はてなキーワード: 辞令とは
年齢だけいってる無能が俺
新部署を立ち上げたら上司は次の部署に行き、管理職は自分に任せる予定だったらしい
一年経ったタイミングで昇進させる予定だったんだけどなぁ、と酒の席でポロリとこぼした
知っている限り有能だし人格もできている
自分が管理職に近い要素は、年齢と勤続年数、上司との関係値ぐらいで
横並びで始めていたら業務をよりこなせるのは後輩達だろう
スペシャリストでもない、器の小さいジェネラリストの自分にはそんな部分はない
むしろ、普段の業務で普通の人ができる部分で自分の苦手部分が見えやすく、
一プレーヤーとしてだったらそれなりに自分の範囲でこなしていればよかったものを、
管理職になるのであれば人と比べてできないといけない
腐ったことをいうのであれば万年プレーヤーで良かったとすら思う
最終的にどうなるかは分からないが、自分が管理職にされる辞令が下るんだろうと思う
その期間中後輩に駄目なとこを一切見せないのは無理だ
休日返上で何かを準備しないといけなくなるだろう
「年功序列」という悪しき習慣のせいで自分にばかり負荷がかかる
後輩に馬鹿にされながら、不満に思われながら会社で過ごすなんてしたくない
逃げ出したくてしょうがない
ここ十年くらいで火星人の社会進出などで職場に火星人が増えたが、あいつらのきなみ「自分の都合」しか考えない
独身火星人、しかもアラ五光年以上になると、「この星を辞めると自分は生きていけない」という気持ちがあるのか甘えたことは言わないんだが、「嫌になったら辞めればいいや地球人の稼ぎがあるし」という
甘えがある既婚はマジでクソ
なんか口から卵出す段階になってから言うなよ。生殖できるって分かってたら来期の人員配置を考えることができるのにおせーんだよ
部署に一人増員することになって、増員される理由も説明して、てめえの仕事も説明したのに、一年もしないうちに「地球人と結婚するから辞めます。一緒に星、滅ぼすつもりでした」とか。しかも「もともと地球とかに興味なかったし」
だったら地球来たときに言えよ。だったら他のサイヤ人配属させたわ。
ほんとこんなんばっか!
てめえはそれでいいかもしれないが、「なんでそういうことを半年前に言わないわけ?決まってたんだろ?」ってのマジ多過ぎ。
この星を滅亡させる可能性もあるかもしれないので、と事前に言ってくれる。自分の星なのに。
転勤の話が出る前に、「実は星の調子がXXなので転勤辞令出てもいけないかもしれないのでお伝えしておきます」等言ってくれる。
巻き添え食らって突然太陽系から外されたさせられた冥王星とかマジかわいそう。
ここ十年くらいでエネマグラの社会進出などで自室にエネマグラが増えたが、あいつらのきなみ「前立腺の都合」しか考えない
独身エネマグラ、しかもアラフォー以上になると、「ここを押されないと自分は生きていけない」という気持ちがあるのか甘えたことは言わないんだが、「嫌になったらキめればいいや嫁のディルドがあるし」という
ケツアクメするのに空気読めとは言わねえよ
なんかアへ顔ダブルピースなってから言うなよ。マジイキするって分かってたら来期の人員配置を考えることができるのにおせーんだよ
部署に一エネマグラ増員することになって、増員される理由も説明して、てめえの仕事も説明したのに、一年もしないうちに「エネマグラを挿入するからキメます。一年前に貞操帯されてました」とか。しかも「マジイキしたら舐めるつもりだった」
だったらリモコンバイブの時に言えよ。だったら他の奴挿入させたわ。
ほんとこんなんばっか!
てめえはそれでいいかもしれないが、「なんでそういうことを半年前に言わないわけ?キまってたんだろ?」ってのマジ多過ぎ。
こういう可能性もあるかもしれないので、と事前にイってくれる。
転勤の話が出る前に、「実はムスコの調子がXXなので転勤辞令出てもイけないかもしれないのでお伝えしておきます」等言ってくれる。
あいつら、前立腺とアナル以外はどうでもいいと思ってんのかよ。
巻き添え食らって突然挿入させられたエネマグラとかマジかわいそう。
そういう可能性があるって事考えたら事前に言えよパーる
ここ十年くらいで男性の社会進出などで職場に男性が増えたが、あいつらのきなみ「自分の都合」しか考えない
あと嫁と子供。
独身男性、しかもアラフォー以上になると、「ここを辞めると自分は生きていけない」という気持ちがあるのか甘えたことは言わないんだが、「嫌になったら辞めればいいや嫁の稼ぎがあるし」という
甘えがある既婚はマジでクソ
なんか腹がでかくなってから言うなよ。産休取るって分かってたら来期の人員配置を考えることができるのにおせーんだよ
部署に一人増員することになって、増員される理由も説明して、てめえの仕事も説明したのに、一年もしないうちに「彼女と結婚するから辞めます。一年前にプロポーズされてました」とか。しかも「結婚したら辞めるつもりだった」
だったら部署異動の時に言えよ。だったら他の奴配属させたわ。
ほんとこんなんばっか!
