元増田さんの投稿に対して、いくつか感じるところがありましたので、少しお話します。
一つ目は外集団同質性バイアスです。外集団同質性バイアスとは読んで字の通り、自分の属していない集団について一枚岩であると考えやすいバイアスのことです(一方、自分の属する集団の多様性は高いと考えやすい)。
男が巨乳女性に「おっぱい!」っていうのは許せないのであれば、自分らも男の筋肉を見て「雄っぱい!」って盛り上がるべきではない。
外集団同質性バイアスが働く場合、オタフェミAが『ルッキズムエイジズムに反対だと』言い、オタフェミBが『「推しの顔がいい」と言』ったのを聞いて、オタクフェミは『ルッキズムエイジズムに反対だといいながら、「推しの顔がいい」とか言う』と認識してしまうことがあります。
また、仮に同一人物が言っていたとして、"オタクフェミ"にカテゴライズされる個人の発言を、"オタクフェミ"共通の意見であると認識することもまた外集団同質性バイアスと言えます。
真に"オタクフェミ"集団の共通見解および言動をジャッジしたいならば、そのような発言がこの集団でどれだけ一般的なのかということを示さなければなりません。
重要なのは、ルッキズム等に関する認識が、元増田さんとオタクフェミ側で異なっている可能性があることです。そうなると、元増田さんがダブスタと判断したことが、オタクフェミ側には何ら問題に見えない(またはその逆)という事態になります。
例えば、『ルッキズムエイジズムに反対』することと『「推しの顔がいい」とか言う』ことが矛盾するのは自明ではありません。
フィクションの登場人物を容姿で批評することと、現実の人間にそうすることの間には隔たりがあります。フィクションはフィクション、現実は現実、と分けるのはオタク的に珍しくない行動であろうと思われます。
もちろん、アンチポルノフェミニストのように『フィクションのキャラクターに対する態度であっても、それはいずれ現実の人間に牙をむくのだ』とする考えもありますので、私の見解が絶対というわけではありません。
他の例も同様です。
「国連平和維持軍が現地民に対して(強制)売春に従事させる」ことや「性産業従事者が低賃金かつ劣悪な環境で働かされている」ことを性的搾取として認識している人が、『2.5次元舞台のお風呂シーンで札束乱舞させて盛り上が』っても特におかしいことはありません。
まあ性的搾取という言葉は近年(と言ってもここ30年ほど)カジュアルに使われ続けた結果、意味が拡散してしまい、正確な用法はもはやわからないので、どうにか頑張ってください。
あと、能力というか知識の問題もあります。女性(男性)が女性(男性)の描かれ方に文句をつける方が、楽です。洋画での日本人の描写が変だと指摘できる日本人は多いでしょうが、ネイティブアメリカンの描かれ方も同程度の精度で指摘できるかといえば、難しいと言わざるを得ません。
三つ目、"オタクフェミ"というのが何を指すのかが曖昧に過ぎます。
最初はオタクかつフェミニストな人を指すのかと思いましたが、特に注釈もなく女性に限定しているようですし、どうやら違うみたいです。男のフェミニストもいます。私は男でオタクでフェミニストです。
※ ただし男はフェミニストになれないという信念を持つフェミニストも存在します。そういう人に配慮してプロ(親)フェミニストと名乗る男性もいます。
後半では女オタク≒オタクフェミともとれるような記述もあり混乱します。もちろん女がみんなフェミニストということはありません。アンチフェミニストの女性も多くいます。
"オタクフェミ"は元増田さんの投稿の主題なのですから、その定義なり、少なくともどのような集団であるのか最初に述べておいた方がよろしいのではないでしょうか。
なお、"オタクフェミ"の定義を『ルッキズムエイジズムに反対だといいながら「推しの~(略)~ばかりに断罪する』人達であり、『男が巨乳女性に「おっぱい!」っていうのは許せ』ず、かつ『男の筋肉を見て「雄っぱい!」って盛り上がる』人達のこととするならば、何も問題はありません。ただしその場合、元増田さんの言説がほぼトートロジーに終わってしまうのですが。
最後に、"ある有名なオタクフェミ"とはアルテイシア氏のことであろうと思われますが、元増田さんの解釈が全く理解できませんでした。
「スウェーデンは容姿差別がない、すばらしい」みたいなことを述べた後に、美童とフェルゼンがうんたらかんたら書いてて強烈に違和感あった。男オタクが生身の女性とフィクションの登場人物を混同して述べることには厳しいのに、女オタクは平気でそういうことをする。リアルなスウェーデン人はそういう社会でどう生きてるのかというとこに目をそらして、日本人女性の空想の産物としてのスウェーデン男性キャラを押し付けてるって自覚ないんだろうか。
『母親を殺した犯人はお前だ!』に書いたが、スウェーデンでは保育園から子ども達に「性別、民族、宗教、セクシャリティ、障害に関わらず、人間には全員同じ価値がある」と教えるそうだ。
ルッキズム(容姿差別)についても教えるため「人を見た目でジャッジしない」が子どもでも知ってるモラルの基本で「人の容姿について何か思ったとしても、口に出すのはマナー違反」が常識だという。
そうやって保育園から徹底的に人権教育するのは、真っ白な状態の時に教えておかないと、世間やメディアに間違った価値観を刷り込まれてしまうから。
という話を聞いて「スウェーデンに生まれてフェルゼンと美童が出てくる夢小説を書きたい人生だった」と俺は思った。
(ナイナイ岡村やおじさん芸人にJJが伝えたいこと https://www.gentosha.jp/article/15589/ より抜粋)
前半部を『「スウェーデンは容姿差別がない、すばらしい」』と読み取るのは少し難しいと思いますが、まあ置いておきましょう。
素直に解釈すると、"フェルゼンと美童(フィクションの登場人物)を生身の男性と混同している"、"フェルゼンと美童のキャラ性をリアルなスウェーデン人に押し付けている"、と読み取れます。
どっちやねんでございます。