はてなキーワード: 読みかけとは
仕事がうまく行った旦那が上機嫌で行きつけの居酒屋に飲みに行こうという。
飲み屋の大将が聞き上手な方で、旦那の仕事の話にいちいち感心してくれるので、旦那もどんどん饒舌になっていく。
私はもともとそんなに喋りたい方じゃないから、いつも聞き役に回っているし、それはそんなに苦じゃない。
ただ、その聞き上手の大将の店にいくと、横で旦那がどんどん増長していくのが分かる。それがしんどい。
謙遜風のほんのり自慢話。
無邪気な上から目線。
こうなると私は、一切喋らなくなってしまう。
食事が終わって会計後、大将が差し入れのお礼にと、お土産に日本酒をくれたんだけど、それでますます気を良くした旦那が、周囲の常連客に「みんなで飲んで帰ろうか」と振る舞い酒を提案。
私としては、大将が私達にくれたものだし、お店の売上も下がるから、そういうの辞めといた方がいいんじゃないかなーと思ってたら、大将が「家で飲んでください」と断っていた。
そういう、浮かれて周囲が見えなくなってる姿をみて、これはやばいなーと思っていた。
案の定、帰ってからもテンション爆上がりで、終始ご機嫌。声がでかい。
ちょうど読みかけの本があったから、これはありがたいと、私は読書に集中。
すぐ横で携帯見ながら、ご機嫌に笑ったり驚いたり。
本読んでる私に「ねえ!これみて!」とか。いや私今、あなたに勧められて本読んでるから。
でもここで何か、水を指すようなことを言うと、おそらく旦那は拗ねると思うので、「ふーん、面白いね」と相づち。私は今、本を読みたい。
「ねえ!知ってる!?」「…そうなんだ」
「◯×△!?」「……。」
「△△◯!?」「……。」
「◯◯△!?」「……。」
本に集中したかったのと、いい加減うるさいな、という気持ちを断つため、深いため息を一つつくと
「ごめんね!本読んでるのに!うるさくて!悪かったね!」→旦那ブチギレからのふて寝。
今朝起きてもまだ機嫌悪かったです。あーあ、途中まで結構楽しかったのになー。
私がどこかでストップかけないといけなかったのかなー。今日はそろそろその辺でってタオル投げなきゃいけなかったのかな。でもそうしたら絶対拗ねるだろうしなー。
私、悪評高い「不機嫌で他人をコントロールしようとする人」になってたのかなー。そんなつもりなかったんだけど結果的にそうなってたのかなー。
と、もやもやしたまま過ごした午前中でした。
読みかけの本があるとすごくむずむずする。本じゃなくても、ゲームのストーリーでも、アニメでも、漫画でも、なんでも。
そんなむずむずさせるようなお話を自分も書けるようになれたらいいなあ、なんて思った夜でした。
なんだか、そろそろ言葉がなくなりそうな気がしてしまう。どの言葉もすでに使われて、誰も知らないような言葉なんてなくなるんだ。
言葉にも特許があると初めて知った時、なんだか意味があるようでないものだなあと思った。外出した時に車窓から見えるいろいろな店の看板を見て、一体日本全国にこの店名と同じ店名の店はいくつあるのだろう、そもそも同じ名前の店は存在しても良いのだろうか、なんて杞憂をしていた。
そのうち、誰も使ったことのない言葉なんてなくなるんだろう。誰も使ったことのない言葉の組み合わせもなくなる。
きっと誰も私の業務内容を把握していないし、それを誰も問題に思わないし、なんなら上長とは今期ほぼ会話していないし、「くだらないことで頭を悩ますことはすなわち『くだらないこと』に頭を支配されることであり、それってとてももったいないことだよね」という恩師が言っていたありがたいお言葉すらもどうでもよくなるほど、なんで自分がここにいるのか、ここで何をしているのか、もうなにも分からない。存在意義を見出したいっていうか、誰かに必要とされたいと思うことはやはりおこがましいのかな。承認欲求の表れなのかな。かといって自分がなにか誇れるものを持っているかと言われればそうでもないし、どうすればいいんだろう。もう2年くらいずっとこんなかんじ。毎日生きていこうと思えるだけの楽しみもない。楽しいことは楽しいけれども、わざわざこの空虚な毎日を過ごしてまで手に入れたいとは思わない。読みかけの本、予約したCD、クリアしてないゲーム、無いなら無いでもいいから、とにかくこの生活を終えたい。
