はてなキーワード: ダブルバインドとは
流石にこれだけアレな話題も出て、自分としては「もうオリンピック早く終わらねーかな、ニュースで『深刻な感染拡大です、医療崩壊が現実のものとなるかも知れません・・・さて!続いては連日熱戦が繰り広げられるオリンピックです!〇〇選手、今日はやりました!』みたいなのウンザリなんだよなー」って思ってる。
勝手に「あーそうなったらまたストレスだな〜」と思ってるのが、制作系の会社に勤めてるので、「オリンピック開会式の演出のアレがスゴかった」みたいな話題が「クリエイターたるモノ、ネガティブな話題に振り回される愚民ムーブから距離を置いて、最新の技術と表現を、理性的に判断すべし、わかりますか?皆さん」的な空気で語られる未来。
なんかそう言う「ダブルバインドゲームで精神的ストレスに挑戦!」みたいなのがず〜〜〜〜っと続いてて、もう不味い料理でお腹いっぱいなんですけど!
そう言うの言わないで欲しい。
ただ凪の様にこのオリンピックが過ぎ去って欲しい。
できるわけねぇだろ
例えるなら研修なんかはクマは哺乳類です程度のレクチャーだけ受けて
猟銃の免許も何も持ってないのに素手でイノシシやクマ倒してこいみたいな無茶なことを当たり前のように課すような異常な業界構造で凝り固まってるだろうが
しかも槍は禁止とか罠は禁止みたいに手段まで制限されてるようなダブルバインドは当たり前
それで対応できた豪運人間が何でお前はできねえんだって下に当たるからいつまでも人が伸びない超属人化が進む
そいつがケンシロウや鬼殺隊の柱みたいな日本刀や素手でクマ倒せるバケモンだったとかならまだしも
サービス立ち上げ当初だから失敗当たり前で許されてサービスデザインから自分で決めたようなもんだからわかるだけっていうのがほとんどだし
聞いても教えてくれないしそんなこと独学で覚えろとかいって
こうしなさい、ああしなさい、
なんでこんな事するの!どうして私の言う事が聞けないの?
↓
どうしていちいち人の顔色を伺うの?意見を聞くの?
自分で考えなさい!
↓
あああどうして勝手な真似するの!
何かするときは人に聞きなさいと~
↓
(繰り返す。たまに暴力を加えるとよし)
こうすると「人の顔色を常に伺う、自主性や積極性のの無い、臆病な子供」が完成する
どういう風に行動すればいいか全く分からず、人の視線や意見を異常なほど怖がるのだ
みんなも子供ができたらやってみよう!
966 名前:優しい名無しさん[sage] 投稿日:2008/12/20(土) 12:29:23 ID:AiKiE0c
『犬を縛り付けておいて、電気ショックを与え続ける。
最初のうち、犬は必死で もがくが縛られている為に電気ショックから逃れる事が出来ない。
これを数週間続けるうちに犬は「自分は無能で何をやってもムダだ」という感覚が植え付けられ、
そのうち 電気ショックを受けてももがかなくなり、ひたすら衝撃をガマンするだけになった』
『極度の無気力状態に陥った事が確認された後、セリグマンは犬の縄をほどいて
逃げられるようにしてやったがそれでも犬は黙って電気ショックを与えられるがままで
逃げだそうとはしなかった。努力をムダだと信じ込んでしまった為「逃げる」という選択肢を失ってしまった。
そしてセリグマンは犬を抱き上げたり押したりして 電気ショックを受けない所まで動かしてやり「逃げれば助かる」
という事を再度 学習させた後、再び元の場所に戻し電気ショックを与えた。
犬は逃げれば痛くないと 判ったはずなのにやはり動こうとはしなかった。
一度無気力状態になった犬はさっき痛くなかったのは誰かが助けてくれたせいで、
自分では何も出来ないと信じていたのだ』
これは人でも同じ。「あれをしてはいけないこれをしてはいけない」と言われ続けた人間は消極的な性格になる。
そういう育て方をしたにも関らず、気力を奪われた我が子の怠惰な生活を見て
「あんた彼も出来ないの?」「友達居ないの?」「兄弟姉妹は結婚してるのにw」
自分は数年前に結婚できた(元?)非モテ男性なんだけど、結婚したことで恋愛ゲームから降りられて本当に良かった、というのが、noteの某記事を読んでの感想。
女性をダッチワイフであるかのように眼差すホモソーシャル的な男の子ノリには小学生の頃からまったくついていけず、そうかといって、いわゆる女心の機敏みたいなものにも疎くて当然モテるわけもなく、周囲からはちょっと爪弾きにされたような感じで人生の大半を過ごしてきた。