てめえはそれでいいかもしれないが、「なんでそういうことを半年前に言わないわけ?決まってたんだろ?」ってのマジ多過ぎ。
これが女ってそんなことないんだ
こういう可能性もあるかもしれないので、と事前に言ってくれる。
転勤の話が出る前に、「実は親の調子がXXなので転勤辞令出てもいけないかもしれないのでお伝えしておきます」等言ってくれる。
男はほんときがきかねえ。
巻き添え食らって突然転勤させられた独身男性とかマジかわいそう。
ここ十年くらいで女性の社会進出などで職場に女性が増えたが、あいつらのきなみ「自分の都合」しか考えない
独身女性、しかもアラフォー以上になると、「ここを辞めると自分は生きていけない」という気持ちがあるのか甘えたことは言わないんだが、「嫌になったら辞めればいいや旦那の稼ぎがあるし」という
甘えがある既婚はマジでクソ
なんか腹がでかくなってから言うなよ。産休取るって分かってたら来期の人員配置を考えることができるのにおせーんだよ
部署に一人増員することになって、増員される理由も説明して、てめえの仕事も説明したのに、一年もしないうちに「彼氏と結婚するから辞めます。一年前にプロポーズされてました」とか。しかも「結婚したら辞めるつもりだった」
だったら部署異動の時に言えよ。だったら他の奴配属させたわ。
ほんとこんなんばっか!
てめえはそれでいいかもしれないが、「なんでそういうことを半年前に言わないわけ?決まってたんだろ?」ってのマジ多過ぎ。
これが男ってそんなことないんだ
こういう可能性もあるかもしれないので、と事前に言ってくれる。
転勤の話が出る前に、「実は親の調子がXXなので転勤辞令出てもいけないかもしれないのでお伝えしておきます」等言ってくれる。
女はほんときがきかねえ。
巻き添え食らって突然転勤させられた独身女性とかマジかわいそう。
二十代後半で乳がんが見つかった。
乳腺症のひどい胸をしていて、二次性徴が見られるころからずっと胸が痛かった。
二十代半ばをすぎたころから何となく胸全体が柔らかくなった気がしていたけれど、
よく触ると固い部分があるからやっぱり自分の胸はこういう胸なんだと思った。
巨乳にあこがれて、理想はEカップだったけれど、長い間Cカップだった。
がんが見つかる2,3年前に下着屋さんで測ってもらったらDカップになっていた。
Dカップも小さくはない部類だなとのんきに考えてはいたけれど、
しこりが大きくなってきているのは薄々感づいていた。
自然と乳がんの話になり、乳がんは肉まんの中に梅干しのタネが入っているみたいな触り心地らしいよ、と、年上の同期が言った。
肉まんの中に梅干しのタネ入ってるのなんか触ったことないですよね~、と、呑気なフリをしていつもの通りおちゃらけて私は返事した。
実は私の胸にもしこりがあるんですよ~、触ってみます?と、いつも通りの雰囲気で、しかし内心焦って続けた。
胸のしこりは、想像の中にある肉まんの中の梅干しのタネに触り心地がそっくりだった。
彼女たちは触らず、微笑みながら言った。
帰国して約一か月、土曜日にトイレでぼんやりしながら、そういえば、と思い出した。
何となく人気らしい病院を選んだ。院長が講演活動なんかもやっているらしい。
電話がつながったものの、案の定、初めての患者は一か月くらい診てもらえないと応答した女性は言う。
「しこりがあるようなら、うちじゃなくても良いんで、一刻も早く診てもらってください」
あまりにも真剣な声だった。電話で問い合わせただけの相手に言うにはあまりにも真剣だった。
予約がとれなければ面倒だからやめとこう、そう考えていた私に次の病院へ電話をかけさせるには十分すぎる熱量だった。
仕方なく次の病院に連絡をしたら、その日のうちに検査ができた。
マンモグラフィーは痛いものだと健診で受けたことある友人から聞いていた。
それにしても痛すぎるのではないか。
それまでの人生、私は自分が痛みに強いのだと思って生きてきた。根拠があるわけではないのだけれど。
しこりのある胸を挟まれた時、あまりの痛みに体が震えて、冷や汗が出た。
検査技師のお姉さんに肩を抱かれて、一旦休憩しようかとベッドに座らされたときにパニックになりそうだった。
こんなに痛い検査が侵襲性のない検査とされているのがおかしい、どうかしている、
痛みを我慢できなくて恥ずかしい、情けない、あまり働かない脳みそを使ってぼんやり考えた。
