はてなキーワード: 狭間とは
でもなんとかまた働けるようになった。
メンタルやられた人間が、どうやってまた働ける健康状態を手に入れて、そして正社員の職を手に入れたか?
勘違いされたら嫌なので書いておくが、
組織によって自分と合うかどうかは相性があるし、会社で働くのも向き不向きがある。
会社員出来なくなっても自分が自分らしく生きてるって思えれば社会復帰だと思う。
自分の場合は、仕事にもっとトライしてみたかったから、再就職した。そしてそれが少し自信になった。
そして振り返ったとき、多分世の中には相当数の人が自分がかつてハマってしまったドツボに、
ハマってしまってるとわかるようになった。社会の狭間に落ちてしまった人。自分のように。
例えば元々向上心あるタイプだったけど、一度(以上)メンタルでつまづいて働けなくなった人。
その後働ける状態になった(なってきた)のに、過去のメンタル歴のせいで面接が通らない人。
また働きたいけどどうやってその道筋つければいいかわからない人。一杯いるはず。
もし自分の経験を話すことで悩んでる誰かの役に立つなら嬉しいと思う。
ただ、今現在進行形で雇用されながら働いてると、大まかであれ実名で発信するのは難しい。
今の職場では「聞かれたことがないので話した事が無い」し、これからも話す予定はない。
とりあえず簡単に振り返りだけ。
3.まじでやばくなって休職、一時期まじで闘病生活、のちのち日常生活は出来る程度に回復
4.復職希望だったがなかなかうまくいかず、しかし大手なので解雇されず休職期間だけのびる(後で苦労する原因になる)
5.情けなくなって、心配されるのも辛いから人と会わない生活をキメる
6.仲良い友達にも「最近付き合い悪いけどどしたの?」と不審がられる
7.犯罪には手を出さなかったが、同時に遊びもしなかったので人間関係ほぼ全切れ
8.引きこもりがやばくなって匿名系SNSに人間関係を求め陰鬱な毎日、性格が変わる
9.信じられないことにあっという間に歳を取る
12.書類が通るところは通るがなんせ長期休職なんで面接で話せることがほぼ皆無
13.面接ではメンタルの話はやはり避けたいが嘘はつきたくない、ということで聞かれなければ答えない戦略を通す
14.某業界大手の珍しく出ていた若手募集案件発見し応募、前職のキラキラ感から他候補者をごぼう抜きして最速内定
16.「内定取消」
17.鬱
18.働ける気がしない、こういう奴(自分)がやがて犯罪を起こすんだろうなぁと理解し始める
19.休職の履歴をクリアしないとどうせ正社員で転職してもムダな気がしてバイト探す
22.それを元に再度転職活動する
24.無事再就職
26.今に至る
そんな感じです。
ポイントとしては
・長期休職は結局あとあと苦労するから動けるようになったらさっさと辞めた方がいいかも
・多分長期休職→すぐ社員転職はメンタル歴バレる可能性高い。虚偽申告で解雇された例までは知らないけど居辛くなることは必至
・バイトからでもなんとかなる場合もあるし、逆にバイト挟んだ方が色々クリアになるかも
・バイトといっても次にしたい仕事にちょっとでも関係あるバイト選んで。そこはマスト
(自分のはあくまで一例だけど。)
メンタルをオープンにしても働ける世の中になったらいいのにな。
でも、そうなってもならなくても、最終的に自分を守れるのは自分だけなんだよね。
自分を大切にしてください。
陸上でたとえると、次のようになる。
便衣兵がユニクロの服を着て近づいてきて、ふいに気を許したときに攻撃してきたら、ずるい感じがして困る。
兵隊さんは、軍服を着ているべきで、その威圧感で民間人をけちらして、統制する必要がある。
セールスマンは、背広をきて頭をポマードで固めてくるべきで、商売する気が満々なことを身なりで表現する必要がある。
広告も同じく、広告は広告であることがわかりやすく伝わるべきで、友達風の人の日記のようなものとして近づいてこられるととても困る。
