はてなキーワード: 金原ひとみとは
「(キャラA)は無関係な人間を巻き込んで殺しても平気なことにモヤモヤする」だの「(キャラB)は偏見が強くて、本当は許されないとわかって読まなきゃ」だののコメも、それに対して「(キャラA)は本当は心を痛めてたんじゃないかな」だの「(キャラB)は過去の嫌な思い出が癒えてないから仕方ないんだと思う」だの擁護するコメも、ご立派すぎてヒェ~ってなったわ。
あの漫画の登場人物はだいたい精神が黒ずんでて現代倫理には反してて、それが格好良さなんだよ。
そこで脳内倫理チェッカーがサイレン鳴らすような奴が、なんであんな不道徳殺し合いサツバツ任侠ウエスタンアクション漫画を序盤で切ってないんだろうな。
逆に無理筋擁護する奴も倫理チェッカーがビンビン過敏なんだけど、それがウーウー言いださないよう、読み方を歪めてでも「悪い人じゃない」って思いこもうとしてる。
たまに人情を発揮することはあってもどいつもこいつも悪人だっつの。そして悪人だからいいんだっつうの。
「常識的正義感」にうんざりして物語を楽しんでる俺からすると、あの作風の中盤までついてきてる読者にも結構そういう人間らがいることにげんなりせざるをえない。
まあ気まぐれでコメ欄覗いた俺がアホだったし反省してもう見てないんだけど、二、三回覗いただけで胃もたれしちゃったわ。
否定的感想はダメ!not for meなら黙ってブラバ!みたいな話じゃねーぞ。
それもまた風紀委員だ。
(脳内倫理チェッカーがうるせえなら序盤切りしろって書いたからそう取るやつがいても仕方ないか……)
常識的な正義感がまだ世の中では支配的なんですな~、むしろコンプラ意識でガチガチにしたがる人間が増えてすらいそうですな~、超オモロ作品を書いた作者と出版社への報酬に繋がるんだから倫理系読者も好ましい存在ですが、それはそれとして人間は愚かですな~っつー、どうしようもない現実への嘆きの吐き捨てだよ。
まぁあまりに人気マンガだから仕方ないことで、他のほどほどのマンガは頷けるコメの率がもっと高いんだと思うわ、知らんけど。往年のニコ動でも、人気歌い手動画はイケボにうっとりと崇拝と年齢自己紹介とファン民度誇りと自治とでコメヤバかったけど、他の動画はおもろいコメもあったみたいなもんだろ。
この増田自体はダサい愚痴でしかねえけど、でもイキった偽悪とだけ片づけられるのは傷いたよ。
金原ひとみが「小説というのは、間違っていることを正しい言葉で語る側面があると思うんです。小説というのはある程度、誰からも共感されず、みんなから『死ね』と思われるような人たちのためにあると思っています」と言ってるのだが、漫画もそうだろうよってこと。
吉本ばなな(吉本隆明)・池澤夏樹(福永武彦)・井上荒野(井上光晴)・中上紀(中上健次/紀和鏡)・江國香織(江國滋)・阿川佐和子(阿川弘之)・夏目房之助(夏目漱石)・萩原朔美(萩原葉子(萩原朔太郎))・田中光二(田中英光)・大西赤人(大西巨人)・斎藤由香(北杜夫(斎藤茂太(斎藤茂吉)))・壇ふみ(壇一雄)・谷川俊太郎(谷川徹三・長田桃蔵)・ねじめ彩木(ねじめ正一(ねじめ正也)・中島京子/さおり(中島昭和/公子)・澤田瞳子(澤田ふじ子)・三浦しをん(三浦佑之)・多和田葉子(多和田栄治)・津島佑子/太田治子(太宰治)・金原ひとみ(金原瑞人)
村上春樹・星野智幸・栗本薫・小池真理子・村山由佳・角田光代・江國香織・川上弘美・鷺沢萠・平野啓一郎・絲山秋子・冲方丁・虚淵玄・上橋菜穂子・朝吹真理子・澁澤龍彦・生田耕作etc
なのに文筆は持たざる者でも一発逆転できる分野かのように言われてきた
そりゃあ直木賞も芥川賞も元々商業目的で作られたものではあるかもしれんよ。
でも十数年前には、「あぁ話題性枠ね」というのは今より少なかった気がする。
芸能人、年齢、別ジャンル活動、作風の時代性などで目立つノミネートは時々あったが、頻度がほどほどだった。
だからこそ、「実力のある作品に話題性もついてきただけかもな」と好意的に解釈しやすかった多かった。(実際は話題性ノミネートだったにせよ)
たとえば04年の綿矢りさ・金原ひとみは、私はどちらも好きだが同時受賞は「選考委員、狙ったな?」と勘ぐりたくはなる。
が、擁護の声も大きく、売れもした。
でも昨今のノミネート作品群は、毎回のように話題性枠っぽいノミネートがあると感じる。
そのせいで、実力に話題性がついてきた作品まで色眼鏡つきで語られる気がする。
というか話題性枠と言ったって本当にポンコツな作品をノミネートするほど両賞は堕落しちゃいないわけで、賞レースにふさわしいほどではないが十分面白い程度の質があるのがほとんどだ。
だからこそかえって、下手に賞に絡ませられたせいで私みたいなやつに嫌みを言われだすのはかわいそうよなあ。
梅崎春生『幻化』
佐多稲子『樹影』
大江健三郎『性的人間』『万延元年のフットボール』『同時代ゲーム』『懐かしい年への手紙』『さようなら、私の本よ!』『美しいアナベル・リィ』『水死』
開高健『輝ける闇』
小島信夫『うるわしき日々』『残光』
黒井千次『群棲』
