はてなキーワード: 営利事業とは
ネタ元:https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2201/04/news001.html
そもそも消費税の仕組みなんて自分が課税事業者になるまで知らなかったし、ちょっと問題点を考えてみた。
結論を先に書いておく。一番損するのは、取引先が営利事業者である免税事業者。
主に知識産業系においてフリーランスと呼ばれる人たちで、売上1000万円以下の事業主である。
●消費税の仕組み
具体的にイメージすると、僕が10000円の商品を売るとお客さんから消費税1000円を預かる。
ところが僕は10000円の商品の材料を6,000円で仕入れていて、その時に消費税600円を既に払っている。
そのため差額の消費税400円だけを国に収めることになる。
(個人なら確定申告とほぼ同時に消費税の申告をして、銀行から振り込むか指定口座から引き落とされることで納税が完了する)
僕が作り出した付加価値=利益は4000円であるので、内税で考えるとその分の消費税を納めていると見ることもできる。
そのため消費税は付加価値税とも呼ばれる。英語ではVAT(Value Added Tax)という。
専門家に言わせれば日本の消費税とVAT正確には少し違うのだろうけど、
内税で考えるか外税で考えるかという視点の違いと思っていいだろう。
勘違いしやすいが、事業者は消費税を負担していない、預かっているお金を事業者は代理納税をしているだけだ。
ここでいう事業者とは販売先をもつ人、消費者とは販売先を持たない人のことだ。
ところが日本では売上1,000万円に満たなければ消費税免税事業者(以下免税事業者)でいることができる。
その名の通り、免税事業者とは消費税を国に納める必要がないということだ。
免税事業者は上記の例では400円を自分の懐に入れられるので、利益は4400円となる。
そもそも消費税の申告が不要なので、いくら懐に入れたかを税務署が知る方法はないし、おそらく本人も把握していない。
さてこの400円はどこからきたのかというと、もちろん税を負担している消費者だ。
何もしていない人が自動的に10%の利益を得られる、こんな不公平な税制があるだろうか。
●インボイス制導入後に損する人と得する人
インボイス制度とは、課税事業者が方式に従って請求書を発行した場合に限り、仕入れ税控除(先の例で言う-600円)ができるようになるということ。
僕の中でいろいろ検討してみた結果、免税事業者でいることで得をするケースは消費者に直接販売する場合だけ。
消費者は販売者が免税事業者かどうかを気にしないし、預かった消費税を懐に入れていることを知る方法がない。
一番損するケースは、企業などから業務委託を受けているようなフリーランスだ。
それも原価率が低い知識産業系。(そもそも原価率が高い産業は売上1000万円なんて簡単に超えるので問題にならない)
どのように損をするか、具体的に考えてみよう。
企業が免税事業者から6000円で仕入れて消費者に10000円で販売した場合、企業が本来取るべき利益は4000円で、企業の消費税納税額は400円となる。
免税事業者からの仕入れは税控除されないので、消費者から預かった消費税1000円をそのまま納税しなければいけない、仕入6600円(税込)、販売11000円(税込)で、
企業の手元に残るのは4400円、そこから消費税1000円を納税するので企業の利益は3400円になる。
企業からすれば、今まで通りでなんで突然利益が減るのよ、おかしいでしょ、そっち(免税事業者)が悪いんだから、取引継続したいなら仕入れを消費税分安くしろよとなるのは当然だ。
整理しやすいように、同じように6600円(税込)で仕入れて10000円(税込)で売る場合を考える。
インボイス制導入前の免税事業者であれば利益は4400円のはずだが、
課税事業者であっても利益4000円取れるので、それよりも減ってしまっている。
仕方なく免税事業者から課税事業者になったとしても、今まで4400円取ってたのが4000円になるわけで1割減に「見える」
なお、消費税分の値引きを迫るのは独禁法に抵触する。(年に1回公取委から調査書類が送られてくるので、誰でも匿名で事業者名を密告可能だ。)
課税事業者になってもらうか、取引停止かを迫るのは当然だろう。
