はてなキーワード: 辞令とは
仕事嫌いで毎日朝仕事行きたくねーと思い、定時直前にはもう帰りてーと思いながら、食い扶持のためにしょうがなく仕事してた。
なんかしらんが昇格した。同期の中で最速。意味わからん、他の同期は何やってたんだよ。1月に辞令が出て、1月分の給与が先月入った。3万以上増えてた。わからん。
出世したって能力も大してなく、クソ人間で差別主義者で非モテで男尊女卑のカスってことは一切変化してない。育ちが悪いコンプレックスを解消することもなく、孤独が好きなくせに孤独から脱することを願ってるのか呪ってるのかわからない、地面を這いつくばって泥水すすりながらクソがカスやってるゴミ人間である自覚もなにも変わっていない。
わかったよ。クソカスゴミな俺も、必死こいて社会やってる私も、どっちも自分で結局魂は一つなんだよ。カメレオンのように姿形は変化しても、自分なんてそこにあるんだから探すまでもない。自分を殺さなくていい、どっちもワイや。育ちが悪いのもワイ、口が悪いのもワイ、俗に言う天才なのもワイ、なんやかんや仕事で結果出すのもワイ、週8で酒かっくらうのもワイ、歯すら磨かずに寝ることもあるのもワイ、昨日と同じ服着ててもワイ、誰も居ないところで激昂してフライパンを壁に叩きつけたのもワイや。全人類死ね!人類が居るから世界はクソになるんや!人類は諸悪の根源!ゴミ!カス!クソ!死ね!って毎秒思ってるのもワイや。殺す価値もないわクソが。はよくたばれ。
クソみたいな長文で腐女子のお気持ちではあるがカツカレーとかハンバーグカレーの比喩とかでなくストレートに捻りのないマカロンそのものへのお気持ちということはあらかじめ言っておきたい。
マカロン、名前だけはポピュラー思うものの、食べたことのある人はどれぐらいいるのだろうか。
マカロン、プリキュアでも言及されていたような気がするが基本的にさほど美味いものではないと思う。デパートによく入っているような有名なマカロン専門店のマカロンも食べたが、やはりその認識である。
マカロン、それは誰かが言っていた、仏壇に供える砂糖菓子とさほど変わらないという表現がぴったりで、見た目だけのファッションスイーツと言われても仕方がない存在である。
私自身も長らくそう思っていたが、弟にもらった神戸のある店のマカロンだけは、はっきりと次元が違っていた。
さくっ、しっとりとした優しい食感に、濃厚で複雑な味わいがぎっしりと詰まっている。
噛むほどに、極小の絶品ケーキが舌の上でほどけていく。ベタベタな表現だろう、だが、味の宝石箱や!と言いたくなるほどの素晴らしいものであった。
そこには、従来の単調な甘さのマカロンはなく、食感、香り、味といった複雑で高次元の味わい、いや食体験をもたらすそんなマカロンが存在していた。
私はすっかり、マカロンが好きになっていた。
あの食体験への驚きをなんとしてでもまた味わいたいと、帰省する弟には毎度あのマカロンを土産にするようにとお願いしたりした。
他にもそんなマカロンは存在するのかとマカロンを見るたびに買って食べ比べたりもするようになった。冒頭の有名店への評価はこのときに感じたものであるが……意外にもシャトレーゼがなかなか頑張っていると感じた。
そしてマカロンを食べ比べて感じたことは、やはりあの店のマカロンは別次元だったということだ。
そして別次元のマカロンと私の蜜月は、残酷にも唐突に終わりを迎えた。
それは直接遠方のあの店に、マカロンを買うぞと勇足で行ったときのことだ。ショーケースにマカロンが並んでいないことを確認して、店員さんに尋ねると「マカロンはもうやっておりません」と、非情にもあっさりと全ての終わりを告げられたのであった。
もう二度と、あのマカロンが食べられない。
私は絶望感でいっぱいになった。しかし大好物の食べられないこの世界でも、生きて行かなければならない。
おぼろげに面影のあるシャトレーゼのマカロンを食べては、あの店を思い出しながら自分を騙して数年を生きてきた。
……そして、再会は突然にもやってきた。
一年前、辞令が出てすこし遠くに転居した。私は軽度ではあるがアトピー持ちで定期的に皮膚科に通わねばならない身である。たまたま新しい職場で勧められた皮膚科にはじめてかかったときに、皮膚科の隣がオシャレな感じのケーキ屋であることに気がついた。
