はてなキーワード: おkとは
・乳飲み子の時期であれば母乳育児に成功すれば担げる体力のあるかぎりたいていのところにはいける。ただし泣き声がまわりの迷惑になる場所はいけないけど託児映画館くらいならおk。
・離乳が始まるとメシとか面倒だが保育園の一時保育か親に預けられればおk。復帰して保育園にあずけながらというのもあり
・小学校が始まると午前中が自由になる、あと夜遊びもたまにならできる。ここで一生に一度しかできない異ジャンルママ友探ししたほうが得だと思う。特撮とかアニメとかジャンル違うけど子供は仲良しみたいだととてもうふふな関係になる。つまり、子供をあずけたり預かったり、二家族合同旅行などだ。
・中学、高校も大体同じだが、子供が物心つく。趣味のあるママかこいいと尊敬していいのかバカにしていいのか迷う時期。そこでいい背中を見せよう。趣味のある女かっこいい。
・大学受験~大学は総仕上げ たぶん似て非なるジャンルのファンに育つけどそれもまた楽し。
・子供が就職して手が離れてくれたらまたもどってくればいいよ ジャンルが死ぬことはない。
つまりジャンルから撤退するのではなく、子育てというもう1つのジャンルを増やすだけだ。
社会が金銭援助くれたりほめてくれる「育てゲー」なんて他にない。
医者だって動物の医者より小児科の方が多い、医療費援助のある自治体ならただでつれていける。
頑張れ。
ここで言う(私の考えると読み替えてもおk)「攻略」は、システムを分析して、ボスのパターンを把握して、稼ぎ場を探してパターンを作り出して……そういった事の積み重ねから産まれる「制圧」の快感みたいなもんかな。
パターン見きれてなかったりシステム理解しきれてなかったりね。
その状態で手探りで頑張って最悪レベリングの暴力で叩き伏せるのが「下手くそプレイなりの攻略」であって、それはそれで「脳みそ使わず無理やり制圧した」って気持ちよさはあるんだけどね。
でもそれとは違う完全にゲームの内容を読み切って、最短ルートや超効率プレイで「完全制圧」してしまう「攻略」を見たくなる日もあるのですよ。
長年自分が根性攻略ばかりしている反動か、そういった「完全制圧」の見たさがだいぶ溜まっているらしいんだよね。
だからゲームを自分でプレイするよりも他人の完璧なプレイを見るほうが楽しくなってしまった。
最近のRTAブームとかはまさに「完全制圧」の極地みたいなもんだし、解説をしっかり入れてくれる動画も多いからとても助かってる。
そんでその動画に夢中になっているうちに可処分時間を自分がゲームやるのに回せなくなってきた。
すっかりはゲームが「プレイするもの」から「見るもの」になってしまったのは自分の中での大きな変化を感じる。
元スポーツ少年が試合の観戦ばかりするおっさんになったり、プレイヤーからプレイングマネージャーを経てすっかりマネージャーになって現場に出る時はもっぱら監督役になって手を動かさなくなったりするような、そういう変化が起きてる。
それが悪いわけじゃないけど、人生に変化が起きていく程度には自分も年取って来てるんだなあとふと思ったよ。
自分はこんな理由で動画を見てるから、凄い上手い人の徹底的に編集された動画が大好きなんだけど、世の中には逆に下手な人の生放送とかが好きな人もいるんだよね。
これは妄想の域をでないんだけど、そういう人は私と違ってゲームが上手くて自分で遊ぶと自然とゲームを「攻略」して「制圧」していけてしまうから、根性で攻略したりする姿を見るのに飢えてるんじゃないのかなと。
下手なりに上手くプレイ出来るようになったり、簡単なパターンを見抜けずに何度もボコられて、最終的には特定の攻撃の回避は諦めてポーションがぶ飲みでボス戦を乗り込むようなプレイを体験しなれてないから、他人のプレイで追体験したがるのかなと。
ネットにはこのアニメがおすすめ!の情報は沢山有るけど、「このアニメは見なくても良い」という情報が少なすぎると思うのでちょっと情報共有。面白そうに見えて実際はつまらなかったアニメだけ紹介。見えてる地雷は放置で。
・リライト
原作でおk。圧縮失敗で何が面白いのか伝わりきらない内容になってる。時間かかるから原作やる気がないならそもそもこっちも見なくておk。
・幼女戦記
6話ぐらいまで見れば十分。話が大きく動き出すタイミングでラストを迎えるので尻切れトンボ。何となく世界観に触れる程度の所まで見た方がキリがいい。なんなら1話だけ見ればいい。
・カオチャ
Rewriteよりもっとどうしようもない。本当にどうしようもない。どうしてこうなったすぎる。原作やれ。
・バンドリ
