はてなキーワード: 読みかけとは
「地獄の沙汰も金次第」とはいうが、あの世にお金は持って行けないはずでは……
よくよく考えると変なことわざだ
いや、待て……
もっと言うと、あの世に現世のモノは持って行けない……という世界観はいつからあるんだ
(順序が逆で、このニュースを見たからこそあの世に持って行けるものって何?という疑問がスタートしたわけだが)
それが現代日本に生きる人の世界観ではあの世にモノを持っていけないという認識に……いや、違うか
「オレが死んだら棺にタバコを入れてくれ」とか「あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう」みたいなことを言う人もいるな……
ということは「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という世界観を持つ人がいることになる
なんか……中途半端な感じがする、なんでお金だけダメなんですかアナタ
その一方で冥銭ってやつもあるんだよな
本物のお金じゃないあの世専用のお金を燃やすことであの世にいる死者に送金するらしい……類感呪術ってやつなのかな
昔は冥銭用のイミテーションのお金じゃなくてマジのお金を六文銭として使ったと聞く
通行料がいる、それ以外の財産は持って行けません……みたいな?
でも奪衣婆って鬼がいるんだよな
六文銭を払えなかったら衣類を奪う、逆に言えば六文銭を払えたなら衣服というモノは持ち込める……
身につけているものはセーフ?
対話を試みましょうね
「 『地獄の沙汰も金次第』というけれど、どんな苦境でも札束を積めば解決できることがあるって意味であって地獄というのはものの例えだよ。本当に閻魔大王様に賄賂を渡せると昔の人が考えていたわけじゃないと思う。」
「坊さんに高い金さえ払えばしっかり供養してもらえる状況を皮肉った側面もこのことわざにはあるんじゃないかな。」
「もともとの意味は『財産を寄付など善行のために使えば地獄に落ちない』みたいな意味らしいよ。」
なるほどなるほど、私もそう思います(あたりまえだ、そのツッコミをしたのは私なのだから)
でもなー、そのツッコミ群は「あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける」という話について説明してくれない
「そもそも『あの世にお金は持って行けない、しかしそれ以外のモノは持って行ける』という世界観を持つ人がいる話はあくまで仮定でしょ?その前提は正しいの?」
確かにそれはそう、まずは現代日本における死生観……あの世観の裏取りしたほうがよさそうだ
「 『あの人はタバコが好きだったから棺にタバコを入れましょう』イコール『あの世にタバコを持って行ってもらう』は本当に真なの?」
そこも怪しいよね
死後の世界を信じていない人でもそういう事をするかもしれない
いや、どうだろう?自信ないな……
少なくとも言えることは、副葬品の目的はあの世に持って行ってもらうためだけではないであろうということ
「 『あの世にお金は持って行けない』は拝金主義者を嗜めることが目的の言説でしょ。」
でしょうね
「 『あの世に現世のモノは何も持って行けない』が実際のところじゃないの?」
それも確かにもっともらしいんだけど、実際に副葬品として亡くなった人の身の回りのモノとか生前好きだったものを棺に入れることもあるじゃん
その棺に入れるものの選択肢としてお金が無いのは何故?という話にもできる
確かにね、しかしだからこそ中国などのアジア圏の一部では冥銭というあの世専用のお金があるんじゃないか
あーそうか、これって「なぜ(一部地域を除く)日本では中国のような冥銭の文化が根付いていないのか?」という問いと言い換えることもできるのか
私もそう思っている、でもそう思っていない人もいる
余談だが「自分が死んだら無になる」はすんなり受け入れることが出来るけど「大切なあの人は死んだから無になった」はちょっと受け入れるのに抵抗がある
いろんな地域、いろんな時代の世界観をごっちゃにして物事を見てしまっているのであろう
混乱の原因です
ここらへんについて調べよう
②「あの世にお金は持って行けない」って考え方はいつから存在する?
⑥冥銭について
『日本人はなぜ無宗教なのか』 『日本人無宗教説 ――その歴史から見えるもの』あたりに何か関係あることが書いてあるかも
追加で本を探して買ってもいい
そういえばキリスト教圏は副葬品という文化が全然ないらしい(全くないわけではないらしいが)
その一方で中国は冥銭を燃やすことでお金やら車やらスマホやらをあの世に送っているらしい
なんにせよ知識不足、生半可な知識で「これこれこういうことです」と理解してしまうと大火傷してしまいそうだ
なんか、タイとかブータンあたりの仏教文化圏の葬儀がどんなものかも調べた方がいい予感があるな
古墳時代の日本だと持って行けるって考えだったろうから古墳の副葬品に通貨とかが……あっ、古墳時代の日本に貨幣ないかもか
いろんな国地域時代の葬式スタイルを調べることで、そもそも問いの立て方がずれていたと発覚することもありえるが……
調べるのはまた後日にしよう
しかしこれって何を調べ上げたら私は納得することができるんだ?