皮膚科の待ち時間というものは、何故かどこの地方のどの皮膚科に行っても大抵の場合長い。クソほど長い。半日が無駄になることもザラだ。暇にあかせて隣のケーキ屋のクチコミを調べることにした。
なんということだろう。店のオーナーは、神戸の……あの店で修行した人だということがわかった。皮膚科の待ち時間というにもかかわらず、胸がはずむ。そして、居ても立っても居られなくなって受付に「外で待ちます」と告げてケーキ屋に駆け込んだ。
マカロン。
ああ、マカロン。
ショーケースに、きっちりと色とりどりのマカロンが整列している。
あの店からも遠く離れたこの街にお前は暮らしていたんだな。奇跡が幾重にも連なったこの再会に、謎の感動が呼び覚まされる。いや、まだだ。このマカロンがあのマカロンと決まったわけではない。まずは、食べてみるほかにはない。
それだけあれば、きっと別人なのか本人なのかわかるはずだ。裏切られてしまうかもしれないのにこれ以上ないほどにうきうきとしながら私はそれを購入した。
皮膚科の順番が終わって、車のなかで包みをひろげる。見た目は、やわらかく不揃いのところもあるすこし素朴なフォルムで、有名店にありがちなシュッとした綺麗なものではない。でもそれが逆に、あの店を思い出させる。
ひとかじり、口にする。
マカロン。
マカロン、間違いなく、これはあの店の……別次元のマカロンだ。その深みのある美味しさもさることながら、マカロンと離れ離れになって、面影を探し求めて彷徨っていた期間や、そして再会に至るまでの偶然の全てが、特別な食体験となってまた戻ってきてくれたのだ。
例えてよいのかわからないけれど、ペルシアで起こって滅びてしまったマニ教が遠い中国でまだ生きているのを見つけた人も、このような気持ちだったのだろうか。そんな気持ちすら沸き起こるのだった。
マカロン、基本的に美味しいものではない。しかし、私にとってはものすごく美味しいものだ。願わくばこの店がマカロンをやめないように、私はこの店で定期的にマカロンを買おうと、残りのマカロンを噛みしめながら考えたのだった。
ちょっと前に書いたものだけれど、下書きに入れていたもののお焚き上げをさせてほしい。
端的に言うと失恋した。告白してフラれたとかではないんだけど。吐き出させてほしい。
私30歳女彼氏なし。
人事異動でやってきた先輩。30代後半男性、独身。結構厳しめで正論バリバリな人。辞令が出た時に
自分も別部署だったときに怒られたことがある。あれは私も悪いんだけどさ…。
先輩が異動してきてから2ヶ月後、仕事でペアを組まされることになった。
仕事の相方として、誠実に接してくれた。仕事も根拠がしっかりしていて丁寧だった。確実に職場の雰囲気に変わっていった。
仕事の合間にする雑談も、諺や故事成語、歴史、古典文学から引いてくるような話題が多かった。本をたくさん読んでいるようで、気になったシリーズ8冊まとめ買いしたと言っていた。なろう系も読んでる???ラノベ??内容は結構忘れてしまったけど、とにかくいろいろ詳しかったし、説明がうまいので何言ってるかわからない、理解できないって感じではなくて。私が知らないことも多かったので、勉強にもなった。それで会話が続いたのは今まで先輩だけだった。
あと食べ物に関しても、ものすごく詳しく、美味しんぼも読んでる。
仕事の合間には、昨日の帰りにデパートで買ったというお菓子の味や由来を語ってくれた。
私にも大抵の知識はあったし、美味しんぼも読んでた(山岡に子供ができるぐらいまで)ので応戦する。
「ドラジェは糖衣、あ、糖衣は正露丸の糖衣なんですが…」『硬いのですよね、中がアーモンドの。引き出物ですか?』
(デメルのラングドシャを食べながら)「ラングドシャは猫の舌って意味なんですよ」『(知ってる…)デメルで猫の舌っていうとチョコレートの方が有名ですよね』
そんな感じで応戦していたら、新作を買うたびに勧めてくれるようになった。
結構いろんな人にも勧めてたけど。
もらってばかりなのも何なので、私からもちょっとしたお菓子を差し上げたりもした。
たまに机の上に「お土産です」と置いてあったりした。旅行とかじゃなくて、レオニダスとかデパ地下とかの。
うれしかった。彼の中でちょっと特別扱いなのかなって。そんなんされたら惚れてまうやろー!!!
