はてなキーワード: 兄弟とは
ワラ とか 笑 だぞ
ただネット文化に触れているうちに自然と w か 草 になる子が多数派だと思うけど
次男のはるちゃんが生まれて1年、5才の長男は変わらず過ごしていた。少なくとも父親の僕にはそう見えた。
しかし、目をパチパチとさせたり、少し落ち着きがない様子が目立つようになったと妻から聞かされた。
保育園の先生からは「ママと二人でどこかにいってきたら?」とアドバイスされたそうだ。
そんなこともあったので、ある日、次男だけ保育園に預けて、長男は妻と二人だけで小さな動物園に行くことになった。
僕の職場からも近かったので、お昼ご飯は3人で食べようと約束をした。
レストランで3人で食事をした。長男の上には長女がいることもあり、3人だけで外食をするのは初めてだった。
食事が始まると、最初は楽しそうにしていたが、「はるちゃんはミルクをちゃんともらってるかな?」「ねぇねは給食を食べたかな?」と言い出した。
「そろそろ迎えに行こうか」と妻が長男に言うと、うれしそうに「わかった」と言った。
数日後、長男は絵を描いていた。家の絵を描いてその中に、僕と、妻と、長女と、そして真ん中に自分。その横に小さく次男を描いた。
ひらがなを覚えて、書きたい盛りの長男は「ぱぱ、まま、ねぇね」とそれぞれの絵の下に書き、「はるちゃんはどうやって書くの?」と聞いた。
紙に書いて教えると、次男の絵の下にはっきりと大きく書いた。
そして、自分の絵の下に「にぃに」と書いた。
anond:20220611155525 とは別の増田おっちゃんですが、日曜の昼間東宝シネマズで観ました。観客は僅か5人です...。
前評判では、河瀨直美がトンデモな反オリンピック映画を公開したとか、そのせいでスキャンダル暴露して動員させない陰謀論が流れたとか、
聞いてしまっていたので、相当、反オリンピック映画なのだろう・・と思っていたのだけど、内容は真逆のオリンピック礼賛映画でしたね。
この映画は、
アスリートはヒューマンである。ヒューマンにはドラマがある。ドラマがあるからオリンピックは美しい。
開催中のテレビ放映や新聞では、この選手はほにゃららなエピソードがあって頑張ってるんですよ
的な数秒・数行で済ませられてしまうような個別紹介エピソードを日本入国前から現地で丹念に取材し、古い映像も取り交ぜて次から次へと取り上げてゆきます。
この選手にはどんなドラマが?とワクワクして観ていると2時間はあっという間でした。
確かにこの映画には金メダルの競技シーンや受賞シーンはほとんど無いのですが、そんなものは公式のダイジェスト映像などでいくらでも観れるわけで、それ以外でオリンピックを美しく撮るには選手自身の美しさを撮る以外に無い、その選手のサポートを頑張ってる裏方を撮るしかない。ということなのだと思います。
夫、兄弟、コーチ、元選手OB達の当日のさりげない動きや、それぞれの託す想いを語っているところまでちゃんと映像に収まっているのは、よくそこまで撮れたなと感動しました。
何十年も働きかけてようやくオリンピック競技に認められた話、逆にオリンピックから外された話、
授乳期間中なのに、オリンピック委員会にお願いして会場で夫と子育て・授乳しながら出場した選手と、逆に子育てのために出場をあきらめた選手、
政情不安から亡命して出場した選手、亡命を重ねて最後に自国で出場できた選手、
差別問題でSNSで騒がれる選手、政治的理由で出場断念させられる選手等々・・・
ここまで魅せられると、本当に、オリンピックは出場することに価値があるんだなって思わざるを得なくなります。
おっちゃんは、オリンピックなんてただの商業イベントだし、アスリートって要はボンボンじゃん?くらいの認識だったので、
冒頭のオリンピック反対デモシーンで「中止だ、中止!」の手持ち看板を見つけてほくそ笑んでいたのに、
映画観終わると、なんかオリンピックは続いてもいい気がしてきました。
映像としても、本当に綺麗なシーンが多いので、映画館の大スクリーンで観るのがお勧めです。
