はてなキーワード: 団塊ジュニアとは
https://www.jil.go.jp/researcheye/bn/070_211105.html
「日本では、これまで女性の更年期症状と仕事に関する大規模調査が実施されておらず、更年期症状が仕事に与える影響について、定量的な把握が行われてこなかった。更年期女性の就業率が7割を超え、人口数の多い団塊ジュニア(1971-1974年生まれ)が続々と更年期に入っている現在、更年期症状が女性雇用にどれほどのダメージを与えているのか、またどのような支援が求められているのかを解明することが急務である。」
いやほんとこれ重大な問題だと思う。
なんで今まであんまり触れられてこなかったのか、不思議でならない。
ほんっとーーーーーーーーーーーーにこれまで、女性の労働問題と言えば結婚!妊娠!出産!育児!ばっかりだったものなあ(介護が多少加わったくらいか)
女性の問題は女性単体ではなくそれによって夫や子供に影響が出る事を問題視されているというか
> はてぶが「弱者男性」を実在しているかのように語っているのが謎
https://anond.hatelabo.jp/20220319181840
トイアンナ氏が語った言説がよかったので、議論の下敷きとして、リンクを貼る。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83163?
ざっくりいうと、男性自身も家父長制度の枠組みの中で求められる役割を達成できないことが、自虐だったり自信のなさ、社会での居場所のなさの原因であり、弱者男性のあり方もフェミニズムが解決すべき課題のひとつだと認識している。
異存はない。ただし、この論説の通りに社会が動いたとしても、今の弱者男性が救われるかどうかは別物だというところが問題として残ってしまう。
弱者男性の問題の原因を紐解いた時に、自己責任論で片付けれる問題はほぼない。社会のせいだ!〇〇のせいだ!と言いたい気持ちの方がよく分かる。努力できることも才能だと思うし、むしろ努力すれば報われる環境があったとは到底思えない。昭和の頃は何をやっても成功体験に結びついていたような時代とは全く違うのだから。
弱者男性が存在する理由は、まず100%本人に責任はない。というところからスタートしなければ、彼らを私達の分身として包摂することはできない。私達が私達として、存在している理由になんらかの責任はない。
彼らは私がそうなり得た一つの答えであり、さまざまな成長過程を経てたどり着いてしまった、もうひとりの自分なのである。お互いにそのことを理解できない限り、社会問題の解決にはつながらない。認識しておかなければならない最初の立ち位置だと思う。
トイアンナ氏の提案は未来に向けた一つの提言だと思うし、都市部では歓迎されるだろう言説だと思う。ただそれで生きづらい人の方が多く出るだろう、今の日本で理想主義を体現しながら生活できるのは、ごく一部の恵まれた人だけである。ただし、そのモデルが広まっていけば、数十年をかけて世の中が変わっていく可能性は十分にあるだろう。この30年で町中に痰が落ちてない世の中に変わったように。
ただ、団塊ジュニア世代を見殺しにして新しい世界に進むという未来でもあるし、そうなるしかない諦念も強い。
自分は団塊ジュニア世代の一回り下だが、団塊ジュニアのいとこらやその友人もいて、その苦労をけっこう見聞きしている。
収入は少ないが、人柄が悪いわけでも、能力がないわけでもない。ただ時代が悪かったとしか言えないし、そのせいでいろいろな経験が省かれているようにも見えたりする。
弱者男性問題が世代間対立の問題として見られやすいのは、上記のとおり団塊ジュニア世代が受けた社会情勢に影響された、努力と収入(社会的地位)のミスマッチの結果なのだろうと思っている。(資料なし)
少子化問題・年金問題・所得低下・国力低下・世代間対立・ナショナリズムの台頭、これらはすべて弱者男性に関連するテーマではある。国家運営という目線に立って一つづつ解決を目指さないと、日本が
ただ、男性弱者の問題に関して、この視点は一切いらない。これまでの結果がすべて社会のせいだったとしても、弱者男性はこれからどうすれば幸せになれるのだろうか?
