はてなキーワード: 首領とは
ミスターサマータイムこと森元首相とかサメ脳と呼ばれるバカの極みだけど、そんなのが選挙に勝ち続けて党の有力者になって総理大臣にまでなって辞めていまだにでかい面してる。政界は国政地方問わずなんでこんなのがみたいなのがゴロゴロいる。
ワタミみたいな人間のクズが上場企業の首領で一大企業グループを率いている。ドワンゴ川上とかZOZO前澤田端とかクズばっかりだ。
あるいはしばしばはてなで話題になる技術系会社の上司やクライアントの無能無理解っぷりはここにくる連中なら自明だろう。最近も#本当にあったIT怖い話とかが話題になった。
なぜ無能でクズみたいな連中がデカいツラしてのさばっているのか。なぜそんなのが社会や組織の中枢にいるのか。勤勉で有能なみなさんはなぜ報われないのか。
高知市職員ですが、以前のエントリーが思った以上に反響がありましたので、書きます。
以前のエントリー
https://anond.hatelabo.jp/20180728154743
https://www.kochinews.co.jp/article/203672/
高知市の横田寿生教育長が31日付で辞任。7月上旬の西日本豪雨のさなかに、北海道へ市幹部ら7人で競馬旅行していたことに批判が高まっていた。岡﨑誠也市長が記者会見して発表。
7月4日から発生している豪雨災害のさなか、今回辞任した横田教育長、教育次長、総務部の弘瀬優総務部長、諸石信広総務部副部長、その他副部長級2人、課長級1人の合計7人が函館に競馬観戦の旅行に出かけていたことが発端です。(この7人というのが、競馬好きで20年以上の付き合いで趣味で、全国の競馬観戦をしている「有馬会」のメンバーであり、後述しますが、事実上の高知市役所の人事権を牛耳っているメンバーでありました。)
このうち、横田教育長と弘瀬部長は、災害対策本部のメンバーであることから、庁内外はもちろん、市民からも非難の声が集まり、全国区のニュースとなりました。
ここで、誤解してほしくないのが、単におじさん7人が趣味で競馬旅行を行っていたのが問題ありません。公務員だからといって、競馬をしてはいけない、という理由は無いと思います。ただ、タイミングが最悪だった。豪雨災害で西日本を中心に被害が発生しており、高知県内では3人が死亡している最中、この7人は競馬観戦をして、すき焼きに舌鼓を打っていたということ、道義的責任が生じるとともに、公務員にとって最もと大事な「信用」失墜行為にあたるということです。
なお、出発した時点は大きな被害は出ていなかったと、それに代理を立てて準備をしていた等、一部弁明していますが、これもおかしな話です。
というのは、そもそも災害対策本部というのは、当該自治体における防災対策の最高意思決定機関であり、避難所開設、避難指示、避難勧告といった市民の生命に直結する、非常に重要な決定を行う機関です。
責任が非常に重いのでそもそも課長、課長補佐といった代理で務まるわけがありません。そのような理由もあり、大きく報道されました。
後述しますが、この報道に対して当の教育長が「道義的責任はない」と開き直ったことから、市議会の与党会派「新風クラブ」「市民クラブ」「公明党」が激怒し、公明党出身の市議会議長も市長に文書で申し入れをする構えを見せたことで、事態は急変しました。
今回、競馬旅行にいった有馬会のボスである横田教育長は道義的責任はない、と高知新聞7月28日付朝刊においてコメントしていました。
「(旅行期間中は)学校も休みで行事もない。用意周到に必要な指示を出し、態勢を敷いていたのえ、(私が不在でも)特に支障なはなかった。道義的責任も生じない」という認識を示した。
避難所として小中学校は機能するにかかわらず、教育委員会トップと思えない軽い認識で、道義的責任を生じないというコメントには、失望しました。
しかし、冒頭のニュースにあるように、本日付で横田教育長が辞任しました。
