきですよ。あるいはコミュ力と呼ばれているものは政治力の下位能力に過ぎませんよ。みんな本当は判っているくせに。
そして政治における低位の技術とは他の参加者を中傷してそのランキングを下げることなのだ(より上に行くとこのかぎりではない。中位では自他共栄戦略の方がなにかとメリットが大きい)。
ビルボードランキングにおいて一億総政治技術者時代を迎えた現代人は、早い時期からそれを学ぶのであった。たとえば小学校のクラスにおける派閥とイジメという形で。はっきり指摘しましょうぜ。イジメは、政治能力の格差によって起きるのだ。僕たちはこの自由が増大した社会において、政治能力が低いと生け贄にされるということをよく知っているはずではないか。
そしてそのサバイバルは小学校を卒業した後にもずっと続くのであった。恋愛という自分-あなたな1on1関係というのはもう完全に幻想で、そういう完結した一対のカップルというのは基本的にオタクの憧れでしかないのだ。通常、恋愛というのは、(多くの場合異性の)参加する一定サイズのコミュニティの中で発生する。友人関係10人とか、職場の同僚関係とか。そのコミュニティの中でお互いがお互いの政治力の照射として作り上げた居心地の良さに惹かれあい、上手くいけば結ばれる。いきなり天から美少女が振ってきて/鏡から女神が出てきて/お兄ちゃんと呼ぶ娘が同棲してきてと言うのはロマンチックだけど現実的ではない。恋人の前にまず友人。交友関係というのは大事。友だちの多い人ほど彼女が出来やすいのだ。やっぱり政治能力は何処までもついて回る。
事実としていまや全員がビルボード・サバイバーなんだから、その件については素直に見つめて、政治の季節に納得した方が良いと思う。特に日本の教育は奇妙に潔癖なので「正しければいい」とか子どもに教えがちだけど、実はあんまりそんな事はなく付け届けはいまでも有効な戦略だったりする(付け届けの種類を考えることそのものが政治センスだったりするんだが)。
ビルボードがあるかぎり、そこに勝者と敗者、強者と弱者が存在するのは避けえないけれど、でもだからといって、全体の平均レベルというものは存在する。敗者だからとふてくされて自棄になりテロじみた行為を繰り返してもランキングは上がらないのだった。
そういえば、社会人力とか、大人力なんてことばもあった。
中学の時の英語教師に英語で「変」という仇名を付けられていた男性がいて
ありとあらゆる場面で「変名字」と呼ばれ、度の過ぎたからかいを生徒達から受けていたよ
「変」というレッテルを貼られるってことは力無き者にとっては無礼な振る舞いを周囲が公認してしまう「烙印」なんだよ
「普通」と違うということはそれだけで「異端」としてdisられるリスクが上がる原因
そこを声が大きくてからかい好きの奴に目を付けられキャラ付けされるとさあ大変
どんなに立派な人間になっても一生言われちゃうんだ例えば「髪の量が少ない」ことをネタにからかわれたり
声が大きくてからかい好きの奴はどんなに人望があって頭が良くてもそういう人は尊敬できない
声が大きい他人に「変」のレッテルを貼られるのは間違いなく深刻な事態だよ
ど田舎に住んでるネット友達が、毎年、地番をかかずに年賀状を出してくる(らしい)。
そして、10日ごろに「もどってきちゃった。地番かかなかったからかな」とネットで報告してくる。
(あたりまえだ。しらべたらうちと同じ郵便番号、同じ地名内に7000人が住んでいた。おまえが変だ)
まあそれはいい。
その友達は郵便番号と「字」(地番直前の漢字部分)までかけばかならず投函したものは遅れても届くと信じ込んでいるらしい
(だってことしで3回目だ。毎年うちはテレビ局などの特定郵便番号を付された有名人ってわけじゃないって説明してるんだが)
こちらから出すときはちゃんと地番も書いてるし、「どんな薄っぺらいものにも黒猫メール便使うな。放置されてぬれるから」という意味不明のお達しにも普段従っている。
それもいい。
それはいいんだ。
問題は、やっぱり怖いから、私が名前を少し変えて教えていること。通称レベルだけれどね。
そして普段(年末年始ほど郵便局が忙しくない時期)ならば、地番とその名前だけで意識せずにけっこうものが届いていること。
その家は家族全員地番をかかないまま郵便をつかっているし、それでなんとかなってるらしいんだ(少なくともその人はそういっている)。
それ当たり前のことなの?
これ、下までフルネーム本名だったらさ、時間のかかり具合からみて、ちゃんとしらべてとどけようとしてるんじゃないの?>民営化されたゆうびんというところは
今回は時間がなかったから届かなかったけど。ねえなんでこの組み合わせで今まで届いてたの?
それって、住民票データベース流用して名字だけ検索とかしてるんじゃないの?
それってプライバシー上まずいことが起こってるんじゃないの?