今日見たブコメの中で、PR広告と書いてあるコンテンツに対してステマとコメントしている人を見かけたが、PR広告と書かれていれば、宣伝ですと宣言しているわけで、ステマではないと思う。
新聞や雑誌がwebよりも長い歴史の中で広告と記事を分離して表記するようになった経緯を考えるとwebも見習うべき点だと考える。
ルールが決まるまでのグレーゾーンは儲けの幅が大きいからチャレンジャーも多いのだろう。
遊んでいる一個人なのか、それなりの体をした会社なのか、それとも個人事業者なのかはっきりしないところが情報を発信しているのが、判断が面倒だ。
個人の意見なのか、はたまたお金をもらった上での発言なのかその区別はとてもジューヨーなのだ。
そんなことはどうでもよくて、楽しければいいのであれば、楽しいのかな。とも思った。
根拠はない。そーゆー生き方のほうがイージーで快楽的なのではないか。
私は、頭のスペックは決して低くないとは思うのだが、低収入に甘んじているのは、認めたくないが集団生活がぜんぜんできないからだ。特に日本のネチネチした体質の組織はダメ。
誤解してほしくはないが、べつに私はどもって人と話せないわけではない。ルックスだってごく普通で、普通以上に愉快に人と会話をかわすことはできる。だけど「組織の論理」にはまったくついていけない。だから、一つの組織に長く属することができず、いつもアルバイトとかフリーランスとか、組織の周縁でひっそり仕事をすることしかできない。ダウンジャケットの表面にかろうじて引っかかった羽毛みたいに。
思えば、兆候はあった。私は小中高大と学校というものがまるで苦手だった。学校を卒業して心からほっとしたものだ。いまになってみると、成績が悪くても学校で楽しくやれた連中のほうが社会に適応してまっとうに暮らしているよね。ほんと、学生時代の成績なんて長い人生の中じゃさして重要なものじゃない。
とはいえ、いまさら学校時代のリア充みたいに、本音と建前を使い分けて、複雑な組織の中を泳ぎ回るなんて無理だよなあ。たぶん、その方向で努力しても実を結ばないと思う。人間って、苦手な分野をややましにすることはできても、得意にするのはほぼ不可能。人それぞれ得意不得意があるからね。
私は別に死にたいとは思わないから、生きていく上で自分のメシの種だけはなんとかしなければならない。だから、これからもフリーランスとして、少しでも収入を増やす努力をしていくしかないんだろうな。たとえ、やるのが組織の狭間で生み出されたつまらない半端仕事だとしても。自己欺瞞かもしれないが、そこにわずかな面白味を見つけて耐えていくしかないんだろう。
私のような孤立系の人間には、かえって組織の問題がよく見えたりするので、ますます半端仕事の無意味さに虚しさが募ったりもするが…。仕事は仕事。カネを稼ぐ手段と割り切るしかあるまい。
「中二病」かもしれないが、これも個性と思って、人様に迷惑をかけないよう、なんとか苦しさの少ない道を選び取っていくしかないのだろうな。やれやれ。面倒だがこんな自分とこれからも付き合っていこう。
恋人がほしいと思っているんだけれども振られるのが怖いし
喧嘩するのも怖いし、喧嘩が起こらないようにし続けるのも面倒だし、
飽きられたくもないし、飽きたくもない。
なんでそんなに簡単に恋い焦がれあって冷め合うのかわからない。
これだけだ何だタダのコミュ症かってなるけど、初対面の人や友人達と一緒に遊びに行くこともアレば、
それが楽しいと思えることもある。その場での自分の立ち位置とか見ながらになるけど、あまり期待されない位置を探して
適当に離れてたりする。自分の好きな話とかが出てくればちゃんと話す。
あんなことがあったこんなことがあったと話を聞かされたりもするが、感想にこうした方がいいとか、アドバイスを混ぜると
だんだん議論みたいになってくるし、納得してもらえなかったりすることもあるので、そういうこともしないでただ受け流すかのような話しかできなくなってきたら、だんだん盛り上がりもせずつまらない話しかできなくなってきた。
こと人は自分とセックスしたいんだろうか?セックスしたい理由はなんだろうか?
