はてなキーワード: 勝手とは
伝統を重んじるばかりにいざという時の代替案の選択肢が限定され、ジリ貧になって滅びるのであればそれはそれでしょうがないんじゃない?
それはそうと、他人の心情や環境を勝手に慮ってグロいとか評する方がグロい気するわ。何というか思い込みの強い気持ち悪いファンって感じ。
コントローラーのPSボタンを押したらテレビが勝手にONになって
前回の続きのところからすぐにゲームを再開できるっていうのが一番のウリなので
その辺をゲーミングPCが追い抜くことは多分ない
もちろんHDMI連携させて設定入れればゲーミングPCでも同じことができるけれど
Windowsアップデートやらデバイス更新やらなんやらで定期的にイライラする
性犯罪をやりやすい環境づくりが云々といった飛躍した妄想がポロッと出てくる頭の弱さは治療できるなら治療したほうがいいと思う。一部の粘着以外、公金絡まなきゃ勝手にやれと静観してる。今回公金への未練たらたらで都批判に走ったからまた騒ぎになっただけ。
してませんか?私もしていません。Blueskyにいます。
ただ少し前にイーロンにブチ切れた私はMastodonやミスキーといったFediverseを彷徨っていました。インスタは検索時系列が消えてThreadsは主婦の悪口置き場になったので最早候補外でした。
あるMastodonで雑談コミュニティみたいなものを形成している場覗いてみていたのですが、まぁなんというか香ばしい。
あるコミュニティでは悪口が活発に行われ開示請求されないために移動しただろというものがありましたし、あるコミュニティでは家庭不仲な女の子をみんなで救おうとしていました。SNSの言論だけで。救えるわけもないのにね。ヒーロー気取りです。無責任なことばっかり言ってましたし、救えてませんでしたよ。
政治話をしないでおこう。政治話は気持ちいいものではない、という管理人も居ましたし皆が追従していました。雑談何でもオッケーって言ってるんですけどね。
おそらく高校生や大学生とかそういう言論はできるが社会を知らない集まりが成立しやすい状況だったと思います。投票の仕方を指南しただけで物知りの人みたいになってました。
まぁこれはどのコミュニティにでも起こりがちな話だとは思ったんですが、一点。自称Xではあまり大っぴらに確認できないことが起きていたんですね。
三桁以上の人数は動いている雑談コミュニティでまず仏教を語りながら知的層をアピールする爺がいました。そこから神が何なのかやら仏教から離れていって変な宗教の話をしているのですが…
信仰は悪いことじゃない、というのが彼の主張。
政治話は禁止でも宗教話はオッケーなコミュニティではこんな声が上がっていました。
「なんとなく」「その場の空気を読み荒れないように」「ちょっと好奇心があって話題を引き出そうとする」
そういう状況がありました。
こういうコミュニティに来る大人もまぁたいがい緩い大人なので、コミュニティの年齢層とかあんまり考えずに宗教話を広げます。
ここヤベッと思ってすぐアカウント削除した私は、そんなことは記憶から抹消して今日まで過ごしてきたわけですけれども。
自民の政治家たちが総裁選するからと統一教会のことは無かったことにしてペラペラ毎日喋ってるのを見て、ふと思い出したのでここに書いておきます。
ちなみにBlueskyはXで起きている炎上事案が一つも起きていないのが特徴です。収益化できませんからね。アフィリンク貼ってるやつも居るにはいますが、まとめてブロックできる仕様もあります。
人もまぁまぁ少ないですがアクティブは低くない印象です。
最近はイギリス人とブラジル人がバカみたいに増えて(2つの国でX離れが起きました)一時期あふれかえった日本人のせいで日本ばっかやんみたいな光景は変わったように思います。ちなみに日本人はBluesky公式に変なデコレーション画面にする方法を授けていました。無意味だけどらしい。ちゃんと喜んであげる管理者が健気です。サードパーティ系のアプリも続々出ています。
