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2023-05-05

マリオ映画感想ネタバレないと思う

キャラクタ作画違和感、あっちのCGアニメに馴染みあったらそうでもないの?

後半のピーチのお尻がエッチで内容入ってこない

クライマックスあたりから眠くなってきた、エンドロールほとんど寝てた

あの星のやつ、謎の存在

お子様が多い上映だった

anond:20230505212747

評論家映画単体では完結してないからと鬼滅もマリオ評価しないのは何故か」って話をしてたよね?

なんか話がズレてませんか?

原作云々はその流れの上での一例だよね?(それでだって、鬼滅がオタク向けかいう話になる時点で破綻してますが)

自分の言いたいことだけ喋ってませんか?

マリオ映画のあれこれは巧妙なマーケティングだろ

「イケ好かない評論家酷評するけど、原作ファンは大歓喜映画!」

っていう、

アホ馬鹿ネットユーザーが大好きな妄想を元にしたマーケティング

実際、ファンから見ても「ファンサが手厚いだけで中身は薄っぺら」って感想を見かけるクオリティで、

評論家酷評ファン歓喜!」って「マーケティング」がなかったら、大して話題にならなかったんじゃない。

そんなに評論家全員が酷評してるわけでもなくて(娯楽映画として盛り上がりに欠けるよねみたいなトーン)、

ファン小ネタをいちいち拾ってるだけで(オタクはそれをしたがる)別に映画として絶賛してるわけでもないっていう。


これは映画でもマリオでも任天堂でもなく、映画会社のマーケティング勝利ですわ。


anond:20230504221408

映画ポリコレ云々の前にオタクが鑑賞という行為が出来ていない疑惑

マリオ映画評論家と観客の評価乖離してるのはポリコレの強行のせいだ普通の人はポリコレうんざりなんだ増田もそうなんだが、そもそも映画やその他のエンタメ作品の鑑賞自体が出来ているのか?という疑問が湧くのだ。

https://anond.hatelabo.jp/20230504221408

 

この映画は反ポリコレだ!だからヒットしたんだ!ポリコレが無いか評論家の評点が低いんだ!っていう意見が一か月くらい前からネットで湧きあがってるんだが、それに対して全然そうじゃねぇってツッコミ多数という状態になっている。

そんな状態で「オタクは女とポリコレ攻撃されている」という投稿をすると無条件で持ち上げられるはてなにそのままの認識をぶっこんだら賛同されると考えたんだろう。そしてその通りになっている。

だがこのオタクの反ポリコレブームというのはかなり変なのだ。「ポリコレ的なものを無理くりに見つけ出して批判する」というゲームになっているのだ。

そしてポリコレ要素が「見つかった」ものは棄損されスポイルされたものであるからまらない、と結論される。インフルエンサーの雑な扇動と飯のタネになってるのではないか

 

例えば、聖闘士星矢のネトフリ新作ではアンドロメダ瞬が女になると伝えられて、それがポリコレだ!と糾弾されるわけだ。

でも原作でもアンドロメダ瞬は中性的ななりで、何故か股間に防具が無くてレオタードみたいなのむき出し、なのに股間もっこりがない。

なので二次創作やおいジャンルでは瞬は女役というかもっとはっきり言うとメス役で他の男に犯される役が専らだった。

因みにやおい腐女子と呼ばれるジャンル70年代末に遡るが、それが大きくなって市場化する起爆剤になったのが80年代聖闘士星矢二次創作だった(あとキャプテン翼)。

これって非常に反ポリコレでしょ。

そして四半世紀経ってリメイクするに当たり、公式の方が腐女子に合わせてきた訳だ。これがポリコレかっ!?逆だろう。

からこういう大してオタクでもない増田も知っている文脈を知らないかポリコレという「真理」が見えちゃうというケースである

 

それから鑑賞が出来ていない疑惑だが、数年前に100日後に死ぬワニってマンガがあったのはご存じかと思う。

変な広告屋に抱かれたせいで101日後にコンテンツとして爆死してしまった訳だが、この4コマ漫画最終回は凝ったもので、ワニの死が直接描写されず、雑誌なら見開き(WEBなので大判だが)に桜が散るというコマで死が暗喩されていた。

