はてなキーワード: 霧散とは
「努力の人」とか「成功者」とかいう露骨なキャッチコピーで紹介されることは少なくなってきたとは思うが、先駆者的な役割をかつて果した(今成している)人の話というのは実際価値があるものだと思う。奇抜なアイデアや行動力は、若者がビジネスの場をはじめとした様々の環境で活躍するのに、大いに参考にしてしかるべき部分が多い。
だけど、そういった人の話を積極的に取り込んで自分の糧にし、成長しようとする若者こそ、知っておかねばならないと考えることがある。それは、成功者がそのスタートラインから一つの目的に向けて一定のスピードで走ってきたかどうかは危ういことに気付かず、そのせいで自分自身に無力感を抱くおそれがあることだ。
インタビューや講演というのは、少なからず商業用に加工された言葉をもって構成された、一連の創作だ。なので、「『○○になりたい』という目的をしっかりもってやり続けてきた」と、数年経って語るのは、いわば後だしである。何十年前、その講演者が若かりしころ。グングンと栄養を吸い、学び、考え、経験し、成長を続けていたころ。そのときから、彼はすでに目標・目的を明示的な言葉で固め、自身の未来に向けて据えていたのであろうか。おそらくは違うことと思われる。今になって雄弁に自身の成功や挫折を語る彼が、まさにがむしゃらに走り続けているそのときから、確固たる『人生の目標』をくっきりと頭に浮かばせていたとは考えられない。それは「がむしゃら」というべき状態ではない。目的を達成し、まさに次世代の人間たちの先達となるために自分自身の経験を惜しみなく語ってくれるその人は、語るに連れて気付かぬうちに言葉に囚われ、過去の自分の脳を急激に現在の状態まで成長させた錯覚に陥っているのだ。
きっと、若さや自信に任せて夢中で走り続けているとき、彼の頭の中には言葉にならない願望や感情の断片が粒子状になったものが多数揺れ動いていたのだと思う。ときにそれらは結集し、一つの具体的な将来像を成したかもしれない。ときにそれらは霧散し、彼の眼を曇らせ眩ませるだけの濃霧にもなったかもしれない。でもその試行錯誤のうちに、ときたまチラつく幻のような自分の真意を認識し、直観を追い続けることで、何年後・何十年後に、粒子は密度を増し、振り返って考えたときに、自分が思い描くべきだった青写真がようやっと形成されるのだと思う。時が経った彼らはその写真を認識することで、あたかも若かりし自分はずっと前からそれを知覚しており、それだけを追い求めた健気な青年だったと、過去を振り返るのだろう。これを読んでる人だって、きっと「今になってあのときの自分(彼/彼女)の気持ちがわかった」という経験は何度も何度もしてきたことだと思う。
時が経ち、過去のことを正確に理解し、それを後世のために語り伝えるのは素晴らしいことだと思う。だが、素晴らしいとは言え、今を走る若者に、数年経過後に知覚された経験を差し出すのは、残酷だと言わざるをえない。なぜなら、彼が差し出す『私は20歳の頃こうだった』『君等も20歳のときはこうすると良い』は、本当は数十年分の経験を上乗せしたのちに多少薄めることで作られた「架空の20歳」だからである。
そして、若者がその真似をして自分を知覚しようとしたところで、得られるものはたかが知れている。語られる20歳が隠し持つ経験の差は絶対に埋めることはできないレベルにある。先達の語るかつての20歳と、今を生きる自分の20歳を比べて思うのだ。『僕は無力だ』と。
もしかして見てるかな
まぁ、それはいいや
知りあって数年の異性と約束をした
あちらには「居てくれること、傷付けない事、受け入れる事」を
こちらは「自身を相手の一部とすること、自我を与えること、依存を受け入れること」を
こうして文字にすると、その異常がより際立つ
人に言わせれば「気持ち悪い」の一言で一蹴されるような、おそらく汚い関係
青年期におけるアイデンティティの確立と拡散の発達課題に支障が出ている
ここで躓くということは、きっと以前の発達段階に積み残しがあるんだろう
せいぜいが、基本的信頼と不信の乳幼児期だろうが
話を一般の方に帰納する
相手の存在に自分の存在意義を委ねていない人がどれだけいるだろうか
「あなたのために~~」とキャラクターに言わせれば美談になるくせに
病的とさえ言われる
その時の恋人や伴侶の必要性とは何だろうか
社会的ステータスか、生殖のための遺伝子供給装置か、共同育成者か
感情の含まれない、役割と機能のみの道具の為が自然と思うのだろうか
自立していない、人間として終わっている、理性持つ存在として堕落しきった姿勢だ
別に理性を廃せよと言いたいのではない
「否定するな」と行動の制限をしたいわけでもない
ただ単純に、誰もが発達課題をきちんと積めるわけではないと言いたい
隙間の開いたジェンガのように、まばらでふらふらと安定しない存在でも、不安になりながら生きている
積み残しを補完するには、その上に積んだものも積み直しを迫られる
それは、きっと苦痛だ
それが出来ないから、他のジェンガに寄りかかって、集まって、倒れにくくする
きっとそれは、恋人や伴侶の話に限ったことではないだろう
きっと寄りかかり合って積んでいく
隙間一つ無いジャンガなら、そんな必要もないだろうが
だから、あらゆる関係において「依存」という形容詞が適応されるだろう
きっと本来は、依存は「良悪」で判断されるべきで「善悪」で判断されるべきでは無いんだろうな
演繹する
自分と相手には、それが必要だった
大きな依存を結ぶ必要が
そうでなければ、ジャンガを全て崩す他なかったのだ
初めから積まなければいいのだ
崩してしまえば、崩れることはない
それは、自殺だ
山際にだいだらぼっちのような入道雲が沸いていて、それが流れてきたのだった。
