はてなキーワード: 表現の自由とは
どんなに低劣で破廉恥な内容であったとしても表現の自由は守られるべきです。実際に性犯罪をしたわけでもない作者を殺すというのは重大な人権侵害なんだが、それを言ってるのが漫画家なんだから話にならない。
この汐街コナという漫画家は、自分の気にいるような穏やかで優しい漫画だけで溢れる世界を実現したいのだろうか? そんな世界は地獄であるとはっきり言える。
おそらく、反論としてはヤジに関しては演説そのものは妨害しているレベルではない・・・となるんだろうな。
今回の選挙妨害のケースだと肉体的な接触があったのがヤジ等とことなり表現の自由の範囲を逸脱したということになるだろう。
ただ、ブクマカってそういう程度問題とかの話て基本的に無視する民だよな。
例のトランスのなんかの本も「差別とまでは言えない」ってのが意見が読んだ人には多かったけど、なんか変な帯つけてた書店応援しちゃったりとか。あとエロ系だともっと露骨でただ胸の大きいだけのイラストや写真の女性を「倫理に反する」とまで言っちゃったりする。
たぶん多くのブクマカたちがそれいってるの俺じゃねえよ!って言うだろうし、実際そうなんだろうけど総体の印象としてね・・・。
あまり認めたくはないが、リベラル・フェミニストによる過激で排外的で攻撃的な言動と行動により、おおっぴらに無党派~保守右翼を名乗ることや、表現の自由を尊重することを明言することへの忌避感が高まり、法に頼らずネット上の言論が清浄化されたことを踏まえると、やはり生成AIによる市場汚染を正常化するには、AIを消極的にでも肯定・容認~利用・肯定する人達に対する徹底的な過激で排外的で攻撃的な言動と行動しかないように思う。
利用することや、生成物を利用・消費することは勿論、言及すること、議論することですらリスクが高いと判断すれば自然と生成AIによる被害も沈静化していくことだろう。既に成功例があるのだから、躊躇う必要もないはずだ。
「カラオケ行こ!」のヤクザに可愛げがありすぎることで、現実のヤクザとの関わってはいけなさが軽視されてしまうのではないかという問題(ファンタジーヤクザ問題)に端を発する話。
現代では未成年を性の対象として見ることのタブー度合いが10年前とは比較にならないほど上がっているが、未成年とヤクザが関わる話が大々的に上映されてしまうのはどうなのか。表現の自由の範疇ではあるが、おじさんと少女の恋愛を肯定的に捉えられた時と性質は似ている。
「強いオスによる支配」は野蛮であり、文明的ではないのだが、これを否定的に捉えるのが苦手な人々が存在する。同じ口で「立場の弱いオスが若いメスを搾取する」ことは糾弾しがち。別に弱者男性論とか男女論をやりたいわけではないが、ここはシンプルに矛盾してるように思う。
だって、自民党演説へのヤジを表現の自由だってことで認めちゃったんだから、逆のことやられても文句言う権利はないんだよね
「虎に翼」はパルワールドやポリコレアフロやディズニーみたいにいくら火付けしても表自が怒らない作品
>昭和10年女子は本当に「ビールを飲んでいた」のか…朝ドラ『虎に翼』の根幹につながる「違和感」
>4/27(土) 9:02配信
>第16話、ヒロイン寅子が大学の本科に進んだのをお祝いして、家で祝杯を挙げていた。
>寅子の母もビールを飲んで少し酔っているようだった。
>はて。
>昭和10年に、男たちと同じように女性が酔うほどビールを飲むだろうか。
>はて。はて。
https://news.yahoo.co.jp/articles/3f7838613cba09c314c67667d21f40e034684fb2?page=1
>雑誌制作の息抜きにビールを嗜んだ女性解放運動家・平塚らいてう
