はてなキーワード: バットとは
「ドイツで120人に3年間1200ユーロのベーシックインカムを支給する実験」
↑これが一体何の実験なのか誰か教えて!
なんでみんなこんな持て囃して日本sageのバットにしてぶん回してんの!?
Germany begins 3-year universal-basic-income trial - Business Insider
「格差の是正を促し、金銭的余裕による幸せをもたらす」って、対象は全国民のうち120人だよ!?他の人はもらっていない14万円をなんのコストもなしにもらえるならそりゃハッピーだよ!
でも全国民に14万円あげると格差って是正される????月収100万円の人と10万円の人がいて、114万円と24万円になるんだよね!?
ベーシックインカムが勤労意欲を失わせるか否か?今回の実験では3年しかもらえないんだよね!?辞めるわけないじゃーんwwwwww血迷って辞めたら3年後無収入になっちゃうよ!!でも生涯もらえるとなると分からないよね!
映画やドラマだとかアニメだとか漫画だとか、バナナ食ってる女優とかに文句付ける割には
現実問題、ワーキングプア構造故にDQNや半グレやヤクザに都合のいい性欲処理のセフレにされたり、若い人間と付き合ってんだぜ的なステータスのモノ扱いにされたり
ガールズバーや風俗や個人売春させられて性的搾取をされているっていうところには文句言わないよね、それどころかそんなのその売女の自己責任だろ、そうまでして生き恥晒す時点で女性の地位を貶める敵だとまで言われて逆に攻撃される
結局、努力して真っ当な職能を磨いて働いてお金と承認欲求を満たすなんてことができる脳ミソも根性もないけど、楽して社会が構ってくれて金が欲しいだけでしかないんだろうなと思う
まぁDQNとか半グレやヤクザにポリコレ棒で殴りかかってイチャモン付けたら、バットやピストルで殴り返してくるから怖いしお金にならないから都合よくスルーって気持ちはわからんでもないけどさ
同じというのは思想がということではない。
「お題目は大変崇高で、実現できれば素晴らしいが人間が素晴らしくないのでダメな方に転がっていった。」という所である。
本来はマジョリティの無神経さからマイノリティを守るという何気ないものであったはずであるが、今や「自分が不快なものに相対主義を持ち出してすりつぶす行為」に変貌した。
というかそのまんまだ。プロタゴラスなどのちゃんとした知恵者が節度を持って使っていれば、学問のツールとしての懐疑論に収まっていた相対主義も、市井や政治の場に降りていった時点で、相手を蹴落とし、自己肯定のために用いられるごろつきの便利ツールへと変貌してしまった。
野球のルールの中で使えば人々を楽しませることができるバットも、人の頭に使えば簡単に不幸を量産できるようなものだ。
ポリコレもきちんと自己批判、懐疑、考察を繰り返すことのできる「ルール守って議論できる学者」が使っていれば人類の倫理を底上げできるものであったのであろうが、
自己批判も自己観察もできない我々のような一般市民の手に落ちたことで、自己肯定や社会の中での地位闘争に転用されてしまったと言って良いだろう。(その間に「自己批判ができない学者=ド三流の学者」が挟まっているのは相対主義でも同じである)
小さいころから、我が家は特殊だった。幼児は自分の置かれた環境を「普通」だと思い込みがちだが、思い込めないほどよその家庭とはすべてが違っていた。
特殊な点その一。母の精神状態が悪く、常に暴力と暴言の嵐であった。
その二。私以外のきょうだいの仲も悪かった。私が生まれる前からいさかいは絶えなかったらしい。あるときなど喧嘩に包丁と金属バットを持ち出してきた。
この状況を「普通」と思い込めるほど、残念ながら私は愚かではなかった。
幼少期は夫婦喧嘩が多かった。そのたびに私はわざと泣き、二人の気をこちらにそらして仲裁の真似事をしていた。
きょうだいがなにか自慢げに「――はこれできるか?」と言いながらなにかを披露してきたときにはできないと答えた。やってみろと言われたらわざと下手に披露した。なにをきっかけに激昂されるかわからなかったからとにかくニコニコしながら過ごしていた。
怒鳴り声は嫌いだ。身体がすくんでしまう。腕を振り上げられるのも嫌い。咄嗟に顔をかばいながら縮こまってしまう。
きょうだいにはよく「――は人にかわいがられるのがうまい」と言われた。たぶん、本当にそうなのだろう。だが私が思うに、顔色を窺って相手の機嫌を損ねないような媚びたふるまいを自然とするようになったのは、絶対に家庭環境由来だ。
小学校の間は母の精神状態は治らなかった。時には下着姿で真冬のベランダに締め出され、時には土下座をさせられて背中を踏みつけられた。塾の成績が落ちた、口答えをした、単に虫の居所が悪かった……結局は暴力に理由なんてない。
