はてなキーワード: アセクシャルとは
ひらたく言うと私は性嫌悪なしアセクシャル
アセクシャルは何かというと他人に対し性欲を持たない、ゆえに恋愛感情を持たない
恋愛感情って性欲+友情のようなもので合っていますか?そう解釈しています
一方、性嫌悪なしについて
アセクシャルの中には性的な行為について嫌悪感を持つ人も少なからずいますが、私の場合は性行為自体には何の感情も持っていません
アセクシャルの自覚を持つのが遅かった要因はここにあるように思います
付き合おうと言われれば、好きという感情も分からぬまま断る理由がないので応じる
セックスしようと言われれば、性欲を持ち合わせぬまま断る理由がなく応じる
そうやって意思を持たずに適当に相手に合わせていけば、何も考えなくて良い
付き合うこともセックスすることも、電車内で老人に席を譲るのと同じような感覚で見てしまっていた
ここ数年でそれはズレた感覚だと。少なくとも世間一般の感覚ではそんな風に簡単に付き合ったりセックスをするものではないのだと分かってきた
今の目下の悩みは悩みというには大げさかもしれない ただ、「彼氏つくらないの?」と聞かれるのが非常にだるい
ペットを欲しがる人もいればそうでない人もいるように、恋人を欲している人ばかりではないということが認知されれば煩わしさは減るかもしれない
恋バナ盛り上がってていいなぁ
いつまで聞き専なんだろうか
なんとなく好かれてるのがわかって、お試し半分で付き合ったことはあるけど
そんな感情向けられても私は何も返せない
まだです。なんて言ってもうそでしょーって言われるから言わない
初恋なんてきてねえよクソ
好きなタイプは?
好きになったことないんでわかりません
好きってなんですか?
その人見るとドキドキしたりするの?
チューしたいなぁとかセックスしたいなぁって思うの?
相談にも乗れない
話をきくことしかできない
ごめんね ごめんねみんな
きっとなにも役に立ててない
それどころかわたしにはあなたの気持ちも相手の気持ちもわからない
異性として好きになったことない
わたしはきっと何も残せない
きっと処女のまま閉経するんだろうな
想像するだけで吐きそう
人を愛せないのって欠陥なのかな
アセクシャルを若いうちに判断するのは早計だって言われるかもしれないけど
けど現状は変わらないわけで
彼氏ほしくないからって拒否し続けてるけどそろそろ連行されそうだ
やだなあ
私ってなんなんだろうなぁ
ユーリオンアイスが、少なからずイデオロギー的色彩があるっつうか、つまり「BLなにが悪いねん、同性愛なにが悪いねん、みんな同じ愛だ!」というメッセージ性が高い作品だとしたうえで以下を書くんですけど。
一般論として、消費者にせよ作り手にせよ、BL萌えや百合萌えにイデオロギー的だかポリコレ的だか思想的だかな正当性を持たせようとすると、LGBT地位向上論に繋がりやすく、その論を更に磨いていくとジェンダーフリーやジェンダーレスにまで至ると思うんすよね。
腐女子や百合好きがその辺のリベラル思想を口にするのは見たこと多いと思う。
もしその思想に集うなら、自分もジェンダーフリーに賛同しているというスタンスになる。
しかしジェンダーフリー論陣で生きるには、己がバイセクシャル・アセクシャル・パンセクシャルあたりの、性的対象や萌え対象が相手の性別に関係ないですって人間じゃないと居心地が悪い。
だって、好む対象が男性か女性どっちかに限られていたら、「お前、ジェンダーフリーを掲げてるくせに、相手の性にこだわって扱い変えてるじゃん」というツッコミが、他人からも自分からも出てくるから。
でも、そんなこと言ったって両性愛者にはなれないんすけどって人が多かろう。
「男同士の恋愛にとりわけ萌えるから腐女子なんですよ、なのにNLや百合にも公平に萌えるのがイデオロギー的に正しいと言われても困りますよ」って人が多かろう。
自分の萌えを正当化して心を安定させたかったはずなのに、理屈を詰めていくうちに、かえって己の正しくなさが明確になってしまう。
