はてなキーワード: エゴイズムとは
不潔なもの、くさいものを好きだという人はあまりいないはずで、自分もそこに異論はない
ホームレスを助ける施設を作るな、という市民運動やデモ活動、プロ市民がいてもおかしくない
問題があるのは、まず影響力がある人が子供みたいな二元論でそれを語ること
ネコを殺してホームレスを生かそう、も問題がある主張のように思う
大人になるにつれて分かってくるのは、この世界は単純な二元論では割り切れないということ
人と人が憎しみ争い合うとき、それは正義と正義がぶつかっているということである
そういえば、昔小林よしのりが、正義と正義がごっつんこなんておかしい、
と漫画の1コマで描いていた覚えがあるが、自分はおかしいとは思わない
人と人は永遠に分かり合えない
食い違う利益、不利益によって人と人は争い続ける、それはおかしな話ではない
なるほど、そういう考えからいけば、
DaiGoの利益はホームレスを殺しネコを生かすことなんだろう
ただ、ここで少なくとも自分はそうは思わない
自分はネコに対して思い入れはない、寧ろあまり好きでないと思ってもいる
外見の可愛らしさとは裏腹に、ネコに対する恨みつらみではないが不満がないわけではない
そもそも、野良猫は狂犬病やダニを介した感染症を保持している可能性が高い
野良猫に引っ掻かれる、噛まれると冗談抜きで人は死ぬことさえある
野良猫は全然気楽でも自由でもない、苦痛な毎日を強いられている
ホームレスは自由気ままでいいよな、みたいに言う傾向がある気がする
そんなはずはないだろう
もちろん、そういう人がまったくいないとは言わないが、
ほとんどの野良猫もホームレスも、毎日が過酷な生存と死の隣合わせの生活のはずである
ネコを優先しろ、いやホームレスを優先しろ、色々な考えの人がいるだろう
自分はネコとホームレス、というか、ネコと人間、どちらの生命を優先するかと問われたら、
これは単純にエゴイズムの話でもある
いつか自分がその天秤に乗っけられる可能性があり、それを恐れるからである
世の中には色々な人がいるが、自分は好き好んで敵を作ったり、他人に恨まれたいとは思わない
ネコと人間、どちらを敵にするか選べ、というなら自分はネコを選ぶ
そんな妄言を唱えていたが、彼こそ人間よりイルカを愛する人であった
しかし、現在のイルカやクジラに対する科学的判断は当然ながら違っていて、
人間のような文明を築けるわけもなく、道具を作れるわけでもない
もちろん、自然の恩恵を受けて人間は生きている、農業が最たるものであろう
しかし、ホームレスよりネコを優先するという考えは、どこか自然優先主義を行き過ぎた、
エコとかロハスとか言いながら、反ワクチンを唱えながら、なんだかんだ電気を使っているような、
そんな薄っぺらい環境保護団体の人達とも似ているようにさえ思う
ホームレスという括りでなく、ひとりの人間としての括りで考えた場合、
そうすることが自分の利益にもなり、社会を維持するためにも必要だからだ
ネコが滅びて人類が生き残るか、それともその逆か、と問われるなら、
補足として、ホームレスで臭すぎる人がいるのは確かであり、街中で見かけることもあると思うが、
原因は様々あるだろうが、精神的な疾患が関わるケースが多いように思っている
そもそも知的障害があるとか、根本的な理由は単に不潔な人という話ではない
もしくは、近所のゴミ出し警察によってゴミを出しにくい、なんてこともよくある話である
社会を統治する立場からしても、生類憐れみの礼を出したバカ殿様であるまいし、
人間より犬猫の生命を優先するなどという話はあってはならないと自分は考える
シンエヴァの第三村にもネコはいたが、人間より優先されているわけではない
かといって、殺人鬼が人の前にネコやイヌを虐殺するようなことを許していい訳もない
人と人は分かり合えないのだから、そういう人の気持ちが自分には完全には分からない
寧ろ、その安直なトロッコ問題の後側に鬱屈したコンプレックスや不安を感じ取れる気はするが、
それを他人への攻撃に変換している時点で、他人は遠ざかっていくのではないだろうか
自分の抱えている不安があり、それについて他人や社会システムに救いを求めるべきなのに、
それを他人への攻撃に変換してしまう人というのは確かに存在する
もしくは他人に助けを求めたって裏切られるだけだ、だって今の社会はそういうもんだろ、