最後に1割減に「見える」と書いたのは、繰り返しになるが事業者は消費税の負担者ではないからだ。
●正義はどこにあるのか
消費者から「預かった」消費税を懐に入れて自分の収入にしているのだ。
法的には問題ないのでもちろん責めることはできないが、倫理・正義に反している。
倫理とか正義とかいう言葉を用いると炎上してしまいそうで難しい問題ではあるのだけど、
僕は「商売において倫理的に正しい行為」は「関係者が誰も損していないこと」と定義したい。
消費者という言葉の括りが大きすぎるのでイメージしづらいところではあるが、
その分の公共サービス・社会福祉が犠牲になっていると考えられるからだ。
消費者とは、結局のところ日本に居住する自然人全てだ。個人事業主だって飯食って生きてる消費者だ。
(法人は経済活動のための仕組みであって消費することは必須ではない。)
日本の消費税は潜在的なバグがあった状態で、免税事業者がこぞってこれを利用していたような状態だ。
最初は3%だった消費税は今は10%だ。ギってる金額が3倍になってるわけだ。
さらに消費税を上げようと考えると、そろそろこの不公平を放置できなくなったってことではないだろうか。
誤っているものはバグの利用者の意志に関係なく、制度設計側の都合で解消されてしまう。
何が「誤り」なのかを考えるのは個人の美意識(上記の僕の倫理観のようなもの)の問題であり責めることはできないが、
制度をより正しい方向に直すことをバグ利用側が責める道理もない。
しかし、こういう法の抜け穴というのを利用するのは、確かに儲かる。
しかしいつか外されるに違いないハシゴの先にいるのは、リスクでしかない。
早めに儲けをとっていつでも逃げれるようにしておくのが、事業主のしたたかさというものではないだろうか。
適切に税を処理するなら税理士に相談したり顧問契約を結ぶべきだと思う。
本州のどこか
兼業農家の息子
anond:20210921082503とそのブコメに共感しないので
田植え、草取り、稲刈り等、作業に出た日は日当(8000~12000円)が出る
できた米は現金で生産組合から購入(8月に何俵買うか注文する)
1人でやりたい変わり者(ケチが多い)、
地区ごとに散布スケジュールは決まっており、洗濯や窓を開けないよう注意を促すため、全戸に配られる
共同所有だと融通が利かなくなる
この辺が理解不能
今のラジコンが壊れたら次はドローンになるかもしれないが、ぶっちゃけどっちでもいい
軽トラに自動運転つけてボタン一つで家まで帰られたら困る、歩いて帰りたくない
そんな事より、苗の積み込みをどうにかしてくれ
研究レベルでしょ、各地の複数の田んぼでやってないの?バカなの?
水門の管理なんてニュースバリューないけど、昔からあるし導入も進んでる
数年前まで電卓叩いて紙に書いてたが、事務作業のシステム化の営業が田舎でもボチボチ来る
農家の省力化はめちゃくちゃ進んでるんだよ
ふた昔前ならコンバインからトラックに米を移すのも30kgの袋を人間が運んでたが、そんな風景は消え、
どこ行ってもコンバインからトラックに直接入れるのが当たり前になった
運転免許を持ってるので、三輪車に乗ったり一輪車を押す年寄りもほとんど見かけなくなった
機械化と自動化を分けたがるのは外野の人間で、省力化と価格こそが命
鳥獣害対策と河川の管理はマンパワーが必要で、地区住民の協力が欠かせない
住民の手から離れた農業に協力する義理もないし、営利事業者だと最低限しか行政も頼れなくなる
旦那本業:500万、妻パート:100万、田んぼ:200万でそれなりに豊かな暮らしができる
製造業は何千、何万、稲作は40回のネタ元は経産省の役人の人類はまだ2000回しか作ってない発言だと思う
13人の客、その7人目もスーツ姿だった。
ただ6人目の時とは趣が全く異なっている。
スーツは全体的にラメ加工が施されており、ビジネスシーンは全く想定されていないデザインだ。
「三大・エグい特殊造形の映画、『魅了のひじき』、『半生からの合体SEX』、あと一つは?」
「と、とくしゅぞうけい?」
まるでクイズを出しているようだ。
そう考えると、確かに往年のクイズ司会者を髣髴とさせる格好だ。
「あと一つは!」
聞き方は妙ちきりんだが、要は嗜好に合った作品を探しているってことなのだろう。
特殊造型という言葉には聞きなじみがないが、この客が挙げた作品から推測はできる。
