はてなキーワード: イントネーションとは
田舎もんと言うのは、
始終じぶんとことよそとを比べて必死になってるような根暗なカスのことですよ。
こういうやつ。
こういうこといってる奴がムカつくのはね、
よく読んでください。
バカにしてる「っぽいし」だの、
鼻にかけていると「感じる」だの、
全部曖昧でしょ。
http://anond.hatelabo.jp/20160123095829
京都批判してる増田には具体的なエピソードや指摘が一杯あるでしょ?
けど東京に「偉そう」とか言う奴って具体性が無くて、
「こちらをバカにしている気がする」みたいな言い方が異常に多いんです。
何故か?
地方出身者だからっていちいち気にしてたら何も話が進みません。
ていうか今話してる相手がどこ出身かとか知らないし気付かないよ。
じゃあ関西のどのあたりなのかもさっぱりわからない。興味も無い。
そばに居る奴が「よそもん」だと気付ける、って前提が既に
人の出入りの乏しい地方でしか生活したことない人の発想なんです。
そんで「東京出身者は地方出身者をバカにする」とか言ってるの。
バカ丸出しでしょ。
「ない」ということに気付かなかったけど、
地元意識過剰(に見える)な地方出身者と接するうちに気付きました。
自分達の「なさ」に。
誰でも入ってこれる誰でも去っていけるし
どうってこともないただの場所です。
通り道みたいな。
だからこの手の東京を意識して言いがかりつけて来る田舎もんにむかつくのは
「自分の劣等感とシャドーボクシングしてる人間の醜態が見るに耐えないから」なのです。
大学では訛りすごい奴は大体人気者で真似されてましたし
地方出身者だから馬鹿にするなんて場面見たこと一度も無いですよ。
要するにこいつら、東京に触れたことがないんでしょう。
そんなに東京を意識するなら上京して暮らしてみればよかったのに、それはしない。
しないなら地元に満足して地元最高と思って暮らしてればいいのに
チラチラと東京を気にして不満を溜め込む。
「自分が気にしてる対象が自分を見下している」という設定です。
ストーカーとかもみんなそういうこと言うでしょ。「バカにしやがって」って。
触れることもない相手へ勝手に膨らました劣等感を一発逆転出来る理屈は
「相手が自分を馬鹿にして居る、差別して居る」と言いがかりをつけて
道徳的優位に立つことなんですよ。
ほんと気色悪い。
普通に東京で暮らして東京で活躍してる地方出身者なんかいくらでも居る。
彼等みたいになってみればいいじゃん。
もしくは自分の地元を愛して満足して暮らしていけばいいじゃん。
どっちも出来ないのは誰のせいでもなくて自分の心の整理が出来てないだらしない人間でしょ。
純然たる醜態だよ。
ここぞとばかりにその人いじめそうで怖い。
長年温めた東京への妄想と劣等感を全部その人にぶつけんじゃねーの。
そういう生き方こそまさに
さっき妹が見ていた「K」というアニメを俺は横で見てたんだけど、バーテンの男の関西弁がどうもひっかかった。基本的には聞いてられるけど所々ひっかかる。そこはそのイントネーションじゃないだろう、と言いたくなった。俺は生まれも育ちも大阪や!という訳ではないんだけど、ネイティブスピーカーであると思っている。聞いてて思ったんだが、まともな関西弁を話すキャラっていなくないか?もちろん関西弁といってもいろいろあるけど、キャラが話すのを聞くとそのどれにも属していないような、アニメ弁が多い印象。
Kのバーテンは憑物語の影縫余弦と似てる気がする。全体的に京都っぽいのに、ちょくちょく大阪南方の濃い発音が混じる感じ。
コナンの関西キャラは、あれはあれで独自の言語圏を作り上げてる。はじめは和葉の「平次!」の時点で体がムズムズしてたがいつの間にか慣れてしまった。
東條希が喋ってるとマジで寒気が止まらなかったけど、あの設定を知ると急に愛おしく思えてくる不思議。
鈴原トウジはかなりネイティブに近いと思うけど、アニメ弁の域を超えてない。
CCさくらのケロちゃんとか結構自然というか聞ける関西弁だったような。あんま覚えてないけど。