ちなみに、SIDE:Bの予告編では、「こんなに素晴らしいオリンピックの裏側では一体何が?」といった映像が流れていたので、
反オリンピックはSIDE:Bが本番かもしれません。
余談:
黒人まつげ長すぎ。
SNSで批判する連中はSNSの中でしか何も言えない人だからほっといてOKと言い切った選手カッコイイ。
なんて思いました。
人当たりは悪くないというか、人を助けたり寄り添ったりするのは嫌いじゃないし、(増田だと妄想認定されるだろうけど)仕事でもそれなりに周りに信頼してもらっていると思う。コミュ障オタクではあるので付き合った人数は少ないけど、普通に恋愛結婚もして妻とは長いこと仲良くやっていると思う。でも、根本的に人間に興味がないっぽいなということを歳を食って改めて自覚するようになった。
例えば、親戚の名前とか誰がどの家とかそういったことをいまだ一部しか覚えていない。たぶん一生覚えないと思う。兄弟の通っていた高校や大学の名前を覚えていない(有名ではないいわゆるF欄大学。ランクとかもあんまり覚えてないからたぶんだけど…)。
友人知人についての方がまだ覚えてるかなと思うけど、辞めた会社で関わりの深かった同僚くらいのレベルになるとかなり怪しい。
親兄弟親戚について覚えていないということは、子供の頃から意識することなく自然と人に興味が無かったということだと思うんだよなあ。
引っ越しで断捨離してたら、河田くん(仮名)のことを思い出した。
ただ、なんだったんだろうと言うだけの話だけど、寝る前に書こうと思う。
小学校の同級生だった河田くんは、背が小さくて痩せていて、少し外斜視の目がエキゾチックな男の子だった。
ちびまる子ちゃんの野口さんみたいな雰囲気で、無表情かニヤッと笑っているかの2つしか見たことがなかった。
河田くんは女の子が苦手で、かといって男の子の友達も多くなく、よくひとりでいた。
私は彼のことが気になってよくちょっかいをかけていたし、私の母と彼の母がPTAで親しかったこともそれに拍車をかけていた。
河田くんは4人兄弟の長男で、狭い和室にぎゅうぎゅうに置かれた2つの2段ベッドの右下1段が彼の唯一パーソナルスペースのようだった。
枕元に派手な色のカエルのぬいぐるみと星新一の小説が置かれていた。
カエルの首を掴んで「こいつかわいいだろ」と言っていたのを覚えてる、その小さなベッドの上は河田くんのお城に思えた。
なんだか私だけは特別な存在だと全く誰も羨んでいないのに優越感を感じた。
でも、河田くんと私はそれからたいした友達にもならずにクラス替えやら成長期を挟み疎遠になったまま小学校を卒業した。
河田くんは女の子が苦手だから、男子校に進むんだとお母さんに聞いた。
川沿いの薬局は駅を挟んで反対方向で、わざわざ見に行くこともなかった。
話に登ることも思い出すことも滅多になかった。
次に聞いた河田くんの近況は、亡くなったというお知らせだった。
それは母から聞いた。
葬儀は2人で行くことになった。
葬儀場には同級生らしい学ランの子たちが沢山いて、並んでいる間チラホラ小学校の同級生も見かけたけど、どれも河田くんじゃなくて河田くんのお母さんと付き合いのあったような顔だった。
棺の中の河田くんの傍にはあのぬいぐるみのカエルが寄り添っていて、一度だけ行ったお家のことを思い出して、なんだか目の焦点がうまく合わなくなった。
お葬式のあと、お食事をしていって下さいと言われて、嫌だったけど母が「こういうのは礼儀だから」っていうから案内された席に着いた。
油っぽくて味のしない天ぷらを食べてると、隣で河田くんの高校の同級生と思われる男の子が何人かで話していた。
「どうする?明日」
思い出話じゃなかった…と思って意識を天ぷらに戻そうとした瞬間、信じられない言葉が聞こえた。
「今日こんなキツいのに、明日はサカタの通夜とかキツすぎるわ」
え?と声に出てしまったと思う。
箸を持ったまま彼らの話を聞き入ってたけど、私の知りたかったようなことは、もうとっくに話し尽くしたみたいだった。
わかったことはそれだけだった。