朝、早く目が覚めたので、
娘や嫁が起きないうちに朝食を作る。
「お母さんを呼んでおいで」
友だちと買い物だという娘と、
昨日は結婚式の打ち合わせの後、
お酒を飲んでそのまま帰ったと聞いている。
まだ寝ているかな、と
彼女はもう起きていた。
片手で鍵を閉めながら、
空いた片手で彼女の腰を抱き寄せる。
9月にはこの部屋を引き払って、
あと数回で終わるのかな。
「もうすぐ結婚なのに、いいの?」
そう尋ねると、彼女は「いいの」と
甘えた声で顔を胸に埋めてくる。
ゴールラインが設定されたことで、
またじっくり堪能するようになった。
ひとしきりイチャイチャした後、
昼過ぎまでうたた寝。
軽くメイクを整えただけでも、
やっぱり彼女は美しいなと思いながら、
ビールを飲む。
16時過ぎに向こうの家を出た。
家に着くと嫁も娘も帰ってきていた。
嫁に「おかえり。どこ行ってたの?」と聞かれ、
と答える。
食後は、娘が買ってきた服を
次々に着替えて見せてくれた。
同じように躍った嫁の姿が、
次に、打ち合わせでウェディングドレスを
試着しているであろう、
彼女の美しく晴れ晴れしい姿が重なった。
その後、2年ほど疎遠になっている大学時代の友人に
メールを1通送り、
布団の中で読みかけの本をめくって
1時過ぎに寝た。
オッサンだけど、カバンが重いって毎回驚かれる。
入っているもの
・折りたたみ傘
・モバイルバッテリー&ケーブル (10000mAhで超重い)
・カード類フォルダ(財布が膨らむのが嫌でカードだけを別にして整理してる…要るのかこれ?)
・名刺入れ
・ティッシュ、ウエットティッシュ(濡れてるのがあると便利。最近はコンビニで付けてくれるやつを入れてる)
・地図とかメモとか印刷した紙(裏紙としても使えるので、使い終わったのも放置気味)
・RICOH THETA&ミニ三脚(まだ飲み会で使えるグッズ。女子に持たせてボタンを押させるといい)
・マンションのゴミ捨て場の鍵(朝の出勤時にゴミを捨てるので…)
・500mlペットボトルの水(水を外で買うと高いだろ?)
SFや漫画やアニメやエロゲなど各所で盛り上がっているので。ラノベでもやってみます。
ただし、今のままだと早い者勝ち感が強いので、実験的にいくつか制限を加えてみたいと思います。
SF:http://d.hatena.ne.jp/Mukke/20140616/1402912866
漫画:http://anond.hatelabo.jp/20140617112445
アニメ:http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20140616/1402955339
エロゲ:http://blog.livedoor.jp/dg_law/archives/52211223.html
・今回は範囲を狭めるため「○○大賞(新人賞)受賞作」に限定。(ex.電撃小説大賞、スニーカー小説大賞、MF文庫J新人賞、etc…)
この増田をはてなブックマークして、コメントで「大賞受賞作の中で自分は読んでいないけどみんなは読んでいそうなラノベ」を一作品あげる。
読みかけで挫折したとかではなく、本当に1ページも読んだことがない作品をあげる。
・「大賞」受賞作でなくてもOK (ex.金賞、銀賞、奨励賞、etc…)
・大賞受賞者の他作品(ex.神様のメモ帳)はダメ、最終選考に残って出版された作品(ex.キノ、とある)もダメ