しこりの少ない胸を検査された時も痛かった。だけども反対側より随分と楽に思えた。
自分の名前を呼ばれて診察室に入った時に、お医者さんからかけられた第一声は「大丈夫?」だった。
大丈夫ではなかった。血の気が引くとはこういうことをいうのかとしみじみと考えた。
そういう知識は持っていた。普通の会社員として働いてはいるけれど、学校で習った。
エコーでお医者さんが見せてくれたしこりは、もこもこしたクリームパンのような形をしていた。
お医者さんは、難しい顔をしている。モデルのように美しい女医さんだ。
良性の腫瘍の表面はつるりとして、悪性の腫瘍はデコボコしている。
そういうことも学校で習った。
これがもしも何ともなければ、がん保険に入ろう。
だから大丈夫だ、言い聞かせるように胸の中で何度もつぶやいた。
医師の友人に連絡をとった。
友人はマンモグラフィー読影の講習を受けたばかりだから何でも聞いてくれといつになく自信にあふれていて、
エコーがこうで、というと、段々と友人の返信に元気がなくなってきた。
当時、転勤になったばかりで、それまでとは全く別の職種にコンバートされていた。
それまでは暇で仕方なかったのだけれど、打って変わって忙しく
新しい職場は単身赴任のおっさんばかりで、慣れない環境に日々翻弄されるばかりだった。
登録していない番号に胸騒ぎがする。折り返すと病院に繋がり、すぐにお医者さんへと代わった。
電話で細胞診の結果を言うことはできない。でも詳細に検査がしたいので予約時間を変更してほしい。
結果を言うことができないも何も、それは告知のようなものではないのか。
人生を揺るがすほどの言葉を、私は残業中に、会社の非常階段で受け取った。
診察室で細胞診の結果を見た。
あまり詳しくはないけれど、学校で見たことのあるような悪い顔をした細胞が並んでいた。
バコラ生検といって、皮膚を切って漫画のような太い針をした注射器のようなもので組織を吸い上げる。
局所麻酔を打つ。痛みがありますよ、なんてお医者さんは言ったけれど、マンモグラフィーの方がよっぽど痛い。
検査をしてくれた個人病院ではなく、大学病院へそのまま紹介状が書かれた。
色々な説明を受けた。
詳細な検査なしにはわからないけれども推定されるステージ、予後、タイプによる治療方法の違いや色々。
がんのサイズは3cmあったので、ステージⅡ以上は確定だと、悲しい顔で告げられた。
「先生、すぐ治りますか」お医者さんにバカみたいな質問をした。
「うん、すぐに元気になるからね」お医者さんは、今思えばとんでもない嘘つきだった。
大学病院での検査の結果、私はホルモンレセプター陽性、HER2タンパク陽性だった。
簡単にいうと、乳がんの治療薬に対して感受性が良いから治療しやすいタイプだ。予後も非常に良い。
その時は、結果に対して良いことだと感じた。
しかしそれが不幸なこととだと後々思い知る。
術前に二種類の抗がん剤をし、術後に放射線治療とホルモン療法をする。
卵巣の保護とがんの発育を防止するために女性ホルモンを止める注射を打ち
手術は、温存できそうであれば乳房は温存、シリコンは30年で入れ替える必要があるからおすすめはされなかったので
術中にすべてが終わる、同時再建となる。
私の乳がんは治療効果が出やすい。出やすいということは、可能な限りの治療法をすべてやってしまうということだ。
予後が良いことと、元気に余生を送ることは違う。
若いから体力がある、回復が早い、とあまり知識のない周りは言う。
元々同い年の友人と比較しても筋肉痛になりやすく新陳代謝の良かった私に副作用はてきめんに出た。
2,3回の抗がん剤でがんは柔らかくなり、一種類目の抗がん剤を終えるころには触れることさえできなくなった。
それでも、標準治療という、乳がんに決められた治療は命に関わる副作用でもない限り続けられる。
味覚障害にならなかったことで体重はどんどん増えていってしまった。
病気のストレスでどんどん食べる。抗がん剤の副作用の吐き気がおさまれば、
副作用止めのステロイドのせいで食欲がとどまることを知らない。
乳がんです、と職場に言えば早期と言った覚えもないのに早期のがんの扱いをされる。
実際に早期の分類ではあるものの、どうせ早期なんだろ、と軽くみられるのは納得いかない。
咳が止まらない風邪のおっさんが、俺もガンかな、と独り言を言う。
