はてなキーワード: 強風とは
まだ土の方が目立つ麦畑を強風が吹き抜けるので、辺りは土埃で霞み、遠くの山の輪郭もぼんやりしている。空もうっすら黄土色。強すぎる風に、車のハンドルが取られるほど。空では時が止まったかのように鳥が浮いている。
農道をのろのろと車を走らせていると、前方からカップルらしき二人組が風にあおられながら歩いてきた。ほとんど身長差のない二人で、特に風が吹き荒れるごとに、わずかに背の低い方が相方の方へ倒れ込み、それを相方が自らもよろけながらなんとか支える。それでも歩みを止めることなくこちらに向かって歩いてくる。
こちらと距離がつまってくると、埃でぼやけていた彼らの姿がはっきりと見えてきたが、二人とも中学か高校生くらいの男子だった。キャーキャーと楽しげ叫びながら歩いているように見えるが、声は全く聴こえてこない。風が全部の音声を吹き飛ばしてしまう。
彼らとすれ違う時、ぎりぎりまで道の端まで車を寄せ、元々徐行だったのを更に速度を落とした。もつれ合うようにして歩いてくる彼らが二人まとめてボンネットに倒れ込んでくるのを回避するためだ。
すれ違う時も、彼らは無声映画のようで、聴こえるのは風の吹き荒ぶ音ばかりだった。窓の外に見える彼らの表情は楽しそうだ。大人には迷惑なだけのこの嵐も、彼らにはただのイベントでしかない模様。
「誰でもできる簡単ヘアアレンジ」に挑戦し続けてはや10年くらい。未だに私は垢抜けない。
最近のヘアスタイルは特に難しい。「おくれ毛」を適度に出し、「ゆるっと感」を適度に出せと。
それでいてボサボサはNG、時間が経って髪型が崩れるのもNG。
昨日の私は「ボサボサの一歩手前、ギリギリゆるっと感」の髪型にすることができた。
その頭で買い物に出かけた。
道中、強風に吹かれた。
100均の売り場で必要なものをカゴに入れ、レジに渡すとアルバイトの男子学生が「いらっしゃいませ」の一言もなくバーコードを通し始めた。
考え事してたのかな。でもちょっと感じ悪いな。と思いながら会計を済ませたが、そこでハッとした。
私の頭がボサボサすぎるから、男の子はびっくりして声が出なかったのだ…そうに違いない…
それなのに、カゴの中身はヘアアクセ、アイプチテープ……身なりに気を使っているかのような買い物。恥ず。
太平洋戦争から70年以上経った現在、戦争の経験者は少なくなっているこのごろ。
私の曾祖父は戦争経験者なのだが、もう曾祖父は私が生まれる前に亡くなったしその息子である祖父も亡くなった。
けれど祖父が伝えてくれた曾祖父の武勇伝…が私の中で残っている。
しかしもしかしたら忘れてしまうかもしれないし伝える子供もいないかもしれないのでここに残しておく。なお、本当にその出来事があったのかは私自身疑問に思うこともあるので「へ〜そんなことがあったかもしれないのか〜おもしろ」みたいに流してもらえればと思う。というかむしろ本当にそうだったか検証してもらいたい。
ちなみに曾祖父は戦争の途中で日本へ戻ったため終戦時は地元にいたらしい。
①出立日
曾祖父は戦争の割と初期に徴兵された。出立の日、地元の駅ではみんなご存知のあの「バンザイ」が行われ、列車に乗り込んだ。
目的地がそこそこ遠いため、空いた時間がたくさんあったという。そこでいるメンバーでカードゲームらしきもので遊んでいたらしい。戦争に行くとは思えない、まるで遠足に行くかのように和気藹々とした車内だったという。
曾祖父が配属されたのは中国のとある地域だった。陸軍だったので陸地の移動にはトラックが用いられたらしい。
ある日、曾祖父が同期とトラックで運転していると一面のとうもろこし畑が目の前に広がった。曾祖父達は喜び、何故か車内にあった炭火焼きを出して勝手にとうもろこしを収穫、焼いて食べたらしい。