これ自体特別表現ではない。

だが、作者のTwitterには「僕の解釈」を開陳するレス殺到したのだ。「このバイクに乗っているのは誰々で、そのキャラが死んじゃった」等という様々な「解釈」が殺到した。

まりはあれだけ簡単暗喩表現が分からない人は結構いるという事と、そういう人にとってはネットで見る物知り達の「自分流の穿った解釈」は単純理解と同レベルであり、単純理解不能だった時は僕の解釈をしてもいいと思われているという事だ。

これはゲームリプレイ動画に付くコメントでも同じで、洋ゲーちょっと洒落表現では必ず「僕の解釈」のコメントが付いている。

エンタメだって楽しむにはちょっとした教養必要だろう。

そういう人がネットの反ポリコレ言説に触れて、ちょっと難しい表現に当たった時、それは「ポリコレのせい」に見えるのではないか

 

元増田場合は「映画評論」というものを知らないのでは?という疑念が湧く。映画評論家は「これはポリコレ的に×、これはLGBTが出るから加点」という風にやる連中だと思ってないか

一般的に人気はあるけど評論家の点数は低いという時、多いのは「全体的に面白いけど平板から」というケースが多い。「大人子供も楽しめますね」ってやつだ。

例を挙げよう。

同じ3Dアニメで「カーズ」ってアニメがある。車を擬人化した映画だ。

この中で古い車キャラ主人公若い車にドリフトを教えるシーンがある。嘗ての街道レーサーみたいなジジイ車なんだな。

そしてレース中にスピンした主人公車がそのまま逆ハン切って大ドリフトに移行するというシーンがある。その時、実況解説してるジジイ車はたまらずに身を乗り出す。

こういう「刺さる」シーン「光るシーン」を平板子供アニメに入れ込むと評論家評価は上がるのだ。

更に今ではこの刺さるシーンのせいでネットミーム化していつまでも残り、続編への呼び水になったりもする。

評論家は他の映画も見て鑑賞してるのだ。

この評価乖離が起きたのってロッテトマトとかだろう?新聞キッズ欄の「お勧め度」じゃないんだろう?新聞キッズ欄の「お勧め度」なら平板ポリコレ安全な方が点数は高くなるがそれ以外なら逆だ。

 

これ書いてる増田の好きな映画ジャンルというのは虐殺暴力理不尽同性愛フェチといったもので、あんまりポリコレが力持ちすぎると困る。

映画パフューム』のAmazonレビューに「無実の人が死刑になっていやな気分になった」とコメントされているのを見て笑ってしまった。同映画では連続殺人を犯した主人公香水の魔力によって大衆を魅了し、死刑を免れる。司法は法的辻褄の為に代わりに世話人の家の一人を犯人でっち上げ処刑して主人公は放免めでたしめでたしとなるのだ。この理不尽は当然観客を反徳でいやな気持にする為に入れられている。

けれどネットオタクが論う「ポリコレ浸食」は見るからトンチンカンなのだ一般的な鑑賞、読解と評論が出来ずに飛びついているというケースばかりなのだ

作品の出来に関連する論争的なポリコレ」の周囲にインフルエンサの養分が分厚く堆積してそれを突いている感じなのだ

フェミ弱者男性が中身のないアニメを見るのって美少女目当てでしょ?主人公おっさんだったら見てないんでしょ?気持ち悪い!」←マリオの大ヒットで論破されたと話題

サンキューマリオ

マリオ映画ストーリーとか批評家の話とか)

感想ネタバレなし)

映像気持ちいい

映像が良かった。このシーン、このアイテム映像解釈がこうなるのか!という驚きの連続BGM効果音のさりげないアレンジも良い。

映像テンポがよく気持ち良い。特にアクションシーン。

楽しい場面も多くて映画館で何度も笑いが漏れてた。間が絶妙なかんじ。

ピーチ姫アクションがカッコ良い。ギャルっぽい話し方に最初違和感を覚えたけど格好良いから100点満点です。

クッパが良いキャラしてる。ファンが増えそう。


ストーリーがないという議論(ややネタバレあり)