頭もでかくはないし肩幅は少し狭いが無様なほどではない。
自分は、高学歴で身長はそれなりに高く顔もそれほど悪くはない。
洋服も安物だがたまにいいねそれと言われる程度には身なりを整えてる。
そんなことも知らないの?とたまに言われることがあるが、ちゃんと調べて教えてもらうための話ができるような基礎情報を情報収集したりする。
そうすると楽しい会話になる。
しかし今度はそれについていくために生半可に仕入れた情報が、それに対して興味が有るんだと思われてしまうことがよくある。
実は興味はないけど一度は触れてみたかった話題ぐらいのレベルなので、だんだん飽きてくる。
ほんとに本流で好きなモノは別にあってその他の話は雑学レベルの話だ。
下を見ればいくらでもいるんだが、どうしても上が気になって仕方ない。
かっこいい人を見ては、ああ自分がこうなるには、アレがたりない、コレがたりないと考える。
それらは、外見的なものであったり、内面的なものであったり、知識だったりする。
それらは、先天的なものだったり、努力から得たものだったりする。
先天的に自分が持っているものを持っていない人もいるし、努力をして自分が得たものを持っていない人もいる。
だが、それらは格上の人たちから同列に扱あつかってしかるべきと思われるほどのものではない。
狭間にいていつも悶々としているこの悩みを何の病といえばいいのかわからないけど、
どう見ても格下の人たちが、格など気にすることなく、格上の人たちに絡んでいくキョロ充とでも言うか、しかし幸せそうにしている人達がいる。
卑下される可能性があるのならば近寄らないに越したことはない。
近寄らなければ評価を聞かされてしまうようなこともないし、目に映る人々を羨むこともしなくて済む。
しかしそれでは欲しているという欲望が満たせられない。
評価しあうことができて概ねお互いによければ付き合ったりすることになるんだろうか。
どこかで幻滅してしまうことが起こるだろうし、幻滅されてしまうことが起こるのかもしれないのをどこまでチェックして見たらいいのかわからない。この程度まで話が進むようならば、この先暫くの間お互いに興味を持っていられることができるのだろうと落とし所をさがしているのだが、
直接的にどんな体型がいいかとか、どんな考え方していてどんなことに興味を持っていてそれに対する考えがどれくらい真剣に考えているのか。
というところが合わないと同しようもない気がしてる。
それが満たされたとしても、日常に組み込んだあと、目の前に現れるものについての会話をどうやって行くのかのセンスの見え隠れまで判断しようとすると、だいたいが、ボツかなってなる。
軽口叩きあえるような友達は、外見的にも内面的にも一般から見れば良い方ので、それを恋愛対象にしてしまえばいいのではと思うが、
いかんせん好みではない。
そうしてくると結局、同性愛の恋愛って性欲を満たせばいいんじゃないかって思ってきた。
お互いの性欲を満たすことができる魅力的な外見を得られていればそれで幸せな気がしてきた。
でも男女の恋愛における性嗜好は、かんぜんに男性側がもっていないものを女性側が持っている大きな大前提がある。
同姓の場合はどうなるんだろう。
男女の恋愛は男であること女であることが生物として異なったものなので、もうそこは前提になっていて、少々痩せてようがなんだろうが、レベルなんぞ低くても満たせるもんなんじゃないかと思ってる。
同性愛ってめんどくさい。
異性愛は、求め合うべき男女の性差とそれにくわえて内面の会う合わないで決められる。
しかし同性愛は、求め合うべき男女の性差が個々人の体格的魅力に置き換わり、かつポジション決定という前提の確認作業が必要になってくる。
その確認は、下世話なものなので、内面が会うかどうかから話を進めていくのだが、いざ内面が会うと鳴った時に、お互いが求める性的な体格的魅力を双方に感じなければ、イケないという順番の差が出てきているような気がして何がなんだかわからなくなってくる。
意味不明だな。
まあ、自分の致命的な血管は、自己愛が強いけれども自己卑下も強く、身体的にも内面的にも中途半端で更に少し考え方がおかしいので恋愛すんの難しいしうまくいきそうに鳴っても一歩ひいてしまう自分がいて逃げてしまうんだよな。
それだけ。
教授は言っていた
君たちは普通の大学生で、別段ほかの人と比べて、自分が常識的で優れている部類だとは思っていないだろう。
大学に入るのは当たり前のこと。普通だと思っているに違いない。友達も常識的な人間が多く、それが当たり前の世界だと思っているだろう。
もちろん、中には変わり者もいるだろうが、そんなの常識的な人間に毛が生えた程度にすぎない。
世の中の半分以上は大学を出ていない人間なのだ。君たちが普段思っている普通とは普通ではないのだよ。
想像を絶するような非常識な人間や低俗な人間がごまんといるのだ。
生きてる社会がまるで違うのだ。
こんなこと言ってた。本当にそう思う。
緊急地震速報の音を聴いたことのない人は、
日本にいったいどれくらいいるのだろうか?