まだわからない
納得できるのはこのままいろいろ本を読み続けたあとの数年後とか普通にありえる
やっぱり国立医学部医学科は自分には無理かもしれない、そんな不安と闘いながら勉強に励む千葉大学医学部医学科落ち早稲田大学先進理工学部生命医科学科卒おじさんです。
模試の日程や種類を確認していたところ、高校時代に当時交際していた女の子との避妊に失敗してしまったことを思い出しました。
あの時、既に反抗期は終わっていましたが気恥ずかしさや受験のストレスで両親との会話は殆どなかった時期です。
交際相手の両親が自宅まで来た時は「もう終わりだ。受験すらさせてもらえないかもしれない」という恐怖に襲われました。
しかし、全てを僕の責任にしようとする相手の両親に対して両親は僕を守ってくれました。普段言葉も交わさずカリカリイライラと勉強している息子のために物凄い剣幕の相手両親に引くことなく、キッパリと言うべきことを言ってくれた両親に家族の愛情を感じました。
その出来事以来、僕は両親を大切にするようになりました。
さて、先ほどまで昨夜に読みかけたまま就寝した生物の総合講義を読み切りました。読み終えた後に志望大学の生物の過去問を参照したところ、現役時代に苦労した物理よりも抵抗感がなかったことに気がつきました。
得点の安定度や知識の少なさ、周りの影響で自分に向いていない物理に固執していたことも敗因だったなと反省です。
午後は化学と過去問を参照し、夜に文系科目の概観を済ませ来週一週間の勉強スケジュール、直近一ヶ月の勉強方針を作成していきます。
それではまたノシ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/7-24blog.com/archives/22979976.html
を見て結構アンチいる?そんなに面白くないのか?と思って、アニメの最初の2時間枠見たら、自分好みだったので期待大です。
で、本題だけど、私のいる世界線ではまだ葬送のフリーレンの連載始まってない。ジャンプ系で言うと、鬼滅も約ネバも絶賛連載中だ。ルフィはワノ国で暴れてる。
その前の年くらいからそれまで買っていた紙の雑誌とか単行本をほぼ電子へ移行したのが原因。場所を取らなく、いつでも読めると思ったら、全然読まなくなった。たまに頑張って読んでるが、連載の続いてる世界線についていけなくて、どんどん差が開いている。
Comic Daysは設計がうまかった。2ヶ月しか読めないが、どうせ紙の雑誌買ってた時も読み終わったら処分していたので、その時分と変わらない。お陰で講談社系は連載の続いてる世界線に乗っている。
マガポケ。UIは全然好きじゃないが、雑誌で購入したマンガは単話でも購入したことになっているのは良い点。アニメの始まったシャングリラ・フロンティアは、お陰で第1話から最新話まで読めた。雑誌として読む場合は、連載から連載への遷移がスムーズじゃなくて嫌い。タブレットで読んでるのに、マンガ開くまでのUIはランドスケープ(横長)に対応してないのはひどい。オフラインで読めるが、UI的にそれに気がつくのは困難。
サンデーうぇぶり。葬送のフリーレンが連載してるやつ。これも操作画面がポートレートのみの対応なのはいただけない。オフライン対応してないのもどうにかしてほしい。オフライン対応してないせいもあって、積読になっちゃうと思ったら、すごくわかりにくくダウンロード対応してた。複数台ログインさせないのもひどい。「次へ|前へ」ボタンを押すと、次週・前週のサンデーに移動するのもおかしい。普通は、同じ冊子の次のマンガだろ。スキップしたい作品があったら、いちいち目次を開かないといけない。すべての連載が読んでもらえると思うなよ。