Mastodon系と連携させることもできるので、そちらのアカウントを持っている人はやってみるといいかもしれません。
欠点といえばタグやワードで勝手にリストアップされるのでコミュニティを作らなくてもいい。言い換えればコミュニティを作りにくいということでしょうか。
まぁ、色々とやってみなければ分からないことは多いです。飛び込んでみるのも手です。
あんスタという女性向けゲームがある。男子高校生たちがアイドル育成科のある高校でアイドル目指して頑張るってゲームなんだけど、どうもプレイしてて登場キャラたちが幸せになる未来が想像できない
ストーリーはアイドル物の定番で、一人のアイドルとして、またはアイドルグループの一員としてどうあるべきかに悩んだり、家庭環境や個別の課題について悩みぶつかりながら成長していく様子を描いてるんだけど、登場キャラが男性ばかりなのに妙に女々しい。ていうか女キャラをベースにシナリオを書いて男キャラにすげ替えてるだけじゃないかってさんざん指摘されてる
あとなんか個々のキャラ付けが痛々しい。全員不思議ちゃんの中学生女子みたい。俺の一家は吸血鬼とか言って校内に棺桶を勝手に設置して昼寝してる奴とか、宗教の生き神様として実家で祀り上げられてる奴とか。そもそもなんでお前達アイドル科に入ったんだよっていうような妙な来歴の奴らが多い
で、そんな奴らが家庭環境とか人間関係とか謎にスケールの大きい情勢とかと立ち向かいながらアイドルやってる。いやいやアイドルとして研鑽する前に解決すべき課題があるだろ、デカい事情持ちのくせにやれイベントだー衣装だーダンスだーって言ってる場合じゃないよってついツッコんでしまう
で、冒頭の話になる。そいつらがアイドルとして大成したとして、幸せになる未来が見えない
作中ではじわじわと時間が進んで、高校を卒業するキャラや学年が上がるキャラが出て、こいつらも歳を取るんだなぁと思わされる。だんだん老けて、やがてアイドルとしての活動がキツくなってきた時のキャラ達のことを想像すると気が重くなる。若い時の一瞬を、たとえゲームと言えど消費していいものかと悩んじゃうんだよな
しかもキャラは何十人といる。当然プレイヤーからの人気、不人気も分かれている。不人気キャラとかそもそも30代頃にアイドル続けてられてんのか?とか考え始めるともうヤバい。悲壮感すら出てくる。
女の子アイドルのゲームにそこまでの悲哀は感じない。やっぱり結婚して家庭に入るルートが見えるから将来に分岐があるというか、男性アイドルみたいにバイト掛け持ちしながらアイドル活動みたいな生々しさは想像しなくて済むというか。マジでアイドル以外の職にも就いててほしい。そういう意味ではMマスが良かったんだけどサ終してるし。男性アイドルものは闇を深くしないといけないルールでもあるのか?ファン層がそれを求めているのか?つらい
数年来の歌舞伎ファンだけれど、ネットに放流される歌舞伎の感想を見ていると、グロっ!と思うときがある。
いちばんそれを思うのは、歌舞伎の家に生まれた子ども(特に未成年)に対しての、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」っていう感想。そういう感想には、ふと見ていて自分で思い至ることもあるけれど、一方で、自ら振り返ってみると、又は他の人の感想として見ると、うわっ!グロっ!と思ってしまう。
思っているだけだとモヤモヤするから、何がグロいかを言語化してみると、それは、本人が決めるべきこと(将来の職業選択、そこで役者を選択するとしてその芸風・方針)について、生まれや血族といった本人の意思ではどうしようもできない事実を評価の基準として、第三者にすぎないいちファンが勝手に判断して評価しているから、だと思う。
もっと踏み込んで言うと、無限の職業選択の自由が拓けているはずの子どもに対して、第三者がその子どもの将来を(職業だけではなく芸風まで)決めつけてしまっているという点について、無意識であるにしろ、ものすごく高慢に見える。
