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2024-10-25

anond:20241025024316

洗礼』は確かに傑作ではあるが、重要作品には疑問

少年サンデー漂流教室」の次に集英社つながりで連載されたが、少女コミック掲載作品は、たしかこれだけのはず

楳図かずお1960年代に「恐怖マンガ」というジャンル確立ブレイクしたので、週刊少女フレンド枠で『ねこ目の少女』『ママがこわい』『まだらの少女』『紅グモ』『へび少女』『黒いねこ面』『ミイラ先生』『赤んぼ少女』『影姫』(『鬼姫』)『うろこの顔』 etc からひとつを選ぶべきだな 

2017-09-07

白泉社前史

 白泉社創立の由来は、当時集英社織田信長みたいな、能力と才能を持ち容赦なかった若菜正の、ライバル・梅村義直追い出し策にある。その頃の集英社派閥は大きなものが二つあり、少年ジャンプを中心とする長野規一派(少年漫画派)と、ノンノマーガレットを中心とする若菜正一派(少女漫画広告取り雑誌派)がいた。両派閥の内部での結束と団結は強く、必然的派閥外の者(特に二人より年長の者)は追い出されることになった。

 梅村義直はかつてりぼん編集長であり、それより出世して当時、りぼん内での独立系派閥を持っていた。梅村義直の忠実な家臣の小森正義は、りぼんから別冊マーガレットに移り、さら白泉社移籍した。山岸凉子三原順などのコネクションは小森に由来する。

 小長井信昌は少年漫画部門にいた関係長野規の盃を受けた身であり、少年漫画編集の野望を抱きながら(それは後年、白泉社少年漫画雑誌創立につながることになる)、その手法少女漫画に生かし、別冊マーガレット美内すずえ和田慎二などを育てた。編集者の腕と頭の切れは抜群であるが、ワンマンで旗幟不鮮明な小長井は若菜正に警戒された。

花とゆめ」創刊時は、付録つき月刊誌ということで、りぼん意識しながらより低年齢の読者を対象にし、花とゆめコミックス装丁りぼんマスコットコミックスを模したものだった。

 しかし、とある年に、週刊マーガレットライバル雑誌だった講談社少女フレンドが月2回の刊行になるという事態が生じ、売れ行きがさほど悪くなかった週刊マーガレットをそうするわけにもいかず、白泉社花とゆめを月2回刊行ライバル誌にするという策を集英社は打った(余談だが、これは講談社のぼくらマガジンに対して小学館集英社グループ少年ジャンプを作った策と同じである)。

 当時の少女フレンド大和和紀庄司陽子里中満智子その他強力連載・読み切り陣を揃え、花とゆめは苦戦したが、美内すずえガラスの仮面」、和田慎二スケバン刑事」という大和武蔵級の作家によって巻き返しをはかった。

(多分続かない。これは伝聞を元に整理したもので、キャラ設定その他脚色が入っており、史実とは異なります

 
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