病人扱いはしない、と言われたけれど、仕事は当たり前に1人分用意されていて
懇願しないと手伝ってもらえない。
確定診断の前、がんかもしれないと連絡したらいつもお前は私たちを驚かせてばかりだとなじられた。
そのあとに、あんたが落ち込んでると思って、と電話をかけてきた母に優しさは感じたけれど
最終的にはがんは自業自得だと罵られて終わった。
突然健康と容姿を奪われてしまって、なおかつ職場と家族の理解が伴わない、そうなると当然頭がおかしくなる。
手術はうまくいった。乳首も残せた。傷跡も自分ではそれほどは気にならない。
少しずつ萎縮しているようで、元々がん抜きにしても健側の乳房より大分おおきめだった乳房がかなり小さ目になっている。
それでも医療機関で新しいスタッフに出会うたびにきれいだと褒められる。
術後4年とそろそろ半年がくるが今はがんのためには何もしていない。
時期的にはそろそろ寛解といっていい。
手術痕はきれいなものの、剥がれた背中の筋肉や、弄り回されて傷ついた神経は軽い疲れや天候不順で大いに痛む。
この手術がうまくいっていないようで周辺のスジがひどく痛むし、こうしてキーボードを打っていても
薬指や小指のあたりに力が入らない。
抗がん剤で傷ついた手の表面の神経はいまだに感覚が怪しく、ざらざらした布を撫でると奇妙な不快感を覚える。
足も不意に菜箸でつつかれるような痛みを覚えるときがある。
私は元々婦人科系のホルモン疾患があって、ピルを飲まなければ日常生活を送ることすら困難だった。
しかし、ホルモンがエサになるタイプのがんだから使用することができない。
ホルモンの乱れ、心身に蓄積したダメージ、見た目が元気そのものだからこそ理解されないタイプの不調を抱えている。
こんな体調だし、あまり弱みを他人に見せることが好きではないから彼氏はいない。
太ってしまったものの、髪の毛は生えてきているし、我ながら顔は普通レベルには整っている方だと思う。
だけれど、結婚して、子供を産んで、ということは私には夢物語だ。
人生で一番色恋にうつつを抜かさなければならない5年間私はひたすらに体調が悪くて自分の世話さえままならない。
がんが連れてきた不調によっては死に至ってしまうかもしれない。
幾度も孤独な夜を越え、みじめさと苦しさと痛みに、毛のない頭を抱えてもだえ苦しんだ。
粘膜が弱って、鼻が蛇口になったのかと思うほどの量の鼻血が出たこともあった。
ホルモン療法を始めてすぐはひどい鬱状態に陥り、首を吊りたい欲求を抑えることに必死になった。
それと比べれば瞬間最大風速は今の方がぬるい。
でも、終わりもないし先が見えない。
次にがんができたら、そう、一度でもがんを体験したことのある人間なら頻度はともかく頭に浮かぶだろう考え。
できれば死にたい。
何もなくて、安心を得る人もいる、見つけて、切って、はいおしまい。で済む人もいる。
でもそうでもない人もたくさんいることだろう。
そもそも私は乳がん検診適用の35才より若くに自分で病院にかかったから
がんサバイバーがエネルギッシュな姿をさらすことは勇気を与えるかもしれない
でもサバイバーがエネルギッシュにならなければいけないという無言のプレッシャーがある。
現に、私の母は新聞で見た乳がん患者はこんなに元気なのに、あんたはいつまで病人気取りなんだと叱責してきた。
元気がない人にも声を上げさせてほしい。
下手にがんが見つかるとこういう辛い思いをして、死ねずに生きる羽目になる。
だからそれでも生にしがみつきたい人だけが検診をする覚悟を持てと。
やさぐれて、どうしようもなくて、地の底を這いずり回って泥水すするような気持ちで毎日を送る羽目になるぞ。
末期で見つかっていれば、大事な人にありがとうと、嫌いな人へ呪詛を伝えて心軽く天国だか地獄へ行けていただろうに。
病気になる前よりずっとずっと性格が悪くなってしまって悲しい。
長い長い、そろそろ自分を乳がん患者と呼ぶのにためらってしまう三十路女の独り言。
たくさんの方に愚痴に付き合っていただけたことに、少し気分がすっきりしました。長くてすみません。
Amazonの欲しいものリスト!?公開したら物をいただけるの!?さもしい私は飛びつきそうになりましたが、三十路レディなので澄ました顔で見ない振りができます。
お肉食べたい!不眠改善のために良い寝具欲しい!楽して痩せるダイエット器具!