という厭世感がそうさせているのかもしれない
そういう空気が醸成される社会不安があるのも理解できる、今問題のコロナもそうだと思う
そうやって行った果てにあるのはデビルマンの最終回のような世界である
しかし、それで本当にいいのだろうか
御堂筋くんがイキることで初動時ちょっと話題になったサッカー漫画、ブルーロック。
あんまり興味なかったしあのシーンが煽りにしても漫画的好印象を受けなかったのでスルーしてたが、
内容も面白いらしいと再度耳に入るようになってきて読んでみた。
当然好感度は最低ラインから読み始めたから批判的に読み進めちゃうことは前提として覆す面白さを期待した。
ストーリーは御堂筋くんこと勉強小僧こと絵心(えご)コーチが18歳以下のFW300人を集めてなんやかんやするってやつ。
んで、300人は可視化されたランキングをつけられて(主人公は299位)多分12人ごとに班分けされて密室に入れられる。
なるほど監獄。
絵心コーチは備え付けのディスプレイで映像付きで課題を出していき…
と、まあ、FW至上主義は鼻につくけどエゴイストテーマとしては読めなくもなさそうなスタート。
絵心は大量のディスプレイ(おそらく各班の室内カメラか)がある部屋でひとりごちたりするわけですよ。
最初の課題は入寮テストと称して136秒間の「ボール鬼」。終了時のオニが失格で残り11人が班のイレブンだーって展開なんですが…
テスト内容はまあまあまあ。協調か逃げ切りか挑戦か蹴落としかと、濃い内容の136秒でよかったです。
今後の脱落者は一生日本代表入りの権利を失うという超絶後出しじゃんけんにもまあ目を瞑ろう。
絵心ちゃんご本人が(ディスプレイから)直接労ってくれるのです。
ついでに失格者も名指しで出て行けと。…ん?
失格者はチームを捨ててやってきたのに136秒で一生代表の権利を奪われて帰れと言われて当然ご立腹。
ディスプレイに猛抗議。
それに対して絵心ちゃんが懇切丁寧に試験の意図を説明してくれるのです。
途中の反論にもテスト中の動きに言及しつつ応じ、およそ20ページほどのエゴトークが続くのです。
高圧的で煽り気味だけど懇切丁寧に説明してくれて絵心ちゃん…しゅき…
はー。密着指導かよはー。
え?リアルタイムで見て?シメのおしゃべりを毎回するの?これから?毎回!?
1班12人なら300人で25班。絵心ちゃんこれから残り24回ボール鬼の監督すんの?(描写的に主人公の入室直後のスタートだし時間差を作った感はない)
20ページのおしゃべりは置いておくとしてもだよ?
約2分のテストだけでも最後の班がテストを受けるまで50分近く放置されるんですけど???
来て2分で帰宅も悲惨だけど来て50分放置かリアルタイムで見る必要ない能力検査とかして待たされて入寮できません帰れもかわいそうだよね。
てか本当に名指しするまで映像は録画だと思ってたんすよ。
だって300人見るんだぜ?
でも絵心ちゃんしかでなかったってことは、ルール説明も事後解説も事前録画しておいて、内容も録画しておいて、
失格者(オニの判定)だけは謎システムで出来てるから一斉にテストして今晩絵心ちゃんが寝ずに録画見て内容精査すると思うじゃん?
いやいや説明は録画としても内容はあのたくさんディスプレイがある部屋で絵心ちゃんの超人的な視野で25画面同時チェックしてるのかも…
って見てるの1部屋だけかーい!あのディスプレイ部屋ミスリードかーい!
そしてあの気合の入った事後解説。煽り、説明、顔芸にボディランゲージ。俺ならあのテンションを24回も保つことはできない…
3回目ぐらいで「君失格。お疲れ」まで簡略化したくなる。単純に重労働。
あ、試験官はたくさん居るけど主人公チームの担当が絵心ちゃんだったって可能性もあるけど、わざわざ全権責任者が最下位班を担当するってのもよほどの裏がある計画的行動でなければ不自然なのでナシで。
つーわけで、頭がよさそうな男がお送りする超絶非効率なお・も・て・な・しにわずか2話で俺様ノックダウン。
ストライカーとしてのエゴイズムがテーマなことは承知しておりますが、大勢の人の時間を空費させるだけのエゴイストは申し訳ありませんが容認できませんでした。
リアリティラインっていうの?違うかもだが。演出のためだとわかるけれども大人数の中の一部と一々おしゃべりするトップってのがフィクションでも受け入れられなかった。せいぜい10班120人ぐらいが限度か?