観たことはなくてもタイトルは知られてるくらい、往年の名作ホラーだからな。
そして“エグい”って言ってるくらいだから、グロテスク要素のあるものと思われる。
その上で、近い時期の作品といえば……
俺はそう答えたが、その客は何も言わなかった。
その後も、司会者は似たような質問を繰り返し、俺は律儀に作品名を答えていった。
そうして何度か同じ応酬を繰り返した後、司会者は何も買わずに帰ってしまった。
期待は応えらず、俺は落胆する。
だが落ち着いて考えてみればなんてことはなく、その答えは簡単だった。
これは単なる冷やかしである。
今になって考えてみれば、他の客がやってたこともほとんど冷やかしだ。
半分くらいは映画と関係のない話ばかりしてきて、そのくせビデオは買わない。
下手したらレンタルすらしないこともあった。
接客も仕事の内だと割り切ってやってきたものの、こうも立て続けに冷やかされるとウンザリしてくる。
雇われの身だが、対費用効果のない仕事に労働力を奪われたくない。
たまらず店長に苦言を呈したが、返ってきたのは謎の精神論だった。
「マスダ、何で皆がウチの店にくるか分かるか?」
「ビデオを買ったり、借りたいからでしょ。家で映画を見るために」
「ここに来る人たちは何らかの問題を抱えている。何が問題か自分でも分かっていない人だっている。理由は様々だが、つまり順風満帆ではない、思い通りにいかない人生を送っている」
「そんな人たちでも、場末のビデオ屋で働くバイトと話している間は順風満帆なんだよ。そんな人たちを助けるのがマスダたちの仕事だ。目に見える利益だけ追求するんじゃない」
なんだか諭されているようだが大した理屈じゃない。
とどのつまり店長は「つべこべ言わずに働け」と言ってるだけである。
前置きとして強く言っておくけれど、誹謗中傷を行っていた連中を擁護するつもりは一切ない。
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女子プロレスラーの(おそらく自殺と思われる)死亡に端を発し、芸能人に対するあまりにも多い誹謗中傷へ非難の目が向けられている。
それに伴い「芸能人がTwitterやるのキッツいんだぞ」といった話も、芸能人側からあがるようになってきた。
しかし、「培ってきた圧倒的な知名度」を用い、「マネージャー等の第三者が間に入って反響のフィルタリングを行わない体制」を作った上で
活動しているのは他ならない自身の選択だという前提を置き去りにしないでほしいと感じる。
名がコンテンツの一部である芸能人が、その名義でアカウントを作る以上はTwitter上の活動は業務であり、
前述の活動方針でやっていくと決めた段階で「高い発言力・拡散力に比例する反発の大きさ」は織り込むべきリスクに入っていなければならない。
それができていないのは営利事業としての不備だと思う。
「事業としての」対応策はある。本人以外のTwitter担当者を立ててアカウントを運用すればいいだけだ。実際にやっている例もある。
人件費が負担という場合は、事業の規模感に見合っていないリターンを、リスクを承知で望むのかという「選択」の問題になる。
どちらにしても事前に検討していなければならないことだ。
「じゃあ芸能人は個人でTwitterしちゃいけないのか」という話には、
芸能人の名義を用いずに利用すればいいだけなので何も問題はない。
仮名や名義の使い分けはTwitter上で当たり前に行われていることであり芸能人の自由を阻害することにはならない。
そういった環境の中で、あえて芸能人当人が手ずからTwitterアカウントを運用するというのは「そういうこと」なのだと、
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「人死にの事実」は人から冷静さを奪い、盲目的にさせ、タブーを生み出し、感情的な言説を押し通してしまう。
志村けんも"死んでしまった以上は"「趣味の夜遊びが原因で、本人側にも落ち度があった可能性はないのか」という追求はまったくできなくなってしまった。
本件も「誹謗中傷を行なった連中」という揺るぎない悪が設定され、
死者の側に・彼女が所属している組織に・炎上の原因となったコンテンツの制作者に落ち度はなかったのかという話は感情で封殺されつつあるように見える。
現代インターネットに求めるものではない・諦めるべきことなのは重々理解しているが、それでも感情に支配された世界はおそろしく思う。