ジャンプ+。わかりづらいけどオフライン対応してるのが素敵。操作画面もランドスケープ対応してるし。「⬅︎|➡︎」ボタンも期待通りの挙動(次の作品・前の作品)。マガポケ、サンデーうぇぶりは見習ってほしい。
各社、うざいポップアップが多すぎる。Comic Daysのはあまり気にならない。
Comic Days。ほとんど文句はない。雑誌はオフラインも対応。UIはランドスケープOK。曜日ごとの無料マンガも毎日別の連載雑誌があるみたいな感じで嫌いじゃない。イブニングとか消された雑誌の連載作品たちがこの毎日無料更新枠に移動してる。少女ファイトとかたまにしか更新されないので読み逃しそうになる。時々雑誌連載に追いついちゃったので、って毎日更新枠で連載が終わっちゃう作品もあるけど、ちゃんと課金しましょうってことで。単話での購入もしやすい。
雑誌系ではないがついでに
Kindle。シェアにあぐら書いてるのか知らないが、タブレット用のリーダーをもうちょっとがんばってほしい(マンガ視点で)。Kindleしか知らない人はこんなものかと思ってるかもだけど、正直劣っている。
honto。25%オフクーポンが定期的にばら撒かれる。リーダーが使いやすい。リーダーそのものも使い勝手が悪くないが、あえて挙げると管理機能で読みかけの本が一覧できるのが好き。あと、ライブラリから要らない本を完全に消せるのもいい。一部無料みたいなので読んで気に入らなかった作品とかがいつまでもライブラリに残ってるのが嫌なので。最近は、紙の単行本のカバーの裏表とか、カバーを取った状態の本体の表紙なんかも電子版に服まているが、これがhontoだけなのか、他社でもやってるのか比較してないので把握してない。hontoの欠点は購入書籍数が多くなったせいか、同期が重たいことと、同期しないとダウンロード済みの作品も開けないことがあること。バグだと思う。
寝付けないあいだは布団でゴロゴロすることになるのでスマホが友達。普段からそうだけどな。
最近の元気な間にやっていたゲームはいわゆるホラー系のノベルADVで(パラノマサイト)、
面白いので続きが気になるけど人が死んだりするので病気の身体では気が滅入ってしまう。
読みかけのマンガもみんな面白いのはわかってるんだけど、物語上の辛い展開もあったりして、元気な時に読ませていただきたい。
今回は前から気になっていた作者のウィッチウォッチを一気に購入。SKET DANCE面白かったしね。
ギャグとストーリーがいいバランスでよかった。絵が上手くなってて読みやすい。ってか、これを週刊連載してるって漫画家すごいな。
(´・ω・`)「…ほっといてほしいんや」
(´・ω・`)「ワイはネットで『メシが美味い!』て評判の居酒屋に行って、」
(´・ω・`)「独りで離れた席に腰かけて、」
(´・ω・`)「ネットでとりあげられたウマいメニューをたのんで、」
(´・ω・`)「スマホで読みかけの なろう 小説を読みながら、」
(´・ω・`)「たのんだメシが到着するたびに『いただきますッ』てニコニコして、」
(´・ω・`)「奮発して注文した高い日本酒と一緒に、」
(´・ω・`)「…仕事で一日中お客さんや同僚と話してたから、」
(´・ω・`)「もう、」
(´・ω・`)「自分以外の他人に気ィ遣ってニコやかに会話したりなんかしとうないんや」
そんな呑み屋、無いんだよねぇ…(´・ω・`)
安倍晋三が最後に読んでいた本が岡義武『山県有朋』だそうだが、
これが本当の話か、自分は疑っている。
64年前に出版された岩波文化人の古典を、安倍はきちんと読むような政治家だったか?