村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』『ねじまき鳥クロニクル』
笙野頼子『母の発達』『金比羅』『だいにっほん、おんたこめいわく史』
車谷長吉『鹽壺の匙』『赤目四十八瀧心中未遂』
多和田葉子『雪の練習生』『尼僧とキューピットの弓』『雲をつかむ話』
阿部和重『アメリカの夜』『ABC戦争』『無情の世界』『ニッポニア・ニッポン』『シンセミア』『ピストルズ』
舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』『九十九十九』『ディスコ探偵水曜日』『淵の王』
綿矢りさ『かわいそうだね?』
柴崎友香『その街の今は』
磯崎憲一郎『往古来今』
朝吹真理子『きことわ』
滝口悠生『高架線』
高橋弘希『指の骨』
崔実『ジニのパズル』
僕は小説を読むのは好きなのだが文章を読むのはあまり好きではないという、どうしようもない性質を持っている。
酷いときは最初の一行を読んだだけで本を放り出すこともある。なにか事件が起こる前にだらだらとまえがきのようなものが続くともう読む気が失せてしまうのだ。
なので冒頭ではさっさと本題に入って、その世界に引きずり込んでほしいと常々思っている。
特に気合を入れて臨む長編と違い、軽い気持ちで読み始める短編ではその傾向が強い。
そこでちょっと気になったので短編小説の書き出しをまとめてみた。
筒井康隆 傷ついたのは誰の心
中上健次 赫髪
三島由紀夫 雨のなかの噴水
小島信夫 馬
庄野潤三 蟹
安部公房 家
安岡章太郎 愛玩
丸谷才一 贈り物
他にもタイプはあるのだが主だったところはこんなもんだろう。
こうしてまとめてみると僕は【状況描写型】が好きなようだ。
この小説は明るい話なのか、暗い話なのか、どういったテーマなのか、いったいどこへ向かっているのかを早々と提示してくれるのはものぐさにとってはありがたい。
山田詠美の「姫君」という短編集を読んでいた。私は山田詠美のファンなので楽しく読んだ。巻末に、「蛇にピアス」などで知られる作家、金原ひとみが解説を寄稿しているのだが、それを読んでひっくり返った。
完全に誤読してる。解釈とかそういう問題じゃない。基本的な国語の問題だ。
短編「フィエスタ」は、「欲望」が主役だ。「欲望」という感情が擬人化され、その一人称で、自分が宿っているブスな主人公の状況を愚痴ったり嘆いたりして話が進む。「欲望」は、主人公のことを「主人」とよんでいる。
主人公の名前は瞳である。私はこれを読み始めた瞬間、「醜いだと?」と思った。ごめんなさいね。名前というのはとても大きな力を持っていて、他人事をは思えなかったのです。瞳だからではないけれど、私はこの主人公が好きだ
主人公→瞳と言う名前→自分の名前と一緒。えっ、名前なんて出てきたっけ?と本編を見直してみた。やっぱり主人公は「主人」としか呼ばれていない。でもなぜ誤読したかは分かった。
主人の瞳がせかしている。(中略)瞳はもうルーペ状態になっている。男の姿は拡大されている
金原は「の」を同格の格助詞として読んでいるのだろう。つまり、主人(である)瞳(ちゃん)。
しかし文章からも分かるように、ここは主人が男に見惚れている比喩なのだ。だから、この「の」は所属の「の」だ。主人(のものである)瞳。
プライベートを報じられる/報じられない境界はどこにあるんかな。
ってことを、小保方博士の件を見てて思ったんですよ。
つらつら思いつくままに挙げていってみます。
でも、その報道の中では別にプライベートには突っ込まれてなかったような気がする。
見た目の地味さ(個人的には良いメガネっ娘だと思う)、将棋という種目のストイックさが阻んだのか?
ちょっと古い話ですけど、W杯とオリンピックの活躍の後の報道といったら、そりゃもうアレでしたよね。
川澄さんは(柏木に似ているものの)カワイイという一般的評価を得ている方ですから、やっぱり見た目でしょうか。
あとはネイルとかピンクのゴムとか、突っ込みどころが割とあったせいかもしれません。
女流作家の受賞も多い芥川賞ですが、男女の別を問わず、結構プライベートまで報じられがちに感じます。
「それまでの人生が作品のバックボーンになっている」という思想なんですかね?
歴代でも報道過熱といえば、綿矢りささん・金原ひとみさんのW受賞の時でしょう。若さ・ビジュアル・キャラ立ちと完璧でした。
余談ですが、直木賞の方は比較的人物報道が軽めなのはなんででしょうね。
若いしビジュアルも悪くない、でもそこまでプライベートが話題になっていた記憶はありません。
こと政治家は身近さを売り出すためか、家族だの好物だの、自らプライベートなことをPRしがちだと思うんですが。
とりとめもない印象の書きなぐりですけど、結局のところ
・見た目が華やかか/地味か
ということなんでしょうかね。
小保方博士もお気の毒なことでした。
ikd18 金になるかならないか。
いやそうなんですけど、その『「お父さんのための~」の対象になるか/金になるか/数字がとれるか』の基準はどこにあんの?って話です。