はてなキーワード: 寄付とは
名興文庫(まだ非法人だが出版社として法人化を目指している)さんが、下記の他社IP作品を題材にしたチャリティー批判本を出されたようです。
著:理不尽な孫の手
コミカライズ:フジカワユカ、石見翔子、野際かえで、米田和佐、日崖タケ
販売URL:https://www.naocoshibunko.com/00017-2/
価格は\15,000と少しお高めですが、原作者や関係者には無料で提供するとのこと。下記諸注意です。【名興文庫(まだ非法人だが出版社として法人化を目指している)さんの特設サイトからの転用】
・本批評で得た一定期間の収益は、日本赤十字社の令和6年能登半島地震災害義援金に手数料を差し引いた額の全額を寄付します。
・本批評の値段に対しての苦情は受け付けておりません。お問い合わせより連絡があったとしても返信はないものとご理解ください。
・本批評に関する個人的感情の範疇に留まる意見表明に関し、お問い合わせよりご連絡をいただいても個別に対応は致しかねます。お問い合わせの返信はないものとご理解ください。
この機会に、日本赤十字社/義援金等に直接募金しては如何でしょうか。
成功した運の良い人が謙虚になって例えば寄付をするようになっても、自分がその寄付の対象になるかどうかも結局運であってとことん運が悪かったらもうそういう人生だと受け入れるしかないってなるよな
この話って成功した人に謙虚になれ!って文脈で言われるけど、それより失敗した運の悪い奴は何しても無駄っていうことを言ってることにもなるから失敗した人へのダメージの方が大きくなりそうだなっていつも思う
どこが古いか指摘するとね
(1)金がない時、御経を唱えてなんとかしてくださいと願う。しかし、そんな時間あれば働け、そして寄付をやめろと思うのがふつうの考え方だろう。
→祈るだけ叶う、は50年前の学会の感覚。20年の池田先生の言葉に「必死の努力こそ信心だ」とあるぞ。むしろ「努力することが信心なら、信心いらんじゃん」的にもとれる。大石寺と決別してから神秘的な信仰は徐々に否定してきた。
(2)祈れば叶うと教えられたが、自分が動かないことには何一つ叶った試しがないし、祈らなくても動けば叶ったりした。
→親は一言でそう言いがちなのは仕方ない。しかし、高校生にもなって、ちゃんと教義も読まず、祈りと努力の関係性もわからん人が、言う話ではないと思います
https://kobe-note.jp/n/n9629ec5abf7a
ここに書いていることは、おおむね同意。
これから本格的に、寒くなるのに時期が悪すぎる。
まるで老々介護だし、このままで持つとは思えない。
上下水道の復旧も住居も
一日だけのボランティアなどは、
集団移転をすべきなのか、
なんとかならないのだろうか。
マジで、みんなで何とかしてほしい。
自分は対して役に立ててなかったと思うし、
もどかしくて仕方ない。
___________________
皆さんが、すこしでも考えてもらえて、うれしいです。
> どんな能力のボランティアがどこに入って何をするべきなのか具体的に頼む。
> 例えば私がボランティアに行っても上下水道の復旧とかできないのだが。
家については、今は片づけでなく(雪がふってしまったし。。。)
> で、どこの自治体もボランティアを受け入れるキャパないようだけど?
なので、近隣県の社協がまとめて入ってくるなど、
早急に受け入れ態勢を強化すべきと思っています。
地元の方とも触れ合えないのですが、
> 2次避難の希望者はどうやったら増えるのか、困りましたねえ
本当にそうです。
その時まで支えることが必要ですし、
と思っています。
なんか間違いも多くツッコミどころ満載
まず感覚だけで批判してきた典型的な例で、文章を読んでないし、自分の脳で学会を理解できてないし、情報がちょっと古い。20年前というより、それより前の30年前くらいかな。この10年は結構大きな差がある。大石寺と決別したのが、35年前だから。
金がない時、御経を唱えてなんとかしてくださいと願う。しかし、そんな時間あれば働け、そして寄付をやめろと思うのがふつうの考え方だろう。
→祈るだけ叶う、は50年前の学会の感覚。20年の池田先生の言葉に「必死の努力こそ信心だ」とあるぞ。むしろ「努力することが信心なら、信心いらんじゃん」的にもとれる。大石寺と決別してから神秘的な信仰は徐々に否定してきた。
祈れば叶うと教えられたが、自分が動かないことには何一つ叶った試しがないし、祈らなくても動けば叶ったりした。
→親は一言でそう言いがちなのは仕方ない。しかし、高校生にもなって、ちゃんと教義も読まず、祈りと努力の関係性もわからん人が、言う話ではないと思います
日本の大学への補助金をやめ海外大学に寄付すればグーグルのような企業がわんさかできて日本に得
みたいなもんか
何度もあちこちで書いてるけど大箱埋めるアイドルのライブ行って思ったことと似てる
増田と似た(似てはないかも)思考で、人気アイドル推すより、同程度に好きな人気微妙アイドル推すほうを選んでた
