「スタローン」を含む日記 RSS

はてなキーワード: スタローンとは

2019-07-15

anond:20190715175451

ランボー(シルベスタスタローン)が木に化けてるかも知れないじゃん!!

2019-07-08

ロッキー3ゲイっぽい

噂には聞いていたがロッキー3が思っていた以上にゲイっぽい。アポロトレーニングウェアはゲイのものだし、ビーチでロッキーと抱き合ったり、試合をするとき自分パンツを履かせたりしている。これが狙いだとすればスタローンは賢い。

2018-10-09

anond:20181009120357

世界で300万本売り上げた日本オタクゲームには、

セーラー服を着ているリョナ絵』が出てくる

少女監禁拘束して恐怖する姿を撮影して喜んでるサイコパスが愛好している

そういうことだ

世界で300万本売り上げた」=「300万人に受け入れられてる」以上の何かではないが。

フィクションで好むことがサイコパスかどうかを判断する基準になると思ってるの?

もしなるのならミステリーを年50冊読んでる奴ってシリアルキラー気質か?

毎週火サス見てた俺のばあさんは?スタローンファンは?

コマンドーセリフ暗記してる奴はどうなるんだ?


からフィクション現実区別はつけろって。

2018-08-20

anond:20180820102201

一種類のキャラしかできないのもそれはそれで辛いしリスクあるんだろうね

ヴァンダムとかハッセルホフとか

スタローンは単キャラ成功してるけど

2018-08-09

夏の映画増田オススメない?否め素素お出す魔のが家のツナ回文

ハリウッド映画俳優シルベスター・スタスタローンさんが

シルベスター茶を飲んだらなんと言うでしょう?

不味い!もう一杯以外のお答えでどうぞ!

正解は「先に仕掛けてきたのはやつらだ俺じゃない!」でした!

おはようございます

夏休み東映アニメ祭りばりに

夏休み間中ちょっと映画でも観に行きたいわよね。

映画涼しいしさ。

なんかこうなったらベタなのがいいわ。

でもさこう考えてみると、

世界の片隅でCIAFBIが殴り合ってるんでしょ?

あとそれとか、

出先の海外で助けてくれーって自国大使館に車で突っ込んだりとか、

そんなことしてたらニュース絶対なるじゃない。

から

世界は思ったほどCIAFBIが殴り合ってたり

大使館にも車は突っ込んでないのかも知れないわ。

しかコンビニに車突っ込んだってニュースはたまに耳にする、

あれをちゃん自動ブレーキ効くかどうか

自分で試してみたくはないわよね。

私が映画評論家のピーコさんばりにオススメした夏の映画は、

ジェットリーさんやジェイソンステイサムさん、

そして出川哲朗さんがイケメンになったら絶対こんな顔よねでお馴染みの

ジャンクロードヴァンダムさんとかをとにかく無駄遣いする

エクスペンダブルズシリーズオススメ

ちなみに三作観る順番は

1から順番にがいいと思うわ。

さらに言うなら

1は通常版を観てからディレクターズカット版を観ると

シルベスター・スタスタローンさんが

おまえ中学生かよ!ってぐらい

ぜんぜん違うキャラに見えちゃってて面白いのが最高よ!

ぜひオススメ

Bonne Projection!

うふふ。


今日朝ご飯

私のこの夏の身体を癒やしてくれるタマサンド身体に染みて美味いわ!

やめられないわね。

久しぶりだと美味しいわ。

あとワサビおにぎり

ワサビの辛みも私好きよ。

デトックスウォーター

キンキンに冷えた麦茶ウォーラーを一気に飲むの

まるでかき氷一気食いしたかのような、

頭の痛さを誘う感じが

きまった!って感じがするわ。

最近涼しくなってきたから夜のクーラー

タイマー仕掛けちゃうぐらい涼しいわよね。

水分補給と体調管理には気を付けてね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-01-12

ギャップに勝るものはないという話

くるりcoccoコラボバンド、SHINGER SONGERの初花凛々という曲がある。

私は、coccoという女性を「怖い人」だと思っていた。拒食症自傷癖を告白した雑誌の表紙でしか彼女を知らなかったから。偶然「カウントダウン」という曲を聴いたとき、「やっぱり怖い人じゃないか!」と思った。charaの「やさしい気持ち」を暴力的にした感じの曲だからだ。

