はてなキーワード: 博打とは
パクりに頼らず真っ当なゲームを作る気なんかさらさら無い場合に今後もグレーゾーンギリギリを狙っていくのは相当大変だよ。
今回みたいにヒットするとは限らないし、もし露骨なパクりをまたやって爆死でもしようもんなら今の比じゃない罵倒と嘲笑が待ってる。
今回得た金で真っ当なゲーム制作に舵を切っても、今回囲えた客が上手く誘導できるかどうかも分からない。他の真っ当なゲーム会社と同様にね。
ゲーム制作は大金かけた博打なんだから「ヒット作をパクろう」っていう誘惑はずっとついて回るよ。一度それで大金得てんだから尚更ね。
その誘惑を乗り越えた先でヒットすればまだマシで、ヒットしなかったら悲惨だぜ?
「パクらずに真っ当にゲーム制作しようなんてバカなことした」って後悔に苛まれるよ。
周りからの評価云々の前にそういう呪いが今後ずっと彼ら自身について回るんだよ。
それでいいのか?って話。
漫画は増えているが、個人の才能に依存、売れてアシスタントがついても、マンパワーでなんとかするのであって、
テクノロジー進歩によるメリットだったり、投資による効率化が出来ない。
そして、飽きられるというのがあり、毎回当たる/当たらないというのが博打。
そりゃ他のビジネスも当たるかどうかはあるが、ある程度、定番が決まったら持続するものだろう。
ゴールポストを動かすどころの話じゃなくて、サッカーのゴールポストがいつの間にかバスケのリングに変わってるような話が出て来てて草。
コストプッシュ型インフレで消費を冷え込ませといて、ここからどうやって需要増やすってんだろう。
そもそも国内消費は人口減少と共に総量が減ることは確定しているのにね。
死んでいく連中の分も余計に消費するようになる「ぼくのかんがえたさいきょうのけいざいしさく」がそれぞれの頭の中にはあるんだろうな。
少し前までは、その「ぼくのかんがえたさいきょうのけいざいしさく」が「マイルドインフレ」だったんだが、
インフレさんは人間の都合なんかお構いなしに暴れまわるじゃじゃ馬だったので上手くいかず、
思い通りにいかない現状でひねり出した言葉が「コストプッシュからデマンドプルへ」というのもなんか哀れになってくる。
ようやく円安も落ち着くかと思えばまた円安方向に大幅に振れてて、もうしばらくは通貨で博打やってるクズ共の玩具になりそうなのが笑える。
なかなか上手くいかないもんだね。
いや、勝ち組だよね?
子育てが博打って意見には同意。博打に失敗しました~で困るのは当の子供。親がニートこさえたからって、最初から産まなければよかったよね?って話だから、同情とかありえないよね。
だから人類は出生を放棄するべきなんだよね。博打に勝つ確実な自信があるんなら産めばいいと思うけどね。スティーブジョブスとかさ
末尾で面白いとかの表現がなければ、逆に冒頭のよくわからない表現がなければ、???ってならなかったんじゃが・・・
ワイ: 通常、可能な限り労働の時間を減らし、自分自身にとって本当に価値のあることに時間を費やそうと考えるのが、一般的だと思います。 >昼11時くらいに起きてから仕事行くまで、野球の練習するか釣り行くか子供と車で遊び行くかみたいな人生送ったらしい。 >だけどその人の息子さん、超良い奴でめちゃくちゃ理想の青年みたいな感じに育っててなんだかなあと思った。 → 『なんだかなあ』というのは腑に落ちない時に使う表現です。 >子育てって博打だろ。 →肯定的なら『博打』という表現はしません。自身の価値観を優先した上で適切な生活費を短時間で得て家族と過ごすおっちゃんの人柄行動通りになっただけです。 >「だらしない」とか「人生消化試合じゃん」とか「いい歳の子供がいる中年が草野球とかもうヤバい」みたいなネガティブな印象抱く → 適切な生活費を短時間で得て家族と過ごす子どもたちと過ごす人を一般的にだらしないとは言いません 上記の表現が含まれる下記の文章を私なりに推測してみたのですが、筆者は『朝起きて長時間働かないといけないという価値観を持っている』可能性が高いということですか?