ちなみに自分は、それはもう、何度となく聴いている。
自分は宮城に住んでいて、あの311の日も勿論あの音を聴いた。
その後も、何度も聴いた。
地震はすぐ隣にあった。
そしてあれから幾ばくかの時は過ぎたが、
そして、その覚悟を。
覚悟と言っても内容は単純だ。
我々が忘れてはいけないことはたったの一つ。
いつ何時であっても、
そこに地震はくる可能性があるということ。
決して慌ててはならない。
緊急地震速報のあの不吉な音が鳴り響いても、
いやあの音が聞こえたからこそ
例えば
刷り込みのように机の下に隠れるべきか
外て駆け出すべきか
はたまた食器棚を抑えるべきか
それは、生き延びるために。
綺麗事は要らない。
慌ててはいけない。
必ず、周りを見渡して即座に最善解を求めること。
すれば必然と結果が出る、はずです…
友達がいない。孤独である。そしてヒキニート。人間が怖くて信用ならない。だけど独りは寂しいのだ。ネット上ですら誰とも触れ合いたくない。でも触れ合いたい。そんな狭間で揺れている。人間の心は難しい。
話はズレるが六星占術を少しだけ信じている。いつも気にしているわけではないが、何か壁にぶち当たった時や逆に良いことがあった時などに立ち読みするとびっくりするほど当たっている。そうやって読むのは数年に1回なのだが、どこかで信じてしまっている。
最近、何もかも上手くいかなくて寂しさが募っていたので読んでみたら、まさしく大殺界。一番どん底の時期だ。そして今はネットで人と知り合うのは危険なのだそうだ。そうか気をつけよう、と思っていたらふと知り合ってしまった。でも占いを思い出して縁を切った。また孤独に戻った。占いがなくとも人嫌いのせいですぐに縁は切れただろうが寂しいものだ。
六星占術といえばコネで新しい仕事が決まる、という部分も当たっていた。思い切って転職したが対人関係で辞めてしまった。そのまま働いていれば寂しさは紛れただろうに。その後はヒキニートに突入して毎日を無駄に過ごしている。思い返せば何か特別に嫌なことがあったわけでもないのにここまで心身ともに身動きが取れないほど辛いのは大殺界のせいなのだろうか。
あー、友達がいない話を書こうとしたのに六星占術の話になってしまった。今でも思い出して読むのは極々たまになのだが、思っていた以上に占いに縛られていたようだ。気づかされた。馬鹿だわ。
カバー率がどうとか話題になってるけど、そんなのは最初から信頼してないしどうでもよい。
電車での移動中にLTEと3Gの切り替えが起きて通信が途中で止まる。ちなみにエリアは山手線の南側と京浜東北線の都心部。
それと、LTE圏内でも3Gのままとかなんなの。機内モードにして戻してとかやんないとLTEにならん。俗に言うパケ詰まりってのが具体的にどんな事象なのか知らんが、これのこと?なんなんだよクソ。
通信の速度は3Gでも特に不満はないわ。でもさ、なんていうの、まずプログレスバーが伸びないわけ。伸び始めるまでに散々待たされてんの。
あと、屋内と地下に弱すぎ。事務所がLTEと3Gの狭間でコロコロ切り替わってまともに通信できんわ。LTEオフ?いちいちそんな設定切替するかよ。出社時と退勤時、それを毎日だぞ。Pocket Wi-Fi?テザリングできるから速攻で契約切ったわ。
現状、俺の平日の生活圏で安定して使えるのは通勤経路の徒歩圏内とお昼休みに屋外に出た時くらいだわ。いや携帯電話だろこれ。電車で快適に使いたいよ。ああ、地下鉄の日比谷線は最近すごく快適になった。以前は圏外だったのに、今や常にLTE。素晴らしい。