その一点に絞るべきだろう。社会が成長すれば全ては解決するのは正しい、ただ十年で解決できる問題ではない。アベノミクスで盛り上がったのに、収入は増えなかった。十年でも解決出来なかった。それが事実だ。
男性の生涯未婚率は、このままいけば20%は超えるだろう。1000万人の団塊ジュニア世代の200万人が結婚しないという計算になる。
https://nayami-sodan.net/dokushin-mikon-ritsu-20-30-40-50/
KKOの母集団を200万人と置いた時(もちろん母集団には、金が有るけど結婚しない人も、KKだけど楽しんで生活している人もいる。)
見つめるべきは、200万人が幸せになれそうな未来を描くための、即効性のある解決策はすでにない。という残念な事実しか残っていない。
社会がなんとかしてくれる・景気が良くなれば雇用が増えて、とかいうレベルで自然と解決することも、諦めるしかない。
200万人分が、家族を養えるだけの高収入な仕事につくウルトラCな法案があるか?社会運動が作れるか?できねーよ。
ただ、考えてみてほしい。日本が戦後あれだけの惨禍から復活したのは、日本政府がすごかったからか?それとも、民間企業が頑張ったからか?どちらも違うだろう。
民間企業ですらなかった人も含めて、個々人がそれぞれレベルでなんとかしようとした人がたくさん居たからだと思っている。
もう一つは、戦争でたくさんの人が亡くなり、既存の仕組みにスキマがたくさんできたからなのだと思う。
これから色んな所に、社会のほころびが出てくる。町内会が動かなかったり、
これから増えていく社会のスキマを埋める人がいれば、必ず重宝される。その懐の深さは、社会の多様性さが生み出すのだろう。まだそれだけの懐の深さは日本社会も持っていると思っている。
人間なんて、だいたい腐ってるんだから、8割腐ってるなら、残りの2割のまともなところでうまいこと行くようにやろうぜ。
◯ーチンだって、まともそうな顔して、あんなことしちゃうんだから。
あれに比べたら弱者男性の言説ぐらい、読める文章を書いてるだけ凄いじゃん。
分断ではなく、共感を。
支援ではなく、協力を。
ちゃんと生きてたら、おはようございます。って声かける。それが社会的包摂じゃないの。
そういう日常の繰り返しをちゃんとすることでしか、救いはないんじゃないか。と思ったり、思わなかったり。
まぁ都会に住んでたら難しいっていう気持ちはめっちゃ分かる。人間扱いされないし。だから田舎もいいよ。珍獣扱いされるけど。上京2世だったら、帰郷するのも一つの手だというのをオススメしたい。偏見のある田舎もあるけど、結構悪くない所も多い。もちろんIターンも。リスクもあるけど、人間というだけで歓迎されるところも多い。ってか地方だとそういう社会的包摂を意識した活動を知ている人は、ちゃんといるし、地方にいるとそういう人ほど目立つから情報も見つけやすかったりする。大学時代の友人が「だれでも来れる畑」というのをやり始めて、交流の場としてまずまずうまく行ってるらしい。人手さえあれば、何かしらの生産活動ができるのが地方の良いところ。
と書いていて、お前はどうなんだと聞かれたら、KKOだけど楽しく暮らしている友人のFBにいいね!するぐらいしか出来ないし。
一軒家の向かいに住んでるひきこもりのにいちゃんにちゃんと挨拶して、なんかあったらちゃんと声掛けようと心積もりをしておく。ぐらいしか出来ないのだが。
> はてぶが「弱者男性」を実在しているかのように語っているのが謎
https://anond.hatelabo.jp/20220319181840
トイアンナ氏が語った言説がよかったので、議論の下敷きとして、リンクを貼る。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83163?
ざっくりいうと、男性自身も家父長制度の枠組みの中で求められる役割を達成できないことが、自虐だったり自信のなさ、社会での居場所のなさの原因であり、弱者男性のあり方もフェミニズムが解決すべき課題のひとつだと認識している。
異存はない。ただし、この論説の通りに社会が動いたとしても、今の弱者男性が救われるかどうかは別物だというところが問題として残ってしまう。
弱者男性の問題の原因を紐解いた時に、自己責任論で片付けれる問題はほぼない。社会のせいだ!〇〇のせいだ!と言いたい気持ちの方がよく分かる。努力できることも才能だと思うし、むしろ努力すれば報われる環境があったとは到底思えない。昭和の頃は何をやっても成功体験に結びついていたような時代とは全く違うのだから。
弱者男性が存在する理由は、まず100%本人に責任はない。というところからスタートしなければ、彼らを私達の分身として包摂することはできない。私達が私達として、存在している理由になんらかの責任はない。
彼らは私がそうなり得た一つの答えであり、さまざまな成長過程を経てたどり着いてしまった、もうひとりの自分なのである。お互いにそのことを理解できない限り、社会問題の解決にはつながらない。認識しておかなければならない最初の立ち位置だと思う。
トイアンナ氏の提案は未来に向けた一つの提言だと思うし、都市部では歓迎されるだろう言説だと思う。ただそれで生きづらい人の方が多く出るだろう、今の日本で理想主義を体現しながら生活できるのは、ごく一部の恵まれた人だけである。ただし、そのモデルが広まっていけば、数十年をかけて世の中が変わっていく可能性は十分にあるだろう。この30年で町中に痰が落ちてない世の中に変わったように。
ただ、団塊ジュニア世代を見殺しにして新しい世界に進むという未来でもあるし、そうなるしかない諦念も強い。
自分は団塊ジュニア世代の一回り下だが、団塊ジュニアのいとこらやその友人もいて、その苦労をけっこう見聞きしている。
収入は少ないが、人柄が悪いわけでも、能力がないわけでもない。ただ時代が悪かったとしか言えないし、そのせいでいろいろな経験が省かれているようにも見えたりする。
弱者男性問題が世代間対立の問題として見られやすいのは、上記のとおり団塊ジュニア世代が受けた社会情勢に影響された、努力と収入(社会的地位)のミスマッチの結果なのだろうと思っている。(資料なし)
少子化問題・年金問題・所得低下・国力低下・世代間対立・ナショナリズムの台頭、これらはすべて弱者男性に関連するテーマではある。国家運営という目線に立って一つづつ解決を目指さないと、日本が
ただ、男性弱者の問題に関して、この視点は一切いらない。これまでの結果がすべて社会のせいだったとしても、弱者男性はこれからどうすれば幸せになれるのだろうか?