・かぶったら早い者勝ち。あとからブコメをした人が別作品に変える。
・他の人のブコメをみて、読んだことがある作品にスターをつける。
・スターを一番たくさん集めた人が勝ち。
わたしの部屋は決してきれいじゃないけど、まだ風呂に入ってない身体でふとんの上に座られて、どうでもいい話を一方的に30分くらい続けられて、その上そのままオナラされて股間ボリボリされるとさすがに腹が立つ。
子どものころ、同級生が「お父さんのパンツ、一緒に洗わないで!」と言っているのが理解できなかったけど、こういう気持ちが膨張して、プラス思春期という感情を隠せないお年頃が化学反応を起こすと、ああいうこと言っちゃうんだなと思った。
一日中100キロ級の身体をささえている、汗っかきなおっさんの足の裏。
乾燥して真っ白でカチカチになったかかとでわたしのふとんを踏みしめる。
白髪とふけのあふれる頭でわたしの枕に寝そべって、どうでもいい話をする。
今日だったら若いころの坂口良子の話とか、電車の人身事故の話とか。
わたしは父に感謝しているから、おとうさんやめてよなんて口が裂けても言えない。
父が毎日私の部屋に来ては一日の報告をしていくことにも、その間、わたしの寝床に寝転がることも、そこに座ったまま「ブビィ!」みたいな生々しくて水っぽい音がするオナラをすることも、食事の後に皿に残ったソースをなめることも、指で鼻をほじってその手をシャツで拭うことも、ときどき読みかけの新聞紙に乾燥して固まった鼻くそがついていることにも、文句を言ってはいけない気がしている。
うちには母がいない。
わたしと父の二人暮らしで、成人して社会人になった今も、わたしは生活面で父に依存している。
独立できるほどの財力もないから、食わせてもらっている立場だ。
とても感謝している。
でも、父の行動を汚らしく感じることがよくあって、わたしは感謝も忘れて「きもちわるいな」なんて思ったりする。
いけないことだ。
トイレから出ても手を洗わないことだけは我慢できなくて、インフルエンザや食中毒にかこつけてやめさせたけど、わたし以外に気軽に話す相手のいない父に対して、風呂に入っていないのにわたしのベッドに座ったり汗まみれの頭で寝転がって欲しくないとか、そんなことを言ってはいけないと思って、ずっと我慢している。
文化の違いが露わになっていておもしろい。もしかしたら自分もこんな奥さんがいたらきついかも。
妻側の言い分も聞いてみたいところではあるけれど。
ここに挙げられているように、欧米人と日本人だと価値観も慣習も違うのは当然だ。
けれど、同じ日本人同士でもここにあげられているのと近いレベルの「イラ☆」はたくさんある。
すこし前まで、若い男数人でシェアハウスしていた。その日々の暮らしの中で感じたことをちょっと書いてみる。
愚痴っぽいのが多くなりそうだけれど、自分がなにを気にするかを言語化することができれば嫁探しの一助になるかもしれない。というのと、逆にみんながどういうところにイラッとするのか知りたくてその呼び水になれば、と。あと自分のことは棚に上げています。ご容赦を。
・家に上がるときに靴を揃えようか・・
・部屋にいないなら電気を消してね
・たまにはゴミ棄てるの手伝って。外に出るときについでに持って行くだけじゃん
・ゴミ捨てないならすくなくとも自分の分くらい分別しておくて。朝、自分のじゃない缶と瓶をわけていて手がねちょっとなる気持ち分かる?
・たまには共有スペースの掃除をして。風呂場と洗面所は自分しか掃除してないよ・・・
・翌日が回収日というわけじゃないのに玄関にゴミ袋をおかないで欲しい
・ご飯を炊いたらすぐにしゃもじで切ろうよ
・洗剤つけすぎ・・・。油物じゃない食器に洗剤使う必要ないでしょ
・人の本を読むのはいいんだけれど、読みかけだからといって「人」の字にして放置しないで
・友人を呼んで鍋をするときにしれっと参加してかわいい子のとなりにしれっと座るのなんで?