バタ、バタ、バタ。数粒の斥候が、乾いた大地に降り注ぐ。
パタ、パタ、パタタ。薄暗くなった空に、落雷もどんどん近づいてくる。
パタタ、パタ、パタタ。どこからともなく雨のにおいが立ち込め始めた。
一転して一粒も雨が降らなくなった曇天の下を、冷たい吹き降ろしの風が通り抜けていく。
ああ、いけないいけない。大変よろしくない。不穏な気配に、いそいそと用意にとりかかり、間もなくしてからだった。
衝撃で家財が細かな音を立てる。大きな柱や梁などは、みしりみしりと小さく軋んで、まるで家全体が震え上がったような錯覚にとらわれる。
急いで洗濯物を取り込んだ軒先から恐る恐る外の様子を伺ってみると、遠く山の向こう側から、いよいよ本隊が攻めこんでくるところだった。
上空から長く垂れ下がった篠突くカーテンが、ゆらゆらと風に煽られながら、破竹の勢いで迫ってくる。
やっと来た。そう認識するが早かったか打たれたが早かったか、大粒の雨粒群は瞬く間に辺りを覆い尽くすと、空を切りありとあらゆる物々を打ち鳴らし始めた。
さながら滝のような降り様である。空気は刹那に潤いを満たし、庭先はたちまち浅い海へと変貌していく。屋根に連なる雨樋からは濁濁と水が溢れ始める始末だ。
一瞬のうちに、山間の古民家は荒波に揉まれる船舶の如き状態に陥ってしまった。
冷たい風はびゅうびゅうと吹き荒び、屋根を持ち上げ雨戸を叩いては、僅かな隙間からうなり声を上げて入り込んでくる。
駆け抜ける紫雷は、どうにも虫の居所が悪いらしい。閃光を迸らせては癇癪を爆発させたかのような怒号を響かせ、ビリビリと辺りを振動させている。
予想外に激しい夕立だった。一人住まいであるために戸締りにあちこち走りまわらなければならなかった私は、すべての戸をきっちし閉め終えたことを確認してから、再び縁側に戻った。
閉じた雨戸をそっと開く。勢いよく吹きこんできた風雨に顔をしかめながらも、荒れ狂う灰色の海原を見上げてみる。
ふと、どうしていつも猛々しい様子に見惚れてしまうのだろうかと不思議に思った。
煽られて大きくしなった杉の木や、ころころと方向を変える雨粒、思い出したように瞬いては轟音を響かせる紫雷などから、どうしてこんなにも目が離せなくなってしまうのだろう。
ドキドキともワクワクとも違う静かな興奮が、泉のように噴きだしてこんこんと滲み出してくるのである。陶酔と微かな狂気。焚き火を見ていると似たような感覚に陥ることがあるように思う。
圧倒されるだけじゃなく、呑み込まれそうになってしまうのだ。呑み込まれて、夕立や海と、水と、一緒になってしまえる気さえするくらいだ。
それは、生物が皆、水に抱かれて産まれてきたからなのだろうか。身体が細胞が遺伝子が、遠い太古の記憶を伝えているからなのだろうか。
あるいは私という生命の半分以上が水によって生成されているからなのかもしれない。夕立や海原には同化するために、炎のゆらめきには霧散するために、惹きつけられてしまうのかもしれない。
開けた雨戸の隙間から、雨は容赦なく降りかかってくる。世界は最早、水一色に染まっている。天も地も、二つをつなぐ空さえも雨が満たし、むっとするほど濃密なにおいで満ち溢れかけている。
深く冷たい深層を流れていたにおいだ。ぐるりぐるりと地球をめぐって、こうして再び空と海との循環を繰り返している。
生命の血液として。あるいは生命そのものとして。延々と続く循環を繰り返し続けている、そういうもののにおい。
ぱしゃりと庭先の浅瀬で何かが撥ねた音が聞こえた。見れば、無数の波紋に下に、小さな魚影がちらりちらりと見え隠れしている。
分厚い雲の向こう側では鯨が尾びれを打ち鳴らしているようだ。轟音に誘われて、何百何万ものものどもが嘶き、咆哮を上げ、囀りながら、威風堂々たる行進を続けている。
生命として廻るために。
山間の集落には、いよいよ潮のにおいが満ち始めている。
「どうしても戦争が必要なら資源消費を最小限に抑えて目的達成せよ」
だったりする。相手を打ち崩すのは中策くらいで、ガード無しの殴り合いは下策の類。
上策は相手が戦争の意志を固める前に、その意志を霧散させること。
例えば孫子の冒頭は、
死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。
故にこれを経るに五事を以てし、
これを校ぶるに計を以てして、その情を索む。
一に曰わく道、二に曰わく天、三に曰わく地、四に曰わく将、五に曰わく法。
とあるんだが、これを超訳気味にざっくり言うと(多少自分好みにアレンジした)、
したがって、死亡フラグ・生存フラグ、存亡のシナリオ、これを熟察すべきだ。
そのためには、敵味方の力量を5つの項目で測り、
5つの項目というのは、
となる。
つまり、
したがって、(恋愛における)死亡フラグ・生存フラグ、存亡のシナリオ、これを熟察すべきだ。
5つの項目というのは、
となる。
言い換えるなら、
恋愛するときは、恋敵と自分とのリーダーシップの強さ、置かれている状況の違い、
仲間の質、量、規律なんかを良く調べ、それらを与条件として、
死亡フラグや生存フラグを理解し、どう展開すると恋愛が破綻し、
逆にどう展開すれば恋愛が進展するのかを把握し、
勝算のあるシナリオや再起不能を避けるシナリオを見つけ出せということだ。
についてもvs恋愛対象ではなくvs恋敵として考えると、
『三角関係となって百戦百勝するのは最善ではなく、恋敵と戦わずに恋愛対象から手を引かせるのが最善なのだ』
できる限り、例えば外交戦を展開したり自分の勢力を誇示したりして、
相手に勝ち目を無くさせたり、勝ち目がないと思わせたりしてしまえということだ。
ちなみにこの続きもあって、同様に恋愛へ適用できるように解釈すると、
その次は、恋敵⇔恋敵の仲間・恋愛対象・恋愛対象の友人間の同盟(共謀)関係を阻止すること、