その一点に絞るべきだろう。社会が成長すれば全ては解決するのは正しい、ただ十年で解決できる問題ではない。アベノミクスで盛り上がったのに、収入は増えなかった。十年でも解決出来なかった。それが事実だ。
男性の生涯未婚率は、このままいけば20%は超えるだろう。1000万人の団塊ジュニア世代の200万人が結婚しないという計算になる。
https://nayami-sodan.net/dokushin-mikon-ritsu-20-30-40-50/
KKOの母集団を200万人と置いた時(もちろん母集団には、金が有るけど結婚しない人も、KKだけど楽しんで生活している人もいる。)
見つめるべきは、200万人が幸せになれそうな未来を描くための、即効性のある解決策はすでにない。という残念な事実しか残っていない。
社会がなんとかしてくれる・景気が良くなれば雇用が増えて、とかいうレベルで自然と解決することも、諦めるしかない。
200万人分が、家族を養えるだけの高収入な仕事につくウルトラCな法案があるか?社会運動が作れるか?できねーよ。
ただ、考えてみてほしい。日本が戦後あれだけの惨禍から復活したのは、日本政府がすごかったからか?それとも、民間企業が頑張ったからか?どちらも違うだろう。
民間企業ですらなかった人も含めて、個々人がそれぞれレベルでなんとかしようとした人がたくさん居たからだと思っている。
もう一つは、戦争でたくさんの人が亡くなり、既存の仕組みにスキマがたくさんできたからなのだと思う。
これから色んな所に、社会のほころびが出てくる。町内会が動かなかったり、
これから増えていく社会のスキマを埋める人がいれば、必ず重宝される。その懐の深さは、社会の多様性さが生み出すのだろう。まだそれだけの懐の深さは日本社会も持っていると思っている。
人間なんて、だいたい腐ってるんだから、8割腐ってるなら、残りの2割のまともなところでうまいこと行くようにやろうぜ。
◯ーチンだって、まともそうな顔して、あんなことしちゃうんだから。
あれに比べたら弱者男性の言説ぐらい、読める文章を書いてるだけ凄いじゃん。
分断ではなく、共感を。
支援ではなく、協力を。
ちゃんと生きてたら、おはようございます。って声かける。それが社会的包摂じゃないの。
そういう日常の繰り返しをちゃんとすることでしか、救いはないんじゃないか。と思ったり、思わなかったり。
まぁ都会に住んでたら難しいっていう気持ちはめっちゃ分かる。人間扱いされないし。だから田舎もいいよ。珍獣扱いされるけど。上京2世だったら、帰郷するのも一つの手だというのをオススメしたい。偏見のある田舎もあるけど、結構悪くない所も多い。もちろんIターンも。リスクもあるけど、人間というだけで歓迎されるところも多い。ってか地方だとそういう社会的包摂を意識した活動を知ている人は、ちゃんといるし、地方にいるとそういう人ほど目立つから情報も見つけやすかったりする。大学時代の友人が「だれでも来れる畑」というのをやり始めて、交流の場としてまずまずうまく行ってるらしい。人手さえあれば、何かしらの生産活動ができるのが地方の良いところ。
と書いていて、お前はどうなんだと聞かれたら、KKOだけど楽しく暮らしている友人のFBにいいね!するぐらいしか出来ないし。
一軒家の向かいに住んでるひきこもりのにいちゃんにちゃんと挨拶して、なんかあったらちゃんと声掛けようと心積もりをしておく。ぐらいしか出来ないのだが。
つまり、今の状況は経済的に余裕がなくても恋愛感情とか家族を持ちたいという気持ちが優先した人達が出産しているのであって、
つまり、未来の経済規模によって子供の数、将来の大人の人口は決定されるべきであり、
これからの日本の経済規模が縮小すると考えるのなら、人口は減少した方が適切であり、寧ろもっと減らすべきだと考える
逆に、将来の日本の経済規模が縮小するにも関わらず、少子化対策だと子供の数を無理矢理増やすと、