BL萌えや百合萌えがイデオロギーを纏おうとすると、しばしばそういう問題にぶち当たる。
BL萌えだけでなく同性愛全般萌えに守備範囲を拡大しなければ、セクマイ全般萌えに守備範囲を拡大しなければ、マイノリティでもメジャーでもあらゆる姿への萌えまで守備範囲を拡大しなければ、理論武装に穴が生まれてしまう。
困ったもんですね。
んで、ユーリなんすけど。
というのはつまり上で書いたようなことで、ユーリのメッセージ性の強さは、BLへの肯定だけでなくジェンダーフリーの推進にまで至っているんじゃないでしょうか。
男同士で恋愛したっていいじゃん、にとどまらず、性別なんかにこだわる必要ないじゃん、というメッセージが発されている。(と、受け取る人もいる)
しかし、BLは好きだから「男同士の恋愛したっていいじゃん」て話には賛成するけど、他のどんな恋愛でも残さず食えと言われても困る、性別にこだわらずにはいられない、っつー腐はいて、それが
その他「腐狙い」アニメにおける「過剰な妄想の種まき」とは異なり、このアニメで2人の関係は肯定されるべき清らかなものとして直接的に言及された。2人の関係がなにかしらの愛でありながら、本人も周りも性別を気にかけることなく「人によってはこんな人生もある」と認められてしまったら、そして、それを「特になんの注意書きもする必要のないもの」とされてしまったら、そこに男女か男性同士か女性同士かという境目がないとするならば。
という抵抗感や居心地の悪さを生んでるんじゃないかなーと思う。
まあ自分は腐女子じゃなくて百合豚の男だから、全然ピントが合ってないこと書いちゃったかもしれん。
追伸
「ジェンダーフリーとジェンダーレスは違う。ジェンダーレスならすべての性別を愛することを強制してくるだろうが、ジェンダーフリーはどんな恋愛でも肯定するだけで異性愛や同性愛が偏っていると否定するわけじゃない。ユーリはジェンダーフリー的世界ではあってもジェンダーレスではない」
みたいな指摘もありそうだけど、たとえジェンダーフリーとジェンダーレスを区別するとしても、異性愛者は既存体制との対立要素が少ないことにより、イデオロギー闘争において自分がジェンダーフリー陣営への貢献度が低い気がして居心地が悪くなりやすいだろうから、あんまり話は変わりません。
正直、女の言う自称同性愛者やアセクシャルは全く信用していない。
そんな事言ってても男に迫られたらさっさと結婚し子供を産むんだろうと思ってる。
逆に、彼氏欲しい欲しい結婚したいしたいと言ってる女の方がいつまでも一人身の可能性は高いくらいに思う。
だってほんと、男要らないとか女の方が好きとか言ってる女に限ってとっとと結婚していくからな…マジで。
もしかしたら
自称同性愛者やアセクシャルの女=男なんてみんな同じだと思っているから拘りがなく、割とどんな男とでもセックスできる
自称異性愛者の女=男に対して拘りがあるので好みの相手としかセックスしたくないと思っているのでいつまでも結婚できない
……って事なのかもしれない。
だとしたらやっぱり、イケメン好きとか一途とかそういう、「異性愛者だけど拘りがある」女性も十分セクシャルマイノリティだよなーと思う。
http://anond.hatelabo.jp/20160713084827
元増田は悪くはないんだけど、いろいろと指摘したくなるので、申し訳ないが書き直してみた。
この知識を頭に入れてくれないと、誤解しやすい。
この知識があると理解が進むのです。
生物学上の性が男 and 女性的な格好・言葉づかいをしている
自分で自虐的な意味で使うのは良いが、他人にへ使うのは好ましくない。
メディアはオカマという言葉を控える代わりに別の呼び名を作った。
それがおネェである。
ただし、これに侮辱のニュアンスを感じる人もいるため、今後オカマと同じ運命をたどるかもしれない。
また、おネェと自称する当事者はあまりおらず、メディア上の(特にバラエティ番組での)特殊な言葉である。
