はてなキーワード: 古今東西とは
時代が止まってんな……
まあアニメ的な誇張された演技というのはある
やたらイケボだったり萌えボだったりという
でもそれで言ったら、歌舞伎だって喋り方が異様でクソって言えちゃうだろ
ある程度割り切ってそういう部分にこだわらずに入っていったほうが楽しめるだろう
もちろん最近のアニメはいろんな演技の作品があって、よりリアルな喋り方をしているアニメだっていくつか挙げられる
個人的に白眉だと思ったのは、昔の特撮を源流に持つSSSSシリーズだな
2作目はかなり青春恋愛要素に比重を置いてるから好き嫌いは分かれるが、1作目オマージュが非常に巧妙で恋愛部分の描き方もすばらしいのでどちらも順に視聴することをオススメする
あとは女子中学生3人が部活という体で古今東西の遊びをするコメディという題材で、非常に興味深い演技をされているあそびあそばせという作品もおすすめだ
現実と妄想を区別できない人の被害妄想が生み出した全く実態のない被害体験がインターネットで似たような人が集まって妄想を共有することで妄想が妄想を補強していき、
「日本各地でなんの変哲もない善良な人達を襲う電磁波攻撃や思考盗聴などの技術をもった超巨大な悪の秘密結社」という全く存在しない組織が作り上げられ、
勿論そんなもの存在すらしないけどその組織を監視し続ける集団ストーカー被害者の会なる団体はこの世界に間違いなく実在して、
被害者の会や街宣活動を通じて存在しない悪の秘密結社が現実や各地のインターネットコミュニティに影響を与え続けていて、
更には俺の知り合いや隣人も誰かしらがこの悪の秘密結社を追いかけ続ける団体の一員の可能性がある、
ってなんか現代の怪談とか伝承とかみたいですげー面白いなって思うんだよね(最近は不謹慎とか言われがちだけど)、超科学やファンタジーの要素がないオカルトというか。
他に知ってる話といえば双葉ちゃんねるとかいう古い掲示板には『糞虫小僧』という伝説のコテハンがいて、
ふたばに古くから伝わる話では彼は史上最大の超大規模荒らしで、
ふたば、5ちゃんねる(2ch)、ニコニコ、したらば、Youtube、ガルちゃん、はてな、各所のWikiサイト、まとめサイト管理人
古今東西のインターネットコミュニティに存在したあらゆる荒らし、クソコテ等の迷惑な存在のほとんどはこの糞虫小僧と同一人物で、
彼は大量のプロバイダーと契約して回線ごとに名義を使い分け、インターネット中を荒らし工作し、有名な炎上騒動(いわゆる祭り)も多くが裏では糞虫小僧が糸を引いていたというのだ。
これも妄想が妄想を産んだ結果で、「いつもの荒らしだろw」的な感じで認定される各所の荒らしが融合していった結果生まれた概念。
今だと糞虫小僧が実在したのか証明できる人すら恐らくいないと思う。
5chだとネタにされて超馬鹿にされてる話だけど高齢Qアノンの多いふたばではガチで信じられていて、これも都市伝説チックだよなぁって。
こういうの他ない?
老舗掲示板ふたばちゃんねるには『糞虫小僧』と呼ばれる都市伝説的なコテハンが存在する。(都市伝説なので実際の実在有無は不明だが、まあ概念としては間違いなく存在する)
話によると彼はふたば史上最大最悪の超大規模荒らしであり、ふたばの各所に存在した古今東西の荒らしやクソコテは実はほとんどがこの糞虫小僧と同一人物であり、彼は膨大な数のSIMやプロバイダーと契約し、更には日夜無料wifiを求め各地を転々とし、荒らしの名義ごとに回線と人格を切り替え、ふたば中を荒らしまくり世論を工作していたというのだ。
調べれば山程でてくるが、この話はネットの一部の層には本当に深く信じられている。(最近ではF9という名義で語られることが多い)
5ch内の有名荒らし、左翼思想の有名スレ立て人、住民にはあめぞう時代から慣れ親しんだクソコテ、まとめサイト運営者、
なんなら過疎った特定の専門スレによく湧く『いつもの空気読めない奴』なんて小さな荒らし。
そんな存在が次から次に糞虫小僧と認定され、糞虫小僧と同化されていった。
気づけば彼は5chすら飛び越え、ニコニコ、したらば掲示板、ガルちゃん、Youtube、各所の迷惑な存在が次から次へと糞虫小僧となった。
いつしか、糞虫小僧と同名義の存在は数百コテハンを超え、個人が運営するのは物理的にありえない規模になっていった。一部では、これでもまだ糞虫小僧の実態は極一部だと言われていた。
しかし糞虫小僧信仰者は彼の存在を信じ続けた。常識的に考えて物理的にありえないのにどうやってかって?