iPhone4SまではSoftBankで、ここまでイライラすることはなかった。
LTEより速くないけど、ちゃんと通信掴んで進捗してた。
極め付けに、契約したショップから来る拒否不能の迷惑メールね。
もうイヤだよこれ。
でも、通信の改善を
祈ったところで何も変わらない
今を変えるのは 違約金の覚悟さ
中学では体形と体力を維持するためにおやつは大豆といりこのみ、毎日30分ジョギング
進学校には通る成績ではなかった 非進学校は大学に行く人自体が少ないことに目を付け
簿記を高校と大学で7年、会計は大学の4年 大学の成績証明書は8割A
大学の授業の予習復習も欠かさない 授業が終わっても腹が空くまで大学の図書館に。
卒業してからも営業の仕事の合間に余暇があれば無料のビジネス英語メルマガ書き移したり図書館に通って
勉強しつづけるものの単純ミスが多すぎる自分の頭の低脳さでは経理の仕事はできないと見切ってやめて
そういうことを語るならば、その前に幸せという言葉の定義を論じるべきかもしれない。
それをわかった上で、個人の価値観に基づいているということを踏まえた上でいうならば、斉木楠雄は非常に超能力者らしい不幸を、そして歪みを抱えているといえるだろう。
それは普通人が支配しているこの世に生まれ落ちてしまったところから始まっている。
このような超能力者は度々書に現れているが、おおよそどのような能力をもつにしろもたぬにしろ、普通人よりも一つ飛び抜けているはずの彼らは常に陰の存在として描かれている。基準が普通人として書かれるのであるから当然ではある。また、頭抜けたる者は何かを失うものなのだろうか。もしかすると平世、人というものは器の大きさが決まっており、入れられる才の数は限られているということかもしれない。
相容れぬ者どうしが隣辺に存在するとき、間隙には必ず軋轢が生じる。その摩擦を持ってストーリーたると人はいうが、それが痛快無比、快刀乱麻の人情喜劇ならいざ知らず、歪曲無惨の悲劇をわざわざ生み出す者の心など知りたくもない。
しかし古今東西奔走せずも、違うということただそれだけで忌むべき要素である類例は枚挙に暇がない。現実にしろ虚構にしろ、古典にしろ現代文にしろ、歌劇にしろ漫画にしろ、真剣味と剣呑さを演出するにはそれがもっとも効果的で、むしろ出過ぎるのだろう。
ただしそれが人間というものの本質基盤であるということなぞ認めたくはない。
人間が何者であるか、定義するのは己自身である。だまされてはいけない。
深淵夢幻をのぞき込むならば、その前に襟を正して山高帽をかぶり、インバネスを羽織って紳士然とするのが最前の友好策であろう。他者の瞳には常に己が映っている。
一切合切をまとめるわけではないが、彼ら非普通人が描かれるとき、一般書では特に不幸な立場に置かれることが多く、比較的空想人に易しいライトノベルや漫画類ですらも、こと彼らが主体になって真剣味を帯びた物語が進むとき、大抵その結末は自身の悲劇を伴って幕を閉じる。有り体に言ってしまえば、不幸である。大方の者は自身の不幸を声高に叫びはしないが、右手でつかみ取るものは冷徹なまでの現実でしかない。
寡聞にして多くは知らぬまでも、超能力者には何人か心当たりがある。もっとも超能力という力の定義をどの程度の物まで含めるかで大いに人数が違ってくるのだが、たとえば超能力者の中でもっとも長生な者の一人は超人ロックという名で知られている。名字はない。ただのロックだ。都合上波瀾万丈な面ばかりが取り沙汰されるのは仕方ないが、彼の世界でもやはり超能力者は特別な存在であった。少なくとも数千年の昔は。多くの超能力者が彼我の区別の狭間で悶え苦しむのをみてきた。現在でもそれに変わりはなく、ただ時の流れとでもいうべきものが普通人の意識を変容させ、超能力者の存在にゆっくりと順応しようとしている。