しばらくした後、様子を見にきた隊長が「お前達何やってるんだ!」と走りながらこちらへ向かってきた。
地雷が仕込まれていたらしく、その地雷はトラックをこのまま走らせていたら確実に踏んでいた場所にあったという。食欲が命を救っていたのだった。
ちなみにこの他にもトラックで地雷を踏んだ事案はあったが曾祖父は特に怪我なく生き延びている。
③憲兵を殴る
曾祖父は酒好きな人で、陽気な人であった。そんな酒をよく飲んだ日の晩、門限を過ぎてから隊へ戻ったとき憲兵からかなり厳しく注意された。
しかしここで曾祖父は「うるせえ!」と酔った勢いで憲兵をぶん殴った。
「大丈夫か」「これを食え」など憲兵の目を盗んで仲間たちが曾祖父のことを心配し、ご飯を差し入れしていたのだ。
そして曾祖父が懲罰房から出るときには、入った時より太っていたという。
④敵と遭遇し逃亡
その日は霧が濃い日であった。隊が霧の中を進軍し、少し休憩に入ることとなった。曾祖父も一休みしすでに休憩に入っている仲間のすぐそばで休憩していた。
もう一度言うが、その日は霧が濃い日であった。ちょっとすすんだ先も危ういくらいの。
強風が吹いたのか、霧が少し晴れる。
すると、仲間の姿が映る。自分のようなアジア系の顔立ち、しかし装備している軍服が違う。
なんと、敵も休憩しているところに曾祖父達も休憩してしまったのだ。
突然目の前に現れた敵に、お互い驚く以外なく。
その日、会敵したにも関わらず戦死者はおろか傷病者も出なかったという。
他にも思い出したら追記するかも。
猫の飼い方で家族と衝突してるんだけど、他の猫飼い増田たちはどうしてるのか教えてほしい。
うちはド田舎の一軒家(けっこう広い)で、雑種の猫2匹(3歳のオスメス)を飼ってる。
ド田舎特有の「玄関含めたドアというドア開けっぱなし癖」が治らず(とくに祖母)、気づいたら祖母がドアを開け放ち、気づいたら猫が脱走ということも多い。
なので、日中は猫が主に過ごす1部屋(9畳くらい。)に集めて寝かせることにした。
家族との主な衝突内容
①日中1部屋に閉じ込めることに反対
②閉じ込めるのはかわいそうという理由で猫部屋の窓を開放 ベランダを自由に行き来させている
④家中どこでも行き来させたい
まず①だけど前述の開けっぱなし癖で脱走した過去が何度もあり、
家族が仕事で出かけている日中は1部屋に閉じ込めておくのがいいと思っている。
庭が広いこともあり、脱走しても大抵は庭にいるので、家族は脱走してもあまり気にしていない模様。
私としては外に出すミスを繰り返せば縄張り意識が芽生えてしまうと危惧している。(病気をもらうのも怖い。猫1度も洗ってないし。)
そして②。
四季折々迷い込んでくるミミズ・カエル・セミ・トンボ・たまにスズメを潰しているが、これも猫洗ってないのに大丈夫なのか?と心配になる。
一番怖いのは手すりに乗っていること。
結構太い手すりなので強風にあおられても簡単には落ちないと思うが、
とはいえ落下の危険は十分ある上、たまにベランダの小さい穴を通り抜け、外側のヘリをギリギリで歩いたりしていて発狂する。
家族はヘリを歩いてる猫をみても「あんな高いとこから落ちない。落ちたことないから」と笑い面白がって見ている。
耐えられない私が隙あらば閉めるのだが、家族が「ただでさえせまい1部屋に閉じ込めているのにベランダまで閉めるのか!」と責めるため
だんだん私が悪いことをしているような気分になってきた。
③は「仕事の同僚(猫飼い)がそう言っていたから」と言われ現在までその通りにしている。
完全室内飼いならアリだと思うが、汚いベランダの虫やらホコリやらをまとった状態でそれはないだろと思うのが正直なところ。
何度かシャンプーを打診したが「わかってないやつが口出すな!」となぜかキレられた。
やはり私が悪いのか?