しかし、「初花凛々」という曲はあまりにも透き通っていた。癖のないメロディに伸びやかな歌声。ドス黒い愛憎歌を歌っていた人と同じ人とは思えなかった。思ったのは、同じ人がこんなに違う歌詞を書けるんだ、ミュージシャンはすごいな、という率直な感想だった。

同じことをシルベスター・スタローンでも思った。

80年代的な筋肉バカ映画英雄、というイメージは、『ランボー』に粉砕された。ロボットのような殺人マシーンのベトナム帰還兵が、小さな町を破壊し尽くしたあとでメソメソと泣く。彼をマシーンに仕立てた上司に付き添われてパトカーに乗り込む姿は、ちっともシュワちゃん的ではなかったのだ。

そして、『コブラ』でスタローン萌えに目覚めだ。ボブルヘッドの動きにあわせて頭を振るスタローン可愛いこと。クソ映画だけどスタローンかわいいというパターンが多いことにもまた気付いた。シュワちゃんも、ヴァンダムもよく見ると可愛いマッチョマン可愛いのだ。『ランボー』を観る前に、マッチョマン可愛いと思ったことはなかった。私の未熟な価値観を、泣き虫ジョン・ランボーが変えてくれた。

coccoに対して抱いていた恐怖心のすべてが消えたわけではない。coccoの怖い一面は魅力の一つだということに気付いただけでも成長なのだろう。「初花凛々」を聞いていると心が安らぐ。エンヤに癒やされたことはないけど、coccoには癒やされた。ギャップは素晴らしい。この驚きが味付けの一つになっていることは否めない。

 

初花凛々のリンク貼っとくわ。Mステ動画らしい。coccoめちゃくちゃ緊張してんの。でも歌声は伸びやかで透き通ってるのよ…このギャップもいいのよ

http://www.nicovideo.jp/watch/sm27590409

2016-02-27

ガルパン劇場版見たんだけど

 正直あんまり……。

 いやいいところは大いにあったよ、みんなが仲間になるアベンジャーズ展開とか好きだし贅沢だし、絵はもちろん整ってるし構図も面白くて、音なんかは爆音上映をやるところもあるだけあってほんと良かったんだけどさ。

 でも明確な不満点が結構大きかった。

 不満点の一番は、チハタン継続っていう味方側の新キャラ2勢力が魅力なかったこと。魅力なかったっていうかハッキリ言って不快だった。

 チハタンはもう、バカすぎてイラつく。

 洋画のギャーギャー騒いで事態悪化させる子供キャラって嫌われやすいけど、私の中でチハタンはそれと同ポジションだった。

 オタク馬鹿キャラを嫌いすぎる傾向にあるし、私もその性質があるから、できるだけ広い心でキャラに接しようとは思ってるものの、それでもチハタンには苛立ってしかたなかった。

 大洗のみんなも、テレビ版の序盤ではポンコツで、「真面目にやってくれよー!」と全く思わなかったと言えば嘘になるんだけど、でもがんばれベアーズ系としてはお約束だし、こういう作品群の中ではもどかしさがかなり少ない方で見心地がよかったんだ。

 その見心地のよさは、バカさのレベルがほどほどだみたいな話ではなく、私にはよくわからないけど何か演出でうまくやってたり、キャラの魅力でカバーリングしてたり、そういうことで絶妙に飲み込みやすくしてるんだと思う。

 でもチハタンはそういう心地よさがなかった。

 テレビ版を終えての試合、ってていで始まったから、大洗の子らは凄く成長したし、他校はもとよりレベル高くて、一段上のステージでのハイレベルな争いを見れると思ったのよ。