他人の思考を一方的に受けることしかできぬという、現在においては甚だ不完全なテレパシー能力しか持たぬ七瀬という少女がいた。少女期には他の能力者を知らず、ただ自身の存在を押し隠して息を潜めるように生き流れていた。気づけば世界は彼女に敵対し、理解できぬうちに絶望の刃がその身を襲った。彼らは自意識を普通人と区別し一段上に置いていたが、その使命感を達せぬうちに終世を迎える。
青木淳子というパイロキネシストがいた。正義と自我を混同し、能力と共に肥大させ、運命の糸を自らに縛り付けて燃え尽きる。
機械に見いだされ、人生を狂わされた少年がいた。名を浩一という日本人は、数多の超能力を獲得し、代わりに数多の敵を見いだし、当て擦られ、削り切れた末に孤独で寂しい余生を予言される。
幸福な人生とは何か。ドラッグで手に入れた身を滅ぼしかねない力でメトロポリスを壊滅せしめるほどの欠落を抱え、脳に埋め込まれた機械により生まれ落ちた直後からその身を9人の1人として世界の危機への奮闘に晒し、それでも彼らは幸福を求めていたのだろう。たとえ能力の有無で有象無象を仕分けることになったとしても、そうならざるを得ない世界の事情とでもいうべきものが彼らに働きかけているのだとするならば、これを作り出している元凶がいったいどこに起源を持つのかを問いかけることをやめてはいけない。
神はいない。ただ想う人がいるだけだ。
翻って斉木楠雄を見てみれば、独白は独断と過剰な自意識で満ちあふれ、他者を容認せざる態度は著しく哀愁を誘う。一人相撲の悲嘆さを嘲笑う者もいるだろう。
超能力者と名乗り数多くの力を有しはするものの、そのどれもが欠陥製品であり実用の域に達しない。にも関わらず全能感に溢れ、あまつさえ努力を知らず何事にも積極的に関わろうとしない。殊に超能力者らしいと言ってしまえばみもふたもないが、類例にぴたりと符合するわかりやすさが彼にはある。いっそ清々しいまでに超能力者である。
ところが彼の場合、人生の不幸な結末というものはおよそ想像がつかない。彼にはどこか超能力者としての運命に徹し切れぬ、殉じてしまえぬところがある。
普通人として救いの証を挙げるならば、彼のモノローグは一部下手くそな言い訳のように捉えることができるということ。これが大きく雰囲気を変えている。あまつさえ、彼の命運すらも変える力があるだろう。これは高校生という幼さ故か、無意識の人恋しさの表出か、いずれにしろ本人に指摘すると真っ向から否定されるものではあろう。ただ、彼は普通人を下に見て孤独に立っている現状を内心深くでは決して快く思ってはおらず、それ故に欄外へ投げかける語りが随分と螺旋くれて受け取れる、そういう表現として態度に、言葉になってしまうのだろう。
人間失格で超人としても失格の欠陥製品、はて彼は何者ぞと鑑みるに、もとより超越者として外れ者としては在るものの、故に他者なる世界への恋慕があるために、そこに不思議と人間くささが現れてくる。論理矛盾するようではある。だがしかし、この破綻こそがなにがしかの真理の一端を捉えているものと信じたい。
かわいそうな斉木楠雄はどのような終幕を迎えるのか。肌触れ合える少年誌的大団円を迎えるには過ぎたる能力存在ではあるものの、散々たる憂愁のうちに有終することは無いものと願いたい。