この所感は、古典演目を、比較的若い役者が、過去の大役者が確立したような型に倣ってやるような場合に、当該大役者の親族(又は、その中でも風貌が似ている者)にやらせないとおかしい、みたいなコメントが出てくる場合にも同じことを思ってしまう。結局それは、今の演者ではなく、過去の演者を求めているに過ぎないし、(こういう鑑賞態度は歌舞伎だとあるあるではあるけれど、)個人的には、そのような鑑賞態度である限り、今の演者を(自ら理想化した過去の演者と比較して)批判的な目でしか見ることができないから、観劇が辛いものにしかならず、実りのある観劇体験にならないんじゃないかと思う。
(逆に、役者に対する「〇〇屋に生まれたんだから(or所属しているんだから)、△△さんから指導を受けて××(演目)をやらないとおかしい」みたいなファンの意見も同じ。言ってるファンは、親祖父母から指導を受けて同じ仕事やってるんだろうか……。)
いや、そもそも上記のようなことを言ったら、御曹司のかわいい初舞台で、ベテランのお弟子さんがセリフもなく後ろに座っているという構図自体、あたりまえだけど普通にグロい。
もっとも、もうこういう家による階級制度は、あと20年(いや、10年?)経ったら、消えて無くなってるんじゃないかなあと思う。そして、そういう兆候がちらちらと現実にも顕れていることは、今の歌舞伎ファンならば分かると思う。
つまりは、これからの中心的なファン層は、歌舞伎への入り口が、刀剣乱舞歌舞伎その他の2.5次元歌舞伎、又は、大河ドラマその他の映像作品である人が多いと思われる。そういう人たち(そうでなくても、これからファンになる若者層)に、「お家」とか「名跡」とかに重きを置いて、扱いに差を設けることを正当化するような価値観は、もう通じないんじゃないかなあ、ということだ。ただでさえ、「親ガチャ」が流行語を超えて浸透しているような世代だし。
(個人的に、初報が発表されたとき、刀剣乱舞歌舞伎は今できる最高のコラボ歌舞伎だと思った。和の世界観と親和的で、既存のファンの方の数が多くて、しかも観劇に抵抗がなく、むしろ積極的であるというのがすごい。これから若い歌舞伎ファンの殆どが刀剣乱舞が入口、ということは、普通に起きるんじゃないかなあって思う。いや、もう起きている?)
一方、上記で、階級制度が無くなるという兆候が顕れている、とは言ったけれど、現状は、それは、名家の御曹司が座頭を務める舞台で、実力のある弟子を大役に抜擢することがある、という形にしかなっていないとは思う。つまり「使う側」(座頭)と「使われる側」(大役に抜擢される弟子)がある、という権力構造には変わりはなく、単に「使う側」のお慈悲が発揮される回数が増えただけ、という状況にしかないようには思う。すなわち、従来の力関係にはそこまで変わりはないんじゃないかっていうことだ。
(あと個人的には、そういう「抜擢」をした役者/「抜擢」をされた役者のことを、美しいストーリーとしてSNS等で賞賛する行為は、度が過ぎると、上記の権力構造の再確認になりかねないし、弟子の苦しい立場ごと消費しているような感じがして、あまり乗り切れないところがある。歌舞伎御曹司の感動ドキュメンタリーと消費の仕方が同じというか。但し、そういう風潮が抜擢を後押ししていることは否めないし、全部を否定はできない。結局、観劇というのは突き詰めると観客による役者の消費ではあるし、役者のバックグラウンドごと観客に消費させるのは、歌舞伎が今まで取ってきた手でもある。)
(さらに言うと、一部SNSによる一部の役者・家への軽率なDISも好きではない。ちゃんと芸単体を見て評価できる人が評価しているならともかく、SNS(というか、その人が構築しているタイムラインに流れてくる限られた情報)の、この人なら批判対象としてもいいんだ、という雰囲気に流されて、大した芸の批評もせず批判をしてるんじゃないかって気もするし、自分が「見巧者」であることのアピールとして軽率に使われてるだけな気がする。)