だから、この話はここでお終いなんだ。
これは久しぶりに「白人を貴族として扱わないことは、黒人を人間として扱わないこと以上に非人間的だ。なぜなら白人は貴族として扱われてはじめて人間的であり、黒人は奴隷扱いでも黒人のレベルの中では十分人間扱いなのだから」が見れたな。
人間という種族の領域を決定し、それに準ずる家畜種族とそこから外れたその他の生物を見出すことで世界観を構築するのがヒューマニズムの仕組みだ。
人間として定義するための条件に能力や性質を仮定すれば、そこから外れたものはヒトであっても人間ではなくペットと同程度の存在となる。
ペットの扱いの範囲から逸脱する残虐な行為は人間でないヒトに対しては行わないが、ペットとしての可愛げを見いだせない相手には下限ギリギリの行為までなら許される。
なぜなら人間の定義を外れている相手はヒトであっても人間ではないのだから。
恐ろしいな。
本気で信じられないと思ったので愚痴りたい
付き合ってた増田が相互間際になって、お気持ち長文であることを告白して、ムカついたからその場で追い出した
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「おめーじゃねえか!」って
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本気で信じられないと思ったので愚痴りたい
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よく「子供のため」と言って、一般の大人が楽しむある特定の分野の娯楽を禁止しようとする別な大人(親など)が居るが、それが、大人(親など)のエゴイズムであって、「子供のため」にならないことになぜ気づかないのか。つまり、その子供にサービスを提供する一般の大人が、その娯楽を奪われることによって生き甲斐をなくし、だんだん減ってしまって、結果的にその「子供」が将来的に不利益を被る可能性をどうして考えないのだろう。
そのわかりやすい例が少子化だし、自殺者の多さだろう。皆が子供を育てないのは、金がないからじゃなく、大人(親など)が、この世をそもそも楽しくないものにしてしまったからだ。行政が補助金として、いくら金を積んだってダメなのだ。あらゆる娯楽を許容して初めて、子供を産み育てる苦痛が贖われうる社会になるのだ。
それなのに、大人(親など)が「子供のため」だと、大人の娯楽を規制したがために、それが生きづらさからの少子化につながり、その「子供」の世代に、「子供」にサービスを提供する人間がほとんど居なくなってしまうという先送りした因果応報。それは、「子供のため」を理由にして、自分の気に入らないものを潰そうとするエゴイズムを通す大人(親など)から「子供」への素敵なプレゼントなのだろう。まさに「素晴らしき新世界」。ある意味での環境破壊だとも言える。その「子供」自身だって、大人になったらいつかその生きづらさに困り果ててしまうだろう。その頃にはその大人(親など)は居なくなっているから、「子供」が嘆き悲しもうがもう関係ないのかもしれないが。
そして、そもそもその子供を出産した行為自体だって、大人(親など)の娯楽の一つの結果だろう。なに御立派なこと言ってるんだか。子供には出産に至る行為をさせない気なのだろうか。それでいて、子供が成人年齢になって孫を求めてたら満点大笑い。お前(親など)が大人の娯楽を規制するよう努力したせいで、出産につながる行為のやり方がわからないし、相手も尻込みしてんだよ、っていう。
というか、子供を出産することこそ、子供に対する最初にして最大の虐待ではないのか。ここは大人(親など)がまず直視すべき問題。この世に産んだから、子供はあらゆる苦難を乗り越えなくてはいけなくなったのだ。大人の娯楽を社会に対して抑圧するより、出産という自分自身の最大の虐待行為をまず反省すべきではないのか。つまり、怒りの矛先は、社会でなく自分自身に向けるべきである。それこそ、愛すべき自分の「子供」のためにだ。娯楽の反省は社会に対してでなく、子供に面と向かって謝るべきではないのか。