…物欲は止まることを知りませんが、あなたの周りの少し元気がない人に美味しいご飯やおやつをごちそうしてあげて下さい。
回り回っていつか私がご相伴に預かることになるかもしれません。
◆母のこと◆
クソ!母親が!!うちひしがれている娘に!!!そんなことを言うだなんて!!!と、当時発狂しそうに悲しんだんですけど、母も恐かったんでしょう。
恐がりなんです、恐がってる自分を受け入れられなくて、私に当たることしか出来なかったんだと思います。
今も、私が一刻も早く普通に戻れることを期待しています。私の体調が悪いこと、気持ちの落ち込みがあること、すべてを気の持ちようで片付けようとしています。
私は、母の中では病人であってはならないのです。あって欲しくないのです。
だからと言って、娘に言って良いことと悪いことの区別がついていない理由にはなりませんが。
母は、母なりに私に愛情を持っていることだけは誤解されたくなくて追記しました。
内弁慶で臆病なおばさんなんです。
ちなみに、近親者で乳がんは父方の祖母(60代発症)だけで、姉も、おばや従姉妹、その他男性、他に誰も乳がん患者はおりません。
◆職場について◆
国家資格は取得しているものの、勤めている会社ではその資格を使ったお仕事はしていません。
ですので、デリカシーのないおっさんらもあんまり医療知識がないです。
とは言え、どう考えても非情な対応をされたことは間違いありません。
もっと貶してください。
叩いて下さい。
あの頃耐えて笑っていた私が報われます。
今は優しい人達の多い職場に転勤しています。仕事にも人にも恵まれています。
泥水をすすりすぎて、濾過した雨水うめぇ!水道水最高!って言っている状態なのかもしれません。
分子標的薬で心不全症状がガンガン(乳がんだけに)出ていた最中に引越しを伴う辞令を出した会社には多少わだかまりはあるものの、結果オーライで職場環境は確実に改善されています。
それでも体が辛いものは辛い。
そうなんです、八つ当たりなんです。
わかっているんです。
気軽に乳がん検診に行こう、それで簡単な処置で助かる命がある、それは尊いことなんです。
ファッション感覚でピンクリボン、ウェーイ!としている女子が妬ましいんです。
ウェーイしている女子がいるからこそ気軽に検診が出来る、それが本来の目的なんでしょう。
ただ、若年性乳がんって、乳がん全体のほんの数%なんです。貧乏くじ引いてしまった感が否めないんです。
元々ちょいちょいツイてなかった私が、こんな所でもツイてなかったかー、と。
妬ましく思っても許して下さい。
エネルギッシュに闘病体験を語って、良い感じの活動をしている先輩サバイバーを見て、そうはなれない(なりたい訳でもないけれど)不定愁訴がしんどいんです。
残っている後遺症のようなものも障害レベルではなくて、1個1個は誰しもが抱えている何らかの不調なのかもしれません。
不調の数が多すぎて、歯車がガタガタで、支える気力も尽き果てた状態が今の私です
ぶっ飛ばさせて、レッドリボン軍だか、クリボーだか、びっくらぽんだかのアイツを。匿名のこの場でくらい。面と向かっては、きっと吐き出せないので。
優しい言葉をありがとう、長い愚痴に付き合ってくれてありがとう。
嵐のような感情の発露は鍵付きのTwitterだけで行っていました。
初めて書き散らしたこの場で、思いもよらずたくさんの方に見ていただけて、嬉しく思います。
大好きなアーティストに懇願して(服の上から)触って貰ったことあるので、本体の私は乳のせいで地獄のクソ煮込みをわんこそばで注ぎ込まれている割に、乳だけは世界で1番幸せ者かもしれません。
転勤の議論に関する記事が湧いて出てくるのは別にいいんですけど、議論が自分の思う問題とちょいと違う方向に向いてると思うのです。
自分は転勤族でおよそ3〜4年単位で地方間転勤をしているんですが、それは入社前から分かっていたので、それ自体は文句があるところではありません。
奥さんも専業に何も違和感のない考え方を持つ人を選んだので、家のことは妻任せ、旦那は仕事を頑張るという家庭です。
仕事をして10年になるのですが、最近、転勤に関してちょっと損だなぁと思う部分があります。
それは共働きを理由に出世や転勤を拒否した方が「おいしい」世の中になってしまったことです。
これまでの流れで共働き家庭には多大な優遇が取られてきたと思います。
世帯収入という面ではあまり出世しなくても十分に暮らせるのが共働きですが、
保育であるとか、残業の問題などで現実的には大変負担のある生き方であったと思っています。
また、ダイバーシティの運動から家庭を理由に辞令を拒否することが認められてしまったことで会社人生における生きにくさも解消されてしまいました。
その結果、転勤で確保できる収入的アドバンテージは相対的に大変小さくなってしまったなぁというのがモヤモヤポイントその1です。
海外転勤などは、収入において未だに多大なアドバンテージが確保されていると思いますが、会社にとって転勤というものが重要であるならばもっとアドバンテージを付けるべきではないかという議論があっても良いのではないでしょうか?