じゃあどうするんだという話だけれど、近い将来、御曹司と弟子をキッパリ区別して取り扱うような現行制度について、どこかのタイミングでアナウンスがあって形式的な解消がなされる、という事象が起きてもおかしくないんじゃないかなあとは思っている。あくまで、上場企業である松竹が、今の門閥制度は上場企業に相応しくない、とか言って形式的にやることかなとは思うけれど。具体的には、まずはポスターに名前を載せる基準とか、筋書きの後ろの方の写真の大きさとか、動静表のあの色分けとか、あそこら辺の形式的な取り扱いから(一律、名代試験→幹部昇進で区別するとか。)。
もっとも、役付きも、それに伴って柔軟になっていくってこともあるかもしれない。ただし、私は幕内の事情は全く知らないし、上記権力構造は変わらないのかもしれないし、この考え方も全くの的外れかもしれないけれど。そもそも、歌舞伎名家の権力(私から見えるのは、歌舞伎座古典の大役の配役くらいだが)がどこに裏打ちされているのかもよく分からないし(メンツを見てると、必ずしも集客じゃない気がする。そうすると、本当に“名家”であることの一点のみで権力たりうるということなのかもしれないけれど、平成生まれの自分にはピンと来ない。)。
最近の御曹司はみんな上手いなあと思う。やっぱり、現代になって、色々な選択肢が拓けている中で、今の若手世代の御曹司の皆は、自ら歌舞伎役者になることを選んだんだと思うし、やはりその覚悟に見合うだけの実力がある。これから歌舞伎がどうなっていくか全くわからない中で、歌舞伎を将来の道として選択してくれたことは、歌舞伎ファンとしてとてもありがたい。そんな御曹司たちとそうじゃない人達とで切磋琢磨していくのが健全なんじゃないかなあと思う。
そして、冒頭に戻ると、「お父さん(orお爺さんその他親戚)に似てきたね!」といった一連のグロい感想も、今の価値観にそぐわないものとして自然と淘汰されていくんじゃないかなあ。そして、価値が大き過ぎて空席になっていたはずの大名跡の価値は、空席のまま忘れ去られることになり、古典演目が歌舞伎座でかかるとネット上でもかろうじて見受けられる、あの動作は過去に誰々が始めたものだ、みたいなコメント兼マウントと、それを把握しなければならないという価値観も、良くも悪くも間もなく消えていくんだろう。
――最近は研修所への入会やお弟子さんの入門自体微々たる数しかないから、まずそこから増やさないと、歌舞伎文化の継続自体がかなりマズい? それはそう。
これはなかなかいいポイントですね。つまりメディアはメッセージだと言ったりもするけど
内容そのもののメッセージとは別に、文体的なところから「この人は発達障害だなあ」とか思ったりするわけですね
そういうことも可能だということですね
市長を辞めさせたいということで、市長本人に辞職の意思がない場合は議会の動きだけでは解職まで時間と手続きが嵩むというニュースを見た。
議会とその構成員たる議員は、例え地方であっても固定票に支えられており必ずしも市民の意思を正しく代表できているとは限らないのはみなさん御存知の通り。
政治の利権争いで、議員達が勝手に市長を解任させられないというのは当然のことなのだ。それはすでに壊れているとはいえ、二元代表制を土台から崩すものである。
不思議なのはリコールについてさほどニュースにならないことだ。
リコールは市民投票によって行われ、市長本人の意思に関係ない解職させられる。
リコールさえ成立させればいいのだ。
なぜ起きない?起こさない?
私の考えでは、リコールは「民主主義」の言い訳だからだ。リコールなぞ成立しないと、立法側も理解しているのだ。リコールが成立するより、面倒で時間もかかる議会による解職運動のほうがまだ実現可能性が高いと議会側ですら思っているからである。
東京メトロ南北線と都営地下鉄大江戸線は1990年の開通時からやっている。
オートマチック・トレイン・オペレーション(ATO)だったかな。
運転手さんがスイッチを押すと、後は次の駅まで何もしなくても勝手に運転していた。