映画批評家評価が低いらしい。これはポリコレは全く無関係で、映画セオリー無視した脚本からだと思う。

映画脚本術は3幕構成とかセーブザキャットとかいろいろあるけど基本的主人公挫折するパートが必ずあるはず。

この映画普通映画にするとこんな感じになると思う(太字が改変部分)

例1)

1. 何をやってもうまくいかないマリオ兄弟マリオ起業に弟を巻き込んだと責められている。

2. 弟を連れ去られ救い出す決意をするマリオ

3. ピーチ姫との修行

4. クッパとの決戦。クッパを追い詰めるマリオ

5. 実はピーチ姫は裏切っていた。「ごめんなさい王国を救うにはこれしかなかったの」罠にハマり捕まるマリオ

6. ルイージと力を合わせて牢を脱出クッパを倒す

例2

1. 何をやってもうまくいかないマリオ兄弟マリオ起業に弟を巻き込んだと責められている。

2. 弟を連れ去られ救い出す決意をするマリオ

3. ピーチ姫との修行

4. クッパとの決戦。クッパを追い詰めるマリオ

5. 実はルイージが裏切っていた「いつまでも兄貴ヅラするな。僕はお前が嫌いだったんだ」ルイージに叩きのめされ失意のマリオ

6. 再び立ち上がりルイージと対決。溶岩に落ちかけたルイージの手を掴む。「お前がどう思おうと、僕にとっては弟だ」

7. 兄弟で力を合わせクッパを倒す


上の5に相当する挫折パートがないんですよね。批評家違和感を覚えるのはその辺かも。

ただ、これはファン向け映画なのでマリオキャラの仲間割れとか過度なドラマファンは求めていないと思う。だからこれで良いんだ。

いちおう、ドンキーマリオ主人公「バディとの友情としてみるとだいぶセオリー通りな感じなのですが・・・ドンキーマリオ登場人物でないからうーん???友情出演と思って見ていたのに中盤であれ?こいつシナリオ的にメインキャラだなって

マリオルイージ必死になって助けようとするのは大事な弟だからだし普通人間が化け物相手に戦おうとするんだから失敗続きの努力必要なのも必然であってそこから「お前ら簡単に諦めるな」という作り手のメッセージがあると解釈するってマジでわからん感覚やわ。受け取ってるんじゃなくて(勝手に)見出してるだけやん。

イルミネーション映画って、少なくとも私はシングを見て

身体の大きい象が引っ込み思案な女の子

ヤマアラシパンクガール彼氏と別れる、

子沢山の豚の主婦が歌って踊る等、

社会的に弱い立場にいる日陰者へのエンパワーメントを感じたけれど

でもアメリカ本国では何の思想メッセージもない、「楽しいだけ」の映画扱いなんだよね?

ならマリオ映画だって同じだと思うけどなあ

知らないマリオ

マリオ映画、見たよ。

映像お金かかってるな〜、音楽ゲーム曲のアレンジはいい感じだな、それ以外の曲はなんかブロックバスター映画感があってちょっとな、全体の構成無駄がなくて凄く良く練られているんだろうな、リアリティラインは低いけどマリオが殴られたりぶっ飛ばされたりしすぎて痛そうだな。

全体を通して解釈とか考察とかの余地は無くて、正に考えなくて良い映画だな。子ども向けには凄く良いだろうし、大ヒットしたから数年後からテレビロードショーで毎年リピートされるだろうし、続編も作られるんだろうな。