先輩は顔がイケメンとかそういうわけではないんだけれど、顔立ちはあっさり系。
服装もおしゃれというではなくて、シンプルな大きめサイズを着てる。
彼女はいないらしい。自称だけど。あと少子化の話題の時に「結婚してる人は希望があるけど、自分にはないので」みたいなことを言っていた。察し。ペア組んですぐの頃は、先輩結婚してるか彼女がいると思ってた。何かの拍子に「誰かと行ったらいいんじゃ?」みたいなことを言った時に、「自分に結婚相手とか”誰か”がいるように見えますか(怒)!?」と返ってきた。はい、いると思ってました。
個人的な価値観の話になるけど、私は顔立ちや服装は重要視してない。
あ、でも頭の良さはほしい。会話が成り立たないのは辛くなる。
話を戻そう。
先輩の声が、私の好みのタイプだったんです。落ち着いた暖かくて丸みのある声。ずっと聞いていられる。
そんな感じで仕事中もちょっと楽しく過ごせてたんだ。会話してるのが楽しいと思えたのは久しぶりだった。
それが、年明けから職場で一人休業者が出て、ペアの組み換えがあり私と先輩はそれぞれ別の人と組むことになった。
片付けと机の移動をして私と先輩のペアは解消した。
それから数週間。
先輩とは挨拶と電話の取り次ぎでしか話していない。先輩が新しいペアにも親切で、他の人とも雑談してるのがよく聞こえる。
私が先輩に話したエピソードを「聞いた話ですけど…」と、新しいペアの人に話しているのを聞いてしまった。心がぎゅっとしてどす黒い感情でいっぱいになった。それは私のエピソードで、それを盗られた気がした。
昨日、仕事量がかなり多かった。もうペアではないけど、まだ同じ班で、それは班でやる仕事だったんだ。定時ギリギリになって慌てながらその仕事をやっている私と、ゆったりと帰り支度をしている先輩と新しいペアの人。
以前だったら先輩はその仕事をしていたら、どれぐらいで終わりそうか声をかけてくれたんだけどな。ああ、私は彼の気に掛けるメンバーリストにはにもう入っていないんだと思った。泣きそうだった。
そうだよね、隣の机で、仕事の相方だったから気にしててくれたんだよね。
机も離れたしもう相方でなくなったから、気に掛ける必要はないもんね。
彼の温かな優しさの対象外になってしまったのがショックで、先輩にどう接していいのか分からなくなった。
ペアが変わって相方でなくなっても、同じように接してくれると思ってたんだ、でもその考えは間違ってた。
ウマが合って、上手くやっていけてると思ってたのは、きっと私だけだったんだ。
たまに意地悪なことも言ってしまったし。
微炭酸のようにシュワシュワと私の心は浮き立っていたんだ、きっと。
大好きとまではいかないけれど、好意を抱いていたのは確かだったんだ。
出勤すればまた聞こえてきてしまう、私には向けられていない温かな声を耳にしても私は平気でいられるのかな。
がいる。
職場からの帰りの電車で1時間くらい座るんだけど、半年くらいこのおじさんに遭遇してる。
田舎のワンマン列車で、2両しかない。おじさんに隠れて電車に乗っても、おじさんは私を探して移動してきて、見つけたら私の近くに座る。
隣が空いてなかったら、正面に座る。
痴漢とかそういうのではなくて、電車内の私がいる場所の近くにわざわざ移動してきて、付近の空いている席に座るだけ。
でも、ほんとにそれ以上の実害が無いから困ってる。
痴漢されたわけでもないし、
ストーカーや付きまといをされてる訳でもない。
ちなみに土日は遭遇しないから、普通に土日休みの仕事をしてるおじさんなんだろう。
年末年始も遭遇しなかった。
本当は違う電車に乗ればいいんだけど、田舎だから電車の本数が少なくて、一本遅らせようと思ったら1時間後とかになる。
近くに座られたときは、なるべく移動するようにしてる。
私が一回移動したら、おじさんは付いてこない。
「やめてください」って言えばいいのかな。
でも逆上されたりしたら怖い。
家族には相談してるし、これが痴漢とかだったらきっと守ってくれると思う。でも本当に、近くに座ってくるだけだから、どうしたらいいのか分からない。
あと何ヶ月かしたら、辞令が出るかもしれない。
そしたら、もう我慢しなくて済むんだろうけど、
そしたらあのおじさんは、別の相手を探すのかな
絶叫したのは一人だけど、同じように周りを唖然とさせたのは更にもう二人いる。
三人とも若い女性で、高学歴。最近高学歴の若い女が怖いのは、この三人の影響です。
A子は新卒で弊社に入社した一年目の女性社員で、人当たりもいいし、性格も控えめで丁寧。隣の部署なので直接やり取りする機会は少ないけれど、悪い印象は無かった。ところが先日、彼女がオープンスペースで先輩社員の指導を受けている声を聞いた。
断っておくが、弊社はデスクはあるものの、集中したい場合などにオープンスペースを利用したりするだけで、決してこの子がいるから来たわけじゃない。少し離れた席だったので、最初は二人が座ったのも気づかなかったほど。そんな中、すすり泣く声と共に
「私はもっとできるのに、なんでこんなに退屈でつまらない業務ばかりさせるんですか?」
という声が聞こえた。驚いてそちらを見ると、先輩社員は改まった顔で