でも、そういう立ち位置にあったって、自身の内側からは多少の性欲や孤独感が湧き出してくるわけで、そうした衝動にかられて異性と良い仲になりたいと思ったりもしていた。イケイケの男女の交際や恋愛を理想的に祭り上げる世の中の雰囲気や価値観もそうした衝動に一役買っていて、自分がモテないという事実に必要以上に焦っていたと思う。
性別を考慮するより前に相手の人格を尊重したいと思うのだけれど、そうした内外の圧力によって形作られた衝動がときどき理性を裏切り、あわよくばもっと仲良くなれないだろうかという感じで、男性が相手であるときにはしないような内面への踏み込みの試みを、女性相手にしたことが何度もある。それはたとえば、偶然を装ったメールを送って会話を続けてみることだったり、一緒に街を歩いたり美術館に行ってみませんかと誘ってみることだったり。
当時の自分としては、嫌なら断ってもらえれば良いし、という気持ちでそうした誘いを投げかけていた。けれど女性からすると、下心の透けて見えたかもしれないそうした誘いを投げかけられること自体が不快だったかもしれないし、男性から女性に対して絶え間なく押し付けられる性的なハラスメントに連なるものとして、忌避感を抱かれていたかもしれない。冷静になると、そうした男性としての自分の業に嫌悪感を抱き、異性にそうした迷惑をかけるくらいなら自分は一生ひとりで生きていくのだとも思う。けれど、内側から湧き出してくる性欲や孤独感が理性をたぶらかし、いつしかまた女性に「あわよくば」という誘いかけをしている自分を認め、自己嫌悪に陥るのだった。
今考えて唯一救いに思えることは、社会的立場が自分より下にある女性に対しては、そうした誘いかけをしなかった(と思っていたけれどひとつだけあった。業が深い…)ことだ。
恋人や配偶者などのパートナーが自身にいない状態では、内側から湧き出す衝動に突き動かされ、しかし獰猛な男性性を理性は拒否し、ダブルバインドの状態で女性に接することになる。自身の下心と格闘し、相手の心を読もうとし、自分がどう思われているか、好意を持たれ得るのか、メタにメタな視点を重ねて自身や相手のことを考えに考えるが、答えはどこにもみつからない。
こうした葛藤と心の読み合いの恋愛ゲームは本当に自分を消耗させる。もし自分がこうした煩悶なく、目の前の相手と性別に関係なく対等な人間として向き合うことができればどんなに良いだろうかと、何度も何度も思うのだった。
そんな時代を経て、私は運良く結婚することができた。そして、この恋愛ゲームから降りられて本当に良かったと思う。当時、パートナーも異性との駆け引きみたいなものに憔悴しており、お互いに早くこのゲームから降りたいということで、付き合いはじめてからすぐに結婚しようということになった。
誰かの配偶者という立場になることで、もう相手を探さなくていいのだという安心を得ることができ、他者からは「この人は下心を持って私に接してきているのだろうか」と思わせてしまう負担を減らすことができる。独身時代は、性別に関係なく人間として惹かれた異性に対し、もっと相手のことを知りたいと何らかのアプローチを試みていく際、下心を持って接してきていると思われていないだろうか、という恐怖が常にあった。たとえ結婚していても不倫などはあるからゼロにはならないものの、夫というステータスを手に入れ薬指に結婚指輪がはまっている現状、異性との人間関係を構築していく際、過剰な自意識に悩まされる場面はだいぶ少なくなった。
女性からすると、気持ちの悪い下心を振りまいておいて、贖罪もなしに自分だけ「あがり」になってまたこんな気持ちの悪い文章を書いているのかよ、ということになってしまうかもしれない。そんな人間がこんなことを言うのはまったくおこがましいかもしれないけれど、誰しも目の前の相手と性別に関係なく対等な人間として向き合うことができればどんなに良いだろうか、ということを心の底から思う。
ここは会議場ではないのだから誰かの時間を奪うということもない。ついていけないならスルーすればいいだけだ。
こういうタイプのは “half baked” なアイデアとか言われている。こういうのがいくつも議論の叩き台になることで例えば革新的なソフトウエアを生み出してきた。俺は大いに良いと思うぜ。