まあ届いたほうがうれしいけどさ、とか少々怖い考えになったから
変名の件もふくめて内緒にしたいからここに投げにきましたとさ。
さあねよう
http://anond.hatelabo.jp/20071127092800
自分で間違ってる事を認識してるんだと思うけど、その見解は間違っている。
著作者でない者の実名又は周知の変名を著作者名として表示した著作物の複製物(原著作物の著作者でない者の実名又は周知の変名を原著作物の著作者名として表示した二次的著作物の複製物を含む。)
この意味は、二次的著作物の場合は、「原著作物の著作者であると詐称する」事が必要である。だからあえて括弧で注釈をつけているのだ。
したがって二次創作による著作権侵害は(元の著作物を俺が作った、とかいわないかぎりは)親告罪 である。
これは別に同人のために出来た規定ではなくて、それだけ「著作物」というものに、二次著作に相当しかねないものが多く、そこを網かけちゃうとなんでもかんでも非親告罪になっちゃうからヤバイだろ、って事で出来た規定なんだけどな。
だから訴えるのに権利者の訴えは必要ない。著作権侵害には侵害されているものによって親告罪と非親告罪にわかれる。すべてが親告罪であるわけではない。従って二次創作が非親告罪であるか判断するには二次創作が何にあたり、何を侵害するがポイントとなる。二次創作は現著作物の何にあたるのだろうか?唯一逮捕されたポケモン同人誌事件では複製権を侵害されたとして起訴され有罪となっている。だから複製と考えられる。二次創作が複製であるとすると二つの条文が問題となる。一つ目は119条で、これは著作権一般の権利侵害の規定だ。これは親告罪で、違法であるが訴えを起こさない限りは手続きが開始されることはない。もうひとつは121条でこちらは非親告罪だ。121条は次のように規定している。
著作者でない者の実名又は周知の変名を著作者名として表示した著作物の複製物(原著作物の著作者でない者の実名又は周知の変名を原著作物の著作者名として表示した二次的著作物の複製物を含む。)を頒布した者は、一年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。ポケモン同人誌事件の判断では二次創作は複製なので、二次創作物は複製物となりこの規定が適用される。従ってきちんと原著作者の名前を著作者としてなければならない。元ネタを明かしているだけではだめだ。例えば同人誌は作った人の名前ではなく、元ネタの著者の名前をその同人誌の著作者として書かなければならない。しかし実際はそうでないだろう。だからこの規定に違反することになる。これは非親告罪である。親告罪を規定しているのは123条で次のような規定になっている。
第百十九条、第百二十条の二第三号及び第四号、第百二十一条の二並びに前条第一項の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない。
ここには121条については触れられていないので、121条違反は親告罪とならない。詳しくない人は「第百二十一条の二」じゃないかと思うかもしれないが、これはまた121条とは別物の規定だ。いちおう「第百二十一条の二」の規定をあげておく。
次の各号に掲げる商業用レコード(当該商業用レコードの複製物(二以上の段階にわたる複製に係る複製物を含む。)を含む。)を商業用レコードとして複製し、その複製物を頒布し、又はその複製物を頒布の目的をもつて所持した者(当該各号の原盤に音を最初に固定した日の属する年の翌年から起算して五十年を経過した後において当該複製、頒布又は所持を行つた者を除く。)は、一年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
一 国内において商業用レコードの製作を業とする者が、レコード製作者からそのレコード(第八条各号のいずれかに該当するものを除く。)の原盤の提供を受けて製作した商業用レコード
二 国外において商業用レコードの製作を業とする者が、実演家等保護条約の締約国の国民、世界貿易機関の加盟国の国民又はレコード保護条約の締約国の国民(当該締約国の法令に基づいて設立された法人及び当該締約国に主たる事務所を有する法人を含む。)であるレコード製作者からそのレコード(第八条各号のいずれかに該当するものを除く。)の原盤の提供を受けて製作した商業用レコードこのように121条違反は親告罪でない。従ってこの規定によって二次創作による著作権侵害を権利者の訴えなく起訴し、二次創作者に一年以下の懲役か100万円以下の罰金を科すことができる。
まぁ、上記の議論にはぼかしてあおっている部分もあるので、詳しい人は「そうかもしれないし、そうでもないかもしれない」というだろう。人によっては「法律上そうなるが、政策的にはけしからん」というかも。でも詳しくなくて、「著作権侵害は訴えられない限り違法ではない」なんて間違ったことをいっちゃう人たちにとってはまさしく晴天の霹靂。今まで行われてきた二次創作による著作権侵害も非親告罪にあたる可能性があることがわかれば、非親告罪化についてもヒステリックな反応は減る・・・はず。そうすれば著作権侵害が訴えがなくても違法であるというか、訴えの有無は違法性の判断に関係がなく単なる手続き上のお話にすぎないということも理解されて、きちんとした議論ができる・・・はず。もしかしたらこれで法学に興味を持ってきちんと勉強しようと思うかもしれない。そうなったらいいな。