その状況で父は特になにもしなかった。だが、私にとっては暴力をふるってこない、怒鳴らないという時点でプラスだと感じていたので父にはなついていた。父も私をかわいがった。遊びに連れて行ってもらったり、父自身の話をしたり。父は話すことが上手だったため楽しかった。母と居るよりは何百倍も。
中学にあがると母に腕力で勝てると思う瞬間が何度かあった。逆襲を察知したのか、母自身の精神状態が比較的落ち着いたのかはわからないが、暴力は減った。そのころにはきょうだいも進学等で家を離れ、両親と私の三人で暮らすこととなっていた。
大学に進学した。絶対に実家から離れたかったため遠方の大学を選んだ。喉元過ぎれば熱さを忘れる。「今回こそは大丈夫かもしれない」とうっすら期待をもって、たまの帰省に挑んでも、毎回実家に着いて1日もたてば「帰ってこなきゃよかった」と思った。このころにはなついていた父に対しても猜疑心が生まれていた。大学の学費を頻繁に滞納し、不必要な高級品はすぐに買う。支払いは父方の祖母がもっていたらしい。昔は母と比較してマシだから、暴力をふるわないから、味方になってくれるから、という理由で父のことが好きだったのだが、改めて思い返せば昔から父はずっと経済DVをしていたのだ。味方だったのは口先だけ。中高の学費すらも払われておらず、祖母が払っていた。本当はずっと見えていた事実だったが、父だけは味方だと信じたいあまりに私自身が見ないふりをしていたのだ。
そんなこんなで、今現在「家族」はバラバラだ。両親は同居しているが、子どもたちはそれぞれ実家から離れた場所に住んでいる。盆や正月でも集まることはない。単体で会うことはあるが、全員集合など冠婚葬祭以外ではありえない、という状況だ。
今まで書き連ねてきたことを読めば、わが「家族」は最初から機能不全状態だったことはよくわかるだろう。だからこそ憧れの「家族ごっこ」がしたいのかもしれない。白羽の矢が立つのは、なぜかいつも私だ。
きょうだいは私とは会いたがる。他のきょうだいとは絶対に会わないくせに。父は私と会うと酒を酌み交わしたがる。そして酒のつまみに他のきょうだいのことを「本番に弱い」「内弁慶」などと評し、嗤う。私のことは「本番に強い」「勢いがある」「いい性格をしている」と言い、ほめる。
みな私のことを「彼氏を尻にしいて振り回しているだろう」「仕事をバリバリやっているだろう」「仕事場でも一番美人だろう」と言う。「どの場所にいても一番強く美しい存在であること」を、なぜか期待されている。
一度酒の勢いで「なぜ母と結婚したのか」と父に聞いたことがあった。答えは「自分の優秀な遺伝子を残したかったから、遺伝的にも本人も優秀な母と結婚した」。グラスを落とすかと思った。「結果として子どもがみんな優秀に生まれたから成功」と笑っていた。幼少期の、あの辛い暴力の日々は父のエゴから生まれたのだ。だけど父は母の暴力にはほぼ無干渉だった。私を救ってくれなかった。ふざけるなと酒をぶっかけて暴れだしたかったが、20年以上培ってきた相手の機嫌を損ねないような媚びスキルが発揮され、笑ってその場をやりすごしてしまった。
父が私に固執する理由は、わかる。成功作であるきょうだいたちの中で、私が一番父の性格に近いのだ。自信家で、楽しいことが好きで、したたか。父は自分のクローンを作りたかった。厳選結果、私が6Vのうえに見事性格一致!厳選成功おめでとう。今までたくさん父の趣味の話も共有したし、私の媚びスキルも相まって父の好きなものは私も好きになったものね。糞くらえ。私は私だ。
きょうだいは父の毒性に気づいていない。単に向き合おうとしていないだけかもしれない。私自身「母よりマシ」という気持ちで長年覆い隠していたのだ、仕方ないという気もある。
父は話をするのが本当にうまい。実際、頭もよくて物知りだ。それに憧れを抱いてしまうのか、きょうだいは父の価値観を内在化しているように感じられる。だからこそ「父にそっくりで、父に愛されている私」を評価してしまうのだろう。私が評価されることできょうだいは確実に割を食っていたのに。そして父の思う「私」は現実の私とは若干の剥離があって、さながらファムファタルのような人物像となっている。甘えた、自由奔放、無邪気、魔性。なんと、この崩壊しきった「家族」を生きるための媚びスキルで覆われた状態こそが真の「私」だと思われているのだ。笑えてくる。わずかながら存在した、幼少期の楽しかった記憶すら今となってはむなしい。昔から、家族のだれも私のことを理解していなかったのだ。
家族にまつわるもの、全部気持ちが悪い。この人生は一体なんだったんだという気にすらなる。父、きょうだいは私に対する理想化をやめてほしい。母の精神性についてはいまだに何一つ理解できず、母自身どんな歪みを持っているのか底が見えなくて気持ち悪い。