その次は自分と恋敵が直接対決する(つまり三角関係になる)ことで、
恋愛対象との信頼関係をガッチガチに固めているところを攻めに行くことだ』
と孫子は言っている。
時間増殖炉の根底を覆す離散的思考の結末が情け容赦なく溶解したる顕現者の両眼に生え聳え立った。重大なる異端者達の反発と溶鉱炉の底に眠る擬似創造主のミイラによって成し得た数世紀前の芳醇なる家庭崩壊は今まさに世紀末の老害となって三千世界を標榜する補助器具と共に虚空に青白い虹を描く。螺旋状の頭髪によってしたためられた古代の暴言は男女の偽りを越えて未完成の容器に埋もれた受難の歴史を彷彿とさせる。怠惰によって奮起された仮想動物の骨髄を三分間凝視することで隣人は体液の大半を失い上流階級の隔壁は霧散する金銭の権化と変ずる。倒壊したる我が待ち人は孤独を得てなお隆盛を極め堕ちゆく残滓を必死にかき集めながら朴訥なる教育機関に絶大なる意見を発する。事情を知らぬ犬は後ろ髪を束ねて永遠なる忠誠を誓い、一方獰猛なる電話は破壊と二日酔いを繰り返しながら最後の審判を下す。天から舞い降りた二重苦を背負ったスピーカーは約束された言葉を紡ぎながら迷惑千万な独走を止めない。終わらざる回診と大名行列が三軒先の通りを横切った後、部分的に標榜する時事ネタを頓着なしに信用した教祖ははためく裾を足元にまとわりつかせ皆と昏睡に耽る。芸術的なる忘却が明日の占いを逸脱し、爆発的な向上心が新居に佇む彼の妻を目頭からゆっくりと引き裂いて緩慢に揺らがせる。冷静なる胞子に包まれた赤子が両手に握っていた真紅の暖簾を振りほどき広がりきった面妖なるボスに個人的な報復を誓った日は満月だった。大海を飲み込んだこぐま座から西へ三歩進んだところにあるカリフォルニアは目覚しい発達を遂げた時点で蝋燭の灯の中で抱擁を重ねるのだった。斜陽の陰に隠れて耄碌した化物たちが手に手を取って乱気流から漏れでた小さな粒子を手のひらから姑息に吸収しつつ未完のとぐろを真似したハサミが突き刺さる壁に象徴された弁護士を祝う。
えらい人の知りあいは、たいてい偉そうで、高圧的で、周囲を脅す。ところが「本物」が出てくるととたんに小さくなって、くだんのえらい人は、腰の低い、穏やかそうな人物だったりする。
ところが「実はえらい人」が、チンピラの露払い抜きでどこかに現れて、その人が腰の低い振る舞いをしたところで、たぶん「ただの腰の低い人」としか認められない。その人が、たとえヤクザの大親分であったとしても、目立たない格好をした穏やかな好人物として振る舞ったのなら、そうとしか見られない。
「チンピラ抜きのえらい人」が、「単なる腰の低い人だ」なんて認識を受けて、その人の「偉さ」に見合わない、横柄な扱いを受けたとして、そのひとがなんの葛藤も自覚することなく、変わらず腰が低く過ごせるかというと、分からない。難しいと思う。
暴言を吐いて、横柄に振る舞う「えらい人の知りあい」と、穏やかで腰の低い「本当に偉い人」とは、相互依存の関係にある。とくにえらい人の側は、チンピラ役を買って出る人がそばについていないと、快適に、穏やかな日常を過ごせない。
水戸黄門というのは本来、「全量に振る舞いたかった黒い人」が、強引に願望を叶えるための物語なんだと思う。
真っ黒だけれど有能な政治家として活躍したご老公は、ある日内に秘めた暗い欲望を慰撫するために諸国漫遊を思い立つ。
一行は旅をして、行く先々の名物を楽しむんだけれど、ご老公はすぐ飽きる。飽きて「楽しむ」ために、弥七とその部下が、どこかで困っている人を捜す。状況は逐一報告されて、もめ事を霧散させるのは簡単なのに、ご老公は「もう少し様子を見ましょう」なんて、火に油を注いで、悪役の退路を断ってしまう。
悪役だって本当は、どこかで妥協点を探るんだけれど、ご老公は政治の達人だから、ぬるい妥協ルートは、全て前もってふさがれる。悪役は仕方なく、悪事をどんどん大きくする選択枝へと追いやられて、追い詰められて、涙目でご老公に絶望的な戦いを挑まされる。「助さん」「角さん」「印籠」は無敵だから、悪役はそこで叩きつぶされて、ご老公は笑顔を振りまいて、次の獲物を探しに旅に出る。
何か本当に増田で綾波レイみたいに意味深そうな台詞を一言だけつぶやいて去って行く人が住み着いているようだから口説いてみようか...。
「音楽業界は厳しい」というのは流石に言うし、思うが、だからといって「〜が売れない」とは口が裂けても言えない。
まぁ、他人事じゃない。聞けなくなるのはつらいから。というのがその理由ね。
ウェブでの配布と著作権がコンフリクトを起こしているのは伺えるんだけど、
「うたは実際に誰の物か?」というのは、簡単なようで難しい問題だ。
だが著作権を持ち出せばこんなの簡単だ。ペーパー上の問題になる。
明らかに作者の所有物であり、企業の所有物である。それを一先ず破棄してみよう。
「何をうたっているのか?」もうそれは愛する人へとか...。月並み過ぎるな。
失地。故郷と言うけれど、先の「売れないとは口が裂けても言えない」とはホントそんな感じ。
時に世代。時代で区切る。「70年代の〜」とか。青春時代。ノスタルジー。
だけどそれは成れの果てだ。その時代ではそんなんじゃなかった筈だよ。
「ジャズは大人の音楽だ」というのはフカシだからね。若い黒人がメッチャクチャな音楽をやっていた所に好事家が集まっただけ。
何か霧散してきたが、結局”うた”とは非在の響きであるという。その個性とは裏腹に、個人の所有物であることをことごとく否定する。
「ならばうたわん。我らの歌を。」カラオケで他人の作った曲が自然に歌えるのは、他人の物であって、自分の物であるからだ。
あとねぇ。何だ?「売れない」と言いたく無いのは「売ろうとしてない」と思われたく無いからだよ批評家君!!
突然暇になったので、所感でも書いてみたいと思う。
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説明会
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こんな流れのようだ。
僕は情報系ということもあって、初めからIT業界を志望していた。だから業界研究はせず企業研究だけ行った。
自己分析も特にやらなかった。だってESにしろ面接にしろ尋ねられたことに素直に(ちょっとした脚色は必要かもしれないけど)答えればいいだけだから。
ちなみに僕はサークルも部活もしていないので、アルバイトと学業のことしか話題にできなった。この二つだけでも十分だと思う。
ものの本によると就職活動は3年生の夏ごろから始まるらしい。いろんな企業さんがインターンシップを実施しているからだ。
僕もインターンシップに参加するかと思い立ち、申し込んだ。だが、途中で面倒になって投げ出した。なぜかと訊かれても本当に面倒だったからとしか言えない。
芽生えかけていた就職活動へのやる気は霧散して、僕が就職活動を再開するのは11月頃だった。
メーラーを見るとリクナビ2010に登録したのは2008年の11月6日。6月にサイトがオープンしていることを考えると、だいぶ登録するのは遅かったのかもしれない。
それから説明会に参加し始めた。
有力なIT系企業は東京に集中している。僕は地方に住んでいるので、説明会に参加する度に上京することになった。交通費・宿泊費・食費は合計で10万を軽く超えたと思う。
志望している企業は3~5社あった。そこの説明会に参加するときの空いた時間によさげな企業の説明会を突っ込んで、合計で20社ぐらいの説明会に参加した。
筆記試験の対策は1月ごろから始めた。参考書を買ったり借りたりして問題数をこなした。
僕が実際に受けたのはSPI,テストセンター,CAB,Web-CABの四種類だけだった。
テストセンターが一番簡単(使い回しもできる)で、Web-CABが一番難しかったと思う。とあるデー子で結果を教えてもらったのだが、6~7割ぐらいしか正解していなかった。だけど、それぐらい取れていれば十分だとも言われた。
これは上でも書いたように素直に自分の意見を相手に伝えただけ。少しかっこつけたりはしたけれど、捏造はしなかった。
自分のやり方が絶対に正しいとは思わないけれど、面接官に好かれようとする受け答えよりも、正直なほうがぼろが出ないんじゃないかと思う。
そして面接が何回か行われて、最終面接を通過したら内々定が出る。
内々定がでると就職活動が終わる。僕の場合はGW直前に本命の最終面接があり、GW明けに内々定がもらえた。
中々良い感じで就職活動ができたんじゃないだろうか。
すごい人はもっとすごいけど、駄目な人と比べたらこれで上出来だと思う。
事業内容・福利厚生・労働環境あたりはきちんと調べたほうがいいと思う。個人的には月200時間残業するのが当たり前なところには行きたくないし、興味の持てない仕事もしたくない。
それと何事も早め早めが大事。
面接も筆記も早めに取り組んでおけば気持に余裕が持てるんじゃないかな。
最後に面接で一番大事だと思うことを書いておく。
それは、運。
自分以上に面接対策に努力してきた知人がいるけれど、面接で落ちまくっている。
知人が僕より劣っているとは思えない。むしろ入退室のマナーや滑らかな受け答えを見ると、僕より数段すぐれている。
彼と僕の間に差があるとしたら・・・それは運なんじゃないかな。
いい加減、自分とこの同人がどの位売れてて、その上でどの位需要があるのかぐらい把握しておいてほしい
そういう、需要考えずに少部数しか刷らない辺りが如何にも女性向け同人感覚だね
もういい加減、読みたいと思ってる奴を苛々させたいだけならさっさとガンダム00とかの女性向けの同人界隈に移籍したら?
格安で同人誌販売してるから、元手の取れない同人誌の販売はうまみがないってのは理解できる
なら何故DL販売をしない。
すくなくともアレならよけいな印刷費を取られることもなく販売できるはずだが?
読者の煩い追及を避けるためにもDL販売すべきだと思うが、それらしきことはまったく検討してないみたいだし
金がないから大量に刷れないってのもおかしな話だよねぇ
すくなくともあの人一般社会人の筈だから、ニート同人作家よりは金があるはず
大量に刷れば刷るほど一冊当たりの単価は下がる筈なんだから、もっと大量に刷るべきなんだよ
在庫の管理が大変というのも正直おかしな話で、印刷所から委託書店に直接送ればいいだけの話
その大量の在庫が自分の所に戻るなんてのも有り得ない。刊行されて1週間たたずに売り切れるんだから、在庫なんて余るはずがない
うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
何というか御免なさいとしか言いようがない
(今までにも散々再販の希望はとどいてたはずで、まさか自分のエントリの所為でDL販売を決めたというわけではないのだろうけど)
非常に申し訳ない。
このエントリを読まれた所為だとすると、もう余りの申し訳なさにたこ氏の顔をまともに見れそうにありません。
またいつものように、散々叫きたてても「あちらにはあちらの事情がある」というヤツで、こんなエントリは一顧だにされないと思いつい暴言ばかりを吐いてしまいました。
ここにお詫び申しあげます。
先日WCから個人情報と引替に「384403」届きました。こうなると不思議なもので、「もう死ね」とか思ってた黒い感情は霧散してしまい、自分の書いたエントリを見なおしてみるに何という酷いことを書いてしまったのだろうと自責の念に駆られるばかりであります。
と思うんだ。記憶ってものがね。
自分自身のは死んだ時点で、どうせ全部消えるから良しとする。
『僕が死んだら...』みたいなソフトを使ったり、
TrueCryptとかで見られないようにしたりと、
対策は立てられるからこれも良しとする。
こればかりは、消したいから消そう!
