はてなキーワード: 儒教とは
・年功序列
・権威主義
・マナー重視
生産性悪化、道徳レベル低下、本末転倒を無限に引き起こせる精神の猛毒というほかない。
確かに相手がガチのチンパンジーでまずは鞭で躾けなければいけないが褒美が必要という場合に「お前は階級が低いのでマナーを守れ。偉くなったら階級で殴ってもいいから」という形で飴と鞭を行ったのは有効だったのかも知れない。
与えられる飴の正体が程度の低いチンパンジーレベルの権力であることに気づき自分から拒絶するまともな人間に成れる可能性もあるわけだしな。
だけど今の人間ってのは道徳の平均レベルが昔よりだいぶ高まってきているので、もはやそんな飴と鞭を今更持ち出すとかえって逆効果になる。
一部の宗教が「昔の病院の衛生環境では輸血をするとかえって悪化する」ということから掲げた「輸血禁止」を今なお守っているのと同じレベルで頭が悪い。
レガシーな宗教のレガシーな思想が現代ではマイナスの効用ばかりを産むパターンは多いが、その中でも儒教はとびっきりにマイナスが大きい。
儒教の重んじる礼が結局の所は「老人共の作り上げた幻想の常識を守ること」であるのだから完全に終わっている。
とあるワイドショーの「平成の常識やってTRY!」なるコーナーが、当時の価値観に置いては「立派な人生の先輩であるおっさんたちが、女は料理ができなければいけないという常識棒で殴ってやる有り難いコーナー」として成立していたがの、令和の常識に当てはめるとそもそもこんなコーナー自体が常識はずれのゴミであるとされるのと同じような状態だ。
やってTRYの存在は本当に平成という時代の道徳レベルをよく象徴している。
昭和が酷すぎたせいでだいぶマシだったなんて思ってしまいそうだが、冷静に少しずつ振り返っていくと平成という時代さえも十二分にその存在そのものが日本史の恥とも言えるモラルハザードの真っ只中である。
だが、儒教の素晴らしい思想を守ろうとすればそんな平成のモラル感、それどこからそれに3周りほど輪をかけてゴミクズナ昭和の道徳観を「老人たちの語る素晴らしい常識感」として崇め奉ることになるのだ。
歴史の中にだけ存在すべきであり、そういった宗教が存在したことだけを伝えればよいだけの代物になった。
失敗は失敗として残さなければ、頓珍漢が「誰もまだ気づいてない素晴らしい手法」だと思いこんで後の世に再現しかねないからだ。
当初11%以下だった自民党支持層の岸田支持率が河野に肉薄して来ている。
政策が好感を得ているってのもあるとは思うが、どうやらプロを入れたらしいイメージ戦略が奏功してるのは間違いない。
SNSの活用、インスタライブ、Youtubeのライブでの非政治ジャンルのカジュアルなQAから、こまめな政策発表も良い効果があると思うが
個人的には、細々としたところで感心させられる。例えば、岸田は演説の冒頭で、まず菅政権の実績に敬意を表して成果は成果として公正に評価しているということ。
河野はワクチン大臣としての業績はアピールするが、それを菅政権全体での成果としてはあまり触れない。あなたの成果は立派だが、それは政権あっての事ではないのか?と言いたくなる。
高市は特段菅政権を論う事もないが、かといって賞賛する様な事もない。そもそも後ろ盾の安倍と二階菅は友好的な関係ではないので止む無いのかもしれないが、勿体ないことだ。
枝野は、常に口角に泡飛ばして批判をするばかりだ。経済政策すら発表しないお前らに何が出来たというんだ?という疑問が頭から離れる事がない。
こうなると岸田の、菅首相の実績を評価し努力に賛辞を送りつつ、それでも自分はそれを超えて見せるという態度は頼もしく、好ましく、能力があるように見えてくる。
普段の振る舞いからメディアへの露出の仕方、演説の方法、言葉の選び方に至るまで、プロの目が入ってるんだろうなという事を感じさせる場面が多い。気付いても、気付かなくても、自然な形で岸田の印象はプラスになると思う。
アメリカの大統領選では、PRのプロが指導、アドバイスするのは当たり前の事なんだろうけど、今の岸田を見てその威力の大きさを改めて感じた。
古来、儒教にせよ、小笠原流にせよ、礼儀作法ってのが権力者の嗜みになっていたけれど、それにはそれだけの理由があるのだなと。所作一つで好印象が買えるならば、安いものということだ。
Tmr1984 儒教と小笠原流を並列に並べてるところが引っかかった。多くの人が並列にしないものをわざわざ並列にする理由を考えている。
単に、あなたに知識がないだけ。儒教ってのはかつては礼や楽をも代表するものだった。儒学者の礼が嫌いだった劉邦が、儒学者の冠を取って中に小便して返すような悪態をついていたというのは有名な話で
BE:FIRSTのファンを眺めていて思うことを殴り書く。
もうくるところまできた気がする。
くそキメェんだよこの風潮。
そろそろ「はい! いったんこれやめやめ!」って誰かアーティスト自身が自覚的に止めないと終わらないよ。
10代から20代にかけて、バンドとかソロアーティストにはハマってきました。
当時はバンドのオフショット風映像とかのコンテンツが豊富じゃなかったから、ライブでの完成された姿しか見られなかった。