はてなでも、どちらのルールが「正しい」かばかり議論されていて、「真面目な人がダブルバインドにとらわれて、心を病んだり消耗しやすい状態そのもの」は軽く見られているように思える。
記憶が正しければたしか宇崎ちゃんのトピックが盛り上がってたとき、増田で「いい加減うっとおしい」って病んでた人を見かけたことがある。
本格的にみんなが入り込むためには、もう少し身に迫った気苦労の吐露が要ると思う。増田でやるにはクソ長い話がやはり、必要になってくるでしょう。
はてなでも、どちらのルールが「正しい」かばかり議論されていて、「真面目な人がダブルバインドにとらわれて、心を病んだり消耗しやすい状態そのもの」は軽く見られているように思える。
自分が問題にしたいと思っているのはこの状態なんだよ。どちらのルールが正しいか、にこだわっている人から見ると何言ってるのかわからないかもしれないけど。
どちらかと言うと、それは女子供だから大目に見られているパターンの1つだと思えるので、男尊女卑の1事例だと思う。男尊女卑に無理矢理違うロジックを接続してバグっている感じかな。
今は新しいルール体系への過渡期にならずに体系化が壊れた混乱期になってるからしんどいのだと思う。
古い実績のある(時代に合わないかもしれない)ルールも新しい(玉石混合の)ルールも入り混じっていて、どのルールが適用されるかは(そのルールを体現していると思っている人以外には)不確かなギャンブルみたいになってる。
お互いに矛盾する出所の異なる体系化されていないルールがいくつも知らない間にどんどん増えて、そのすべてに従わなければいけないんだからストレスも凄いし、ダブルバインドに陥って真面目な人ほど精神を病んだりする。
逆に、目先の利く人間はルール群の矛盾をうまく利用して立ち回るてのがパターンな。
さて、この件で、「最初から五輪反対だし、いい機会だからやめちまえ」派とか「コロナで五輪どころじゃないから残念ながら中止」派あたりは、迷いなく森を叩ける。なんなら、いっそ本人自体が女性差別主義者であっても、『公の場でアレ言っちゃうのはさすがに不謹慎ですよねぇー(ニヤニヤ』くらいのノリで森叩きして、でもって森を更迭すれば五輪自体の推進力が落ちるので、自動的に五輪中止に繋がってバンザイ、ということで連帯している。困ってるのは、本来五輪を推進したい人。森を下ろさないと五輪自体がダメージ食らうから森を下ろしたい。だが森を下ろすとこのコロナ禍では、推進力を失った五輪は開催不能になる。それで判断が停止してしまっている。悪意ではなく、ダブルバインドで判断停止して止まってしまっているのだろう。だが、それは悪手だ。アリンコよ。
このまま手をこまねいていればトウキョウ2020は「女性差別五輪」「レイシストオリンピック」として記憶されることになるぞ。なにせ、公式の場で差別発言をした上で(同席した委員もそれを咎めるどころか追従笑いをするヤツまでいる始末)、その”謝罪会見”では逆ギレして記者を恫喝するような人間が日本を代表する五輪組織委員会の長なのだ。こんなオリンピック見たことない。差別肯定の老害パワハラオリンピックだ。あれが問題ないというなら、じゃあ開会式で森喜朗のあの「差別演説」と「”謝罪”会見」をセットで世界に向けて見せても大丈夫だと思うのか。それとも生で原稿無しで挨拶させて「女性アスリート増やしすぎると競技が終わらなくなるから。もっともみんなわきまえとるから大丈夫かねえ、なんつってな。ワッハッハ」とか言わせてみればいい。そこまでいかれてるなら、いっそやって……いや嘘だやめてくれ。そこまでやったらさすがに全日本人が海外に顔向けできなくなる。
そして思考停止の状況というのは、こういうこと(開会式で全世界放映)をリアルタイムでやってるのと同じだと自覚した方がいい。君らは藪に頭だけ突っ込んで隠れたつもりの七面鳥か何かか? 既に演説全文の書き起こしが報道されているのだから、海外の目を免れると思うのはズレている。その結果、世界中から批難が集まってしまったら、もうその後アレが長を退こうが退くまいが、全部終わりだぞ? 自分らの手で引きずり下ろせば、まだ僅かにワンチャンある、って段階なのに、薄ら呆けて判断停止してしまっている推進派が哀れでならない。まあそうやって、泥船が錨と共に沈んでいくなら勝手にやって欲しいが、そんな泥船に乗せられて、一蓮托生にレイシスト扱いされる関係者及びオリンピックが本当に気の毒だ。