そして、モヤモヤポイント2は自分の奥さん達、専業主婦に対する評価です。
自分で言うのも何ですが、うちの奥さんは山内一豊の妻と言いたくなるくらい、家のことや、付き合いをしっかりやってくれる出来た嫁です。
こういう専業主婦が共働きを推進する世の中ではどんどんディスられているように感じるのです。
女性の労働参加が賛美される中で家の中にいる女性は無産のように扱われていないですか?
自分は家事などが苦手で、家では休日の洗濯くらいしかしません。
そこを奥さんがバックアップしてくれるから仕事で頑張れるのです。
つまり、自分の働きざまは1人による成果ではなく、2人による成果なのですが、経済的な視点ではそういった部分が無視され、専業主婦の社会的メリットが一切話題に出ていないように思うのです。
働け!働け!と世間様が言うのはわかるのですが、今の議論はどこか偏った方向性に導かれた議論だと思うので、もっと多様な方向に議論を拡散させていただければなぁと思います。
もともと東京で働きたかったわけじゃない、でも若手で期待されているのを知ってたしキャリアアップになると確信して部署異動も含めて辞令を飲んだ、後悔はしてない。
でも転勤して、上司の期待通りのことは何一つ出来なくて、オペレーター仕事しかできず、なんのために転勤したのかダンボールだらけの部屋で毎日涙目で自問自答した。
満員電車と人の多さが怖かった、誰かとご飯を食べることが減り、醤油がしょっぱくて食パンが薄く、空気が乾燥していて、物価が高く、なにより東京は寒かった。
大雪の日の夜、しんしんと積もる雪を見て感じたのは薄い恐怖だった。このまま振り続けたら、生き埋めになるのでは。
朝起きて一面真っ白で深く雪に埋もれた景色を見て叫びそうになった、会社を休んだ、布団の中で泣いた、こんな遠くに来るつもりなかったのに。溶けない雪が死ぬほど怖い。
生まれ故郷は地面そのものが温かくて雪が降ってもすぐ溶けてしまう、温暖な気候、硫黄の匂いのする街だった、嫌な思い出もあるけど心底帰りたいと思った。
でも帰ってどうするの、私の席などないのに。どんな顔して帰るの。不様だ。
ふとした瞬間に生まれ故郷の方言がもう出てこない、かろうじて、関西の方?と聞かれる、笑って違いますと答える。
頭に靄がかかってる、朝きちんと来てくれるだけでいいんだ、きちんと来てから先の話をしようと上長は優しく諭す。チームのみんなが心配して代わる代わる声をかけてくれる。分かってます、色々試行錯誤してて、上手くいきそうな途中なんです、新しい枕を伊勢丹で買ったんですよ、そんでアロマデュフューザーで快眠のやつ焚いてるんです、大丈夫です、大丈夫ですよ、頑張ります。
産業医は鬱じゃないと言った、そうですちょっと生きづらくてホームシック引きずってるだけです、もともと根暗でロングスリーパーだし、朝は弱くて、生理痛と胃痛もあってちょっと今タイミングが悪いだけです。7時には目が覚めてるんです、頭に靄がかかってるだけで、上手くスイッチが切れたら始業に間に合います。
恋人にフラれた。その後仕事で急に転勤の辞令が出て、ど田舎から関西某所に住まいを移すことになった。失恋と転勤。こちらに知り合いは1人もおらず、職場と家の往復の日々。
さみしさや心細さからアプリに登録して、そこで出会った人と一回セックスした。
その後、会おうよーなど連絡がくるも、「じゃあどこでします?」「待ち合わせは」と具体的に聞くと「今日は疲れた」「家に着いてしまったから」などはぐらかされ、結局1回目以降会ってない。
そのくせ、「会いたいなー」とか「××してほしいな」とか気まぐれにメッセージが来る。完全にいいように弄ばれてる。今日も会う予定だったけど、「たたなそう」と来て結局会わず。身体もメンテナンスしたのに。どこ待ち合わせでも対応できるように乗り換えに都合の良い街にいたのに。
バカ女だな、と思いながら終電を逃して、マックで時間を潰していたけど、そんなに若くもないし、始発まで白光りした空間にいるのは身体がきつい。
あたたかい空間で横になって寝たい。と思って試しにナンパスポットと呼ばれる通りを歩いたら1人の男の子に声をかけられ、腕を引っ張られた。「ホテル行こうや」というシンプルで情緒もクソもない誘い。でも私の目的だって大概だしお互い様だ、と最低限「えー、でもお」とか躊躇うふりをして、着いていった。向こうも比較的すぐ応じた私に「よく、よう知らん男についていこう思うな」と驚きと共にちょっと引いていた。私も、こんなにたやすく寝る相手って見つかるんだ、とびっくりした。都会すごい。人口の多さ=選択肢の多さ、である。