つまりは、「子供のため」と言って、大人の娯楽を抑圧することで生きづらさからの少子化を招き、子供自身の未来を制約するよりも、まずはその出産を子供に「ごめんね」って謝れば許されると思う。それが二重に子供のためだと思う。
ということを書いたのは、最近、分割統治により、他人の趣味や娯楽を抑圧する趣味の人間が増えてきて、怖くなってきたからだ。
一般論として、法的理由も無しに不快感だけで他人の趣味や娯楽を抑圧してはいけない、という事実には皆同意するのに、具体論になると、自らの不快感を唯一の正義として、嬉々として他人の趣味や娯楽を抑圧して楽しむ人々が増えてきたように思う。その一例が「子供のため」というものだ。
いつか同じようにして、自分の趣味や娯楽が不快感だけで抑圧される可能性は考えないのだろうか。自分の趣味や娯楽は不快感が無いと信じているのだろうか。その子育てだって、単なる趣味や娯楽の一つでしかないのに。それとも、自分の趣味や娯楽に矛先が向かないように、他人の趣味や娯楽を槍玉に挙げているのだろうか。みんながもっと趣味や娯楽や自由を限りなく追及するようになればいいのに。
だって現に、ネット全体や増田は強がりで年収500万なんて当たり前とかそれ以下は人間じゃないとか言ってるけど
統計からみても日本人労働者人口の上位20パーセントなわけじゃん?学校で言えばクラス上位6位以内とかよ?さらに20代でなんて縛りかけたらもっと少なくなるわけで
そんなもの生まれも育ちも超エリートな20代ならわからないが、普通とかちょっと優秀な大多数の普通の20代が500万円以上もお金稼ごうと思えば、物凄いストレスと労働時間と努力と精神力と体力が求められるわけで、
そんなものをネット上とはいえ、同調圧力を強めたら、増田みたいに承認欲求と権勢欲とエゴイズムとプライドだけは王侯貴族みたいな人らは、煮詰まったら犯罪に手出し始めるに決まってる、だってまっとうな手段がわずか数パーセントの人間しか成せないものをできて当たり前と圧力をかけられたら、心折れて死ぬか、間違いなく法を破った犯罪や反則手を使うしか方法がなくなるわけなんだから
お金や仕事以外でも、こんなの恋愛問題だってそう、一番自由恋愛盛んだった80年代でさえ、恋愛市場に参加できたのは男女ともに全体の3割だけだったと統計や研究が出てる
つまり大体の男女は、結婚ならともかく、恋愛なんてする余裕がなく一生懸命生きるのに精いっぱいなのが当たり前なわけで、恋愛できないのは人非人だってネットの圧力を強めると、同じように付き合えればなんでもいいと犯罪行為に走る男や女が出てくるのは自明の理なわけで、特に承認欲求と権勢欲とエゴだけは祟神の様に強い増田なんてまちがいなく煮詰まったら犯罪行為に走るに決まってるわけで
世間で言う普通なんて、それこそ実際はかなり頑張ってるエリートといえるくらいなんだし、みんな意外と普通に小さく生活してる人らが大半なのに、そんなものに駆り立てる風潮って、なんで流布されるんだろうね
人間には許したくても許せない時ってあるじゃないですか。恋人の浮気とか。まあ体験したことないんですけど。なぜなら恋愛しない体質なので。
そんなAロマ喪女の私ですが、「推し」というのは存在しています。推し。どういうジャンルの人かは言わないんですがフェイクかけるのが上手じゃないんで察しても心の中に留めていただけるとありがたい。でも若手の人です。私はざっくり三推しくらいまでいて、それなりにお金を使ったりしていました。今日はその、三推しの人にお金を使うのをやめてしまった話をします。
私は割と人柄に惚れることが多くて、しかも割と面倒くさい人を好きになることが多かったんですけど、その人も御多分にもれずちょっと面倒くさい人柄をお持ちでした。
でもそんなところが好きだったんです。面倒くさいって要するにこだわりが強いってことで、私はそのこだわるポイントが人間的に尊敬できる、自分にはない高潔さを持っているようで、そこを愛していました。