「どのデータがどういうロジックで抽出されていて、その数値の傾向を見ることで業務知識も深まる。まだ実業務に入って二ヶ月だし、この辺りの勘所は覚えてほしい」
と。なるほどなあ、という感じ。
A子の部署は決して花形部署ではないけれど、堅実で数字に強い社員だけが入れる部署だ。
中途でも新卒でも、狙って入ることのできる部署ではない。A子もそれは多分自覚しているはずだ。辞令の時にもきっと役員から言われているだろうし。
「じゃあ先輩がやればいいじゃないですか!私はもっと負荷が大きくてやりがいがあって、誇れる仕事がしたいんです!!」
おっと……。これ以上の立ち聞きは無用、と、適当に空いている会議室を予約して、その日はオープンスペースを後にした。
この子はとても明るくて、おっとりとしている。お嬢様なのか、ちょっと心配になることもある。
と、私は割と最近まで思っていた。多分周りもそうだと思う。それが、先日仲の良い同僚と飲みに行ったときに、B子が今腫れ物扱いされている、と聞いて驚いた。
あのB子が?と疑う私に、同僚が話してくれたのは、B子は事あるごとにやれ「パワハラだ」「セクハラだ」「軽んじられている」と、人事と上司にメールをするらしい。
ただ、私たちの感覚がおかしくて、彼女の感覚が正常なのかもしれないとも思った。私が新卒の頃は、業界的なものもあって、新卒は飲み会に行くと脱げだのなんだの言われたり、お触りがあったりしたから。だから私たちの「普通」は今の時代に合っていないのかもしれないと思う。だから、どう思うかじゃなくて、何があったのかを確認した。
パワハラだと訴えた内容は、B子の作ったメールの添削を先輩社員が行って、「こういう時はこういう言い回しを使ってね」と指導したそうだ。それがパワハラだったらしい。またある時は、B子が更新したファイルを、上司が先祖返りして上書き保存してしまったらしく、それを知ったB子が更に上書き保存をかけようとしたところで、先輩社員が「一旦別名保存にしてくれ」と依頼したところ、「改悪されたのは私なのに!なんで私がそんな事をしなくちゃいけないんですか!」とご立腹。…なるほど。
セクハラの件は、B子の歓迎会の席で、隣の席に座ったベテラン社員の距離がやや近く、タバコが臭かったことが該当したらしい。近さの感覚は人それぞれなので言及しないけど、まあ、なるほど。これが感覚の差か。
私の中でB子は本当におっとりとした子、というイメージだったので大変驚いた、と共に、どこで何を言われているか分からないから、なるべく近づかないようにしようと思った。
C子はやや我が強いけど明るい子で、素直。
しかしこのC子、任せた仕事の納期が守れない。もしくはとんでもないクオリティで提出してくる。
スケジュールに無理があったか、スキル不足かと思って、ヒアリングをしてみた。他の業務との兼ね合いや、作業中に困った点、行き詰った点はどこか、と聞いてみた。そうすると、他の業務は今殆どなく、作業的には得意な分野だと言う。じゃあなんで?と思って、C子の指導をしている先輩社員に相談した。(C子は去年の新卒なので、先輩社員の指導はもうほとんど受けていないし、業務の確認も受けていない)
私が指導役に相談すると、彼は小さくため息を吐いて「多分、居眠り」と零した。
居眠りかあ。そりゃ眠くなるよな~~~~~。と思ったんだけど、いやいや、どんだけ寝たらあのクオリティになるの?と思って深堀り。そうすると彼は「人事や上にも相談してるんだけど」と前置きしてから、彼女は三時間くらい無断で外出して戻って来なかったりする。実際に睡眠障害の診断がおりていると教えてくれた。病気なら仕方ないか、と思ったものの、仕事がストレスで睡眠障害を患っているなら、仕事を休んでしっかり療養した方が良いのでは?と思う。それは彼も思ったようで、無理して辛い思いをするなら、少し休んで自分で「大丈夫」と思ったら戻ってくるのもありだよ、と諭したらしい。ところが彼女は「それはできない」の一点張り。先日また数時間姿を見かけないからと携帯に連絡を入れたら、「辛くて外で泣いてました」と返事がきたらしい。
前置きの長い愚痴です。
キングダムへの愚痴ではないです。映画キングダムは素晴らしい作品でした。
娘が2歳の秋に鬱病の診断を受けました。その時点で夫は海外への転勤が決まっており、帯同してくれと頼まれました。
鬱っぽくなってきていると気がついたのは、診断を受ける1年ほど前のことです。
日中何度も記憶が飛ぶようになり、抗えない眠気で1歳の子どもと二人きりなのに眠ってしまうという症状から始まりました。
夫は激務で、休日と名のつく日でも昼まで寝て、夕方から出勤。その年の12月には一ヶ月で2日しかまともに家にいる日が無かったとTwitterに記録されています。
夫と地域の子育て支援課に相談し、心理士さんと面接もしましたが、その時点では私の意識を変えれば精神科などに通う必要はないという結論を出しました。
しかし翌年の6月に活字が読めない、料理の段取りができず調理に時間がかかり味も感じないなどの症状が出始め、7月から通院開始。11月に医師から鬱病だと言われました。