山口にゆかりがあることも、顔が長いことも同じだが、出来すぎた話である。
同書は山県に概ね批判的だった。
もし本当に読んでいたとしたら、どういう感想を持ったかは興味深い。
これだけ論議を呼んだ国葬のスピーチを、山県の話で締めくくる菅義偉も、
それを素直に感動する不勉強な国民も、ちょっとどうかと思うよ。
岡義武は山県の死について、こう書いている。
一方の安倍が、同様に忘れ去られるかは、これからのことである。
従って、彼の権力意思は支配機構を掌握することへと集中されたのであった。
彼から見捨てられていた民衆は、それ故、また彼を見捨てていた。
そして、彼の死に対しても冷かであり、無関心であったのである。
驚くべし、流し読みかも知れないが、どうも読んでいたらしい。
普通に読んだら、嫌われ者山県有朋、という印象が残るはずの本を何ゆえ…、
と思ったけれども、官僚掌握術の参考になる、なんて吹き込んだのじゃなかろうか。
伊藤之雄『山県有朋 愚直な権力者の生涯』はずっと山県に同情的だが、
今日は官邸で開催された来年度予算についての政府与党政策懇談会に出席しましたが、
週末三連休、一昨日はゴルフ、昨日はお墓参り。河口湖の山荘でゆっくと過ごしました。
その間、読みかけの「岡義武著・山縣有朋。明治日本の象徴」 を読了しました。
知人から進められ手に取ったものです。明治の元勲で彼ほど嫌われ、
同時に自身に権力を集めた人物はいないでしょう。同じ長州人でありながら、
路線等の相違から権力闘争の敵対者となる伊藤博文とは対象的です。
伊藤の死によって山縣は権力を一手に握りますが、伊藤暗殺に際し山縣は、
「かたりあひて尽くしし人は先立ちぬ今より後の世をいかにせむ」と詠み
あの本を読んで、ここをピックアップするか!?と思ったけれども、
社会に潰される吾々ゴマメのような人間の気持ちをわからなかったように、
100年後の権力者、安部にとって最も心打たれたところだったというのも納得できる。
人間は、一般人も学者も総理大臣も、自分の甲羅に似せて穴を掘る。
ついにわが「本心」を知る者あらわる、なんてところかもしれない。
だけれども、山県や安部のせいで、どれだけ人が死に、不幸になったのか、
ヘタクソな歌を書いて、それをわざわざ持ち上げやがって、というのが
の方がいろんなことできるっていう感覚。
仕事でも、家事でも、趣味でもそうだけど、着手する前に考えたりとか準備したりで時間食うじゃん。
だから細切れの時間だと、準備時間で実動時間が取られて効率悪いから、なるべく自由時間はごっそり固めたいって感覚がある。
さて、私生活の話で恐縮だが最近パートナーができた。この相方がやたら要領いいタイプで、ちょっとでも時間ができたら予定を詰め込みたがる性格。なんで平日の夜でも、土日の午前中とかでも、隙間時間が有れば一緒に出かけたいと誘われる。
はじめは楽しくて仕方がなかったのだけど、最近最初に書いたような自分の時間管理の特性上、自分1人の時間をまとまって取れないことが大きなストレスになってきた。まとまった時間がないとキッチリ掃除できないから部屋は荒れるし、趣味の読書は読みかけだらけになってしまった。
第9回BL小説大賞に出品したせいで先月は自分の創作(出品作の直し作業)が忙し過ぎて、本を読むとかいう気分ではなく、読みかけて積んでしまったものが多かった……。
馳星周先生の作品って、少年漫画や青年漫画の二次創作でBLを覚えた人間にはヒャッホー! な、ヒリヒリとした男同士の関係性を描いたものがちらほらある。私は『生誕祭』が好きだなぁー。けどここしばらく馳作品を読んでなかったなと思い、バディものだというし面白そうだなと思って本書を手に取ったのだが……。
冒頭がすごくダルい。今まで読んだ馳作品の中でここまでダルいと思ったものはなかった。うぅ……なんだこれ。でも作者あとがきには楽しんで書いたって書いてあるんだなぁ。作者が楽しんで書いた作品駄作の法則発動か、それとも中盤から急に面白くなるのか。わからないけど、十分の一くらい読んで脱落した。
BL字書き仲間から、「柴田よしき作品はBLだよ!」と教えられて、どの作品がBLなのかわからないまま、とりあえず目に留まった本作を読み始めた。しかし、最近の私にはBL貧乏神でも憑いているのか、これもいきなりダルくてくじけそう。某BLレビューサイトのマンスリーくじも外したし、散々な気分だ。