もちろん、私とは考えの違うことも多かったです。それはどうかと思うよ、という言動ももちろんありました。でも、当たり前みたいに違う人間なんだから、私が頷けるようなことばかりするわけではないのは当然です。その人にはその人なりの考えがきちんとあるのをわかっていたから、彼がそう考えるんだったら仕方ないよね、と思って応援してきました。
ただ、それでも許したくても許せない時って来るんですね。浮気ではないけど。
私はとある出来事に対する彼の対応の何もかもがどうしても許せなくて、10月末、彼の有料ブログの購読を解除しました。
一緒に応援していた友人にはまだ言えてないです。友人はその出来事に対して、彼は悪くないと言っていて、けれど私は、彼は悪くないとはどうしても思えなかった。私は彼のことを、そういうときにだめだよと言える人だと、そう思って惚れていました。でもそうじゃなかったんです。
ところで、有料ブログの購読解除を行なった直後、こんなブログが流れてきました。
「推しを嫌いになりたくない」と思った日のこと https://p-dress.jp/articles/10053
>好きな人たちには人の尊厳を踏みにじるようなジェンダー観や倫理観を持っていてほしくない、と思う私の気持ちはやっぱり、どこまで行ってもエゴだ。
あまりにもタイムリーなタイトルに惹かれて読んだコラムは、当然みたいに今の自分にあまりにも刺さるものでした。
私が彼に、そういうときに「だめだよ」って言える人であってほしかったっていうのは当たり前のようにエゴです。さらに言うなら偶像です。そういう人である、という偶像を抱いて、それに反したからって嫌いになるって失礼にも程があるなと自分でも思う。自分の中の偶像を勝手に愛していろよ。本当にそうだと思うわ。
自分が同じ立場に立たされたときに、私が彼にそうやってほしいと願ったことをじゃあ自分が実行できるかと言われたら答えは否で、私だってその場で「だめだよ」って言うことの難しさはわかってる。だけど彼の高潔さはそれをもさせるんじゃないかと勝手に思っていた。でもそうじゃなかったんです。彼はだめだよとは言わなかったし、私はそれがどうしても許せなかった。
とかぐだぐだ話したところで、私の性格上「だめだ」って思ったらもう全部ダメなんですね。秋元康は人を好きになる理由はおそらくきっと後付けさって言ってるけど、人を嫌いになる理由だって一緒だと思うんですよね。ああもう担降りって思ってしまったらそれまで。しばらく様子を見たけどブログの更新通知がまったく嬉しくなくて、開封もせずに4日も放置してあるメールを見たときに、もうだめなんだなと思いました。泣きそうになりながら購読を解除してから、もう私のメールフォルダに彼のブログの更新通知が来ることはない。きっともう、彼が目当てでイベントのチケットを取ることもないんだろうし、DVDもCDも雑誌も増えないんだろう。
嫌いになんてなりたくなかった。かっこいいところも、高潔さと隣り合わせのこだわりの強さも、可愛らしい隙も、全部ひっくるめてずっと愛して、ずっと応援したかった。でも嫌いになるって結局理屈じゃなくて、彼のあの対応は仕方がないってわかっていたって、嫌いになるときはなっちゃうんですね。
理屈で人を好きになれたら楽だったのになあ。恋を知らない女ではあるけど、人を好きになるのも人を嫌いになるのも理屈じゃないっていうのは、少しわかった気がしました。自分で別れを切りだしながら泣いちゃう女の子の気持ち、今ならわかる気がします。
私の三推しの枠は今は空いていて、そこが今後埋まるかは分からないけど、願わくばこれ以上減らないことだけ祈ります。私は今の一推しも二推しも嫌いになりたくはない。だけど同じ人間じゃないから、きっと私とは価値観の合わない言動もきっと取る。それがなるべくないようにというエゴイズムに塗れた祈りをしながら、いざというときは耳を塞ぐ準備だけしておこうと、先のコラムを読みながら思いました。
特徴
犯罪心理学者のロバート・D・ヘアは以下のように定義している。