長年、高知市役所において、人事課長、財務部長を歴任し、最終的に教育長という副市長クラスの特別職として君臨していた男のあっけない退場でした。最終的な肩書が「人事の横田」「競馬旅行の教育長」という肩書とともに。
今回の競馬旅行事件は、教育長の辞任をもって幕引きとなるでしょう。本来的には、職員の人事権や綱紀粛正などを統括する総務部長が一定の処分を受けると思いますが、今のところ、減給程度で終わるようです。
しかし、有馬会のナンバー2である弘瀬部長がこのまま総務部に留任ということは、ありえないと一般的に思いますが、仮に弘瀬部長こそ、次期副市長の最有力候補であり、やもすれば、市長の呼び声も大きいので、ここでキャリアに傷をつけるのは、何としても避けたいところでしょう。
それに、現在の岡崎市長の最側近でもあり、かつて、弘瀬部長が課長時代に、同和問題で部落解放同盟に糾弾された際も処分はせず、現在の総務部長のポストにつけたことから、その信頼の強さがうかがえます。
よって、道義的責任は生じないと言っていた横田教育長が辞任したことは、有馬会トップの座を弘瀬部長に禅譲することも意味します。
高知市役所も結局、組織でありヒエラルキーが存在し、派閥も一定存在します。そのような派閥で最大の力を誇るのが、有馬会です。
有馬会は、報道ではただの競馬大好きクラブといったような趣ですが、そうではありません。(ちなみに有馬会の由来は、有馬記念から来ています)
そのメンバーが、今回のニュースで明らかになったように、教育長、教育次長、総務部長、総務副部長、さらに副部長級があと2人、課長級が1人と上級幹部ばかりです。
今回旅行行ったのは、有馬会の中でも有力メンバーであり、その他にも有馬会のメンバー、もしくは有馬会「系」の派閥も存在しています。
彼らの力の源泉は、財政課、企画課、人事課、行政管理課といった役所内の中枢出身者ばかりということです。
では、なぜ有馬会がここまでの力を持つようになったのか?これは、前市長にまで話はさかのぼります、が、長くなっても仕方ないので機会があれば書きます。
ただ、一般的に役所の世界で出世したければ、上記のセクションに配属され、市長に最も近い派閥に属することです。
役所という世界は、実力云々というよりも、どこに配属されていたか?ということが重要ですので、下手を打たずレールにいれば、そこそこのポジションにありつけます。そのメインストリームが有馬会というわけです。
今回の教訓を単なる、競馬大好きおじさん達の軽率な行動というレベルで片づけるのではなく、このおじさん達が庁内で権力を握り、人事権を牛耳り、誰も文句を言えなかったという事実です。普通の職員ならば、台風災害中に旅行には行きませんし、まさか役所の仲間と行くなんてありえません。異常です。異常ですが、そのように感じないほどの空気が役所内にはありました。
なので、今回の報道でも職員も「大げさすぎる」という意見も一定数あったので、役所内世論も完全に2分していました。なので、今回議会の指摘があったのは、不幸中の幸いです。ある意味、民主主義の自浄作用が働いた形です。しかし、この災害中に飲み会というニュースは、既読感がみなさんあったと思います。あえて言いませんが、同じことが今回、悲しくも私の高知市役所でもありました。
では、指示で動くのは誰でしょうか?動くのは、主事、主査補、主査、主任、係長、課長補佐、課長といった人々です。部長、副部長といった上級管理職以下の職員です。上司が部下を見るように、部下も上司を見ています。とはいえ、職務命令があれば動きます。これがルールだからです。気に入らないという個人的に思いはありますが、役所という完全タテ社会では、それが言えない空気があります。
高知市は、これから全国でも例をみない、高知県ほぼすべての市町村が連携中枢都市圏を構成する巨大プロジェクトを進めており、そのフロントランナーが高知市です。そんな他市町村を束ねる役割を担う高知市でこのような報道があったことは悲しく、情けなく、それ以上に怒りを感じます。