後にも重ねて強く言っておくけれど、誹謗中傷を行っていた連中を擁護するつもりは一切ない。
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それは株式会社増田家を営利事業として営む場合の最低要件であり、営むつもりがないなら該当しない
単なる感情で結婚が出来るようになったのだ(その結果が公助のゴミ箱化というのが皮肉だが)
営利企業じゃないんだから男女ともに『役に立つか』なんぞ考えんでいい
実際、役に立つか立たないかだけで考えたらマイナスな相手をパートナーに選んで幸せにやっている人たちもたくさんいる
某監督なんか嫁のおかげで色々あったけど別れなかったでしょ
割と日常でも男女とも似たようなの見るで
ただ夫婦はそれでよくても子は迷惑なのでそこは配慮は頂きたいが
いいところどりは出来ないと諦めるべき
武雄市図書館について、慶應大学総合政策学部教授の上山信一氏が非常に興味深い考察記事を公開されている。
なぜ武雄市立図書館はすごいのか――ツタヤ、スタバとのコラボ(下)
http://www.actiblog.com/ueyama/304221
樋渡市長や図書館職員、運営受託者のCCC(カルチュアコンビニエンスクラブ)へのインタビュー取材で得たことをもとに、武雄市図書館がなぜすごいのかが分析されている。
しかし、上山信一氏は、見えないものを見ようとするあまり、武雄市図書館の本当のすごさが伝えきれていないと感じた。
僭越ではあるが、見えていることをもとに上山信一氏の記事を補足し、この武雄市図書館プロジェクトの意義を考えたい。
最初にプロジェクトの内容を確認したい。これは武雄市とCCCとの共同事業である。
武雄市は、リニューアルを機に、入り口のすぐ横にあった蘭学館と称する歴史資料館のスペースと、同じく入り口近くにあった子供向け読み聞かせコーナー及び子供用トイレ・授乳室のスペースを、CCCの営業スペースとして貸し出した。
CCCは、歴史資料館だったスペースにはレンタルDVD店を、子供の読み聞かせコーナーだったスペースにはカフェ(スターバックスコーヒー)を開設した。
歴史資料館は会議室を転用したスペースに、子供の読み聞かせスペースは館内の最も奥に設置し、子供用トイレ及び授乳室は入り口すぐの1箇所に集約された。
CCCは武雄市に営業スペースの賃料を年間600万円(月額50万円)支払うことになるが、同時に図書館の指定管理者となることで、向こう5年間の間、年間1.1億円(月920万円)を受け取ることができる。
リニューアルに際しては、市は4.5億円を、CCCは約3億円を投資した。
市の投資額4.5億円には、一般財源から1億7500万円、合併特例債から2億7500万円があてられている。
合併特例債の70%にあたる2億円は国から交付される仕組みのため、武雄市の実質負担額は4.5億円のうち2.5億円で、残りの2億円は国が負担する形となっている。
CCCの投資額は約3億円とされているが、武雄市から「新図書館空間創出業務委託料」として約1.3億を受け取っているほか、営業エリアの商品仕入れ代金などの流動資産を含まれるとされているため、実質的な投資額は抑えられている。
図書館のスタッフは市の職員が3人、CCCが16人(館長1名、司書15人)である。直営時代の司書は引き続きCCCが契約社員として継続雇用し、書店部分の選書やPOP作成などの業務も兼務している。
このように、武雄市とCCCが手を取り、両者の費用負担を軽減するためのモデルを共創しているといえよう。
成果は顕著だ。蔵書数は19万冊と変わらないが、高さ3m以上の高層本棚を利用して全面開架としたことで、すべての本をただ遠目に眺めることはできるようになった。
もちろん、手の届かない所にある本も司書に依頼すれば5分~15分ほどで取り出してもらえる。
公共図書館は予算の制約から雑誌の品揃えに苦労しているが、ここではCCCの店頭にある雑誌の最新号が自由に読める。もちろん欲しくなったら買って帰れる。雑誌のバックナンバーは蔵書しないが、必要な際には他の図書館より相互貸借を受ければよい。
開館時間は4時間も伸びて午前9時から午後9時までとなった。閉館日がなくなり、年中無休となった。午後6時に閉店するDVDレンタル店は論外であるが、仕事帰りにレンタルDVDを利用する層を考えると、午後9時の閉店でも早すぎる。他のCCC店舗同様に、深夜0時までの延長が期待される。