途中、ほぼ1日ベッドから起き上がれないほど体調が悪くなった時期もありました。小さな娘には長時間テレビを観せてしまったり、自分の感情がコントロールできずに強く当たってしまったこともありました。虐待をしているのではないかと自分を責め、家事をしたいのに動かない身体が悔しくて、毎日泣いて暮らしていましたが、夫がその様子を見る機会はなく、状況の深刻さは伝わりませんでした。
私は4人兄弟の長女で、実家は愛に溢れた仲の良い家庭でしたが、親に甘えることを遠慮して育ちました。
親への甘え方を知らず、甘えている妹弟を羨みながら生きていた10代の頃の私は、嫉妬から逆恨みのような形で勝手に家族から孤立して、漫画の世界に逃亡しました。友人に恵まれて、成人する前に漫画とは適切な距離を置いて付き合えるようになりましたが、その後も漫画を読む時間は心の支えであり続けました。
職場で出会った夫とは漫画の趣味が一致したことが結婚を考えるきっかけになりました。
自分と漫画との関係を理解してもらうことは、家族になる上でとても重要なことだと考えていました。平たく言えば、オタクの自分を知った上で女性として見てくれる男性と出会うことは簡単ではないけれど、オタクを隠して家族になることはできないと考えていました。
夫の転勤を機に入籍し、実家からも義実家からも離れた関東圏に住むことになりました。夫はオタクと言えるほど漫画やアニメを好きな人ではありませんでしたが、休日にはレンタルショップで漫画やアニメのDVDを借りて、二人で感想を言い合って過ごすこともありました。卑屈な性格の私は、自分がこんなにも幸せな生活を送っていいわけがない、いつかドンデン返しが来るに違いないと不安に思っていました。それほど、毎日は幸せでした。
そんな中で、夫がレンタルショップで借りてきたのが原泰久作の漫画キングダムで、私は夢中になりました。
子育てをする中で鬱になってしまったのは、恵まれた家族の中ですら孤立してしまった自分が親になる自信が全く無かったのが原因だと思います。自信がないから頼りたい、相談したいと思っていても夫は激務、実家も義実家も遠く、実母はダブルワーカーになっていて電話のタイミングを合わせるのも難しい、義母は癌と闘っていてそれどころではないという状況でした。
何故産んだのかと思う方もいると思いますが、子どものいる生活を夫が希望しており、その時は産まれたら仕事をセーブすると言っていました。しかし、妊娠中に義母が癌を患っていることが発覚。夫は新幹線で片道2時間かけて義実家へ通い、義母の闘病のサポートをしました。義母の病状が落ち着くと、通勤距離片道2時間半の職場へ異動。彼も想像できなかったことでしょう。娘が1歳を迎えるまでは、彼の方が「自分が思うほど育児に協力できない」というフラストレーションで鬱っぽくなっていたように思います。そしてそれは私を余計に追い詰めました。
娘2歳の2月、夫は海外転勤の辞令を受けて一足先に引っ越しました。私と娘は実家に二ヶ月ほど居候させてもらって、渡航の日を待っていました。バタバタと引っ越しの準備を進める中で、映画キングダムの告知を見ました。私は所謂「原作厨」というやつで、アニメ化ですら自分のイメージと違って不満を持つことがあるので、実写化はとても不安でした。中国の歴史ものなのに、どうして日本で映画化されるのかという疑問もありましたし、原作のスケールを日本映画が表現できるのかという不安もありました。しかし、その不安はメインキャストを知ると共に期待に変わりました。それが自分の中のイメージにぴったりハマっていたからです。勿論、なんで日本人が演じるんだという疑問は残りましたが、日本の漫画のキャラクターの顔は日本人の顔なんだなと、メイクをした俳優さんたちを見ながら思いました。
キングダムの公開日は渡航の日程ギリギリでした。私は夫に、渡航日を少し後ろ倒しにして観に行かせて欲しいと頼みました。夫は早く家族と住みたいと言っていましたが、私の願いを聞くと「今まで映画を観に行かせてあげられる機会を作れなかったね、楽しんでおいで」と手続きをしてくれました。
実家で過ごした二ヶ月半の間、ほとんど母に娘を預けることはありませんでした。私よりも先に、実家の近くに住んでいる妹が子どもを預けに来るからでした。
映画公開日翌日、映画館のあるショッピングセンターまでバスで向かおうとしていた私に、両親が「車で送っていくからついでにお昼ご飯も食べよう」と誘ってくれました。(今、この一文を打ちながら涙ぐんでしまうほど、私は両親への甘えに飢えていたんですよね)
子どもの頃は仲の良かった両親も、子どもが独立するとお互いどう接していいのかわからなくなってしまったらしく、少しギクシャクしていました。二人で連携して支度を進め、おしゃれをして車に乗り込む両親を見ることですら、私には感慨深いものがありました。