現場の職員は、災害時だろうと、市民の暮らしを守るということ一番に考えております。これまでの高知市は三位一体改革や前市長の極端な積極財政による財政危機のため、職員給与がカットされるとともに、職員数も減らされて中核市でワーストクラスとなりました。
つまり、しわ寄せは少ない人数で、時間外手当も限られている中で現場は工夫をしてきました。だからこそ、今回の事件は、これまで築き上げてきた高知市の矜持を深く傷づけているのです。それが職員の綱紀粛正の大本営である総務部長、副部長ということが、何ともいえない気持ちになるわけです。
お前ら、普段散々「強者が好き勝手振る舞うのは、弱者が大人しくしてるからだ。ブラック企業を滅ぼす為に、横暴な経営者は殴り殺そう!」とか勇ましく言ってるのに、いざ弱者が強者(ネットリンチ首領)を刺殺したら、弱者側を一方的に責めるのかよ。
この件で「弱者は普段荒らしをしていたからリンチされても当然」みたいなことを言ってる奴等がいるけど、それは竹中とかの「馬鹿を馬鹿にして良し」「能力の無い奴はそれなりの扱いでよし」と誰もが思ってることに正当な理由付けをする新自由主義者の主張と何も変わりはないからな。
つーかイジメの報道があると「いじめていた相手が悪い事をしてもいじめが正当化されるわけではない」とイジメてた奴を全力で叩くくせに、いざ自分達のこととなると「目的は手段を正当化しない」という原則さえ捻じ曲げるのか。
これは刺殺という手段に訴えた奴にも言えるけど、つまりネットリンチを正当化してるお前らも本質的には同類なんだよ。
「馬鹿のせいでインターネットで頭のいい僕ちゃんが好き勝手出来なくなってる」と言い合ってる自分を頭良いと思い込んでる馬鹿、本当に気分悪い。
しかし、二代目のときに増田島平野部をむかし支配していた家にあやかって名字を増田に変えた。
そんな後増田家の城に増田家(八)の忍者が潜入工作をしていた。
土で出来ていても、石垣に囲まれた増田家(七)の城より手強い防壁かもしれなかった。
しかし、忍びは余計なことを考えない。ただ任務を果たすのみである。
「キィヤァーーッ!!」
「ぐぁばッ!!?」
奇妙な叫び声と一緒に、七枚の黄色い星形手裏剣が飛来しアナグマの毛皮に突き立った。
「ウェーイ?」
仲間の悲劇に残る二人のセルクマは武器を身構えた。一度に七枚もの手裏剣を投げつけるとは派手な敵忍者だ。
『ウェーイ?』
警戒の声をあげたセルクマに向かって、その言葉が書き込まれた黄色い手裏剣が飛ぶ。そして、手裏剣は回避する標的を追うようにカーブして突き刺さった。
M字の面をつけた忍びが印を切る。
生き残ったセルクマは気づく。それまで城の櫓と思っていたものが、見上げるような大男の微動だにしない影であったことに。
まさに増田島の巨人である。彼は目が合っても一言も発しなかった。
「ウェーイ!!」
三十六計逃げるにしかず。命の危険を察知したセルクマは全力で身を翻した。
だが、障子堀を渡る際、その桟にしかけられたマキビシに足をとられ、堀の底に転落した。
「ウェェエエエエエイイイイイ!!」
通常は空堀になっているはずのそこには熱湯が張られていた。熱湯に落ちた忍者は真っ赤にゆであがる。
「……」
沈黙をまもる首領の前で、セルクマの悲鳴は風の間に流れて消えていった。
北での増田家(四)の圧勝を受けて、増田家同士の講和が成立したのは、しばらく後のこと。
一時的に戦力の空白地帯になった旧増田領(二)の取得を狙う後増田家は急いで講和を同盟にまで発展させた。
それは彼らとの講和に苦労した増田家(三)当主が知って激怒したくらいのスピード締結であった。
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http://anond.hatelabo.jp/20160613121912
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