 野球で言えば日本シリーズ、とびっきりの最強vs最強、全ジャンル最強決定戦、スタローンとジャン・クロード・バンダムどっちが強い、そういうワクワクをかき立てられた。

 なのにチハタンだけ馬鹿なのが、ハイレベルなカッコヨサや美しさを見せてくれそうなところをグッと押し下げて、大洗の足も引っ張ってるし、それどころか戦闘全体の足も引っ張ってるように感じられてなんだか悲しくなってしまった。

 好試合がしょっぱく台無しにされちゃったような感覚

 もちろん、お話の流れとしてある程度ルーキーキャラがいた方が作りやすいのはわかる。

 ゲームでも続編ではレベルからだし、ロックマンロックバスターのみ、スネークだってほぼ無装備からランスも毎回怠けて弱くなってる。(この辺にも賛否はあったりするけど)

 そういう事情はわかるけど、わかっててもチハタンダメ

 キャラの魅力でカバーしてくれたらよかったのかもしれないが、とにかくまあ尺がなくて、既存キャラたちの描写も食い足りないくらいなわけで、チハタン事情立ち位置キャラもよくわからないポッと出の迷惑な子らって見えてしまった。

 おまけに旧日本軍パロってのが、輪をかけて校風萌えキャラ萌えしづらくさせてる。

 ガルパンってただでさえミリタリー軍事武力戦争萌えのキワキワを歩いてて、色んな議論があるわけですよ。

 平和教育受けた私としても多少抵抗があって、でも周囲の盛り上がりで試しにテレビ版を見はじめてみたら、上手にオブラートに包んでくれてたし、ほかの魅力が大きくって結局大好きになった。

 でも日本軍パロは、かなりド真ん中じゃん。触れづらいとこに切り込んでるじゃん。

 それが軍事賛美やオタク右傾化に繋がるとは思わないけど、咀嚼するのに多少顎の力と喉の力が必要だ。スクリーンを見てて、外国パロに比べてどうしても色々考えてしまう。私の日本の軍備への屈託も煽られるし、「ああー、これっていろんな議論ネタになるだろうな」というファンダムについての余計な懸念も想起されてしまう。

 とはいえ、だから創作において日本軍パロは控えるべきだ、とは思わない、そうするとますますタブーアンタッチャブルなっちゃうし、それがよいことだとは感じないから。でも現状では私が身構える属性なので、この属性を組み合わせるキャラは受け入れやすものにしてくれてる方が嬉しい。

 しかし実際に旧日本軍パロをしたのはチハタンですよ。めっちゃ足を引っ張るってだけでイラつのに、おまけに日本軍パロで、食べづらい+食べづらいで、まったくもうやりづらいんすよ。イラ立つから好きになりづらくて、でも旧日本軍パロなせいで「あいつらホント駄目だな!」と本気で嫌悪するのもキツめの左翼の人っぽくて嫌だし、けれど一方で「も~、バカな子カワイイ♥」と頑張って萌えるには旧日本軍への悪印象が強くてやりづらいし、ホント扱いに困る。

 なのでチハタンが、複雑に嫌い。

 後半ある程度活躍してたけど、それも前半の悪印象を覆すことはありませんでした。ダメな子たちが成長する魅力はテレビ本編の大洗の子らに遥かに及ばず。

 成長を描くんだったらチハタンよりもオタクチームや風紀チームを、「優勝に貢献はしたけど他に比べるとまだ今一歩 → 完全に頼れる仲間に」とか、ウサギさんチームが次期エース格にとか、その辺の大洗の子らをもっと描いてくれた方がずっとありがたかった。

 あと継続高校ね、継続高校も好きじゃない。

 具体的には隊長スナフキンが盛り下げまくりでお前なんなんだよ!

 ネットでもたくさん言われてるだろうけど、否定から入りすぎ!

 そういうキャラ付けもありだとは思うけど、やりすぎで盛り下げすぎ! チハタンとは違う意味でしょっぱくしてる!