選択権があるという驕りやら、コスパ(席の近さ、覚えてもらいやすさ)が良い、単純に小さな現場の雰囲気のほうが好き
など理由は他にもさまざま
で、たまに大人気アイドルの数万人埋めたり埋まらなかったりするライブにも誘われたり暇だったりしていったのだけど、
凄い区切りのライブの時に、いろんな理由つけていかないオタクの割合が増えればこの景色が見れなかったんだと思って
それ以来、区切りにライブには行くようにしてる。単純に久しぶりだと楽しいのと、昔のオタクに偶然会えたりするのと、後々マウント取るためと
という話はあんまり繋がってなく、それでも寄付とかもそうで、と続けるんだけど、
Aがβだけ支援するのはαに悪い(とか何とか理由つけて)と支援せず
2対2ではなくABCD……Z と αβγ……ω で考えると、どこかで取りこぼしや重複が起き、救われないものも出てくるだろうが
それでもなにもしないよりはいい
今目につくことに支援するという流れが出来ていないと、自分が目についても支援されないという風潮になる
なので、自然災害のピンポイントでもいいし、難病で海外で手術の子供でも犬猫でもなんでもよいので個々が目について救いたいところに寄付したらよいなどと
そのために節約とかまでする必要はないが、節約したとしてその帳尻は内部留保溜めてる企業とかぜいたく品扱ってるまあ経営に問題の無い企業やお店に行くだけだろう
電気代とか節約したり、酒や馬鹿カロリー飯を控えると節約行為自体がプラスにもなるし
もちろん、寄付とか嫌いなおっさんが、地元の飲み屋で飲み歩き、スナックやらラウンジのねーちゃんに金払うのもそれはそれでよい
で、どうしても救えないところが出てくるので、そこは(ある程度)お国でなんとかしましょうと
残酷なことだけど、国の制度では救いきれず(そこを拾いだすと莫大なコストがかかってしまう)、さらに募金も集まらない、みたいなケースも残って当然
寄付募って生きながらえるなんてあさましいと考える人間、そういう親元に生まれてある意味であがいてもらえずに見捨てられた形になる難病の子供も居ても仕方ない
寄付に対してそこまで潔癖になれるなら納税とか政治とかについてももう少し深く考えてみてもいいんじゃないかな
ジャニー喜多川氏を褒め称えていたユニセフの黒柳徹子氏で書いたら良いんじゃあないですかね
黒柳徹子氏のチャンネル、能登半島の大地震のタイミングでハワイの別荘の話や軽井沢の別荘の話ができるのマジで大したもんだと思いましたわ
これが金持ち(のイメージを売る)YouTuberや、情報商材系YouTuberや、よく黒人ラッパーがやってる『俺はリッチな黒人!貧困から成り上がったぜ!』とか
それらに類似する趣旨で活動している人なら何とも思わないけど、元増田が書いてる寄付のお話含めて、いろいろと御高説垂れ流す人よね?
生きている間くらいは誰かイメージ守ってやれって気持ちになりました
あと、セレブのやりたい放題は抜きにしても、何事においても、施しをもらう与えるって意識はない方がいいです
税金の払った額によってサービス云々ならそもそも年収が平等になるよう社会システムを直すべきだ
人類の歴史を変えたレベルの人には特別な利益を与えていいけど、
医者とノーマルな労働者(派遣含む)との間には、そんなに社会的な価値生成能力は変わらない
どちらが社会的により重要度が高い職業か小学生でもわかるよね?
100兆の個人資産を持つ人がいるのに1ドル以下の収入の人が世界にいるのは
明らかに社会のシステム整備がしきれていないがゆえに過剰に集まってしまった結果に他ならない
本来もらえるべきものをもらっているだけって面をした方がいいぞ
金だけでなくて能力についても同様ですな
富める者が病院に寄付し、貧しい者がそこで医療を受けることによって医学の知識増進に寄与し、結局は富める者にも利益を与えることになる。
こうした契約によって患者を教育用に使うという問題は正当化された。これもまた、経済的自由主義の思想の影響とみることができる。 ミシェル・フーコー
前提として「寄付できるお金に限界がある」視点が抜けてると思う。
全ての人に平等に寄付したいのであればそれだけの資産が必要になる。
相手を○せる力を持ってて初めて相手の生死を握ることができる。
相手を傷つけることもできなければ逃げるややられるかしか選択肢がないこともある。
何かをするのであれば、いつだって今自分が持てる力の範囲でやるしかない。
金という力もないのに「全人類に平等に寄付する」という正論of正論は実行できないので、「今自分が自由にできるこの一万円で、誰の幸せを願うのか」を考えないといけない。
その中で誰を選んでもいいし、選ばなくてもいい。
もちろん「手の届く少数の幸せ」より「平等という価値観」の方が大事だから、「平等にできないならやらない」でもいい。
選ばなかった理由の開示もしなくていい。胸に秘めてるうちは何思ったって良い。というか言うと大体喧嘩になるし。言ってくるやつは敵。
人は基本的に弱いので、絶対的な正しさに準じての行動はできない。
「自分にできること」を前提に考えると神レベルの行動は選択肢として挙げられない。