ただ、自分映画に期待するものは持ち合わせていないな。

何より「Mario is Me」なんだ。

マリオ操作する自分分身であって、そこに人格があるのは変な感じだ。

他人プレイを見るのとも違う違和感

マリオ人格を得たけど、その瞬間に「Mario is Me」の感覚は失われるんだ。

2023-05-04

マリオ映画で、なんで「アメリカ映画評論家は薄っぺらだ」と言い出したのに観客は満足したか

これ。

アカデミー賞評価の際にも色々話題になった。

ようするに「スーパーマリオ映画には、別にマイノリティが出てこないし、人種差別LGBT差別問題も出てこない」

ということ。

まりアメリカ映画評論家が突きやす社会問題投影されていないということだ。

イタリア移民白人兄弟が、勇気を出して頑張る話」

という話だ。

テーマは「家族愛」と「勇気」だった。

社会問題は一切含まれていない。

から薄っぺらだ」と言っているんだろう。

娯楽作品に何でもかんでも社会問題を入れるのは、それが作品作用することはあるが「絶対的ルール」ではない。

差別に苦しんでいる人間以外にも、娯楽作品で楽しみたいひとはいっぱいいる。

マリオルイージの住むスーパーマリオ世界は、いわゆる「バカでのろまで、失敗続きの優しい二人が、勇気を出して困難に立ち向かう」

という映画だった。

わかりやす被差別アイコンは出て来ないが、十分普遍的テーマだったと思う。

ゲイでもトランスジェンダーでも、有色人種でもないが、上手く行ってない、社会から軽んじられている二人の物語だった。

多くの観客は、それで十分。

評論家のように属性を気にしなかった。

なぜなら、その二人は、かつて自分分身として、ゲームの中で悪戦苦闘をともにしてきた、古くからの友人だからだ。

とりたてて、別の社会的な属性付与する必要はなかった。

マリオマリオルイージルイージだった。

それ以上は余計なものだった。

観客にとっては「自分分身」であり、そこには特定属性意味を成さないのだから

マリオ映画

①先にアメリカで公開

アメリカ批評家が「何の思想もないファン向けの映画」と低評価を下す

日本で公開される

日本ファンが、「何の思想もない映画で良かったー!」と高評価する

⑤②を無視して何故か④だけに対し、「マリオ映画思想があるだろ」と反論する人達が現れる

……という順番なんだよね

先に思想がないって言ったのはアメリカ批評家だよ

反論するならば、まずはそっちに反論しなよ

TOHOシネマズのフードカウンター時間かかりすぎ問題

今日、息子とマリオ映画TOHOシネマズに観に行った。

ポップコーンなどを買おうと思い、開始20分ほど前に現地着。

GWということもあり、各列15組ほど並んでいる。

こんなもんだったら、ちょうど開始くらいには入れるかなと思い列に並んだ。

ところが一向に列が進まない。

一組あたり、2分ほど処理にかかっている。

これは上映間に合わんわと思っていたが案の定10分ほど遅れてしまった。息子よスマン。

オペレーションを見ると、注文受け→トレー準備→フード準備→ドリンク準備→会計まで一人でやっている。そりゃ効率悪いよ。カウンター内でも、フード入ったケースに待ち行列できてるし。

マックスタバの分業に慣らされた我々からすると永遠レベルの待ち時間調理必要なく、ただ容器にいれるだけなのに。

なんか思想でもあるの?

鑑賞料あげる前にオペレーション改善した方が利益貢献できるのでは?フードとレジを一旦分けてみようよ。

マリオは息子が大喜びでよかったです。

マリオ映画みてきたんだが、、、

正直つまらなかった。ストーリーに尺を割きすぎてる気がするし、家族も出す必要あったんだろうか。世間では大変好評なのが全然納得いかない。

マリオ映画観たんだけど

ルイーズの扱い酷いわ。

兄がいて、小さなからフィクションでは常に弟キャラ感情移入してきた俺としては納得いかない。

 

でもそれはそれとして素晴らしく面白い娯楽映画だった。展開が切り替わるトコとか、新キャラが加わるとことか、要所要所の「間」が絶妙だった。速いとついていけないし、遅いと飽きちゃうけどギリギリの所をついていて見ていて全く飽きない。

あっちの記事をちらちら見てると最初disりまくってたくせに

超絶メガヒットなっちまったもんだから

マリオポリコレみたいに言い張ってるのがあるけど

ここで必死な人と似たような反応で笑うわ

テーマメッセージと「思想」は違う

「『ザ・スーパーマリオブラザーズムービー感想楽しいだけ、の映画

https://www.shachikudayo.com/entry/2023/04/29/120418

この記事映画マリオ制作であるイルミネーションについて

人生の意義を指し示してくれるような教養的で社会性の深みのあるディズニーピクサーと比べて、イルミネーションは深みがない、ただただ「楽しいだけ」と言われ続けてきたのだ」