良心が異常に欠如している
慢性的に平然と嘘をつく
行動に対する責任が全く取れない
罪悪感が皆無
口が達者で表面は魅力的
オックスフォード大学の心理学専門家ケヴィン・ダットンによると、サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義、である[1]。現状では、チェックリストのみが診断基準であるので医学的にサイコパスと同じ状態であっても反社会性がなければサイコパスとはならない。反社会性などの診断基準を満たす者は幼少期からの素行問題など行動面の異常を示すことが多い[2]。
日本国の精神保健及び精神障害者福祉に関する法律・第5条に、「この法律で『精神障害者』とは、統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう」と定義され、精神障害者に該当しつつ、保護の対象者と成る事を法的に認めているが、必ずしも全てが該当するとも言えず、時代相応の医学(科学)的な診断結果に基づいて判断される。
サイコパスの主な特徴は、極端な冷酷さ・無慈悲・エゴイズム・感情の欠如・結果至上主義、であり、サイコパスの人間の大部分は殺人を犯す凶悪犯ではなく、身近にひそむ異常人格者であるとされている。
しかし中程度以下のサイコパスであれば、社会的成功を収めることも多いとされている。サイコパスはその定義上、悪人とされる[3]。そして彼らが悪事に手を染める理由にはありとあらゆるものがあるとイェール大学の心理学専門家ポール・ブルームは断定している[3]。
聞き齧った話な上、情報の上澄みしか見聞きしていないが、この国はもうダメなんじゃないかと、常々思っている。
消費税は上がり、できもしない政策をし、金を持った上層部が下に就く者達をまるでただの使い捨てのゴミクズのように扱う。
自分の目の前に立つ人間を、自分と同じ心を持った者だと認識できない。
優しさという名のエゴイズム。
漫画やアニメは純粋で健全な心の成長に影響を及ぼすから規制しなければ。
これってダメですよね?
おかしいですよね?なんでですか?いいと思ってるんですか?
傷付きました!傷付く人がいるのでやめてください!
それは悪です!
悪いものです!
頭おかしいのかよ。
それはなんだと問われ、答えるのは所詮個人個人の判断でしかない。
そして、その判断を下せるのは、権力を持った年老いた人や、声のでかい年老いた人達だ。
おもしろいよな。
だんだんと生き苦しくなって行く。
優しさを持てない年老いた人たちよ。
それで世界は良くなるか?
自分たちが生きる世界だけ、時代だけ、自分たちに心地よいと思えれば良いのか。
それは先を苦しめる行為だ。
表現が規制されていけば、娯楽はどれも全て同じものになってしまう。
性教育を子供時代からまともに出来ないから、セクハラや性犯罪が起こるとは思わないのか。
同じような心のあり方を持つ人間だと理解できなくなってしまうんだよ。
より良い世界を。そう思っての行動だった。と、年老いた人たちは語るのだろう。
誰かに優しくすることを忘れた人よ。
君は癌だ。
優しくない人のそばにいる人は、優しくない癌に侵されて、やがて優しくない人になってしまう。
それはまるでオセロのように、世界は真っ黒になってしまうだろう。
素晴らしき世界よ。
きっと近い未来、どうしようもないほど、取り返しがつかないところへ行ってしまう。
願うなら、優しい世界になってほしい。
うなぎが絶滅危惧種で、貴重な生物ということは理解している。はてな民がうなぎを食べることを好まないのも知っている。その上で聞いて欲しい。
まず、うなぎ食は日本の文化であり、やすやすと消して良いものではないと思う。うなぎは万葉集や浮世絵にも登場するなど、古来より日本人の食文化であった。うなぎ食は日本文化そのものなのである。 それをエゴイズムでその文化を潰そうとするのは、本当に正しいのかよく考えて欲しい。うなぎ食を批判している時の自分の顔がどんなに醜いか気づいているか?