私が選んだ定食屋で、両親と娘が順番を待つ間に一人、チケットを買いに行きました。何年かぶりの映画で、有人カウンターが無いことに大きな衝撃を受けつつ、自動券売機で席を選んで発券しました。「キングダム」と印字されたチケットを手に取った時、私の心は幸せな気持ちで満たされました。大好きな作品が納得のいく形で実写化されて、それを今から観られるという幸福だけではありません。今自分がこの場に立つために、今まで甘えられなかった夫が、両親が協力してくれたことが嬉しくて熱いものが込み上げました。
定食屋に戻ると、父が娘にお子様ランチを注文していました。まだ2歳の娘は食べきれないと言うと、「おじいちゃんが孫を甘やかしたいんだよ」というような事を言った気がします。実は、娘の初節句の時ですら、私は自己主張ができずに両親にも参加して欲しいと言えませんでした。妹の子を預ける予定を聞いて、それを優先してくれと言ってしまったのです。娘がおじいちゃんおばあちゃんに甘える機会すら奪ってしまった自分を責めていた私は、父から孫への愛情にすら感動してしまいました。お子様ランチの残りを食べきるのは大変でした。
食事を終えて、娘は眠くてグズリながら両親の車に乗りました。「すぐに寝るから大丈夫、気にしないでゆっくり楽しんでね」と母は言って去って行きました。
今まで抱えていたマイナスの感情から解放された私は映画館に向かって踵を返しました。
「今から観るよ」と、定食を背景に撮ったチケットの写真を貼ったツイートには、いいねが数件付いていました。私のアカウントのフォロワーにはキングダムファンはいないので、「よかったね」「いつも頑張ってるから楽しんで」という意味でつけてくれたのだと勝手に感じました。
着席してから、泣く事と、好きなキャラクターが出てきた時に声を上げてしまう事を想定して、ハンカチを握りしめました。
左隣には50代くらいのご夫婦が座っていました。旦那様が原作のファンなのかな?同世代の女性のファンをあまり知らないけど、それくらいの世代の男性に人気があるのかな?などと考え、どう見てもオタクではない一般人のご夫婦が不快にならないように、オタクっぽい反応を出さないように鑑賞しようと思いました。
映画は素晴らしかったです。俳優さんたちは、キャラクターそのものでした。
特に、吉沢亮さんの演じられたキャラクターの演じ分けには感動しました。私が漫画を読んだ時には読み取ることが出来なかった部分まで演じられているように感じました。
私の好きなキャラクターも、あのキャラクターの歩き方だ!あのキャラクターの戦闘の動きだ!といちいち納得し、感動しました。
俳優さんたちの身体の作り込みにも驚き、感動しました。キャラクターの背景を描く体格を、生身の肉体に再現されていたからです。血の滲むようなトレーニングの成果なのだと思います。
作品全体に、俳優さんをはじめスタッフの方々がそれこそ命懸けくらいの愛情を注いでくださっているのだなと感じ取ることが出来る作品でした。
私の好きな漫画作品を素晴らしい映画にしてくださったスタッフの方々に心から感謝します。そして、映画化されなかったらキングダムに触れることがなかったであろう、俳優さんのファンの方や映画好きの方の元に、キングダムを届けてくださってありがとうございます。
観賞後、細かい部分の感想と共に、「こんなに幸せなオタクはなかなかいない」とTweetしていました。
さて、ここまでが長い長い前置きです。
映画観賞中のこと。
ここまで書いてきた背景の中で幸せな気持ちで胸を膨らませて、私はその席に座っていました。
CMが一通り終わり、本編が始まりました。キングダムの世界観を説明するナレーションは重厚感があり、期待が膨らみました。
冒頭の映画オリジナルのシーンには戸惑いながらも日本映画とは思えない画面の良さに不安が和らぎ、主人公たちの生活を描くシーンに変わった頃には集中して映画の世界に入り込んでいました。
その時
ピカっ
左の席が眩く発光しました。
隣の奥様がスマホの画面をチェックする光でした。
すんっと高鳴っていた胸の音が消えたのを感じました。
私は映画の世界から弾きだされ、現実世界の、スマホを見る女の隣に座っていました。
その後も何度もスマホチェックをする女性に声を掛けようかなと思いました。しかし、私には映画館でこの作品を観賞する機会がもうありません。少しも見逃したくないし、聞き逃したくありませんでした。
注意をする間の数十秒、彼女の方を向き、口を開く。その間もスクリーンの中の時間は流れ続けます。なんと注意するか、棘のない言葉を考えることに脳を使う時間も必要だし、声を掛けて素直に謝罪してやめるとは限らない。後の鑑賞に支障が出るような反応が返ってくる可能性もあります。出来れば声を掛けたくありませんでした。
きっと連れの方が観たくて、あまり興味がないのに入ったんでしょう。スマホで何をチェックされているのかはわかりません。お仕事のことかもしれないし、緊急性のある連絡が来るかもしれない状況なのかもしれません。優しい気持ちで察してあげることはできなくはないのですが、私の中の幸せな気持ちは、スマホが光る度に萎んでいきました。
「私の好きなキャラクターが出てくるシーンが近づいてきている。出てきた後に光ったら声を掛けよう」そう思って、なるべく横を気にしないように心掛けました。幸い、その後彼女がスマホを出すことはありませんでした。