 ガルパンTVOVAは、否定に傾いてめんどくさく陰気に考えちゃいそうなところを、適度なしんみりさでうまく抑えてくれたのが私は好きだったんですね。片眼鏡なんかに対して、ほかのメンバーが不満をため込んでやる気をなくしたりしそうなのに、そこで否定的なことを言うキャラがいない。好みはあるだろうけど、ガルパンにおいてはそういう優しい世界だったのが私は見ていて楽しかった。

 けど能登スナフキンヤバイ。そんなの気にしない。否定しまくり。ひねくれてるとかムーミンパロとかそれだけじゃ片づけられない否定。ヤバすぎ。

 継続高校校風説明ポジション説明、各キャラクター説明がなかったのも痛いです。それらがうまくやられてれば、あの厭世的なキャラ付けもきっと愛せたと思うんだけど、なかった。どこの国をモチーフにしたのかもよくわかってない。

 北欧? なの? みたいな。

 CV石田みたいに出てきて思わせぶりに盛り下げること言ってなぜか参戦してきて戦闘シーンだけやたらカッコイイ動きして静かに退場したかと思ったら最後セリフも持ってった。ホントなんなんだあいつら。

 この2陣営への鬱陶しさが魚の小骨みたいにずっと邪魔で、気持ちよく味わえなかったのが非常に残念。

 同じ新キャラでも、大学選抜の子らは、やっぱりキャラ描写薄いのでめっちゃ好きとはならなかったけど、決して不快ではなく嫌いでもないです。

 ローズヒップはクソカワイイ

2015-12-29

映画評:クリード チャンプを継ぐ男

クリスマスが週末という曜日の並びから、「ひょっとしたら9連休になるんじゃないか」という期待をよそに、月曜もしっかり働いってやっと今日から冬休みになったのだが、別段帰省の予定もなかったので、ひとつ映画でも観ようと、「クリード チャンプを継ぐ男」を見てきたら、わりと良かったので見所を紹介しようと思う。



ネタバレ上等で書いてるわけではないが、それでもほんのりネタバレはしちゃうかもしれないので、観る気満々のひとは読まないほうが良いかもしれない。



巷の映画紹介で紹介されてる程度に物語のあらすじを紹介すると、かつてロッキー死闘を繰り広げた伝説王者アポロクリード隠し子、アドニスが、自らの情熱を注ぐ夢として、ボクシングの道を選び、トレーナーを頼むため、すでにボクシング世界から遠ざかっていたロッキーの店の門をたたく。初めは拒むロッキーだが、やがてアドニスとともに頂点を目指すというおはなし。



見所1:あらゆる前提が普通白人ヒーロー映画と逆。


さて、このアドニスだが、とにかく周囲からの愛されっぷりがハンパない

隠し子ということもあり、出自こそ施設だが、その後引き取られた家庭で良い教育を受け、投資銀行社員になり、会社からは高級車で「家族2人で住むには広すぎじゃないの?」というような家に帰ってくる。

良い家で育ち、良い教育を受けた2世のお坊ちゃんなのだが、じゃあいけ好かない奴なのかというと、これが思わず可愛がりたくなる様な素直な良い奴で、まず自分施設から引き取ったアポロ夫人メリーアンに愛され、すったもんだボクシングの道を志してからも、ロッキーは実の息子の様に愛情を注ぐ。物語中盤では恋人も現れ、終いには色眼鏡で見ていた様なストリートキッズたちまで彼を応援する始末。

彼は彼で、学のないロッキーを案じて、息子のごとく的確で愛に溢れたアドバイスまでする。

彼を包む環境のものが豊かな愛で包まれており、妙にほっこりした気持ちにさせられる。



一方、彼が挑むチャンピオンリッキー・コンランは、リバプール港湾労働者の息子で、あまり良い教育を受けた風でないので、対戦前に相手を口汚く罵ったりするし、トレーナーとの関係も「こいつあんまり愛されてねーなー・・・」という気の毒な感じで、見ていて切なくなってくる。