それから、絶滅危惧種に指定されたことと、実際に絶滅するということには大きな差があり、うなぎも現実的に絶滅するにはかなり長い年月かかると思われる。海洋は広く、海洋にいるすべてのうなぎを食べきるなど現実的ではない。生息数に影響を与えているのは確からしいが、そのサンプルデータはあくまで「日本付近を回遊しているうなぎ」に限った話である。日本以外の各地で定点観測した上でうなぎが絶滅に瀕している、というデータは存在しない。
そして最後に、ナマズや穴子などのうなぎの代替食品がさほど広まっていないという点にある。これははてな民も全く抜けている視点なので猛省して欲しい。仮にうな重の代わりに穴子重を食べよう風潮ができれば、既存のうなぎ屋も経営上の問題を抱えずにシームレスに穴子重を出す形態に移行できる。しかし現実的にそのような風潮は起こっておらず、ただ思考停止でうなぎ食に反対するだけの小さなムーブメントが起きているだけである。自己責任論が大好きな人たちにとっては「うなぎ屋を経営しているのが悪い」と言いそうだが、実際問題自己責任というだけで人の人生に口出しするのは誤りだ。彼らにも人生があり、その人生はこれからも続く。
上記を理解しているから水産庁も規制しないのである。ネットDE真実を得たうなぎ擁護派の中で実際のデータを見た人など1%にも満たないだろう。うなぎが絶滅危惧種に指定されたというのは事実であるが、だからといって思考停止して日本文化を破壊して良いというわけでは無い。思考停止せず正しいデータを持って批判することを心がけて欲しい。
それでよかったんだよ。
明治時代に家のオヤジがガキを殴っていたからツイッターや2chみたいな
悪が出なかった。昭和時代にはロリを犯すことが許されていたから痴漢や、こんにちのようなエロ画像の
跋扈が存在しなかった、昔は「えろいことをしつつ発展していた」からな。
その後、国家が腐れて、青少年健全育成とかなんとかほざいて、エロを禁止したからネットがこういうふうに
なったわけで、しかも平成がガキを殴っていなかったから2chがこうなった
普通に、クソガキは殴り飛ばし、えろいことは巧妙にやっていた昭和がよかったんで、その後、陰険にも国家が
エロを禁止し、犯罪者も放置していたからこうなったんやぞクソカスが
一般的な作劇として、不愉快なイベントは、単体だと「単に不愉快なだけ」で終わるので、作品のテーマ性として発展させ、そこに意味を持たせるわけです。...
あまり関心を持ったことのないポイントなので、勉強になります。僭越ながら、グロテスクさが感じられうる示唆的なシーンが、人物の行動の結果などに繋がって作品としてのテーマになるまで昇華されていなかったとしても、芸術的な意味はありうるのでは、と考えています。例示していただいたアイデアのように正面からこれをテーマに据えてしまうと、作品自体の目的が”説教”になってしまうので避けたが、示唆したいことは確かにあった、という可能性です。別の方の増田を引用します。
動物園から人と動物の関係についてあくまで人は管理者であって友達ではないという指摘があった。人の都合で檻に閉じ込めている現実から目を背けるべきではないとのこと。学習や研究、人の活動によって個体数が減らされてしまった種の保存など、人が人のために他の種を管理しているのだから、あまり、動物と人が対等に取り扱うことは教育上望ましくない。2期では是非そういった視点も踏まえ、動物同士がフレンズでありヒトは違うという体でお願いしたい。
動物園から制作陣への要求… もちろん、そのような体で書かれた冗談でしょうが、こういう視点は制作側にあったのかもしれません。
それを仰るなら、けもフレ1の黒いセルリアンとの戦闘でも多くのフレンズは野生解放していないです。ところで「野生解放を言わない」ということには、けもフレ2制作陣の明確な狙いがあると思います。けもフレ2では他にも「ちほー」や「フレンズ」といったタームがほとんど言われません。推測ですが、これは一般受けを狙うために途中から入ったりぼーっと観てる視聴者やキッズが引っかからないように配慮したものだと思われます。逆に明確に説明するようになったものもあります。キャラクターの性格です。「私、体が丈夫なだけじゃなくて記憶力もいいので」「私は用心深いから」… などなど、けもフレ2ではキャラクターが自分の性格を自己申告します。作劇技術的な難度という点ではこのような表現はおそらくレベルが低く、エレガントでもないのでしょう。しかしそれが直ちに作品として悪い、ということにはならないでしょう。解りやすいというメリットは確実にあります。あざといくらいハッキリ言うので、おそらくここを起点に自分でも動物の性質を調べてほしい、という願いも込められているのかもしれません。