中華BLにかぶれて中国に興味を持った私、感染症がどうかというよりかは、中国の市井の人々の暮らしぶりを知りたくて、本書を読み出した。これは興味深い。封鎖下の武漢の人々の暮らしぶりもよくわかるが、中国の一般市民の暮らしや考え方も見えてくる。ステイホームするしかないので、著者のだしてくる話題がネットの話多めなんだけれど、中国流ブラックジョークとか、漢詩のパロディーとかが興味深い。
中国といえば言論の自由のない国というイメージだけれども、それでも人々は完全に右へ倣え(いや左へ倣えかな。)している訳でもなく、動画で血気盛んに行政批判(地方自治体disくらいなら意外と大丈夫だったりするの?)や罵倒をしていたり、ユーモアを交えて上手く規制を交わしつつ本音を吐露しているようだ。
ちょっと意外だなと思ったのは、中国の人達、プライバシーを大事にしている。自由と感染症対策を天秤にかけてどっちを取るかっていう議論が出てきたりとか。また、感染症対策も大事だけれども経済を回すのも大事でしょう、とかいう意見も出たりして、完全に共産主義なのではなく、資本主義的な考えも取りれているようだった。いや、資本主義というよりは現実主義なのかな。
著者の方方先生は基本的に当局を支持し信頼していると繰り返し述べつつ、極端な思想(極左)は人々の暮らしに悪影響をおよぼすとも主張している。そしてよくネトサヨから攻撃されたりブログサイトからアカウントをブロックされている。
思い切った都市封鎖で徹底的に感染症対策をしたにも関わらず、なかなか感染者数が減らなかった武漢。本書は日記なので、リアルタイムにその状況を体験して書いている方方先生や、一般の武漢市民にはどうしてこんなに長く閉じ込められなければならないのか、分からなかったようだけれども、この翌年に俯瞰で見れる読者の私には、さもありなんと思える記述が所々にある。一般市民の多くはステイホームをしていたものの、当時の武漢にはホームレスもいれば貧民街も一部にあったらしく、それらの困窮生活者は生きる為にいつも通りの暮らしをしていたようだ。また、物資の配給に従事していた人々……多くは市の職員とボランティアだ……の感染症対策も情報不足や物資不足から万全とはいかなかったようで、それが感染拡大に影響していたのではないかと私には思える。
日本でも他山の石とすべき所は、役所というのは日常の仕事様式から、どうしてもフレキシブル対応が苦手となってしまう、という点かなと思った。こればかりは国の主義とか関係ない感じがする。全体主義・強権主義的なところのある国は感染症のような問題には強いと、外の我々には見えたけれども、現実にはそれでもかなりの苦労があったことが本書にはありありと書かれている。
……とまあ長々と書いたけれども、まだ半分ちょっとしか読んでないので、頑張って続きを読む。
BL関係ないけど。読んでみれば、一般社会から顧みられることのない、普通から脱落した女性たちの暮らしやものの考え方、世界の捉え方が書かれていて、興味深い。のばらあいこ先生の『秋山くん』『寄越す犬、めくる夜』の登場人物(こっちは主に男性だけれども、所属階層はほぼ同じだろうな)の日常とかを思い浮かべつつ読んだりとか。
性的逸脱行為を繰り返す少女が、自らの価値を「需要」のある無しで語るくだりとか、衝撃を受けた。しかし、そこまで荒れた生活を敷いられているわけでなくても、自他を使える使えないで見ている人というのは世の中にはとても多いというか、ただそこに存在することさえ許されない、役に立つのは義務であるかのような圧が社会全体にのしかかっている気はするよなあ。そういう圧が、社会の中の一番弱い人々を押し潰してしまうんだろうね。
非行や犯罪で少年院に入れられた少女達が、更生教育を受ける中でやっと自分の存在を肯定することを覚えるということ。世間的には少年院に入るなんて罰だとしか思われていないけれど、そこが人生の根幹の部分を学ぶ唯一の場所であるという人も世の中にはいて、必要な場所なんだなあ。しかし、女子少年院を出てから数年後に悲惨な姿でまた戻ってきた女性の話しは重く辛かった。せっかく自分を大切にすることを覚えても、彼女をゴミのようにしか扱わない人しかいない世界に戻っていくんだね。ネンショー出だということで……。
唐突に、紙の同人誌なんか家に一人で居られる昼間しか読む暇ないじゃん! と思って宝箱から発掘してきた。幽遊白書の同人誌、なんだけど、表紙からして誰おま。これが野火ノビタクオリティ。だが読めばなるほど蔵飛……そしてエモい。
実を言うと蔵✕飛は特に好きではないが嫌いでもなく、しかし野火ノビタ先生の作品に限っては超好きなので本を買ったという。私自身は幽白の最推しカプは男女カプなので、表向きには蔵飛読むなんて言えない。腐に媚びてんじゃねぇと陰口を言われるので。BLのカプでは仙水✕樹が好きだな。推しても誰とも喧嘩にならないし。