黒人の方のアドニスの方が、良い教育を受け豊かな愛もあふれる世界で育った良い奴で、白人チャンプが、下流から腕一本でのし上がったのに粗野でトレーナーにもいまいち愛されてない、という感じで、白人主人公になりがちなアメリカ映画にあって、バックグラウンド逆転現象がおきている。



物語視点も偉大な父の名前を巡る2代目の苦悩だったりして、「下層からのし上がり」ではなく「恵まれた奴にもそれなりに大変な事はある」という方向からストーリーになっている。



見所2:スタローン映画バカぶり


ロッキーのヨボヨボ具合がハンパない

この映画は、無名ライアン・クーグラー情熱に、シルベスター・スタローンが応えて、ロッキーシリーズを託したという。

その若造脚本にのって出てくるロッキージジイっぷりといったら。

スタローンも真面目にやっていて、そのヨボヨボぶりは物語が進むにつれどんどん加速していき、絵面がNHKドキュメンタリーかよという感じになってくる。



中盤では、人種を巡るちょっとしたやりとりがあるんだが、そのピリッとした空気でまた、スタローンボケることボケること。

スタローンを見て感じる「凄い人だけど、この人ひょっとしたらバカなんじゃないかなぁ」というイメージを飄々とやってしまう。



よくぞまあスタローンもこれを「よしやろうぜ」って言ったなと思う。

スタローンの器の大きさと映画人としての凄みを感じる。



見所3:ボクシングシーンの迫力


ロッキーシリーズでは、どうしてもボクシングのシーンがスローモーになり勝ちなきがするのだが、今回はピチピチの若手が主人公ということもあって、なかなかのスピード感



敵役のチャンプを演じるアンソニー・べリューは実際に英国チャンピオンでもあるボクサーという事で、迫力あるボクシングシーンとなっている。

画的にも、派手に血が舞う感じで、痛さが伝わってくる。



気になる点を挙げるとすれば、主人公アドニスは魅力的だが、どうしても「ロッキーの愛弟子」感が強い事か。

スタローンとしては2もやるぜといったとか言わないとかで、そうなってくると、「ロッキーのとこの子アドニス」が、ロッキージジイ圧を乗り越えて、本当に物語全体を支配する魅力ある主人公として独り立ちできるかがポイントのように思う。



そんな感じで、ちょいちょい「おっ」と思う見所もあり、全体としても派手な盛り上がりにこそ欠けるもが、親子愛、師弟愛を感じつつ、しっかりスポ根ものの感動が伝わってくる良い映画だとおもう。



年末にやる事が決まっていない諸兄、スターウォーズの盛り上がりについていけない方などは、こちらもどうだろうかと思う次第であります

2012-08-07

イケメン()が全然イケメンじゃない件。

びっくりするほど知り合いに賛同を得られなかったので、記録しておきます

世間イケメンと呼ばれている芸能人やら一般人やらにまったく食指が動かない系女子

筋肉が足りねぇんだよ筋肉が!!

こちとら男兄弟に囲まれて、ジャンプ黄金期後期を読み、ハリウッドアクションを見て育ったんだよ!

さすがにあそこまでは求めないけど、筋肉大好きなんだよ!!

ごつごつ太い二の腕とか、それだけでもーたまらんのですよ!!

何だ、その細っこい腕!肘逆折りにすっぞ!

何だ、そのうっすい、つるっつるの胸板!マネキンかなんかか!!?店頭オサレ()ファッションでも着せ付けられて棒立ちしてろ!!

何だ、その腹筋の筋より肋骨のほうが目立つ腹は!!たかゴボウで突いても、ウッとか呻いて蹲るんじゃないか!?

何だ、そのほっそい脚と貧弱な膝関節!鯖折りにすっぞ!

別に全盛期のシュワルツネッガーとかスタローンとかは求めてないんだよ!!

海外ドラマで「ガリオタ」呼ばわりされてる男性にすら、日本男性筋肉が追いついてないという事実が残念なんだよ!!!