ケムリクサに置いて、内面と世界がシンクロする際は、ケムリクサというギミックを使っており、SFとしての筋は通っていると考えています。ここでいうリアリティラインは高めです。
そうでしょうか。最終話の赤い木との戦いで、りんの本体の葉から水がなくなって戻ろうというときに、ミドリの核の枝と桃ちゃんを継承しました。枝を肘につけてパワーアップして復帰しますが、しかしミドリの枝にケムリクサを修復する機能があったのでしょうか。ミドリの葉は状態を治す・保つ事ができます。わかばの腹に空いた穴や、りんの欠けた手足を補ったことはありますが、ケムリクサそのものを治したことはないです。もしケムリクサをも治せるなら、赤い木に指して倒せるのと矛盾してしまうと思います。かといって桃ちゃんで自分を分裂させたという可能性もありません。桃ちゃんは、(姉妹では)りなだけが使える葉だからです。また同じく最終戦で、りんは、りりの最後の記憶を取り戻しますが、あのとき記憶のケムリクサが突然発動したのはなぜでしょう。直前に二回わかばが開いていますが、二度ともロック解除が必要でそれは、りくにさえできない、わかばだけが可能な手続きだったはずです。りんは最終戦終了後キャッチした、わかばとともに船のそこに落ちますが、そこで突然ミドリの光の柱が伸びて二人の怪我を修復します。でもミドリは葉も枝も戦闘で使い切ったのでは。リアリティラインが低い… 内面の高まりがなし崩しに外面に出てしまう。お話を頂いて頭に浮かんだのはむしろこのシーンでした。ケムリクサを万能の舞台装置、あらゆる話の粗を吸収するスポンジと捉えるなら、けもフレ2のセルリウム&サンドスターをスポンジにすれば全て解決では。
悪意のあるキャラがいない、という点では「優しい世界」を継承しているでしょう。りんがわかばを警戒するのは自然なことですし、それ以外は全員が素直で、また世界破壊の原因も優しさに起因し、わかりやすい「悪役」はいない
「優しい世界」の解釈が俺らふたりの間で異なっているように思います。けもフレ1で、カバは新参のかばんちゃんに「パークの掟」を諭しつつも、去りゆく二人に何度も声をかけて心配しているさまを示す。ツチノコは地下迷路で口の悪い闖入者を疎んじつつも、(諦めた体で)二人に協力して出口を探すわけです。最後には絶滅していなかったヒトへの安心の気持ちを口にする。サーバルはかばんちゃんを、「かばんちゃんは…したかったんだよね?」のように道中何度もフォローを入れる。このような誰かを深いレベルで思いやる描写があちこちにあり、一方で人物間の衝突はあっても形骸化した、表面的なものでしかなかった。全面的に留保の余地なく安心できる世界観がけもフレ1の「優しい世界」としてみんなに愛された、そう考えています。しかしケムリクサではもう最初から、わかばは異物扱い、いつでも落とせる、落としてやろうのような脅迫的な発言が毎回あるわけです。もちろんおっしゃる通りそこには合理性があるんですが、しかし、りくさん、あなたは最後散り際にまで「こんなやつのどこがいいんだ」的なdisりをくれる必要はあったのか、あれ実はあなたも好きだったんで吹っ切るために強がったんですよね、などと視聴者の俺は解釈していますが、しかし「優しい世界」では全然ないでしょうということは主張しておきます(でもりつ姉はオアシス)。
設定や伏線において、けもフレ2に不備があるように思えるのは錯覚で、実態は作品の狙いと得意な表現の範囲の違い「へーきへーきフレンズで得意なこと違うから」、で済むレベルなのではと考えているのです。むしろ楽しむことを妨げる、エゴイズムという意味での悪意は、視聴者の俺らの側にあるのではないでしょうか。拝読した記事には総論としては同意で、いわゆる「ハンロンの剃刀」は強力なのですが、作品を論評するときに必要な環境、安心して自分の意見を言える状況、とは現状はかなり食い違っているように思います。この空気の中での分析は、かなり注意深く精査しなければ容易に流されて最悪のケースでは誰かの筆を折らせる結果になりかねない、そう思って眉に唾をつけ考察しています。
例えば一期のメインキャラが、十数人として、それが全員、根が素直で優しいとするなら、「根が素直で優しいキャラを十数体、キャラを立てて描き分ける」ことになるわけで、えらいことです。もちろん、素直なやつばっかりじゃないですが、それにしても想像すると怖くなりませんか。
ううむ、言われると、けもフレ1のサーバル・コツメカワウソ・プレーリードッグはみんな似てはいるものの、ごくごく微妙にキャラが違っており、おそらくセリフに落としても区別がついてしまうでしょうね。制作陣の構成についても明るくないですが、この功績は吉崎観音さんの成果?