たかがスマホが光るだけ。目くじらを立てるほどこだわる人は気持ち悪い、そう思う人もいるかもしれません。
私もキレ散らかすほど怒った訳ではないです。その後、Twitterにも残念だった。運が悪かったくらいのテンションでTweetしただけだったと思います。
そんな事に執着して作品の素晴らしさへの感動が占める心の面積を縮小するのは勿体無い事ですしね。
でも、やりがちな人が知らないなら知ってもらいたいな。一緒に鑑賞している人の中にはその上映が特別な意味を持っている人がいるかもしれないこと。
知っててもやっちゃう人のことはもうどうでもいいです。
前々から自分のワンオペ育児からの鬱について、自己消化のためにどこかに吐き出したい欲求があった中、Twitterで映画観賞時のスマホについての話題をいくつか見かけたので。親にも甘えられない赤ちゃんが、インターネットユーザーに甘え散らかす愚行なのは承知の上です。
私の心の状態は随分良くなってきましたが、この話に対する反応を見る勇気はないので、書き逃げします。
カネカの件が炎上しているのを見て、自分の思うところを書いてみる。ネット上に長文を載せたことがないので、稚拙な文章申し訳ない。
家族の事情で日本を離れて数年経つが、日本に住んでいる間は一部上場企業のメーカーで技術総合職として10年近く働いていた。
その時に自分の中で考えていた事や出来事を思い出しながら書いてみる。あくまでも1例に過ぎないけれど。
8時台に帰るのも「もう帰るんですか、今日早いですね」みたいな会話になる。
そんな状態なので、キャリア的に過渡期の30代から40代の男性社員が1か月でも育休取るというのは本当に難しそうに見えた。
それでも全社で2,3人くらい取ったらしいとは噂で聞いた。
ではなぜ同じポジションでも女性が育休を1年取れるか考えてみると、結局、数の問題もあるかと思う。
女性総合職自体が全体の10%程度、技術系総合職に限定すると数%で非常に少なかった。
女性の産休育休は割とすんなり取れて、時短勤務の申請も出来たが復帰後が地獄。
実家サポートがないと子供に何かあった時、母親が保育園に急遽迎えに行くパターンになるが、周りがその人の仕事を全カバー出来るような人的リソースもない。
なのでどんどん仕事が積み重なって、心折れてしまいそうな彼女たちを見て、自分は話を聞くことしか出来なくて悲しくて暗い気持ちになった。
自分は女だが、そうゆうのを見ていると、結婚はまだしも出産後の自分の生活イメージが全くもって描けなかった。
女性の先輩方から、産休育休取得回数(要は子供の数になるが)が多いと密かに人事評価が下がってしまうという話も聞いた。
男性社員だったらなおさら年単位で育休を取るイメージなんて掴めないだろうなと思う。1か月ですら難しいのに。
せめて子供が生まれたばかりの頃に時短勤務とか取って早く帰れば、奥さんだって助かるだろうに、とさえ思っていた。
定時にすらなかなか帰れないしなぁ。そりゃ少子化にもなるよって思う。
自分の退職時には普通に未消化分の有給は貰えたし、年度末までいたのでボーナスも貰えた。
海外移住が想像以上にお金がかかったため、本当に助かったし今でも会社に感謝している。
私は転勤辞令がなかったので、同僚の話からにはなるが2週間後に突然辞令というのはなかったように思う。
国内の場合、少なくとも数か月くらい前から上司からいくことになりそうみたいな話はされるようだった。
海外の場合は1年から半年くらい前からっぽかった。赴任手当は結構貰えるらしいけど。
やっぱり転勤って家族にとって本当に物理的、精神的、金銭的にも負担になるよね。パートナーが同等に稼いでないと拒否は出来ないし。
色々あって今は現地のスタートアップ企業で働いてるが、ほぼ毎日定時で帰れている今の方が出産に対して少し前向きな気持ちになったような気がする。
私が働きだした頃はまだ家庭を顧みずにワーカーホリックであることは美談だったけれど、少しずつ変わりだしているような気がしている。
やっと問題だと世間が認知しだしただけだから、全然道のりはまだ長いけど。
個人の人生のターニングポイント(結婚、出産、介護、etc...)でお互いにもう少し寛容になれたらいいのにと思うけど、そんなに単純じゃないよね・・たぶん
やっぱり件の会社の対応は、自分たち労働者にとって厳しい方向に向かっているような気がする。
とりあえず日本社会が良い方向になることを願って、今年の夏(だったっけ?間違ってたらすみません)の選挙は在外投票を必ずしようと思う。
おやすみなさい。
1〜2年ごとに全国転勤を繰り返す人と結婚して2年が経つ。
結婚する直前、夫に転勤辞令がおりた。私は当時好きな仕事を正社員でしていて、すぐには辞めたくないなーと言ったら「じゃあ別居で」ってことで、一応2人が住める程度の家だけ構えて夫は単身赴任という体にし、別居婚で2年間すごすことになった。
でも、同棲0の別居婚、覚悟はしていたが結婚の実感はなかなか湧いてこなかった。夫もそれは同じだったらしい。
過ごす空間も時間もバラバラ。夫婦っていうより、貯蓄口座に毎月入金するATM2台になってた。なんで結婚したのか訳わからんなって感じ。