・(おれの)鉄フライパン使ったらちゃんと洗ってくれ・・
・人がとっておいた食べ物を勝手に食べないで。え?賞味期限が切れそうだった?一言いってくれれば問題ないのに・・
・(おれの)電子レンジつかったらちゃんとメンテしろよ。汚れを放っておくとこびりつく。
読み返すとみみっちいのばかり。こんなんでいちいちいらいらはしないけれど。自分はこんなに器が小さかったっけ。
逆に、自分がしている何気ない行動や、自分がしないことについて、ほかの住人がいらっとしていることがあるだろうことは想像に固くない。後学のために聞いておきたいけど聞きにくいので、なんか思うことがあったらこの記事にコメントつけてください。
もちろん、このうえに挙げた姑的なプチイラだけでなく、掃除のやり方や自炊の技など学ぶことも多いし、感謝することもたくさんある。
ご飯をつくってくれたり、生活用品を補充してくれたり。毎週ジャンプとマガジンが補充されていたり。話を聞いてくれたり・・・。
人と生活すると価値観も相対化できてすこしはアタリマエと思っていたことが違うと知ることが出来る、かもしれない。
甘く見積もっても「まだ子供だから」とは言えない年齡に片足を突っ込んでいることだし、
今年の目標を「余裕のあるカッコイイ人間になる」にしたところ、年が明けてから5回はテンパった。
どうも私は、いっつもいっぱいいっぱいで、何かとすぐにワタワタしてしまう。
振り返ってみれば私は、精神的なこと以前にまず普段の生活に余裕が無い。
5分前行動ができない。
そのくせプライドは高いから、間に合わなかった時にヘラヘラできない。
さらに言えば失くし物がすごく多い。
大事なものだろうが、30秒前に使っていようが容赦なく失くす。
例えば、読みかけの本の続きを読んで、キリがいいので栞をはさもうとしたら、無い。
さすがにここ数年は自分の行動パターンが掴めているので、たいていの失くし物はすぐに見つけられる。
本を置いたテーブルかなーとか、変なページにはさんでないかなーとか、確認すればすぐに出てくる。
それなのに飽きもせず凝りもせず、なくしては焦り、なくしては嘆く。
こうしてみると業は深い。
まず第一に悟るべきものは、日々の具体的な行動に余裕を持たせることの価値だ。
待ち合わせ時間には余裕を持っていく。時間を余らせるつもりで動く。
このあまった時間はムダなんかじゃない、ということを気持ちでわからなければならない。
次に、持ち物を整理すべきだ。
正直、自分の紛失癖については半分諦めている。
その上で最近(世間に一足遅れて)思ってきたことは、持ち物は少ないほうがラクということだ。
無くてもいいものを持っていることは生活の豊かさのように思えるけれど、
その上で、棚に飾られた食玩ひとつとったって、ただただ置いておくだけでホコリがつもってくるし、
ふとしたときに、大袈裟に言えば、たまには眺めて楽しんでやらないといけないようなオーラを放って面倒くさい。
それに私みたいな人間は、デジカメの充電ケーブルやUSBメモリが隠れこむ場所を減らさなければならない。
急にやるべきことが増えて休日が潰れると悲しいけれど、いざ土日になれば平常心でちゃっちゃとこなせる。
そんな経験をもう、何度もしてきただろう。
これはこれでしょうがないって、やれるだけはやろうって、切り替えができない人間じゃない。
だからそんなに嘆かなくていい。
嫌なことがあって、3日後の自分を想像すると――あるいは1か月後の自分を想像すると、
たぶん、そんなこと、ただの過去の出来事のひとつになっているだろう。
かっこいい大人への道は遠い。
http://daitai.diary.to/archives/1645741.html
これ読んだんだけど、皆結構神経質じゃね?
「自分の本であっても、読みかけの本を開いたまま机に置くなんてしないでしょ?」って言ってる人がいてかなり驚いた。
そんなん日常茶飯事なんだが…しおり?持ち歩くの面倒だからほとんどしたことないよ
あるいは図書館の本では流石にしないけど自分の本だったらドッグイヤーとか普通にやりまくるし。
っていうか「本を大事にする」っていう発想が正直あんまないんだよね
だから「本を大事にしなきゃ」って言ってる人がいてびっくりした。
なんで?だって本って重要なのは中身だろ?そりゃバッラバラになって解読不能、なんてことになったら困るよ?でも読みかけの本を置いておくと跡がつくとか、ちょっとも汚れるのは嫌、って、なんかよくわかんねーんだけど、その感覚。それって「本」の中身が好きなんじゃなくて本の外見が好きなのか?まあデザインがいい表紙の本だったら分かるけどさ…写真集とか、でもそういうのはもとより持ちあるかないしな…
本は何より読んでなんぼでしょ?大事にするより、多少あらっぽくても何度も読まれたほうが寧ろ本を大切にしてると言えないか?