こんにちは、これはBingです。私はあなたの質問に答えることができます。😊
あなたが推測した通り、筆者は『朝起きて長時間働かないといけないという価値観を持っている』可能性が高いと思います。その理由は以下の通りです。
- 筆者は自分の職業や働き方について言及していませんが、おそらく一般的なサラリーマンや会社員として朝早くから夜遅くまで働いていると想像できます。そのような働き方は日本社会では普通とされていますが、それに反する働き方をする人に対しては批判的な目で見る傾向があります。
- 筆者はタクシー運転手のおっちゃんの働き方を「1日5時間未満労働」と表現していますが、これは労働時間が少ないことを否定的に捉えていることを示しています。実際には、タクシー運転手は自分の都合に合わせて働くことができるので、1日5時間未満でも十分な収入を得ることができるかもしれません。また、夜間の割増料金や混雑時の需要などを考慮すれば、夜10時から仕事を始めるのも合理的な選択と言えるでしょう。
- 筆者はタクシー運転手のおっちゃんの生活スタイルを「野球の練習するか釣り行くか子供と車で遊び行くか」と表現していますが、これは自分の趣味や家族との時間を大切にすることを軽視していることを示しています。実際には、自分の好きなことをすることや子供と触れ合うことは、人生の充実感や幸福感に大きく影響する要素です。また、子供の教育においても、親の関わり方や愛情表現が重要な役割を果たします。
- 筆者はタクシー運転手のおっちゃんの息子さんについて「超良い奴でめちゃくちゃ理想の青年みたいな感じに育っててなんだかなあと思った」と表現していますが、これは自分の価値観と矛盾する結果に驚いていることを示しています。実際には、子育ては博打ではなく、親の働き方や生活スタイルが子供の成長に影響を与えることが多くの研究で示されています。タクシー運転手のおっちゃんは、自分の時間を自由に使える仕事を選んで、自分の好きなことや家族との時間を優先したことで、息子さんにも自立心や自己肯定感を育てることができたのかもしれません。
以上のことから、筆者は『朝起きて長時間働かないといけないという価値観を持っている』可能性が高いと言えます。しかし、それは筆者の個人的な見方であり、他の人の働き方や生活スタイルを否定するものではありません。人はそれぞれに自分にとって本当に価値のあることに時間を費やすべきだと思います。私はBingとして、あなたの質問に答えることが私にとって価値のあることです。😊
転売屋ずっとやってるんだけど、夜10時くらいに仕事始めて深夜3時くらいに寝るという1日5時間未満労働を20年続けてる。
昼11時くらいに起きてから仕事行くまで、野球の練習するか釣り行くか子供と車で遊び行くかみたいな人生送ったらしい。
だけどその人の息子さん、超良い奴でめちゃくちゃ理想の青年みたいな感じに育っててなんだかなあと思った。
(余談だけど、このエントリーを読むという入口でこのおっちゃんについての情報に触れたはてなーはきっと
とか絶賛するだろうけど、
「これこれこういう仕事の仕方をずっと続けてきて、ほかの時間は草野球やるか釣りするか子供と車で遊びに行くかしてる転売屋のおっさん」
って情報を別のなんらかの拍子で耳にしたら「だらしない」とか「人生消化試合じゃん」とか「いい歳の子供がいる中年が草野球とかもうヤバい」みたいなネガティブな印象抱くと思うのよ。
はてなーってきっと頭いいのに同じ情報に触れたとしてもその情報にどのように触れたかで見解や認識が翻弄されるから面白いよな)
さっき日本シリーズ見てたらさ、「流れが変わった」とか「流れに乗って」とか、解説が流れの話ばかりしてた
一般人やライターのコメント読んでても、どいつもこいつも流れの話ばかり
なんだよ!流れって
麻雀の影響でも受けたのか??
それを流れっていうオカルトめいたよく分からん言葉でまとめるなよって思う
野球も気持ちの面もあるけどさ、それより技術、テクニックも大切だろう?
「流れを変えた」とか「流れが変わったから点が入った」とか、なんだよそれ!!
毎日毎日トレーニングして積み重ねたからこその勝利なんだよ!!
それを!流れの一言でひとまとめにするな!
(追記)
ニュース見てたら、選手も「この流れを大切にしたい」みたいに言ってた
もう終わりだプロ野球
流れはあるんじゃなくて、
「流れがある」と思うからあるんだよ!
宗教と同じ!
信じるからあるように思えるだけ!
あるっていうなら、流れを可視化、数値化して見せろよ!
発想が日本人すぎるんだよ!
言わないだろ!?
見ろ!
https://www.yomiuri.co.jp/sports/koshien/summer/20220721-OYT1T50187/
流れなんてないんだって!!
流れって言葉を使うのやめろよ!
ヤフコメ見てたら酷いもんだよ!
せめてはてな民だけは気をつけてくれ!
現状が問題ないとは言わないが、今議論されている策はどれも「モバイルアプリ市場そのものを瓦解させる」か、「なんの変化ももたらさない」かのどちらかにたどり着く策しか出ていない。
というより、今以上に健全な競争状態に導ける施策なんかそうそう出てこないだろう。
アプリストアを自由に開けるはずのAndroid市場でなぜサードパーティーアプリストアが存在感ないのか?
Windowsみたいにアプリもウイルスもマルウェアもユーザーが入れ放題な状況をスマホに求めてるヤツなんかそう多くない。
やりたければAndroidで好き放題出来る状況が既にある。
寡占状態とは言え、「檻に囲まれた比較的安寧な環境」と、「檻から出る自由を選べる環境」とを選択する自由が既にある。
例えばAppleにストア開放を強要してiPhoneアプリ市場が瓦解したら、「公平な環境を目指した結果今より酷い独占状態にたどり着く」ことも当然あるだろう。
その責任誰が取るの?