カフェは、楽しい、人と会い、語れるという雰囲気をかもし出し、若者や子連れの母親達が集まるようになった。
コーヒーを飲みながら、ワイワイガヤガヤと語らっていても、館内に流れる大きめのBGMで打ち消すことで、気にならないよう工夫されている。
また、公共図書館に良く見られる、持ち込み学習をしている学生も全く見当たらない。それもそのはず、学生は2階に設けられた学習室を利用している。これは図書館が定めたものではなく、地元学校が自主的に定めたというルールにより実現されている。学習室はいささか手狭ではあるが、1階のカフェでコーヒーを購入すればカフェ席を利用することもでき問題ないであろう。
結果的に、これまでも決して少なくはなかった入館者数は今年のリニューアル後、激増している。
これまで、スターバックスは佐賀県には4店舗しかなく、しかも2店舗は高速道路サービスエリア内のため容易にアクセスできなかった。
武雄市図書館におけるスターバックスの集客力は高いと言わざるを得ないであろう。
財政面では、市はCCCに年間1.1億円の委託料を払うが、これは従来よりも年間1億円の経費削減となると見込んでいる。
武雄市は、現在の武雄市図書館相当の運営を直営でおこなった場合、年間2億円を超える費用がかかると試算。これをCCCは年間1.1億円で行うことができることから、少なくとも、年間1億円の「経費削減効果」が見込めると見積ったのである。
市長は、毎年1億円の「経費削減効果」があるのだから、4.5億円の初期投資を行っても、5年間の指定管理期間中に取り戻せると説明。それを武雄市議会は承認したわけである。
武雄市図書館が開館した今、改めて雇用者数や書店部分を含めた蔵書数、レンタルDVDなどの品揃え、武雄市の宣伝効果等などの経済波及効果を考慮すると、私の見立てでは直営で運営した場合の費用は、年間2億どころか、年間60億はくだらないであろう。
これをCCCは年間1.1億円で実現しているのだから、武雄市は年間59億円の「経費削減効果」を得ることができ、5年間では約300億円の「経費削減効果」となる。
武雄市長は就任時400億円あった借金を7年で90億削減した。
今回のCCCへの指定管理で生まれた「経費削減効果」300億円を借金返済に当てることにより、残り5年で武雄市の借金はゼロにできるであろう。武雄市議会も承認するはずだ。
表面的な効果は以上のとおりだが、本件は官民連携の先駆事例の意義を秘めている。
第1に社会教育施設としての本来の使命を果たしている点である。
本離れ、特に若者のそれはどこでも大きな問題だ。それは図書館にとっても課題だし、書店にとっては死活問題だ。本件はそれに対して図書館と書店、書店とカフェ、さらに書店とレンタルDVDを組み合わせることで対処した。
全てを同じ場所にまとめ、多様な選択肢を用意する。そのことで市民の興味と関心を喚起し、集客に成功した。
書店やカフェ、レンタルDVDで客を呼び寄せ、図書館の入館者数としてカウントしたことがすごい。
こうすれば図書館の入館者数を飛躍的に増やすことができ、社会教育施設としての図書館の使命を果たせていると示すことができる。
ここまで踏み込んだ意義はきわめて大きい。
もとはごくごく普通の図書館だった。多くの公立館と同様に、書籍数は限られ、来訪者も限られ、開館時間も短い。それでいて運営費はかさんでいた。また広い面積を事務スペースが占めていた。
リニューアルでは、スペースを営利部分の顧客のために最大活用することにした。顧客ニーズを真剣に突き詰めた結果、カフェの併設やレンタルDVD店と書店の併設という"ワンストップサービス"化のアイディアに至った。
顧客志向の発想は開架の本の並べ方を従来の10進法の図書館分類(哲学などが入り口に来る)から営利部分利用者の利便性を考えた順番に配列する工夫にもつながった。(市長の著書が入り口近所に平積みされるなど)。
営利事業との並存は、スペースの生産性向上だけでなく、来館者数の拡大、賃料収入をもたらした。また、指定管理者は市役所からの収入だけでなく営利収入も使ってサービスの充実が図れる。最低限の運営費用は指定管理料として支払われるため、営利収入の利益率は高い。店も併設しているから、普通の指定管理だとありえない数のスタッフしか図書館部分には確保されていない。