「この収集つかなくなった根拠のない糞虫小僧の実態は糞虫小僧自身が自分の存在を悟らせないためにネット中を工作して作り出した虚像であり、この工作力こそが糞虫小僧が糞虫小僧たる所以なのだ。このスレに存在する荒らしこそが本物の糞虫小僧であり、他の糞虫小僧認定された荒らしの情報は糞虫小僧の工作に踊らされている情報弱者によるものか、それこそ糞虫小僧本人の別名義だろう」
こう解釈することで、各定点からの視点で見れば『糞虫小僧は物理的にありえない』という存在ではなくなった。
これによって各所の糞虫小僧信仰者は、直接対立しているわけではないが互いに互いを糞虫小僧に踊らされた存在か、糞虫小僧の手先だと思い込んだ。
ちなみに彼ら全員に共通して言えるのは、「じゃあこのスレの荒らしと糞虫小僧が同一人物だっていうIP一致した証拠ログとかそういうのあるんですか?」とか聞くと急にバグりだし100%何も答えることができなくなる点である。
オッカム氏の主題なるものが「衝撃と畏怖」にあることと、そのツイートがその主題とは別の角度・視点から読解しえる事はそこまで矛盾するように私は思えません。あなたにとっては大事なのはそこなのだとしても、別の人間からすると、なぜ誤解を生みうるとしても、結婚という事象も絡めてその話をせざるを得なかったのか、それ抜きでは語り得なかった、それを一般化する余裕もないほど差し迫った衝撃と畏怖の背景にあるものとはなんだったのかと思う訳です。国語力という話があった通り、オッカム氏の文章は国語の教科書に出て来るエッセイのような自身の経験に裏打ちされた、小説のような修辞的な良い文章でしたから、他の古今東西の小説と同じく、作者の意図も超え得る裾野の広い解釈が出来る文章であったなと感じました。私はその意図で書いていないという話をされても、文章としてそれ以外の解釈が通る可能性があるなら(言語的に間違った字義の解釈をしているのでもない限り)、時としてその解釈を書いた人間の意図とは離れた解釈をされうるし、そして本人の意図の埒外に見えてくる姿や批評性もあるというのが文章の面白さでもあり、怖さでもあると思います。
今回の件は私はオッカム氏を研究者の方だと思っているので、ご自身の主観的な経験を文学的な修辞で飾る事よりも、社会の構造に基づくものを語る際の姿勢として一般論を期待してしまっていた所があります。それはこちらの落ち度でした。申し訳ありません。
ただ、”トロフィーワイフなんて悠長な話をしている余裕は、彼にはない”というのはオッカム氏本人にしか分かり得ない事ではあると思いました。オッカム氏の”キャリア志向のない女性”の話と同じことですね。ご本人が直接同時通訳の方から「キャリア志向はないんです」と打ち明けられたのか、あるいは”「〜から明らか」とか「〜以外には受け取りようがない」と主観に依拠”して判断したのかは分かりません。同じようにあなたがオッカム氏にそんな余裕はなかったんだと打ち明けられたのでもない限り、もしくは”「〜から明らか」とか「〜以外には受け取りようがない」と主観に依拠”したのでないなら、それは分からない事だと思います(オッカム氏はたくさんツイートされているので私がこれにまつわるつぶやきで何か重要な見逃しがあったらすみません)。
私が一連の話で思うのは”キャリア志向はない”とオッカム氏は何をもって判断されたのかということで、そこにジェンダー的な観点から語りうる問題があるように感じます。
そして、「衝撃と畏怖」という話で言うなら今回のTwitterでオッカム氏に来ている批判の主題もまさにそこにあるような気がします(これは主観に依拠しています)。それは女性通訳者をはじめとした色んな方々の、ご自身の境遇がこう見られているのかという「衝撃と畏怖」だと思います。オッカム氏にとっては批判者の主題なるものは”主観に依拠”した事実誤認かもしれません(私は批判した方々本人ではないので分かりませんが)。
しかし、オッカム氏とは逆に、批判者にとっての大事なことというのは、「想像もできなかった」の前にある「迎えることは」の方だと思うのです。それはなぜか。というのは寄せられているジェンダー的な批判が答えだと思います。