声をかけようかとも思ったけど、そんな野次馬みたいなこと亡くなった2人に失礼なんじゃないかと思って声が出なかった。盗み聞きしてるくせに。
それに、訃報を聞いたようにいつかお母さんが誰かから真相を聞いて、私に教えてくれるかもしれないとも思った。
結局すこしの天ぷらだけ食べて、最後に河田くんのお顔をみて家に帰った。
なんで河田くんはあんなに弟思いだったのに、とか、誰にも相談できなかったのかな、とか、河田くんとサカタくんは友達だったのかな、とか、答えの出ないことをぐるぐる考えてうまく眠れなかった。
結局今日に至るまで、お母さんが「そういえば…」ってその話をしてくれるなんて都合のいいことは起きなかった。
何もわからないしわかることもないまま、高校は卒業して就職もして今引っ越ししようとしてる。
私は河田くんのことを何も知らない。これから新しく知ることもないと思う。
あの部屋の小さな河田くんの世界の記憶だけが鮮明で、お別れのこともフワッとしか思い出せない。
私が知っている12歳の河田くんは、5年間でどう変わっていったんだろう。
日本人はとにかく贈り物やお土産が大好き。それは理解できる部分はある。
ただ、なぜか贈り物に贈り物を返す文化は正直しんどいし滅んでほしい。なんなら出産関連本が最初から「内祝いカタログ」なんて出すのは狂ってるとしか言いようがない。
なぜこれから子供ができる家庭に対して他人への贈り物を選ばせようとするのか。一番お金がかかり肉体的・時間的にも負担の多い子育てをする家庭は、生まれる子供や兄弟たちに一番お金を使うべきなんだよ。他人の家庭にお金使ってる場合じゃない。
祝う側だってさ、返礼を期待して送るなんてまずないんだよ。使ってほしいものや貰って嬉しいものを渡して自己満足したいんだよ。返礼のお菓子を貰いたいがために子供服とかおむつを渡しているわけじゃないんだよ。
我ながら情けない話だけど人生で誰かにモテた経験がなさ過ぎて、自分みたいな喪女相手でも穴さえあればそれでいいっていう猿がいる可能性を失念してたんだよね
元々ボディタッチ多いおっさんだったけど、営業職の体育会系ってこんなもんかなーくらいにしか思ってなかった、数か月前の自分アホすぎ
営業先で用事済ませていつも通り帰社するもんだとばっかり思ってたら全然知らん道走ってる、そん時もメシ連れてってくれんのかなーくらいにしか思ってなかった、助手席の自分アホすぎ
人気もなーんもなくて雑草ぼーぼーのだだっぴろい市営駐車場ついて、隣が墓地だったから知り合いの墓参りか?とかまだのんきに考えてた、その時に限ってスカート履いてた自分アホすぎ
「そろそろいいよね?」の意味が分かんなくてしばらく間抜けにただへらへら笑ってたし、おっさんがスカートの中に手突っ込んでくるまで本当に何も気付いてなかった
ユニクロで二枚セット980円のパンツをずり下ろされそうになった瞬間、恐怖より思考より何よりも先に「病気だけどいいですか?」って言ってた。今思うと意味わかんなくて草
おっさんは一瞬で固まって、「ビョウキ?」と初めて聞いた単語みたいにカタコトで言った。
私はようやく思考が戻ってきて、いやゴメン戻ってきてないかもしれない、何か聞かれるよりも先に「うれしい!私、性病持ちだからだれにも相手にしてもらえなくてずっと悩んでたんです」って前のめりで言った。おっさんはスカートの中から手を引いた。
それからはおっさんは私のほうを見ようともせずしっかりハンドル握って、「なんか今日暑いね、会社の方が涼しいかもね、アハハ」とか笑って、サイドブレーキをがちゃがちゃやってた。すごい慌てて、事故られても困るから、「運転代わりましょうか?」って言ったけど、今までにない優しい声で「いいよ、座ってなよ。疲れたでしょ」とか言われた。今日の取引だって私おっさんの隣に座ってただ笑って資料出し入れしてただけだけどな。
そのあと車内は無言のままどこにも寄らずに会社へ直行、車を停めた途端おっさんは「急ぎの会議があるから!」とあわただしく駆けて行った。走る背中に「車のキー返しときますよ」って言ったけど、無視された。