第4に武雄市を有名にした。
文化と教育を重視し、改革に挑んでいるという姿勢が全国に伝わり、武雄市の知名度とイメージ向上に寄与した。
マスコミに積極的に露出する一方で、ソーシャルメディアを通じて寄せられた感想や意見は「ゴミのような意見」「君はゴキブリ以下」と一蹴するなど、武雄市のイメージ形成には今や欠かせない存在である。
また、実名で意見を寄せた人物に対し、職場の上司や国会議員を通じて圧力をかけたり、勤務先の企業名を連呼し不買を公言したりするなど、ソーシャルメディアの特性を十二分に活かした、武雄市の知名度向上策を実践している。
今の時代、インターネットの普及で図書館はもちろん、紙の書籍の存在意義すら問われている。
また、CCCの運営する店舗は全国に約1500店舗あり、スターバックスも約1000店舗ある。
今やTSUTAYAもスターバックスも、ほとんどの人が簡単にアクセスできる時代である。
レンタルもインターネットで頼めば自宅のポストに届き、淹れたてのコーヒーもコンビニの店頭で買うことができる時代になった。
ファミマの隣にファミマができる時代である。今後はレンタルDVD店も淘汰されていくから、企業も新たな業態を見つける必要があるだろう。
そういう時代であるにも関わらず、武雄市図書館は、書店とレンタル店とカフェを併設し、それらの利用者を図書館利用者としてカウントした。
武雄の例は全国の公立図書館にショックを与えている。
だが、武雄市や武雄市図書館を擁護する人々は、図書館法や司書制度は既得権益で、既得権益者が「いかがなものか」と批判していると言う。
しかし、指定管理制度を含めた民間活用全体に関する否定的な意見は、武雄市図書館に関しては見当たらない。
批判の多くは、議会を含めた武雄市政が行った決定プロセスや、指定管理者であるCCCに固有のものである。
特に、インターネットでやりとりされる、単純な感想や素朴な疑問に対する、武雄市長を含めた武雄市の過剰なまでの反応と、その対応のまずさが、批判の声をより大きくしていることは否定出来ない。
ソラノートと、その周辺にはまともが大人がいないのだろうか?
と、これまで何度も思ったし、同じように考えている人も多いようですが、また新しいビジネスモデルのサービスとやらでやらかしていますね。
著作物の無断商用利用。
http://2chnull.info/r/net/1336668183/584
584:名無しさん@ゴーゴーゴーゴー!:2012/05/14(月) 17:07:09.88 ID:TXJl48VS0
株ソラノートの新サービス Minimov | ミニモブ http://minimov.net/ が
Pinterest http://pinterest.com/ のUIとデザインをそのままパクりまくりな件
わざわざ言うまでもなく画像も著作物ですが、以前にも書籍を無断商用利用して燃え上がったばかりであるにもかかわらず、一向に企業としての基本的な体をなしていないようですね。
ピンタレストに似せたサイトデザインにする分には問題ないでしょうけれど、背景画像まで無断商用利用という盗用をしていては形無しでしょうに。
もしかしたらピンタレスト側に画像の使用許諾を得ているか、はたまた、ピンタレストが営利事業者でも利用可能なフリー素材を背景画像に使用していて、奇跡的な偶然にもソラノートのミニモブでも同じ背景画像を使っているということでしょうかね?www
だとしたらごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい
ソラノート 著作権侵害疑惑で再炎上 - Hagex-day.info
http://d.hatena.ne.jp/hagex/20111104/p1
の動画にもある
「検索すると出てくるところなので、問題はないと、思います。その、例えばパスが必要とかって、いうわけでもなかったので、Web上にオープンにされているURLなので、問題はないんじゃないのかな~~~~と思いまぁ~~すよ ハイ。」
といった相変わらずな感覚なのでしょう。
一般の個人がいたずらに無断借用する程度ならまだしも、ビジネスモデルの創出を唱いながら、やっている事は既存のサービスを少し色を変えただけであったり、パクリを繰り返していてばかりで、分かりやすい不正を続けているソラノートはそろそろオワコン確定ですか?
