はてなキーワード: 枝葉末節とは
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20181103134107
ここにブクマ書いてるやつらさー。
フェミニズムと称して言われる行動が
女性の自由を奪う方向に向かってるって指摘をされてるのにそれは無視して
ブルカがーとかそういう話にだけ噛み付いてるの教育の敗北案件だろ。
・はい出た、「私は『本来のフェミニスト』を知っている」ヤツ。性差別の象徴であるブルカ着用が義務になるわけないだろ。ツイッターのアホな大喜利から離れて、少しは自分の頭で考えてみるのをオススメする。
・アンチフェミの人って「ブルカ着用義務」の話が好きだけど、本来だろうと現在だろうとフェミニストがブルカ着用を義務付けろとか言うわけないよ。まずフェミニストの主張を理解することから始めてみてはどうか
まあ元増田もこういう余計な発言するから、フェミニストの人間がこういうところに噛み付いて言い逃れするのを許しちゃってるわけだが。
このコメントしてる二人、かみつける箇所さえなければなんにも発言できないような馬鹿だぞ。こういう馬鹿に発言の機会を与えるな。
まぁなんにせよ、男でこういう受け答えするやついたら本気で馬鹿にされるわけだが、女は馬鹿な受け答えしても許されて楽だよね
トラバいろいろ付いてるけど、私に相手してほしかったら、元の増田の論点が何であったかまずその理解があってることを示そうな?
その問題がクリアできてないやつを相手にする義務はないからな。
こういうときにまた私の文章の枝葉末節に噛み付くやつは自分が馬鹿ですって自己紹介してるだけだぞ?
ネタ元:
なぜ日本は人工知能研究で世界に勝てないか 東大・松尾豊さんが語る“根本的な原因”
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1809/18/news011.html
結論から言うと、私はそこまで悲観してない。ビジネスとして非常に厳しい状況にあるのは確かだが、研究領域としてはアメリカも中国もまだ入り口に立ったに過ぎない。
AIの話をする前に、今のコンピュータの話を少ししておこう。皆さんの目の前にあるパソコンとかスマホの話だ。
これらに入っているCPUとかメモリとかは、究極的にはたった "NANDゲート" という立った1種類のゲートの組み合わせで表現可能だという事を聞いた事がある人は多いだろう。この NANDゲートというやつは、こういう簡単な演算が出来るにすぎない。
0 * 0 = 1
0 * 1 = 1
1 * 0 = 1
1 * 1 = 0
たったこれだけ。たったこれだけの素子の組み合わせで、計算機でもメモリでも何でも作れる。たったこれだけしかできない素子であっても、これを何十億個という規模で組織的に繋ぎ合わせ、その上でソフトを走らせれば PC やスマホになる。極論すればね。もちろん実際には、もっと効率の良いやりかたに最適化されているが、それは枝葉末節の話だ。
話を戻してAIの話だが、この話の始まりは人間の脳みその研究と繋がっている。 長年研究されてきたにもかかわらず、人間の脳みそについて解っている事と言えば、部位ごとの大まかな機能と、あとは細胞レベルの話で、全容解明などというにはほど遠い団塊にある。ただし、ここで1つ、非常に重要な発見が数十年前にされている。 1つの脳細胞は、驚くほど簡単な事しかできない、という事だ。1つの脳細胞の働きをコンピュータ上でシミュレーションすることは、今や簡単なことなのだ。
感の良い人は、ここでおわかりだろうか?
NANDゲートのような単純な素子であっても、それを何十億個という規模で組み合わせれば、コンピュータを作る事ができる。
そして、人間の脳も、どうやらその構成単位は単純な事しかできない脳細胞であり、それらがどのように組織化され、繋がっているかという事を解明していけば、脳みそを再現できるんじゃないか?ということだ。その構成単位である脳細胞の事は、すでに解明されているのだ。
例えば40年前に、「NANDゲートを十億個ほど詰め込んだチップを積んだ携帯端末が、やがて普及して、だれもが携帯するようになるだろう」なんて、信じる人はごくわずかだっただろう。でも現に、現在そうなっている。
ということを踏まえるならば、現在既に1個の脳細胞の働きは解明されていてシミュレーション可能なのだ。それを何億個か何兆個かくみあわせたようなものが将来実用化される可能性は? ゼロではないんじゃない?
そこに賭けている人たちが居る訳だ。その大きな構造の中で、現在のAIというものを見ないと、本質を見誤ると思う。
読み返してみたら引きずられて論旨がおかしくなってたな。
としたつもり。
だからレスで言っているのは対応策の案Aのみ取り出して騒いでいるだけ。枝葉末節ではなく、全体を見て欲しい、と言いたかった。
まあ、この女人禁制というルールについては、個人的には相撲をスポーツとして扱えない理由の一つだろうし、やっかいだなあ(時代錯誤だとも思うし)、くらいの認識。
我ながら、言葉足らずだったなあ。
ここ数年における現実の対話相手の能力が高すぎたおかげで察してくれるので、
ただ、その話は前提条件の時点で既に問題がある。
なんでそうだと知ってるの?一度死んでそれがないことを確認してきたの?
別に私もそれらが「ある」と主張するつもりはないし、確かに宗教の教義には現代科学と矛盾する怪しい所もあるけれど、
それと死後の世界的なものが存在しないのとは別の話であって、存在しないことは科学的に立証された訳でもないのだし、
それらが「ない」と断言することは「ある」と断言することと同レベルの信仰なのでは?
加えて、もし仮にそれらが存在しなかったとしても、人は心の作り出した虚構の世界の住人である以上、
すまん、恐らくは物凄く初歩的なことだとは思うのだけれど、安倍擁護とかそういうのではなく、純粋な疑問として教えて欲しいのだけれど、
今回の森友の一件、もし仮に、安倍総理の全く意図せず知らぬ所で(『安倍晋三記念小学校』みたいに?)勝手に自分の名前を持ち出され、
ある種の脅迫材料に使われ、それを勝手に官僚らに忖度されてしまった場合も、安倍総理の責任になるの?
まぁ、普通の企業であれば部下の不祥事は上司の管理責任ってことで良いのだろうけれど、
それが今回の場合、「選挙で選ばれた政治家」と「選挙とか無関係の官僚」という構図な訳で、
官僚が内閣が気に入らないと思ったら、捨て身で自作自演の忖度とリークをして今回みたいな状況を作れば、官僚の都合で総辞職を誘発できるってことで良いの?
正直これまでは安倍政権がふっとんでそれで終わりなのかな程度に思っていたのだけれど、
会計検査院まで加担していた疑惑が出て来て、なんか安倍政権が終わった所で何も解決しないというか、むしろ安倍政権や自公すら枝葉末節の小物というか、
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53545
1.については正しいだろう。中国経済は急速に拡大を続ける一方、日本の経済は一進一退を繰り返している。
4.については日本のコンテンツ産業を過大評価しているきらいがある。日本のコンテンツもかつて栄華を誇った家電製品と同様、凋落の道をたどるのは確実である。これに関しても色々言いたいことはあるが、文章の主題から外れるためこれ以上書くのは控える。
私はすべての20代を代表して、人生の先輩方であるあなたに言わせてもらいたい。先兵のひとりとして、管理職を務めるあなたに、経営者のあなたに、意思決定権をもつあなたに言わせてもらいたい。
(中略)
出生率のデータを見ろ、大卒初任給平均のデータを見ろ、平均労働時間のデータを見ろ!
おれたち若者は疲れ果て、飢えている。もしもいまのような見当違いの戦略で、いつまでもおれたちを戦わせ続けるつもりなら、おれたちはこんな国から出ていくぞ。
この文章からは、かわいそうな若者vs無知蒙昧な高年齢層という対立構造が見え隠れする。
若者は無知蒙昧な高年齢から搾取を受けた被害者だといわんばかりの文章である。
逆に高年齢層は、昔甘い汁を吸い今は若者から搾取する加害者としてデモナイズされている。
被害者であるがゆえに、加害者と勝手に認識している層に対し呪詛を吐こうが命令に従わなかろうがそれは仕方がないといわんばかりである。
イノセントな被害者としての若者。特定世代に属している人間はすべて純粋な被害者(または加害者)だという言説は被害妄想でしかない。
若者だって高年齢者層から被害を受けるだけではなく、高年齢者層に対し何らかの加害行為を加えて生きているが、そういうことへの想像力が完全に欠落している。
だから、私はあなたに言いたい。頼むから、私たち若者をあなたの愚痴に付き合わせる案山子としてではなく、経済的な鉄砲玉として使ってくれ。
(中略)
20代に機会を与えよ。我々に恩を与えよ。そうしなければ、私たちはもう、日本を捨てて、勝手にやる。それも一斉にではない、能力のある者から順番に、だ。
これを書いた藤田氏はエビデンスに基づき文章を記したわけではない。
ただ中国の深センという一つの都市を訪れ、そこで感じたことを勝手に日本社会全体に敷衍し、天下国家を論じているに過ぎない。
統計などであらわされる社会と、自身の皮膚感覚とは大きく乖離する(そして自身の皮膚感覚の方が間違っている)ことは往々にしてあるが、藤田氏は皮膚感覚を過信している。
加えて「被害者の言うことはすべて正しい」という前提も含まれているように思われる。
この文章の根拠は著者自身の皮膚感覚と被害者無謬の精神の2つだけである。
政策などを推し進めるにあたっては、エビデンスが不可欠である。しかし、皮膚感覚と被害者無謬の精神はエビデンスとしてのポテンシャルを持っていない。
藤田氏の主張する「凋落した日本ではなく中国に行かせるべきだから老年世代は支援しろ」という議論は、著しく根拠に欠ける無理難題である。
話半分に聞くぐらいならいいが、本気にすると痛い目をみるだろう。
この文章にとって、中国の発展について論じた部分は枝葉末節に過ぎない。本質は被害妄想とそれに基づく無理難題の要求である。
若者らしい無鉄砲さといえば聞こえはいいが、この文章を上梓したことによる影響について無頓着ではないのか。
若者がこの記事のせいで被害妄想を持ち、上の世代への敵愾心をむき出しにすれば、社会の分断がさらに進むのは確実である。
こんな駄文を書き散らしたのは自分が藤田氏と同じ1991年生まれの26歳だからである。
読んでいて頭に血が上ったので思わず書き散らした。根拠もへったくれもない駄文未満の代物だが、こういうことを考える人もいるということで読み流していただければ幸甚である。