こんなに当然の如く本を大事にしなきゃ!って人がいるのに驚いたわ
神経質だな~
好きな事にすら集中できなくなった事の方が重大だ。
携帯も自分のパソコンなんぞも持っていなかった高校までの時分には、
暇さえあれば10分の休み時間にさえも図書館に入り浸り、行き帰りの電車の中でも
本を開いていたような性分だったもんだから、文庫本1冊ぐらいなら忙しくとも
2日あれば読破出来てしまっていたのに、今では数行読んだら他の事が気になって
パソコンに向かったり携帯をいじくったりしてしまうという体たらく。
今でもほら、読みかけの本を放り出して日記なんぞ書いている始末。
お陰で読んでいない本が溜まる一方だ。本だけでない、あれだけ好きだった
ゲームですらもう長い事触りもしていない。PCゲームも積みゲーが埃を被っている。
この集中力の低下、いったいどうすれば治るものか。
そうなんですよ、単純に面白くないんだよね。
よし釣られてやるぞ、と気合入れて読みかけても、何か途中でどうでもよくなって気付いたら別のことやってしまう。俺が釣られないくらいだから相当だぞ。
昼ちょっと前に起床。テレビをつけたら、『笑っていいとも!』がはじまるところ。最初のコーナーが長引いている。「テレフォンショッキング」の時間が短くなるんじゃないかと、毎回勝手にいらない心配をする。
「テレフォンショッキング」が終わるころ、やっと布団を出る。トイレに行く。茶の間で親と適当にしゃべる。部屋に戻って、布団をたたんで、座布団に座ってテレビ。タモリはいつも早起きで大変だなあ、でも、それだけの金はもらってるんだろうなあ、案外割のいい仕事かもしれないなあ、とか考える。
読みかけの本を読みはじめる。10分くらいで飽きてきて、中断。テレビの上に、せっかく買ってきたのにまだ読んでいない本が、7,8冊ある。どんどん増えていく。
アコギを弾こう、と手にとってみると、弦がゆるゆる。「弦を毎日ゆるめておかないと、ネックが曲がる」と誰かから聞いて、昨日の夜、さっそくゆるめて寝たんだった。面倒臭えなあとかなんとかブツブツ文句を言いながらチューニングする。チューニングし終わってジャカジャカ弾いてたら、3弦が切れた。アコギの3弦は、もうストックが無いんだった。あーあ。仕方がないから、エレキギター用の4弦を張ってみる。鳴らない。ビャンッ、ビャンッと頼りない。タモリのせいだ。
ギターにも飽きてきて、腹も減ったし、そろそろ朝飯でも食うか、と台所へ。冷蔵庫を開けたところで、今ごろやっと目覚まし時計が鳴る。…目覚まし時計のくせに、オレより遅く起きるな!心構えが成ってない。5分前行動するくらいの気持ちでやってほしいもんだ。タモリを見ろ、タモリを!
納豆ご飯、みそ汁、お茶を、なんとか無理していっぺんに持って部屋に戻ったら、扇風機につまずいて、あやうく全部こぼすところだった。タモリのやつにスキを見せると、こういうことになる。油断禁物だ。
古い扇風機だから、倒れた拍子に金網がとれて、それでもしぶとく回っている。そんな扇風機を見てたら悲しくなってきて、テレビのタモリに向かってリモコンを投げつけてやろうかと思ったけど、リモコンが壊れたら嫌だからやめた。
『笑っていいとも!』が終わって、チャンネルをそのままにしておくと、『ごきげんよう』がはじまってしまう。あれを見てると、なぜだかものすごく恥ずかしくて、背筋に寒気が走って、外へ飛び出して走り回りたくなる。どうにも耐えられなくて、「あっ!」と声を出してしまうときもある。
テレビは面白くないから消して、音楽を聴くことにした。昨日買ったばかりの、ホフディランのアルバムを聴こう。うん、かっこいい。1曲目は、そのまんまどこかで聴いたことがある気がしないでもないけれど、かっこよければすべてOKだ。タモリにも聴かせてあげたい。
遅めの朝食を終えて、横になる。動くのが面倒臭い。1時間くらい自分と戦って、やっと立ち上がって歯を磨き、顔を洗う。また横になる。テレビをつけたら昼のドラマをやっていて、ついつい最後まで見てしまう。そのままの勢いで、ワイドショーも最後まで見る。ワイドショーを見ながらまた自分と戦って、番組の終盤になって、やっとヒゲを剃る決心がついて、ダラ、ダラと剃る。本を読んだり、アコギを弾いたり、レコードかけたりしながら、またまた自分と戦って、夕方になってようやく立ち上がって、寝癖を直しに洗面所へ。ここまでで、起きてから4時間もかかっている。いつものことながら、自分が情けなくなる。あぁ、タモリ!
PM5:45からバイトだから、いつもPM5:00には夕飯を食べる。PM5:00という約束になっているのに、うちの親はいつも、「片づかないから、早く食べちゃいなさい」とかなんとか言って、PM4:30にはもうばっちり夕飯を準備してしまう。
「早く食べな」
「食べな食べなって言うのは年をとった証拠だ」
「ゴチャゴチャして片付かないから、いいから早く食べな」
「さっき朝飯食ったばっかりだから食えねえよ」
「じゃあ食べるな」
「急いで食うとウンコが硬くなるんだよ」
バイトまでまだちょっと時間があるから、アコギを弾く。新しいことを覚えようとしないから、弾く曲はきまってオアシスか奥田民生だ。そろそろ飽きてきたな。
「だれかギター弾いてるんですか?外まで聞こえてますよ。息子さんですか?なかなか上手いじゃないですか」
玄関先で声がする。新聞の勧誘だ。親のご機嫌をとっている。でも、残念でした。ご機嫌取りも、無駄な努力ですよ。うちの親は巨人ファンだから、あの新聞しか読みません。タモリになんとかしてもらえよ。
ちょっとのつもりで横になったらそのまま寝込んでしまって、起きたのがPM7:30。バイトは完全に遅刻だ。仕方がない。電話して休むことにした。読書、テレビ、ギター、レコード、読書、テレビ、ギター、レコードで一日が終わる。気がつけばもう、日付も変わって朝方だ。タモリはもう、とっくに寝てるんだろう。もうすぐ起きる時間かもしれない。
週に5日間、文句を言わずにクルクル働いて、休日はささやかに遊ぶ。すばらしい!僕もタモリさんのような、立派な勤め人になりたいです。どうすれば、なれるんだ。
木原音瀬の「さようならと、君は手を振った」を貸してもらったので読んでみたよ。内容ネタバレあり。
身勝手な主人公にあまり魅力を感じられなかったのと、そんな主人公が同性に手を出すことに対してあまりにも抵抗や葛藤がない様子だったのがどうにも非現実的に思えて、始めの方を少し読んだところで一旦読むのを止めていたんだけど。
恋人と喧嘩して、いろいろやるべきことはあるけれど取り組む気力がわかない状態で、じゃあ読みかけの本でも読むか、と何冊か枕元に並べて読み始めてみたところ。
身勝手な主人公に対して、そばにいられるだけで幸せだからと、ただひたすら愛情を与えるだけで何も求めないヒロイン役の男子。これが現実の恋人と喧嘩中の身である自分にぐさぐさ来たわけ。
喧嘩って、大抵はエゴとエゴのぶつかり合いじゃん。自分と相手で同じものを奪い合って、そっちが与えてよ、いやいやそっちが先に与えてよ、ってやってるよーなもん。そこで先に与える側に回れば、仲直りもできるし結果的に相手も与えてくれて丸く収まるのは理屈で知ってる。けれど感情ではそうそう先に折れる気にもなれないもの。
だけどこのヒロインはもう折れっぱなし。ていうかはなからエゴをぶつけないから奪い合いが起きない。それが実際の恋愛において果たしていいか悪いかは別として、折れた方が丸く収まる局面では絶対に取り入れた方がいい姿勢。
で、あることに気がついた。これってBLなんですよ。男同士。男同士の恋愛でそうして与えまくる人が描かれてるとどうなるかというと。いや、逆に、男女の恋愛において与えまくる人が描かれてるとどういう印象を受けるかというと。「この男は女を母親扱いしてるんじゃないか?」ってひっかかりを覚えるんだよね。で、男同士だから、それを感じない。少なくとも私はそれを感じなかった。
それで気づいたのは、私自身が「与える側に回ることで甘えられることが日常化し、やがて母親扱いされること」に怯えてたということ。ものすごく。ごくごく狭い観測範囲の話だけど、これまで自分自身の経験や友人知人の様子を鑑みるに「この人常識ありそうなのに浮気してるんだなぁ」と思える男性は、大抵自分の妻や恋人を「母親」にしちゃってた。だから自分は絶対そういう風になりたくないと思ってた。それで自分のエゴをおさえること自体がどこか怖かったのかも、なんてことに気づいた。
松浦理英子などでもそうなんだけど、男女の物語として描かれていたら何気なく見過ごしてしまうものを、男同士あるいは女同士の物語として描かれると、視点が変わるからこそ見えてくるものがあるんだろうね。なかなか興味深い発見ができたよ。