>彼女らは打ち合わせや仕事のあとに、息抜きとしてしばしばビールや洋酒を楽しんだ。珍しい洋酒を一目見たいという好奇心から、バーやビアホールへ出かけることもあったという。そして、そこで供される黄金色にきらめくビールや、比重の違う5種類の洋酒によってグラスに色とりどりの層をつくる「五色の酒」などに目を輝かせた。こうした色鮮やかな西洋の酒の中に、新時代の空気を感じ取っていたのかもしれない。
https://museum.kirinholdings.com/person/kindai/26.html
女性向けっぽい作品に対しては急に表現の自由は適用されなくなり火付けするなと普段騒いでいる人たちが見て見ぬふりをする
虎に翼もそういう枠に入っちゃってる
弱者男性というのは基本的に教養がないため、知識や感性を最低限持ち合わせていないと楽しめない芸術は全て毛嫌いしている(なぜならば、自分に理解ができないから)。
この傾向はどんどん加速しており、もはやライトノベルすら読めず異世界転生やなろう作品しか楽しめないようになっている。
彼らにとっては、異世界転生やなろう作品、その他の美少女アニメこそが芸術であって、彼らの理解できる範疇にない芸術は「表現の自由」にすら入っていない。
弱者男性がアンチフェミ、表現の自由戦士を兼任して、自分たちが好きな表現しか守りたがらないことを考えればわかりやすい。
彼らにとっては、自分が理解できないものは存在するべきではないし、そうした芸術を愉しんでいる女性が恐ろしくて堪らないのだ。
新宅正雄弁護士の応答において間違いがあったところ 法律は矛盾を調整するものだから・・・
最後の応答で、ネタバレをしたものの、存在しないと言ってしまった奴
検察官氏名 土屋大気 実はものじゃない、テクニックだけど誰も知らないから存在していない。
結論 全部嘘
正解 数学で、 e^πi +1=0 のように矛盾としかいいようのないものが存在していても、矛盾はしていない → 高レベル過ぎて教えられない。
表現の自由と公共の福祉(制限) 自由にさせると言いながら制限すると言っている。子供が見たら矛盾としかいいようがない。 超克と言う概念
長谷部恭男 憲法学教授の見解 無制限自由説に対する批判 社会と言う共同団体を設立している以上、それ自体から、個々人に無制限の自由、すなわち、
一元的外在制約説
クレームが表現の自由なのか考えても考えても考えても分からなくて、丸一日堂々巡りしてる。
政治家の発言にクレームを入れて謝罪させることができなくなるのはマズイ。
実際に会ったのは数回だけだったというし言葉巧みに騙しただけでえっちはしてないのかと思ってた
そう思って今までりりちゃんかばってたのに、非処女だったのかよ
おぢに体許してたのかよ
りりちゃんを憎めばいいのか、むしろ可哀想さが増したのか、わからない
体を対価にしたのなら売春婦と変わらない
りりちゃんは直筆の獄中日記を記者に渡し、Twitterで公開されている
おぢはこの日記を読んで傷つくため、公開をやめてほしいと記者に連絡を取った
記者「私がもしりりちゃんならこう思う。30歳近くも年齢差があるのだから良識のある成熟した男性なら手を出さない。確かに嘘をついたのは自分が悪かったけど、騙される方にも問題があった。性的サービスを望まれ、セックスも提供したのに、なぜそんなに責められるのか」
おぢ「性的サービスとは言っても、一回だけです。結婚の約束もしたのだから体の関係をこちらが望んでもおかしくないです」
このやりとりも公開された
ホストは女から数千万円引っ張ってもヤらせなかったりするらしいよ
ヤれたなら数千万失っても同情できないわ
女性オタクのその、カタギに迷惑を掛けまいと鍵をかけて閉じこもる仕草、よくねーと思ってる。
迷惑だと認識してる時点で、好きを貫く活動が日陰でやるような後ろ暗いもの、だと言うメッセージになってるやん。一般層が見えない引きこもりの内情を理解することは永遠にない。