というか、今の子供たちも、大人になったら仕事がない、という事態の方が自分はありえると思っている
日本の経済規模が縮小し、仕事も合理化や再編成を繰り返し、他国にお株を奪われ続ければそうなるのは確実であろう
就労できたとしても、今の団塊ジュニアで成功した人達を老人ホームで世話する仕事とかになるだろう
激減しているのではなく、今までの日本の人口が多すぎたのである
Z世代でそんなに自由を満喫できる人って少ないのでは。若い人たちと付き合いがないから憶測だけど、なんか現実を受け入れてて冷めてる人たちが多い気がする。自由って言いながら一番はしゃいでたのは団塊ジュニアで、それのツケを今払わされてるのでは。自由礼賛の種を蒔いたのは団塊だけど。
団塊の世代は1945年の終戦直後の1947〜1950年に生まれた世代。この頃は日本国憲法が施行、サンフランシスコ講和条約で主権回復した頃だ。
2022年現在70代くらいであと20年〜25年で居なくなるだろう。
本当の地獄は第二次ベビーブームに生まれた1965年〜1970年代に生まれた世代である。
団塊の世代の子として生まれたこの世代は20歳代でバブル景気に突入。
楽に就職を決め、結婚もしやすい年代だったと推察する。(これは田舎地域や不況の影響受けなかった職種か?)
昭和の考えを団塊の親から植え付けられ、それを今の若者に植えつけようとしている世代。また体罰や残業が当たり前で団塊世代と同じようなところがある。
しかし今の若者(所謂Z世代)は転職は当たり前、お金より休日や自由など考えが真反対である。
この若者と団塊ジュニア世代の軋轢は凄まじく、今でも「毒親」と言われている始末。
Z世代に幸あれ。
団塊ジュニアで氷河期世代。同世代の人口が多いから受験も就職も競争が激しくて大変だった。大学を卒業して就職する頃は、山一証券とか北海道拓殖銀行とかが破たんして、景気が悪く大恐慌寸前みたいな雰囲気だった。思い返してみるとその数年前の阪神大震災とかオウム事件とかから、世の中が悪くなっていくカウントダウンが始まっていたような気がする。
社会人になってからは必死に働いた。新卒で入社した会社の同期達とは仲良かったけど、上からは、使えない奴はいらない、仕事できないのは干す、というプレッシャーをひしひしと感じていた。同世代の人数が多いものだから、上の世代からすると、いくらでも取り換えが効く、使い捨てにすればいい、という感覚だったのだろう。捨てられないためには必死に働くしかなかった。
20代半ばで結婚したけど、仕事は忙しいし、将来の見通しも立たないから子供を作ろうという気にはならなかった。家族の生活に責任を持つ自信が持てなかったのだと思う。その後、何度か転職して、気が付いたら20年経って、40代後半に突入してしまった。非常に運がよかったので、今は平均よりも数倍高い給料をもらっている。ただ、この立場も安泰なものではなくて、常に不安はある。
この歳になり、ふと我が身を振り返ってみると、友達が1人もいなくなっていた。コミュ障でもともと友達は少なかったが、自分の時間やマインドシェアを仕事に全振りして、交友関係を維持する努力を怠っていたのだから当然だろう。大した趣味もなく、勤務先以外には所属コミュニティが1つもない。休日はジムに行って1人で黙々と筋トレして、黙々と泳いで帰ってくる。コミュ障なので、ジムで他の常連さんに声をかけることもできない。幸い、妻とは仲が良く、出かけた際には年甲斐もなく手をつないで歩いたりする。
今最も後悔しているのは子供をつくらなかったこと。ふとした瞬間に、俺には子孫がいないのだなということを認識すると、ものすごい喪失感と絶望が込み上げてくる。結婚までは勢いでしてしまったのだから、何でそのまま勢いで子供を作らなかったのか、あと少しの思い切りと勇気が無かったのか、すごく後悔している。