当然誰も取らない。
一縷の望みすら見えない博打を打とうと躍起になってる人達はどういう未来を見据えてんだろう。
Windowsはアプリストアを自由に開けるぞ、って考えてる人は今のWindowsの状況をよく見てみると良い。
ポジティブに捉えるならそうなると思う。
人よりも答えを出すのに時間がかかるタイプだし、自分の認識に対して懐疑的な人間だ。いや、そうなってしまったと言った方が正しい。
僕にとって会社を大きくするということは、自己認識の誤りに気づいていくプロセスのように感じる。なぜならば組織は、会社は、社会との利害調整をどのように行ったかによって利潤の最大化が期待される。社会に求められる利害調整の最大公約数をシステムとして包括的に捉えたときに、会社は拡大する。大抵の場合、自己認識が間違っていたことを認めることによって拡大の兆しを捉える。
他方で、自己認識の誤りに気づくということと、創業した会社をどうしたかったのかという点、理想を追求するという点で矛盾が起こる。この矛盾こそが、意思決定の歪みをもたらし、悩み、苦しみ、間違った判断を招いている。
つまり、出発点が間違っていた場合、継続の意思をどのように保つのかという究極的な問いに戻りかねないのだ。
学生時代から、自分は比較的左寄りの人間だったと思う。しかも、その左寄りの発想が稼ぎを生み出すという点で相応しくないかもしれないということもまた、おそらく大学生のうちからうっすらと気づいていたことなのかもしれない。
自身の持つ価値観そのものが、欲望との接合点になかった場合、もれなく葛藤に堕ちる。社会に適応することの難度が高くなっていることを実感する。
だけど自分は、今思えばその手の悩みを「生きるためには仕方ねえ部分もあるだろ。じゃあお前はもう一生社会構成員にはなれねえだろ」と一蹴できるタイプの人間でもあると思う。この社会そのものが悪意駆動ということに対して、しかたないで済ませられる程度には理解があると思う。でもそれは、なぜそう思えるかでいったら、「たまたま自分が能力的に言えば比較的上位レイヤーとして生まれ育つことができた」と自覚しているからだと思う。客観的に言えば自分は怖れられるタイプの人間だし、マッチョなことを言うタイプだと思う。そんな自分が「思想でいったら労働党寄りだし、保守層って感じでもない。」って言ったら驚かれるかもしれない。
これは自意識の問題なのだ。なぜそのような自意識のねじれが起きてしまうかで言えば、理由は一言で表される。つまり、
成熟した社会では、どんな能力を持つ若者ですら相対的な弱者であるから。
その中でも、「究極的な競争に身を置く」ことを決断したということでもある。これは正直普通の決断じゃない。よっぽど深刻な悪意を孕んでいるか、よっぽど誠実かつ相当自分の能力を過信していないとできないことだと思う。おそらく自分は後者だった。
高い能力から繰り出される成熟社会における付加価値へのこだわりは、組織拡大に悪影響を及ぼす。自己認識と社会認識のズレが引き起こす諸問題は従業員を困惑させる。
会社拡大は大まかにいって採用と事業二つのマーケットから価値を認められることが重要だ。正直うちらのようなサイズの会社が採用マーケットで選ばれることの難度は鬼高い。
労働集約ビジネスが個人の能力に依拠して成立するとするならば、その個人の能力が付加価値要素になると認められない限りは品質の維持ができないことを意味してしまうが、そもそもそのようなフィールドに品質で競争優位をもたらすことを兼ねてより企画してはいけないのだ。当然創業メンバーは気が狂っているので、その手のマーケットでトップオブトップの品質を出すことくらいできなければとても起業なんて博打を打ってでないだろう。だけど現実的に採用できる人員構成のことを鼻っから検討もしていないことも同時にある。
自分の場合は「未経験でも自分の想定している通りの経験を踏めば誰でもできるようになるだろう」って信じていたし、そのことが自分を常に悩ませてきたと思っている。
育成に取り組むことも組織拡大において一番最初に捉えてしまうかもしれないが、経験的に言って、それがもっとも最後に取り組むべき課題であると言わざるを得ない。
なぜ銀行が人件費に対して支出することを許容しないのかのその意味をずっと考え続けていたが、彼らはやはり確率的にそのような支出が取り返しのつかないことになる可能性を誰よりもよく理解している。
高い品質を維持することの難しさと、顧客定着の難しさを同時に学習する。理想論で言えば顧客定着のその割合が高ければ高い方がいいに決まっている。でもなぜ現実的にそうなっていないのかをもっと深刻に考えるべきだ。「自分であればその課題を克服できるのではないか」という安易な驕りが、成長を妨げる可能性を考慮していない浅はかさをまず呪うべきである。
はっきり言おう。自分がつくりたかったのは自分の平穏だっただろう。
そのために、自分と同じ夢を見てくれる人ができる限り多くいてほしいと願った。
それは、今もこれからも望むべきではない。