その日の定時すぎ、うしろのデスクのお喋りデリカシー皆無男こと私の従兄弟が「おまえ病気持ちなの?」と聞いてきた。一日すら黙ってられんのかおっさんは。
「病院行ったことないから知らない(※マジで健康体すぎて物心ついてから健康診断と予防接種以外一度も病院に行ったことない)」と言ったら、「てかヤったの?」と興味津々な様子で聞かれた。お前それが聞きたかっただけだろ。
デリカシー皆無男は放置して、定時前に約束をとりつけておいた上司(もちろんおっさんではない、おっさんより上の人)に事の顛末を報告…しようと思ったけど上手く言えなくて、「社用車のドライブレコーダーって車内の様子も分かるようになってますか?」みたいな意味わからんことしか聞けなかった。
優上司はある程度察してくれたらしく、「落ち着いたらでいいから、話せるときに話して」と言い、しばらく私の業務をひとりでもくもくとやる作業(タコ部屋みたいなもん)にしてくれた。
タコ部屋作業に3日で飽きたので3日目の夕方に時系列をまとめた文書を優上司に報告した。優上司は一応社用車のドラレコを確認してくれたらしく、掠れた音声だけではあったが何が起きたかを察するのは容易だったかもしれない。
自分が明確に拒否していないので対応は難しいかな、と思ったけどあの日から2週間も経たないうちにおっさんは営業部から姿を消していた。
別にそうでもない人もそれなりにいる。
母の思惑とは裏腹に、兄弟そろって妻が家にいられるようなそれなりの稼ぎの仕事に就こうって思った。
まあ、ワーキングマザー系の俺すげー記事だと、ママが生き生きしていると、子供も云々みたいなのが流布されているが、俺はそうは思わない。
時間にも心にも余裕がないからか、何か問題が起きたときはマジ切れされてた。
子供心にこの人に相談したら、怒られるだけで解決しないから、怒られるだけ損って思ってた。
問題が起きても一人で抱え込んで何とかするという人格はここで作られたんだと思う。
残念ながら、何かを得たら、何かを失わないといけないんだと思う。
母はそれなりの高さまで上りつめたが、それは子供との関係の犠牲の上に成り立っていた。
マミートラックの何が悪い?少なくとも、子供との時間を十分に取れて、子供との関係は良好なんでしょ?
それとも、俺みたいにな子供を作りたい?
海外移住は結局のところ親兄弟が健康でほっといても生活できるかどうかに掛かってるんだよなあ。「実家の太さ」というのは経済力や文化資本だけでなくこういうところにも強く効いてくる。
きょうだいの組み合わせっていくつもあって、その中でも個々の事情は様々なのに
「駄目な例」としていつも例に挙がるのって大抵は「弟のいる長女(姉)」なんだよね
同じく男兄弟のいる長女でも兄のいる長女はOK、同じく第一子の長女でも妹のいる長女はOK、
悪く言われるのはいつも「弟のいる長女」ばかり
これってもはや弟のいる長女に対する差別だと思う
発端になったの西原理恵子の娘の件は兄のいる長女で、兄と格差で大事にされていなかったって事例なのに
弟のいる長女はこれだから駄目なんだ~と
兄と妹で当たり前のように第一子長男を贔屓したり、姉と妹で妹ばかりを幼い可愛いと依怙贔屓したりする事例も多いだろうにそっちは何故か問題視しないらしい
弟のいる長女は妹がいる長女と比べて同性の親と接する機会が多くジェンダーロールを押し付けられて「女性らしい」職に就くので収入が低くなると言われるけれど、そうか?
自分も弟のいる長女だけど父親と接する時間が長かったと思うし、学歴も収入も弟よりも高いしジェンダーロールを押し付けられて育った記憶はない
寧ろ弟と一緒に遊んだ経験から男性が多い分野の趣味や特技に親和的だし、そういう人は多いと思う
自分の場合弟のいる長女である事にコンプレックスを感じるのはけして親やきょうだいからの影響なんかではなくて、ネットのこういう言説のせいだわ
仮に弟のいる長女が「女性らしい」ジェンダーロールの職種に就く傾向があるとして、そういった仕事に低い収入しか与えないのは社会の問題だろうに何故個々の家庭の問題に全てを押し付けようとするのか、疑問でしかない