頭きらきらしててついてけなかった。主人公チーム以外のバンドに興味があるならゲームやった方がいい。主人公チームに興味あって見るなら頭きらきらっぷりを覚悟してから見るべし。
本当にアカン。これはアカン。リアルタイムでやいのやいの言いながら見る分には何とかなったけど、後から追いかけてみるのは絶対にやめるべき。見るならせめてコメント付きの所で。硬派風でガバガバしてるアニメが好きなら逆にオススメなのかな。考えれば考えるほどおかしい所が見つかる。
後半から面白くなってきたと思ったら煮えきらずに終わる。前半は退屈。オッサンが覚醒する回とか瞬間的に面白い所はあるんだけど平均点を取るとかなり厳しいアニメ。
・よう実
俺が説明する必要ない気がするから放置。キャラ目当ての人は果たして得したのだろうか。
・UQホルダー
素直に三太くん出して終わりで良かったかな―。ネギまの続きをやろうとしすぎた印象。最後の方のノリがマジでアニメ版のネギま思い出すんだよなあ。でも旧アニメの全員パクティオや時間遡行は一応原作の設定を先回りして拾っていたから評価できるんだけど、今回の駆け足ラストはコンセプトを見失って迷走しただけに見える。ネギま2を名乗っていた所でこのオチまで未来視しておくべきだったんだろうか。いやマジでアニメ一作目のあのラストは初代ネギまだからギリセーフだったわけでなあ……今回大雑把にリメイクしても通らねえよ……。同窓会アニメやりたいならもう最初からオリジナルルートでよかったでしょ。なんで中途半端にあそこまで進めたんや……
普通の基準で考えたらまあそこそこ。でも序盤は凄い楽しくなりそうだったのに戦争始まった辺りから途端に失速したのでそこを加味してここに。一度勢い落ち後は回復しないので、合わなくなってきたと思ったら切ろう。合う人には合う気がする。冒険者がみたい人は辞めといた方がいい。女々しいアニメが見たいならアリかな。
世界中に生息して、
そして、
可愛くて美味しい!という
すべてを兼ね備えていると言えば、
鯖よね!
まるまると太ったきゃわいーい鯖ちゃんがいたのよね!
捌く前の!
鯖だけにってやかましいわー!!!って
でね
わかるかしら?その鮮度っ!!!
ウェーイ!!!
アイテムの持てる上限いっぱいっ!
そんでベヒーモスに投げるの!
そもそも牛系は魚食べるのかしら?
それはさておき、
頭落として腑とって筒切りにして、
あとは超強火力の
シンプル鯖の水煮を作るのよ!
できたての鯖ちゃん
アイウィルフォロユー!
素敵な鯖だから、
んもー!
ジューシーでめちゃくちゃ美味しいのよ。
もういっぺんに食べちゃいそうよ!
大好きだわっ!!!
でも残りは容器に移して保存。
一晩置いて味を馴染ませたらまたいいわね!
お料理が上手に出来てご機嫌さんでした。
うふふ。
鯖を煮るなら水煮!
これ簡単よね
しばらくの保存食よ。
今年は大丈夫そうよ、
煮汁も余すところなく、
行きたいところなんだけど
流石に塩辛いので、
どうしてもっておっしゃるなら
お吸い物にしちゃえば、
ホッツ鯖ウォーラーのできあがりよっ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
アイマスの記事を例に書いてしまったのため、アイドル増田ーだと思われているのがシャクなので書き直します。
今回はあえて「マウント」について書きませんので前回の記事と主張する部分は変わります。
私が言いたいことはフランクにいって「オタクは老害みたいな事して新規をいじめんな」です。
オタクには「にわかは嫌い」という傾向があります。これは当然、私にも有ります。公共の場でオタ話をするな、オタクアピールをするな。こんな具合で。
まず、オタクがなぜこんなことを感じるかということに「日本の人間はコンプリート癖がある」という話からする必要があります。
例えば、漫画なんかが分かりやすいと思います。1巻買ったら飽きるか嫌いになるかまでは捨てずに全巻揃えようとします。一般的な漫画棚って整っているのが当たり前ではありませんか?1~全巻、または1~ハマっていたであろう巻数までがあり、例えば「巻数もバラバラな本棚」って想像出来ないと思います。本はシリーズであれば揃えるべきなのだと感じるのです。ナゼそう考えてしまうのかは研究者ではないからわかりませんが。
オタクという人達はこの「コンプリート癖」の究極の姿だと私は思います。人に隠すこともなく、このコンプリートを誇ることこそがまさしくオタクの証明になります。
そして、悲しいかな、日本の人間のもう一つの性があります。それが「老害化」です。
「年長者は敬うべき」「空気を読むべき・団体行動すべき」「苦労は買ってでもするべき」「マナーを徹底するべき」「下のものは掃除等の雑務をするべき。代表的な同調圧力はこんなところでしょうか。