ちなみに漫画版のスケットダンスのヒメコはかなり自然な大阪弁。どちらかというとキタの標準的なもので、年相応のコテコテ具合。アニメ版は影縫余弦が憑依してる。
「『チキンマックナゲット』に異物が混入」、「日本マクドナルドが380億円の大赤字」「時給を1500円以上に上げるべきだというデモ」など、各メディアを通じて批判的な内容のニュースばかり流れている。しかしあえて言いたい。みんなマクドナルドの悪いところばかり見ているのではないかと。
ぼくをここまで育ててくれたのは、マクドナルドのおかげと言っても過言ではない。小さい頃、ハッピーセットを買ってもらえるだけで嬉しかった。CMを見るだけですごくワクワクした。土曜日の午前授業が終わり、家に帰ると父親がたまにバリューセットを買ってきていることがあった。少年野球チームに所属していた際、試合後ごく稀に監督がマクドナルドをみんなにおごってくれた。どれもたまらなく嬉しかった。あの頃の気持ち、みんな忘れているんではなかろうか。ぼくはマクドナルドに対して悪い思い出や印象がほとんどない。マクドナルドはぼくにとって特別なものなのである。
ということで、今日は皆にマクドナルドの良さを再確認していただきたく思い、マクドナルドの良いところだけを書いていく。恋人の悪いところだけ見えてしまって、別れた後に後悔するような、そんな思いはしてほしくないのだ。
ラーメン、オムライス、カツ丼、焼肉……。どんな料理でさえ、「出来立て」は美味いのである。注文を受けてから作ってくれるハンバーガーなどに加え、ポテトなどのあらかじめ準備してあるものでさえ「出来立てをもらえますか」と言えば文句なく対応してくれる。
これぞ「ファーストフード」。時間のない現代人にとっては、注文したものを待つ時間でさえ惜しいものである。「60秒以内に商品が提供できないとハンバーガー無料券がもらえる」というキャンペーンを実施したほどのスピーディーさだ。レジに人が並んでいてもすぐに順番が回ってくることも嬉しい。
昔に比べると多少の値上がりはあったものの、未だにハンバーガーやチキンクリスプなどは「100円」で食べる事ができる。貧乏学生や、パチンコや風俗などでお金を使いすぎた社会人にとっても嬉しい価格設定だ。コンビニでハンバーガーを買うと大体200円前後することに比べると、大変良心的と言えるだろう。
冒頭でも述べた通り、子供の頃親に連れて行ってもらった時や部活の帰り道に友達と食べた時の思い出など、過去を思い返してみるとマクドナルドで培った思い出は日本人ならば誰しもあると思う。そんな過去に浸ることも出来るのがマクドナルドなのだ。
マクドナルドは主要都市の駅前にあることが多いので、友人との待ち合わせ場所に最適である。「渋谷のハチ公」などの誰もが知る有名待ち合わせ場所がない限り、「マックの前」というキーワードは大変便利なのである。
関西と関東は文化が異なるとよく言われるが、マクドナルドもその例である。自分が関東生まれの場合は「マック」と呼ぶのが通例だが、関西生まれは「マクド」と言う。この「マックとマクド」の話のネタだけで、初めての関東と関西の異文化交流が盛り上がるのだ。
マクドナルドは他の飲食店に比べ、融通が効くことが多い。ポテトを買うと、ケチャップが貰えたり、水もタダで貰える。ポテトの塩を多めにして言えば、喜んで対応をしてくれる。ピクルスだって取ってくれるのだ。
「マック」と「Mac」。イントネーションも一緒だ。最新の技術を搭載したPCと名前が似ているということは、マック側からしたらなにも悪いことではないだろう。いい宣伝効果にもなるかもしれない。マックが新商品として「リンゴバーガー」なるものを発表したら、かなりの話題になると思う。でもなぜだか、Macユーザーはマックを利用することが少ない。スタバなんて一文字も被っていないのに。
他のレストランなどに行くと、どれを食べたら良いのか分からなく悩んでしまうことあるだろう。しかしマクドナルドのメニューは昔からレギュラーメニューの変化はそこまでないので、自然に何を注文するかがある程度頭に入っているのだ。ちなみにぼくは「チーズバーガー2つとダブルチーズバーガー」である。この何年も変わっていない。