改札の目の前やエスカレーターの出口で急に止まるやつがいればとっさに避けて自分の若さに感謝。
ぶつかってしまったらすみませんといって、謝れもしない相手に対する優越感に浸る。
出社して業務を押し付けてくるやつがいれば、そいつのおかげで自分はこの会社で仕事を失うことはないと安堵し、ろくに仕事せずに丸投げしてくる上司がいれば口では「お任せください!」といって、裏ではお前のポジションいただくのちょろいとほくそ笑む。
スーパーで買い物するときは自分では食べようとも考えないものを抱き合わせてくれてありがたいと思い、黄色いポップを見てはおかげで情報を疑う目が養われるぜと修行に励む。
たまたま並んだレジが遅かったら運の悪さをこんなところで落とせてラッキーと思い、時間がかかりそうだと思ったらすぐに切り替えてスマホを素早く取り出して読みかけの小説を読んでは、何もせずに苛ついてる他人を動物園気分で楽しく眺める。
クイックペイは使ったことないけど、店員さんにはクレカについたEdyのマークを指差しながら必ず相手が聞いてくれるであろうタイミングで「エディでお願いします!」とはっきりという。エコバッグはレジで並んでいるうちに見えるように手にかけておく。ほしいときはレジを打ち始めると同時にまっさきに「袋お願いします!」というので、忘れられたことはないが、レジに打ち忘れている人はよくいるので、袋打ちましたか?と聞き直すことは結構ある。レシートもらってからの打ち直しのほうが面倒くさいから、たまに舌打ちされるけどトータルの期待値で行動するから気にならない。
食事をしながらyoutubeは見ない。すまない。目の前の食事と向き合っていたいので、家族と恋人以外の顔をみながら食事はしたくない。心地よい音楽を流すと落ち着けて良いぞ。
食事以外で動画を見るときは広告が始まると同時に手元の本に目を移して、適当に終わったら動画に目を戻す。基本的に常に広告に備えて別のものを用意しているので、CMを作っている人には申し訳ないけど開始2秒までしか内容を知らない。
サジェストについてはよくわからない。興味ない人間の顔はじゃがいもにしか見えてない。
電車が遅れたときは次に来た電車にギュウギュウになって乗り込むのが嫌だからある程度空いてくるまでホームで本を読んだり見ようと思ってた動画を見たりしている自分は、電車に乗り込もうとするマジョリティに比べれば相当に普通ではない。
要約すると、世の中には放っておくとストレスの原因になるものだらけなので、そういう種を少しでも見つけたら自らの行動を変えて潰す、回避する、優越感に浸るためのきっかけにしている。
そうして意味のわからないことで他人と比べて優越感に浸っている俺なんかとっくの昔に狂っているのだと思う。
これ以降の内容については、自分とは異なる狂い方をしている人がいるんだなと思って、そういう情報はすべてそっ閉じするようにしているのでなんとも言えない。
知ってしまえば無視できないのも人間。知らなくていい話がたとえサジェストで上がってきてもわざわざ自分からはそれ以上に首を突っ込まない。
ただ一つ言わせてもらえば、増田はどこからどう見ても人間だよ。トラじゃない。
独り身で友達もいなくて実家住みなので、自由な時間がたくさんある。
何かにハマっていないと退屈なので、いろいろやりたい。
今日は仕事終わりで夕飯食べ終わったのが22時くらいで、自由時間を満喫したくて読みかけの漫画を読み出して、気づけば4時だ。
体型がデブまっしぐらなので、筋トレとかしたい願望はあるけど、リングフィット放置してた。
思いついたのが、カフェインを一日中取り続けて年中不安の民なので、カフェイン減らして睡眠取ること。
コーヒーは、母親の好物だ。コーヒーを断つのは母親と別れるみたいで抵抗感がある。
母親は存在を意識しないくらいいるのが当たり前のものになっていて、でも、離れなければいけない。
罵りではなく文字通りの意味でIQ低いやつでも賢そうな文章を書くやつは書くぞ
ブランド物で身を固めるのと同じような非常に意味のないものだと思うよ
いったい増田は誰に対して虚勢を張りたいのだろう?ってずっと思ってるよ
もちろんプレスリリースとかカスタマーメールとかはハッタリが必要ではあるけど
そういう本買って枠にはめるだけだぞ
お仕事文章じゃなくて、小説やエッセイを書く際にどうしても飾りたいなら文体模写したら?