体温が異様に高い人で、カイロみたいだった。セックスは普通。一通り終わったいまは首を無防備にさらし、眠っている。喉を掻っ切って、殺そうと思えば殺せるな、と思う。それはもちろん私も同様に殺される可能性があるということでもある。
すやすやと眠る彼の様子は、とてもかわいい。きっともう会わないだろうけど。ホテルの清潔なベッドで眠れて、あたたかくて、幸せ。お互い欲に突き動かされて、誰でもよくて、きっと私が朝違う人になっていても彼は恐らく気づかないだろう。偶然タイミングが合って、性器を接合させ、朝まで一緒に眠る。この日だけのための利害が一致した関係。
多様性ということについてみなさんも昨今様々に課題と向き合っておられるだろうとおもいます。
そして寛容ということの難しさ(自分の対峙する課題を口にすることすら難しいこともあるでしょう)を痛感することとなった方が少なからずいらっしゃるのではと想像します。
就業中に役場の公務端末でパチスロや世間話や幼い女の子の動画に魅入ることを抑制することのできない男性同僚と、同じ職・地域・隣家で任務の遂行がどのように可能なのか(私の主な任務は赴任地域が安心安全で魅力的な育児環境を有していることを広報することによって地域の次世代問題に対処すること)。予想しなかった(この事が課題であると感じる私の感性を過敏であると受取る方のあることを認識することも含め様々な) 事態に私なりに(本来任務に邁進する傍らではありましたが)全霊で取り組んだのですけれど進捗が遅々とする中で年度末が迫りました。行政の納得のいく対応あるいは私の赴任地の変更がなければ公務を続けることはできないというのが私の考えでしたが、3月も終える間際までその方向性は見えてきませんでした(対応が形になるまでの報酬を頂かない休職も提案しましたが、かないませんでした)。対応の中で私の契約形態である特別職非常勤の公務員は一般労働者としても公務員としても法的な枠組みから外れていて職場での公的な仲裁の支援を受けることが出来ないこと─それは公務員の守秘義務等を記した公務員法の枠外であることでもあります─を知ることにもなりました) 。
私は新たな一年を真剣に公務に邁進する決意表明としての首長からの辞令の受領を行いませんでした。
この決断は公務に就くものとして(昨年8月不退転の決意で職に臨んだのではありましたが私の決意などそれほどの重力を備えてはいなかったことになります。私の職務の予算は特別地方交付税の対象でしたので全国のみなさんの税金から報奨を頂く身でもありました) 、また地域で接してくだすっていたみなさんへの私なりの誠意の示し方でもありましたが、 その結果現在私は公の職になく、よくして頂いた地域からも既に離れ(住居も職務とセットでした)数ヶ月が経っています。
私はこの課題を解決したり正しく問題提起したり寛容する度量を持ち合わせていませんでしたし、現在に至ってもわかりません。
いま、私は新たな場所で、より私らしさに眼差した小さな生活を始めています。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S25/S25HO261.html
■総 行 公 第59 号 平成26年7月4日
首相動静―4月26日
8時52分、官邸。53分、谷内正太郎国家安全保障局長、外務省の秋葉剛男外務審議官、正木靖欧州局長。
10時4分、吉野正芳自民党衆院議員。27分、報道各社のインタビュー。57分、皇居。内奏、吉野氏の閣僚認証式。
12時1分、官邸。 11分、吉野氏に復興相の補職辞令交付。記念撮影。39分、東京・永田町の憲政記念館。50分、日本国憲法施行70周年記念式典の植樹式。
14時1分、谷内国家安全保障局長、北村滋内閣情報官、石兼公博外務省総合外交政策局長、防衛省の前田哲防衛政策局長、河野克俊統合幕僚長。
15時12分、読売新聞のインタビュー。49分、高村正彦自民党副総裁。
16時29分、北村内閣情報官。53分、外務省の秋葉外務審議官、正木欧州局長。