むしろ線引きのギリギリのラインに挑戦し、できる限り自分たちの活動は明るいものだと示してくべきだ。そうして表現の自由の領域を広げていく。男性オタクの開けっぴろげなスタイルは女からは嫉妬されてうとまれてるけど、言うなればこれは公開ロビー活動なんだよ。
逆にジャンプっぽくなくても当ててるから他誌の編集者涙目なんだよなあ
ジャンプっぽいメソッドでやれば売れるけど表現の自由が下がるからやらない
俺たちは売上しか考えないジャンプと違って売れなくてもマンガ家の表現の自由を守る良心だ!ってところがプライド保つポイントだったのに
先日、大阪府の吉村洋文知事が0歳児に選挙権を認めるべきという考えを示し、コレに対して愚策であるとするブコメが散見するという事態になったけれども「そもそも民主主義とはどういうシステムなのか?」を考慮すると、直感的に愚策と判断するのもわからなくはないが、実際のところ愚策とも言い難い「決して釈然とはしないが案外悪くはない・・・」「いやでも意思決定に関して能力の低い0歳児に選挙権を与えるのは大人としてどうなんだ・・・」「でも認知症の人も選挙権持ってるしな・・・」と困惑する程度には真面目に考えたい案であるのは間違いないのだ。正直に言って困惑するくらいがバランスの取れた姿勢なんじゃないかと思うが民主主義とはどういうシステムなのか改めて認識してみよう。
民主主義とは人口を背景とした意志の多様性により意志権力の分散を発生させ意志権力の一極集中を防ぐシステムである。
まぁそもそもより新しい形が出てこない限り、現在の形の民主主義とは人口に依存したシステム体系を持っていて、現在の形の民主主義ベースの政治体制を持つ国家が民主主義の保全保護をはかるという意味では人口の源泉足る家族集団へ対してより多くの票を与えるという考えは愚策と断言できるほど頭の悪いものではないんだ(何度も繰り返しているが"現在の形の"である。将来はわからん)。
もう少し具体的に言わないと理解できない人も居るかも知れないから具体的に言うが、我々の国は民主主義を取ることによって天賦人権説が国と有権者によって肯定されており、即ち我々の国の天賦人権説は人口に依存した形で運用されているのだ。
我々の国は神のための国でなければ王侯貴族のための国ではなく人民のための国であるが、それは民主主義システムを背景として運用されており、天賦人権説み言論の自由も表現の自由も信教の自由も性愛の自由も、あらゆる自由が人口を背景として運用されているのだ。0歳児選挙権はこれを心の底からマジで認識してから考えなきゃいけない。
更に付け加えると、あまりにも傲慢でかつ悪逆非道の物言いだが、LGBTQ+の性愛がなぜ違法でないのか?それはLGBTQ+の方々の懸命な活動によって我が国の民主主義を突き動かし民主主義を背景とする我が国の法がLGBTQ+の性愛の自由を認めたからだ。我が国の法は人口を背景として運用されているのだ。LGBTQ+の性愛の自由は人口に守られている。民主主義とはそういうシステムなのだ。
民主主義とは人口を背景とした意志の多様性により意志権力の分散を発生させ意志権力の一極集中を防ぐシステムであることを考えれば、事実上の権力者である政治家が0歳児選挙権を訴えることは自身に集中する現在の意志権力を削ぐことを意味し、民主主義国家の政治家の考えとしては不合格ではなく少なくとも合格ラインには触れる及第点以上は与えなきゃいけない考えなのだよ。
確かに「家族集団という意志権力へ対して意志権力の一極集中をもたらすのはどうなのか?」というのは真っ当な批判であり、前述したLGBTQ+の方々や子供を持たない人たちが苦しい思いをするのではないか?という懸念はもっともである。0歳児選挙権の大きな問題の1つであることは間違いないだろう。
このエントリの目的は「民主主義とはどういうものなのか?」と多くの人々が「0歳児選挙権へ対して直感的に愚策であると判断して思考停止に陥ることを防ぐ」ことにある。
どうかご一考いただきたい。