…わかってます人種的に欧米人のような筋肉は平均的日本人には望むべくもないことなど。

しかし、日本人イケメンの皆様の筋肉のなさは本当に目にあまるものがあると思うんですよね。

まったく、セックスアピールの欠片もない。

すらっとしてつるっとして、女かと…そういうベクトルルックスを求めるなら、素直にモデル可愛い女の子を愛でます

男くさすぎるのがモテないご時勢なのもわかりますが、男らしさを脱臭しすぎです。

男が女に女らしい外見の美しさを求めるなら、女は女で男に男らしい外見を求めてます

……いや昨今の世間イケメン認定のついた人見ると、もうそういう時代じゃないのかもだけど。

どうしてこうなった

ムキムキになってくれとは言わないから、女の私をして、うわっこの人の腕細すぎ…!?脳内で逆関節決めるのを連想させない程度に、

ちょっとでいいか筋肉質な男性が増えてくれないかなぁ…。

ちょっと鍛えただけで、スーツ着たときのシルエットとか劇的に変わるのに、しょぼくれた背中ばかりでもったいないです。

2011-01-19

livedoorは建前でも遵法なブログを推進しないと…(タイトル変更。はてブ整合性なくてゴメン)

http://blog.livedoor.com/award/result

ブログメディア新人賞が発表されたが

http://blog.livedoor.com/award/about

この規定を見ると第三者の権利侵害NGなのに

スタローンのをlivedoor blog賞に選出するのはライブドアコンテンツ関連事業に関してのコンプライアンスが相変わらずなってないなあと思った。

ファンサイト自体はぜんぜん悪くないんだけど、複数者で選考しているのに社を上げておもてに出してしまうというのはライブドア側の態度がなってない。

遵法性は、基本的には論評が主で写真が付随していれば引用だとは言い張れるんだろうし、パッケージ等なら先方が言い出さない限り

販売的メリットもあるのだろうからそんなに問題はないんだろうけど、スチルについては疑問。

もともとユーザーサイドは、ネットの現状の状況もあるから権利に関してそれほど遵法性は意識しなくてもやむないが、

サービス者側がそれを押し出すのは違うだろと言わざるをえない。

2009-10-12

日本の進むべきは、緩慢な荒廃への道「友愛社会」ではなく、「ルサンチマンからの脱却 」をした、自立した個人が生き生きと活躍する活発な社会

<
    ルサンチマン【ressentiment】(フランス)
    〔専門〕 哲 ニーチェの用語。

    被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいること。
    この心理のうえに成り立つのが愛とか同情といった奴隷道徳であるという。怨恨。

    *     *     *     *

結局私が何を語りたかったのか‥‥という答えが見つかった。結局わが友ニーチェが同じことを語っていたので、ああ、やっぱり実存主義者はそれを教えてもらわなくても同じところに到達するんだなあって思った。

私が云いたいのは、ルサンチマンから脱却なのだ。
私がどうしても好きになれないタイプ人間というのは、このルサンチマンに支配されている人たちなのだ。

そもそもどこからこの言葉にたどり着いたのか、それは『ロッキー・ザ・ファイナル』を見てからなのだ。
考えた、“なんで『ロッキー』は好きなのに、その後のロッキーシリーズはそれほど好きになれないんだろう‥‥?”
考えたあげく見つけた答えが「<悔しさ>がないから」だ‥‥。主人公の悔しさもそうなのかもしれないが、それ以上時作り手に悔しさ、シルベスタ・スタローンが全然売れなくって世間に認めてもらえなかった下積み時代の悔しさ。それが多分『ロッキー』からはにじみ出てたのだと思う。 その後は『ロッキー』のパターンだけが一人歩きしてしまったのだと‥‥と自分は結論づけた。
で、じゃあこの「悔しさ」っていうのは英語のどの単語にあたるんだろう‥‥と調べてみた。

ある出来事が悔しい場合は That's mortifying, That's vexing,That's regrettable...
自分が悔しいと思う場合は I'm frustrated, I'm shagrined, I regret...
でも、どれもいまいち違うような気がする。で、あっちこっち類語を探していたら ressentiment に出くわした。“これだ!!”と思った。