いつか面白い事をするのだろうとわずかに期待をしていましたが、極めてユニークな個性の広報さんのキャラだけではそろそろ飽きてしまいそうです。
https://www.shortplug.jp/home/diaries/show/123
なんで違法ダウンロードの刑事罰対象が「有償のものだけ」か。実は、著作権法の第38条にはこうある。
公表された著作物は、営利を目的とせず、かつ、聴衆又は観衆から料金(いずれの名義をもつてするかを問わず、著作物の提供又は提示につき受ける対価をいう。以下この条において同じ。)を受けない場合には、公に上演し、演奏し、上映し、又は口述することができる。ただし、当該上演、演奏、上映又は口述について実演家又は口述を行う者に対し報酬が支払われる場合は、この限りでない。
その他、至る所に「営利を目的とする/しない」という記述があり、著作権法はかなりの部分が「営利/非営利」で区分されている。このおかげで、鼻歌を人前で歌っても侵害にならないと思われる。
これとの整合性を考えると、有償でないものまで刑事罰の対象に含めてしまうのはかなり問題のある話になってしまう。実際に無償で音楽データを公開することも多いので、この点に関しては現実的な回答と考えていいはずだ。
少し軸がずれるけど、
第四十七条の七 著作物は、電子計算機による情報解析(多数の著作物その他の大量の情報から、当該情報を構成する言語、音、影像その他の要素に係る情報を抽出し、比較、分類その他の統計的な解析を行うことをいう。以下この条において同じ。)を行うことを目的とする場合には、必要と認められる限度において、記録媒体への記録又は翻案(これにより創作した二次的著作物の記録を含む。)を行うことができる。ただし、情報解析を行う者の用に供するために作成されたデータベースの著作物については、この限りでない。
『まっとうな』価格の仕事を取れる子はPEGGS経由のを受けなきゃいいだけだし
『まっとうな』価格の仕事を取れない子が、PEGGS経由で依頼を受けるだけに思える。
品質それなりでいいので安い絵を使いたい、
安いのならこのレベルの人でも使ってみたい、って需要は確実にある。
ただ単にそこを潰してどうするんだって思う。
そもそもさあ、
誰を雇ってどんな対価を支払ってたってどうでもいいわけで、
そういう条件なら全部君のいうとおり。
でも今回問題になってる件では
で、この企業のビジネスモデルは仕入を馬鹿みたいなクソ値で買い叩かないと成立しない。
この企業のために絵を描く人でちゃんとご飯食べていける人は居ないよね。
従業員でも外部請負でも、生活していけないような金額で労働力を買い叩いて初めて利益が出るようなモデルや企業は
現代社会には存在しちゃいけねーんだよ。法律でもそう決まってる。
最低賃金てのが何のためにあるかっていうのも
答はそういうこと。
「労働に対する対価」ってブコメあったが、買い手の付かない絵は『金銭的には』1円の価値もないわけで、
街角で歌ってるストリートミュージシャンが「労働に対する対価」を求めるような違和感を感じる。
実力勝負の世界において、それ専業で食えない層がバイトや本職を別に持ちながら
(広い意味で)趣味の時間を使って切磋琢磨する、というのは絵にかかわらずどこにでもある。
ダメダメ。
一人前になるまで見習いをしつつバイトで食いつなぐ、は勝手だけど
そういう奴の足元見て買い叩いていいって話はない。
もっとはっきり言えば、
生活できる程度の対価を得られない腕前の人は、仕事とる資格がないんだよ。
仮に
イラストレーター「ボクは腕がないので一枚100円でいいです!」
企業「ほら、彼もこう言ってる!」
なんて具合に2者の利害が一致しててもダメ。
それやり始めると社会のためにならないんだよ。
生き延びるべきでない劣等なビジネスモデルが生き延びちゃうし、
ワーキングプアが増えてっちゃうし、
こういうのは学校で全部教えてくれるのに真面目に勉強して無い奴は
「何が悪いの?」なんてとんまなこと言ったり