→「生物学的な性が男 and (女性的な格好をしている or 男性が好き)」のor抜いた
他は文句ない。
生物学上の性が男の人に主に用いられる言葉で、異性装(男なので女装)の嗜好がある、ということ。
生物学上の性が男 and 男性のみが好き and 性同一性障害ではない
ttp://anond.hatelabo.jp/20160118180656
女装の嗜好があるかは問わないし、自分の観測してきた範囲だと、ゲイで女装して過ごしている人は少数派だ。
生物学上の性は厳密には問わない。
レズと省略すると、侮辱するニュアンスが含まれるため、「ビアン」と省略するのが穏当。
LGBTのL。
実は、格好や性対象は関係なく、自身の性に対し違和感を抱いているかどうかで判断される。
女性から男性になる、男性から女性になる人は、トランスジェンダーと呼ばれる。
性指向は、自分は女性だと思っているので、男性になる傾向がありそう。
自身を女性らしくすることを強く望み、普段から女性の格好をしようとする、またはできるようにする。
女性ホルモンを使うことで見た目を女性的に近づけることができるが、1年以上かかり、成果もばらつきがある。
生物学上の性と性自認の問題なので、性指向等は関係ありません。
ただし、性同一性障害の人にとってこれは侮辱の言葉なので使うことは禁忌だ。
上記の属性以外にも、少数だが、ナルシズムやマゾヒズム、破滅願望などの性癖を満足する手段として女装をする人がいる。
また、厨二病の延長で、何もない自分に何らかの特殊性を獲得するために女装する人もいる。
それらがいきすぎて女性ホルモンを使ったり性転換までしてしまう人も見られる。
しかし、彼らは社会的な承認を得るために性同一性障害と主張するので、結果的に性同一性障害の人と見分けがつきにくくなる。
その動機故に、性対象は女性、または両性である割合が高い傾向がある。
特殊であることが彼らをかりたてているので、承認欲求を満たすべくSNSをやっている人が多い。
逆に、性同一性障害の人は自身の過去を隠し、元男性であることを明かしたくないのでSNSでそれを主張する人は少数派である。
→条件が単純、というか、ただの嗜好。ま、分析は好きにして。
個人によって何がOKで何がNGかはバラバラなので、当たり障りのない呼び方をするのが良いと思う。
最大公約数的な対応を考えるなら、オカマやおネェ、女装という言葉は使わず、女性と言えば丸く収まる。
もし、厳密に男性として扱わなくてはいけない場合は、「生物学的に」男性と一言つけることでだいぶ印象が変わる。
基本的にこの手の話は、プライベートな情報なので、親しくなってから聞くものです。
遺伝子がXXかXYか、で良いと思うんだけど、、、XXXとか例外がいるんですよね。
例外の人には申し訳ないけど、男性・女性・その他、の三分類が適当かな。
基本的なコミュニケーションにおいて、生物学上の性が重要になることはあまりないと思います。
強いて言うなら、トイレや更衣室を用意しないといけない立場になった場合に、
また、生物学上の性により思い込んでいるケースもまま見られます。
これも第三の性を提起する人がいるので、男性・女性・その他、の三つ。
相手のアイデンティティーなので、基本的なコミュニケーションでも留意する必要があります。
他にもいろいろあるらしいですが、その他、として5分類とします。
同性愛(ゲイ・レズビアン)、異性愛(ヘテロ)、両性愛(バイセクシャル)、無性愛(アセクシャル)が関係する言葉です。
生物学上の性ではありません。
性同一性障害でなければ、ややこしくはありませんが、性同一性障害の場合、
以下の組み合わせが発生します。(単純な組み合わせのみ)
生物学上の性 | 性自認 | 性指向 | はため | 実際 |
---|---|---|---|---|
男 | 女 | 異性(男が好き) | 同性愛(ゲイ) | 異性愛 |