なにせ今まで生き物を飼ったことがないので、食品をむきだしでテーブルに置いておく習性が染み付いている我が家だ。
双方にとってよくないと思い、キッチンは猫の出入り禁止にさせてくれとお願いした。
その時家族は了承してくれたのだが、私が見ていない時だけこっそり開放していることが発覚した。
脱走含め改めて危険性を説明したのだが、「ホラ!猫ちゃんももうパン食べませんって言ってるよ!」と言われた。
その時私は全てを諦めた。
もし猫飼い(完全室内飼い)の増田がいたら知恵をかしてほしい。
上記の飼い方でおかしいところ、気になるところがあれば指摘がほしい。
また、脱走防止グッズのおすすめなどもあれば教えてほしい。
ド田舎で一家で農業やってるのでそこんところ把握してくれると助かる
追記の追記:色々アドバイスありがとう。ちなみに猫は避妊去勢済み。9畳の部屋はエアコン、ファン、脱臭機、ペットヒーターなど完備。
ノミ駆除薬も打ってるけど、ベランダに出してる時点で100%は効いてないだろうなと思ってる。ノミが改善される、程度の認識でいる。
もともと私が大学のために上京してった時に飼いはじめた猫なので、主な飼い主は家族なんだよな。
「田舎なんだから外を散歩させたら?」という意見が一定数あったのは賛否は置いておいても新しい発見だった。
自分は「猫を飼う=完全室内飼い」という図式が脳内で成り立っていたので…。
一度外に出すと、衛生面的にもう家には入れられないと思うので、うちは室内飼いを目指すつもり。
完全室内飼いにここまでこだわって家族と衝突する理由はもうひとつある。
夏場になると、猫部屋で窓を開けて寝ている家族は虫刺されがひどくなる。
元増田の「自民党の圧倒的組織票」という部分が気になって久しぶりに投稿するよ。
自民党の組織票というとそれっぽく聞こえるんだけど、じゃあそれって何? って聞くと答えられないんじゃないかな。
もちろん三師会(医師、歯科医師、薬剤師)や建設業界、農業関連団体、郵便局長等からは熱心に応援してもらってるけど、これらの業界団体は自民党が「政権与党」だから応援してくれるのであって、例えば民主党政権の時は民主党にひっぺがされてた。ほかにも地方の選挙では、こういう団体は現職首長を応援に回るから、必ずしも自民党の圧倒的組織票ではないんだ。そりゃ団体の利益を守るのであれば、時の権力者につかないとダメだわな。
でも唯一、自民党の組織票といえるものがあって、それは自民党の地方議員組織。なんじゃそりゃと思うだろうけど、説明するからちょっと待って。自民党には全国1700の自治体に必ず系列の議員が複数人いて、議員それぞれに後援会があって、議員一人が数百から数千の票を持っている。それが総選挙になるとフル稼働して自民党の基礎票になってる。
俺もたまに住民から「自民党は応援組織があるからいいわよね~」と言われることがあるけど、国会議員にはこうした地方議員組織の票がつくけど、地方議員には自分自身が組織票そのものだから、他の応援組織があるわけではないんだよね。
で、なんで自民党の地方議員が組織票といわれるほどに選挙で一生懸命になるかというと、エサがあるから。エサっていうのは、アンリさんからカネもらえるとかそういうのじゃなくて、自民党の地方議員として地道に活動していれば、議長にもなれるし、党地方組織の役職にもつける、それに首長からも一目置かれるし、役所の対応も野党議員とは違う。自民党を離党したら、役所の対応が急に変わったといっていた人を知っているよ。あと、運のめぐりあわせによっては、市議が県議になったり、県議が国会議員や市長・知事になったりもできるからね。こういう組織活動を頑張る方向にインセンティブがあるから一生懸命やるのよ。
野党の地方議員がかわいそうなのは、自分たちと関係のないところで政党がすぐ分裂するから、自分の所属政党がすぐかわっちまうのよ。市議とか県議とかかわいそうだと思うよ。国会議員の都合で突然所属政党がかわっちまうんだから。それでいて、現場で有権者に一番接するのは自分たち地方議員だからね。「なんだよお前、この前までそよ風党だったのに、今は強風党かよ。なんだ、次は竜巻党か!?」って。ただでさえこんな状態だから、野党の地方議員は国会議員の選挙に対して一生懸命やるかといえばそうでもない。だって自分の後援者のところにいって「〇〇さんをなんとかお願いします」なんていっても、その〇〇さんがコロコロ政党が変わったら、自分の信用にキズがつくからね。地方議員の場合は「上の都合で政党名が……」なんて言い訳がつくけど、国会議員はまさに当事者だからね。
そう、話を戻すと、自民党の組織票っていうのは、その政党の地方議員の組織なのよ。公明党、共産党も違う部分は多いけど、地方議員が一生懸命活動して党に貢献すると報われるシステムがあるのは一緒。汗をかいた度合いで、公明の場合は信仰ポイント、共産の場合は党序列ポイントがたまるからね。あ、維新も大阪で長く続いてるのは、大阪では自民党と同じ構造だからだよ。
つまり言いたいことは野党(立憲・国民民主)は組織のシステムとマネジメント(組織活動を一生懸命頑張らせる構造)を構築した方がいいよということ。自民、公明、共産(と大阪の維新)は地方議員が動くように組織が設計されているから。このままじゃ、ブームで一発はあるかもしれないけど長くは続かないよ。