海外の事情は知りませんが、これは多分、日本の人間であればどの年代にもあると思います。
言ってしまえば、この2つの組み合わせが「オタクの同調圧力」なのです。
「先人を敬うべき」。まさか常々こんなことを思っているオタクの皆さんはいらっしゃらないと私は信じていますが、残念ながら根底にはあります。ニコニコ動画でプレイ動画でも見ればわかるでしょうが、初見実況なんかでは必ずと行ってある「指示コメ」。うざがられますが、してしまう人はいるんです。本人にとってはちょっとしたアドバイスのつもりなんですが。これが迷ってる人間に対してのアドバイスならばいいんですが、なんにも迷ってない人間に対してのアドバイスはただの「おせっかい」なわけです。
「自分と同レベルを求める」。これは若干感じてる人がいるかもしれませんね。自分と話が合う人とだけ話していたい。知識レベルをあわせたい。ゲームのギルドなんかだと、自分と同じぐらいのプレイ頻度のプレイヤーを望みますし、または自分よりも強い人を望みますし、ついでに初心者も望みます。オタク風にいえば「同士」を求めます。つまり、コンプリート癖と合わせると「同じ巻数まで読んでいる人間と話をしたい」なんて感じるのは当たり前の話です。むしろ1巻しか読んでないって人に「実は○○3巻で死ぬで」なんていったら殺されますよ。
この2つが「にわか」を許せない心の大本だと私は考えています。
自分のほうが先にこのコンテンツにアクセスしたんだという気持ちと浅い知識を語るなという気持ちの2つがあり、にわかを許せない。
このことを私は悪だとは考えていません。必要な選別でしょう。言ってしまえば「自分の周りは自分と同レベルかソレ以上のプレイヤーか自分の話を聞いてくれる人」以外で固めたくないと思うのは当然です。その選別を持って自分のコミュニティを作っていくわけですから。
でも、私はこの行為によって「にわかヘイト」を撒き散らすことはコンテンツにとって駄目だと思うんですよね。自分の中でグッとこらえて消化する事が大切なのではと思います。あなたが「自分の気分が良ければいい」という人間ではない限りは。
コンテンツというのは放って置いたら絶対に衰退があります。よく見る「コミュニティの一生」とかですね。衰退がないと思われているコンテンツは地道な努力により人を増やし時代に合わせていったコンテンツなんです。言ってしまえば仏教やキリスト教なんていう宗教とかですね。ただ、衰退が見えていないだけかもしれませんが。
そうなんです、衰退を招いているのは「入出のバランスを悪くしている」からなんです。宗教なんかが永遠に続いているようにみえるのは、出て行く人よりも入れている人が多いからですよね。
もうおわかりですよね。続いているコンテンツは「にわか歓迎」なんです。だって宗教の場合は「にわかを導いてやろう」ってコンテンツの中の人が思ってるんですから。
宗教って言うとちょっと聞こえが悪いですが、マラソンなんてまさに長年続くスポーツじゃないですか。いろいろな敷居の大会があって気軽に参加できるわけです。
ガチャゲームなんてスマホあればアクセスができます。学生からおっさんまで、貧乏人から金持ちまでいろいろな人がアクセスします。
その中で厄介なことに「自分レベルのプレイヤー」を探してしまいがちです。
そして、残念なことに「自分と同じ程度の人間を作ろう」とにわかバッシングをしてしまうわけです。それがオタクコンテンツの「にわかは来るな」につながります。多分。
これは多分どうやっても直すことはできません。直すことが出来るんだったら日本はもっと過ごしやすい国になっているでしょうし。
なので意識を変える事、そう「寛容」になることが大切なのだと思います。
極論を言えばキリスト教における「黄金律」なんです。他人にしてほしいことは、自分もしなさいとかそういう感じの。
つまり「自分がオタクとして認められたいのなら、相手もオタクとして認める」簡単なことですよね。
にわかも認めてあげる。自分には理解できないけどそういうスタイルなんだと。
それを認めずに「理想のオタク像」を作り上げてしまうから「マウント合戦」が起きるわけですよね。
ゲームで言う「ガチ勢」「エンジョイ勢」の対立なんてまさにそんな感じです。まぁ、ガチ勢エンジョイ勢はレアドロがどうたらこうたら、ランクがどうたらこうたらで「寛容になればおk」で済ませれる話題ではありませんが。
なので、自分は「同調圧力をかけている」と一度意識して、ソレをかけないように意識していくってのも寛容さにつながっていくのではと思い、例のエントリーではあんなこと書きました。言ってることブレブレですみません。