極力実家には寄り付かないようにしている。きょうだいとも関わりを持っていない。現在の住所も誰にも教えていない。実質縁切り状態とも言えるかもしれないが、お前らの行動は最悪だった!二度と会わない!と宣言したわけでもなく、しれっと無言で距離を置いているだけにすぎない。なにかあったときには連絡が来るし、実家に帰らざるを得ないこともある。
いつまで媚びスキルでやりすごす段階にいるの?と自分自身に対して思うのだ。毒親、機能不全家族に対する勉強もした、今まで言語化できなかった苦しみをこうして文章化するまでに至れた。甘えたふりでかわす必要、もう無いんじゃないの?怒りの感情だって、泣いてわめいて拗ねたふりでごまかすんじゃなくて、言葉にして、ちゃんと伝えて、一回区切りをつけようよ。……そんなことはできるのだろうか。だが、家族との区切りをつけないと、私自身に成れないような気もするのだ。
家族は呪いだ。血のつながっているだけの他人なのに。「良い家庭」で育った子と会話すると否応なしに私の置かれた環境がどれだけ異常だったか実感させられ、みじめな気分になる。ふとしたときに自分の言動が父や母のそれと酷似していたことに気づき、ゾッとする。染みついたものは変えられない。でも変えていくしかない。
怪しいみょうちくりんな日本語訳を記し記し、
それこそスパム風味の本だし満載の文面でお送りする、
てっきりフィルターをすり抜けた迷惑メールかと思っちゃいました。
あのさ、
お肉とか広げたり食材のせたりして置いておけるアルミバットってあるじゃない。
私別にいままでそういうの使わなくても平気だったんだけど、
人間を2種類に分けると
でさ、
それに、
今までお肉とか入ってる発砲トレイのままで調理しちゃってることもあり、
遂に!遂に!全私が泣くほどの
そしたらよ、そしたら、
鶏肉とかも一気に256枚ほど並べて一気に塩コショウふりふりできちゃうわけなのよ。
結構何でも使えちゃいそうで便利なことにもっと早くから気付けばよかったわ。
日々人間は成長ね。
そう思ったわ。
こればっかりは目をそらさずに便利なものは便利だと正直に言って行きたいものね。
ファイナルファンタジーでちょいちょい出てくる家の中のピアノを弾くと、
なんとなくピアノが上手くなった気分と一緒よね。
強い剣でざくざく斬る感じのやつ!
うふふ。
最近は単品の味より、
銀行の普通預金の金利で50円稼ぐには何年かかんだよ!って話でもあるし、
本当に噂だったのね。
んなわけないじゃーんって。
桃1つくたびれているのがあったのを安くセールしていたので、
デトックスウォーラーにしちゃうからって気にせず買っちゃったわ。
桃を押さずに美味しいのをどれか見分けるって話を聞いて
お後がよろしいようで。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
例外的に、社会人になって少しの間スクールに通っていたことから、かろうじてテニスでダブルスのゲームっぽい「ボール遊び」ができる程度。
それで、具体的に球技の何が苦手なのか考えてみると色々あるけど、その中でも致命的な問題なのが、おそらく
だと思う。
バットやラケットを使う系の球技やバレーのサーブだと「手打ちするな」という注意はよく聞くし、投げる系の球技でダメな投げ方が「女の子投げ」と揶揄されたり、サッカーも利き足じゃない方の踏み込みはかなり大事と聞く。
で、ココらへんは全て体重移動の話なわけで、自分はテニスを習うまで自覚できなかった。
自覚できなかったので、とにかくどんな球技でもボールが全く飛ばず、結果学校の体育は筆記試験と水泳でスコアを稼ぎ、なんとか通信簿の評価1を免れる体たらくだった。
でも当時は足腰の使い方の問題であるとは気づかず、腕の使い方ばっかり気にしていた。
そして結局、打球でも投球でも最低限のお約束として、利き手の反対側の足を踏み込むのが大事ということに、後で教えられるまで気づかなかったと。
まさしく運動音痴の見本だ。
というわけで、どうにかフットワークの重要性に気づいたのだが、それでもなお
「足を踏み込んだときとそうじゃないときで、なんでこうもボールの飛びが違うんだ?意味がわからん」
という疑問を、長年抱いていた。
それがようやく最近理解できたのだが、わかってみれば結構簡単(高校物理でほぼ最初に習う、基本中の基本の話)だった。
要は、ボールに伝わる力は、身体で動かした部分の質量と加速度の積であり、加速度が一緒なら、力は質量に比例する。
だから手だけ動かすのと、足を踏み込んで体全体を動かしたのでは、実のところ腕の質量と体の全質量という大きな違いがあり、それがそのままボールの飛びの大きな違いになると。
運動エネルギーもまた公式の通りなので、ボールの速さだって断然違ってくると。
なんだよ、そういうことかよ、なんで誰も早く教えてくれないんだよーと思った。
とはいえ、得意な人は多分こういう小難しい原理的な話を知らなくてもできてしまうので、教えてくれというのは無理筋だよなあとも同時に思わされた。