だからファンがそれぞれ妄想するしかない、「こんなだったらいいな」みたいなメンバー同士の仲を描く薄い本も、「こんなこと考える人がいるんだなあ」とおもしろく読んできし、たぬきに書かれた自称カキタレによる「あいつらクソ仲悪いよ」みたいな書き込みも、「まあそうだよね」なんておもしろく読んでいた。
そのうちプロ野球にハマって、野球界のMyojoこと「プロ野球ai」には、芝生で寝転がってスキンシップする2人の野球選手……みたいなグラビアが豊富に載っているという世界観を知り、それに湧く女性ファンがいることも知った。
テレビや雑誌で垣間見ることができる、メンバー間の関係性プラス自分の願望を添えたホモソーシャル妄想をよく聞かされて、おもしろいなあと思っていた。
余談だけど、サブカル系の雑誌に載るような、ジャニヲタが書くジャニーズ愛を切々と書き綴るコラムはとびきりおもしろいと思う。
ツイッターに「#BTSで18禁妄想」があるのはよどみなく受け入れた。
だって完全な妄想だもん、自分のヘキを好き勝手書いて楽しんでいるだけだし、わたしが10代の頃に知った薄い本と同じことをやっているだけだし。
やたらと「兄弟(キラキラ)(ハート)」でくくって、それぞれの相関関係を描いて楽しむのは、KPOP特有の文化なのかなと理解していた(儒教が根底にあるの? 知らんけど)。
「長男なのにマンネにいっつもイジられて尊い(キラキラ)(ハート)」とか。
それは彼らのキャラクターを愛でるうえでは欠かせないのだと思うし、彼らはプロとしてわたしたちを楽しませるために、たとえば”仲良の良さ指数”10を100に演出してくれているんだろう。
(なによりBTSはユンギがいるから冷静に見ていられる。彼は、ウソ・大げさ・まぎらわしい、をむやみにしないひとだと信頼できるから)
だがよ、「THE FIRST」にハマってみたらよ、なんだよこのザマは?
オーディション番組として生身の人間関係を純粋に楽しんで、それぞれのメンバーにも魅力を感じて、楽曲もダンスもループで聞けて見れてアイドルってほんと楽しいなあ!って思ってても、毎回You Tubeのコメント欄が目に入ると嫌悪感に侵される。
「パフォーマンスはバキバキにカッコいいのに、普段は小学生のようなBE:FIRSTの皆さん。推せる」
You Tube撮影用に形つくってんだよカメラ回ってないところでやるわけねえだろ。キメェ。
「ソウタに抱きついたりリョウキの腕に自分の腕絡めていくシュントとか、彼女かのようにリョウキの足の間に座るマナトとか、本当になんなのこの子達は。仲が良過ぎて嫉妬すらしないわ」
いちいち一挙手一投足をキモく強調して取り上げるなよ。こいつらマジこういうとこある。「○○とか、○○とか」っていちいち並べて最後に「推せる」と締めるお花畑文体、キメェの極み。
「リョウキにもたれかかってるマナティ、子供みたいで可愛すぎるんだが!?!? 絡みついてるシュントも肘置きたいジュノンも全員まとめて可愛すぎるんだが!?!?!?」
口調がキメェ。
「ちょっとーーー!! なんでリョウキのお膝の間にマナトが座ってるーーん」
お膝て! キメェ。
「ジュノンがマナトとリョウキに肘乗せながら、目をコシコシ擦りながら、『座んね』って言うの、めっちゃかわいい」
ただ目がかゆかっただけでこのキメェ言われよう、かわいそうすぎる。
「このみんなだと改めてYouTube用に撮影しなくても素を撮ってもらえるだけで最高に面白いものが出来るから安心だね」
いやYouTube撮影用じゃなかったらなんの茶番だよ。逆に彼らに失礼だろキメェ。
むせ返るようなお花畑に野糞したくなるのと同じで、軒並み低評価を押していきたい衝動にいつもいつも駆られます。
あとさあ、アイドルを見るときいつも気になるんだけど、彼らってやたらとスキンシップしますよね?
ジャニーズとかBTSのジミンとか、プロアイドルならわかるんだよ。
「こういうのをお求めですよね? さあさあどうぞ! お楽しみください!」ってエンタメでやってるのがわかるから。
でもBE:FIRSTみたいな、決してプロアイドルではない男性たちが大げさにスキンシップしてると、「え、これって20代男性のデフォなの? 女子校&女子大出身でこの世代の男性群に触れてこなかったわたしが知らないだけで、みんなこうなの?」って錯覚する。
コメント欄にも、
「普段の姿が、ほんと近所の戯れてふざけ合っている男の子達となんら変わらない事がすごーーく良い」
てあるし、わたしは近所の戯れてふざけあってる男の子たちなんて見たことないけど、実際にはあるのか?
けど夫にその疑問をぶつけると、「普通にそんなことしない。パーソナルスペースが近いヤツは、『こいつ近っ』って思って離れる」と言う。
罪だと思う。
限りなく”素”ですよ〜って匂わせるこういうコンテンツ。
生身の人間を堂々とBL視してそれをキメェと自覚できないお花畑が増えてしまう一因が、ここにあると思うんです。
だからわたしは、ファンが求めるBLを体現できないコミュ障のリュウヘイが好きだし、このまま馴染まずにいてほしいし、とはいえ果ては「ももクロの緑」みたいになってもいやだなあ……。
彼らの言う儒教なんてそんなもんだろ、って言えるし良くね?(^ν^)