男 | 女 | 同性(女が好き) | 異性愛 | 同性愛(ビアン) |
女 | 男 | 異性(女が好き) | 同性愛(ビアン) | 異性愛 |
女 | 男 | 同性(男が好き) | 異性愛 | 同性愛(ゲイ) |
外見に顕著に表れるのは、異性装か否か、ですね。二分類。
男装、女装、異性装(クロスドレッサー、ドラァグ、トランスヴェスタイト)が関係する言葉です。
元増田でも触れられているように、生物学上の性が男・性自認が女の人に「女装」というのは危険でしょう。
現在の性という書き方をしたのは、性転換をしていた場合、生物学上の性から変わっているからです。
ここまでで、性同一性障害とゲイ、女装までは、分類できました。
最後「オカマ、おネェ」ですが、、、用語の定義が明確ではないのが実態です。
ホモフォビアとして「オカマ」という単語が発せられる場合、「ゲイ」に対してが多そうです。
その勇気や覚悟に心を動かされると同時に、己を振り返ってみたのだが
そもそも、私は、自分が異性愛者か同性愛者かそれ以外か、断言することができないな、と思った。
友人としては決して嫌いではなかったのに、その好意はまったく嬉しいと思えなかった。
多分、私は、友人が私に対して、恋愛的な好意を持った瞬間がどこだったかを知っている。
一瞬「あれ、いま、変な雰囲気になったな?」と思ったのだが、疑ったりへんに距離を置くことは友人として失礼だと思ったため
意識的にスルーして、友人として付き合い続けていたのだ。その数ヵ月後に告白されるに至ってしまった。
告白はすぐさま断った。そうしたら、もう友人としてさえ話せなくなった。
それ以来、「あれ、いま、変な雰囲気になったな?」を感じ取ったら、その男性からは離れるようにしている。
その気もないのに好かれるのは重荷だし、応える気もないなら早めにはなれるべきだと思ったからだ。
もともと友人だったり同僚だったり、恋愛以外の関係性を築いてきた人から
恋愛対象として見られるのがすごく苦手だ。
そんな風に思わせてしまった己に問題があったのか、とどこかで自分を責めてしまう。
それでも、何度かは男性と付き合った。
「人と一対一で付き合うってことから逃げちゃいかん、人生の中で必要なことだ」と己を鼓舞し、
たとえば昔の同級生であったり、ライブなどに出かけた先で知り合った人であったり、
付き合っても別れても周りに一切影響が出ない人を選んで付き合った。
そういうとき、「好かれる」ことは嬉しいことだなと一瞬だけ思えた。恋愛の高揚らしきものもあった。
けれどもその後は、ただひたすらに面倒で、性的な接触が気持ち悪くて、
3ヶ月と耐えることができなかった。
かといって、同性愛者なのか、と考えるとそれもそうは思いがたい。
尾篭な話で申し訳ないが、ではお前には性欲がまったくないのかと言われると、あるにはある、とは思う。
でも、別に、そのためにお金を使う気はしないし、相手を探す気もしない。一人でひっそりと処理できる程度のものだ。
アセクシャルという言葉を知ったとき、わたしはそれかもしれないと思った。
けれど、アセクシャルは性欲自体がないのだという。そうとも言い切れない。
なにより、「私は無性愛者だ!この先恋愛もしないし結婚もしない!」と言い切るのは不安だ。
もしかしたら、精神の成長がどこかいびつなだけかも知れないし、
性嫌悪や何か別の要因があるのかもしれない。
誰かを好きになるならば同性でも異性でも両性でも言えてしまうのだろうが、
「だれも好きではない」状態がいつまで続くのか、これは性志向の問題なのか、それがわからない。
結婚なんてしないよ、恋人なんていなくてもたのしいよ。今のところは、そういって笑っていられる。
けれど、自分の性志向について、いつまでもブラックボックスのようなものが足にまとわりついている。
きっとこのブラックボックスは、これから年齢を重ねるとともにその存在感を増すだろう。
どう向き合っていけばいいのか、未だに覚悟を決められずにいる。