人の心の中にはルサンチマンが必ずある。そのルサンチマンを描いたくれる作品には親近感/臨場感を覚える。誰の心のなかにもある醜い部分だからだろう。
そして『ロッキー』はルサンチマンからの脱却を見せてくれた映画だということなのだ。
ロッキー・ザ・ファイナル』においても燃える台詞がある。

「 誰かを指差して、あいつのせいで俺たちが不幸なんだって言い訳はするな!」

ルサンチマンとは一言でいうなら<強者に対するひがみ>なのだ。強者が没落することを祈っているのである。
弱者にとって強者はそれだけで脅威なのだ。それだけで十分恨む理由になる。60年代には学生運動が吹き荒れた。権威あるもの、地からあるものをとにかく否定したい、アメリカン・ニューシネマと呼ばれるものもこの軸線上にある。だから私は大嫌いだったのだ。
その昔(いまもあるかもしれないが)アンチ巨人という言葉があった。これもルサンチマンから発生する言葉なのだ。私がアンチ巨人人間は嫌いだったのだ。

では何故、人はルサンチマンに犯されてしまうのか?
これはひとえに自分の弱さを認めたくない虚栄心から発生する。どんなに自分弱者だと認識しても出来れば真剣にそれを認識したくないのである。そのために別の理由を言い訳にして、それに一生懸命になることで、自分の弱さの認識から逃避するのである。たとえば靖国参拝問題

ルサンチマンに心を犯される人はこう考える。
もし自分戦争にいったら、怖くて何も出来ないだろう。みっともない自分をさらけ出してしまう。自分の弱さをさらけ出してしまう。それだけは絶対さけなければいけない。
そうだ、戦争に行くということ自体をなくせばいいんだ。その可能性をなくするのがが一番だ。
自衛隊海外派遣はけしから! ゆくゆく自分徴兵されるようになったらどうなるんだ! 惨めな自分をさらけだしてしまう。
靖国問題、そんなには自衛隊海外派遣につながる可能性がある。自分徴兵されたらどうするだ! 惨めな自分をさらけだしてしまう。
さあ、反対する理由をさがそう、宗教から引用しようか、それもと国連憲章か、いやいや小学校の時の◯◯先生言葉あった、
いや、それよりもさらに弱者をさがそう。戦争になって被害をつけるのはつねに弱者である。かれらを守るために戦争はすべきではない。
おお、なんだか調子がでてきたぞ。そうか、たしかにこれは良い考えだ、自分より弱いものを見つけてそれを守る言い訳にすれば、
自分の弱ささえも認識しないですむ。自分のほうが役立つ強者でいられる。自分の臆病さを忘れられる。
おお、なんとすばらしい、一石二鳥とはこのことだ。
でも、反対理由だけ言ってたら、臆病者の自分がばれてしまう、ここはひとつ賛成する理由も出しておいて公平性をアピールしておこう。
そうだ、pro & con 議論だ。それで自分プライドをなんとか整えて、それから反対すればいい!!
ディベートではこの pro & con システムがよく使われる。
<有利な点>&<不利な点>を出して、どっちが妥当か考えようという論法なのだ(私はこれが大嫌い)。

  こうしてルサンチマンに犯される人は、その思考の過程で、反対者となる決定権をもつ者=強者を憎むようになり、ルサンチマンに犯されてゆくのである。

すべての根源は自分の弱部認識なのだろう。
それを認識した瞬間同時に「自分の弱さを認めたくない!」って衝動にかられる。
そうなると認めないための理屈付けを脳みそが要求する。 言い訳として発生するのが、弱いもの探し→博愛思想。 しかし、権力のあるものによって構築された社会システムはこれを許さないんだ。 これを許されなければ、自分の弱さを認めるしかなくなる。

徴兵されて、「ぼく行きたくないよ~~~」ってその場にすわりこんで泣き喚が、憲兵たちによって自分大衆に面前を引きずられていくはめになる、そんな惨めな自分をさらけだしてしまう。ガラスプライドが卵のようにクシャってつぶされる。どうしても人を入れたくない自分の心の便所なのに、それを人目にさらされられてしまう。