これも以前も書いたけど、昔2ch(5ch)で文体模写が流行ってた
商業で小説出してる人が言ってたけど、絵と同じく写経が大事みたいよ
村上春樹 『1973年のカップ焼きそば』
きみがカップ焼きそばを作ろうとしている事実について、僕は何も興味を持っていないし、何かを言う権利もない。エレベーターの階数表示を眺めるように、ただ見ているだけだ。
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勝手に液体ソースとかやくを取り出せばいいし、容器にお湯を入れて五分待てばいい。その間、きみが何をしようと自由だ。少なくとも、何もしない時間がそこに存在している。好むと好まざるにかかわらず。
*
読みかけの本を開いてもいいし、買ったばかりのレコードを聞いてもいい。同居人の退屈な話に耳を傾けたっていい。それも悪くない選択だ。結局のところ、五分間待てばいいのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
*
ただ、一つだけ確実に言えることがある。
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[ミーティア]『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』が面白い | 菊池良
https://meetia.net/book/moshiyaki/
まず俺の車内は物が散乱していて汚い
後でまとめて集計しようと思って散らかしてあるレシート
頻繁に使うからと無造作に入ってるゴルフクラブなど、様々な物が散乱している
しかし職場のデスク・パソコンだけは常に整理するようにしている
何故なら、ここを整理しておかないと仕事が捗らないし、何か聞かれた時に書類が無い・メモの紛失などで時間をかけるのが無駄だからだ。汚くても優秀なやつは優秀らしいが例外だから省略
まず机の上に物や書類が無造作に置かれてるやつは論外。自分で把握できないなら他人が把握できるわけがない
次に机の上が綺麗ならいいんだろ、と引き出しの中にぶち込む奴もダメ。見た目は解決するが根本的な解決には至ってない
データ化すればいいんだろ、となんでもかんでもパソコンの中にぶち込む奴もダメ。多重階層でどこに何があるか分からないとか、メモを書いたのは覚えてるけどすぐに見つけられないなら意味が無い
要するに整理というのは、仕事の効率を上げるためのものであって整理したところで実用性が無いなら全くの無価値
定期的に「あの書類が無いんですが」と言われるのだが、自分の周辺で書類が紛失するのは基本的に無い。念のために確認もするが、置き場所は決めてあるので、無いです。とすぐに断言できる
これがもし、そこかしこに書類を置くような人間だとどうなるか。「もしかしたら埋もれてるかもしれないので探しますね」となってそれはもう時間の無駄になる。最低でも二人分の時間の無駄
これはパソコンのファイルでもそう。ファイルがあるのは知ってるんですが、場所が分からないんです~とか最高に時間の無駄
そしてちゃんとした整理が出来ていないと、報連相をする時にも支障が出る
まず報告するにあたって、何が問題なのか把握しなければいけないので見聞きした情報を整理しなければならない
次に連絡するにあたって、何を連絡するべきなのか考える必要がある
最後に相談、相談をするということは相手に理解をしてもらわなければいけないので、自分が何を伝えたいのかまとめる必要がある
説明がヘタですみません。と言うやつもいるのだが、説明がヘタだから何だというのだろうか。説明がヘタなので後は察してくださいと責任を丸投げするつもりなのだろうか
こういうことを言うやつは大抵が、物の整理・情報の整理が出来ていない。自分では片づけた気になってるが、実際は適当に押し込んだだけで把握できていないから、人に何かを伝える時にも伝え方が乱雑になる
僕の部屋は春夏秋冬いつでも22度だった。ワインセラーの様に一定に保たれた室温は、外の世界へ羽ばたこうとする僕のやる気を削ぎ、やがて窒息させた。
梅雨明けの太陽に照らされたアスファルトを窓から眺めていると、3人の家族が歩いていた。この眩しさはあの3人の為の物なのだと思い、壊れかけのカーテンを強めに締め、定位置に戻る。こうして外の世界を見てしまったあとは、僕を母親の胎内のように優しく包み込む羽毛布団を愛して離せなくなった。
ぬるい室温で育ってきた僕は、働かなければ死ぬという当たり前にすら直視出来ずに死んでる様に生きていた。多分そう、これからもそうなんだ。
ある日の早朝、僕は一匹の野良猫と出会った。出会ったというには少しだけ遠く、分厚い壁を隔てていたが僕の認識では確かに会っていた。