私はオッカム氏が故意にミソジニー的発言をしようと思ってしたとは思っていません。しかし、寄せられた批判が国語力のない誤読と一蹴できるほどのものなのかという点と、短時間でその人に対して人生設計の行く末と意志の事を話す気にさせるほど胸襟を開かせるような驚くべき特異な好人物かエスパーでもない限り、通訳の方に対して”キャリア志向がない”と判断された事の背景にはジェンダー的な視点で語りうるべきものが存在していると思われる点、この二点はやはり思う所でありました。
ご無沙汰しております、親愛なる皆さん。(皆さんの方ではわかりませんが、私の方では、皆さんに対し、親愛の情を抱いています。)
お分かりでしょうか。これで、星野源も、負け組となりました。私は、彼のことをテレビで見るたびに内心、羨ましく、忸怩たる思いをしていましたのですが、今、私は、とても晴れやかな気分です。
星野源は、40歳、ガッキーは、32歳なのですね。いえ、私は、8歳年下!ガッキー!などと、星野氏がひた隠しにしていた交際の果実を、称賛するつもりは、ありません。
結婚。
それが意味するところをご理解いただければ、私の言わんとするところも、自然と、ご理解いただけることでしょう。
結婚とは?男と女が夫婦の誓いを立て、互いに互いを一生幸福にするために共同の生活を営み、子をつくり、産み、育て、その間、てんてこ舞いの、忙しさ。次に一息つけるのは、よる年端に打ちしだかれた、老後。と、こういうことではありませんか。
結婚。
なによりも私が訴えたいのは、男女関係のことです。言うまでもありません。結婚をした男女に、男女関係など、ございません。夫は妻に飽き、妻は夫に飽くでしょう。一人の人間を愛し続けることなど、土台無理なことですからね。
なにより婚姻関係にある男女が、彼らの共同の営みの外にある人間と男女関係をもつことは、不貞行為と呼ばれ、許されておりません。倫理上、法律上、そうであることは間違いありません。もろちん、実際上は可能でしょう。しかし外部と男女関係をもつのであれば、そしてそれが露呈するようであれば、共同の営みは崩壊し、婚姻関係も破棄しなければなりません。もしそれが露呈しないとしても、それを露呈させないためには並々ならぬ努力が必要となるのではないでしょうか。いずれにせよ、男女関係は困難です。それが死ぬまで続くのです!
私は、女の心は、わかりません。しかし、男の心、これであれば知悉しております。理由は、ひとつは、私も男ですので、私の心を観察することで、手のひらのしわを数えるように、簡単に理解できるのです。しかし、私の心と、他の人間の心、それがそっくりそのまま同じであるはずはないと、私は、念には念を入れ、古今東西の物語、小説、学術論文、さらにはインターネット上の言論までも読み漁りました。そして確信を持ちました。私の心が、男の心なのです。私の40年に及ぶ人生をかけて断固として言いますが、男に幸福をもたらすのは、新しい女なのです。いえ、正確に言いますと、新しい女体なのです。
権力をもった男がまずやることを、ご存知でしょう。とっかえひっかえ、女を寝間につれこむことです。それも若い女が好まれるようです。女に飽きたら、捨てます。考えても見てください。生物学的に、オスのやることは自分のDNAをできる限り多く残すことです。女は一度に産める子の数が制限されますが、男はそうではありません。子種がある限り、いくらでも子孫を残すことができます。すべてのオスの本能が、新しい女体を求めている理由です。
強いオスが、新しい女体を求めるのは、自然の摂理です。結婚とは、それに反する行為です。人間が生み出したもっとも悪しき習慣だと、私は、思います。結婚は、男にとっての最大の屈辱です。
今回の星野氏の結婚は、彼が女の軍門に下った、男としての負け組に堕ちたことを意味するのです。ですので、星野氏に良い思いを抱いていない私は、彼の結婚に拍手喝采するのです。
私の、数年ぶりの投稿をここまでお読みいただき、ありがとうございます。よろしければこの投稿をシェアしてください。もちろんフェイスブック以外にもかまいません。