完全消去で復元も出来ないように!!
……っていかないからやっかいだなぁ。
他人の頭の中にある、自分に関する事柄全ても、
霧散して、何の違和感もなく世界が回っていくっていうのなんだけど。
何一つ、自分がいた痕跡を残したくない。
偲ばれたくなんかない。
ずっと忘れない、なんて言われた日にはどうしたらいいのか。
かえって困る。思われ続けるのって想像するだけでしんどい。
本気で忘れて欲しいんだけど、今のところ冗談にしか取られたことがない。
こういう風に思うのって、少数派なのかな。
「猛丑破砕(ブルクラスタァァァ)!!!!」
その豪腕の力を全て解放し、腕に装備した手甲― 牛の角、それも魔獣級の猛牛の角でつくられた幻器 ―の力を全て解放した一撃。
「くっ!!」
俺だって今まで戦ってきた身だ。それ故に悟った。
―回避は不可能―
となれば生き残るには一つしか途は無い。
幸いにも俺の身体は頭が気づく前に動いてくれていた。
盾を展開している暇など無かった。
そもそも、俺の持っている盾ではいくつ解放しようとその攻撃の前では即霧散させられただろう。
つまり、俺が生き残る唯一の方法は―俺の持っている最強の幻器―草薙剣を開放すること。
「うああああああぁぁぁぁぁっ!!!!」
開放するだけで俺の”力”などほとんどが持ってかれてしまう。
日雇い派遣は、どう変わっても救われない。まずハッピーケースを提示しよう。次に、バッドケースを想定しよう。最後に、あり得そうな未来と救いの道を模索しよう。しかし、いずれにしても救いはない。(なお、日雇い派遣が禁止されない未来は現状維持のため考慮していない。現状に救いがあると考えるのであれば幸いであろう)
ハッピーケースでは、日銭を稼ぐことが出来る。直接日雇いが禁止されずにいることが福音となる。労働者のデータベースが作られる。データベースを管理する会社が、データを有料で提供する。有料でデータの提供を受ける労働力を必要とする会社が、労働者へと連絡する。直接日雇いが完成することで、給金への対応は各会社の良識に任される。
個人情報そのものであるデータベースの構築維持は、慣れた業界が参入するのが通例だろう。書類を揃えてお上から異議が出ず報道少なく気がつくとそこにいる会社が設立されるのが日本の社会における力学である。つまりカードが労働者の手に行き渡る。クレジットやキャッシングの。
喜ぶべきは、日雇い派遣の柔軟な再定義である。支払日は、雇用企業の支払日でありかつクレジットの支払日であると良い。彼らは日銭を稼ぐのではなく借り、月締めの給金をもらうのではなく返すのである。企業への労働は緩衝地帯を置くことによって柔軟な対価を得ることが可能となる。しかしながら傾向から対策を練るのが常識であるならば、新たな限度額が生まれることは想像に難くなく、そして彼らは使い続ける。救いはない。
バッドケースでは、二極化する。マクロ経済学者が労働者を流動的に扱うモデルが現出する。ある作業に特化した歩合制の組織が設立される。組織は、仕事を請け負う。労働力を必要とする会社が、組織へと連絡を取る。会社間取引によって、労働力は適応する。所謂モデル事務所の業態を真似ることになろう。月額の支払いの運用は、取り締まりと良識と労働者の忍耐との間で綱引きが行われる事が予想できる。
組織の乱立と保護は両立しないことが過去多くあった。未来がそうでないとは楽観が過ぎる。そしてよりはっきりと、日雇い派遣と過去呼ばれた労働者の遠心分離が行われる。階層はまるで義務かのようにその差を開く。救いはない。
あり得そうな未来では、それほど変わらない。明示的か否かを問わず広場に労働者は集まる。集合する労働者を企業がピックアップする。どこに募集があるかの情報を提供する会社が企業から金を取る。労働者は無料の情報を基に赴く。あるものは所属し、又あるものは所属しない。携帯電話がフリーペーパーよりも早く伝達する。情報は価値を持つが労働者の挙手は信用されない。あぶれる予約者にお帰りいただけるよう直接雇用の形態が進化するだろう。救いはない。
救いの道は、救いを期待しないことである。玩具を前にした子供に待てと言うのは躾である。事故にあった後のリハビリは気力が物を言う。しかし不幸は道を閉ざし、Vana'dielは未帰還者を生み出し続ける。あと5分早く家を出れば良いと言うのは持てる者の理屈であり、出来ないから彼らは日雇い派遣なのだ。本質的に彼らを想定顧客とし囲み続ける産業が無くならない限り、彼らは使うことを止めない。テレビのコンセントを抜かなければ、見ないことは意思の力である。意思の力が彼らを窮状から回復する。漠然とした現状認識は人間の美徳であるが、強烈なモチベーションが無いからこその状態であるのならば、卵と鶏の循環を終わらせるには至らない。環境が変わらず主体が変わらなければ、得られる結論もまた変わらない。環境は変容し続けるがその根本は彼らの稼ぐ日銭であり、また彼らは実にしなやかに己をフィッティングさせる。救いはない。
日雇い派遣はどう変わろうが救いはなく、よって彼らに救いはない。
…しかし「彼ら」が「日雇い派遣の彼ら」とのイコールを解消するのであれば、検証は無意味でありそこに新たな地平が開ける。
***
蛇足である。頭の中までの検閲が許可されていないのは夢想家には幸いである。
使い暇が無いか使う場所が無ければ彼らは使えない。まずこれで貯まらないことが足かせである「彼ら」が離脱する。そうでない「彼ら」も労働力の需要と供給を満たすことで社会への貢献と自らの居場所を確保する。何もない場所への貢献と、使う暇のない労働とは、いずれも国際社会からの要請によって旗を掲げることが求められる場合に有効な手だてに近似するだろう。絶対的な境遇が変わらずとも、世のものさしは常に相対的である。観測者は光景を解釈することで理解する。解決策は問題が霧散することで理由を失う。緩やかな淘汰圧による必然よりもガイドレールによる先導は、目に付くだけに自由の強制と捉えられるだろう。
同権は平等を意味せず、均一な社会への夢は遠く、しかして我々はここに居てどこにも行けない。ならば実質的な勝利を目指そうと思うが、水は低きに流れる。
貧困が肥満を助長する滑稽さは、精神への脂肪で精算される。豊かさを定義できないことで自壊する幸福ならば、甘んじようではないか。
周りには多くの迷える若者がいた。色々な意見に翻弄され、自分を見失い、自分を信じることが出来ず、迷い、惑い、時には流されていた。
彼らを見て、いやそうじゃないだろう、お前はお前だろう。人生は一度しかない。何が出来るか分からないが、出来るところまでやってみようよ。そう思っていたし、言ったこともある。
野球少年の親友が居た。高校受験の時、志望校を野球推薦で入るか悩んでいた。当時の状況や仕組みをよく理解していないのだが、彼は野球推薦で受かっていた。しかし、高校以後も野球を本格的にやるか悩んでいた。
彼の実力というものを俺は知らない。分からない。ただ、地方の一中学の野球部に所属している野球少年がプロ野球選手になる、っていうのは実はあまりなさそうだな、とは内心思っていた。
と同時になぜ彼が悩んでいるのかも分からなかった。なぜ野球少年が野球を止めようなんて言ってるのか分からなかった。やれよ。やるだけやれよ。そう言っていた、俺は。
姉は就職活動先を悩んでいた。やりたいことがない、そんな感じだった。なんだそれ。じゃあ何で高偏差値の経済学部入ったんだよ。何をしに行こうと思ったんだよ。夢がないってなんだよ。
ずっとそんな感じだった。俺は些細なことでは良く悩んでいたかもしれないが、人生に悩んだことがなかった。自分がどうなるかなんて分からないことは理解していたが、一方で分かるような気がしていた。
それくらい自分には"確かな何か"があった。信じるべき自分とでも言うべき何かがあった。それは人生の軸でも、道しるべでも、目標とするゴールでもあった。っぽい。
だから俺は迷わなかった。色々うろうろ道草食ったりもしたけど、迷ってはいなかった。だから他人の迷いを理解は示せても、理解はしていなかった。
俺は進んできた。恐ろしいまでの自信を片手に。童貞だろうと彼女居ない暦=年齢だろうとファッションに興味がなかろうと、パスタをどうしてもスパゲッティと言ってしまっても問題ない。そんなことで揺らぐような俺はなく、結構本気でそんなことはどうでも良いことだと思っていた。
俺は進んできた。ただただ進んで、大学院まで進んでいた。自分が変わったことにも気づかずに。いや変わったのではないだろう。相変わらず好きなものは好きで、やばいくらい好きで。
俺は進んでいた。気づいたら俺の"確かな何か"よりも先に進んでいた。気づいたら目標は俺の横にあり、そして通り過ぎていた。自分より後ろにある目標というのが何と色褪せて見えることか。
俺の"確かな何か"は目標の地位から転げ落ち、夢の地位から霧散していた。
俺の目の前に初めて、物心付いてから初めて、未開拓の世界が広がった。そこは真っ暗で多孔質で、不気味さが粘りつくように染み込んでいるようだった。同時にそのスポンジのような闇には希望みたいな甘さが幾らでも含まれている気がした。いや、そう教わったような気がする。でもそこに飛び込もうにも、俺の短い人生で俺に絡みついた"確かな何か"の副産物は想像以上に重かった。もう何書いてるんだか分からないな。
人生に迷っていた彼らに会いたい。話したい。闇に飛び込んで、それでも今でもちゃんと生きている彼らに。俺には彼らが闇の海を割ったモーゼに思えてならない。
ペシミストじゃあない。じゃあなにか。よくわからん。
病気かね。違う気がする。
思春期特有のなにがし?まじで?そうだったら気楽になる。
でも信じられるかって。無理だろ。馬鹿言うな。
悩みを晴らすには?打ち込め?勉学?運動?何か?わけわかんね。
それでかいけつできんのか?信用できん。
医者に行って話をしたい。悩みを聞いてくれ。おれの悩み。
ひたすらもやもやするんです助けてください。いいてえ。言いてえ。言わせろ。
もやもやするんです。わかるかよ。そんなんで伝わるか。
なんていえばいい。言葉を持たない猿は気を病んだときこんな気分なんだろ。
口が動かん。頭回らん。悩み減らん。消えない。いやになる。どうにかせい。
どう訴えればいい。どうすれば楽になれる。邪魔なんだよもやもや。邪魔なんだよ不快。
どけろよくそったれ。理屈じゃ変わらん。
化学的に消滅させてくれ。もうよくわからん。
理想は楽に。言いつけどおりにしますんで。
解決策どっかから降ってこいし。変えろし。俺を。
映画?音楽?アニメ?小説?なんか本?漫画?会話?コミュニケーション?セックス?恋愛?薬?それとも自分探し?
何が効くんだ。どうしろというんだ。悩めというのか。それでいいとかぬかすのか。黙れクソども。
考えろとかいうのか。苦しめというのか。自力で行けというのか。馬鹿言え。くたばる。
のたうちまわるか。走るか。食うか。寝るか。死ぬのはいやだ。
ばかばかしいと言えればなあ。一笑にふせればなあ。
死ぬ気で何かやる?くそが。何をすりゃいい。
すべきこと?なにそれ。生まれて死ぬんだ。
わからん。よーわからん。めんどい。わからん。
なにがなにやら。世界はおれでできてるみたいな。
いつからか溜息でなくなった。たまってるな。
おにゃのこ。体温。ちゅう。なんでもええ。
夢?ない。理想?あるよ。かなうか?くそが。
あるだけじゃま。霧散しろ理想。
俺から想像力剥ぎ取れ。いらん。クーソーの役にも立たん。
主観?ばりばり。客観?常に。どちらか?知らん。
理解?想像?可能性?現実?妄想?夢?嘘?どうせ無駄。知ってます。
無駄です。たいてい無駄です。だいたい無駄です。他者はロボットです。主観は嘘です。騙されてるとしか思えない。
誰が俺を?神?いるの?信じられん。でも奥底でその存在を肯定しているから俺はこんなにも世界の存在の可否について悩むのだ。
俺だけじゃね?他者嘘じゃね?言葉の存在が現実の存在を肯定するなんて信じられん。理屈がわからん。
わかろうとしろだぁ?たるいよ。
ようは自己しか信じられん。いやはや。うそです。自己すらも。
俺?確実なの?うそだ。不確実だ。
あるのは認識。あと幅。視野だけ。視野外は無し。
俺の後ろ?なし。他者?ねーよw
信じたい。でも無理じゃん。
人間越えるほかなし。
われ思うゆえにわれあり?でもほかのは?おれだけあっても困るw
外部信じさせろし。不自由。
教えろ哲学者。確実を。
「好き」と言う言葉では足りなくて気持ちが溢れすぎて、でも決して大げさに「愛している」とかよくわからない体から離れた言葉を使ってもまったく用をなさない。
その人のことを考えて悩み疲れて眠っても、いざその人を眼前にすれば募った想いの分だけ自由が奪われてしまって、自然に振る舞えない。
とにかく好きで、死ぬほど好きで四六時中その人が頭に浮かんできて、感情が暴走するのを抑えられないで自分自身に振り回されてばかりだ。
なぜなのか、たぶんひねくれているのと勇気がないせいもあろう、相手に向かってふくらみ続ける気持ちの進行方向とはちょうど逆に、ブレーキの力が加わる。これらが釣り合ったところで思考も行動もとどまり、ただただ堂々巡りの日々。
人を好きになるとなぜこんなに辛いのだろう。世間で言われるような浮ついた感じなんて全然なかった。会っている日だって行動は起こせないくせに休みの日には一目見たくてたまらなくなり、にわかに「何か行動してみよう」だなんて決意した勇気は、明くる日、やっぱり現実の現実性の前に霧散してしまった。
いつも通りの日常から一歩先にある世界が遠すぎた。
「いますぐ会いたい」とか切実に思うのはしょっちゅうだった。付き合っているわけでもないのに。
とにかく何もかもが本気だった。
ぼくは死を恐れている。いずれ全てが無に帰すことがわかっているから、人生に価値や意味を見いだせない。一方で世界には、そうでない人たちが沢山いる。死後の世界を信じている人や、死ぬのはいやだけど充実した人生を送れるなら死んでも仕方ないかなと思える人や、そもそも自分がいつかは死ぬ存在であるであることを忘れて毎日を過ごしている人たちだ。ぼくの考え方と彼らの考え方、どちらが正しいということはない。それは個人の、それぞれの感じ方に因るものなのだから、文句を付けることはできない。付けてはならない。幸せに笑って過ごしている人に死の恐怖を押しつけるのも許されないし、死を恐れている人間に人生のすばらしさを解くのも間違っている。
わかっている。わかっているんだ。ぼくは自分の人生に価値や意味を見いだせないから、他人の人生にけちを付けているだけなのだと。ぼくが人生の虚無に押しつぶされて一人死んでいくのはぼくの自由だ。だけどそれを人に押しつけることは許されない。やっちゃいけないことだ。お前たちの信じている幸福なんて死ねば霧散するんだ、意味のないことだ、価値のないことだと主張することは認められない。人それぞれだ。ぼくが心の底から人生に意味を見いだせないように、心の底から人生の煌めきを謳歌する人だっているのだ。ぼくはそういう人たちの邪魔をしてはいけない。進路に立ってはならない。憎悪と羨望のまなざしを向けながらも、沈黙を守るしかないのだ。
でもだめだ。こういうのはアンフェアだって知っている。書いた瞬間に、ぼくがかろうじて保っていた公平性みたいなものが木っ端微塵に砕け散ってしまうってわかっている。でも書いてしまう。そうだ。ぼくはクズであり、不当に他人を罵って溜飲を下げているようなろくでもないゴミなのだ。いいか。聞け。おまえたちが信じているもの、大切にしているもの、価値があると思いこんでいるもの、そんな物はすべてまやかしだ。宗教も哲学も科学も理性も感情も恋人も快楽も社会も信念も創作も兄弟も肉親も友人も地位も名誉も金銭も思い出もなにもかも、すべては心底からくだらない目隠しに過ぎない。世界には死しかない。死しかないんだ。虚無。虚無虚無虚無! 百年後には全員死ぬんだぞ! なにが楽しくって笑っていやがる! 頭がおかしいんじゃないのか! 幸せ? そんなものがどこにある! ない! ないんだ! 全部嘘っぱちだ! あなたの幸せを願います? くたばってしまえ! 早く孫の顔が見たい? 脳髄からゲロが出る! 君が好きだ、結婚しよう? 百万回自害しろ! 貴様らは全員、世界の真実の姿から目を背けているだけの愚か者に過ぎない! そうやって幸せのうちに死ね! 死ね! 死ね! 死んでしまえ! ああああ! うあああああ! 畜生! なぜこんな世界に生まれた! 不条理だ! 間違っている! 神なんているものか! 世界には絶望しかない! ない! ないんだ! うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