窓の外から見た黒猫はニャーニャーとおばあちゃんの手に頭をこすっていた。昔テレビで見た知識だが、猫が人間の足や手を孫の手のように使っているという事を僕は知った。
なんとも落ち込む話ではあるが、眼前に映るおばあちゃんと猫は確かに愛し合っているように僕は感じた。
猫を撫でる柔らかさと温かさを想像とYou Tubeで補填してみたが、予想通りに可愛いし愛くるしい。
想像できてしまうから、僕は外に出ないんだ。どうせ面白くないと飲み会を断り、どうせ俺なんかと女の子の誘いを断り、どうせ続かないと何一つ始めない。
被災者でもないのにシェルターに逃げ込む自分が今日は不健康に思えて仕方なかった。
そんなことを考えていると、内から鍵をかけたはずの扉が勝手に開いた。僕はいつの間にか扉の向こうにいた。
手探りで人間の模倣をする怪物のように、歯を磨き、顔を洗い、髭をそった。想定を超えて伸びた頭髪は、ツヤもなく、パサパサとしていて普通にキモいなと思った。
洗面所を出て、久々に見たリビングには僕の分の椅子もある。僕はパンを焼いた。母親が買ってきていたのであろう6枚切りの食パンにブルーベリーのジャムを塗りたくった。何となくコーヒーも入れようと思い、ポットでお湯を沸かし、クルクルと注ぐ。
サクサクのパンとブルーベリーの甘さがたまらなく美味しかった。多分ブルーベリーの青さがそうさせている。僕の視界はずっと白黒だったから。
コーヒーは黒くて苦い、でもパンには合った。コーヒーの優しさに気づいた僕は、勢いのまま友人にラインを送ってみた。
「お疲れ。今日飲まない?」
となると、このままでは怪異だ。僕は髪を切らなければならない。僕は、父親から貰ったポーチに財布と2年間読みかけの文庫本いれた。
さて、準備完了だ。多分このときの僕は一般の人間と比べると不快で、不清潔でだったと思うけど僕なりに身なりは整えていた。
靴箱から自分の靴を取り出すと、数年越しに仕事を貰えた靴が生き返るようにホコリを散らした。パンパンとホコリを払うとシャープなロゴがカッコいい。
玄関の扉に手をかけるが扉が開かない。押しても引いてもビクともしない。怖いから?違う、鍵がかかっていただけだった。
僕は扉を開けた。
「「「うおおおおおおおおおお!!!!!」」」
外のエネルギーはとてつもなく、ずっと家にいた僕は打ちのめされた。しかし、このエネルギーと僕は戦うんじゃない、夏と一つになるんだ。
僕も夏になる為に、少し激しめに靴をトントンした。
近所の遊歩道を目指して歩いていると、犬のウンチを片付ける老人と、ウンチなんかしてませんよ?みたいな顔でリードを引っ張る柴犬が格闘していた。
俺も負けてらんねえな。と思い負けじと僕も住居の庭から伸びている葉っぱを千切り対抗する。
しばらく歩いていても猫ちゃんの姿はなかった。自販機でコーラを買い、公園のベンチで飲みながら上を見上げた。久々の木漏れ日は、白熱電球の明かりしか浴びていなかった僕にとっては気持ちの良いものだったけど、「木陰ってこんなに暑かったっけ。」と呟くほどには暑かった。
公園の時計を見てみると7時半をさしていた。30分ぐらいしか外には出ていなかったし、猫を見つけることもできなければ、美容室に行くことも、文庫本を読むことすら出来なかったけど、下手くそな時間割りでも外に出られただけで僕の一日は輝いた。
空き缶をゴミ箱に捨てるとカランと良い音が鳴った事に、いや、この散歩の間に起きた事象全てに感慨深くなる。最早そこにこそ生きる意味を見出していた。
Tシャツがベトベトになる事を、不快と思わず、シャワーを浴びる理由と考えるだけで人生が楽しかった。
そんなことを考えながら、僕は帰宅した。
早速Tシャツとジーンズを洗濯槽にいれる。夏にジーンズは無かったなと今になって思いながら、ほぼ冷水のシャワーを浴びる。ガシャガシャと頭を洗っていると、耳の裏からでっかい皮脂みたいなのが取れて自身の不清潔さにゾッとした。
体を泡で洗っていくと、風呂場の温度で体が温まっていくのを感じ、再び冷水シャワーで体を流した。
ほぼ震えながら体を拭く。下着の棚には僕の物もあり、僕の部屋着も入っていた。当たり前なんだけど、僕は家族と4人で暮らしていたんだ。
コップに氷を3粒落とし、麦茶を入れて飲む。TVをつけるとニュースがやっていて、今は新型ウイルスによる未曾有の事態の只中にいるという事を思い出した。そういえば、外出している人はみんなマスクをしていた。自分が引きこもっている間に時代が変わってしまったんだな。と思った。
タイムスリップ開けのテレビは新鮮で、食い入る様に見ていると、母親の寝室の扉が開く音がした。コツコツと階段を下ってくる。いつもなら刑務所の看守に怯えるように息を潜めるが、驚く事にリビングのドアが開いたとき僕は、「うぃー!おはよ!」と気持ちの良い挨拶をかましていた。