「マクドナルドは体に悪いもの」というイメージが自然に頭の中にあることにより、例えば昼食にマクドナルドを食べることがあれば、「夕食は野菜を多く摂取しよう」という気持ちが増加するのである。その結果、「マクドナルドを食べると健康になる」という理論があってもおかしくない。
10個の「マクドナルド」の良いところを並べてみた。マクドナルドの良いところは人によって異なるので、皆もよく考えてくれると嬉しい。織田裕二主演の映画で「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ」という名セリフがある。これを置き換えて考えると良いかもしれない。
「弱いものイジメはカッコ悪い!」と正義感を振りかざす、心が綺麗なイケメンになった気持ちで、モスバーガーの席に座り美味しいハンバーガーを食べながら書いてみた。
外国人に対してはおそらく他の人より好きだな方だと思うし、友好的に接したい。
しかし何かしらの契約や説明を受ける時は日本人にしてもらいたい。
日本語ペラペラでもイントネーションが微妙に変だと会話に集中できない。
電話口ならまだしも、面と向かってだと日本人に変わって下さいとも言いづらい。
そういう人はだいたい感じがいい人が多いから余計に言えない。
好きになってしまった。
きまずくなるの解ってたのにね。
美人なのに表情くずれるくらい
ケラケラと明るく笑う所も、
ジャズとか聴いてそうなのに、
ビジュアル系が好きな所も、
誰にでもちゃんと優しくて、
仕事も手を抜かない所も、
めちゃくちゃお酒が強くて、
ビールとお肉に目が無い所も、
先週の金曜日のさし飲みの時、
クラフトビールのグラスを3杯開けた後に
「○○さん、関西の方でしたっけ?」
って聞いてみたら
「あ、方言出てた?うち仲良くなると、
なんか出ちゃうんよね。
やっぱこっちの方が落ち着くわ。」
なんてね。もうね。無理すよ。
そりゃ、行って良いってサインだと思うでしょ?
お店出て、勇気出して
手を握ってみたら特に嫌がらないの。
俺は勝ったと思ったわけですよ。
で、
って誘ったら、
少しがっかりしたけど、
でも、またスグに飲もうって言ってくれた。
良かった。嫌われてないや。
あとでLINE送ったら返事が帰って来た。
明日の先輩の顔を見れるのが楽しみで、
一足早い春はもうそこまでやって来てる。
仕事で企画していたプロジェクトが一応完了して、今日は久しぶりに一日家でのんびりした。
やったことは甲子園を見ながらwikipediaをダラダラ見ること。
「死語」という項目がある。「チョベリバ」とかじゃなく、かつて使用されていたものの今では話者や筆記するものがいなくなった言語のことだ。
「ヒッタイト語」とか「フリュギア語」とかかつて存在した国家とそこで使われ、今はない言語を見ていく。
言語の中には系統が不明のものがあったり、文字が未解読のものがあったり様々な謎が提示されていて読んでいて飽きない。
一体どんなイントネーションで、どんな単語が、どんな風に語られていたのだろうか? と考える。
かつて多くの人の間でコミュニケーション手段として用いられていた言語を、最後に話していた人は、
一体どんな人間でどういう人生を送ったのだろうか? なんてことも考える。
古い言語が再現されたり、現代にも僅かに用いられていることが解ったりするのも興味深い。
今使っている日本語も、数千年後も話す人がいなくなるかもしれない。
少なくとも今の言葉から大きく変わっていくことは想像に難くない。とも考える。
解らないことだらけの何千年前かの遥か昔。
今は科学が発展していて、生活水準も向上しかなり色々わかる時代になったと思うけど、
数千年後の人間にとっては私たちは古代を生きる人間なのだろう。
と柄にもなくロマンに浸ることができた。
最後になってしまって恐縮だが、増田諸賢のおすすめwikipedia記事を教えていただければ幸甚である。
「人によって引き起こされた核爆発以外の大爆発一覧」なんかは既に読んでいるからな。