更に乗っかってみる。
元増田すまそん。
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僕の父は僕がまだ幼い頃に亡くなっている。だからおぼろげにしか顔を覚えていない。けれども母によく似た女の子と話しているその男は、ますます父とそっくりだという確信がもててくる。
それに気づいたとたん、僕の勝手な苛立ちは煙のように霧散してしまった。しかし同時に、疑念が頭を支配する。
僕はいったい何を見ているのだろう?こんな偶然はありえない。僕はいつもと同じように帰宅しいつもと同じように電車に乗っただけだ。しかし今、周りの空気は白くまぶしく感じられる。それは、今までに全く体験したことがないような強い非日常感だった。
あの二人に声をかけてみたい、そう思った。しかし同時に、何かとてつもない恐れをも感じ、立ち上がることができない。
そうしている間にも、あの二人は穏やかに会話をつむいでいく。
あと二駅もすれば、僕の降りる駅に着いてしまう。
その二人の姿と、近づいてくる降車駅が僕に決断を迫る。声をかけるべきか、かけないべきか――。
http://anond.hatelabo.jp/20070131231009
あなたは何がしたくて大学に入りたいんでしょうか。何をそんなに腹立てているのか。思春の発動期だからですか。ノイローゼだからですか。
最も一般的で妥当性がある大学入学の動機は「学歴を手に入れる為」であるのに、それが全く考慮されていないのは何故でしょう。おそらく「大学で一段階上の興味範疇の刻苦勉励したいが為です!!」じゃないでしょう。そんな張りぼてのモチベーションみんな抱えて入学して半年で霧散するよ。あなたは違うんでしょうが…。
ここで自分語りを始めますが、私は多くの学生と同じく非常に「勉強」と呼ばれる行為が嫌いでして、「(教授される)勉学」という自己研鑽においては私のゴールは「大学合格」でした。「そこそこで満足して中途半端なプライド持ってる人」ですね、あなたの言葉で言えば。
こういう向上心の無く志が低い私ですが、あなたに侮蔑的視線を送られるであろう私ですが、頭がよろしいのに熱いパッションを持ってわざわざ三流私大を受験なさるあなたよりはるかに高学歴であろう私ですので学歴という武器を用いて企業にアピールすることが出来ます。何に価値を見出すかをさておいて、あなたより高い社会的地位につく可能性が高くなります。
私は社会的に見たヒエラルキーの中腹よりは上にいたい。その為に学歴を手に入れ、その為に受験シーズンは能動的にしたくもない勉強をやりました。全く何も勉強したくないにも関わらず大学に合格し、学歴を手に入れました。
それは自分のやりたい事を見つけたときに履歴書に学歴が無いが為に振り落とされる。それが嫌だから。この思考形式は多分、あなたの怒りを買っている自堕落にレールに乗る人達と同じだと思う。でも学歴の重要性は就職する際には否が応でも思い知らされます。現在の日本の社会構造はそういう風に出来ている。そしてそれは数年のうちに変わるようなものではないでしょう。
そうなんですか!やばいです私!
分野にもよるでしょうが、大学で学ぶことは自分で学べること
ここは完全に同意です。それで、あなたのその美しき向上心に答えるのはその大学だけなんですか?
それならあなたの言っていることも少し理解できます。
ただ、向上心は天晴れだと思いますが偏差値は70近くあるんですけどねとか匿名ダイアリでくだらない自尊心をチラつかせるプライドの高い女の子が甘い認識でレベルの低い大学に入れば、大学入学後、聞かれてもいないのに「私は模試で偏差値が70近くあったんだけどやりたいことがあったからこの大学に来た」と友人にくだを巻くと予言しておきます。そして後悔することも。なんだかんだいってあなたは偏差値を偏見材料にしてるから。そのくせ偏差値で偏見されるとヒステリーをおこすでしょう。だから黙って自分のレベルに見合ったところに行った方がいいんじゃないってアドバイスする人がいるんじゃないでしょうか(違ったらすみません)。
つき合ってから3ヶ月目にしてようやく彼女との初H
かなり渋られたものの、電気を消してするという条件を呑んでいざ本番
見えないというのがかえって興奮を誘い、俺は夢中で手探りで彼女の体を撫で回した
指先に乳首の感触、初めて触れる彼女の胸は以外に薄かった
しかし、もともとスレンダー派の俺はそんなことは気にせずに
指で乳首を転がし、唇と舌を使って存分に愛撫した
彼女も小さな喘ぎ声を漏らしながらピクンピクンと体を震わせる 悪くない反応だ
さて、もう一方の小粒苺も味わおうと闇の中で彼女の裸身をまさぐるが・・・
・・・あれ?
ゴソゴソモゾモゾナデナデ・・・
・・・無い・・・乳首が・・・無い!?
その時、俺の脳裏には「乳ガン」「乳房切除」などの言葉が駆けめぐった
(彼女が電気を消すことを願ったのはそう言うことだったのか・・・)
途端に今までの興奮は霧散し、代わりに彼女への切ない感情で俺の心は張り裂けそうになった
彼女「ごめんなさい・・・どうしても言えなかったの・・・」
俺「俺の方こそ・・・ごめん」
俺「なるわけないだろ」
そうは言ったが内心((((゜Д゜|||))))ドキドキブルブルだった俺
そして俺は意を決して、電灯の紐を引いた
(続きを読みたい方はワッフルワッフルと書き込んでください)