17時8分、鈴木茂樹総務審議官、外務省の秋葉外務審議官、正木欧州局長、松島浩道農林水産審議官、片瀬裕文経済産業審議官、田端浩国土交通審議官、真部朗防衛審議官、武内良樹財務省国際局長。
38分、麻生太郎副総理兼財務相、財務省の佐藤慎一事務次官、浅川雅嗣財務官、武内国際局長。
18時48分、東京・銀座のオーストリア料理店「銀座ハプスブルク」。葛西敬之JR東海名誉会長、清原武彦産経新聞社相談役と食事。北村内閣情報官同席。
http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/4ab82ffd0fc5504804ceabdb07eba5fd
日本企業でもっとも出世するタイプは「偉い人から無茶振りされて、それに応えようと頑張る人」であるようだ。
ここでポイントは3つ
無茶振られるには隙が必要だ。能力の割に出世の遅い人は、この隙が無いからである。
上司からみて仕事を頼みづらい、頼んだ範囲は完璧にこなしてくれるが、完璧な分「あぁ依頼範囲をもう少しはみ出して、あそこまでやってくれたらモアベターなのになぁ」という上司の高望みのサイクルに入ってしまうからだ。そして、この上司とコミュニケーションをとらないと、いつの間にか高望みであることが忘れられて「デキるんだけど、もう一歩が欲しいんだよなぁ」という評価になってしまう。
隙がそれなりにあり、いじり甲斐のあるビジネスマンを演じるのが、出世への近道である。
結果を出さなくてもプロセスで評価してくれるのが日本企業の良いところである。「結果を出さなきゃ」という追い込み方は、あまたの無茶振り型上司達の中で生き抜くことは難しいので、「一生懸命努力しておけば、上は分かってくれる」程度の気持ちで仕事に取り組むことが大事である。
プロセスが重要であるから、頑張っている姿を見せなければならない。しかし、ここで注意したいのは、無茶振られたことに関してのみ頑張る姿を積極的にみせることである。それ以外の頑張ってますアピールは「こいつの仕事してますアピール、うぜー」という印象を上司に与えるだけになってしまい、逆に出世を遅らせることになる。
無茶振られたことに関して頑張る姿のみせ方の王道は、無茶振ってきた上司への頻繁でカジュアルな相談である。このとき、無茶振られたことに対する熱意と、「精一杯考えたんですけどここがどうしても乗り越えられないんすよ…」という泣きを混ぜ、巧妙に上司を頼り、巻き込むことが求められる。
職場に左遷されてやってきたおっさんがいる。便宜上、増田さんとよぶ。
増田さんはすごく素敵な人で、増田さんのことを考えると、はればれと自由な気持ちになる。
今日はなんだか自分にはなんの価値もないような気分になっているので、必死に増田さんのことを考えている。
さっきも書いたけど、増田さんは左遷されてやってきたおっさんだ。
かつては現場最前線でバリバリやってたらしい。けど私は知らない。
私が知ってる増田さんはすでに、文房具の補充とかしているおっさんだった。
でも増田さんの席はなぜかけっこう偉い人の近くにあって
増田さんは優しい。
たとえばこんなことがあった。
私がちょっとやらかしてしまって、オーダーメイドの部長に報告しなきゃいけないとき
「ミスっちゃいまして…報告用紙どこでしょう」と増田さんに聞いたら
「だいじょうぶ。私が一緒に謝りにいきましょう」と言うのである。
でも増田さんはマジで一緒に来てくれて、うしろで「はい、がんばって!」とか応援してくれた。
部長は「お、おう」となっていた。
最近気がついたのだが、業務的な共有事項が貼り出される掲示板に
あれは増田さんの掲示板だった。そう気づいてからは毎日チェックを欠かさない。
そんな増田さんだけど、左遷が決まってから1ヶ月は無気力そのものだった。
死んだ魚の眼をしてデスクトップを見ていた。
今までずっと遅く帰ってたから家に帰っても何をすればいいかわからない。
本当はどうだったのか知らないけど。
50近くにして閑職につかされて、掲示板にコラムを連載したりしている増田さんは
もうどう見ても最高に負けてる。
でも同時に、増田さんは無敵だなあと思う。
みんなが必死に落ちないようにしているところに落とされ、
増田さんを落とした人の視界に、狂い咲いている増田さんが入ることは
きっともうないんだろうけど、
増田さんはもはや別フィールドで戦いはじめてしまっているから、
どうか良い週末を。