私のキャリアとか世帯年収とか天秤にかけて考えたけど、やっぱ一緒に住むかって結論に至って、夫の次の転勤に合わせて先月から一緒に暮らしてる。まぁ今いる土地は、私が住んでた所から飛行機じゃないと行けないくらい離れてしまったので、ちょうど良い機会だったと思う。
仕事を辞めたから当然今は専業主婦。パートは前職からの紹介でなんとかありつけた。専門性が高く、なり手も少ない仕事なので時給が高い。扶養枠を越えない為に週2日しか働けないのがもどかしい。正社員は夫の転勤があるし絶対無理。フルタイム5日働いたら働き損になるんだなぁ…。
夫は朝活人間なので朝4時半に出て行って、19時に帰ってくる。
朝ご飯は早すぎてお腹空いてないし会社近くで食べるからいらない、お弁当は好きなものを食べたいからいらないらしい。その分晩御飯はちゃんと作ってる。
掃除洗濯くらいは2時間もあれば終わってしまう。あとは本当に、やることがない。
夫が帰ってくるまでにそれなりに家が整っていればいいので、今私は12時に起きダラダラ14時までYouTubeを見ながらご飯を食べ、掃除洗濯と買い出し、ご飯を作って、ぼーっとまたYouTubeを見る生活を繰り返している。こんなんだから夜もちゃんと眠れない。いつものそのそベッドから出て、3時までゲームをして、またベッドに戻って無理やり寝てる。
夫は何も気づいてないっぽい。もし気づいたとしても何も言わないと思う。彼は良くも悪くも人に無関心だから。
専業主婦だからそんなに自由にお金は使えないし、週末に夫とやってる共通の趣味でかなりお金が飛んでいくので、こづかいも節約しなければならない。
週2日のパートもフルタイムじゃないし、家から10分のところで1人黙々と作業して帰ってくるだけだから、環境的には殆ど家と変わらない。
こんな感じでずーっと生きていくのかと思うと辛い。
時間は腐るほどある。生活費もそこまで困ってないし、貯金もある。義実家も今は近く、仲良しだし何も困ることはない。こっちに住んでる友達もいる。
夫は家事好きで週末はせっせと掃除をしてくれる。これだけ恵まれてるのに、何もすることがなくて、ただなんか最近虚しい。
子無しの専業主婦は皆んなどうやってこの虚しさを埋めてるんだろう。
まったくだわ。
しかも転勤辞令が合法だとしても、社員の有給申請を却下して強引に退社に追い込むのは完全に違法。
「ゴタゴタおこした社員じゃ再就職は無理」?そういう考えがはびこるから労基法違反でも会社の方針を忖度しないとダメなんて空気が満喫するんだろうが。
理由は長時間労働とそれに見合う賃金の不払い。要はずっとサビ残だったって話。月に70から130時間の残業が半年以上続いていた。無論体調を崩した。
直属の上司は既にこんな生活に慣れていたから問題とすら思っていないし所属部署の部長はこんなもんで潰れるなんて甘いなんてスタンスで飲んでたコーヒーの紙コップをこっちに投げつけてきたくらいなので俺の心はもう決まっていた。
幸いというかなんというか、年度末の有給消化はしろという直属の上司の計らいで有給は取得できたのでその間に面接に行って次の会社は決めた。思ったよりあっさり内定が出た。
そうして退職届を出した。
自分自身知らなかったが社長は新卒が一年足らずで辞めるのを快く思っておらず辞めさせたくないために部署移動をするということだったが、出すものは出してしまった。
移動先の部署の部長も前述の考え方の持ち主だったのでもうどうでもよかったが、3/30に退職届を出して翌週月曜に入社式兼辞令交付式で全社員の前で事例を拝命するのは奇妙な感じだった。
ようやく本題だが
何故か凄く胸が痛い。
転職を決めて四月の大半は有給消化だと言っても、それまでの間は出勤しなければいけない。要は今週は出勤して来週からは有給消化で月末の退社日までは出社しなくてもいいってアレだが
俺も人の子である以上、もう既にこの会社の一員じゃないのにここにいていいのかという感覚。そして一応有給消化までの間座ってるだけじゃ…と配慮してなのか、そうじゃないのかわからないが、雑用に近いが仕事を与えてくれる他の社員の優しさ(?)に触れるとすごく心が痛む。
どうせ辞める会社だしと不躾な態度には出れない。言われたことはこなしていく。そうしていくなかで本当に辞めてよかったのか?という感覚も生まれてきて板挟みにあう。
苦しい。
そりゃ労働条件は悪かったが人間関係が特別悪かったわけじゃない。
部長クラスの人間と折り合いは付けられなかったが直属の上司はまだ話だけは聞いてくれた。理解は及ばないようだったが。
同期にも恵まれたほうだ。もっとも俺に影響されたのか俺の数か月後に辞める予告をしているが。
正直言葉にし辛いがずっと、退職届を出してから胸が痛くて吐き気までがするくらい苦しい。
こんな会社辞めて正解だったはずなのに
少なくとも労働基準法を守っている転職先に決まって安心できるはずなのに
何がよかったんだろう。悪い条件の中働き続けるのがよかったんだろうか。
やりがいを劣悪な労働条件のオブラートとして使う会社に勤めるのがよかったんだろうか。
まだわからない。