それをどうしても阻みたい、そして、それを強制してくる権力=力のあるものが憎い。 その強者に対する憎しみを「ルサンチマン」と云う。
そしてルサンチマンに犯された人は、自分にのしかかる不安を、自分世界を支配する強者のせいだとし、強者であるものをねたみ、それを憎み、ついには<強さ>自体を否定するにいたる。
遠い昔、確かに持っていた一番純粋自分<弱いままの自分じゃ嫌だ!強くなりたい!と欲する自分>を徐々に撲殺していくのである。

●脱ルサンチマンを果たしす人はどう考えるのか。
もし自分戦争にいったら、怖くて何も出来ないだろう。みっともない自分をさらけ出してしまう。自分の弱さをさらけ出してしまう。それだけは絶対さけなければいけない。
そうか、簡単だ。自分が弱いのだから、強くなればいいんだ。
強くなるにはどうすればいいのだろう? 簡単だ! トレーニングだ。
取り返しの出来る範囲で何度も何度も失敗を繰り返しながら、失敗しない自分をすこ少しずつ築き上げていけばいい。
そのためのトレーニング舞台はどこにしよう‥‥。
<注意>私はなんでもかんでも派兵賛成といっているのではない。取り返しの出来る範囲で何度も何度も失敗を繰り返しながら、失敗しない自分をすこ少しずつ築き上げていくため、にどれくらいがライン適切なのかを判断することが大切‥‥と思っている 。

そうやって少しずつ、日本という国が世界で働ける力を獲得していければよいな‥‥と。
ルサンチマンを果たした人には、pro & con 議論は無縁なのだ。やるべきことが決まっているのなら、有利な点は良い点であり、不利な点は克服すべき点であるので、これもまた問題とはならない
どんなに強くなろうともルサンチマンは誰の心にも在るののである。決してなくならないのだ。だからきちんと自分の弱さとルサンチマンの存在を認めよう。そしてその自分の弱さと戦おう

釈迦様は生まれたときに云ったらしい。
天上天下唯我独尊』=天と地の間において、何より尊いものはただ一つ、我である!と。

自分が救うべきは、どっかのクジラでも、トキでも、戦場で死んでいってる誰かでもなくて、
いつも今の自分に満足できてない、劣等感を感じてやまない自分自身だ
と。ここに答えを見いだそうしなければ、いつまでたっても弱いもの探しを続け、いつも真実に目をそらして生きていくようになる。そしてそのことに自分自身がそれに気づかないように、自分に必死に嘘をつきつづなければならない。それは自分自身にとって無礼だ。

この日本がなぜ、明治維新以降急成長を遂げたのか‥‥、それは多分日本という国民性においてルサンチマン率が低かったのだろうと思う。強きものを素直に尊べる純粋な心が日本の文化武士道のなかにあったのだと思う。
我々の社会は、やはり強者のためのルールで基本的に出来ている。どんなに弱者のためのルールに憧れても、心のどこかでそれを否定している自分たちがいる。たぶんルサンチマンがもつ毒性を我々の魂が知っているのだ。

確かに弱者のためのルール採用すれば一時的には心地の良い社会が国内に得られるかもしれないが、それでは競争力が奪われ、気がついたときには周辺祖国においていかれてしまい、相対的に国全体が衰弱してしまう
だから我々は強者のためのルール採用し、弱者を強化する方向性で社会を構築されているのだろう。

ルサンチマン - Wikipedia
敵との対比(実際の敵であることもあれば空想上の敵であることもある)において自己定義しようとする様々なイデオロギーである。
このようなイデオロギーでは敵(すなわち自分が無力である原因)が悪の元凶扱いされ、反対に、道徳的に優れているのは自分だとされる。
彼らは悪人だ、従ってわれわれは善人だ、というわけである。
あるいはまた、世界はどうしようもなく悪によって支配されている。したがってわれわれのほうが世界より優れている、ともなる。
&gt;
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん