はてなキーワード: 暴言とは
まず、誹謗中傷って公序良俗には反するけど、誹謗中傷ってだけではサービス運営者やISPが削除するべきもんじゃないんだよ。
ネットは漠然とした集団に対してはもとより、特定の個人組織に対しても、誹謗中傷が溢れてて当たり前なの。
そういう暴言を真に受けるかどうかは一人ひとりが判断すりゃいいだけ。ネットリテラシーの部分ね。
誹謗中傷のなかでも、特に中傷の度合い、というより切り込み方、が悪質なものが削除の必要がでてくる。
端的に言うと利害関係者の利益を損ねてしまうくらいに「刺さる」書き方がされてる誹謗中傷だけは、その利害関係者によって封殺されることがある。事実関係によっては法的問題になるからね。
通報というのは基本的に、「刺さ」ってしまった関係者のためにある機能なので、匿名でも通報可能だが、なんの利害関係もない人が潔癖のためだけに通報することはあんまり想定してないと思うな。
運営側としては、そういう区別をせずに(するのも大変だし)、とにかく通報があったら消す、くらいの姿勢で運用されてるWebサービスがほとんどだろう。
面倒を避けるために、誹謗中傷にあたることは書かないでくださいね、って規約で禁じてはいるだろうが、それ自体に法的根拠があるわけじゃない。
けものフレンズ2への暴言を目撃したので、その仮説に同意しかない。
…
けものフレンズに感動した同志たちが、あんな邪悪で残虐で非道で汚い魑魅魍魎のごとき言動をするなんて、未だに悪夢としか思えない…………………。
キミら、アニメに感化されても、心がキレイになったりはしないんだな、って。
たぶん俺も例外ではないんだろう、何かの噛み合わせで運が良かっただけで。
…アドバイスしたりは自由だから好きにすればいいと思って見てたけどさ。
さすがに看過できないわ。
でも最近は男女平等が浸透してきたからか、少しずつ女性もゲームに参加するようになった。
ガンシューティングとかFPSとか格闘ゲームなんて、ほとんど男だけだったらしい。
でも男たちが楽しんでるのを観て、女もやってみようと思ったんですよ。
私もその口。
だけど、男は、そんな女を同じプレイヤー仲間として見ない。
「女だ!!?」
とか数千人が観てる中で挙動不審さをさらけ出して大袈裟に反応する。
………女はね、当然やりにくいよ。
いちいちビックリされるこっちの身にもなってほしい。
悪いと下心丸出しにされた挙句、セクハラに、ぶつかりおじさんみたいな支配欲全開の暴言を言われたりする。
そりゃ、娯楽でやってるのに、SAN値ゴリゴリに削られるリスクに怯えながらのプレイングはおっかなびっくりになるわ。当たり前に。泣きそうだよ。
どうして男性ゲーマーは女性ゲーマーを人間扱いしてくれないんだろう。
ため息。
高校の頃に、増田くんのことは男性とは思えない、と暴言付きでオレを振った女子。
それ以来、オレは自分を男だとはどうしても思えない。
…
「初めて男になった」と感じたのはどんなとき?
同意です。女性から手を繋いでくれたなら、もしそれを見たら、かつての女子も「増田くんのことは男とは思えない、と言ったのは間違いで、確かに増田くんは男性だった」と過ちを認めると思うんですよね。
この間も、女性から好んで手を繋いでもらったとき初めて弱者男性を脱する、みたいに言ってた人がいて、結構な賛同を集めてた。
あんまり想像できないんだけど、ひょっとして女性に手を繋いでもらいたいコンプレックスのよーなものが存在するのかな。
女が手を繋いだら何がどう変わるのか?
頭がハテナでいっぱいになるわ。
よく分からない。
男らしくなかろうとも、男として認められなくたって俺は俺だ! …………👈って居直れば良いんじゃないの。
なんと言うか、素直な感想として、全存在の価値基準を女性に委ねる理由が分からない。
女なんて関係なく、女がたとえ寄り付かなかったとしても、俺は女の居ないところで幸せになる!! ……………👈コレだと何か都合が悪いのかな。
吐き出させて。
周りは皆子持ち。
周りの人達には幸せに過ごしてほしいから本来良い話なんだが、自分は手にできなかったものと思うと辛い。
もちろんそんなことおくびにも出さず「良かったね、かわいいね」と受け答え。
子なし、とりわけ子なし男性のそれなど聞きたい人はいないだろう。
吐き出す場所が無い。
暴言・暴力飛び交う家庭育ちで子供の頃から「家庭」というものに嫌悪感があった。
子供を見てもさして可愛いと思うことはなかった。キツイ経験を思い出すトリガーでしかなかった。
そんな自分が40代になり、いつのまにか子供をかわいく思えるようになっていた。
自分と妻の年齢、加えてとある病気にかかったこともあり子供は諦めている。
もっと早く結婚していたら子供がいたかもしれないと思うが、若い頃は家庭への忌避感が邪魔をした。
ずっとそのままの思考回路だったら今も楽だったと思う。
本当におめでとうと思うが同時にしんどさが襲ってくる。
世の中的にはマイノリティーであろう既婚・欲しいのに子なし男性にしかわからない痛みと思う。
話は飛ぶがイチローにどこか影があるのはこの痛みのためではないのかな。
周りが気を遣うし共感も得られないだろうから周囲に吐き出すこともない。
そんな人もいるということを知ってほしい。
約三ヶ月前、社会人生活に区切りをつけた。当方は、はてなユーザーの中でも高齢である。一般的な定年はとうに過ぎている。社会人として40年以上生きてきて、得られた知見といえば……大したものはない。
ただ、今回どうしても書き綴ってみたいことがあり、筆をしたためることにした。書式については、ほかの増田の方に合わせるものとする。難しい漢字も、できる限り平仮名とする。
書き上げたのは本日12/12だが、推敲の関係で五回に分けて投稿する。土曜日には終わるだろう。
私の教員としてのキャリアは、都内にある中学校から始まった。大学を出てすぐだった。今思えば懐かしいが、あの時代に戻れたとしても今の方がいい。時代は進んでいる。
あの当時はアナログだった。電話はあるが、パーク保留(1機で複数保留ができる)といった機能はないし、パソコンは事務所に1台あるかないかだった。各学校にコピー機はあったが、今と違ってコピーされた物のコピーは悪手だった。印刷すればするほど色が薄くなる。濃淡調整機能などあるはずもなく。
学童についても、今に比べれば悪ガキがたくさんいた。今の子どもに比べると、暴言や暴力が明らかに多い。「人は教育を受けることで初めて人間になる」というのは、初等教育学のテキストにある基本的な考え方である。
さて、昔ではなく今の時代を観ていたいのだが、心がどうしても時代を遡ろうとする。この日記で表現したいことは、今から約十年前の出来事である。この度日記にまとめたのは、教委事務局に勤めていた時に最後に取り組んだ仕事のひとつである。残念ながら、教育そのものに関することではない。※当時の関係者は全員退職している。
要約すると、某地方自治体にある教育委員会の中に社会教育課というのがあった。その部署というのが、区役所の中のいわゆる問題のある職員が集まるところだった。区内の教員を指導する部門の長をしていた頃の私は、すぐ近くで醜い言い争いや、低次元な行為がなされているのを幾度となく目の当たりにした。
彼ら彼女らの言動には、ほかの教委職員も腹に据えかねていた。そして、ある年を境として、何度も本庁と協議・交渉を重ねた結果、教育委員会という組織から社会教育課を放逐することができた。
本当に苛々とした日々だった。その分、悲願が叶ったと知った時の喜びは至高だった。今でも解放感が脳裏に蘇ってくる。
これから私が話すことは、人によっては相当厳しい。負の次元に堕ちた地方公務員の姿を垣間見ることになる。それでもよければ、読み進めていただきたい。
私はもう経済社会を完全に引退している。書き綴る出来事もだいぶ前のことだから、元いた組織の迷惑にはならないだろう。何かあった場合は、私が責任を取る所存だ。
トピックについては、1.から6.まで用意している。具体的な職員のエピソードは2.~5.である。6.において、社会教育課との決着について書かせてもらう。
教育委員会(≒教委事務局。教委。以後は同じ意味として扱う)とはどんな組織か? というと、早い話が地方自治体の学校教育に関する意思決定と事務(企画・調整・一般的な管理行為)を行う組織である。
第180条の8 教育委員会は、別に法律の定めるところにより、学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、並びに社会教育その他教育、学術及び文化に関する事務を管理し及びこれを執行する。
教育長が責任者となって所掌事務や教育改革・首長への提言その他を総理し、教育委員が集まる会議(議会のようなもの)で可決された教育内容が自治体内の学校において実施される。
かつての戦争の折、行政の暴走行為によって学校教育が歪められてしまった経緯がある。地方行政の主体から教育の機能を切り離して、教育活動全般に関する権限を有する行政委員会としての役割を与えた。
実際のところは、市区町村の本庁舎の一部を間借りしている教委が大半である。役所の中に多くある部署のひとつとして位置付いている。
(指導課)…都道府県教委が教員の中から高査定者を人事異動させる
(学事課)…指導課のような教職員出身者と市区町村職員による合同チーム
(学童クラブや児サポ)…教委が有望者の中から採用・選定をして運営
そういうわけで、私の場合は上記でいうところの指導課(各学校の指導方針を所管)や学事課(学校事務を所管)に籍を置いていた。あれは、新卒で教育現場に配属になって十年少々だったか。ある年の人事異動で、そろそろ別の学校に異動になるかと考えていたところ、教委事務局への配属を告げられた。
それから数十年、学校現場に戻ったのは二度だけだ。一度目は中学校の教頭として、二度目は校長として。その前後にも、私はやはり教委に籍を置いていて、より高い視座から教育活動のあり方を見直すことや、新しい学校を作る、あるいは廃止するといった仕事に取り組んだ。
最後は課長級職員としてキャリアを終えた。その後は、いわゆる名誉職といった扱いの教育の仕事に数年だけ取り組んで、先日正式にこの仕事から引退した。
タイトルにある出来事は、社会人生活の中でも相当後半にあたる。都内にある中学校で教頭としての務めを果たした後、ある年の人事異動で教委事務局に課長職として配置された頃の話である。期間としては三年間だ。
教委事務局の中でも、ほぼ真ん中あたりの奥側に指導課長である私の席があった。「ようやくここまで来たか」と思いつつ、課員全員が見渡せるデスクに腰掛けようとした時だった。言い争う声が聞こえるではないか。何時かは忘れたが、おそらく正午前だった。
社会教育課の事務スペースで、複数の職員が言い争いをしていた。若い子と、中年ほどの男性・女性の職員だった。どういう構図かは全く覚えていないが、低い次元の話をしているのはすぐにわかった。公務員以前に、社会人として使うべきではない語彙や、極めて高圧的な物言いが見て取れた。
話し合い(口論)を少しばかり眺めていたが、最後は男性職員が女性職員から詰問を受け、ちょうどかかってきた電話を取る形で逃げて終わった。若い職員は、舌打ちをしてその場を後にしつつ、コピー機が設置してある台を蹴っ飛ばして事務室を出て行った。
『なんだ、こいつらは?』
心の中でそう思った。これまで配属された教委事務局の中に、こんな連中はいなかった。この市区町村の教委事務局で働いていた時もあったが、社会教育課は別のオフィスにあった。
社会教育課、という部署名は伝統的である。霞が関にも同名の部署があるほどだ。本来であれば、歴史と実績のある部署のはず。では、なぜこんな連中が……? と思って気になったが、その時は時間の無駄であると考えた。
だが、そういうことにならなかった。社会教育課は、私のいる課長机から10mも離れていない。しかし、毎週のように何度も何度も、大きい声で怒鳴るわ、悪態をつくわ、イベント行事で問題を起こすわ、用事で来られた区民を怒らせるわで、こちらとしても仕事がやり辛かった。
私と同じ教職員サイドの職員に詳しい者がいた。この教育委員会(T区とする。豊島区は関係ない)の社会教育課について聞いたところ、なんとなく経過がわかった。
・その場所ではひとつの課として独立していたが、不祥事が多かった
・監視の意味も兼ねて、本庁総務部の人事課が教委事務局の中に移した
といったところだった。この時は、まさかこの連中のためにあれほど頭を悩ませることになるとは思わなかった。
ここから先は、個別職員の話になる。2.以降に譲りたい。長く詳細に書いても読者が不愉快になるだけだ。できれば各三千字以内でトピックを終わらせたい。
話があちこちに逸れることも多々あろうが、何卒お許しを願いたい。
(次part)