と言われていて、へーって思ったけれど

でもイルミネーション映画だってテーマメッセージ性はちゃんとあるよね

シングだったら夢を諦めない事とか自分らしさを貫く事とか、ミニオンズだったらグルーと血の繋がらない娘達との親子愛とか

テーマメッセージ性は十分に感じ取れる

でもそれらを「思想」と表現されるとめちゃくちゃ違和感あるんだよなあ

個人的にはテーマメッセージ性はその対象が広くて、異性愛や親子愛といった世の中に既に当たり前に受け入れられている価値観も含むけれど

思想」って言われると現状の世の中ではまだ当たり前のように受け入れられてはいないけれど、作り手が強く訴えかけたいというイメージを持つ

から私はマリオ映画に「思想」はないと思う

それが良い悪いじゃなくて、違うもんは違うよねって話

思想があるから楽しめたという意見も、ないから楽しめたという意見も、どっちもあっていいんだよ

「ザ・スーパーマリオブラザーズムービー」の特典ガチャ要素について

この<『ザ・スーパーマリオブラザーズムービーハテナブック>は、紹介内容が異なる4種類を用意しており、おひとり様につき、4種類の中から1冊をランダムプレゼントいたします。また、それぞれの冊子にはキャラクターデザインされたステッカーも封入されており、マリオルイージピーチ姫クッパの4種類があります

こんなの、任天堂ガチファンは全種類揃えるまで通い詰めるだろうに

かつてガチャを痛烈に批判していた任天堂

看板タイトル劇場映画でこんなことをするとは

ランダム配布特典で何度も劇場に足を運ばせる

昨今のリピーター狙い撃ち商法任天堂まで手を染める

時代の移り変わりを感じる一幕である

「何の思想もない」は昔から誉め言葉だったでしょ

マリオ映画を(どう見ても誉め言葉として)「何の思想もない」と表現した人がめちゃくちゃ叩かれているけれど

からオタクの間には、何の思想もない、頭を使わずに楽しめる作品こそが最も高等で王道であり、偉い、という価値観ってあったと思うけどね

少なくともドラゴンボールが出てきた辺りからから、もう30年以上にはなるか。

それよりもっと前になるとちょっとからないけれど、少なくとも1990年代からオタクの間では

どうでもいいような心理面を掘り下げた少女漫画はくだらなくてレベルが低い、

恋愛心理描写なんて適当でとにかくハイレベルデッサン空間認識能力を使って駆け引きのある能力バトルをやっているのが一番偉い、って価値観支配的だったでしょ

歌詞でも「頭空っぽの方が夢詰め込める」って言ってたしね。

エヴァまどかマギカの時に流行った「考察」はあくまでも推理小説的というか、サザエさんドラえもん謎本ブームの延長線上にあるというか

設定やその元ネタを探る方向にあるのであって、思想信条的なそれとは別物だよね

2023-05-03

評論家マリオ叩きで複雑な気持ちになる

評論家マリオぶっ叩いて、「マリオすら知らない評論家意味ある?」とか「客目線とズレすぎた評論家って何の意味があるの?」って意見も出てきた。

ぶっちゃけその通りだと思う。

だが、それ以前に柳下毅一郎を知らない人が多くて驚いた。

町山のことは大体みんな知ってるし、ライムスター宇多丸のことも大体みんな知っている…という環境だったので。

えっ町山は知ってるのに、柳下知らないなんてことある

という気持ちで、複雑というか、混乱した。

どういうことなの?

映画】ザ・スーパーマリオブラザーズムービー

・ひたすら面白かった

マリオあんまり詳しくないので

 シュガー・ラッシュ元ネタ映画だ!ってなりながら観てた

ドンキーコング好き

 登場時のパワフルなアニメーション、良すぎる

・こんなにたくさんの子供が入ったシアター初めて

 活気があっていい

 一緒に観に行った人は隣のキッズの無法っぷりに若干ピキってたのでそこは若干運ゲーなところある

 エンディング中出て行く人の多さにビビった

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